第九十話~降伏~
第九十話~降伏~
二条城を辞した六角承禎は、その足である屋敷を訪れる。 彼が訪問した屋敷の主は、関白の二条晴良であった。
そう。
六角承禎が義頼の元を尋ねたのは、時の関白からの要請だったのである。 無論、二条晴良からの要請がなくとも義頼が京へ到着次第、弟の元を訪れるつもりではあった。 だが、それよりも前に二条晴良の使者が六角承禎の屋敷を尋ねてきたのである。 関白からの使者とあっては、断るなど出来る筈もない。 彼は急ぎ支度を整えると、二条邸を訪れたのであった。
程なくして使者に案内されて二条邸を訪れた六角承禎は、そこで二条晴良から直々に要請される。 それは、何れは京に現れるであろう織田勢との繋ぎであった。
因みに二条家の屋敷だが、元々は二条城があった場所に存在していた。 しかし二条城を建築するに当たって、二条家には別の場所を提供されている。 それは、法恩寺と言う寺が嘗てあった一条高倉の地であった。
何はともあれこうして二条晴良に要請された六角承禎はと言うと、一端屋敷に戻っていた。 まだ、義頼が京に入るには時間が掛かるだろうと思われたからだ。 彼が動くには、まだまだ早すぎるのだ。 やがて到着した屋敷で着替えた六角承禎であったが、そんな彼に甲賀衆から急報が届く。 その内容は、足利義昭が二条城を出て槇島城へと移動する事。 そして、行き掛けの駄賃に京に居る織田家奉行の村井貞勝と島田秀満、それと村井貞勝の息子に当たる村井貞成を襲うと言うものであった。
まさかその様な事を行うとはと驚きを表した六角承禎であったが、彼もこの戦国の世で大名であった男である。 その驚きは一瞬だけであり、直ぐに手を打っている。 先ず彼は情報を持ってきた篠山資家に命じて、三人の元へ走る様に命じる。 命を受けた彼は、即座に動いて村井親子と島田秀満に情報を届けさせた。
さてその三名だが、何と同じ場所に居たのである。 とは言え、足利義昭が織田信長に対して反旗を翻した事を考えれば別段不思議ではない。 彼らとしても何が起きるか分からないので、取り敢えず集まり前後の対策を考えていたのだ。
そこに篠山資家が、六角承禎からの情報を持って現れたと言う訳である。 必ずしも偽報とは思えない事もあって、彼らは一先ず六角邸に逃げ込んだのであった。
さて話を戻して、二条邸である。 二条城から二条邸へと向かった六角承禎は、二条晴良と面会する。 そこで二条城での事を報告するのであった。
「関白様。 承禎、戻りましたぞ」
「おお。 承禎殿、ご無事で何より。 して、弟御の入った二条城の様子は如何であった」
「申し上げました様に、御懸念無用です。 義頼は京の守りを疎かには致しませぬし、旗下の兵も暴れさせませぬ」
「そ、そうか。 それならば、今上様も皆も安心するであろう。 早速、ご報告に上がる。 貴公も参られよ」
「はっ」
六角承禎も、義頼と同じく昇殿する資格を持つので何ら問題とならない。 二条晴良と六角承禎は、家中の者に警護させながら御所へと向かったのであった。
ところ変わり、遠江国の浜松城。
その城内にある一室、そこに織田信長が居た。 彼は部屋で一人、書状に目を通している。 それは、京の二条城に入った義頼からだった。 そこには二条城、及び京の町を首尾よく押さえた旨が記されている。 その事に笑みを浮かべた織田信長は、佐久間信盛と水野信元を呼び出した。
呼び出された両名はやや緊張している様子であったが、織田信長はそんな事に頓着しない。 佐久間信盛と水野信元に対して、無造作に義頼からの書状を見せていた。
示された書状を見た二人は、織田信長からの呼び出しが欠下城での一件の是非ではない事に内心で安堵する。 その上で佐久間信盛が、見せられた書状について尋ねた。 書状は義頼からの物であったが、それ故に二人、特に佐久間信盛は京で何か想定外な事でも起きたのかと危惧したのである。 だが織田信長は、先ずは読むようにと促した。
