第六話~永禄の変~
第六話~永禄の変~
京の勘解油小路には、時の将軍である足利義輝の屋敷がある。 しかしその屋敷は今、多数の兵に取り囲まれている。 そればかりか、将軍の屋敷自体も猛火の中に消えようとしていた。
そんな炎に包まれている屋敷を、遠目から見ている者達が居る。 彼らは義頼の命により、畿内の情報を集めていた甲賀衆であった。
「……しかし、まさか三好家が公方(足利義輝)様を襲うとはな」
「大和守(山中俊好)殿、如何致す」
「拙者は、急ぎ長光寺城へ戻り殿に知らせる。 太郎左衛門(伴長信)殿は京に残り、引き続き情報を集めて貰いたい」
「承知した」
そう言い残すと、彼らの長を務めている山中俊好は数人の甲賀衆と共にその場を離れた。
そして京へ残った伴長信は、俊好が見えなくなるとこの場に残った数人の配下へ合図を送る。 その後、彼らは京の闇に消えたのであった。
程なくして京から長光寺城へと戻った山中俊好は、義頼へ京で集めた情報を記した書状を提出する。 当然だがその書状には、京で起きた足利義輝襲撃に関する内容も記載されていた。
「俊好! これは真か!」
「はい。 三好家が軍勢を起こし、公方様を襲撃致しました」
「それで公方様はいかがされた!」
「討ち取られたよしにございます」
「……そうか、討ち取られてしまわれたのか……」
「御意」
この室町幕府十三代将軍足利義輝への襲撃は、後に【永禄の変】と呼ばれる事件であった。
さて、なにゆえに畿内で力を持っている三好家が将軍を襲ったのか。 それは足利義輝と三好家が、対立していた事に起因していた。
元々足利義輝には、叶えたい望みがあった。 それは、室町幕府の復権である。 実際、義輝は各地の有力大名が起こしている戦を調停し、将軍の権威を知らしめていた。
しかしその行動は、畿内に力を持つ三好家に取り邪魔でしか無い。 だが三好家の当主である三好長慶がどちらかと言うと足利義輝と幕府に対して融和的な立場を取っていた為か、足利将軍家と三好家の間で表面的には騒動など起きていなかった。
だが三好長慶が亡くなると、これを好機と捕えた足利義輝が将軍のさらなる権威権力の復興を目指して今まで以上に幕府内の掌握や地方への関与し始めたのである。 しかし皮肉にも、この行為が彼自身の首を絞める事となった。
三好長慶の亡き後、三好家の家督は彼の養子である三好義継が継いでいた。 彼は松永久秀と三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)を後見人としていた為、彼の家督相続に関してはこれといった問題も起きなかった。
しかしながら三好義継が三好家の家督を相続すると、松永久秀と三好三人衆は後見人という立場を利用して三好家を牛耳ったのである。 その後、彼らは、行く行くは将軍による親政を目指している目障りな足利義輝の強制排除に乗り出したのであった。
まず大義名分とする為に四人は、足利家一門である足利義親を旗頭に据える。 その上で彼らは清水寺参詣を名目として密かに兵を一万余ほど集めると、足利義輝を急襲したのである。
実はこの襲撃自体を足利義輝は予想していた節があり、彼は襲撃の数日前に屋敷を脱出している。 しかし幕臣達から将軍の権威を失墜させると猛反対され、不承不承彼は屋敷に戻っていた。 そんな矢先に起きたのが、こたびの襲撃だったのである。
足利義輝は屋敷に戻ると決めた際に、もはや落ち延びることを諦めていた。 その為、襲撃に際して逃げる素振りなど見せずに、果敢に立ち向かって見せている。 しかし多勢に無勢であり、衆寡敵せずの言葉通り足利義輝は討ち取られてしまう。 すると、彼の生母である慶寿院も息子に倣い殉死していた。
また、それだけでは無い。 彼の末弟で、相国寺の塔頭鹿苑院の院主である周暠も討ち取られている。 足利義輝の兄弟で生き残ったのは、先代の将軍で父親の足利義晴の二男である大和興福寺一乗院門跡の覚慶だけという有様であった。
「何と! 慶寿院様や周暠様までもが討たれたと言うのか」
「はっ」
