第八十九話~到着~
第八十九話~到着~
大津湊を出立した義頼は、軍勢と共に逢坂へと進軍する。 目指す逢坂には三関の一つである逢坂の関があり、そこで細川藤賢が織田家の軍勢を待っている筈であった。
程なくして逢坂の関に到着した義頼は、やはりそこで待っていた細川藤賢に会い挨拶を交わす。 しかして彼の表情だが、決して晴れ晴れとは行かなかった。
だがそれも、細川藤賢の気持ちを鑑みれば不思議はない。 彼にしてみれば、幕府の庇護者と言える織田信長とその幕府の長たる将軍の足利義昭の両者が手を取り共に歩むと言うのが最善だからである。 しかしながら、既に足利義昭は兵を挙げた状態であり、織田家と足利家の関係はもう二進も三進もいかない状況となっている。 正に「胃が痛い」とは、この事であった。
「右馬頭(細川藤賢)殿。 事ここに至っては、今更詮無き事でしょう」
「分かっている。 分かってはおりますが、どうしてもな……いや、済まぬ。 愚痴を漏らしてしまったな、申し訳ない」
「お気になさりまするな。 さて、右馬頭殿。 そろそろ参りましょうか」
「うむ」
「では、拙者が先に二条城へと参りましょう」
そこでそう言いだしたのは、京極高吉であった。
確かに、此処で彼に先行してもらい二条城に居る細川藤孝と接触してもらえれば、城へと到着した際に要らぬ齟齬は生まれないと思われる。 ただ、最早老境と言っても差し支えない京極高吉を使い走りとするには、いささかの後ろめたさを覚えない訳ではない。 しかし誤解から同士討ちと言う様な事態を避ける為にも、事情に詳しい彼に行って貰うのが一番だった。
その事を少し恐縮しながらも使者となる事を要請した義頼に対し、京極高吉は笑みを浮かべながら了承していた。
その後、彼は警護の為にと義頼に付けられた甲賀衆と共に細川藤孝らがいる二条城へと向かう。 そして義頼だが、彼は暫しの休息を挟んだ後に細川藤賢と彼が率いている幾許かの兵と共に進軍を再開した。
逢坂の関を越えてから程なくして京に入った義頼は、軍勢を率いたまま二条城へと進軍する。 しかしながら、京の通りに人はあまりいない。 どうやら京の住人は、息を顰めて義頼が率いている軍勢の様子を窺っている風であった。
因みに義頼は、京の町へと入る前に旗下の将兵に対し、乱暴狼藉は厳禁ときつく言い渡している。 もしこの命に逆らえば、如何なる者とて斬るとも明言していた。 その脅しとも取れる命のお陰もあってか、織田家将兵の規律は保たれている。 だがそれでも、京の住人の不安が拭い切れる訳では無かった。
なお話は変わるが、義頼は大津湊を出立する前に丹波衆に対しても出陣の命を出している。 義頼が浜松城を出て間もなく丹波衆には召集の命を出していた事もあり、すぐさま二条城へ向けて出立を始めたのであった。
さて話を戻して二条城はと言うと、丁度義頼が大手門へ到着しており三淵藤英と細川藤孝と京極高吉の出迎えを受けている。 だが義頼は、大手門に居るその他三人の男に驚きを表す。 何とそこには村井貞勝と息子の村井貞成、それと島田秀満が居たからだった。
『……民部少輔(村井貞勝)殿と作右衛門尉(村井貞成)殿、それと弥右衛門尉(島田秀満)殿が何故ここに?』
思わず義頼は、細川藤孝達への挨拶もそこそこにその三人へと尋ねている。 そしてそれは、丹羽長秀も同様である。 そんな義頼と丹羽長秀の様子に出迎えた細川藤孝と三淵藤英、そして京極高吉は苦笑を浮かべていた。
「これは、左衛門佐殿(六角義頼)殿も五郎左(丹羽長秀)殿も挨拶だのう。 なぁ、弥右衛門尉殿」
「そうですな、民部少輔殿」
「あ、いや。 これはその、失礼しました。 しかし、民部少輔殿に作右衛門尉殿。 それから、弥右衛門尉殿。 此処に居る理由を、お聞かせ願いたいのですが」
義頼の言葉を受けて、村井貞勝は細川藤孝と三淵藤英に視線を向けた。
