第九十六話~近畿動乱の年末が明けて~
第九十六話~近畿動乱の年末が明けて~
近畿における足利義昭の蜂起と、それに関連して起きた一連の戦にひとまずのけりがついた頃には年の瀬が近づいていた。 すると織田信長は、畿内各地へと派遣していた織田家の各将を二条城へと集めている。 その二条城にて彼は、新年の挨拶を執り行った。
但し、佐久間信盛と柴田勝家は参加していない。 その理由は、武田家にある。 まだ彼の家の軍勢が、遠江国と東濃に居るので残念ながら両名の参加は見送られたのである。 そこで新年の挨拶は、二人に続く重臣である丹羽長秀が音頭を取って行われた。
その後は、例年と同じく新年を祝う宴席となる。 その様な宴の席で義頼は、まめまめしく織田家重臣達に対して挨拶を行っていたのである。 やがて一通りの挨拶を終えて戻って来た義頼へ、丹羽長秀が関心とも呆れともつかない声を掛けた。
既に義頼は、織田家重臣と言える立場にある。 しかし義頼はその地位に驕らず、例年通りに挨拶へと回っていた事に対する物である。 そしてその言葉には、そこに集っていた者達も頷いていた。
その場には、丹羽長秀だけでなく他にもいたのである。 その面子は、木下秀吉に滝川一益、森可成と森長可の親子。 その他にも細川藤孝と三淵藤英の兄弟や、細川藤賢や京極高吉などと言った元幕臣の面子も揃っていた。
「何がにございますか? 五郎左(丹羽長秀)殿」
「そなたの行動よ。 そなたは織田家に置いて、十分一目を置かれていると言ってよかろう。 それに、殿からの信頼も厚い。 それであるにも拘らず、こうした宴席では挨拶回りを行っておるではないか」
「確かに」
「いや、藤吉郎(木下秀吉)殿には言われたくありませんな」
実は義頼が行っている事は、そのまま木下秀吉にも当てはまるのだ。
その事実を指摘された木下秀吉は、「これは一本取られた」という様な雰囲気を醸しつつ声を上げて笑う。 するとその笑みに引きづられる様に、丹羽長秀達もまた笑い声を上げたのだった。
「ま、それはそれとしてだ。 五郎左殿の言われた通りであるのもまた事実。 少しはこう「でん!」と構えていてもよいのではないか?」
丹羽長秀の後を引き継ぐ形で滝川一益の述べた言葉に、義頼は小さく苦笑いを浮かべた。
実のところ義頼は六角家時代に行った政策や戦、また織田家に降伏した後でも戦で上げた功績などで畿内限定であったがそれなりに知られている。 その上、先の武田家との戦で甲斐の虎と畏れられた武田信玄の本陣へ奇襲を掛け、彼に中々に重い怪我を負わせた事が切欠となりそれ以外の地域に置いても少しずつだが名が知られ始めていた。
他にも近畿圏内では取り残された様な形となっていた伊賀国を経済的に引きあげたなど、政戦の何れでも結果を残している。 だがそれ故に織田信長は勿論だが、何より織田家の家臣から不興や妬みを買う訳にはいかないと考えていた。
主君や家臣、そして同僚などから不興や妬みを買った結果が如何なる事態を齎すかなど、皮肉にも過去の六角家が証明している。 その事で意図せずともさんざんに苦労した義頼であったからこそ、同じ苦労を織田家で繰り返す気など更々なかったのだ。
「いえいえ、彦右衛門(滝川一益)殿。 某は、まだまだ若輩者です。 そんな若輩者が偉そうになどして居たら、どこで要らぬ妬みを買う事になるか分かった物ではありませんので」
「貴公は慎重ですな」
「いえ、そうではありません。 某は恐いのです、兵部大輔(細川藤孝)殿」
そう淡々と言った義頼の言葉に、細川藤孝達は思わず絶句した。
義頼は年こそ若いが、反して戦歴は相当な物である。 その様に若い頃から幾多の戦を経験している義頼の口より恐いなどと言う言葉が出てくるなど、彼らは夢にも思わなかったのである。 その為であろうか、思わずと言った感じの口調で細川藤孝が義頼へ問い返していた。
「恐い……であると?」
