第七十九話~奥平家調略~
第七十九話~奥平家調略~
美濃国、岐阜城。
その麓にある館で織田信長は、丹羽長秀からの書状を読み終えると、一瞬だけだが少しこめかみをひくつかせた。
して長秀からの書状とは、遠江国で起きた徳川家康・佐久間信盛対武田信玄の戦の結果である。 そこには当然、義頼と滝川一益が行った武田家本陣に対する突撃と、その際に負わせたと思われる武田信玄の傷について記されていた。
その様な内容からか、信長の反応は怒りを表した訳ではない。 それは、言わずものがな書状に記されていた武田信玄の容体が影響していたのだ。
「信玄と信玄が率いる武田勢に相応の損害を与えた事を考えれば、家康と信盛の敗北もまぁ良いだろう。 それはそれとして、信玄の怪我がどれくらいか。 まずはそれを確認する事、それが肝要だな」
そう独白した信長は、徳川家康に向けて武田信玄の容態について書状を認めさせると早急に届ける様にと指示を出すのであった。
それはさておき、ほうほうの体で浜松城へと戻った徳川家康はと言うと、既に武田勢を迎え撃つ準備を終えていた。 ならば何をしているかの言うと、彼は臨戦態勢を整えてた浜松城の一室である絵を見つめていたのだ。
家康が見つめているその絵は何かと言うと、浜松城に命からがら辿り着いて間もない己の姿を絵師に命じて忠実に書かせた物である。 何故にその様な絵を描かせたのか、それは家康が今後自らを戒める為にと絵師に書かせた物であった。
その理由だが、徳川家臣達を多数死なせてしまったと言う轍を、二度と踏まない為のものであったと言う。 絵に描かれたその表情から、後に「顰像」と言われる様になったのであった。
「……ふぅ。 何とも、情けない姿よ……だが、この姿を忘れる訳にはいかぬ。 至らぬ我の身代わりとなった家臣達の為にもだ」
するとその時、部屋の外から家康に声が掛かった。
声の主は、酒井忠次である。 家康は掛け軸に描かせた肖像画を片付けてから、忠次を部屋に通した。 そして用の旨を聞くと、織田信長からの書状だと言う。 訝しげな表情を浮かべながらも彼の懐から差し出された書状を受け取った家康は、中身を読む。 するとそこに記されていた内容は、武田信玄の容体に関する調査依頼であった。
徳川家康や佐久間信盛から遅れて浜松城へ入った義頼から、彼と滝川一益が行った武田本陣への襲撃に関する経緯は聞いている。 それを考えれば、確かに武田信玄の容態の確認は必要かと思われる。 だがこの状況は、家康としても利用したい時間でもあるのだ。
具体的に言えば、調略である。 武田家を率いていた信玄の状態が不明な時期だからこそ、付け込める隙があるとも言えるからだ。 すると家康は、少し考える様な素振りをしてから立ち上がると文箱を開ける。 その文箱に信長からの書状をしまうと同時に、彼は一つの書状を取り出した。
そしてその書状を酒井忠次に渡すと、亀山城にまで出向く様にと言う。 しかしながら亀山城は、徳川家から武田家へと鞍替えした奥平家の城である。 その亀山城へ向かえと言う家康の命に、忠次は疑問を呈した。
「亀山城は、武田家へ鞍替えした奥平家の城。 そこへ向かえとは、いかなる仕儀でありましょうか」
「奥平を、今一度徳川の旗の元に立たせるのだ」
「ああ、なるほど。 調略にございますか」
徳川家の領地である三河国には、奥三河と呼ばれる地域がある。 そこには徳川家に忠節を誓いながらも、武田家の圧力に負け武田家へと走った国人達が居た。 そんな奥三河の国人達の中に、奥平家がある。 家康は、その奥平家当主で亀山城主の奥平定能に対して調略を仕掛けるつもりなのだ。
そもそも奥平家が徳川家より離反した理由は、奥平定能の父親である奥平貞勝が強く勧めたからである。 定能自身は、武田信玄が進行してきても徳川家に服属し続けるつもりであったのだ。
それに、定能の母親は家康の実母である於大の方の叔母に当たる。 つまり家康から見ると従叔父と言う間柄であり、一族と言えない事もないのだ。
何よりこの調略に成功すれば、秘匿されているであろう信玄の容体を容易く知る事が出来る。 現在、武田家臣となっている者から信玄について聞きだす事が出来れば、最も早く正確な情報を安全に手に入れられるのだ。
