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第九十三話~将軍追放~


第九十三話~将軍追放~



 渡河した織田勢に取り囲まれた翌日、足利義昭あしかがよしあきは起き抜けに槇島城主の真木島昭光まきしまあきみつから齎された報告に耳を疑った。 


「あ、昭光。 もう一度言ってくれ。 城兵がどうしたと?」

「はっ。 今現在、槇島城内には二千を切るぐらいの兵しか居りません」

「に、二千だとっ!」


 織田家による渡河前、即ち昨日までは城兵の数は五千を切るかぐらいは居た筈である。 しかしながら、その城兵が半数以下となっていたと言うのだ。 確かに昨日の戦で城門を破られてしまい、各曲輪などが占領されてしまっている。 だからと言って、僅か一夜明けてみれば半数以下の城兵しか残っていないと言うのだ。

 つまり、およそ半数以上の兵がたった一晩のうちに槇島城から逃げ出した勘定となる。 そんな事実を突き付けられた足利義昭は、力なく頭を垂れてしまった。


「五千近くは居た兵が……僅か一日、いや一晩で二千弱とは……はははは……」


 現実と言う名の悲劇を味あわされている足利義昭は、力なく笑い声を上げている。 そんな主を憂う表情で、真木島昭光はじっと見つめている。 そんな嫌な空気が流れる中、部屋の外から声が掛かった。 その声の主は、内藤忠俊ないとうただとしである。 その声がする方を、足利義昭は覇気のない表情で見やる。 だがそれだけであり、彼は全く声を掛けようとしない。 仕方無く足利義昭に変わり、真木島昭光が内藤忠俊へ部屋に入る様に声を掛けた。

 その声に従い静かに入ってくる彼に対して、真木島昭光が用件を誰何すいかする。 その問いに対して内藤忠俊は、織田信長おだのぶながからの使者が訪れている事を告げた。

 その言葉に、力なく項垂うなだれていた足利義昭だけでなく、真木島昭光も異口同音に言葉を返している。 彼らにその様な態度を取らせるぐらい、内藤忠俊の言葉は意外だったのだ。

 既に味方の兵の半数以上が逃げ出しており、その上、防衛施設としての機能はもう本丸とその僅か周辺ぐらいしか無い。 その本丸とて、攻め手の織田信長が手にしている軍配を振り降ろせばあっという間に飲み込まれるのは自明の理である。 そんな圧倒的な強者の立場にいる相手が、態々わざわざ降伏を促す使者を出して来たのだから二人が驚くのも無理はなかった。


「公方様、どうなされますか?」

「……会おうではないか。 それに、今更どうにもならん」


 使者が現れた事で気分が少しは回復したのか、それとも腹をくくったのか、理由は不明ながらも足利義昭は使者に会う事を了承する。 それから、身嗜みを整えると織田信長が派遣してきたと言う使者に会う。 足利義昭が内藤忠俊に案内させて使者の待つ部屋に入ると、そこには二人の男が待っていた。

 その姿に、足利義昭はまたしても驚きの表情をする。 その理由は、使者の一人の顔をよく見知っていたからだ。


「そなたが、使者か……」

「はっ」


 問うた足利義昭に答えたのは、義頼だった。

 彼が使者に選ばれたのは、織田信長が足利義昭の処遇を巡って意見を聞いた関係が深い者達四人の中で、唯一幕臣となった経緯が無い為である。 それと、義頼が最初から足利義昭の勧誘を蹴っていた事も理由にあった。

 そんな織田家側の理由は兎も角、部屋に入った足利義昭は腰を下ろす。 それから、できるだけ威厳を見せるようにしながら軍使の二人に用件を尋ねた。

 すると足利義昭の言葉を受けて、もう一人の軍使である木下秀吉きのしたひでよしが織田信長からの書状を差し出した。 その書状を受け取った足利義昭は、じっくり隅々にまで目を通す。 それこそ一字一句逃さぬ様に最後まで書状を読んだ足利義昭は、視線を義頼と木下秀吉に向けた。


「余の息子である義尋、それからさこを差し出せと言うのか」

「はい。 そして武装の解除、及び織田領内からの退去と再入国の不可にございます」


 織田信長からの書状には、人質として長子となる義尋ぎじんと、側室で義尋の実母となるさこの方を差し出す事が記されている。 それから織田家領内からの退去と、二度と足利義昭が織田家領内に入らない事が助命の条件であった。

