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第八十八話~堅田砦攻略戦~


第八十八話~堅田砦攻略戦~



 山岡景友やまおかかげとも仁木義政にっきよしまさを義頼が降伏させた頃、琵琶湖上を船団が滑る様に進んでいる。 彼らの正体だが、駒井秀勝こまいひでかつ率いる六角水軍であった。

 さて、彼らが何ゆえに動いているのか。 その理由は、石山城攻めの前にまでさかのぼる。 それと言うのも義頼が、石山城を攻める為に瀬田城を出陣する少し前に駒井秀勝へ出陣の要請をしているからである。 その要請に答え、彼は息子の駒井重勝こまいしげかつと共に水軍を率いて大津湊へと舳先へさきを向けたのであった。

 しかも大津湊には、堅田砦より脱出した堅田衆も避難している。 つまるところ義頼は、六角水軍と堅田衆と言う水軍衆を軍勢に加える為に彼らを大津湊へと向かわせたのだ。 

 同時に義頼は、別の手立てを打っている。 それは、坂本城主の明智光秀あけちみつひでが遠江国へ出陣したが為に留守居役として残っている明智光忠あけちみつただに対してである。 彼に、堅田砦攻めの際の協力の要請をしたのだ。

 具体的に言えば、城の間借りと出陣を要請したのである。 明智家の主力が居ない為に篭城の構えを取らざるを得なかった明智光忠は、この書状に喜びを露にした。

 そこに生まれた喜色を隠そうとせずに明智光忠は、留守居役として共に坂本城に残っている藤田行久ふじたゆきひさに書状を見せつつ事の顛末を話す。 その言葉を聞いた藤田行久もまた、喜色を露していた。

 それも、当然と言えば当然である。 何せこれで、面目を果たせるからだ。

 それでなくても明智光忠と藤田行久は、明智家領内で起きた此度の騒動に対して有効な手立てを打てていないのである。 領内に侵攻した敵勢に対して篭城以外の手を打てなかったとあっては、留守を任された明智光忠は無論の事だがそれよりも明智家自体の領主としての力量を問われかねないのである。 それを防ぐ意味でも、この要請は有り難い物だった。

 しかし書状を読み進めるうちに藤田行久の表情が、少しずつ曇り始めていく。 それは書状に書かれていたのがあくまで間借りと出陣の要請だけであり、具体的にどこへ攻め寄せるとは書かれていないからである。 その事を指摘すると、明智光忠は「参軍する事、そこに意味がある」とのたまう。 するとその言葉には、藤田行久ふじたゆきひさも納得して頷いた。

 確かにこのままでは、籠城しただけでしかない。 だが例え主力でないにせよ、軍勢を出して攻めたと言う事実があればまた変わってくるからだった。 


「確かに。 このまま篭城以外の手を打てない現状よりも、遥かにましという物ですな。 では、早速にでも返書を認めましょう」

「うむ」


 その後、届いた明智光忠よりの返書を受けて、義頼は大津に到着するであろう駒井秀勝に別命があるまで待機する様に指示を出しておく。 それから坂本城へ、軍勢を率いて進軍した。

 城に入ると義頼は、明智光忠や藤田行久と共に軍議に入る。 すると冒頭で明智光忠が口を開くと、堅田砦への進軍を提案してきた。 しかしその言葉を聞き、堅田衆の三人が眉を寄せる。 だが、それも当然であろう。 今でこそ足利義昭あしかがよしあきの命を受けた山本尚治やまもとなおはる磯谷久次いそがいひさつぐ、そして渡辺昌わたなべまさらによって抑えられているとはいえ元は自らの拠点である。 そこをいきなり攻めろと言われては、不快になるのも押して知るべしであった。

 とは言え、堅田衆に取って義頼や明智家の軍勢は援軍である。 不快になったからと言って、文句を言うのは筋違いに感じる。 何より「ならば自分達だけで攻めろ」と言われてはたまらない。 不快であろうが不満であろうが、黙って堪えるしかなかった。