その考えには、忠次も同意する。 彼は命を拝すると、家康からの書状を懐に収める。 そしてその足で、忠次は浜松城を出立して亀山城へと向かった。
因みに信長からの書状だが、徳川家の援軍として遠江国にいる織田勢にも届いている。 そしてその内容も、家康に出された書状とさして変化がある訳ではない。 信玄の容体を調査する様にとの命令が、記されているだけであった。
最も、既に彼らも武田信玄の容態については先んじて調べ始めている。 何せ義頼か一益かはまだ判明しないが、信玄に手傷を負わせたのは織田家の将なのだから気にならない筈がない。 そこで甲賀衆と伊賀衆と言う忍び衆を擁している義頼が中心となって、調査を行っていたのである。 しかしながら武田勢の情報統制は確りとしており、未だ信玄の容体について明確な情報は手に入れていなかった。
そこにきて、今度は信長自身からの命である。 援軍大将である佐久間信盛からも発破を掛けられた義頼は、より一層の調査に尽力を尽くすのであった。
さて、武田信玄の容態は容態として一先ず脇に置いておく。
それよりも浜松城を発った酒井忠次はと言うと、亀山城で奥平定能に面会していた。 彼は出発前に密使を亀山城に派遣して忠次自身が訪問する旨を定能へ通達していたので、問題なく面会が叶ったのだった。
「久しいですな、美作守(奥平定能)殿」
「真に。 左衛門尉(酒井忠次)殿も息災そうで何よりです」
言わずものがな、彼らは元同僚である。 それに同じ三河国人と言う事もあり、敵味方となっていても嫌悪感などは殆どなかった。 それ故か、彼らは話に花が咲く。 暫く雑談をしていた二人であったが、やがて本題にへと入っていった。
そもそも忠次は四方山話をする為に、わざわざ亀山城くんだりまで足を伸ばした訳ではない。 奥平家を、今一度徳川家の旗の下に戻す為にやって来たのだ。 そし定能にしても、忠次の要件については当たりはついている。 彼は居住まいを正すと、要件について促した。
その言葉に忠次は頷くと、懐より家康からの書状を差し出してくる。 定能は書状を受け取ると、隅から隅までゆっくりと目を通して行く。 やがて読み終わったのを見計らって、忠次は問い掛けた。
「如何か? 美作守殿。 決して悪い話しではないと思うが」
「お話は大変ありがたい」
「ではっ!」
「しかしながら我が奥平家は、武田家へ従属する際に行動を共にした田峰城主の刑部少輔(菅沼定忠)殿や長篠城主の新九郎(菅沼正貞)殿と行動を共にすると約しています」
「故に受けられぬと、そう言われるか」
「誠に申し訳ありませぬが、このままお引き取り下さい」
その後は、幾ら宥めすかそうとも首を横に振り縦に振ろうとしない。 その様子に今回は無理だと諦めた忠次は、また訪問すると言い残して亀山城を後にする。 やがて戻った浜松城で、忠次は家康に報告した。
その内容に、家康は何とも言えない表情となる。 感触としては悪くはないと言う忠次だが、しかし相手が首を縦に振らない。 かと言って、何かしらの要望があった訳でもない。 何とも、雲を掴む様な雰囲気になってしまったからだった。
その報告後、暫く考えた家康だったが、ふと視線を上げると同席している石川数正へと尋ねる。 家康より尋ねられた数正は、暫く思案した後で自分の考えを家康に告げた。
「恐らくですが、条件が足りないのでしょう。 その条件については、分かりかねますが」
「だが、与七郎(石川数正)殿。 領地の加増に美作守殿のご息女と彦三郎(本多広孝)殿二男との婚姻ですぞ。 それでも足りぬと、そう言われるのか」
「うむ。 今は何かとは言えないがな」
「……ふむ、分かった。 だが感触は悪くないのであれば、続けるべきだな。 忠次、数正と共に引き続き頼むぞ」
『はっ』
それから幾度となく、奥平家へ武田家からの翻意を促す使者が徳川家より派遣された。
そしてその使者だが、数正か忠次のどちらかが務めている。 しかしながら、感触は悪くないという状況から殆ど進んでいなかった。