「はい。 某だけならば、まだいいのです。 しかし某が侮られたり不評を買ったりする事で、六角の家や家臣ばかりか何より守るべき領民が不利益を被りましょう。 その事が、何よりも恐いのです」
「恐い……か。 普通、若さは無謀や驕りを生むのだがな」
「まだまだですよ、某は」
そう言った後で義頼は、彼らに対してはにかむ様にして微笑むのであった。
こうして宴会が行われている最中、織田信長が何をしていたのかと言うと彼は彼で忙しく動いていたのである。 新年の挨拶を家臣としてから間もなく、織田信長は静かに宴席を離れている。 そして別室に赴くと、そこで新年の挨拶にと岐阜へ訪れた近隣の大名との面会をこなしていたのだ。
その様に新年の挨拶に訪れた大名の中でも浅井家は、朝倉家討伐で援軍を出して貰った事に対する礼もあり他の大名家よりも多い進物と共に織田信長へ挨拶を行っている。 その浅井家に対して織田信長は、またしてもある提案を行う。 その提案とは、浅井家による加賀国への侵攻であった。
しかも切り取り次第が前提となるが、浅井家の領有を認めると言う物である。 しかしながら、近江国内にある浅井家の領地である伊香郡と西浅井郡に代わってと言う付帯事項もついていた。
その内容を聞かされた浅井長政はと言うと、織田信長の考えている事が大凡にも理解してしまう。 実は最近になって、織田信長が近江国に近々城を建ててそこを本拠地にするという情報が浅井長政にも流れていたのだ。
そうであるならば、近江国を織田の手で固めておきたいという考えがあるのもまた想像出来てしまったのである。 実際、もし自身が織田信長の立場なら代わりの土地の場所は兎も角として同じ決定をするだろう事は想像に難くない。 だからこそ浅井長政は、その考えが理解出来たと言える。 しかしながら、正直に言えばこれは承服しかねる通達ではあった。
とは言え、此処で突っぱねて家臣郎党を迷わせる訳にもいかないのだ。 それでなくとも浅井家は一度、織田家に逆らっている。 その上で更に反抗などすれば、それを理由に今度こそ滅ぼされかねなかった。
「……承知致しました。 弾正大弼(織田信長)殿へ伊香郡と西浅井郡を御引き渡しの上、我ら浅井家は加賀へと攻め入りましょう」
「おお。 そうかっ。 流石は、我が義弟よ」
暫しの葛藤の末に承諾した浅井長政の手を取りながら、織田信長は笑みを浮かべていた。
そんな義兄とは裏腹に、義弟の浮かべる表情は、微苦笑と言える物であったとされている。 その様な出来事があったその日の夜、義頼は客の訪問を受けていた。
義頼を尋ねてきていた人物とは、他でもない織田信長と新年の挨拶の為に謁見して、その場で加賀国の切り取りを提示された浅井長政である。 この訪問だが、表向きは新年の挨拶として、丹羽長秀などへも行っている。 無論、その理由は嘘ではない。 しかし浅井長政が各家を訪問した最大の理由は別にあり、それこそが越前国攻めでの援軍に関する礼であった。
その様な理由で訪れた浅井長政に対して義頼は、酒では無く茶を入れている。 新年での訪問という事もあって各家で酒を飲んで酔いがいささか入っている様に見えていたのと、どこか何時もと違う雰囲気であった事を敏感に察して敢えて酒を出さずに茶としたのだ。
そしてそれは、間違いなどではなかった。
浅井長政は、丹羽長秀などの家を訪問した際に酒を飲まされていたのである。 その彼からすれば、今は酒よりも茶の方が有り難い。 彼は義頼の入れた茶を、美味しそうに飲み干していた。 するとすかさず、義頼は二杯めの茶を出す。 出された茶はやや熱めであったが、二杯目をゆっくりと飲む分には寧ろ丁度良い熱さであった。
心身ともに落ち着いた浅井長政は、笑みを浮かべつつ茶の礼を述べる。 その言葉に義頼は、微笑みを浮かべながら言葉を返した。 暫くの間、静かな空気が流れる。 やがて浅井長政は、茶を脇に置き居住まいを正してからゆっくりと頭を下げていた。
