第八十六話~河内国と大和国の情勢~
畿内の情勢2です。
第八十六話~河内国と大和国の情勢~
織田信長に反旗を翻した足利義昭からの要請に同調して兵を挙げた石山本願寺勢が、塙直政率いる兵を淀古城へと追いやり不利な戦況をやや優位とした頃、泉南にある岸和田城にて動きがあった。
この城は元々、松浦信輝が居を定めていた城である。 その松浦家だが、彼の家は和泉国の国人であると同時に守護代の家系であった。 しかし和泉国へ入った三好康長が岸和田城に居城を定めると、彼は黙って城を明け渡したのである。
何ゆえ松浦信輝がそうも簡単に城を明け渡したのかと言えば、それは彼の出自に関係している。 そもそも信輝は、松浦家の人間であった訳ではない。 彼は、三好長慶の弟であった十河一存の三男だったのである。 嘗て和泉国を押さえた三好家が、領地経営の一環として和泉守護代を代々務めていた松浦家へ養子を送り込んだのだ。
丁度松浦家でも嫡子が亡くなっていた事もあって、当時の松浦家当主であった松浦守はこの申し出を受け入れている。 但し、当時の三好家と松浦家の力関係を見れば断れる申し出でもなかったのだが。
何であれ松浦家の嫡男となった松浦信輝は、戦の中で亡くなった松浦守の後を受けて松浦家の家督を継いだのである。 その様な経緯もあった事もあり、松浦信輝は三好一族である三好康長の家臣入りをしたのであった。
「さて信輝、兵は揃っておるのだな」
「はっ。 問題ありません」
「そうか。 ならば飯盛山城の遊佐信教へ、高屋城への出陣を促す書状を出せ。 また、我らも高屋城へ出陣する」
「御意」
遊佐信教とは、畠山家の重臣筆頭を務めている男である。 その信教に対して、何ゆえに康長が出陣を促す事が出来るのか。 その理由は畠山家、正確には畠山尾州家で起きている家中の主導権争いにあった。
その話はと言うと、それは信長が上洛してから間もない頃まで遡る事となる。
当時の畠山尾州家の当主は、畠山高政が務めていた。 しかしながら高政は、遊佐信教と安見宗房の連合に対立してしまい家中の実権争いに敗れてしまう。 すると彼は屈辱ながらも隠居を余儀なくされた上に、畠山尾州家より追放されてしまう。 そして彼の代わりに、いわば傀儡として畠山尾州家を継いだのが高政の弟となる畠山昭高だった。
しかしその昭高も、この傀儡という立場に甘んじていた訳ではない。 彼は時間を掛けて家中に味方を少しずつながらも増やし、畠山尾州家の実権を握った信教に対抗しようとしていた。
だがそれでも足らないと判断した昭高は、織田信長にも接近している。 彼は信長の妹を妻として娶り、織田家の力をも己の後ろ盾にしようとしたのだ。
そんな昭高の動きを、信教が受け入れる筈もない。 彼が畠山尾州家の実権を握るまでに相当な苦労をしたからだ。 そこで遊佐信教は、昭高の兄である高政と同様に当主から排除する必要を感じる。 その様な信教の動きを敏感に察した康長は、秘かに彼へ近付いたのだ。
康長は信教に繋ぎを取る為に、家臣の森九兵衛を使者とする。 信教としてもこの話は悪いものではなく、九兵衛との会談を設定する。 首尾よく面談が叶うと、彼は主君である三好康長からの書状を差し出す。 受け取った書状を最後まで目を通した信教は、分かっている事ながら敢えて口に出して九兵衛へ確認した。
「ほう。 孫七郎(三好康長)殿は、拙者に力を貸して下さるとそう言われるのか」
「然り。 あろう事か畠山昭高殿は、公方(足利義昭)様を蔑にする信長の妹を嫁に致した。 これは公方様のお味方である我が主としても、到底看破出来る事ではありませぬ」
「なるほどのう」
無論、九兵衛の言っている事など、ただの建前でしかない。 康長の本音にあるのは、昭高を討ち高屋城を手中にする事である。 この城は河内国の南部を抑えるに都合がよく、ゆくゆくは河内半国の奪取を考えている康長としては絶対に抑えておきたい城なのだ。
そしてこの康長の考えは、当然だが信教も感じ取っている。 しかし彼の目的は、先ず畠山尾州家を掌中の珠とする事にある。 その為には昭高の存在は、邪魔でしかない。 そしてその一点において、康長からの提案は信教が受け入れる理由となり得たのだ。