山中俊好の返事を聞いた義頼は瞑目すると、京の方角に手を合わせ義輝と慶寿院と周暠の冥福を祈る。 それから暫く祈りを捧げてから目を開くと、控えている山中俊好らに指示を出すのであった。
「俺は観音寺城に行き、御屋形様や兄上達と今後について話し合う。 その方は、定秀と建綱に知らせろ。 その後の事については、二人に任せると言え」
「御意」
義頼は甲賀衆に指示を出すと、長光寺城を出立する。 小姓の鶴千代と、二十名程の護衛を引き連れて観音寺城へ向かった。
やがて観音寺城へ到着した義頼一行は、繖山の麓にある六角館に入る。 そこで訪問した用向きを伝えると、別室に通された。 急ぎ知らせたいという思いもあり内心やきもきする義頼だが、急いだところで会えない物は仕方が無い。 焦る気持ちを抑える様に、義頼は目を瞑りながら呼ばれるのを待った。
それから程なく義頼は、六角高定に呼ばれる。 すると義頼は、鶴千代達を控えの間に残して部屋へと向った。 果たしてそこには、六角高定だけでなく他に六角承禎と六角義治もいた。 そこで義頼は、兄の六角承禎と甥の六角義治に軽く頭を下げてから六角高定に目を向ける。 そして一つ呼吸を整えると、今日訪問した用件について告げた。
すると京での事件についてはどうやら寝耳に水であったらしく、三人は等しく驚いている。 そこで義頼はこの場に居る最年長者、即ち六角承禎に意見を求めた。
「兄上。 いかがなさいます」
「…………」
しかし義頼から問われた六角承禎は、腕を組みながら考え込み始めている。 そんな彼の近くでは、六角高定と六角義治の兄弟も腕を組んで考えていた。
親子揃って同じ姿勢で考えている姿を見た義頼は、思わず笑みが浮かぶ。 だが、そんな時ではないと表情を引き締める。 すると、まるで図ったかの様に六角承禎は義頼へと問いかけたのであった。
「ところで義頼。 その情報だが、嘘偽りはないのだな」
「はい、兄上。 それと、京にはまだ長信が残っています。 追っ付け、情報が届くでしょう」
「ふむ……となると、先ずは静観だな。 まだ、山城の動静がはっきりと分からない。 もう少しはっきりしてから、対応を考えるとしよう」
確かに、まだ第一報しか届いていない。
内容が内容だけに義頼は拙速に動いたのだが、やはり情報不足の感は否めない。 続いての情報が届いてからの判断も、あながち間違いとは言えなかった。
「分かりました兄上。 続報を待ちましょう」
さて、義頼が観音寺城へ向かった後の長光寺城は、徐々に賑やかな様相となり始めていた。
その理由は、蒲生定秀と馬淵建綱にある。 山中俊好から足利義輝討たれるの報と義頼からの伝言を共に聞いた二人は、急ぎ義頼の家臣や与力衆を集めたのだ。
実のところ六角家は、過去に何度か足利将軍家に力を貸している。 それは、今回三好家に討たれてしまった足利義輝に対しても同じである。 二人はそれを理由に、三好家が干渉して来る事を警戒したのだ。
それに伴い蒲生定秀と馬淵建綱は、山岡家に対して別の指示を出している。 足利将軍家を討った三好家がどの様な反応をして来るのかまだ判断できない以上、国境の守りを疎かにするわけにはいかない。 そこで、義頼の名で山岡景之へ国境の守りを固めさせる様に指示を出していた。
同時に二人は、国境近くに領地も持つ与力国人衆にも山岡家と同様の指示を出している。 その為、山城国や大和国方面に領地をもつ与力衆は長光寺城には集っていない。 彼らは瀬田城に集い、一時的に山岡景之の与力衆となっていた。
それだけの指示を出した蒲生定秀と馬淵建綱が、観音寺城に向かった義頼へ行った対応を知らせようとした矢先、書状を持って鵜飼源八郎が現れる。 彼が齎した書状には、六角家が今回の騒動に対して取りあえずは静観の対応を取った旨が記されていた。
その対応に関してだが、二人が何か言うことは無い。 何と言っても、まだ情報が少なすぎるからだ。 ここで拙速に動くのも一つの手かもしれないが、それは危険が伴うかもしれない。 ならば、先ずは続報を待つ方が無難である事は間違いないのだ。
「まだ、畿内の情報がまだ少ないからだな……どう思うか? 兵部少輔(馬淵建綱)殿」