「越前攻めの際の援軍、義頼殿には感謝の言葉もない」
「何の。 お気になさいますな……と言いたいところですが、長政殿。 貴殿はその、何か懸念でも抱えておるのか?」
「義頼殿。 何ゆえにそう思われた?」
「ふむ……そうですな。 強いてあげれば取り巻く雰囲気と言うか……はっきりとは言えぬが、何か気に掛かる事がある。 その様な気がしただけだ、某の気の回し過ぎなら良いが」
その言葉に、浅井長政は苦笑を浮かべてしまう。
これは戦場でもそのきらいがあるのだが、義頼は何か読む事に長けている、そんな気がしてならない。 過去にも戦で、ここぞという時に何度か攻め込まれた浅井長政としては尚更その様な気がするのだ。
「相変わらず鋭いというか何と言うか……まぁいい。 事実、気になる事ではあるからな」
そう前置きしてから浅井長政は、織田信長より伝えられた加賀国攻めについて話す。 その内容に義頼は、「正式な発表があるまで内密だな」などと内心で思いながら黙って聞いていた。
最後まで聞いたが、そこにどの様な懸念があるのか今一分からない。 今では近江国内に二郡しか領土を持てていない浅井家が、越前国の国主となったのである。 しかも、加賀国攻めまで任された。 これは栄達と言ってよく、喜びこそすれ懸念に感じる事があるとは到底思えないのである。 その事を尋ねると、浅井長政は軽く肩を竦めながら自身の持つ懸念を漏らしていた。
「我が家臣のうちで、元六角家の者はそれなりにおる。 その者達が近江から移動すると聞いた時に、どういう反応をするかが分からんのだ」
「そういう事か……長政殿は、彼らが浅井家の禄を返上するかもと見ているのだな?」
「ああ。 その可能性はあるとみている。 そうなった場合、どうやってその者達を補ってやろうかとな」
長政の懸念は、義頼にも分かる。 彼もまた六角家が織田家へ降伏した際に、同じ事で頭を悩まんでいるからだ。
ただ義頼の場合、身の丈に合う数まで減らさねば経済的に破綻してしまうと言った非常に現実的な理由からである。 その点が、此度の場合とは違っていた。
「……しからば、もしその様な事態が起きた際は、その者達の希望次第ですが六角家にて面倒を見ましょう」
「そうか!! 受け入れてくれるか!」
「ええ、お任せあれ。 それに彼らの行動の一端は、某にも責はありますからな」
「感謝するぞ、義頼殿」
こうして義頼から言質を得た事で懸念を払拭した浅井長政は、脇に置いていた少し冷めた茶を一気に飲み干した。
それから立ち上がろうとしたが、義頼から止められる。 少し怪訝そうな顔をする長政に義頼は笑みを浮かべつつ口元に手を当てると、何かを飲み干す様な仕草をした。
「懸念を払拭できたのなら、これも宜しかろう。 きっと、気持ちよく飲めるでしょうからな」
「なるほど、それはいい。 いただくとしようか」
その日は夜遅くまで、義頼の屋敷に明かりが灯っていたのであった。
それから数日後の事である、織田信長は二人の男と面会していた。
その人物とは、松永久秀と三好康長である。 しかし、彼らの様子は以前と少し違っている。 その理由は、彼らの頭が綺麗に禿げあがっていたからであった。
実は揃いも揃って二人は、織田信長との面談を前にして剃髪をしていたのである。 そして松永久秀は道意と名乗り、一方で三好康長は咲岩と号していた。
幾ら降伏したからと言って、何ゆえに彼らが剃髪までしたのか。 それは、織田信長より許可を得て息子へそれぞれの家督を譲る事にある。 例え形だけでも織田家に反旗を翻した二人が当主ではなければ、少しは警戒を緩める事が出来るであろうと考えての事であった。
そしてこの二人には、同行者がいる。 松永久秀こと道意には義頼が、三好康長こと咲岩には明智光秀が同道していた。
「さて、道意と咲岩だったな。 面を上げよ」