その様な手詰まり感のある奥平家との交渉に対し、数正は自室で庭を見ながら進捗しない定能への調略に思いを馳せる。 しかし考えは千々に乱れており、ようとして纏まりはしなかった。 そんな時、家臣から来客がある事が告げられる。 しかし数正は、その言葉に訝しげな顔をした。 客が来るなど、全然聞いていないからである。 彼は思案に耽っていた事もあって始めは引き取ってもらおうと考える。 だが、誰が訪問して来たのかを聞いてからでもいいかと考えを変えると客の名を尋ねた。 しかして返ってきた名に、数正は小さくも驚きを声を上げる。 それは、凡そ予想外の名だったからだ。
その客の名は、本多正信である。 確かに嘗ては徳川家に仕えていた正信なので、訪問してきてもおかしい訳ではない。 しかし正信は、【三河一向一揆】のかどで徳川家より出奔している。 何より今は、義頼の懐刀なのだ。 そんな正信が、何故に今この時期に現れたのか訝しむ。 だが少し考えてから数正は、会う事にする。 それから間もなく、数正に取り次いだ小姓に案内されて本多正信が部屋に入って来た。
「久しいな弥八郎(本多正信)殿。 貴公が出奔して以来だ」
「そうなりますな、与七郎殿」
「して、今日の訪問は如何なる仕儀か?」
「差し出がましい様ですが、一つ助言をと思い推参致しました」
数正は眉を寄せた。
正信が出奔する理由となった三河一向一揆前ならばまだしも、前述した様に正信は六角家に仕えている。 そんな彼が数正に助言するなど、筋違いと言っていい。 何より、正信から助言される理由が思い付かなかった。
そこで数正は、助言とは何かと尋ねる。 そこで返ってきた答えは、奥平家に関する事である。 その答えに数正は、不覚にも声を上げていた。
それもその筈で、家康が奥平家に調略を仕掛けている事は、徳川家内でも極一部の者しか知らない。 それであるにも拘らず、他家に仕えている正信が知っていた事に彼は驚いたのだ。
「な、何故に知っておる」
「蛇の道は蛇ではありませぬが、与七郎殿や左衛門尉などの一部の徳川重臣が亀山城辺りで見受けられるとあれば凡そ想像が出来ましょう」
現在、奥三河は武田の領地となっている。 故にそちらにも監視の目を向けない訳にはいかないので、義頼は伊賀衆の一部をそちらに派遣している。 その監視網に、数正達が偶然にも掛かってしまったと言う訳であった。
そして正信は、元徳川家家臣であるから数正達の顔は当然だが知っている。 そこから定能と家康の関係を考慮し、徳川家が奥平家の取り込みに動いているのではと推察する。 しかし、未だに数正達が亀山城辺りに時折り現れるとも報告されていたので、あまり上手くいっていないのではと想像したのであった。
「恐れ入ったわ。 拙者達の存在からそこまで考えるとはな」
「して、どの様な塩梅なのです?」
「……一つ尋ねるが、どうして助言などする気になった? 今そなたは、徳川の家臣では無いのだぞ」
やや間を開けてから尋ねた数正の言葉を聞き、正信は少しの間遠い目をする。 だがそれも一瞬であり、正信はすぐに視線を数正に戻した。
「そうですな……恩返し、そう取って貰って宜しいです」
「恩返しだと?」
「はい。 拙者が一向一揆衆に加担して徳川家と対立後に徳川家を出奔してからも、家康公は我が家族が領内に住む事を黙認してくれました。 また、我が家族を領内から出す際も何も口出ししてこなかったと弟の正重(本多正重)から聞き及んでおります」
正信の家族の顛末については、数正も過分に耳にしている。 そして家康がその件に関して何も言わず、また関与もしなかった事も同様であった。
「なるほど。 その恩返しとして知恵を貸したいと、そう言われるか」
「そういう事にございます」
数正の目を見て話す正信の目に、邪な物は感じられない。 それ故に、数正は正信の恩返しとやらに乗ってみる気になった。
何せ奥平家との交渉に手詰まり感があり、にっちもさっちも行かないと言うのが正直なところなのである。 ならばここで今は部外者となっている者からの話を聞く事で、別の切り口が見えてこないかと言うある意味で希望的観測もあったのだ。
暫く瞑目した後で、正信の申し出を了承する。 それから数正は、家康が定能に示した条件を正信に伝えると同時に、その時の定能の態度などについても出来うる限り正信に話した。
交渉時における雰囲気などの話を聞き終えると、正信は数正と同じように目を瞑るとじっと考えに浸る。 すると暫く、両者が面会している部屋の中に静かで緊張感のある空気が横たわる。 間もなく、考えが纏まったのであろう。 正信が目を開いた。
