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何やってんだろう、あたし…… 

 翌週の日曜日も海沿いの図書館へ向かう途中で海岸へと寄ってみた。

 まだ早い時間だと言うのに、下野 南央樹と言う男の子はもう練習をしていた。


 すでに動くことは問題無いようで、今日はターンの練習をしているようだった。

 少し進んではターン、戻ってはターンを繰り返している。

 

 彼の上達速度が早いのか遅いのかまでは、矢吹 遥香には判らない。

 先週家に帰ってからWEBで色々調べた結果、多少はウィンドサーフィンと言う物に関する知識は付いていたが、それが難しいのか簡単なのかまでは判らなかった。


 それでも彼が諦めずに続けている姿には、素直に感心する。


 口ばかりで何もしようとしない、自分の周囲の男の子達とは少し違う種類の人間なんだなと、下野 南央樹という人間を知りもしないうちからそう勝手に思ってしまう。


 彼女は、下野 南央樹という人間が、何故海にやってくるようになったのか、どうしてウィンドサーフィンをやっているのかについて、当然だが何も知らない。

 彼が虐められている事、クラスで無視されていることなど知る由も無い。


 だからこそ、偏見の無い目で彼を見ることが出来たのかもしれないが、ある意味一方的な決めつけでもある。

 人間の本質は会って話して、そしてある程度付き合って見ても解らない事が多かったりするのだから難しい。


 ちょっとだけ、矢吹 遥香は下野 南央樹という人間を、もう少し知りたいと思った。


 午後になって休憩がてら海に来てみるれば、まだ下野 南央樹が練習を続けているのが見える。

 それを確認してから、矢吹 遥香は踵を返して臨海公園へと続く階段の方へと歩き出す。


 防潮堤から臨海公園へと降りて、休憩場所に設置されている自販機で目に付いたスポーツドリンクを買ってみた。

 WEBで得た知識では、運動には塩分補給とミネラル補給を兼ねたスポーツドリンクが最適なのだと書いてあったから、迷う事は無い。


 ゴトン!という馴染みのある音と共に、取り出し口に乳酸飲料メーカーが出しているスポーツドリンクが落ちてくる。

 それをハンドタオルで包んで、白い編み込みの手提げバッグに突っ込んだ。


 ふと、自販機にうっすらと映る自分の姿を見て、身なりを無意識に確認してしまう。


 薄い若草色の小さな麦わら帽子の位置を少し斜めに直し、暑いからと第二ボタンまで開けてある胸元が開きすぎていないかをチェックする。

 それから若草色のチノパンと白い籐のサンダルまで含めた全身を確認して自分にOKを出す。


「何やってんだろう、あたし」


 ふと我に返ると、普段やり慣れていない事を自分がやっている事に驚く。


「まいっか、身だしなみは女の基本だもんね」


 そう、自販機に映る自分自身に言い訳じみた言葉を呟くと、クルリと踵を返して矢吹遥香は再び防潮堤へと向かった。


 何か明確な理由があった訳でもなく、話したい事があった訳でも無い。

 ただ頑張っている下野 南央樹という男の子に陣中見舞いをあげようと思っただけだ、そう彼女は自分自身の行動を理由付けていた。


 下野 南央樹がターンの練習をしている場所にほど近い突堤の上に矢吹 遥香は立っていた。

 わざわざ自分から声を掛けるのも憚られるので、彼が自分に気が付いてくれるのを待っていたが、一向に気が付く様子も無い程に熱中している。


 何だか、中途半端なタイミングで声を掛けて練習を中断させてしまうのが申し訳無く思えたので、突堤の先端付近でしばらく様子を見ることにした。

 そんな下野 南央樹が先程までは踏ん張っていた体勢から急に力を抜くと、ふらりと背中から海に倒れ込んで、激しい水飛沫が上がる。