「先ずは無難な対応、と言ったところでしょう。 今後、我ら……いや六角家が動くかそれともこのまま静観を続けるかは続報が届き次第でしょうな」
流石は、蒲生定秀と馬淵建綱である。 二人は六角承禎が静観と言う判断した理由について、正確に見抜いていた。
「ならば、このまま国境を固めるべきだな」
「ええ。 美作守(山岡景之)殿には、更なる警戒をお願い致しましょう」
「うむ」
二人はさらなる国境の警戒を山岡景之に頼んでから、観音寺城に居る義頼へ現状について記した書状を甲賀衆に持たせて送り返した。 程なくして観音寺城に戻った鵜飼源八郎は、六角承禎らと同じ部屋に居る義頼へ長光寺城での対応を記した蒲生定秀の書状を渡す。 やがて一読し終えると、六角承禎達へも書状を見せた。 その三人も、蒲生定秀と馬淵建綱の判断に否は無いらしい。 特段何かを言う事も無く、義頼へ書状を返していた。
「ところで高定」
「何だ義頼」
「今のところまず無いとは思うが、公方様の手の者が現れた場合はどの様に対応する?」
「義頼に一任する」
「そうか分かった」
六角家当主である六角高定から今回の騒動に関連して足利将軍家一任の約定を取り付けた義頼は、立ち上がると部屋から出て行こうとした。
六角家の対応も聞けたし、足利将軍家に対しての確約も得られている。 となれば、これ以上義頼が観音寺城に残る理由は無かったからだ。 しかしそんな義頼へ、声を掛けて来る男が居る。 それは、兄である六角承禎であった。
「何だ義頼、もう長光寺城へ帰るのか?」
「はい兄上。 京の動静がはっきりとしない以上、対応は確りしておかないといけませんので」
「それはそうだがな……久し振りなのだ、少しゆっくりしていけ」
そう言った兄の言葉に、義頼は違和感を覚えた。
六角承禎の言動が、まるで無理に観音寺城へ止めさせているかの様に感じたからである。 少しの間じっと兄の目を見た義頼は、そこにどの様な意図が働いているのかと推論した。 しかし義頼より遥かに人生経験を持っている六角承禎の意図など、まだ若い彼では全ては見抜けない。 だが彼のその目から、何らか用があるというのは分かる。 そこで義頼は再び座り、その日のうちに帰城する事を取り止めたのであった。
「そうですね。 のんびりは出来ませんが、今日ぐらいはいいでしょう」
その夜、四人は酒を酌み交わして再会を喜んだ。
しかしながら六角承禎は、歳を理由に割と早くからその席から離れる。 残った義頼と六角高定と六角義治は杯を重ねるが、やがて二人の甥は轟沈した。
『この、底なしがぁ』
これが、酔い潰れる前に二人が義頼に対して零した言葉であった。
それから義頼は、酔いを覚ます為に庭に出ると夜風に当たる。 夜空を見上げながら、月見を一人洒落込んでいた義頼であったが、そこに兄からの使いが現れた。 ほぼ酔いも覚めていた義頼は、彼に従って六角承禎の部屋を訪れる。 部屋に入り居住まいを正すと、義頼は用件を尋ねた。
「兄上。 態々俺を引き留めてまで、何の用ですか」
「うむ。 先程は高定がああ言ったが、もし公方様の手の者が来たらその用件は受けていい」
「そうですか……承知しました。 ですが兄上、それならば先ほどなぜに言わなかったのです?」
「義治がな。 あやつは将軍家と関わりを持つのを、どちらかというと反対なのだ」
苦笑しながら言った六角承禎であったが、その言葉を聞いて義頼は少し考える。 やがて、兄の言葉に隠された正確な意味を察した。 つまりこの対応は、六角家内で今回の京で起きた騒動に対する意見が分かれていることを発覚させない為なのである。 そこで義頼個人が足利将軍家に援助したと言う形にしておけば、最悪でも義頼に全ての罪を被せて処分を行えばいい。 あからさまに言えば、義頼は体のいい生贄であった。
しかし六角家のことを考えれば、頷ける判断ではある。 万が一進退極窮まったとしても、義頼一人の犠牲で済むと考えれば悪い引き換え条件ではなかった。
「……なるほど、そういうことですか。 分かりました、俺の方で対処します」
「済まぬな、義頼」
「兄上、俺も六角一族です。 家や一族の為に泥を被るのは当然であると某は考えています」