佐久間信盛と水野信元は、眉を寄せつつも書状を読み始める。 しかしてその内容だが、心配した様な想定外な事ではなくただの経過報告であり、両者は胸を撫で下ろしていた。
「なるほど……左衛門佐(六角義頼)殿が二条城に入りましたか」
「うむ。 そこでだが、俺は京に向かう。 その方らは遠江に残り、家康と協力して武田を抑えよ。 それから、欠下城の時の様な真似はするな。 良いな」
織田信長自身、今のところ佐久間信盛と水野信元を罰する気は無かった。
確かに欠下城での戦は落度といえるが、彼らはその後の出兵で兵を失わずに欠下城を押さえている。 その功を持ってその前の戦による不手際は相殺した、信長はそう考えていた。
だが、勝手を行った事で味方に余計な損害が出たのも事実である。 そこで、佐久間信盛と水野信元へ一先ず釘を刺したと言う訳であった。
織田信長から釘を刺されてしまった両名は、慌てて返答しつつ平伏する。 そんな彼らを一瞥した後、織田信長は立ち上がると二人に対して下がる様にと命じる。 そして佐久間信盛と水野信元からの返答など意にも介さず、踵を返して部屋から出て行く。 その後、織田信長が向かったのは、徳川家康の元であった。
浜松城内にある徳川家康の部屋、そこで彼はやきもきしていた。
その理由は、武田家の情報が中々集まらない故である。 何せ佐久間信盛に率いられた織田勢も、そして自らが率いていた徳川勢も散々に打ちのめした武田勢である。 その武田勢が追撃もそこそこに退いたのだから、不思議と言うより不気味であった。
だからこそ必死になって情報を集めたのだが、これと言った情報は全くと言っていい程に集まらない。 負け戦の後という事もあって、じりじりと焦燥感にさいなまれていたのだ。
そんな様子の徳川家康であったが、小姓から織田信長が現れたとの報告を受ける。 その知らせに彼は、急いで取り次ぐ様にと命じる。 すると程なくして、小姓に案内されて織田信長が現れた。 徳川家康は部屋の入り口で出迎えると、そのまま上座へと誘導する。 そして織田信長も、さも当然と言った風に自然な動作で上座に腰を下ろしていた。
すると徳川家康は、訪問してきた理由を尋ねる。 その返答は、正直言って予想外の物であった。 それはそうだろう。 織田信長の口から出た言葉が、撤収だったからである。
いや。 より正確に言えば、撤収ではなく転進である。 だが、それも致し方ないと言えた。 何せ畿内で、足利義昭が兵を挙げたと言うのである。 織田信長より渡された義頼からの書状に目を通した後、徳川家康は大きなため息を漏らしていた。
だがそこで織田信長は、またしても予想外の言葉を徳川家康に伝える。 その言葉とは、引き続いて遠江国に佐久間信盛と水野信元、そして兵一万を残すと言う物であった。
確かに足利義昭の蜂起を知った織田信長が、兵を引くのは致し方ない。 そうなると徳川家は、単独であの武田家と当たる事となるのだ。 それは、とても厳しい事態である事は想像に難くないが事情故に仕方がないと言えた。
だが織田信長は、佐久間信盛と水野信元と兵一万を遠江国に残して行くと言う。 それだけの勢力が手元にあるのならば、徳川家の体制を整えるまでの防衛を展開するに十分であった。
「承知致した。 必ずや武田勢は抑えましょう。 弾正大弼殿は、後顧の憂いなく京へ向かっていただきたい」
「頼むぞ」
「はい」
この後、織田信長は急いで兵を整えると、殆どとんぼ返りと言っていいぐらいの慌ただしさで京へと向かったのである。 だが、そんな織田勢の動きを見逃さない目が、武田勢の中にあった。