 これは、事実上の将軍放逐である。 最も、既に戦に敗れていると言っていい足利家側であるから、その様な要求も不思議ではなかった。 事実、歴代将軍の中には京を追われた者など何人もいる。 足利義昭の兄である足利義輝あしかがよしてるしかり、父親の足利義晴あしかがよしはる然りであった。


「つまり、余を放逐するという事か」

「はは、公方(足利義昭)様。 放逐するなどあり得ません。 槇島城退去後は、拙者がお送り致しますとも」


 抑揚のない声で問うた足利義昭の言葉に答えたのは、木下秀吉である。 これは嘘などでは無く、本当に織田信長から伝えられていた事柄であった。 だが彼が生粋の武士ではないという事は、足利義昭も知っている。 その様な者に護衛されるなどと、彼は不満を表す。 しかし木下秀吉は、おどけた様な仕草でその嫌味とも言える言葉を流していた。

 そんな彼の仕草に足利義昭は呆れた様な表情をしたが、すぐに表情を戻す。 それから少し間を開けた後、義頼と木下秀吉に暫く待つ様にと告げる。 理由を尋ねると家臣に諮る為だと言うので、両者は了承して待つ事にした。

 部屋から退室した足利義昭は、内藤忠俊と共に別室へ移動する。 そこで、家臣らに集合を掛けた。 それから程なくして、部屋に真木島昭光を筆頭に幕臣が入って来る。 やがて全員が揃うと、足利義昭は織田信長からの降伏を促す書状を全員に見せた。 


「槇島城からの退去……ですか」

「あの信長へ降伏するなど、業腹ごうはらだがなっ!」


 書状を見終わってから一言漏らした幕臣の柳沢元政やなぎさわもとまさに対して足利義昭は、悔し紛れであろう。 おのが拳で、床を叩きながら言葉を返した。


「ですが、このままでは打つ手もなくどうにもなりませぬ。 ここは怒りを抑え、再起を図る道を模索するべきかと存じます」

「再起……か」


 武田信景たけだのぶかげの言葉に、義昭は腕を組み考え始めた。

 確かにこのままでは彼の言う通り、打つ手が無いのは事実である。 淡路や本願寺の戦では勝利を収めたらしいが、それも決定的ではないとの知らせもまた足利義昭の元へと届いていた。

 つまり現在、畿内でこの槇島城へ援軍を出せる味方はほぼ皆無と言っていい状態なのである。 このまま籠城を続けたとても、いずれ敗れるのは必定である。 何より救援の宛てがない籠城など、ただ悪戯いたずらに敗戦と言う結末を迎えるまでの時間を伸ばしているだけに過ぎないのだ。

 そんな不毛な戦を続けるのならば、武田信景の言う通り再起に掛けた方が遥かにましである。 しばらくじっと考えていた足利義昭であったが、ついに決断した。


「…………分かった。 受け入れよう」

「公方様! 信長如きに屈するのですかっ!」


 不承不承であったが、それでも足利義昭は降伏を受け入れる決断をした。 このまま籠城し玉砕するよりは、例え一時であっても負けの屈辱を受け入れる事を選んだのだ。

 だがそんな足利義昭の判断に、幕臣の上野清信うえのきよのぶが異見する。 彼は細川藤孝ほそかわふじたか京極高吉きょうごくたかよしなどと違い、織田信長と対立する事に積極的な男である。 過去には足利義昭の前で、織田家の対応について細川藤孝と口論をした事もあるのだ。

 そんな男であるから、織田信長に降伏するなど屈辱意外に何物でもない。 すると足利義昭は、噛んで含めるかの様に上野清信を言い含めた。


「清信、その方の言う事は分からぬでもない。 だが、死んではそれこそ意味が無くなる。 その為にも、ここは堪えて時節を待つ。 若しくは、作り上げてくれるわっ!」

「……分かりました。 そこまでの覚悟がおありと言うならば、この上野中務少輔清信。 公方様の決定に従います」


 吠えるかの様に言葉を吐いた足利義昭の眼には、もう兵の大半が逃げたという時に見せていた諦めに近い色は無い。 代わりに彼の眼には、新たな決意の様な物が醸し出されている。 その様な目と覇気を見せたからこそ、上野清信は引き下がったのであった。