勿論、何れは敵対するかもしれない……いや、恐らくなるであろう。 しかしながら昨日の敵が今日の友となり、そして明日の敵になるなどこの戦国の世ではさして珍しい事でもない。 生き馬の目を抜く様な油断ならない時勢において、油断した方が悪いのだ。
「如何でしょう、河内守(遊佐信教)殿。 我が殿の御好意、受け入れていただけましょうか」
「……いいでしょう。 孫七郎殿には、「よしなに」とお伝え下され」
「はっ」
こうして何時壊れるとも分からない同盟を組んだ三好康長と遊佐信教は、足利義昭からの檄文を契機として高屋城へと兵を向けたのである。 三好康長は岸和田城から遊佐信教は飯盛山城から出陣したかと思うと、高屋城近くにて一度合流する。 そして彼らは、事前の話し合い通りに康長は大手門側へと布陣を行い、信教は搦め手側へと布陣をしたのだった。
この敵勢を見た畠山昭高は、怒りのあまり怒髪天を衝いたと言われている。 だからと言って、怒りのままに打って出て行こうとはしなかった。 彼とて、この戦国の世にありて今まで生き抜いてきた男である。 短慮が碌な事にならないのぐらいは、理解していたのだ。
不本意ながらも敵勢に取り囲まれてしまった昭高は、籠城を選択する。 何せ援軍については、一つ心当たりがあるからである。 その心当たりと言うのは、言うまでもなく織田家であった。
確かに織田信長も軍勢を引き連れて遠江国へ出陣しているが、彼がこの足利義昭の挙兵を放っておくとは思えない。 間違いなく、手は打ってくるだろうと思えたからだ。
但し、問題が一つある。 それは何時になったら救いの手が来るかが分からない事である。 とは言え、手持ちの兵力では籠城が精一杯でしかない。 できるだけ時間を稼ぎ、信長または彼の命を受けた織田家の軍勢が到着するのを待つしか手がないのが実情なのだ。
何であれ康長と信教に急襲された昭高であったが、それでも高屋城に篭城する事は成功したのである。 しかしながら前述した様に、それは何とか篭城出来たと言う状態に過ぎない。 康長と信教が率いる多数の兵に城を取り囲まれたとあってはひたすらに門を固めて援軍の到着を待つか、若しくは一か八か運を天に任せて城より脱出する他ないと言う有様であった。
「かろうじて篭城する事は出来たが、このままでは何処まで持たせる事ができるのやら……それにしても正治め、あ奴も裏切ったのか?」
昭高が、南方を見ながらそう独白した。
実は彼が目を向けた高屋城の南方には、畠山尾州家重臣を務める甲斐庄正治が入る烏帽子形城がある。 しかしながら泉南に勢力を持つ康長の兵が高屋城まで押し出している事を考えれば、落城したかそれとも包囲されて動けない。 若しくは、昭高を裏切り康長の軍門に下ったのかの何れかであろう。 そして現状を鑑みた昭高は、甲斐庄正治が城を明け渡して軍門に下ったとみたのだ。
因みに正治は、裏切ってもいないし三好康長の軍門にも下っていない。 昭高同様に奇襲を掛けられ、烏帽子形城の釘づけにされて二進も三進も行かなくなってしまっていたのだ。
そんな事など露も知らない昭高は、烏帽子形城の事など頭から追い出す。 それよりも、己自身の事をどうにかせねばならないのだ。 とは言っても、兵力が違いすぎてどうしようもない。 これはもう覚悟を決めねばならないかと内心で思い始めた矢先、家臣の清水元好が息せき切って現れた。
その尋常ならない様子に昭高は、城攻めがいよいよ始まったのかと考える。 だが元好が昭高に届けた報告は、彼にとってまさに予想外の言葉であった。
「元好! 慌てて如何した!! もしや、敵が動いたか!?」
「違います! 城より脱出が可能になるかもしれません! これをお読みください!!」
そう言いながら清水元好が差し出した書状は、彼が力を込めて握っていたらしくしわが目立つ状態となっている。 だが、読めない訳ではない。 昭高は元好の告げた言葉の意味を考え訝しげに眉を寄せながらも、彼の差し出された書状に目を通した。