「きゃっ!」


 予想していないタイミングで自分の間近まで飛沫が飛んできて、思わず小さな悲鳴を上げてしまった。

 しまった!と心の中で呟くが、もう遅い。


 その声が聞こえたのか、海面に顔を出した下野 南央樹が矢吹 遥香に背中を向けたままで辺りをキョロキョロと見回している。

 まったく見当違いの方向を探しているのは、きっと海水が目にでも入ってしまったのだろう。


「ぷっ……」


 真剣な探す仕草とアンマッチな見当違いの方向、そんな間抜けな様子が可笑しくなって、つい吹き出してしまった。

 その声が聞こえたのか、目の前で背中を見せている下野 南央樹が慌てて矢吹 遥香の居る突堤へと振り返る。

 その顔は、まだ海水が目に沁みているのかキツく目が閉じられたままだ。


「ふふっ、いつも海に落ちてばっかりなんだね」


 キツく目を閉じたままの、そのポッチャリした顔が妙に可笑しくて、ついついからかってしまいたくなる。

 その声を聞いて、目の前に居る下野 南央樹は慌てて右手で自分の顔を撫でて海水を拭き取り目を開けて、信じられない物を見たかのように戸惑っていた。


「えっと…… 確か、あの…」


 あろう事か、この男は矢吹 遥香の名前を思い出せないらしい。

 必死で、口元まで出かかっている名前を思い出そうとして、逆にしどろもどろになっている様子から、それが如実に判ってしまう。


 ちょっとばかり女としてのプライドを傷つけられた矢吹 遥香は、少し頬を膨らませてプイッと下野 南央樹から目を逸らす。

 別段慢心している訳ではないが、男の子相手にこんな失礼な対応をされたのは初めてだった。

 しかもわざとでは無く、本気で彼女の名前を失念しているのが気にくわない。


 こちらは、あれから何度か下野 南央樹の様子を見に海に来ているというのに、これは不公平では無いかという小さな怒りもあった。

 そして、それが理不尽な怒りである事も充分に承知はしている。


 再び、海の中に立っている下野 南央樹に顔を戻せば、矢吹 遥香側の小さな不満も知らず、暢気な顔をして彼女を見つめている。


 自分は彼の名前を知っているのに、彼は私の名前を覚えていない。

 私は彼の頑張りを密かに応援していたというのに、彼はこちらの事なんか忘れていた。


 いったい、この対応は何なのだ!

 そう思うと、その暢気な顔すら何故だか無性に腹立たしい。


「自己紹介しておいて女の子の名前を忘れるなんて、男の子としてどうなの!」


 突堤の上に居る自分よりも、だいぶ下の位置に立っている下野 南央樹に向かって、膝に左手を突いて重心を支えながら上体を倒して、人差し指を伸ばした右の指先を突きつける。


 こうして、よく知りもしない相手に向かって素の感情をぶつけてしまう事は、矢吹 遥香にとって良くある事では無い。


 『ごめん』と言う返事が返ってくると思えば、彼は返事も忘れて矢吹 遥香の顔よりもやや下に目線を泳がせている。

 その目線の先にある自分の体の一部に気付いて、慌てて右手を引き戻すと第二ボタンまで開けてあったブラウスの胸元を押さえて上体を引き起こす。


「ちょっと! 下野くんエロ過ぎ」


 やはり、友人の結衣が言った通り男の子という生き物は女をエロい対象としか見ていないのだと断定して、そして何に対してなのか判らないが失望した。


「ほんと男って最っ低! 何度も何度も海に落ちても諦めないで頑張ってるから少しは応援してたのに…… 」


 なんだか、急に堰を切ったように不満が溢れ出す。


「今日だって午前中に通りかかったらまた頑張ってたから、午後も様子を見に…… じゃなくって、通りかかったらまだやってるから頑張ってるなぁって関心してたのにぃ、もぉ~私の小さな感動を返してよ」