それが誰かと言えば、武田信玄の目とまで言われた曽根昌世と武藤昌幸である。 甲斐武田家の忍び衆である三ツ者の齎した織田家の動きを聞き及んだ両名は、撤収する千載一遇の好機として武田勝頼と、事実上彼の後見となった武田信廉に対して急ぎ報告したのだ。
武藤昌幸と曽根昌世は、連れだって武田勝頼と武田信廉の元へと向かう。 するとそこには、武田信廉を始めとして武田信玄の死亡を知る武田家の重臣達が都合のいい事に雁首を揃えていた。
因みに武田信廉だが、彼は遺命に従い武田信玄の代わりを務めている。 その為、表に出られない武田信廉は、病に掛かり床に伏せった事になっていた。
さて、織田勢が撤退らしき動きを見せている事を報告された武田勝頼と武田信廉を筆頭とする武田家臣は、揃いも揃って訝しげな顔をした。
それは、そうだろう。
そもそも、織田家に兵を退く理由がないのだ。 これを疑わずして、何を疑えと言うのかと言うのが正直な感想である。 だがそれは織田家の事情であり、武田家に全く関係ないのだ。 退く織田勢を追撃すると言うのならば別だが、今は寧ろ自分達が退きたいのである。 とは言え、これが罠の可能性も考慮し、万が一の為に殿は必要だろう。 だが、それ以上の過度な警戒をする必要はなかった。
それより何より、織田信長が兵を退く事で、敵の警戒が緩んでいる。 織田家は無論、徳川家も耳目を武田家から兵を退く織田勢に集中している。 ならばこの機会を逃せば、次は何時になるか分からないと言うのが正直なところなのだ。
「ふむ……織田と徳川の監視が薄くなっている今が引き時だと、二人はそう言いたい訳だな」
『御意』
「お……父上、如何なさいます?」
幾ら敵からの監視が緩くなっているとは言え、何処から情報が漏れるとも限らない。 そこで武田勝頼は、叔父上と言い掛けた言葉を飲み込むと言い直した。
慎重とも言える反応であるが、やがて武田家当主として自分達の上に君臨する事になる。 下手に好戦的な対応をする当主より、仕える側としてはよっぽど好ましいと言える。 何より敵を欺く為にも、慎重である事に越した事はなかったのだ。
勿論、慎重すぎたり優柔不断というのも、やはり問題ではあるのだが。
「撤収する。 一先ず、二俣城を目指す。 そこで昌世」
「はっ」
「引く時機は何時とする?」
武田信玄の影武者を務める武田信廉から尋ねられた曽根昌世は、顎に手をやりながら少し考えると自らの考えを伝えた。 彼が指定した日時とは、織田信長の撤収が完了するその日の夜である。 伝えられた武田信廉は、視線だけで武藤昌幸へと問い掛ける。 すると彼は、頷く事で返答とした。
これが決め手となり、武田勢の撤退が行われる日が決まる。 後は監視の目を強めつつ秘かに撤収の準備を行い、予定された日となれば、一気に撤退するだけであった。 その後、武田勢は曽根昌世の考え通りに織田信長が浜松城から出たその日の夜に行動を起こす。 闇に紛れて二俣城へ、そして亀井戸城へ撤収したのであった。
しかして武田勢も、万を超える軍勢である。 幾ら夜の闇に紛れようと、誤魔化し切れるものではない。 おっつけ武田勢の動きは、徳川家の知るところとなった。 すると徳川家康から、織田信長へと報告される。 京へ向かう途中で報せを受けた織田信長は、武田勢の動きに首を傾げた。
しかしながら、武田勢が三方ヶ原より引いた事で徳川家の、ひいては織田家の脅威がより小さくなったのは事実である。 今は京への対応を優先させたい織田家としては、有り難い報告であった。
それから織田信長は、直ぐに徳川家康と遠江国に残した佐久間信盛と水野信元へと書状を認める。 これは下手に退く武田勢にちょっかいを掛けるより、防備に重点を置かせる為であった。
