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第八十四話~畿内へ~

義頼、転戦します……忙しいなぁ。



第八十四話~畿内へ~



 後に【三方ヶ原の戦い】と呼ばれる様になる戦が終わってからも織田家と武田家の両軍勢は、対陣を続けていた。

 しかしその実、両陣営の様子は全くの間逆である。 織田勢を率いる織田信長おだのぶながが武田勢に対して数日、それこそ毎日の様に挑発をしているのに対し、相手の武田勢はと言えば不気味なぐらいに沈黙している。 はっきりと言えば、応じる様子が垣間見られないのだ。

 その様な最中さなか、義頼旗下の甲賀衆と伊賀衆などと言った織田家に所属する忍びら、そして徳川家配下の伊賀衆もそれこそ躍起になって武田家の情報を得ようと試みていたのだが、どちらの勢力にも捗捗はかばかしい結果は得られていなかった。


「そうか。 未だ詳しい事は分からず……か」

「はい。 三ツ者の警戒がとみに厚く、真に申し訳ございません」


 義頼へ報告しに現れたのは、甲賀衆筆頭を務める望月吉棟もちづきよしむねである。 しかし彼は、未だ情報が得られていない事に平伏して詫びを入れている。 だが義頼は、文句を言うどころか吉棟へ顔を上げさせると忍び衆の働きに対してねぎらっていた。

 甲賀衆や伊賀衆が手を抜いていない事など、はなはだ十分に承知している。 彼らは持てる力を十全に振るっておのが仕事を全うしようとしているのだから、義頼からしてみれば文句など有ろう筈もなかったのだ。

 何より情報を重要視する義頼に取って、忍び衆の存在は欠かす事が出来ない。 ゆえに無理を行う事は仕方がないにしても、無茶だけは絶対にして欲しくはない。 それが例え、主君である信長の命であったとしてもだ。

 だからこそ義頼は、労いの後にその事について注意をしていた。


「吉棟。 重ねて言うが、無茶などはするな。 そなたたちが齎す情報なくして、我らは成り立たん」

「殿……はっ!」

「では、引き続き頼む」

「御意」


 その注意に、吉棟の胸と目頭が熱くなった。

 武士の中では、忍びのわざや忍びの存在そのものを忌避したりする者が居る。 中には下賤げせんの者と嘲る輩も居るのである。 その様な中にあり、幾ら家臣であるとは言え近江源氏の宗家となる六角家当主が労い心配までしてくれている。 例え義頼が以前からそうであったとしても、他家での扱いを聞き及んでいるからこそ余計にそんな思いが強かったのだ。

 その後、微かに喜色の色を浮かべつつ吉棟は部屋より消える。 そして部屋に一人残った義頼はと言うと、異様な程の静けさを見せている武田家に思いを馳せた。 しかしてその最中さいちゅうに、小姓から本多正信ほんだまさのぶの来訪が告げられる。 丁度いいと義頼は、おのれが知恵袋たる正信の入室を許す。 だが部屋に入ってきた彼の浮かべている表情を見て、訝し気に眉を寄せた。

 その理由は、彼の浮かべている表情が微妙に硬いからである。 あまり接した事のないものならば分からないかも知れない変化ではあったが、彼は義頼自身が望んで引き入れた家臣である。 僅かな違いにも敏感に気付いて見せたのだ。

 その様な表情を浮かべている事から、何か良くない報せでもあったのかと訝しみながら訪ねる。 すると正信は、硬い表情を崩さないまま義頼へ二通の書状を差し出していた。

 誰からかと思えば、差出人は甥の大原義定おおはらよしさだと兄の六角承禎ろっかくしょうていである。 何で二人からとの思いを隠さずに正信から手紙を受け取ると、取り敢えず承禎の書状を読み始めた。

 その書状を読み進めていくうちに、義頼の表情は強張って行く。 しかしながら、それも仕方がないだろう。 承禎の書状によれば、何と京で足利義昭あしかがよしあきが兵を挙げ織田家に反旗を翻したと言うのだ。

 以前、義昭から調略を掛けられたのでその様な事態もあるかもしれない……いやあるだろうとは思っていた義頼であったが、だからと言って衝撃を受けないと言う訳ではない。 思わずと言った感じで正信に目で真なのかと問い掛けると、彼から頷かれる事で肯定されてしまう。 その反応に目を瞑り天井を仰いでしまった義頼であったが、今は内容の確認が大事と思いを切り替えると、引き続いて義定の書状に目を通す。 そこには、承禎の書状より具体的に義昭の蜂起について記されていた。



