第八十一話~信長と信玄~
第八十一話~信長と信玄~
満を持して浜松城を出た織田・徳川の連合勢を迎え撃つ筈の欠下城はと言うと、此方は喧騒を深めていた。
敵連合勢による欠下城攻めが判明した時、欠下城守備の為に配されていた将兵を纏めていたのは、城代の任を受けた岩間為遠である。 彼を筆頭に欠下城守備兵は、それこそ悲壮の覚悟で敵を迎え撃つ準備を行っていたのだ。
そんな彼らの元に、亀井戸城に居る内藤昌秀からの書状が届けられる。 もしかして城を死守しろとでも書かれているのではないかと戦々恐々で書状を読んだ岩間為遠であったが、そこに記されていた撤収の二文字に狂喜乱舞した。
何せこれにより、合法的に城を捨てる事ができるからである。 生き残る芽が発生した岩間為遠以下欠下城の将兵達は、我先へと亀井戸城へ撤退と言う名の逃走を開始したのであった。
だがそれも、仕方がないだろう。 このまま欠下城に残るという事は、即ち死ねと言っているのも同義なのである。 この様な状況にあっては、恥も外聞もない。 それこそ、必死になって彼らは亀井戸城を目指したのであった。
そんな欠下城の様子は、斥候として派遣されていた甲賀衆と伊賀衆から義頼へと報告される。 彼はその情報を、素早く織田・徳川の将達に報告した。 この取るものも取り敢えず撤退していく様を聞き及んだ諸将は、始め何かの策なのではと警戒を強めている。 しかし続けて齎された報からも、同じ様子が伝えられた。
こと此処に至り、彼らも欠下城兵の動きが策などではなく、ただ単純に逃げているだけなのではないかと推察する。 その考えを思わずと言った感じで佐久間信盛が述べると、その言葉に徳川家康が同意を示した。
そこで信盛は、織田家の将達に対して先程漏らした言葉をそのまま問い掛ける。 その問いに答えたのは義頼であったが、それは他の将も同じ考えであった。 追随する様に丹羽長秀や森可成と森長可の親子。 更には不破光治や平手汎秀、そして水野信元までもがやはり同意したのであった。
はっきり言って、全ての者が同じ想いを抱いたのである。 これでは、結論が出たも同じであった。
「そうか。 そなたらもそう思うか……では、城を拾いに参ろうではないか」
『おうっ!』
そう言った信盛の言葉に、義頼は無論他の織田家の将や家康も賛同する。 こうして欠下城は、実にあっけなく織田・徳川方の城となったのであった。
とは言え、策の懸念が完全に払拭された訳ではない。 そこで入城前に織田・徳川の軍勢は、念には念をとばかりに欠下城内をくまなく探索を行った。 どの道、今更追い掛けたところで亀井戸城へ落ちて行った城兵に追い付けやしない。 それならば、自軍の安全を最優先にと考えたのだ。
しかして探索を行った結果、敵兵どころか猫の一匹見つからない。 無論罠などもなく、兵糧などの物資もそのまま残されている。 その事実は、武田勢の撤退が策などではないとの裏付けとなる。 此処に織田・徳川の連合勢は欠下城へと入城を果たしたのだった。
「どうやら、完全に逃げ出したとみて間違いはないでしょう。 多少の兵が亀井戸城より繰り出された様ですが、欠下城より逃げ出した将兵と合流後は彼らと共に亀井戸城へと撤退した模様です」
「そうか……左衛門佐(六角義頼)殿の言葉通りであるならば、三河守(徳川家康)殿が言われた武田信玄の重体はほぼ間違いはないであろうな」
「ですな。 それはそれとして、右衛門尉(佐久間信盛)殿。 この欠下城、それなりに改修はされているが本格的には行っていない様だぞ」
「何!? 五郎左(丹羽長秀)殿、その意味は?」
「恐らく信玄は、進軍途中で軍を一時駐留させるぐらいのつもりであったと思われる」
そんな長秀の欠下城に対する考察を聞いて、信盛は暫く思案に耽った。
もし城の機能が然程でもないのならば、このまま破却するのも悪くはない。 だが、城である事は変わりはない。 兵を残して、亀井戸城に対する牽制の拠点とするのも選択肢の一つと言えるからだ。
そこで信盛は、家康に尋ねる。 何と言ってもこの欠下城は遠江国にあり、今後は徳川家が所管する事になる。 ならば当事者となる家康に尋ねるのが筋だと、考えたからであった。