すると細川藤孝は、義頼達を二条城へと誘って行く。 その案内に従い、一先ず疑問を棚上げにした義頼らは二条城へと入って行った。
やがて案内された一室で、義頼と丹羽長秀は先程の態度について改めて謝罪する。 その上で、織田信長の命を受けて京へと来た旨を伝えた。
その挨拶を聞いた後で、二条城におりかつ織田家へと味方する将の代表として細川藤孝が口を開いた。
「お待ちしておりましたぞ、左衛門佐殿……それと話は変わりますが、今城内には数名の者を捕えております。 彼らに関しては、如何なさるか?」
「捕えた者とは?」
「公方(足利義昭)様が二条城を兄に任せる際、一緒に残した者達。 説得する時間も無く、仕方無く幽閉したのだ」
二条城を出る際に足利義昭は、三淵藤英の補佐として将を残していた。 その者は三人おり、高倉永相と日野輝資、そして伊勢貞興である。 彼らは二条城防衛の為と意気込んでいたのだが、他でもない細川藤孝率いる兵によって不意を突かれてしまい、結局のところ捕縛されてしまったのだ。
彼ら三人は別の部屋にて、事実上の軟禁状態にある。 拘束こそされなかったが、部屋の内外は屈強な者で固められているので反撃など許さない状態となっている。 そんな三人が押し込められている部屋に義頼は、細川藤孝の案内で馬廻り衆と共に入室した。
すると暫く、沈黙が部屋を支配する。 やがて、一番年上の高倉永相が囚われの三人を代表する形で声を掛けて来た。
「……我らの処分は決まったのか?」
「このままでは討ち首もあり得る……やもしれませんな」
「なるほど……あり得るかもしれんな」
「ですが、降れば話は別やもしれませぬ。 実質的には貴方達から損害を与えられている訳ではありませんし、何より問題となっているのは公方様です。 もしここで我らに降伏するのであれば、殿へ某からも一筆認めましょう」
「そうか……なれば、降伏致しましょう左衛門佐殿」
『藤宰相(高倉永相)殿!』
早々に降伏を決めた高倉永相に、日野輝資と伊勢貞興が声を上げる。 しかし永相は、諭す様に二人へ声を掛けた。
「中納言(日野輝資)殿、伊勢守(伊勢貞興)殿。 貴公らはまだ若い、そのあたら若い命を散らすなどまだ早い」
『……藤宰相殿……』
「よいな。 此処は我に任せよ」
「……分かりました。 藤宰相殿に従います」
「拙者も同じく従いましょう」
日野輝資と伊勢貞興は、揃って永相の言葉に従う意向を示す。 そんな二人に小さく微笑みかけると、高倉永相は義頼へ視線を向けて平伏する。 その上で、改めて降伏する旨を伝えた。 すると彼に続く形で、日野輝資と伊勢貞興も降伏する旨を義頼に告げる。 すると義頼は、大きく一つ頷いて了承した事を態度で伝える。 その上で、口答でも示した。
「お三方の降伏、確かに承りました」
『はっ』
さて、降伏した三人の扱いだが、監視の目は先ほど迄よりも大分緩められている。 流石に織田信長が京へと来ていない以上、無罪放免と言う訳にはいかないのでこれは仕方が無いとして三人も受け入れていた。
その後、降伏した三人の居る部屋を出た義頼は、再び細川藤孝に案内された部屋へと戻る。 部屋に入ると、義頼へ織田信長の動向を尋ねた。
具体的には、何時頃に京へと到着するのかについてである。 その問いに対して義頼は、この後すぐに連絡する旨を伝える。 浜松城では既に用意は整っている筈であり、そう遠くはないだろうとの見解を述べる。 その言葉に、細川藤孝は漸く安堵の表情を漏らしていた。
やはり、如何な彼とて相応に精神的重圧を感じていたのである。 しかし義頼の存在と、何より織田信長が直ぐにでも動けると聞いた事で、その重圧から解放されたのだった。
その後、義頼は細川藤孝に述べた様に現状について記した書状を織田信長宛に認める。 同時に降伏した高倉永相と日野輝資と伊勢貞興の三人についても、約束通り一筆書き添える。 そして、それらの書状を鵜飼源八郎に持たせて浜松城へと出立させたのだった。