 事の起こりは、織田家の出陣にあった。

 信長が軍勢を率いて岐阜城からいなくなると高みの見物を気取っていた足利義昭が、以前義頼と信長が対面した時に漏らしていた懸念通りいきなり動きを見せたのである。 彼は事実上側近扱いとしていた松永久秀まつながひさひでを呼び出すと、この隙に兵を挙げると言い出したのだ。

 義昭よりそう告げられた久秀あったが、その言葉には驚きを表してしまう。 何せ以前の軍議で、兵を挙げるのは遠江国で武田家に織田家が敗れてからと決まっていたからだ。 それであるにも関わらず、義昭は決着もついていないうちに兵を挙げると言い出したのである。 兎にも角にも久秀は、何ゆえにその様な事を言い出したのかを確認する事にした。 


「しかしながら公方様、まだ織田と武田の決着はついておりませぬぞ」

「久秀、あの武田が織田如きに負けると思うのか? 否、負ける訳が無い」

「それは……そうかも知れませぬが……だからと言ってそれは、あまりにも短絡的ではありませぬか?」

「何を申すか! 今こそが、絶好の好機であろう。 動くに動けない信長ずれに対して東と西で挟み撃ちにすれば、如何にあやつとてただでは済まん」

「むぅ」


 確かに、義昭が言っている事は間違いはないかも知れない。 如何に畿内を抑え強大になった織田家を率いる信長とは言え、東西から挟まれれば危険は大きくなる。 しかも東から攻めているのが、あの武田信玄たけだしんげん率いる甲斐武田家なのだ。 その点を加味して考慮すれば、間違ってはいないのかも知れない。 だが例えそうであったとしても、久秀としてはせめて武田家の勝利と言う形で決着がついてからがよかったのだ。

 しかしながら義昭が、俄然やる気になっている。 此処で反対しても、その反対を押し切って兵を挙げるのは間違いなかった。 それでは最悪、この京で兵が分裂しかねない。 そうなってしまっては、勝てるものも勝てなくなってしまうだろう。 それだけは何としても避けたい久秀としては、同意するしか選択肢は残されていなかった。


「……承知致しました。 では公方様、各地に檄文を送りましょう。 それから公方様には、以前お話した様に槇島城へ移っていただきます」

「うむ。 では二条城は、藤英に任せる。 よいな」

「はっ」


 それから程なく、義昭は幕臣の真木島昭光まきしまあきみつの居城である槇島城へと移動すると、本人としては満を持して久秀からすれば勇み足な挙兵を敢行した。

 また主の消えた二条城には、城代に任じられた三淵藤英みつぶちふじひでと息子の三淵秋豪みつぶちあきひでは勿論だが、その他にも日野輝資ひのてるすけ高倉永相たかくらながすけ、最後に伊勢貞興いせさだおきが残されている筈であった。

 しかし、何故なぜか二条城に輝資、永相、貞興の姿は無い。 その代わりと言う訳ではないのだろうが、この城に居ない筈の者達三名が雁首を揃えている。 その三人とは藤英の弟である細川藤孝ほそかわふじたか京極高吉きょうごくたかよし、それと細川藤賢ほそかわふじかたである。 藤賢は細川典厩家と言う、細川氏の庶流の当主であった。


「さて、兄上。 こと此処に至り、否は最早ないでしょうな」

「ない」


 弟の藤孝からの問い掛けにきっぱりとそう言い放った藤英だったが、決してその表情自体は良くはない。 その理由は、彼が藤孝と高吉と藤賢と共に義昭から袂を分かつ決意をしていたからだ。

 さて何ゆえに藤孝や高吉だけでなく三淵藤英や息子の三淵秋豪、更には細川藤賢まで義昭から袂を分かつのかというと、それは義昭の命を受けて近江国の義頼の元へ赴いた京極高吉が京に戻った頃まで遡る。 高吉から近江国での話を聞いた藤孝はそれから数日後の夜、兄である藤英の元を訪れると彼を説得に掛かったのだ。

 まさか弟からその様な話を持ち掛けられると思っていなかった藤英は、はじめ絶句する。 だがその直後、激昂すると怒りにまかせて刀に手を掛けていた。


「藤孝! うぬは公方様を裏切るのか!!」

「兄上! 先に裏切ったのは、公方様ではありませぬかっ!」

「何っ!!」

「拙者や兄上を含め、京を脱出して以来苦楽を共にした我らをおざなりにし遠ざける。 その上、あろう事か久秀をまるで忠臣の様に扱っておられるのだぞ!」

「…………」

 

