悩みと夢の世界
「もう、嫌になったんだよ」
亜衣はそう言った。
原因は、彼女の元父親だ。
今の父親は単身赴任しているがその父親がいない間を狙ったのであろう、その男がやってきた。
亜衣の母親の一回目の結婚相手であり、亜衣にとっては実の父親に当たる人物だった。
しかし、亜衣の母親とそいつとの離婚の原因は家庭内暴力だったのだ。
「でもそれって、警察に言えば……」
「と、思うでしょ? でも実際は、警察はきちんとした被害が出ない限り出動してくれないの」
一般に、民事不介入と呼ばれるものだった。
「あの男は感情的なようでいて、絶対にその一線を越えようとはしないの。もっとも、そのおかげで大したケガもしないのだけれど。その代わりに他の手段を使ってくる。例えば、夜中に私の寝ているとき、部屋に入ってきてそのことをお母さんにさりげなく知らせる、とか」
女の子の寝ている部屋に入るだけ。しかしその行為は、何かをしたら娘がどうなるかわかっているのだろうな、という脅迫行為に等しい。
「他にも、勝手に預金通帳を持ち出して使うとか……あまり使われる前に、寝ている間に取り返して隠したから、もう大丈夫なのだけれど」
そう話す亜衣は、教室で笑顔を見せる元気な亜衣ではなかった。疲れ切った、顔をしている。
さらに、拓也は男だからよく分からないが、よく見るとばれない程度に化粧しているような気がした。おそらくは、ストレスで多少肌の調子が悪いのをごまかしているのだろう。
助けたい、と拓也は思う。
でも、どうしたら―――
「おまけに……変な夢まで見てさ。毎日のように」
え? と拓也は思った。
それはまるで、
「RPGみたいにモンスターみたいなものと戦わされるんだ」
自分のようではないか、と思ったが、よく考えてみれば自分は戦っていないな、と思い直す。
「今日はありがとね。少し、話して楽になったかも。じゃあね」
亜衣はそう言うと、これ以上あまり人に話したくなかったのか、ビルの中に入って階段を下りて行った。
これが、拓也と亜衣との(一対一と言う意味では)初対面であり、これから起こる戦いの幕開けであった。
その日の夜の拓也の夢は、いつもと違っていた。
いつもよりもより一層はっきりしていた。加えて、思考が現実世界と同じように正常にはたらくようになっていた。そう、例えるのなら。
まるで、異世界に来たようだった。
「はは……。何なのだろう、これ」
まあ、夢と言うのは本人が体験したことの影響を受けるというから、読書好きの自分が異世界の夢を見るのはおかしくないのかもしれないが……。
「いくらなんでも、リアリティが過ぎるでしょ……」
はあ、と拓也はため息をつく。現実世界でも毎日のようにため息をついているというのに、夢の中でもため息をつかなければならないのか、と考えると余計に憂鬱になった。
すると、改めて自分自身の格好に気が付く。
「何この格好……」
服が違う。高校の制服でも、普段着の私服でもなく、ゲームや小説に出てきそうなありきたりの勇者や騎士が身に着けていそうな、青と緑の立派な服装だ。それでいてものすごく動きやすかった。
しかし、コスプレっぽいということ以外に問題が一つある。
「なんでレイピアなんてものが腰に備えつけてあるの!?」
レイピア。細身で先端の鋭く尖った、刺突用の片手剣である。
銃刀法違反もいいところだ。いや、夢の中だったら問題ないのか……? などと拓也はさらなる混乱に陥った。
単なるレイピアと言うよりは、どちらかというとフェンシングに使うエペに近いその剣を試しに抜いてみると、一抹の願いを込めて近くの木に刺してみる。
予想通り、ただの模造品にすぎないそれはくにゃりと曲がった……なんてことはなく、レイピアはしっかりと木に突き刺さる。
本物だ。
その事実に、拓也は思わず木にレイピアを突き刺したまま後ずさりをして……地面のくぼみでバランスを崩し、しりもちをついた。
「痛っ。ほ、本物なんだ……」
そんなことに驚いていると、後ろからがさっ、と音がしたので後ろを振り向く。すると、そこには獣がいた。
もう少し具体的に言えば、白いオオカミをベースに、その頭部と背中にライオンのたてがみのような、太陽光を受けると金色に光る茶色の毛が生えたような感じの獣であった。