こうして現状の報告を主たる織田信長へと行った義頼は、先ほど取りあえず棚上げした件について村井貞勝と村井貞成と島田秀満へと尋ねていた。
「その理由は避難よ。 公方様は、槇島城へ移動された。 その際、行きがけの駄賃代りなのかあろう事か我が屋敷に火を放ったのだ。 しかしその僅か前に承禎殿の指示を受けた篠山殿の手引きで、わしら親子と島田殿はこの二条城へ退避したのだ」
「そうでしたか。 ご無事で何よりでした」
「何の。 礼を言うのは此方の方よ。 左衛門佐殿の兄君のお陰で助かったのだからな。 何れ、承禎殿には挨拶に伺おうと思っている」
「きっと、兄も喜ぶと思います」
ところ変わり、槇島城。
その一室で、足利義昭は激怒していた。
理由は勿論、二条城である。 それでなくても、摂津国の荒木村重と細川昭元が兵を押し出して来ている。 その上、二条城を任せた三淵藤英までもが裏切ったのだ。
また伝え聞くところでは、細川藤孝や細川藤賢も二条城に居る。 足利義昭が「怒髪天を衝く」と言った様な状態となったのも、彼からすれば当然であった。
だが最初に細川藤孝達を裏切ったのは足利義昭という事になるのだが、彼にそんな意識は毛頭ない。 足利義昭にとって、彼ら家臣が己が命に従うのは当たり前の事である。 まだ意見を言うぐらいなら許せるが、裏切るなど神仏を恐れぬぐらいにあり得ない事なのだ。
「公方様、落ち着いて下さい」
「忠俊、落ち着けだと!? これが落ち着いていられるか!」
義昭は、内藤忠俊に対しても噛みついていた。
さてこの内藤忠俊だが、実は丹波国の国人である。 織田家に付いた筈の丹波国人が何故に足利義昭の元に居るのかと言うと、その理由は彼の父親にあった。
内藤忠俊の父親は、松永久秀の弟に当たる松永長頼である。 彼は、今は亡き三好長慶の命による丹波国統一を巡る戦の最中でやはり丹波国人の赤井直正に討たれていたのだ。
何よりこの松永長頼という男は、兄の松永久秀以上に三好長慶から信頼された武将である。 三好家による丹波国支配に関する一切合財を一任された事を考えれば、容易に想像できると言う物であろう。 彼もその信頼に答えるべく、丹波国の攻略を開始したのだ。
先ず松永長瀬は、当主が死亡したばかりであった丹波守護代の家である内藤家に婿入りする。 彼は三好家の後ろ盾の元内藤家の名跡を継いで、名を内藤宗勝と改めた。
こうして事実上内藤家を手中にした内藤宗勝は、丹波国統一へと奔走する。 彼は僅か数年のうちに、氷上郡を除く丹波国を手中に収めてしまった事を考えればその実力は三好長慶の目にかなった通りであった。
しかし三好長慶の死後、内藤宗勝は丹波国統一まであと一歩と言うところで「丹波の赤鬼」こと赤井直正との戦で討たれてしまう。 これにより内藤家は急速に力を失い、丹波国守護代の肩書はそのままであったが実力的には一丹波国人に過ぎなくなってしまった。
その内藤家を継いだのが、内藤忠俊である。 そして彼は、殆どの丹波国人が織田家に付く中で足利義昭に合力する決断をする。 その理由は、赤井直正と行動を共にしては、父の仇が討てないからだ。
因みに内藤忠俊は、足利義昭へと味方するに当たって、叔父へ家督を渡している。 これにより形式上は「内藤家が丹波衆を裏切った」という事にはなっていなかった。
「公方様。 何れ目に物見せれば宜しいのです。 それよりも、援軍が参りました」
「真か!」
「はい。 根来衆が援軍として現れました。 これに本願寺勢が加われば、相当な力となりましょう」
「うむうむ!」
先ほどまでの機嫌の悪さは何処に行ったのか、嬉しそうに足利義昭は内藤忠俊の話を聞いている。 しかし、そう簡単に事は運ばなかった。
その理由は、義頼にある。 彼は二条城を訪問して来た兄の六角承禎から、彼付きの甲賀衆が集めた京周辺の最新情報を受け取っていたのだ。
