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名もなき航路

作者: 伊田千早

クラシック:「新世界より」のためだけに書いた物語。

   名もなき航路


 スノゥは、徐に微笑んだ。

 自律性人型航宙機のシルフは空間モニターをいじっているスノゥに訊ねた。

「また、その曲を聴くのか?」

「そもそもこれ以外ないんだよ」半ば諦めの口調でスノゥは答える。「それに僕はこの曲が一番好きな気がするんだ」

 スノゥはシルフの胸部にあるコクピットの中の空間モニターの内の一つに触れた。脇の別の小さなモニターに音符のマークが明滅する。

 それを合図に、ゆっくりと音楽が流れ出した。

 ドヴォルザークの交響曲第九番ホ短調作品95「新世界より」の第二楽章だった。大陸の夜が明けたような出だしから始まり、とたんに世界は夕暮れになるこの音楽は別名「家路」とも呼ばれている。

「新世界より。私はこれを寂しい曲だと思うのだが」

「僕もそう思うよ。でも、これが良いんだ」

「寂しさが良いとは、どうして?」

 シルフに問われ、スノゥは「どうして、だろう」と首を傾げ考え込む。首を動かしたことにより、宇宙空間の無重力に、彼女の長い黒色の髪の毛が揺れる。

「どうしてだと思う?」スノゥはコクピットの上の方を見て訊ねる。そこにシルフのAIがあるわけではないのだが、スノゥはいつもそうしていた。無意識の内の癖だった。

「私には、わからない。だから訊いたんだ」

「僕もわからないよ。まあ、それならじっくり考えればいいか。時間は多分、いくらでもあるんだから。考えることっていうのは、良い時間つぶしになるからね」

「そうするといい」

「そういえば、遭難してどれくらいたったんだっけ?」

 スノゥはシルフに事も無げに問いかける。シルフもすぐにやはり事も無げに返答する。

「地球時間で四六七日ほどだ」

「一年ちょっとか。僕らの一生からしたら、短いね」スノゥは自らの小さな胸を軽く叩く。そこには、そこの奥には彼女のゼロドライヴがある。ほぼ無限に近いエネルギーを生み出すゼロドライヴのその静かな駆動音が、まるで、もし聞こえるなら心臓音のようではないかと彼女はよく思っていた。しかしそれは限りある生命のような生き生きとしたものとは少し異なっている。

「でも、僕らの一生は多分、宇宙には勝てない」

 彼女は手元のモニターの一つに触れる。すると、フロントビューのみだったものが全天モニターに変わる。それは自分を包んでいたシルフの無機質なコクピットが消え去るようになり、そうまるで宇宙に一人浮いているような感覚になってしまう。

 彼女にとっての下方、シルフにとっても下方には、銀河が輝いていた。

 遥か下。宇宙空間に巨大な渦と無数の光をもった銀河が浮かんでいた。それはとても大きくそして遥か遠い。

「見てよシルフ。銀河がとてもきれいだ」

「そうだな」

 その巨大さと明るさと、途方もなさに、新世界よりが寄り添う。

「確かに、シルフの言う通りだ。この新世界よりは寂しいよ。郷愁だよ」

「郷愁か。それを想像するのは、中々難しい」

「僕みたいなアンドロイドでも、浮かぶんだよ。地球の夕方の田んぼの景色や田舎の何もない草叢の広がり。そんなものがね」

「見たこともない景色を見るとは、それが郷愁か」

「この目ではないけど、わかるんだ。僕はそれがそうだと思ってる」

「しかし、郷愁とは、故郷を思うことだろう。ここはあまりにも場違いだ」

「そうかもしれない。でも不思議と心地よいよ僕は」

「銀河と夕暮れの田んぼは私は相容れないと思う。私にはその景色が郷愁とは感じない」

 泰然としたシルフの言葉にスノゥは僅かに微笑み、語りかける。

「ねえ、シルフ。少し銀河に近づいてみない」

「銀河に? まあ、問題はない」

「ありがとう。じゃあ、スタードライヴ起動して」

 スノゥの言葉に触れて、機体が僅かに揺れて、スタードライヴの駆動部が回転しだす。宇宙の中でなら無限に動くスタードライヴの低い回転音と大型ゼロドライヴの高い回転音の二種類が混ざり合って、不思議な音色のようだった。

「僕はスタードライヴの駆動が好きだな」そう独り言のように呟いた。

 シルフはそっけなく「そうか」とだけ答えた。

 シルフの機体は流れるままにゆっくりとたゆたう状態だったのを妨げて、姿勢を持ち直し、やがてスタードライヴの推進力を得て渦巻き銀河へ静かに進みだした。

「しかし、銀河の大きさを考えると、そう近づくことはないと」シルフは最もなことを言った。

「いいんだよ。銀河に近づいているっていう事実だけで」

 スタードライヴによる高速飛行していても、露ほどにも、銀河にもどの星にも近づかない。スノゥとシルフは宇宙では小さすぎ、宇宙があまりに広すぎたのだ。しばらく無言だった中で、ぽつりとシルフが言った。

