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Trace Heart  作者: nozomu
13/26

変わるということ

 再び雑談をしているうちに、二人も昼食を食べ終わる。拓也はいつも通り、廊下にあるロッカーの中に自分の弁当箱をしまう。

 やはりそのタイミングで、亜衣に話しかけられた。

「滝川君。ついに、今夜だね」

「……そうだね」

 今日の夜に寝た後に、『投影世界』で目覚めたらミノタウロスの討伐である。別に二人だけで討伐をするわけではないが、拓也と亜衣にとっては非常に重要なことであり、二人とも緊張するのは自然であろう。

 この討伐が、亜衣の抱える問題を解決するための鍵となるのだから。

 二人は、誰もいない空き教室へと移動する。

 しかし、拓也は今改めて彼女を見て気が付いたのだが、亜衣は少し疲れが顔に出ている。

「あのさ、もしかして今日の朝にでも……何か、あった?」

 元父親のことについて――とは、言わない。分かり切ったことであるからだ。

 その言葉に亜衣は驚いた表情をすると、「そんなに分かりやすかった?」と笑った。

「うん、少しお母さんと『あの人』が、ね……。まあ、私には何もなかったし、お母さんも自分で何とかあしらうことができていたから、良かったんだけれど」

 大ごとになるようなことは起こっていないようで、拓也はほっ、と胸をなでおろす。しかし、やはり根本的な解決からはまだ遠いようだ。

 だから、今夜の『投影世界』での行動で一気に状況を覆す。拓也たちにとってはそのための、ミノタウロスの討伐なのだ。

 そのことを考え、二人は少しの間沈黙したまま、なんとなく空き教室の窓際に移動した。

「なんか、奇妙だよね。あれだけのことがあって、まだ滝川君と話すようになってからまだ三日しか経っていないなんて」

 二人で空き教室の窓から中庭を見下ろしていたら、亜衣が言った。

 そう、まだ三日だ。

 あの時、拓也と亜衣があのコンビニの入っているビルの屋上で出会い、その夜に『投影世界』で起こったテロに巻き込まれ、亜衣が人質にされたところを拓也が助けた。その時から、未だに三日しかたっていない。

 『投影世界』に初めて行った日にはリベラムに出会い、ドリムト・レス王国に入って間もなく亜衣と遭遇した。

 その後『現実世界』に戻ってくると、放課後に亜衣から電話があり、拓也は初めて元父親という人物に出会い、脅迫された。

 『投影世界』二日目には、占いの結果だけを頼りにして王都のはずれにある泉に向かい、そこでミノタウロスと遭遇した。その後、ラクスと出会った。

 そして、三日目には作戦会議の場で、エリートを相手に啖呵を切った。

「でも、この三日間で、僕たちも少しは変わることができたんじゃないかな」

 拓也は素直にそう思った。

「そうだね。まあ、その、一緒にいてくれる人ができたから、単にそれが心強くて、頼っているだけなのかもしれないけど」

 亜衣は、自嘲気味にそう言う。

 自慢ではないが、拓也がいなかったらリベラムと会うこともできず、人知れず『投影世界』で潰されてしまっていただろう、と断言できた。

しかし、その言葉に対する拓也の言葉は予想外の物だった。

「別に、強くなったと勘違いしていても良いんじゃないかな」

 え? と、亜衣は驚きの表情で拓也の顔を見る。

「だって、最近思ったんだけどさ。自信のあるなしっていうのは、結構曖昧なものだと思うんだよ。だって、結局はその人本人が『どう思うか』だろうから」

 もしも拓也が『投影世界』に行っていなかったら、彼は今ほど亜衣の問題に対して積極的に関わろうとはしなかっただろう。きっとせいぜいが、話を聞いた上でも中途半端に同情の言葉を投げかけて終わりにしていたに違いない。