後に書状を受け取った彼らは、織田信長からの書状の通り防備を固め決して追撃をしようとはしなかったのである。 これには、武田家の方が毒気を抜かれたと言える。 しかし損害がないならそれが最高であり、追撃がない事へ疑問を感じつつも彼らは粛々と撤退したのであった。
念の為、武田家への注意を徳川家康と佐久間信盛、そして水野信元へと伝えた織田信長は進軍を再開する。 程なくして彼の率いる軍勢は、岐阜城へと到着した。
直ぐに岐阜城に入った織田信長は、留守居役として残した嫡男の織田信重を労う。 留守居役とはいえ父から命じられた初めての命を遺漏なく達成できた事に、彼は内心で嬉しさを噛みしめていた。
そんな織田信重の様子などやはり頓着しない織田信長は、引き続いて息子へ言葉を掛ける。 その内容に、織田信重は驚きを露にした。
何と織田信長は、この機会に初陣を飾らせるつもりだったのである。 普通初陣は、先ず勝てる戦を選ぶ。 つまり初陣を命じた織田信長に取り、此度の戦は既にその程度の物となったのである。 やはりそこは、義頼が京を押さえたと言う事実が大きかった。
一方でまさかの初陣を命じられた織田信重は、嬉しそうに信長へと了承の返答を行う。 そんな息子の態度に、彼は小さく笑みを浮かべたのであった。
丁度その頃、京の二条城には波多野秀治を大将に、赤井直正と宇津頼重を副将とした丹波衆が到着していた。
因みに波多野家の重臣でもあり、義頼と波多野家の繋ぎ役となった籾井綱重は同行していない。 その代わり、籾井家の家督を譲られた嫡子の籾井綱俊が現籾井家当主として参加していた。
その丹波衆に対し、義頼は役を任じる。 彼らに伝えられた役とは、畠山昭高と三好義継に対する援軍である。 より具体的に言うと、宇津頼重に畠山昭高と三好義継の救援をさせるのである。 その事を伝えられた宇津頼重は、即座に了承した。
次に義頼は、森可成に対して大和国へ向かう様にと伝える。 彼も即座に了承しようとしたが、その言葉を遮る様に沼田祐光が現れる。 その息せき切って慌てた様子に、義頼はまた厄介な出来事でも現れたのかと訝しみつつも尋ねた。
「どうした祐光」
「ま、松永久秀が僅かな供周りと共に現れました!」
『はあっ!!』
想像したのと大分違ったが、それでも厄介な事に変わりがない報せに、義頼以下この場に居る全ての者が驚きを表したのだった。
さて一同を驚かせた松永久秀だが、この二条城に現れた理由は敵対する為ではない。 では何なのかと言えば、それは降伏の為であった。 と言うのも、義頼が二条城に軍勢と共に入ったと聞き及んだ時点で、彼は足利義昭に勝機はないと確信したのである。 そして「未だ時勢、わが身に非ず」と悟ると、織田信長が現れる前に降伏し大和国内の争いを早期に終わらせる事を考えた。
そこでまず嫡子の松永久通に書状を送り、大和国内で戦端がまだ開いていない状況を出来るだけ伸ばす様にと命じている。 同時に自ら二条城へ赴き、降伏する事にしたのだ。
しかし松永久秀が下手に軍を退けば、それに乗じて荒木村重や細川昭元が一気呵成に攻めてくるかもしれない。 その為、両名をこの場に釘づけにしておく必要があった。 そこで松永久秀は、一計を案じる。 その策を実行させる人物として、彼が選んだのは家臣の奥田忠高である。 この男は松永家家中にあって、幾度かの戦功を挙げた人物であった。
「忠高。 わしは二条城へ赴き、降伏する。 その方へ軍勢を預けるから、村重と昭元を牽制しておくのだ」
「こ、降伏にございますか?」
「ああ。 信長がこれほど早く軍勢を送って来るとは、想定を越えていた。 もう少し余裕があると踏んだのだが、織田を見くびっていたわ。 いや、武田を過信していたか」
「殿……」
「まぁ、今更言っても仕方が無い。 多少領地を削られてでも、先ず生き残る事を考えねばならんからの」