翌日になると義頼は、今度こそ観音寺城を出た。
急いで長光寺城へと戻った義頼は、畿内に残った伴長信からの情報を読む。 そこに書かれていたのは、義頼の予想から離れた現状であった。
どうも畿内は様子を見ているらしく、彼の想像していたほどには荒れていない。 そこで義頼は引き続いての情報収集を命じた上で、一度は報告の為に義頼の元へ戻っていた山中俊好に追加の甲賀衆を率いさせて京に再度派遣したのであった。
その後、続報が入って来るが、やはり畿内は不気味なぐらいに静かである。 取り分けてあったとすれば、大和興福寺一乗院門跡の覚慶が幽閉されたという事ぐらいであった。
ここまで動きが無いとなると、何時までも兵を動員などしていられない。 そこで義頼は、情報の報告がてら観音寺城へ赴き兵の動員の縮小を承禎らに相談する。 この事案は、やはり兵の動員体制を整えていた他の国人達の賛同もあり、兵の全てではないがそれなりの兵の動員を解除する運びとなったのであった。
こうして奇妙な静けさに覆われていた畿内であったが、ついに事態が動き始める事となった。
京での騒動から二ヵ月ほど経った頃、大和国で異変が起きたのである。 松永久秀の手筈により事実上監禁されていた覚慶が、幕臣の一色藤長や細川藤孝、それから細川藤孝の実兄である三淵藤英や他に和田惟政らの手引きで興福寺一乗院から脱出したのである。 首尾よく松永久秀の手を逃れた覚慶は、惟政の館がある甲賀郡へと逃げ込んだのであった。
「さて惟政。 その方の言葉に従い大和から甲賀へと来た訳だが……これからどうするというのだ」
どうにかこうにか和田惟政の屋敷に辿り着き漸く安心した覚慶は、その日は泥の様に眠ってしまう。 明けて翌日、朝餉を済ませた彼が尋ねたのが先程の言葉であった。
「はっ。 拙者の一族に、和田信維と言う者が居ます。 その者は承禎様の弟に仕えておりますれば、先ずはその弟に接触します」
「何? 承禎殿に弟など居られたのか」
「はい。 承禎様とはかなり年の離れた弟ですが」
「そうか。 ならば任せる」
幼少の頃に寺へ入れられ、これまでの人生の大半を僧侶として生きて来た覚慶である。 武家に伝手など有ろう筈もなく、その辺りは和田惟政達に任せるしか無かった。
「では、拙者は六角家へ救援の手紙でも書こうかの」
「おお。 そうして下されるか、仁木殿」
「わしも、六角一族。 伝手としては十分であろう」
和田惟政から仁木殿と呼ばれた男は、仁木義政である。 彼は、義頼の父である六角定頼の兄に当たる六角氏綱の息子であった。
しかし六角氏綱は若くして亡くなった為に、彼の没後の六角家の家督は弟の六角定頼が継いでいる。 以降、六角家の家督は彼の子息達へと受け継がれたのであった。
そして仁木義政だが、年が若かったという事もあり家督は継げなかったのである。 しかし彼は、伊賀国主であった伊賀仁木氏の家督を継ぐと御相判衆として幕府に、ひいては足利義輝へ仕えるようになる。 だが足利義輝が討たれると、細川藤孝らと共に覚慶に仕えたのであった。
つまり彼は、元をただせば佐々木六角家の一族である。 よって、義頼や六角承禎らに救援を要請するに十分な存在であった。
何はともあれ、義頼の元には家臣の和田信維からの知らせが届く。 それから間を開けずして、仁木義政からの書状が届いた。 すると義頼は、六角承禎からの指示にあった通り要請を受けるべく行動を起こす。 まず長光寺城には、馬淵建綱を残して城代とする。 そして自らは、筆頭家臣の蒲生定秀と和田惟政から要請のあった和田信維を伴って長光寺城を出た。 行き先は、覚慶の居る甲賀郡の和田城である。 和田惟政は覚慶を迎えるに当たって、屋敷として一つの城を提供したのだ。
この屋敷は実のところ、和田惟政の居城である和田城にある幾つかの支城の一つである。 その覚慶に提供された館へと訪れた義頼は、即座に覚慶の元へと通されたのであった。
「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます。 六角承禎が弟、六角侍従義頼と申します。 後ろに控えますは家臣の蒲生定秀、それと和田信維にございます」