その獣は拓也を見ると、グルル……と低くうなる。
「ひ、ひい!?」
怖くなった拓也は、地面に座り込んだまま後ずさりをする。先ほどから立て続けに起きる不可解な状況に、何をしたらいいのか分からなくなっていた。
しかし、やはりそのオオカミもどきは低い声でうなりながら拓也に近づいてくる。おまけに、どこからか仲間であろう他のオオカミもどきまで出てきてしまった。緊張と恐怖で汗が止まらなくなる。
怖い。恐ろしい。そんな思いが頭の中を駆け巡る。
誰か、助けて……と周りを見渡すが、人はおろかこのオオカミもどき以外にあるのはそこに立ち並ぶ木だけ、という状況に拓也は絶望する。
いや、一つだけあった。さっきまで持っていたレイピアだ。あれを振るえば、何とかなるかもしれない、と拓也は思う。
しかし、今動き出したらこのオオカミもどきはすぐに襲い掛かってくるのではないか。その不安が、一抹の希望をも染め上げる。
動くか。動かざるか。
だがこうして迷っている間にも、オオカミもどきは警戒するようにゆっくりと近づいてくる。
「いくぞ……」
拓也は無意識のうちに言っていた。
「いくぞぉぉぉぉぉ!」
一気に走り出す。一瞬、あのビルの屋上に向かって階段を駆け上がったことが、屋上の手すりに乗り出した亜衣に向かって迫っていったことが、思い出された。
あまり長い距離は開いていなかった。拓也とレイピアまでの距離も、拓也とオオカミもどきまでの距離も。
レイピアの柄を持つとそれを一気に木から引き抜き、剣先をオオカミもどきに向ける。
ただ、自分に近づかれることを恐れて拓也はそのレイピアを振る。しかしその判断は間違っていた。先ほども言ったように、レイピアは刺突用の剣であるからだ。相手の武器を払うときはともかく、相手を攻撃するときは刺しにいかなければならない。
レイピアを振るったタイミングを待っていたのか、その直後に一匹のオオカミもどきが拓也に飛びかかってきた。再び地面にしりもちをついた拓也に、その牙が目の前まで迫る。
「ひっ!?」
絶体絶命の状況だと思われたその時。
「“風の精よ。わが手にその風を束ね球として放て”」
そんな声が聞こえたかと思うと、そのオオカミもどきの体が吹き飛ばされた。
拓也はオオカミもどきが吹き飛ばされたことで安心してしまい、レイピアを地面に落とした。しかし。
「だめだ! まだ終わってねえ!」
先ほどと同じその声にはっとして見ると、オオカミもどきが再び立ち上がっていた。拓也はとっさにレイピアをつかんで突き出す。すると運よく、その剣先がオオカミもどきの目に突き刺さった。血が噴き出す。そして、オオカミもどきの体から力が奪われ、その体が地面に倒れた。
「ひ、ひい!」
拓也はその光景に、今日(?)何度目になるか分からない悲鳴を上げた。
オオカミもどきはもう動かない。完全に死んだようだ。
「お前さんがどこの人だかは知らねえが……大丈夫だったか?」
再び混乱に陥る拓也に、先ほど聞こえた声の主が話しかけてきた。拓也は声がする方向を向く。
そこには男がいた。おそらく年齢は二十代だろう。体格がよく、その手には斧を持っていた。なんだか自由な感じで、世界中を旅していそうな、そんな雰囲気をしていた。
「えっと……ありがとうございました」
拓也はその男に頭を下げる。そして、他のオオカミもどきがいなくなっていることに気付く。この人が来たので逃げたのだろうか。
「気にするな。だけど、ウルフレスト相手に手間取っているんじゃあ、正直危ないぜこの辺は。お前さん、その恰好からして王国の騎士の見習いかなんかか? これからどこに行くつもりなんだい」
ウルフレスト? 王国? 騎士見習い?
頭に?マークを浮かべる拓也に対して、その男は続けて言う。
「ああ。それともさっきの様子じゃあ、他の国から飛び出してきたのか? 確かに、そこのドリムト・レス王国はいい国だからな。他の国よりも税金が低いし、何より国王のトリス様はこの国の歴史の中でも特に穏健で、徳の高い方だからな」
「えっと……そもそも、言っていることがよく分からないのですけれど……」
ドリムト・レス王国? 税金が他の国に比べて安い? 国王が穏健?