しかして家康の返答は、今後については徳川家で面倒を見ると言う物である。 それに伴い、駐留させる将兵も徳川家から出すと明言したのである。 ならばと信盛は、全て下駄を預ける事にした。 すると家康は、成瀬正義に欠下城を任せている。 駐留する徳川兵も残すと、織田・徳川連合軍は浜松城へと軍勢を返した。
因みに成瀬正義だが、武田信玄と直接戦った欠下城外の戦いが終わった後、浜松城で石川数正と鳥居忠広に対して腰ぬけ呼ばわりした事を謝罪している。 両名もこれを受け入れたので、三者の蟠りは取りあえず解決していた。
また忠広だが、この戦で先鋒だけでなく殿も行った為か重傷を負い伏せっている。 全治に一月以上は掛かるとみられているが、無理をしなければ命に別条はない事だけがせめてもの救いであった。
ところ変わり美濃国、岐阜城。
そこで織田信長は、佐久間信盛が届けさせた書状を前に腕を組んでいた。 そこに記されていたのは、家康が入手した武田信玄の容態に関する事柄である。 そして記された内容を検討してみるに、嘘があるとは到底思えない。 それならば、此処は攻め時だと彼は判断していた。
すると信長は、明智光秀と木下秀吉を呼び出ている。 程なくして信長の前に現れた二人に対し、出陣の用意を行う様にと告げた。
いきなりの出陣に、両者は戸惑いを見せる。 やがて光秀が少し躊躇いながらも軍勢が向かう先を尋ねると、遠江国であると告げられた。 その言を聞き更に援軍かと光秀は驚きの声を上げ、そして秀吉は声こそ上げなかったがやはり驚きの表情は浮かべている。 そんな二人に信長は、信盛からの書状を見せたのだ。
受け取った光秀と秀吉は、書状に目を通す。 そこに記されていた内容に両名は、更に驚きを露にしたのであった。
「し、信玄殿が重篤ですと!?」
「らしいぞ光秀、故に此処は押す。 とは言え、公方が少々気に掛かる事が心配だがな。 何であれそなたらは、俺と共に出陣だ。 分かったか! 分かったら支度をせいっ」
『御意』
それから数日後、自ら兵を率いて岐阜城を出立して浜松城へと進軍する。 当然ながら行軍中において邪魔などは入らず、信長率いる兵は無事に浜松城へと到着している。 すると家康は、浜松城の城門まで出向いて自ら信長を迎えたのであった。
この反応も、また当然であろう。 確かに同盟関係にある織田家と徳川家であるが、そもそも両家には力の隔たりがあった。 三河国と遠江国の半国ぐらいを領有していた徳川家と数か国を優に超える領地を持つ織田家では、どちらが強者かなど論ずるまでもない。 その上、今は遠江国の大半は武田領となっている。 幾ら信玄が重篤だからと言って、直ぐに領地が戻ってくるわけではないのだ。
そんな状況の徳川家に、例え援軍と言う理由があっても織田家の当主が自ら訪れたのだから、家康自身が出迎えるのも当然と言う物であった。
それ以上に家康にとってこの追加の援軍は、非常に有り難い。 義頼の奇襲や奥三河の調略などで、当初の劣勢を幾らかでも挽回したとはいえ、まだまだ武田勢に押されている事に変わりがない。 しかし信長が自ら軍勢を率いて現れた事で、完全に力関係が逆転したからだ。
しかしながら相手は武田家であり、まだまだ油断はできない。 だがこれで一息付ける事には変わりがなく、その気持ちから家康は喜色を表していたのだ。 浜松城の大手門にてそんな家康自らの出迎えを受けた信長は、短く言葉を返すと騎乗していた馬から降りる。 すると家康は自ら先導して、信長を居城たる浜松城の中へと案内した。
因みに信長を迎えた将の中には、当然だが佐久間信盛もいる。 彼は顔を蒼ざめつつも信長を迎えたが、信長はちらりと一瞥しただけで特に何か言う事はなかった。
話を戻して信長だが、一室に案内されるとそこで二俣城について尋ねる。 彼の考えでは言わば二俣城を武田勢を釣る餌にして、その隙に武田勢へ痛撃を与えようと考えていたからだ。 そこで問われた家康は、二俣城を守っている徳川家臣の
中根正照や青木貞治が踏んばっていると告げようとする。 しかしその途中で、信長と家康がいる部屋に、鳥居元忠が息せき切って現れたのだ。