 しかし、実際には違った。

 拓也は、自分自身のことを『臆病』だと思っていた。しかし、実際には亜衣の問題の解決に手を貸したし、自分からミノタウロス討伐に参加することも決めた。

 では、臆病でないならば、いったい何なのか。

 恐らく、それは『偽善』だ。

 自分が本心から望むか否か。拓也の行動の全ては、結局そこに全てが集結されているようだ。

『偽善』であるから、亜衣の抱えている問題を放っては置けない。

 その一方で、自分が危険の中に飛び込むことを恐れていることを自覚している。

 拓也は、そんなアンビバレンスな思いを抱えている。

「だけど、そんな中でも僕は行動を起こすことができた。だからきっと、後はこの行動で結果を残せば『自分は変わった』って胸を張って言えるような気がするんだよ」

 その一方で、亜衣はそう語る目の前の少年に目を見張った。

 『投影世界』で関わる前は、滝川拓也という少年は亜衣にとって『クラスメイトの中では地味な人間』という認識でしかなかった。(友達の中でショタ扱いはたまにされていたが)

 しかし、実際に一緒に『投影世界』で戦って、気が付いた。

 きっと、この少年は恐ろしいほどに純粋だ。

 そして、優しい。

 自分の家の事情を話してしまっているとはいえ、亜衣には『拓也がどうしてここまで自分の事情に付き合ってくれるのか』という疑問や、『自分の事情を話してしまい、無理に同情を誘ったようで申し訳ない』という気持ちが強かった。今でもそのような気持ちは残っている。それは確かだ。

「……そうだね。だったら、私も『自分は変わった』って言えるように行動をおこさなきゃね」

 しかし、その一方でこの少年の優しさに甘えたい、と思っている自分がいることを亜衣は自覚していた。

 理由はいろいろ考えられる。

 今の、ギスギスとした家庭の状況。

 一度母親が離婚し、再婚してもその父親が仕事に忙しく、今も単身赴任中で中々会えないこと。

 そのような両親のもとで育った一人っ子であるために、誰かに頼ることが中々できなかったこと。

 その他にも考えられることはある。だが、亜衣は目の前の少年との距離を確実に狭めていることを感じ取っていた。

 さらに、それがひどく心地よい感覚であることも。

「だから、頑張ろうかな。自分に自信が持てるように」

 その夢をこの世界に投影できるように。

 昼休みの空き教室の中の二つの影、その距離はとても近かった。




「ただいま」

「あら、お帰り」

 この日は図書委員会の活動がなかったので、最近としては珍しく拓也は教室からまっすぐに自宅へと帰った。

 自分の家に来ると、みんな普通は(親と喧嘩でもしていない限り)ホッとするものなのだろうが、今日の拓也は違った。

(……緊張する)

 家に帰る=あと何時間か経つと寝る=『投影世界』へ行く、という式が最近頭の中で出来上がっているからである。

 特に、今夜の『投影世界』は特別なのだ。

 ミノタウロス討伐。

 そのことを考えると、拓也は気分が変わっていくのを感じていた。つまり、本当に討伐に成功して、『現実世界』を変えることができるのかという緊張感を。そして、自分が今までの臆病者から大きく変わることができる可能性を考えて、気分の高揚があることを。

「拓也、どうしたの?」

 ぼーっと、そんなことを考えていると、母親に声をかけられた。

「何でもないよ」

「そう? そう言う割には、ちょっと疲れたような顔をしているけど。最近ちゃんと寝ている?」

 母親に言われて、冷蔵庫で冷やされていた牛乳を飲んでいた拓也は少しドキリとする。

 自分は家族には何も悟られないようにしていたにもかかわらず、やはりどこかで表面に出ていたのか。それとも、家族というものはどこかで分かってしまうものなのか。

「いや、ちょっと疲れているだけ」

 拓也は、母親にそう返事をする。まあ、疲れがたまっているのは事実であったので、嘘をついているわけではない。

「お兄ちゃん、お帰り」

 拓也よりも先に小学校から帰宅していた静菜が、階段を降りてきた。

「……ただいま」

「お兄ちゃん、最近お疲れモードだよね。前に一回帰って来るのが少し遅いときがあったし。はっ、まさか彼女とでも遊んで帰って……いや、ヘタレのお兄ちゃんにはないか」

 妹はさらりと酷いことを言う。

「静菜だって、別に恋人とかいないでしょ?」

「そ、そうだけど! 私はまだ小学生だから普通なんだよ、フツー!」

「高校生でも、実際に恋人がいるのは少数だと思うけど?」

 拓也が言うと、静菜は上手く言い返されたのが気に食わないのか、むすーっと機嫌が悪そうに頬を膨らませた。拓也は別に、言い返したというよりも気づいたことを言っただけだったのだが、同じことだ。