 藤孝の指摘に、藤英は何も言えなくなった。

 実際問題として、最近の義昭は藤孝の指摘通りの行動をしている。 藤孝や高吉、藤英などの古参と言える重臣はおざなりに扱う。 それに反して久秀は、まるで寵臣ちょうしんの様な扱いであったのだ。


「御恩無くば奉公は出来ぬ。 そうではありませぬか?」

「…………」

「沈黙は肯定と取りますぞ、兄上」


 すると藤英は、力なく腰を降ろす。 弟の言い分が分かるだけに、強くは出られなくなってしまったのだ。 今更御恩と奉公かと言う訳ではないが、忠節を尽くしているのにその相手からすげなく扱われれば面白い筈もない。 彼らも家臣である前に人なのだからそれも当然だった。

 それでも藤孝などは、何とか織田家と足利家が衝突しない様に手を打っていたのだが、それも最早もはや限界と感じていたのである。 だからこそ義頼から伝言を受けた藤孝は、勝ち目の見えない戦に邁進しようとする義昭にいよいよ見切りをつけたのだ。

 高吉と共に準備を整える一方で、味方を増やしていく。 藤孝が兄の説得に訪れたのも、その一環と言う意味だった。

 それは兎も角、暫く刀に手を掛けていた藤英だったが、やがてゆっくりとだが刀からも手を放す。 その姿は先ほどまでの怒りなど微塵も感じさせない、疲れていると言う雰囲気が最も似合う様になっていた。


「……藤孝の言い分は分かった。 仮に公方様から離れるとして、どうやって信長公に繋ぎを取るのだ?」

「京極殿と六角殿の間で、話が通っています」

「左衛門佐(六角義頼ろっかくよしより)殿か……確かにあの御仁なら信用出来るし、信長公の妹婿でもある…………分かった、同道しよう」


 こうして兄の説得に成功した藤孝は、その翌日には細川藤賢を尋ねている。 藤孝が藤賢の元を訪れた理由もやはり、彼を兄と同様に説得する為であった。

 と言うのも、藤賢は藤孝と同様に義昭を諫めていたからである。 彼は当初から、信長と義昭が対立する事に利は無いと考えていた。 その為、藤賢は幾度となく義昭を諫めていたのである。 その様な態度を続けていたからか、義昭は彼の事を煩わしく思い始める。 そして自然と、おのれから遠ざける様になっていたのだ。 そこに目を着けた藤孝が、説得へと現れたのである。 藤賢はその言上を黙って聞いていたが、最後まで話が終わると賛同する意思を伝えたのであった。 



 さてこの義昭の蜂起だが、京極高吉自らが嫡子の小法師こぼうしを伴い観音寺城を訪問した事で織田家にも届く事となる。 京極親子が到着した観音寺城にて面会したのが、大原義定と沼田祐光ぬまたすけみつである。 彼は両者との会合を果たすと、開口一番その席で義昭の蜂起についての話を伝えた。

 一応話自体は義頼から聞かされていた義定であったが、それでも思わず高吉に聞き返してしまった。 その問いに表情を一つも変える事なく、先程と同じく義昭の蜂起を伝える。 結果として念を押された形となった事で、義定は疑う余地はないと認識した。

 そうであるならば、事前に打ち合わせた通りに動くだけである。 義定は右筆に命じて詳細に記した書状を認めさせると、急ぎ義頼へと書状を持たせた使者を派遣したのである。

 因みに、承禎と義定が派遣した使者がほぼ同時に義頼の元へ到達したのは全くの偶然であった事を記しておく。 

 何であれ京の承禎と自身の代理として観音寺城へ残してきた義定からの書状に目を通し終えた義頼は、空を仰ぎ見ながら一つ大きく息を吐く。 それからゆっくりと立ち上がると、信長の元へと向かった。 時間が時間という事もあって既に信長は休んでいると告げられたが、内容が内容である。 義頼は、主との面会を取り次ぎに出た者へ強く求めたのだった。

 取り次いだものは、偶々当番となってしまった事に内心で嘆く。 しかし信長の義弟であり、同時に織田家重臣と目される様になっている義頼からの要請であり無碍にはできない。 八つ当たりも覚悟の上で、信長の元に向かった。 だが幸か不幸か、不満を露にしてもそれだけだったのである。 八つ当たりされなかった事に安堵しつつ、彼は着替えた信長を案内した。

