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第八十五話~阿波三好家と石山本願寺~

畿内の情勢1です。


第八十五話~阿波三好家と石山本願寺~



 阿波国、勝瑞城。

 この城は、阿波三好家の居城である。 元は阿波国の守護所であり、嘗ては阿波細川家が代々居城としていた。

 しかし、阿波細川十一代目(実質には九代目)当主の細川持隆ほそかわもちたかが、突如阿波細川家重臣であった三好家と敵対する。 その理由ははっきりとせず、一説には増大する三好家の力に危惧を抱いたからだとも言われているが定かではない。

 何であれ阿波細川家と三好家が対立した事に変わりがなく、その権力闘争に敗れた細川持隆は見性寺に幽閉されてしまった。 その後、阿波細川家の家督は嫡子の細川真之ほそかわさねゆきが継承する。 これは三好家が体面を整える為の物でしかなく、後に細川持隆は幽閉されていた見性寺にて謀殺されてしまった。

 此処に阿波国は細川家の手を離れ三好家の物となり、同時に勝瑞城の実質の城主が三好家に取って代わられたのである。 名目上の城主は阿波細川家当主の細川真之だが、真之と本当に阿波細川家に忠誠を誓っている数少ない家臣以外は三好家の本拠であると認識していた。

 その勝瑞城の一室で政務を行っていたのが、篠原長房しのはらながふさである。 彼はまだ年若い三好長治みよしながはるを補佐し、事実上の阿波三好家の宰相として家を支えていたのだ。


「殿(篠原長房)、大殿(三好長治)宛てに公方様からの書状が届きました」

「……この様な時に、か。 分かった、殿にお知らせする」

「はっ」


 槇島城で兵を挙げた足利義昭あしかがよしあきからの書状が届いた事を聞いた篠原長房は、思わずうんざりといった表情を浮かべてしまう。 それと言うのも、今阿波三好家ではある問題を抱えていたからだ。

 その問題とは、家中で起きている篠原長房排斥論と言っていい雰囲気である。 この傍らで阿波三好家家中に突如起こった自らに対する不平を抑える為に、彼は通常の業務を行う傍らでそれこそ東奔西走しているのだ。

 しかもこの家中に起きている不平だが、仕掛けられた可能性が高い。 そしてその仕掛けた相手は、ほぼ間違いなく弟の篠原自遁しのはらじとんであった。

 そもそも何ゆえに弟が兄を追い落とす様な行動に出たのかと言うと、ある女性が発端となっている。 その女性の名は小少将こしょうしょうと言い、阿波三好家当主である三好長治の実母であった。

 彼女の父親は岡本牧西おかもとぼくさいと言い、細川持隆の家臣であった。 その娘が小少将であり、彼女は美貌の持ち主でその美しさ故に主君の目に留まったのである。 すると岡本牧西は、娘の小少将を側室として嫁入りさせた。 主君に望まれて輿入れした事もあり、彼女は細川持隆の寵愛を一身に受けたと言う。 その甲斐あってか、小少将は彼との間に細川真之をもうけたのだ。

 しかしながら持隆は、前述した通りに理由は不明ながら三好家と対立したが為に三好実休みよしじっきゅうによって謀殺されてしまう。 すると今度は、何と彼の妻に収まっていた。

 因みに、父親の岡本牧西も阿波細川家から離れ実休の家臣入りを果たしていた。

 何であれ実休の継室に収まった小少将は、やがて彼との間に三好長治と十河存保そごうまさやすをもうけたのである。

 しかしその実休も、畠山高政はたけやまたかまさとの戦(久米田の戦い)において戦死してしまう。 すると小少将は、何時の間にか篠原自遁と情を通じる様になっていた。

 その事を聞き及んだ長房は、弟に対して主君の母と情を通じる事を諫めたのである。 だがその一件が、自遁と自らの意思で自遁と情を通じていた小少将の癇に障ってしまう。 そこで自遁と小少将は長房を失脚させる為、家中へ不平の種をばら撒いたのだ。

 元々能力が高い長房は、主君の長治から信を置かれていると言う事実がある。 それ故に他の家臣からの嫉妬を知らず知らずに買っていた節があり、不平の種があっという間に成長したというのが実情であった。