何とその書状を出したのは、若江城に居る三好義継である。 しかもそこには、高屋城の救援に赴く旨が記されている。 これは完全に想定していなかった相手からの救援であり、昭高としてもいささか混乱してしまった。 しかし攻められている訳でもなく救援要請も受けていない三好義継が、何ゆえに高屋城へ救援の兵を出す気になったのか。 それは別に義侠心などでは無く、純粋に自身の都合であった。
そもそも義継は、武田家の情報を手土産に松永久秀から離れると本当の意味で織田家に付いていた。 しかしながら、それだけでは織田家に対して働きが足りないのではないかと考えていた節がある。 そんな時に起こったのが、今回の足利義昭による挙兵であった。
その事を知った義継は、直ぐに三人の重臣を呼び出す。 やがて義継の前に現れたのは池田教正と多羅尾右近、そして野間長前と言う通称若江三人衆とも呼ばれる者達であった。 義継は彼らが揃うと、早速とばかりに義昭の挙兵について伝える。 その上で、織田家に付いた三好家の者として何か出来る事はないかと問い掛けたのだ。
そんな義継の言葉に、若江三人衆は、揃って驚きの表情を浮かべる。 それと言うのも、その件について正に三人が揃って義継へ進言しようと考えていたからであった。
「殿。 その事は、我らも考えておりました」
「そうか。 と言う事は、何か考えもあるのだな」
「はい。 不謹慎な物言いとなりますが、信長公の妹婿である左衛門督(畠山昭高)殿が三好康長と畠山家を裏切った遊佐信教に奇襲されているとの報告が上がって来ております。 そこで、左衛門督殿の救援を行えば宜しいかと」
「なるほど。 左衛門督殿への救援か……ふむ、悪くは無いな。 よし! すぐに使者を出せ! それと同時に兵を整えよ。 何としても、左衛門督殿を高屋城より救出するぞ!」
『御意!!』
こうして三好義継は救援に赴いた訳だが、その相手と言うのは今まで三好家が幾度となく対立した畠山尾州家である。 それであるが故に書状を受け取った昭高も、本当に救援の部隊が現れるのかとやきもきしてしまう。 しかしながら、その心配も杞憂に終わる。 書状が届いてより二日後、三好義継率いる軍勢が高屋城の近くに現れたからだ。
彼は布陣もそこそこに、一気呵成に三好康長と遊佐信教の軍勢に向けて攻撃を仕掛ける。 ここにきてまさかの援軍の登場、しかも三好義継の軍勢という事もあって康長も信教も慌ててしまったのである。 そんな敵勢の動揺は、高屋城にて籠城している畠山昭高からも見て取れた。
「今こそ、打って出る。 敵なぞに構うな、左京大夫殿の軍勢に合流する事が我らが至上の命題と心得よ!」
『おおー!!』
「門を開けよ!」
三好義継の軍勢が攻撃を仕掛けた事で混乱が生じている三好康長と遊佐信教の軍勢に対して、高屋城に籠る畠山勢全軍が打って出る。 丁度、前後に挟まれた軍勢は、混乱の度合いを増してしまう。 その為、少数でしか無い昭高以下の兵を止める事も出来ない。 易々と、とはいかなかったがそれでも昭高は敵軍を貫き通すと義継の軍勢と合流する事に成功していた。
すると義継は、昭高と共に居城の若江城へと撤収に入る。 彼に取りあくまで昭高の救出が目的の出兵であった為、目的を達すると早々に兵を引いたのだ。
野間長前を殿として、康長と信教の追撃をかわした義継。 彼は無事に、昭高を伴って居城の若江城へと帰城した。
「左京大夫殿、感謝致します」
「お気になされる事はない、左衛門督殿。 して、これからだが……」
「その事であるが、拙者は交野城に向かおうと考えている」
交野城は別名私部城といい、畠山家家臣で嘗て松永久秀に誘殺された安見右近が死の直前に完成させた城である。 その交野城だが、安見右近と同族で畠山家重臣でもある安見新七郎に預けられていた。
そして彼が交野城を選んだ理由も、まさにそこにある。 敵となっている足利義昭の元には松永久秀がおり、その者に同族を殺された安見新七郎が同調するとは、到底考えられなかったからである。 その考えは図に当たり、諸手を挙げて昭高を迎える事になるのだった。
但し、この時点では分かっておらず、あくまで昭高の私見であったのだが。