 部屋に入ると信長は、不機嫌そうな表情のまま義頼に一瞥を加える。 だが、何を言うでもなく部屋に入ると上座に腰を下ろした。 その不機嫌さを全く隠す事なく、信長は用件を尋ねる。 問われた義頼は、いささか躊躇った後で足利義昭の蜂起を報告した。


「公方様が、兵を挙げられました」

「な、何っ!!」


 幾ら事前に半ば予想し懸念していた事とはいえ、やはり驚きは隠せない。 そんな信長に義頼は、承禎と義定の書状を見せた。 そこには蜂起に至った大雑把な経緯、それと細川藤孝らが足利義昭から離反する旨が記されていた。

 京での騒乱と言う頭の痛い事態にあって、藤孝らの義昭からの離反は歓迎できる事態である。 とは言え、放っておいてもいい話でもない。 まだまだ敵も多い織田家であり、その様な敵から付け込まれない為にも早急に騒乱を鎮定する必要があった。

 しかし、今すぐ信長が動くと言うのは難しい。 武田勢の動きが読めていない以上、迂闊には動けないのだ。 すると信長は、そこで目を閉じると思考を始める。 やがて考えが纏まったのか、目を開いた。


「……義頼。 その方、長秀らと共に畿内へ向かえ。 そして、何としても京は取り戻せ」

「はっ。 して、武田勢の調べは残しますか?」

「いや、そのまま連れて行け。 武田への調べは、一益に引き継がせる」

「承知致しました」


 元甲賀衆である滝川一益たきがわかずますもまた、独自の忍び衆を揃えている。 義頼達が出立後は、その者達に信長は引き続いて調べさせるつもりでいたのだ。 その事は、義頼も知っている。 と言うか、家臣も大抵は忍びを使用しているのだ。

 ただ義頼の場合、他の家臣に比べてあまりにも規模が大きく家中随一となってしまっているので目立っているのである。 


「それから、出陣に当たり丹波衆の指揮権をそなたに預ける。 先の戦で近江衆にも損害があろう、半ば遊兵となっている丹波衆で補え。 それと細川、京極、三淵もそなたに預ける。 また、京に俺が辿り着くまでの事は全てその方の判断に任せる」

「……それは、戦なども含まれますか?」


 告げられた言葉の意味を考えた後に義頼は、信長へ念を押した。

 例え当主の命であったとしても、舌の根も乾かぬうちに約定を覆されたとしたら誰も此方の言葉を信じなくなってしまいかねないからである。 すると信長は、右筆に命じて書状を用意させる。 それはいわゆる、黒印状であった。

 この文書がある以上、後で反故にされる事も先ずないであろうと義頼は判断する。 また、信長より全権を委譲された事に対する保障となるので、京での活動もやり易くなるのは明白だった。 

 黒印状を賜った義頼はそれから二日後、用意を整えた丹羽長秀にわながひで、それから森可成もりよしなり森長可もりながよしの親子。 更には佐々成政さっさなりまさ不破光治ふわみつはるを伴って浜松城を出立した。

 先ず彼らが向かうのは、岐阜城である。 そこで、信長嫡子の織田信重おだのぶしげに挨拶と自身達の行軍の理由を説明する。 その後は観音寺城に向かい、そこで京極高吉や甥の大原義定達と合流してから京を目指すというのが予定した行程だった。

 その予定に従い浜松城を出立した義頼は、岐阜城を目指して進軍する。 やがて一行は、井伊谷いいのやへの別れ道に差し掛かる。 そこから北に向かえば井伊谷があり、そのまま西へ進めば三河国へと入る事が出来た。

 そこで義頼は馬を止めると、じっと井伊谷の方を見る。 出来る事ならば井伊直虎いいなおとらへ一言挨拶をしていきたいところであったが、信長の命がある以上はそちらを優先させなければならなかった。 

 そんな義頼に対して、馬廻り衆の布施公保ふせきみやすが不思議そうに声を掛ける。 すると義頼はかぶりを一つ振ってから井伊谷方面から視線を離すと、公保へと向けた。

 

「……何でも無い」

「そうですか?」

「ああ……それはそうと、先に進むぞ」

「はっ」


 それと時を同じくして、井伊谷城の一室から井伊直虎が南の方角を見ていたと言われているが定かではない。  

 何はともあれ義頼は、遠江国と三河国を越えてやがて尾張国に入る。 そこで義頼へ、承禎からの書状が再び届いた。

 義頼は本多正信と彼と一緒にこの場に現れた三雲賢持みくもかたもちから渡された書状を、食い入る様に読み始める。 そこに書かれていたのは、畿内の情勢についてであった。


織田信重は、改名前の織田信忠です。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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