「はぁ。 仕方無い、殿にお話しするか」


 本当に渋々といった表情をしながら、篠原長房は足利義昭からの書状を携えて三好長治の元を訪れる。 すると長治は、不機嫌そうな表情をして出迎えた。

 彼が不機嫌なのは言うまでもなく、現在家中で起こっている騒動の理由に長房の存在があるからである。 その為か、それとも自遁が行った讒言のせいか長治の長房に対する信頼は落ち始めていたのだ。 とは言え長房が、下らない理由で面会を求めない事もやはり彼は理解している。 結果長治は、不満そうな表情を崩さないまま長房と面会したのだった。


「何用だ、長房」

「はっ。 公方様からの書状が参りました」

「公方様からだと? もしかしてあの一件か」

「はい。 信長を討つ為の檄文にございます」

「そうか……」


 篠原長房の言葉を聞き、長治は長房ほどではないにしてもやはり嫌な顔をした。

 内訌とまでは行かなくてもかなり不安定となっている家中の現状を鑑みるに、戦など行いたくはないからである。 どの様な形であれ、家中が落ち着いてからとしたかったのだ。

 しかし、だからと言って兵を出せないとは言えないのが口惜しい。 足利義昭との約定が存在している以上、反古にするなど難しいのである。 ましてや足利義昭は将軍であり、その意味でも出陣を断るとは出来なかった。


「殿。 約定があります故、兵を出さぬ訳にはいきませぬ。 それに、何れは毛利家の水軍も現れる筈です、その意味でも出陣をしないなどと言う判断はできません」

「その様な事、言われなくても分かるわっ!」

「これは、申し訳ありません。 して、殿。 如何なさいます?」

「先ほどその方が言った通り、兵を出さぬ訳にはいかん。 何より、漸く裏切り者の首を挙げる時が訪れたのだ。 これを不意にする事など、看破出来ん!」


 不機嫌な表情をひっこめた三好長治が代わりに浮かべた忌々しげな表情のままに言い放った裏切り者とは、安宅信康あたぎのぶやすの事である。 こちらも前述した通り、彼は阿波三好家を見限り織田家に臣従している。 その為、阿波三好家は事実上、海上を渡河する術を失ってしまっていたのだ。

 正確に言えば阿波水軍があるので、海上を渡河できない訳ではない。 だが、阿波水軍と安宅信康が率いる淡路水軍を比べてしまうと軍配は淡路水軍に上がってしまう。 故に海上を無傷で安全な移動をする術はなく、阿波三好家は畿内への進出などもはや無理な状況であった。

 それでなくとも今までは織田信長おだのぶながの存在が近江国にあり、易々と安宅信康の討伐へ動く事も出来ない長治は兵を出すのを躊躇っていた。 しかし今ならばその信長も遠江国に移動しているし、何より味方が多数いる……筈である。 この機を逃せば、次は何時いつ好機が訪れるのか分かったものではないからだった。

 そうなると次に問題となるのが、派遣する軍勢の大将を誰とするかである。  今までならば長治は、大抵長房に任せていた。 しかし現状において長房に兵を預けるのは、いささか心もとない。 以前ほど信用できないと言うのもあるが、一番の理由は家中に流れる長房に対する不満が問題なのだ。

 だからこそ、彼を大将に据えて軍勢を派遣する訳にはいかない。 そこで長治が選んだのは、赤沢宗伝あかさわそうでんであった。 彼は阿波三好家の重臣として、長治の父親である実休の頃より仕えてきた人物である。 しかも赤沢宗伝の妻は実休の姪であり、義理とは言え連枝衆とも言える存在なのだ。

 それに彼ならば、長房としても異論はない。 赤沢宗伝に任せれば、大きな間違いなどまず起きる事もないからだ。 それは即ち、少しでも長房の肩から重しが減る事と同義である。 だからこそ彼は反論する事なく、長治の判断を受け入れていた。

 その後、疲れの滲み出る表情を隠そうとせずに長治の前から辞去する長房に対して、流石に彼もやや同情染みた視線を向けた。 しかし彼は軽く頭を振りその事を振り払うと、赤沢宗伝を呼び出す。 程なくして現れた赤沢宗伝に対し、淡路国に本拠を持つ淡路水軍の討伐を命じた。


「宗伝。 そなたは兵を引き連れ、裏切り者の安宅信康を討ち果たせ。 そして毛利が派遣するであろう村上水軍と共に、洲本城を落とすのだ。 俺の前に、信康の首を持って来い!」