 そうだ、ちょっとした感動で良い想い出になったかもしれないのに、男の子のエロ目線に晒されて気分が台無しだ。


 せっかく差し入れを持ってきてやったと言うのに、男というのはどうして頭の中がエロい事ばかりなのだろう。

 結衣という友達に洗脳されかけている事もあって、そんな事が頭の中を駆け巡る。


「ごめん、つい反射的に…… 」


 ふいに素直に謝られて、例えて言うならば振り上げた拳のやり場に困って戸惑ってしまったような気持ちになる矢吹 遥香。

 あまりにしょげかえった下野 南央樹の様子を見て、少し言い過ぎたかと反省をする。


 理屈では男という生き物がそういう物だというのも聞いて知ってはいるが、理解は出来ない。

 だけど、第二ボタンまで開けたブラウスで無防備に屈んでしまった自分にも落ち度はあるし、確かに言い過ぎたかもしれない。


「遥香よ、は・る・か!」


 少しだけ照れながら、自分の名前を一音ずつ区切って目の前の男の子に伝える。

 次に覚えていなかったら承知しないから、という意味を込めて。


「へ?」


 その意味が伝わらなかったのか、素っ頓狂な反応を示す下野 南央樹と言う小太りの男の子。

 どうやら、もう一度言わなければ判らないらしい。


「矢吹 遥香、や・ぶ・き・は・る・か! よ 」


 三度目は無いという意味を込めて、一音ずつ区切ってゆっくりと自分の名前を伝える。


「もう二度と会わないと思うけど、名前くらい覚えときなさいよね、し・も・の・な・お・き君!」


 それほど強い決意では無いが、物事には勢いというものがある。

 実際にもう顔を出すのは止めようと思ってもいて、そう言葉に出した。


 そして、更に自分はあなたの名前をしっかりと覚えているのよ、と言うことを暗にアピールするように 相手の名前を一音ずつ区切って言う。

 矢吹 遥香なりの、自分の名前を覚えていない相手への小さな復讐でもあった。


 そこまで言うと、矢吹 遥香は編み込みの白い手提げバッグから先程買ったばかりのスポーツドリンクのペットボトルを取り出して、海の中で呆然としている間抜けな男の子に投げ渡した。

 それで調子に乗られても困るから、誤解の無いように一言だけ添えておく。


「駅で間違えて買っちゃったけど、このまま持って帰るのも重たいからあげるわ」


 話の流れ的に、わざわざ近くで下野 南央樹という男の子の為に買ったのだと思われるのも足下を見られそうで癪だったから、すこし嘘を吐いた。

 本来の用事を済ませてホッとすると、相手が何か言いたげなのを無視して後ろも見ずにスタスタと帰り始める。


 たかがスポーツドリンクとは言えども、男の子にわざわざ何かを買ってあげるなんて事は生まれて初めてのことだから、顔から火が出る程恥ずかしいのだ。

 そんな顔を見られたくは無かったし、何故自分がそんな事をしようと思い立ったのかも判らないまま、突堤をズンズンと歩き、防潮堤へと戻る。


「ありがとぉ~! はぁ・るぅ・かぁ・さぁ~ん」


 とつぜん聞こえてくる、下野 南央樹という男の子の大きな声に、飛び上がる程ビックリして立ち止まる。


 周囲の人達が全員こちらを見ているのでは無いかと思い、辺りを見回す。

 まだ海水浴シーズンには少しだけ早くて、それほど周囲に人は居ない事にホッとすると同時に無神経な下野 南央樹という男の子に対して無性に文句を言いたくなってしまい、それが止められなくなる。


 一旦一呼吸置いて、深く大きく息を吸い込むと後ろを振り返り、再び突堤の先端までツカツカと大股で怒りを見せつけるように歩く。

 少しは周囲への配慮と乙女心と言う物を理解しろと、心の中で憤る。


「恥ずかしいから、大きな声で名前を呼ばないでくれるかしら」


 戻って来る自分を見て、一瞬嬉しそうな顔をした下野 南央樹に対して意地悪がしたくなり、努めて冷たい口調でそう伝えるが、耳まで真っ赤に染まった自分の顔だけはどうにも出来なかった。