「スノゥ」

 シルフがスノゥのことを名前で呼ぶのは珍しいことだった。スノゥは顔を上げる。

「どうしたの?」

 数刻の間があった。スタードライヴの音だけがスノゥの耳に届いていた。徐にシルフは言葉を発する。

「私はスノゥに対して、言わなければいけないことがある」

「そんなことあったっけ?」

「ああ」

「シルフ?」

「すまないと思っている」シルフはそう静かに言った。「スノゥがこのような事態になったのは私の責任によるところが大きい」

 その言葉にスノゥはすぐにぴんときた。

「あのときのこと?」

「そうだ」

 あのとき。シルフはスノゥの操縦支援のために、敵機の撃った放射式光学砲を避けた。しかし、避けたところに、避けた瞬間に、その地点に宇宙風が吹いたのだ。宇宙風は、まるで突風のような無作為の空間転移を起こす。それに巻き込まれ、制御できず、流されるまま、気がつけばシルフとスノゥは全く見知らぬ宇宙に放り出されていた。

「シルフも他の航宙機と同様パイロットと機体の同調性をあげるため搭乗者のコピーAIを組んでるんだ。それだったら、結論は僕の責任だよ」

 発生学と機械同調学から得られた結果は、パイロットのコピーの存在というものだった。シルフは起源を言えばスノゥの思考になりえるのだ。しかし。

「それは初期起動の話だ。もう私はスノゥとは別の個の思考を持っていると言って良い」

 そのような簡単な言葉でシルフが納得するわけがなかった。それを当然のことながらスノゥは知っている。

「そうだったね」

「だから、あの時のミスは、操縦を任されていた私の予知ができなかったことによる責任だ」

「……そう」

 シルフはこう言いだすと頑なに意志を曲げようとしない。スノゥを起源にしていることと、長年シルフと共にいたという両方からの得た答えだった。

 二人の会話は途切れ、聞こえるのは、シルフのスタードライヴが発する駆動の回転音だけになってしまった。

「じゃあ、シルフの責任だとして」スノゥは声高にシルフに語りかける。「僕は君に、一つ意地悪な質問をするね。シルフは、もし僕らみたいなアンドロイドの人間みたいな体を手に入れることができたら、やりたいこととか、あった?」

「やりたいこと?」

「やりたいこと」

「考えたこともないな」シルフは即答した。

「僕はね、やりたいこと沢山あったんだ」

 スノゥの言葉にシルフは小さく呻き、無機質だが、搾り出すような声になる。

「すまない。残念だが、そのほとんどはもう叶わないだろう。やはり……」

「でもね、でも」シルフの言葉をスノゥは必死に妨げる。「僕は、自分を不幸だとは思っていないんだ。僕はずっと、戦争中も、とても小さなことに悩まされたんだ」

「小さな事?」

 うん、とスノゥは頷く。

「戦争は地球を覆う大変なものだったけど、でもそれはとても小さなことに感じたんだ。勿論、戦っている人からすれば、自分の国や多くのものを賭けている訳で、小さなことではすまないんだけど。でも、僕は、たかがそんなことで、っていえる様な、そんな感じだったんだ。僕はね、それで考えたんだ。僕の思う大きなことはなんだろうって」

「それは、見つかったのか?」

「見つかった。……見つかったんだ。これは本心なんだ。心臓が……僕は心臓じゃなくてゼロドライヴだけど、そのことを考えると、すごく高鳴るような気がするんだ。苦しいほどなんだ。それはね、僕はずっと旅がしたかったって、そういうことだった。誰もしないような、大きな旅が」

「それが、これだと?」

「うん」

「これほどに孤独で、近づこうにもあまりに遠くて近づけず、銀河を遠くから眺める以外にできることがないのにか」シルフはまるで辛辣な面持ちを見せるかのようなそんな声を出す。

「これほどの旅は、他にないよ。それに僕には、シルフがいるから、いい」

「……そうか」

「それで、旅は始まったばかりで、まだ途中なんだ。だから、シルフはずっと僕のそばにいてね」

「私はそれ以外にすることがない」やはりシルフは事務的に事も無げにそう返事する。

「ありがとう、シルフ」

「感謝する必要はない」

「僕も」スノゥは言葉を迷い、やがて見つけ、言う。「シルフに謝らなくちゃいけない。ずっと辛い目をシルフにあわせ続けて……それで、ごめん」

「私は、そういう役目を持っている。スノゥが気に病む必要はない」

 スノゥに肩を透かされるような軽い笑みがこぼれる。

「役目とか、もうそんなもの、ないよ。気にしなくていいさ。ここには僕とシルフしかいないんだから」

「……では、受け取っておく」

「そうして」

「了解」

 それからもしばらくは、数日はスタードライヴを巡航速度で回転させて、前進し続けた。けれども、スタードライヴの惑星を越える能力をもってしても銀河は遥か彼方と変わらなかった。