 しかしながら義頼は、敏感に堅田衆の感情を察する。 嘗て、六角家が南近江を抑えていた頃よりの付き合いがあるからこその気付きであった。


「お待ちあれ、次右衛門(明智光忠)殿。 気持ちは分からないでもないが、先ずは降伏を促そう。 それでも籠るのであれば、その時こそ攻めようではありませぬか」

「むぅ。 いや、しかしで「拙者も、左衛門佐(六角義頼ろっかくよしより)殿に賛同する。 犠牲を回避できるのであれば、それに越した事はないではないか」す……分かりました」


 織田信長おだのぶながより派遣された軍勢の大将である義頼と、織田家重臣の丹羽長秀にわながひでが揃って降伏勧告に賛成したとあっては、明智光忠としても引き下がらざるを得ない。 不承不承であったが、義頼の言葉に従う意思を見せた。 だからと言って、ただ粛々と従った訳ではない。 もし従わなかった場合、必ず攻めるとの言質を得た上で従ったのであった。

 とは言え、義頼とて初めからその気ではある。 無駄に兵の損耗を抑えたいだけで降伏勧告を出すとしているのであり、此方こちらから差し出した手を払うと言うのであれば、容赦する気など毛先の程もなかったのだ。

 何はともあれ、明智光忠からも降伏勧告に対する賛同を得られた義頼は、軍使に書状を持たせて堅田砦に派遣する。 しかし篭城する山本尚治と磯谷久次と渡辺昌らが、首を縦に振る事はなかった。

 けんもほろろに断られ這う這うの体で戻ってきた軍使からの報告を聞いた義頼は、一瞬だけだが眉間にしわを寄せる。 しかし次の瞬間には、冷徹と言っていい表情を浮かべていた。


「……差し伸べた手を払うというのならば、是非もない。 自らの言葉が持つ意味、しっかりと味わうがいい!」

「ではっ!」

「堅田を攻める。 当然だが、明智家からも兵を出していただくぞ。 宜しいか?」

「無論のこと」

「では明日、堅田砦を落とす!」

『応っ!!』


 その後、義頼は自室にとあてがわれた部屋に、猪飼昇貞いかいのぶさだ居初又次郎いそめまたじろう、そして馬場孫次郎ばばまごじろうを呼び出す。 堅田衆の三人が揃うと、軍議で決まった堅田砦攻めについて詫びを入れた。 しかし、その言葉を聞いた猪飼昇貞が首を振る。 それは、居初又次郎と馬場孫次郎も同じであった。

 何せ義頼は、軍使まで出して堅田衆の意を汲んでくれたのである。 そればかりか、攻めるに当たってこうしてわびまで入れてくれる相手に文句など出る筈もなかった。 


「致し方ございませぬ。 左衛門佐殿は我らに配慮をして下された、これ以上を望むは高望という物です」

『しかり!』

「そうか……そなたらから、そう言って貰えるとは有り難い」

「それで堅田砦を攻める際には、先鋒をお願いしたい」

「先鋒か。 大津には、砦より逃れた堅田衆が居るな……あい分かった、六角水軍と共に湖上からの攻めを行って貰おう」

『はっ』


 翌日、大津湊より出港した堅田衆と六角水軍の連合軍が湖上から堅田砦を封鎖する。 堅田衆を率いるのは、昨日のうちに坂本城から大津湊に移動した猪飼昇貞と居初又次郎と馬場孫次郎である。 また六角水軍を率いるは、言うまでもなく駒井秀勝と息子の駒井重勝であった。

 そして彼らとは別に、陸上からは明智家の兵を加えた義頼率いる軍勢がやはり砦を包囲する。 その様子は、堅田砦に籠る義昭の命を受けた幕府勢からも見える。 その布陣は、蟻の這い出る隙間もないほどであった。

 そんな砦の外に広がるその光景を見て、磯谷久次が呻き声を漏らす。 それも、仕方が無いだろう。 何せ今堅田砦を包囲しているのは、義頼の率いる軍勢だけしかない。 織田信長が率いる織田家本隊の軍勢では無いのだ。 有り体に言ってしまえば、義頼の兵は織田家の先遣隊なのである。 その先遣隊の兵数が、浅井家や明智家からの援軍を加えているとは言え万を遥かに超えているのだ。