「あ、ゴメン…… 」


 ふたたび、下野南央樹が素直に謝る。

 そうじゃない、私が意地悪をしているのに何故素直に謝るのか。


 それでは、どんどん私が嫌な子になってしまうではないか、そう心の中で訴える。

 しかし、明確な言葉にしたとしても、想いと言うものは意図したように伝える事は難しい。


 南央樹と別れて図書館へと向かいながら、矢吹 遥香は考える。

 なんだか、あいつと居ると自分が妙に普段の自分と違う事に戸惑ってしまう。


 なんだろう…

 妙にムカつくけれど妙に気になる、あいつという存在……



 そうこうしているうちに夏休みとなり、心の何処かで気になりながらも図書館へと行く度に海に寄るのは、南央樹という男の子の様子を見るためでは無い。

 そうやって、日課になっている海の様子を見に防潮堤へと上ってみると何時の間にか南央樹という男の子を探している自分が居た。


 いつもの海岸近くではなくて、今日はずいぶんと沖に出ている。

 このところの上達振りを考えれば、決して無謀では無いのかもしれないが少しだけ心の底で心配になる。


 でも、先輩のような人がいつも見ているから心配は無いだろうと、いつもその人がいる辺りを見れば今日は誰も居ない。

 どういう事なのか、南央樹という男の子は一人きりで沖に出ているという事になるではないか。


 自分が図書館へと行ってしまえば、彼を監視する者は居なくなってしまう。

 そう考えると、図書館へ行くべき時間となっても足が動かせない。


 早く先輩らしき人が帰ってこないかと、ヤキモキしていると急に沖で気持ちよさそうに動いている南央樹という男の子の様子が変わった!

 急にバランスを崩したかと思えば、カラフルなセイルという三角形を海に落としてしまったのだ。


 いつもなら、スムーズにそれを引き上げて走り出すのだが、今日はちょっと様子が違う。

 海の向こうと岸の防潮堤で遠く離れていても、何かがいつもと違うのが判ってしまう。


 その時、バサバサと音を立てて浜辺のパラソルが海に向けて飛んだ。

 防潮堤から海を見ている矢吹 遥香の背中からいつもより数段強い風が海に向かって吹き始める。


 その風はいくつもの細波を形作りながら、南央樹の居る沖に向かって海面を黒っぽく染めながら駆け抜けて行く。

 ようやくセイルを上げた南央樹がその風にバランスを崩しそうになるが、なんとか耐えているのが見える。


 胸騒ぎがして、岸に目をやり先輩らしき男の人を探すがまだ姿が見えない。

 沖の様子をと再び目をやって、遥香は驚いた!