訳の分からないことを立て続けに話す男に拓也は戸惑いながらも聞く。
「まあ、行ってみればわかるさ。それとも、他の場所に行く予定があるなら別だが、特に当てもなく旅をしているのだったら、良ければ一緒に行かないか」
「えっと……はい。よろしくお願いします」
混乱が収まらない拓也は、とにかく人がいる場所に行きたいしそれに一緒にいれば何か情報が得られるだろうと思い、その人についていくことにした。
「そういえば、あんたの名前は何ていうんだ?」
「あっ、はい。滝川拓也と言います」
「タキガワタクヤ? 変わった名前だな。俺はリベラム。リベラム=フリード。よろしくな、タキガワタクヤ」
その男、リベラムはそう言った。
「あ、僕の呼び方は拓也でいいです」
「そうか。それじゃあ拓也と呼ばせてもらうぜ」
リベラムの後についていくと、そこには馬車があった。いや、正確には車を引っ張っているのは馬ではなく、馬に似た動物だった。
「この辺りは砂利道が多いからな。少し揺れると思うが、我慢してくれ」
リベラムは拓也が座ったのを確認すると、そう言って手綱を握り走らせ始めた。その振動に拓也は舌先を噛んでしまい、再び涙した。
リベラムが聞く。
「お前さん、いったいどこから来たのだい?」
拓也はその質問に少しためらってから、正直に答えることにした。
「日本です」
「ニホン? 聞いたことがないな」
「いえ……(えっと、どうやって答えたらいいのだろう……)」
拓也がためらっていると、
「まあ世界は広いのだから、俺が知らないところなんてたくさんあるか」
と言って一人で納得してくれたので、拓也は胸をなでおろしつつリベラムに感謝した。
その後も二人は話し合いながら馬車で移動した。
「そう言えば、拓也のいる日本ってのはどのあたりにあるんだ?」
そう聞かれて拓也は答えた。
「えっと……そもそも、ここのことがよく分からないんです。なんだか、異世界にでも来たみたいな……」
「異世界……? まさか、あんた魔法とかが一切ない世界から来たのか!?」
リベラムは驚いたように声を上げた。
「えっと、そうなんですけれど……というか、さっきあの、ウルフレスト、でしたっけ? あれを吹き飛ばしたのって魔法なんですね」
「ああ……つまり、拓也は大本、つまりオリジナルの世界から来たってことか……。オリジナルに会えるのなんて、俺には訪れないと思っていたから驚いたよ」
「オリジナル?」
その言葉を不思議に思った拓也は聞き返す。すると、リベラムは説明してくれた。
この世界は、拓也が生まれた世界とは違う世界。
拓也が生まれた『オリジナルの世界』の人々の心から生み出された世界。
「……特に名前はないのだがな」
人々の心の中にある不安や恐怖。それが歪んだ形で現実となった世界であるらしい。さらに、その“人々”というのは現在の人だけでなく過去の人たちのものも含まれている、ということだ。
そのため、戦争。魔法。幽霊。魔物。悪魔などが存在する。さらに、疫病や自然災害などが頻繁に起こる。
「今も王国の一部の地方では、疫病で毎日のように死者が出ているって話だ。王室直属の魔導士が解決に尽力しているって噂だけどな」
拓也はその答えにぞっとした。
「あの、それってつまり……この世界は恐ろしいものがあるのが当たり前って感じなのですか……?」
恐る恐る聞いてみる。
「まあ、どちらかと言えば多い、といったところだ。普通に平和に暮らしている分には、特に問題はねえよ。戦争や疫病以外は、だが」
つまり、現実世界よりも危険は多いということだ。拓也は怖くなった。
そんな拓也の表情を見たのか、リベラムは笑って言った。
「はは。まあ、そんなに怖がる必要はねえよ。それにさっきも言ったように、問題に巻き込まれないように町で静かに暮らしていれば特に危険はない」
そこまで説明がされたところで、馬車は森を抜けた。目の前には、大きな扉のついた壁が立ちふさがっている。
「さてと。ドリムト・レス王国についたぞ。少し待っていてくれ」
リベラムはそう言うと、馬車から降りて扉の前にいる兵隊なのであろう人たちと話し始めた。
何を話しているのかな、と少し拓也は不安になる。そういえば、自分はパスポートなんて持ってないから他の国の中に入れるのだろうか……、と少し緊張しながらリベラムを待つ。すると、リベラムが話終えたようで拓也が座っている馬車のほうに戻ってきた。
「これでよし。拓也はこの街に入るのが初めてだから書類を作る必要があるからあの人たちについて行ってくれ。なに、名前を申告したら拇印を押すくらいで書類なんてすぐに作れるさ」
民事不介入とかは、僕の勝手な解釈です。すみません