 その数に呑まれ掛った幕府勢であったが、堅田砦襲撃に当たって大将に任じられた山本尚治が磯谷久次と渡辺昌を励ました。 同時に、足利義昭へ助力を頼むべく使者を出す旨を告げた。 その言を聞き、意気消沈仕掛かった磯谷久次と渡辺昌はいささか気力を取り戻す。 何せもし援軍が間に合えば、挟み撃ちが可能になるからだ。

 しかしながら、これは希望的観測と言っていい。 堅田砦を出ても、援軍を請う使者が無事に包囲網を抜けるとは考えづらいからである。 しかしそれでも、彼らは足利義昭への使者を出す。 それ以外に勝ちを引き寄せる方法が、思い付かないからであった。

 するとその夜、山本尚治の認めた救援要請を持った密使が堅田砦を出る。 しかして密使は、警戒していた甲賀衆により捕えられてしまう。 当然ながら、使者の持っていた密書と密使の口を割らせた事で得た情報は揃って義頼へと報告されたのであった。


「やはりな。 最も、それぐらいしか手は無いだろう」

「警戒させておいて、正解でしたな」

「そうですな、三左衛門(森可成もりよしなり)殿。 それはさておき、吉棟。 引き続いての警戒を、伊賀衆と共に頼むぞ」

「お任せあれ」


 明けて翌日、陽が昇ってから間もなくした頃に堅田砦へ織田家の兵が殺到する。 琵琶湖上より堅田衆を先鋒とした水軍が攻め寄せ、そして陸上からは石山城で降伏した山岡景友と仁木義政が先鋒として砦へと攻め掛かった。

 城砦に籠る方が有利だと言っても、おのずずと限界がある。 それでも篭城側である山本尚治や磯谷久次や渡辺昌らは、昨夜出した密使が連れてくるであろう援軍にかすかな希望を抱きつつ絶望的とも言える籠城戦を展開していた。

 その一方で義頼は、彼らの心を折る策を行う。 それは、織田家の攻めが始まり半日近く経った頃の事である。 果断なく織田勢から攻められ疲労がいい加減蓄積されている幕府勢が籠る堅田砦からもよく見える場所に、首を晒したのである。 その首は、堅田砦より送り出された密使に他ならなかった。 

 はじめ気付きもしなかった籠城側ではあったが、時が経てば気付く者が出てくる。 その者らによって、山本尚治へ報告された。 

 因みにこれは、沼田祐光ぬまたすけみつが進言した策である。 敢えて攻城戦が始まってから頃合いを見て晒す事で、より効率よく城兵の心を折る為であった。

 何はともあれ、知らせを受けた山本尚治は勿論の事、磯谷久次と渡辺昌も確認に走る。 そんな彼らの目に入って来たのは、疲労のたまった味方の将兵と堅田砦からもよく見える位置に晒されている件の首であった。

 何度も目をこすりながらも確認したその首は、間違いなく昨日派遣した密使のものである。 つまり幾ら時間を稼いでも援軍が来る訳が無いという事であり、その事実は三人の心を折るに十分な物であった。


「……全ては無駄であったか……致し方無い、降伏しよう」



「既に手は差し伸べた。 それを払ったのは、その方らだ。 それでも降伏するというのならば、相応の物を出す事だな」


 そう一言に切って捨てられ義頼からすげなく追い払われた軍使は、憔悴した表情のまま堅田砦へと戻って行った。

 そうして軍使を堅田砦に戻しつつ、その傍らで暫しの休息を入れる。 これは、三雲賢持みくもかたもちからの進言によるものであった。 何時でも攻めるぞと見せつつも、休める余裕を見せつける事で精神的圧力を籠城側に掛けたのである。 するとこの圧力は、狙い通り籠城側へと降り掛かっていた。