「分かりました。 この奥田主税助忠高、必ずや摂津の者どもをこれから先には進ませませぬ」
「頼むぞ」
こうして後を奥田忠高に任せると、松永久秀はその日の夜に陣を離れる。 その後、僅かな家臣と共にこうして二条城へとひた走ったのであった。
因みにその家臣の中には、土岐頼次の姿も見えた。
彼は美濃土岐氏の家督を持つ名門であり、更に義頼から見れば甥に当たる人物でもある。 頼次の実母が、義頼の姉に当たるのだ。
松永久秀は、偶然とはいえこの事実を利用した。
敵とはいえ降伏してきた上に、その一行の中に甥までいる。 これでは義頼としても無碍には出来ず、会う事を了承した。
こうして義頼と松永久秀は、二条城の広間にて面会したのである。 しかしてその広間には、何とも言えない空気が漂っていた。 それは、仕方がないだろう。 彼らにそれだけの態度を取らせてしまうぐらいの事を、松永久秀は行ってきたのだ。
それはどちらかと言えば温厚である義頼ですら、硬い対応に出るぐらいである。 しかし松永久秀は、どこ吹く風とばかりに飄々としていた。 そんなふてぶてしいとも取れる態度に、流石の義頼もこめかみが痙攣してしまう。 だが自覚できた事で、何とかそこで抑えていた。
そんな義頼の様子を知ってか知らずか、久秀は淡々と二条城へ赴いた理由を述べた。
「我らは織田家に降伏致します。 つきましては、此方を織田家にお納め下さい」
そう言って久秀が差し出したのは、一振りの刀であった。
その刀を見て、義頼と細川藤孝の眉が微かに動く。 その理由は、その刀が何かを二人が知っていたからだ。
何故に義頼と細川藤孝の二人が知っていたのか、その理由は義頼の家臣である釣竿斎に行き着く。 刀剣の目利きに関して彼は、一家言ある人物である。 細川藤孝にも、手ほどきした事もある。 そして義頼の家臣となってからは、彼に対して薫陶をしていたのだ。
さて、松永久秀の話に戻る。
彼が差し出した刀だが、何と不動国行である。 更に義頼は、久秀の持つこの刀を織田信長が切に所望していた事も知っている。 当然ながらその事は松永久秀も知っており、彼は小癪にも降伏するに当たって自らの愛刀としていたこの刀を差し出したのであった。
「ここでこの刀を差し出すか……真に喰えぬ御人だな貴公は」
「褒め言葉と承っておきましょう、左衛門佐殿。 して、降伏の件は如何であろうか」
「……某の一存では決められぬ。 だが、すぐにでも殿へお伺いをたてる。 その返事が来るまでの間、貴公達の身柄は某が責任を持ってお預かり致すが異存はなかろうな」
「それは重畳にございます。 引いては、一つお願いがございます。 対立していた荒木殿と細川殿ですが、抑えてはいただけませぬか?」
「いいだろう。 細川殿と荒木殿には書状を出し、此方へ合流する様に促す。 それから貴公の軍勢は無論の事、大和の右衛門佐(松永久通)殿にも降伏して貰うが異論は無いな」
「無論」
その後、義頼はまず荒木村重と細川昭元へ書状を出し、そこで松永久秀が降伏した事を伝える。 そんな内容の書状が義頼から届いた二人が心の内に思ったのは「してやられた」という言葉であった。
彼らにしてみれば、正にその一言に尽きる。 まさか軍勢を囮として、松永久秀自らが降伏するなど思っていなかったのだ。
それでも知らなければ、彼が残した軍勢に攻撃も出来たであろう。 しかしこうして書状という形で知らされた以上、それもままならない。 下手にその様な事をすれば、逆に此方へ軍勢を差し向けられる可能性があった。 そうなってしまっては、元も子もないのである。
ともあれこうして両名は、戦場より義頼が居る二条城へ向かう為に静かに軍勢を整え始めたのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