「御意」


 こうして主君より兵権を預けられた赤沢宗伝は、安宅信康の居城である洲本城を攻める為に兵を整えて行った。



 さて丁度その頃、共同歩調を取る事となっている毛利家からは村上吉充むらかみよしみつが率いる村上水軍が出港している。 彼らが向かう先は、赤沢宗伝と同じく洲本城であった。

 こうした阿波三好家の動きと毛利家の命を受けた村上水軍の動きは、当然ながら洲本城の安宅信康の元へと届けられている。 如何に隠そうとも、軍勢の規模が大きくなればなるほど隠し通すなど不可能だからである。 阿波三好家だけでなく毛利家まで動いたというまさかの情報であったこともあり、安宅信康は驚愕を露にしていた。


「何っ!? 村上水軍だとっ!!」

「はい。 どうも彦二郎(三好長治)様の命を受けた宗伝と同調している様にございます」

「くっ! 宗伝が率いる軍勢だけなら、まだどうとでも出来る。 しかし、村上水軍まで出て来られては如何ともしがたい。 陸と海からの挟み撃ちをされては、城が持たぬぞ!」

「まさしくその通りですな。 して、如何いかがなさいます?」

「……致し方ない、景直。 城を捨て、脱出するぞ」

「はっ」 


 このまま篭城しても勝ち目が無いと判断した安宅信康は、村上水軍の報告をして来た船越景直ふなこしかげなおへ城を捨てる旨を伝える。 その後、信康は自らに同調した淡路水軍の者達と共に堺奉行を務める松井友閑まついゆうかんを頼った。

 このいきなりの訪問に、松井友閑は眉を寄せる。 安宅信康と供周りの者だけならばまだしも、彼が軍勢を率いて現れたのだからそれも当然であろう。 その問いに対して安宅信康は、苦虫を噛み潰したような表情をしたまま返答していた。


「……三好家の赤沢宗伝、及び村上水軍来訪の知らせに捲土重来けんどちょうらいを期して城より落ちました」

「何ですと? 毛利が! むう……分かり申した、すぐに殿へとお知らせする」

「お願い致す」

「それと……当然ですが貴公も水軍も働いて貰いますぞ」

「無論、村上水軍はお任せあれ」


 この信康の判断がいい判断だったのか、それとも違った判断だったのか実のところ判別が難しい。 と言うのも、信康率いる淡路水軍が堺へ落ちた頃、石山本願寺が動いたからであった。

 その石山本願寺だが、いささか動きが鈍らされている。 それは信長が石山本願寺に対して、兵糧攻めと言う手立てで対応していたからだ。 勿論、戦がないと言う訳ではない。 だが傾向としては戦を仕掛けると言うより、石山本願寺が抱える物資等の消耗を助長させる事を目的とした小競り合いを織田家側が強いる展開であったのだ。

 この為、陸上においては補給が難しかった石山本願寺なのだが、別に補給の道は陸にだけにある訳ではない。 海上からの補給もあり、その海上もその頃では三好家に属していた淡路水軍が抑えていた為にやや片手落ちといった雰囲気となっていた。

 しかしながら、安宅信康率いる淡路水軍が織田家に従属した事で状況は一変してしまう。 淡路水軍の従属が成ると、信長は即座に淡路水軍を動かして海上からの兵糧や武器弾薬など石山本願寺への運び込みを阻害させたのだ。

 これにより陸上に続いて海上からの補給も難しくなった石山本願寺は、いよいよ追い詰められてしまう。 勿論「今すぐにでも兵糧や武器弾薬が尽きる」などといった切羽詰まった状況では無い。 だが、地味に石山本願寺側へ陸路と海路の封鎖を行った影響は出始めていたのだ。 