『はっ』
上座に腰を下ろす織田信長の言葉に従い、道意と咲岩は顔を上げる。 すると決して機嫌が悪いどころか寧ろ良いと言って申し分ない織田信長の顔を見て、献上品が功を奏していると彼らは内心で安堵していた。
だが、そう思うのも不思議はない。
彼らの献上品とは、薬研藤四郎作の短刀と三日月茶壷である。 道意が短刀を献上し、咲岩が茶壷を献じていた。 しかもそのどちらとも、名物として申し分ない一品である。 それ故、両名物を手に入れた織田信長の機嫌が良かったのだ。
「その方らの心は、しかと受け取ったぞ。 それと、両名より願いが出ていた家督の件だが許そう」
『はっ』
「さてそなたらの今後だが、咲岩には明智光秀の与力として四国攻略に、そして道意は義頼の与力としてそれぞれ携わって貰う」
織田信長は、いよいよ四国へ手を伸ばすつもりである。 その四国攻略の担当には、明智光秀を当てる予定でいる。 そこで彼に、咲岩と三好義継を付けてより攻略をやり易く行うつもりなのであった。
最も、その為には今一度毛利水軍と決戦を行う必要があるとも考えていたが。
そして道意を義頼へ付けた理由は、大和国の国主に義頼を据えるつもりだからである。 道意は大和国鎮定に尽力し、一時は大半を手中に納めている。 その経験を買っての、与力任命であった。
『承知致しました』
「うむ」
こうして面会を終えた四人だったが、義頼は再度信長と面会を行う。 それは、ある報告を行う為であった。 その報告とは、追放した足利義昭の動向についてである。 槇島城より追われた足利義昭は、僅かな家臣と供回りを連れて北へと向かっている。 そんな一行が入ったのは、丹後一色家であった。
義頼から齎された報告を聞き、織田信長の眉が寄る。 しかし変化はそれだけに留まらず、つい先ほどまで良かった機嫌などはなりを顰めあからさまに不機嫌な表情へと変わっていた。
「義頼。 それは、間違いないのだろうな」
「はっ。 公方様には、甲賀衆より何人かを密かに付けております。 その者達からの報告で、判明いたしました。 恐らくは、公方様に同行している式部少輔(一色藤長)殿の伝手ではないかと」
「なるほど。 四職の一色か……しかし舐められた物よ。 俺の書状を無視するとはな!」
そう言うと織田信長は、苛立たしげに床へ拳を振り下ろした。
何ゆえに彼が苛立ったのか。 それは、足利義昭の追放を決めた直後にまで遡る。 織田信長は足利義昭を追放すると決めた際、浅井家や徳川家などと言った織田家へ懇意にしている大名などにも通達をしている。 それは、言語外に足利義昭へ力を貸すなと言っているにも等しい物であった。
そしてこの一連の書状だが、織田家の力を後ろ盾に丹後統一へと邁進している丹後一色家に対しても当然だが出されている。 それであるにも拘らず、丹後一色家当主の一色義道が追放された義昭を受け入れたという事は、丹後一色家が織田家と袂を分かったと判断しても仕方が無かった。
「如何なさいますか?」
「聞くまでもなかろう、義頼。 無論、相応の報いは味あわせるだけよ。 ただ、直ぐは無理だな」
織田信長がすぐにでも行動を起こさない理由、それは至極単純なものであった。
雪が邪魔なのである。 丹後国は豪雪地帯であり、少人数での行動であるならばまだしも、冬に纏まった兵を進められる様な場所では無い。 もしその様な事をすれば、味方の将兵を無駄に殺してしまう。 その上、用意した兵糧や武器弾薬など消耗するだけとなる。 その様な無駄、看過する訳には行かないからだ。
「それでは、雪が解ければですか?」
「そういう事だな。 何れ一色には、その判断を思い知らせてくれるわっ!」
直ぐにでも行動に起こせない苛立ちをぶつけるかの様に織田信長は、気炎を吐いたのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