「やっぱりぜんぜん近づかないね」

「仕方がない」

 二人ともわかっていたことだった。

「じゃあ、ここら辺でいいや。スタードライヴを停止に」

 スタードライヴの回転駆動が次第にゆっくりになり、やがて止まる。シルフのエネルギーはゼロドライヴに完全に切り替わる。

「でも、さっきより、銀河が大きく見えているかな?」

「難しいところだな。計算しようか?」

「いらないよ。どうせそんなに変わらないんだ」

 スノゥはシルフを制御して加速度を失わせ、やがて停止と同様になった。

「シルフ。コクピットのハッチを開けて」

「開けてどうする?」

「この目で銀河を見たい」

「目で?」

「宇宙の風を浴びたいんだよ」

「私は、もう宇宙風はごめんだ」

 普段は見られない、うんざりしていそうなシルフの口調に、スノゥは思わず笑みを零す。

「違うよ。そういうのじゃないよ、シルフ。人は外に出て、青空を見たい時、風を浴びたいっていうでしょう? それと同じ」

「わかっている。冗談だ。今、ハッチを開ける」

 コクピット前上方のハッチが、前方に倒れるように開く。スノゥは立ち上がり、開いたハッチの上に乗って外を見渡した。無重力に彼女の髪は、まるで風をはむように流れる。彼女は片手で髪を耳元で抑える。

「すっごい高いところから見下ろしてるみたいだ」

 スノゥは感嘆の息を漏らす。

「見下ろしているとは限らない。宇宙には上も下もない。……しかし、スノゥの言う通り、そうかもしれない」

「シルフ、もう一つお願い。新世界よりを電波でこの辺り一帯に流してよ」

「誰も聴かないのにか?」

「もしかしたら、誰かが聞くかもしれないよ。別に助けとかそんなんじゃないんだ。助けなんていらないし。そうじゃなくて、僕らと同じような郷愁を、銀河を見て、宇宙を見て、感じてほしいんだよ」

「そんなことあるのか? 私には信じがたい」

「無駄だっていいたいの?」

「そうではないが」

「じゃあ、こうしよう。僕は、この広大な宇宙に聴いてほしい。この寂しい曲を。この寂しい世界に寄り添う曲を、銀河に聴いてほしい」

 スノゥとは違い、人型航宙機のシルフには頭部はあれど、表情はない。そのためか、シルフの言葉にはどれも無機質さを帯びる。淡々としていると言って良い。このときもシルフは数刻答えず恐らく考え込んでいた。そして、その考え出した結果を淡々と答えた。

「新世界よりを電波に乗せて流す」

 寂しい孤独を思わせる音色が流れ出す。何もない平原の朝焼けから始まり、すぐに時間が回り、誰もいない夕暮れの家路の様相に景色は移ろう。それは電波にのって宇宙に溶け込んでいく。遠い昔を想起させる、遠い世界の郷愁だった。

「僕も、涙が出たらいいのにな」

 僅かに掠れた様な声だった。

 シルフは何も言わなかった。けれども、右腕を動かし、指先をコクピットハッチの上に立つスノゥの傍に寄せた。幾度もの戦闘で、シルフの指先も傷だらけになっていた。その指の一つにスノゥは触れた。スノゥはその傷だらけの冷たい金属の指を撫で、その指越しに銀河を見つめる。

 足元の遥か先の、銀河は、渦を巻いていた。目にはわからないような宇宙を響かせるような強大な回転を携えて、それは生き物のようだった。幾億年も続く脈動の光は、とても寂しく、冷たく、暖かだった。

「ああ」スノゥは小さく吐息を漏らす。彼女は、シルフの手に寄りかかり、はしゃいだ。はしゃいで急いでシルフに伝えようとする。

「わかったよ。わかったよ、シルフ。この曲を聴いてると、この途方もない宇宙もあの広大な神々しい銀河も、とても身近で優しいものに思えるんだ」

「優しい……。あの恒星の光の集まった銀河が優しいか。不思議な感想を抱くのだな」

 スノゥはシルフの感想に確かにそうだ、と呟いた。しかし、次の言葉が彼女の口にやってきた。

「新世界よりを聴きながら、見ているとね。あれも、あの大きな銀河も優しくて、僕の故郷であるかのようなそんな……寂しいけど、見守ってくれているような、何だかそんな気分になるんだよ」

「見守ってくれる、か。それは良い考えかもしれない」

 スノゥはシルフの言葉に俯き、シルフの指を見つめる。そのまま答える。

「でも、こんな風に思えるのも、一人じゃなくて、シルフがいるおかげだけどね」

「心配するな。私はずっとそばにいる。この時間は失われない」

 スノゥはシルフを振り返り、驚いた顔をした。

「そっか。一緒だ。新世界よりと」

 スノゥは答えを得たことにより、目を輝かせてしまい、シルフの頭部を見上げる。無機質なその頭部はスノゥを見下ろし、僅かに首を揺らす。

「何のことだ?」

 シルフはわかっていない。そのシルフを見つめて、スノゥは優しく言う。

「安心するんだよ」

 そしてスノゥは徐に微笑んだ。


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