「おのれっ! 信長め。 長島の再現か!?」


 あまり士気が上がらない味方の様子に、顕如けんにょが言葉を漏らした。

 織田家により奪われた長島から逃げ出した一向衆の中には、石山本願寺へ合流を果たした者もそれなりにいる。 その者達から、長島での顛末を聞き及んでいたのだ。


「どうでしょう。 もしかすると、此方が先かもしれませぬな」

「頼照……どちらが後先など、今となってはどうでもよい。 問題は、如何にしてこの状況を打破するかだ」

「確かにその通りでござ「顕如様、宜しいでしょうか」い……」


 顕如の問いに下間頼照しもつまらいしょうが答えている最中、部屋の外より声が掛かる。 部屋の外から声を掛けて来たのは頼照の息子、下間仲孝しもつまなかたかであった。

 何用かと顕如が、下間仲孝を招き入れる。 そこに父親がいた事に驚いた彼であったが、それも一瞬であり仲孝は静かに法主たる顕如の前に進み出ると、懐より一通の書状を差し出す。 それが、足利義昭より顕如へと宛てられた書状であった。

 書状を受け取った顕如は、中を開き読み始める。 すると彼の表情は、徐々にではあるが笑みが浮かび始めていた。

 急に薄っすらと笑みを浮かべ始めた顕如に対し、頼照と仲孝の親子は揃って尋ねている。 すると顕如は笑みを浮かべたまま、義昭からの書状を二人に見せていた。


「これは……協力要請ですか」

「そうだ。 これこそ、正に天佑。 公方様と協力し、織田を畿内より追いだすのだ」

『なるほど』

     

此処に本願寺は、再び足利義昭の味方となった。

 兵を挙げるに当たり顕如は、手始めに織田勢を油断させる意味あいも含めてただひたすらに門を閉じて石山本願寺に籠る。 それはまるで、貝が己の殻に閉じこもる様であったと言う。 こうして籠城の様な体を見せ打って出て来なくなった石山本願寺勢に、織田勢はいささか油断してしまう。 その隙を見た顕如は、今まで溜めた鬱憤を晴らすかの様に門徒へと檄を飛ばした。 


「今こそ反撃の時! 我らを包囲する織田勢を駆逐するのです!」

『おおー!!』


 顕如の檄に、今まで我慢を重ねた一向衆門徒が弾けた様に呼応する。 彼らは坊官の下間頼廉しもつまらいれんの指揮の元、織田勢の大将である塙直政ばんなおまさへと襲い掛かって行った。





 いきなり石山本願寺から響いて来た鬨の声を聞き直政は家臣に誰何するが、答えられる訳がない。 そこに、将が一人飛び込んで来た。 本陣へ現れたのは、狛綱吉こまつなよしである。 彼は元々山城国の国人であったが、信長が義昭を奉じて上洛して来ると本貫地の安堵を引き換えに織田家に従属する。 そして対石山本願寺戦を行うに当たっては、直政へと付けられたのだ。


「く、九郎左衛門(塙直政)殿!」

「左京亮(狛綱吉)どうした、その様に慌てて」

「本願寺の奇襲にございます!」

『何だとっ!!』


 直政とて、本願寺勢を侮っていた訳ではない。 しかし此処暫く大人しかった為、油断していないとは言い切れない節がある。 彼は正に、そこを突かれてしまったのだ。

 その動きは尋常ではないらしく、最前線は突破されていると言う。 しかも、士気が異様に高い。 彼らは数の利を頼みに、ひたすら真っ直ぐに本陣を目指している。 このままでは遠からず、本陣まで到達してしまう可能性が高かった。

 そこで綱吉は、直政へ撤収するべきとの進言を行う。 その言葉に悔しさを露にしたが、叔父の塙安弘ばんやすひろからの言葉に、直政は撤退を決意した。 彼が撤退先と選んだのは淀古城である。 この城は、木津川と桂川と宇治川が合流する地点に建てられた天然の要害であった。

 その淀古城を与えられていたのが、岩成友通いわなりともみちである。 信長は彼が降伏すると、この城を与えている。 その代わりに友通は、石山本願寺との戦いに駆り出された。 その意味もあり、信長は友通へ淀古城を与え対石山本願寺の拠点の一つとしていたのだ。

 例え石山本願寺との戦に対する備えであったとしても、城を与えられた事に彼は痛く感謝している。 それを証明するかの様に友通は、義昭から書状が届いても即座に断っていた。

 そんな友通であったが、彼は直政から尋ねられるとすぐに了承している。 すると直政は、友通に一つ頷いてから全軍に撤収を命じた。


「全軍、退却! 淀古城まで兵を引き、体制を立て直す!!」


 この退却をもって織田勢に押し込まれていた石山本願寺勢は、これを機に逆に敵を押し返す事に成功する。 これにより石山本願寺は、漸く一息ついたのであった。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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