 こうして降伏反対派の筆頭とも言える上野清信が鉾を収めた事で、織田信長から出された降伏の申し出を受け入れる事に反対する者は居なくなる。 此処ここに城内に残っている家臣の意見が統一されると、足利義昭は再度義頼と木下秀吉に面会して信長に降伏する事を了承した。

 この決断に、木下秀吉は喜色を表す。 しかしながらその表情とは裏腹に、彼の目は笑っていなかった。 そして義頼も、それは同じである。 彼は僅かの間だが、じっと足利義昭の目を見ていた。 もし、そのまま見続ければ不遜と取られたかもしれない。 だが義頼は、すぐに視線を外していたのでその様な事態とはならなかった。

 何はともあれ本人の口から降伏の言質を取った義頼と木下秀吉は、足利義昭に一礼すると部屋から退出し槇島城から辞する。 その後、両名はそのまま陣に戻り織田信長と面会した。


「それで、如何であった」

「殿。 公方様は、降伏を受け入れました」

「そうか。 義頼、秀吉。 大儀」

『御意』

「して秀吉。 その方は、公方をどう見た」

「何か一物を腹に抱えている、拙者はそう見ました」


 織田信長に問われた木下秀吉からは、つい先ほどまでの雰囲気など微塵も感じさせない。 彼が顔に浮かべていた笑顔もなりを顰め、酷く真面目な表情をしながら主へと返答していた。

 そんな木下秀吉に信長は一つ頷くと、義頼にも同様の質問をぶつけた。 しかして、義頼の返答も木下秀吉と同様である。 その答えは織田信長の予想した通りであり、彼は鼻を鳴らすだけであった。


「して殿、如何なさいますのか」

「何もせん。 秀吉、今更公方に何が出来るというのだ?」

 

 確かに今の足利義昭には、力はないであろう。

 だが、将軍と言う地位に付随する権威はまだまだ残っている。 何より、利用出来るのもまた事実であった。 畿内などの京に近い地域は、足利義昭が追放されたと言っていい状況にある事が知られ始めているのでまだいい。 しかし、中国ちゅうごく遠国えんごくに分類される様な地方であればその権威が通用する可能性が多分にあった。


「ですが殿。 遠国などの場合は色々と問題が出るかもしれませぬが」

「義頼。 それはそれよ。 俺と言う後ろ盾を失った公方が何処どこまでやれるか、それもまた見ものと言う物だ」


 そう言うと、織田信長は不敵な笑みを浮かべる。 状況を楽しんでいるのではないかと思われる態度に、義頼は肩を竦めたのであった。

 それから二日した後、約定の通り足利義昭の嫡子である義尋と彼の側室となるさこの方が槇島城の本丸から出てくる。 さこの方を筆頭とした一行は、織田家の本陣にて息子と侍女数名を伴って信長と面会した。


「さこと申したな」

「はい。 弾正大弼(織田信長)様」

「そなたと子息については悪い様にはせん、安心するがいい。 だが、その方には公方より離縁して貰う」

「……分かりました……」


 本音を言えば、別れたくはない。 だが義尋と足利義昭の命が引き換えである以上、受け入れないと言う選択肢は存在しない。 さこの方は、無表情のままに織田信長の言葉を受け入れるしかなかった。

 更にその翌日、槇島城から退去する用意を全て整えた足利義昭達が本丸から出て来る。 驚いた事に彼は、頭を丸めて剃髪ていはつしていたのだ。

 そんな彼につき従うのは、真木島昭光に内藤忠俊、上野清信に一色藤長いっしきふじなが。 それから、上野信清の養子である上野秀政うえのひでまさである。 また彼らとは他に、従者として二十名ぐらいの者が付き従っていた。

 槇島城の本丸を出た一行は、そのまま織田家本陣へと向かう。 そこで織田信長と面会すると、改めて足利義昭が降伏の意を示した。 彼の口上を目を瞑り最後まで身動ぎする事なく聞いていた織田信長だったが、そこで目を開くと足利義昭に返答した。


「降伏を受け入れましょう、公方様。 それでは早速、此処ここより退去していただく」

「……承知した」


 織田信長へそう答えた足利義昭は、自らに従う者達と共に槇島城から立ち去っていく。 そんな一行をじっと見ていた義頼であったが、彼らの姿が視界から消えると傍らに控える望月吉棟もちづきよしむねへ監視の網をかぶせる様にと命じた。