「「今更何を言う」 と言ったところであろうな」

「対馬守(山本尚久)殿、如何致す?」

「新右衛門尉(磯谷久次)殿、宮内少輔(渡辺昌)殿。 既に答えは出ている、そうであろう」

『……』

「宮内少輔殿、介錯をお頼みする。 拙者の首は、新右衛門尉殿の手でお運び願いたい」

『承知した』 


 それから間もなく、堅田砦の一室で山本尚久は切腹する。 渡辺昌の手により介錯されたその首は、軍使となった磯谷久次の手によって義頼の元へと運ばれた。

 この軍使を務めるに当たり、磯谷久次は剃髪している。 そして降伏が受け入れなければ、刺し違えてでも義頼を討つつもりであった。 そんな久次の気持ちなど知る由もない義頼はと言うと、山岡景友と仁木義政を呼び出すと首実検を行う。 まさかこんな場所で二人に会えるとは露ほども持っていなかった久次は、驚きの表情を浮かべた。


「な、何故なにゆえにお二方がこの様なところに」

「我らは降伏した。 そなたと同じ様に」

「そ、そうでしたか……」

「さて義政。 その首、山本尚久に相違ないか」


 義頼に指名された仁木義政が、首を確認する。 それはまごう事無き、山本尚久の首であった。 その事を伝えると、義頼は頷く。 それから明智家の留守居勢を率いている明智光忠に対して、彼らの降伏を受け入れる旨を問い掛けた。

 確かに領内で起こされた騒動ではあったが、流石に明智光忠も死者に鞭打つ様な事などはしたくはない。 何より命を掛けてまでの降伏嘆願であるし、この堅田砦攻めに参加した事で明智家の面目は一応保たれているのだからとても無碍にする気など起きなかった。

 それゆえに、明智光忠も降伏の受け入れには同意する。 これにより、堅田砦に残る幕府勢の降伏が認められる。 明智家から同意さえ得られれば、何も問題は起こらないからだ。

 その旨を義頼から口頭で磯谷久次へ改めて伝えられた事で、確実な決定となる。 すると彼は、涙を浮かべつつ平伏していた。

 此処ここに足利義昭の起こした近江国内の戦は、僅か半月足らずという短さで収束を見た。

 すぐに京へと向わなければならない義頼は、後始末を明智光忠と堅田衆に任せると、その翌日には戦の終了後に宿泊した坂本城を発っている。 そして大津湊に寄ると、駒井秀勝に対して織田信長の命で建造させた大型船を用意し朝妻湊へ回航する様に命じていた。

 その命に、彼は眉を寄せる。 織田信長がこの近江国に居るのならばまだしも、今は遠江国へ出陣している。 それであるにも拘らず、大型船を用意させる意味が分からなかったからだ。


「それは構いませぬが、何故にございますか?」

「俺達が京を取り返したと聞けば、殿は恐らく京へと向かうだろう。 京へ向うに当たり、陸上より水上の方が早い」

「……そう言う事にございますか。 分かりました、すぐに用意させます」

「頼んだぞ」


 その後は大津湊で暫しの休息を挟んでいたのだが、その最中に義頼を尋ねて使者が現れる。 その使者を出したのは、逢坂まで出張って来ていた細川藤賢ほそかわふじかたであった。

 直ぐに使者へ会い、持参している書状を受け取ると中身を確認する。 するとそこに記されていたのは、予想外の内容であった。 何と荒木村重あらきむらしげ細川昭元ほそかわあきもとが、織田家に味方していると言うのである。 しかも彼らは手を携え、松永久秀まつながひさひで率いる軍勢と対峙しているのだ。

 何ゆえに彼らの動きが予想外なのかと言うと、それは以前義頼が長島での戦の最中に摂津国で起きた騒動に対処する為に援軍に向かった際の出来事が影響している。 あの時、荒木村重は織田家と干戈を交えているからである。 とは言え、彼はあの戦の後に信長へと接近しているので厳密に言えば敵と言う訳ではない。 しかしながら、まだ完全に味方として遇された訳でもないのだ。

 そんな時に起こったのが、此度こたびの足利義昭の挙兵である。 するとここで、荒木村重にとっての予想外の出来事が起きてしまう。 何と形式上は主である筈の池田知正いけだともまさが、よりにもよって足利義昭へと付いてしまったのだ。