「拙僧が一乗院覚慶である。 して侍従、六角家は味方してくれるのであろうな」
「御意。 某は、六角中務大輔の名代として参りました」
「そうかっ! 足利家再興の為、確と頼むぞ」
「はっ」
その後、覚慶への目通りが済んだ義頼は、その足で観音寺城へと赴く。 そこで、六角承禎と六角高定、そして六角義治に目通りを願い出た。 すると先日とは違い、直ぐに三人と会う事が叶った。
先日と今日のこの差は何だろうと内心で思いながらも、義頼は三人と会う。 そこで彼らに、覚慶と面会した事と救援の要請を受託した件を告げた。
すると、六角承禎と六角高定は義頼の対応を追認する。 しかし六角義治が、不機嫌そのものといった表情を浮かべていた。
「義治は不服なのか」
「……今更、不服など言いはしない。 但し、覚慶様を観音寺城に迎えるのはどうあっても反対だ!」
六角義治の言葉を聞いて、六角承禎と六角高定は苦笑し義頼は驚いた。
そんな二人の態度から六角義治が頑なに反対している事情を知っていると判断した義頼は、まず二人へと尋ねる。 するとその問いには、苦笑を浮かべたままの承禎が口を開いた。
「仕方あるまい。 これが義治の示した譲歩だからな」
六角承禎からの言葉に義頼は、六角義治が将軍家の者を迎え入れる事に反対している事を思い出す。 その事を思い出すと義頼は、苦笑を浮かべるのであった。
「なるほど……そちらの事情は分かり申した。 となれば高定、どこに覚慶様をお迎えするのだ?」
「その事なら、父上とも話し合った。 矢島に館を建ててそこにお住まいになっていただく。 建築資金はこちらが出すが、普請は義頼に任せる」
「承知した」
その後、観音寺城を出て長光寺城の麓にある自らの館に義頼は一度戻った。
明けて翌日、身嗜みを整えると彼は、愛馬に跨り長光寺城を出立する。 護衛の者達と共に、甲賀郡の覚慶の元へと向かった。 そこで面会を願い出ると、即座に義頼は覚慶の居る部屋に通される。 そこで義頼は、観音寺城での承禎らと話し合った件を掻い摘んで説明した。
大雑把に説明した理由は、いわずもがな六角義治である。 流石に義治が覚慶の受け入れに難色を示しているなど、本人へ告げる訳にはいかなかったからだ。
「矢島のう……観音寺では駄目なのか」
「兄や甥達は、一乗院門主様と居を同じにするなど怖れ多いとの事です」
「ならば致し方無い。 侍従、後は任せます」
「御意」
義輝の仇討ちと次代の将軍になる為に、覚慶は南都興福寺一乗院から脱出したのである。 その為にも、ここで後ろ盾となる六角家との仲をこじれさせる訳にはいかない。 そう判断した覚慶は、六角家の意向を受け入れる事にしたのであった。
此処に義頼は、覚慶の住まう事となる新たな屋敷造りを始めた。
その建築を始めてから半月程した頃、義頼の元に嬉しい知らせが届いたのである。
「何? 本多弥八郎殿が招聘に応じるだと?」
「はい」
本多弥八郎とは、三河国出身の武将である本多正信の事だ。
しかしなぜ義頼が三河出身である本多正信の事を知っているのかというと、話は去年にまで戻る。 それは小倉氏の内訌に端を発する【小倉の乱】が起きる一月ほど前、美濃国で起きたある事件に起因していた。
美濃国を治める斎藤家には、竹中重虎と言う男が居た。
彼はその容姿が痩身で女性の様な雰囲気であった為か、家中から侮られていた様である。 斎藤家家臣のある男に櫓の上から馬鹿にされ、小便をかけられたなどと言う話があったぐらいだから相当な物であろう。
だが竹中重虎は相当に能力が高い男であった為、とんでもない方法で意趣返しをしてみせたのである。 何と彼は、義父の安藤守就と諮り僅か二十名弱の手勢で主君である斎藤龍興の城である稲葉山城を落として見せたのだ。
稲葉山城は、斎藤龍興の祖父である斎藤道三が改修して更なる堅城としている。 その堅城振りは、近隣国でも有名であった。 その城を僅かな日数と兵数で落としたと鵜飼孫六からの報告で知った義頼は、自分の家臣にもその様な人材を置こうと調べさせたのである。 やがて松永久秀から、非常の器と評された男が居るとの報告が上がって来る。 その者こそ、本多正信であった。