「そうか……分かりました。 多少は兵を融通します故、今直ぐにでも向われるのが宜しかろう」
「重ね重ねの御好意、感謝致す」
すると昭高はその日のうちに若江城を出ると、交野城へと向かう。 そして前述した通り、安見新七郎に諸手を上げて迎えられたのであった。
こうして若江城の義継と交野城の昭高は、高屋城を占拠した康長と信教の軍勢と睨み合う事となる。 そしてこの義継の行動だが、河内国に留まらず隣国の大和国での情勢にも影響を与える事となったのだった。
その大和国にある多聞山城では、義昭の檄文を受けて松永久秀の息子である松永久通が兵を挙げていた。 その動きに反応して、織田方である筒井城主の筒井順慶が兵を揃えると松永久通を牽制し始めた。
だがそうなる事は、久通も十分予想している。 その為、彼は高屋城を抑えるであろう康長や若江城の義継から援軍を募り、順慶の軍勢を蹴散らすつもりでいたのである。 しかし久通の耳に入って来た河内国の情勢は、彼の予想を覆すものであった。
「何だと! それは真か!」
「はい。 左京大夫様が、高屋城主畠山昭高を救出。 そのまま、居城の若江城へと戻ったよしにございます」
「それで昭高は、若江城に居るという訳か」
「いえ。 それが左京大夫様から支援を受け、交野城へ移動した様にございます」
「……完全に目論見が崩れた……これでは、援軍を期待出来ん……」
その一方で、筒井城で兵を整えていた順慶の元へも河内国の情勢は入って来ている。 いい意味で予想外の展開を見せる河内国の情勢に、順慶は意外そうな顔していた。
それも、ある意味では当然であろう。 何せ三好家と畠山家は、過去の経緯から犬猿の仲と言っていい間柄なのだ。 今でこそ同じ織田方として轡を並べる両家であるが、別に仲直りをしたと言う訳ではない。 そんな両家であるにも拘らず、わざわざ兵を出してまで救援を行ったと聞かされた筒井順慶らの態度も分からないではなかった。
「しかし、三好義継がか。 清興、その話に間違いは無いのだな」
「間違いございません。 河内では左京太夫殿と左衛門督殿が、三好康長と畠山家を裏切った遊佐信教相手に睨み合いを演じております」
「ふむ。 なれば此方は、久通だけを気にすればいい。 そう言う事だな」
「はい。 無論、油断はできませぬが」
「当然だ。 河内国の出来事が、実は此方を油断させる為の演技であったのならば洒落にもならんからのう」
「まさしく」
筒井順慶も島清興も河内国の情勢が演技という事は先ず無いだろうと思ってはいる。 思ってはいるが、それでも油断など出来る筈もない。 警戒だけは怠らぬ様、遺漏無く手筈を整えていた。
この様な経緯を経て松永家と筒井家は、大和国にて一触即発の状態で睨み合いを始める。 しかしながらお互いに決め手を欠く状態でもあり、ついには両家とも膠着状態となってしまったのであった。
その様な畿内の動きであるが、忍びを通して遠江国に居る義頼の元へと届けられている。 書状にて畿内での動きを確認した義頼は、その書状を本多正信と三雲賢持へと見せる。 すると両者も義頼と同様、食い入る様に書状を読んでいた。
「これはまた……かなり混沌としましたな」
「そうだな正信。 俺もそう思う。 だが、必ずしもこちらが不利ではないと思うが、どう思う? そなたらはどう見る?」
「……そうですな。 殿の言われる様に、不利と言う訳ではない。 拙者はそう考えますが、新左衛門尉(三雲賢持)殿はどう思われるか?」
「弥八郎(本多正信)殿、拙者もそう思います」
信を置く幕僚二人から自身の考えに同意を得られた義頼は、小さく笑みを浮かべた。
その後、彼は己の直属としてる忍びの中から伴資定を呼び出す。 程なくして現れた彼に義頼は、つい先ほどまで読んでいた畿内での動きが書かれた書状を手渡す。 そして伴資定へ可及的にそして速やかに、浜松城にいる織田信長へ届ける様に命じた。
書状を受け取った伴資定は、了承すると直ぐに義頼の元から辞する。 そのまま一路、浜松城へ向けてひた走ったのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