 これでは、荒木村重が仕立てた折角のお膳立てがご破算となりかねない。 そこで村重は、主君である池田知正を摂津国より追放した。 そして旗幟きしを鮮明にするという意味合いを含めて、摂津国より兵を出したのである。 するとこの行動に、摂津国堀城を任されていた細川昭元が同期した。 彼もまた、織田信長と対立しては先が無いと判断したのである。 そこで細川昭元は荒木村重に書状を送ると同時に、決して多くは無いが兵を率いて出陣して合流を果たした。

 この一件は、摂津国を追放された池田知正自身が足利義昭の元を訪れた事で幕府側にも発覚する。 その為、河内国へ出陣して大和国への連絡と三好康長みよしやすながへの増援を行う筈であった松永久秀が、急遽牽制の為に兵を返したのであった。 

 こうして目まぐるしく変わる畿内の情勢を鑑み、細川藤孝ほそかわふじたかが同族の細川藤賢を派遣したのである。 無論、それは織田家からの援軍に対して情報をもたらす為であった。

 本来であれば、細川藤孝が出迎えるのが一番いいのであろう。 しかし自らが二条城から居なくなると、折角説得して味方とした兄の三淵藤英みつぶちふじひでが再び足利義昭へ味方する懸念が拭いきれなかった。

 そこで、代わりに藤賢を派遣したのである。 軍使より細川藤孝の抱える事情を聴いた義頼も、それには同意する。 その後、逢坂にて合流する旨を伝ると、了承した軍使は主の元へと戻って行った。



 軍使の一行が、逢坂へと戻っていく。 そんな後ろ姿を少しの間だけ視界に収めた後で義頼は、丹羽長秀などの主だった将を集める。 そこで彼らに、細川藤賢の軍使より齎された畿内の最新情報を余すところなく伝えた上で彼の軍勢と逢坂で合流すると伝えた。

 合流する一件には納得してもらえたが、他の件で佐々成政(さっさなりまさ)から疑問が呈される。 彼の疑問とは、松永久秀と対峙している軍勢についてであった。 そもそも細川昭元は、どちらかと言えば織田家側の人間である。 明確に織田家に付いていた訳ではないが、それでも足利義昭より織田信長に近い人物だった。

 だから彼が味方となった事に対しては、寧ろ喜びを持って受け入れられている。 ならばなぜに疑問が呈されたのかと言えば、それこそ荒木村重が原因であった。

 確かに丹羽長秀や義頼の様な織田家において重臣級の者達ならば、荒木村重が密かに織田家に対して繋ぎを取っていた事は掴んでいる。 しかしながら秘密裏という事もあり、佐々成政などの者達では初耳だったのだ。

 だが、それも致し方無いと言える。 今この場にいる将の中で荒木村重の事を掴めるぐらいの者達と言えば、丹羽長秀と森可成と義頼、そして宮部継潤みやべけいじゅんぐらいであったからだ。

 それゆえに、織田家重臣と言える三人より話を聞かされた佐々成政などの将達は何とも言えない表情となる。 だがそれも、森可成から声が発揮させられるとやがて消えていく。 謀は「密を持って良しとする」のだなどと言われては、そもそも返答に窮してしまう。 これではもう、頷き返すぐらいしかなかったのだ。

 森可成は基本的には猛将として名を馳せているが、調略などが出来ないという様な猪武者でもない。 彼は政務にもある程度は精通しており、決してただの武辺者という訳では無かったのだ。


「何はともあれ、味方が増えた事は吉兆きっちょうだ。 すぐに出立して、逢坂にて右馬頭(細川藤賢)殿と合流しようと思うが如何か?」

『異議なし』

「では、早速参りましょうか。 我らの向かうは逢坂の関、そして京だ!」

『応っ!!』


 義頼の宣言に、軍議に参加している者達から一様に声が上がる。 その言葉を聞き、満足げに頷き返している。 後は行動のみであり、彼らは直ぐに自陣へ戻ると京に向けて進軍を再開したのであった。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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