そして実際に目の当たりにすると、畿内の混乱具合を実感してしまう。 さし当たって特に問題と考えられるのは、石山本願寺である。 今の情勢で石山本願寺を身軽にさせると、あちらこちらで問題が起きかねない。 槇島然り、堺然り、摂津然りだ。
「こうなると……やはり、問題は石山本願寺でしょうな。 公方様は言うに及ばずだが、あちこちに援軍を出されるといささか不味い事になるかと」
「そうですな……では、ここは九郎左衛門(塙直政)殿に援軍を出しましょう。 大和守(三淵藤英)殿、お願い出来ますかな?」
苦渋の選択ながらも袂を分かつ事を決めたとは言え、三淵藤英は出来うる事なら足利義昭とは戦いたくはないと考えていた。 だが相手が石山本願寺となれば、話は別である。 何も気にする事なく、戦う事が出来るからだ。
その気持ちが現れたらしく、不満どころかやる気満々に藤英は引き受ける。 その意外とも言える態度に、思わず義頼をして面を喰らう。 だがやる気を削ぐ必要はないと判断して、敢えて問う事はしなかった。
それでもやや言葉がおかしくなったが、何とか不審に思われない程度で言葉を返す。 それから咳ばらいを一つして気持ちを切り替えると、遠江国より同道した不破光治に対しても援軍としての出陣を言い渡している。 すると彼は、直ぐに了承していた。
この後、三淵藤英は、義頼からの援軍となる不破光治を加えて二条城を出陣する。 そして塙直政と合流を果たすべく、彼が軍勢と供に駐屯している淀古城へと進軍した。
「残るは松永久秀と公方様の籠る槇島城、それから堺の松井殿と安宅殿。 そして、河内の三好殿と畠山殿に大和の筒井殿か……」
義頼はつらつらと上げたが、今の手持ちの兵では全てに対応するのは幾ら何でも無理がある。 しかし何れ来るであろう丹波衆を加えれば、ある程度は解消されると思われた。
取り敢えず優先順位を決め、いの一番に対応するところはどこかと言う事になる。 その結果、先ず対応するのは堺とした。 ここは近隣に石山本願寺があり、しかも現在、堺には松井友閑と安宅信康が居る。 その上、場合によっては荒木村重や細川昭元への支援も考えねばならなくなるのだ。
ともすれば微妙な問題が発生する可能性もあり、政治的な駆け引きの技量も求められる。 その様な高度に難しい事態に対応できるような者となれば、自ずと対象が絞られた。
「……堺へは、拙者が行こう。 場合によっては石山本願寺や、荒木殿や細川殿の支援も考えねばならぬからの」
「そうですな。 丹羽殿であれば、微妙な問題もどうにか出来ましょう。 それと、右馬頭殿にもお願い致す」
「うむ」
こうして丹羽長秀もまた、細川藤賢と共に二条城から出陣する。 丹羽長秀のお陰で、堺だけでは無く松永久秀と対峙する荒木村重と細川昭元への対応に少し余裕が出来た事に義頼はいささか安堵した。
これで残るは、河内国と大和国という事になる。 だが先程も述べた様に、丹波国から軍勢が来なければ対応は難しかった。 何せ今の義頼には、京の治安を安んずると言う役目があるので兵を割きたくないのである。 本来であればこれは将軍家の役目なのだが、その将軍家が騒動を引き起こした上に槇島城に移動しているので役目を果たせないのだ。
当然ながら、細川藤孝も佐々成政も森可成と森長可親子も気付いていた。
「と言う訳で、兄上。 此方の事はご心配ない様にと、お伝え下さい」
「何だ、気付いていたか」
「兄上は、武家故実でもある。 如何に某が弟だとはいえ、この状況で情報だけを伝えに二条城へ現れるとは思えなかったので」
「まぁ、そう言う事だな。 分かった、伝えておく」
「はい」
そう言うと、六角承禎もまた二条城から辞去した。
兄を送り出した後、義頼はこの場に居る四人の将に対して何時でも動ける様にとの要請を行う。 すると四人の将もそれに答え、直ぐに自陣へと戻り軍勢を動かす準備を始めるのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