彼の存在を知った義頼は、密かに内貴伊賀守へ接触を命じる。 それは彼を家臣として招聘する為であったが、その招聘を断られてしまった。 それでも義頼は、一度断られたくらいでは諦めず何度も勧誘を行う。 だが、いまだ勧誘は成功してはいなかったのだ。
「とは言え……ここに来て急に応じるとは、何かあったのか?」
「本多殿が、松永家を出奔した為だと思われます」
本多正信が、急に松永家を出た理由は分からない。 足利義輝を討ったことに対する抗議の為とか言われているが、正確には誰も分かっていなかった。 だが、義頼にはそんな事どうでもいい。 本多正信が招聘に答えたという事実こそが、重要だったからだ。
「では、本多殿はこちらに向かっているのだな?」
「はっ。 途中、甲賀の我が館に宿泊致しますので、到着はその翌日になるかと」
「そうか。 礼は尽くしてくれ」
「御意」
やがて長光寺城の麓にある義頼の館に、内貴伊賀守に案内された本多正信が現れる。 到着を今か今かと待ちわびていた義頼は、早速正信と面会した。 部屋に入ると義頼は、本多正信の下手に座る。 その事に対して何か言おうとする彼を制すると、まずは自己紹介を始めた。
「お初にお目に掛かる本多殿。 某は、六角侍従義頼と申します」
「これはご丁寧な挨拶、痛み入ります。 拙者、本多弥八郎正信と申す牢人にございます」
お互いの自己紹介を兼ねた挨拶をした後、両名はそれ以上何も言わずにお互いの目を見続けた。
静かな部屋の中に、張り詰めた糸の様な緊張感が漂う。 それはまるで、お互いを見極めようとしているかの様でもあった。 そんな静かな緊張感が暫く部屋の中で暫くお互いを見ていた義頼と本多正信であったが、やがて義頼に対して問い掛けたのである。
「侍従(六角義頼)様。 一つお聞かせ願いたい」
「何か?」
「侍従様は先年の中頃より、拙者に接触して参りました。 その理由についてでございます」
「理由は至極簡単、その方の様な才を持つ者が臣に欲しい。 ただそれだけの事だ」
「……才ですか。 拙者、元は鷹匠ですぞ」
「貴公がどの様な出自なのか、そんな事など関係ない! 俺は、本多弥八郎正信という才ある男を我が家臣に迎えたいだけだ!!」
この言葉に、本多正信は面を喰らった。
例え先年より勧誘があったとしても、初対面の男にここまで買われているなど思ってもみなかったからである。 少しの間呆気に取られた本多正信だったが、ゆっくりと立ち上がると義頼の更に下手へ移動する。 そこで再び座ると、仕えている主君へ謁見でもしているかの様な雰囲気で平伏した。
「そこまで買われているのであるならば、それは男冥利に尽きると言うもの。 この本多弥八郎正信、侍従様……いえ殿にお仕え致しましょう」
こうして本多正信は、義頼に仕える事になった。
当初義頼は、自らの近臣として迎えようと考えていた。 しかしそれは、筆頭家臣である蒲生定秀に止められてしまう。 まさか彼が反対するとは思っていなかった義頼は、面を喰らいながらも理由を尋ねる。 すると蒲生定秀は、確りと義頼の目を見て自ら懸念している事案を告げた。
何も蒲生定秀は、嫉妬などと言った小さな事で反対した訳ではない。 彼は新参者をいきなり近臣へ抜擢した際に起きるかもしれない反発から発生するであろう家内不和を恐れたのだ。
新参者が、何の手柄も無くいきなり近臣となれば必ず妬む者が出て来る。 その事を、警戒していたのだ。 この事を懇々と諭されその可能性を理解した義頼は、本多正信を呼び出す。 そして彼に事情を説明し謝罪した上で、本多正信を御伽衆として迎え入れたのである。 この措置は、本多本多正信が参謀として義頼の傍で定秀とともに支える為の措置であった。
さらに義頼は、子飼いの甲賀衆を除いた他の甲賀衆を正信につける。 忍びとしての側面も持つ甲賀衆を付けた理由は、彼に家中内外の情報を司らせる為なのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。