話を邪魔された事に、信長と家康は少し不快となる。 しかし泡を喰っている様な元忠の様子に、二人は「何かあった」と推察した。 そこで不快となった感情は一先ずおいて置き、先を促す。 何とか息を整えると、元忠は成瀬正義より届いた最新の情報を伝えた。
その情報とは、二俣城陥落の報せである。 天竜川と二俣川に挟まれた天嶮の要害である二俣城がこうもあっさりと落とされたとの情報に、家康は思わず立ち上がっていた。
そして信長だが、彼は小さく「落ちたか」と呟いている。 その後、僅かの間だが、部屋に沈黙が横たわる。 やがてその沈黙を破ったのは、信長だった。
「徳川殿。 二俣城の救援にかこつけて武田と戦う事を考えていたが、城が落ちてしまってはそれも水の泡だ。 他に、良き場所はあるか?」
「そうですな……此処が宜しいかと」
問われた家康は、頭を振って一先ず衝撃から抜け出すと暫く考える。 やがて信長に示したのは、浜松城のすぐ近くに広がる台地の三方ヶ原であった。
さて少し話を戻し、二俣城が落ちたあらましはこうであった。
父である武田信玄より二俣城の攻略を命じられた武田勝頼であったが、彼は力攻めを行わなかった。
その代わりに、二俣城の水の手を断つと言うからめ手にて落とす事を考える。 それと言うのも、二俣城には水が乏しいと言う弱点があったからだ。 何せ城内には、水が湧き出るようなところがない。 そこで二俣城では水を確保する為に、専用の井楼を設けて川から水を酌んでいたのだ。
すると、その件に対し山県昌景が進言する。 彼が示した策とは、水を汲み上げている井楼を破壊すると言う物である。 具体的には、川の上流より丸太や筏などを流して井楼を破壊させると言う物であった。
だがこれは万が一にも、破壊されない可能性がある。 何と言っても、川任せだからだ。 その事を馬場信春より指摘されたが、山県昌景は笑顔で答えた。
「問題ありません、美濃守(馬場信春)殿。 例え井楼の破壊に失敗しても、筏や丸太は川面を覆います。 そうなれば幾ら釣瓶を落とそうと、水は酌めなくなります」
「……なるほど。 どちらに転んでも、水を得られないと言う事に変わりはないという事だな」
「ええ。 そういう事です。 では若殿、美濃守殿の懸念も払拭されたので策を実行したいのですが」
「いいだろう、昌景。 存分に行え」
「はっ」
勝頼より許可を得た昌景は、早速実行へと移る。 旗下の軍勢と共に川の上流に移動すると、そこで木を切り出し始める。 やがてある程度切り出すと、丸太や組んだ筏の形にして次々に川へと流し始めたのだ。
果たして流された丸太や筏は、狙い通りに井楼へと殺到する。 そしてついには、井楼を破壊し二俣城の水の手を断ち切ったのであった。
これにより水の確保がかなり難しくなった二俣城へ、開城の勧告を行う。 勝頼より派遣された軍使と会った正照は、副将の貞治と相談した上で、将兵の助命と引き換えに城を明け渡す旨を返答する。 戻ってきた軍使から伝えられた勝頼はと言うと、その条件を受け入れている。 敵城兵の助命程度で堅城の二俣城を手に入れられるのだから、安いものである。 こうして二俣城は、武田家の城となったのであった。
なお、城から出た正照達二俣城の城兵達だが、彼らははじめ浜松城に向かっている。 しかし、その途中で差し掛かった欠下城に成瀬正義の旗印を認めると、方向を変えて欠下城へ入ったのであった。
翻って二俣城へと入った勝頼はと言うと、山県昌景に城を任せて亀井戸城に戻ろうとしていた。 だが、その前に二俣城の陥落を伝えた亀井戸城から派遣された芦田信守とその息子である芦田信蕃と彼の弟にあたる芦田信幸が現れる。 すると勝頼は、山県昌景ではなく彼らに城を任せ山県昌景と馬場信春の両名を連れて亀井戸城へ戻ったのであった。
程なくして到着した勝頼は、二俣城陥落の報告をする為に武田の諸将が揃っているであろう広間へと向かう。 するとそこには、予期せぬ人物が上座に佇んでいた。 誰であろう、それは武田信玄である。 決して浅くはない深手を負ったが為に医者の言によって安静にしている筈の父親が起きているのだから、彼の驚きも一入であった。