「まあ、別に彼女とかはあまり……」

 拓也は考えていない。

 もちろん女の子に興味はあるし、亜衣という美少女と奇妙なつながりができたということに嬉しくは感じている。彼女の何気ないしぐさや言動にドキッとすることもある。

 だが別に、他の男子がやっているように、付き合いたいだとか、そう言う気持ちはあまりない。というよりは、あまりよく分かっていないのだ。拓也小説でもそういった恋愛関連のシーンはよく出てくるが、それは『知識』として蓄積するのみであり、『経験』からは程遠いのである。

 はっきりと言ってしまえば、拓也は恋愛方面には非常に疎いのであった。

(まあ、少し気は楽になったかも。緊張を取るという点では、静菜との会話も良かったかな)

 拓也は妹との会話をできるだけポジティブにとらえつつ、話を曖昧なまま中断した。もっとも静菜はまだ煩くしているが、拓也はそれをスルーして自分の部屋へと向かう。

 自分の部屋に入り扉を閉めると、通学カバンを放り出してベッドの上に寝転がった。第一ボタンだけを外していたワイシャツを脱ぎ、制服から部屋着に着替える。ちなみに、夕霧北高校の制服は男女ともにブレザーで、男子は冬服にのみ紺色に水色のストライブが入ったネクタイが必要だ。女子は年間を通じて水色のリボンをつけているのだが。

「まあ、ネクタイなんて夏に着けても暑苦しいだけだし。そういった意味では、正解かな」

 詰襟だった中学生の時は、衣替え前の5月下旬は非常に首回りが暑苦しかったので、拓也は今の高校の制服がブレザーであることが少し嬉しかったりする。教室も、少しだけではあるがエアコンが入るようだし。

 拓也は初夏の日差しと自分自身の体温で温まった制服の暑苦しさから解放されると、ふう、とため息をついて自分の勉強机に向かう。

 その日の授業の宿題と復習を終えると、拓也は自分の部屋から出てパソコンの置かれているリビングへと向かった。

 母親が夕食を作り、静菜がテレビを見ているその横で、拓也はミノタウロスの情報を今一度確認しなおしてみる。

 そもそも、ミノタウロスはどのようにして生まれた存在なのか。調べると、簡単に出てきた。

 ミーノース王は、後で返すという約束で海神ポセイドンに願って海から美しい白い雄牛を得た。この雄牛は、一説では黄金であるらしい。しかし、王は雄牛の美しさに夢中になってしまう。そのため、生け贄として捧げるのを別の雄牛にすり替えてしまった。

 しかし、これに気が付き激怒したポセイドンがパーシパエーに呪いをかけ、后は白い雄牛に性的欲望を抱くようになったため、彼女はダイダロスに命じて雌牛の模型を作らせた。そして彼女は自ら模型の中へと入り、雄牛の身近へと訪れた結果、パーシパエーはミノタウロスを産むこととなった。

「あまり役に立ちそうにない……」

 はあ、とため息をつくと、母親に呼ばれたので拓也は夕食を食べることにした。




「とまあ、調べてもそんなに有力な情報は出てこなかったよ」

 夜の十一時ごろ、拓也は自室で携帯電話を使って亜衣と話していた。

『アタシが調べても、大体同じ感じだったかな。ミノタウロスの誕生にしても、討伐にしても、あまり役に立ちそうにないよ』

「まあ、神話だからね。どのように倒したか、ということよりも、英雄によって倒された、という事実が重要なんじゃないのかな」

 結局のところ、その神髄は勧善懲悪もののストーリーであるということではないのか、と拓也は思う。要するに、それを『神話』という形にして人々の心の中に収めておきたかったのではないか。

(なんだか、身も蓋もないことを言っているみたいだけれど)

 拓也も亜衣も、眠くなってきたので電話を切ることにした。だが、いざ切ろうとした時、亜衣がこんなことを言った。

『今まで、ありがとう』

 その声は、それまでの調子とは違う、弱々しくて、でも優しい声だった。

 その様子に拓也は一瞬虚を突かれたように固まるが、微笑んで答える。

「ありがとう、は今日の夜にしてほしいな。具体的には、ミノタウロスを討伐した後に」

『でも、言っておきたかったんだ』

 そうなんだ、と言って拓也は通話を切って部屋の照明を落とした。

 しかし、実際に寝ようとしても、胸の鼓動が高鳴ってなかなか寝付けなかった。

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