 その命に対して望月吉棟が尋ねると、理由を返答する。 その理由とは、足利義昭の目にあった。 事実上の追放と言う事態にのぞんでいるにも拘わらず、彼の者の目には諦めの色が見えていない。 その様な者が、ただ粛々と従う様には思えないからだった。

 何より足利義昭は、将軍になるまで近江国から若狭国。 それから越前国へ向かい、その後は美濃国へと転々としながらも決して諦めずに将軍の地位を狙っていたのである。 そこには、亡き兄の無念を晴らすと言う思いもあっただろう。 だが諦めなかったと言う事実が、結果として将軍の地位を足利義昭に齎したのだ。

 そうである以上、今後何かを画策してもおかしくはない。 具体的に何かと言われれば答えられないが、だからこそ捨て置く訳にはいかなかった。


「……何か、にございますか。 承知致しました」

「頼むぞ」

「御意」


 因みに足利義昭一行を護衛する任務のあった木下秀吉だが、槇島城での面会時と同様に護衛対象の足利義昭から断られたので護衛の任務その物が無くなっていた。

 何はともあれ足利義昭を追放した信長は、一先ず軍勢と共に槇島城へと入る。 それから間もなく、槇島城の広間に家臣達を揃えると軍議を開いた。


「さて若江城と交野城に対する援軍だが……光秀、秀吉」

『はっ』

「その方らが中心となり、援軍へ向かえ。 既に、頼重が向かっている。 上手く合力して、高屋城を落として来るのだ」

『御意』


 既に義頼が丹波衆の宇津頼重うつよりしげを派遣しているのだが、織田信長は更に明智光秀を大将とした軍勢を派遣する命を出した。 最もこれは援軍と言うよりも、高屋城攻めの軍勢と言った方がしっくりと来るだろう。 何せ織田信長は、明智光秀に高屋城攻めをさせる事で交野城と若江城に対する援軍とするつもりだからだ。


「それから義頼。 その方は成政、藤孝、高吉、久秀を連れて堺へ向かえ。 途中で、長秀と藤賢とも合流するのだ」

「御意」


 そして義頼だが、彼は佐々成政さっさなりまさや細川藤孝。 京極高吉に松永久秀まつながひさひでを与力とした軍勢を率いて出陣する。 途中で丹羽長秀にわながひで細川藤賢ほそかわふじかたと合流し、その後に堺へ向かう事となった。

 最も、織田信長の本音としては、淡路水軍と和泉水軍は元より九鬼水軍や大野(佐治)水軍を動かしたい。 しかし、九鬼水軍や大野(佐治)水軍の用意など全くしていない。 その上、彼らを参戦させるとなると紀伊半島を回り込ませなければならない。 そんなに時間を掛けていては、阿波三好家の者と村上水軍を中核とした毛利水軍が堺に上陸を果たし占領してしまうかもしれなかった。

 それだけは何としても避けたい織田信長は、取りあえずの時間稼ぎとして義頼を派遣する事にしたのである。 その裏で水軍を用意し、揃い次第攻撃を仕掛けるつもりであった。


「次に摂津であるが、村重。 大言壮語でない事、証明して来い。 さすれば、しかる恩賞も与えよう」

「はっ」


 此の命を受けて荒木村重あらきむらしげも、短期間のうちに摂津国へとんぼ返りする事になる。 だが、彼は織田信長と面会を果たし、更には織田家と言う後ろ盾を得ている。 既に事は成功している状況にあり、十分に見返りを得ていると言えた。


「一益。 その方は直政らと共に、本願寺を押さえておけ」

「はっ」

「最後に大和国だが、義定を派遣したのであったな義頼」


 滝川一益たきがわかずますにも命を出した後、織田信長は義頼が大和国へ派遣した大原義定おおはらよしさだについて質問をする。 その問いに答えると、満足そうに頷いた。 それは、織田信長が想定していた軍勢と義頼が派遣した軍勢の規模がそう変わらなかったからである。 これ以上は蛇足になるとして、追加の派遣をしない旨を家臣一堂に告げたのであった。

 何はともあれ織田信長は、槇島城が陥落すると手早く畿内各地に上がる戦乱に手を打ったと言えるであろう。 大体においての対応を行った織田信長は、暫く後に槇島城を退去する。 その後は、嫡子の織田信重おだのぶしげと共に、京の二条城へと軍勢を返したのであった。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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