ところで何故に、重篤の体を押してまで床上げしているのか。 その理由は、援軍として浜松城に入った信長にあった。 臥せっていた信玄だったが、その床で信長が浜松城へ入ったという報告を聞いてしまったのである。 それも偶々目を覚ましていた時だと言うのだから、それは幸運なのかそれとも不運なのか分からない。 だがここは無理をしてでも起きる必要があると考えた信玄は、無理を押して床より這い出たのだ。
無論、医師は元より武田家の重臣達も反対している。 しかし信玄は、そんな彼らの反対を押し切ってまで、強引に床上げしていたと言う訳であった。
何であれ勝頼達だが、そんな信玄より労いの言葉を掛けられ思わず三人は平伏する。 しかしてその直後、勝頼は顔を上げていた。
「父上! まだ寝てなければ!! 顔色がわ「大丈夫だ」る……いやしかし!」
「大丈夫だと言っている。 何よ……り、寝ている訳……ゴホッ」
勝頼に対しそこまで答えた信玄であったが、直後にひどく咳き込む。 すると控えていた板坂法印が慌てて傍らに寄ったが、信玄は手で法印を制していた。
勿論、問題ないからなどという事ではない。 実際、口を拭った信玄の手の甲と口元には、血が付いているぐらいなのだ。 しかし信玄は、血の付いた唇は舐めて拭い、同じく血の付いた手は己の着物の合わせから懐に入れる。 それから勝頼と信春と昌景を見ながら、言葉を紡いだ。
「勝頼、悠長に寝ている訳にはいかなくなったのだ」
「何かあったのですか?」
「小憎らしい事に、信長が自ら出張って来ている。 どうやら織田のうつけは……わしの容態を察したようだな」
その言葉に三人は、驚きの表情を浮かべた。
信玄の容態に関しては、味方に対してもかなりの防諜態勢を敷いている。 そしてその防諜態勢は、当然外にも向けられている。 それであるにも拘らず敵に漏れた事に三人は、驚きの声を上げたのだった。
そんな驚きの声を聴きながら武田信玄は、即座に三人へ情報が漏れた理由を探らせている旨を伝える。 だが、やはり苦しいのであろう。 信玄は一言いい終えると、何度か大きく息を吸って呼吸を落ち着かせている。 そうして息を整えると、今度は曽根昌世へ視線を向ける。 その視線には、存念を述べろと言う意志が込められていた。
その様な信玄からの視線を受け止めた昌世は、立ち上がると敵勢の動きについて己の存念を披露していく。 彼の考えによれば、敵の動きは今から上げる二つのどちらかであるとの事であった。
先ず一方は、三方ヶ原に進軍しそこで対峙すると言う物であり、もう一つは天竜川沿いに布陣してやはり敵勢と対峙すると言う物だった。
昌世から考えを聞いた武田信玄は、義頼に付けられた傷の部位をさすりながら肯定も否定もしない。 代わりにと言う訳ではないが、武藤昌幸へ尋ねた。 問われた武藤昌幸は少し考えてると、やがて昌世の考えに同意した。
「己の目」と称した武藤昌幸と曽根昌世が同じ考えであると知ると、彼は微かに笑みを浮かべながら見つめる。 やがて信玄は、この場にいる全員に聞かせる様に言葉を紡ぐ。 それによれば、織田・徳川の進軍先は三方ヶ原であろうとの事であった。
その理由は、三方ヶ原がそれなりに開けている事にある。 しかも二度に渡る織田家からの援軍を受けた結果、兵力は完全に逆転している。 武田家以上に多数に兵を擁する織田・徳川の軍勢がその利を生かす為、更には武田勢の頭を抑える為にも三方ヶ原であると述べた。 その直後、痛みがぶり返したのか、信玄が顔を顰める。 その様子に、昌秀が心配そうに尋ねた。
「……大丈夫でございますか、御屋形様」
「気にするな、昌秀。 それよりも、急ぎ兵を纏めろ」
「出陣にございますか?」
「無論だ。 わし自らが兵を率いて、三方ヶ原へ兵を進める」
「…………御意」
語気こそないがきっぱりと言い放つ信玄に対し、内藤昌秀は暫く間を開けた後で了承した。
やはり信玄が率いていれば、兵の士気は上がる。 ましてやこれからぶつかる相手の方が、兵数が多い。 ならば兵の士気が重要になり、それを高めるには信玄の存在は重要であったからだ。
こうして信長は戦い易さを、信玄は戦い易さもさることながら敵へ先手を打たれる前に動くというそれぞれの理由から同じ答えを出している。 奇しくも両者は、それぞれの思惑に従い三方ヶ原へと進軍を決めたのであった。
ここにきて、信長が出陣しました。
ご一読いただき、ありがとうございました。