 ほんの僅かな間だというのに、南央樹の操るセイルが小さくなっていたのだ。

 え?え?…… と、状況を把握出来ずに軽くパニクっている間にも、どんどんセイルが小さくなって行く。


 いったい、どれだけの速度で沖に流されて行くのだろう。

 沖に向かって左にある赤い浮標ブイと隣の双子岩の陰に隠れて見えなくなった南央樹の姿を追うために、防潮堤を北に向かって走る。


 沖の様子を伺いながら、双子岩とは反対側の方向へと走る。

 双子岩よりも少し遠くにカラフルなセイルの色が見えた。


「いた!」


 救助を、助けを呼ばなくてはと焦るその時に、あの先輩らしき男の人が戻ってきた。

 その男の人は、コンビニの袋を手に提げて防潮堤の上を歩いていた。


 その先輩の男の人も、少し慌てている様子で海をキョロキョロと何かを探しているように見えた。

 南央樹を探しているのだと判断して、その人の処へ駆け寄る。


「あの! 南央樹くんが、南央樹くんが流されちゃって、助けてあげて下さい」


 ようやく助けを求められる相手が見つかって安心したのか、知らず知らずのうちに目から涙が溢れてくる。


「うん、風が変わったから慌てて戻ってきたんだ。 南央樹くんは何処?」


 そう訊ねられて、先程セイルが見えた位置を指差すが、カラフルなセイルの色が辛うじて見えるくらいに遠くまで流されていた。

 それを確認すると、その男の人は慌てて携帯電話を取りだして何処かへと電話を掛けている。


「おお、來斗らいとか? 真琴まことだ。 悪いけど船を出せないか? いや南央樹くんが離岸流に乗って流されてる そうか判った、 そうだ悪いことにオフショアだ」


 船を出して貰えるのかと思って期待をしたら、どうやら駄目だったらしい。

 それを期待したぶんだけ、落胆も大きい。


「南央樹くんは、どうなっちゃうんですか? 助けられないんですか? 」


 そう訴えるが、自分にはどうする事もできない無力さが心押しつぶしそうになる。


「悪いことに、船を持っている奴が修理中らしいんだ、もうひとり心当たりがあるから待ってて!」


 そう言って、遥香とは今回が初対面になる男の人は別の処へ電話を掛けた。


奈子なこか? 悪いけど洋介の処へ行ってジェットスキーの鍵を借りてきてくれ そうだ 南央樹くんが流されたんだ 頼む」


 そう言うと、その男の人は携帯電話のスイッチを切った。


「最悪、別のモーターボートを借りてくるから心配しないで、でもたぶん間に合うから大丈夫だよ」


 その男の人は、ポンポンと軽く遥香の頭に優しく触れる。

 女の子は頭をポンポンと撫でられると喜ぶと単純に信じている男が多いけれど、決してそういう訳では無い。


 親しい間柄で心を許しているから嬉しいのであって、そうでない男に頭を触られるのには大きな抵抗が有る事を知るべきだろう。

 しかし、そういう事を差し引いても優しい心遣いが伝わって来て、少しだけ不安に押しつぶされそうな心が落ち着きを取り戻した。


 電話で真琴と名乗っていた男の人は、防潮堤から海岸へと降りるとバッグの中から双眼鏡を取りだして再び防潮堤の上に戻って来た。

 そして、それを無造作に遥香に渡す。


「南央樹くんを見失わないように、これで監視していてくれるかな?」

「はいっ!」


 遥香は真琴という男の人から、優しそうに微笑んで差し出された双眼鏡をひったくるように掴むと、目に当てる。

 小さかったセイルが僅かに大きく識別できる大きさで確認出来る。

 まだ姿を確認出来ることで、更に心が落ち着く。


「じゃあ、僕はジェットスキーを置いてある処へ行くから後は頼むね、南央樹君の事は任せておいて、絶対に助けるから」


 真琴という男の人は、遥香にそう告げると港の方へと駆けだしていった。

 しばらくしてから聞こえた大きなエンジン音と共に、海に向かって右に有る漁港からジェットスキーが水飛沫を上げながら南央樹が流された方へと一直線に突っ走って行くのが見えた。


「あなたが南央樹くんのお友達?」

「なんと、あの少年もやるな」


 そう言われて振り返ると、栗色をしたロングヘアの綺麗な女性と短髪で日に焼けた逞しい男が遥香の後ろに立っていた。


「おーい! 來斗に奈子、南央樹くんが流されたって~?」


 その声のする方を見れば茶髪のロングヘアの男の人が走ってくるのが見えた。

 色黒で逞しい男の人が來斗という人で、女性が奈子と言うのだろうと、その呼び掛けで判断できた。


 と言う事は、この男の人は洋介という人なのだろう。

 この人の印象は、ちょっとチャラい……


 みんな、南央樹の事を知っているようだ。

 彼に大人の知り合いが多い事に事に驚く。


「あ、いえ、ちょっと知り合いってくらいで…… 」


 軽く会釈をして、沖の様子を双眼鏡で確認する。

 初対面の大人の人と何を話してよいのか判らないし、南央樹の事を突っ込まれるのも困る。

 そもそもが、間違い無く知り合い以上の関係では無いのだから。


 双眼鏡で南央樹の様子を確認すると、すでにジェットスキーはこちらに向かってどんどん大きくなってくるのが見えた。

 後ろの座席には南央樹の姿も見える。


 それを確認すると、急にフッと力が抜けた。

 それと同時に、知り合いでしか無い自分にこれだけ心配をさせる南央樹という男の子に対して怒りがこみ上げてくる。


(なんで、私がこんなに心配しなくちゃならないのよ! 不公平だわ!!)


 そもそもあいつは何なんだ、何故自分はこんなに動揺しているのだと、怒りの矛先は南央樹に向かう。

 それ以上の先を考えたくなくて、双眼鏡を下ろして栗毛の女性に渡す。


「あの、わたしは用事があるので失礼します」


 ぺこりと頭を下げて、質問が来る前に逃げるようにして走って戻る。


「南央樹くんが残念がるわよ~、いいの?」


 そう聞かれるが、良いも悪いも無い。

 自分は南央樹にとって何でも無いのだから、そして遥香にとっても南央樹は只の知り合いでしか無いのだから。


 そう心に言い聞かせて、その場を立ち去った。

 本当に、あいつは何なんだ!


 どうして私があいつを心配して、涙を流さなければならないのだ!

 訳の判らない、経験した事の無い不思議な感情が心の底で渦巻いていた。

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