「ところで、与七郎殿。 確認ですが、美作守殿に示したこの条件ですが当初から変わってはいないのですな」
「うむ。 領地の加増などと言った条件は多少増えてはいるが、当初、定能が示した二つの条件は変わっていない」
「……ならば、今一つ条件を加えなされば宜しいでしょう。 さすれば、ほぼ間違いなく美作守殿は武田を離れ徳川の旗の下に戻ると思われます」
「何!? 後一つだと? それは一体何なのだ!!」
そこで数正は、正信の胸倉を掴む様な勢いでにじり寄ってくる。 すると正信は、手で押さえる様な仕草で彼が近づくのをやめさせた。
それから己が手で、数正に対して落ち着く様にと宥めすかす。 そこで漸く自身の態度に気付いたのか、正信へばつが悪そうな態度となった。 しかしながら数正の目は、先を促すかの様な雰囲気を醸し出している。 その様子に正信は苦笑を浮かべてから、ゆっくりと口を開いた。
さて正信の口から出たもう一つの条件とは、奥平定能の嫡子となる奥平貞昌と家康の娘との縁談である。 しかし流動的な現状、おいそれとはやれない。 そこで正信の口から新たに、両者の婚約でも問題はないだろうとの提案がされた。
婚約であれば、家康の娘がまだ徳川家に居ても問題はない。 所詮は、何れ行う予定の婚儀の約束でしかないからだ。
例え後に反古となったとしても、これと言った実害は出ない。 であるならばと、数正も正信の示した策に対して乗り気になる。 すると正信は一つ頷いてから、立ち上がった。
正信が現れた理由は、あくまで助言である。 ならばこれ以上、徳川家内での実質の話にまで加わる気は更々なかったのだ。 用件は終わりと立ち上がり退出する正信に、数正が声を掛ける。 話も終わったと思っていただけに、正信は眉を顰めた。
「まだ何か?」
「弥八郎殿。 徳川家に帰参はせぬのか? もし帰参する気があるのであれば、此度の事も合わせて拙者から殿(徳川家康)に進言するのも吝かでは無い」
数正は純粋に、このまま帰してしまうのが惜しいと感じられたのだ。
少なくとも己が思い付けなかった事を、正信は思い付いている。 その事だけでも、十分徳川家への帰参を許すだけの価値はあると考えたのだ。
その申し出に正信の表情は驚きに満ちたが、程なくしてその驚きの表情は消える。 それから正信は、ゆっくりと口を開くと数正の申し出を断った。
彼にしてみれば、あの【野洲川の戦い】で六角家に留まった時から、徳川家に帰参する事を捨てている。 それに今回の訪問も、言わば過去に受けた恩義を返す為に行ったのであり、徳川家に帰参する為に行った訳ではないのだ。
正信から断りを告げられた数正は、とても残念そうな表情をする。 そんな数正に対してもう一度頭を下げてから部屋より出ようとしたが、その前に門まで送ると告げられた。
始め断ろうかと思ったが、送って貰って何か問題が起きる訳ではない。 寧ろ徳川家の重臣である数正が門まで同行するのだから、正信の身柄は担保されたと言ってよかった。
その後、言葉通り正信を門まで送った数正は、暗がりの中を進む正信を見送る。 やがて視界から消えると、誰に聞かせるまでもなく独白した。
「此度の件に関して殿に奏上する際は、弥八郎殿の事は言わない方が良かろう」
正信は元徳川家臣であり、今は徳川家臣ではない。 にも拘らず正信の意見を取り入れたとあっては、その事で色々と問題が出てくる可能性がある。 その可能性を排除する為にも、今夜ここに正信が現れた事は数正の胸にしまってしまう方が良いと考えたのだ。
勿論、手段を選ばなければ他にも手はある。 暗殺などが一番手っとり早いのだが、もし暗殺を仕掛けてその下手人が判明でもしたら目も当てられない事態となりかねない。 何といっても、正信が仕える六角家は、信長の妹婿の家なのだ。
数正は気持ちを切り替える様に顔を両手で一つ叩くと、一端屋敷へと戻る。 それから身支度を整えると、家康の元に向かった。
「どうした数正。 この様な時分に」
「はい。 奥平家への調略に関して、お耳に入れたい事がありまして」
「何だ?」
「先に示した条件に、殿の御息女である亀姫様と美作守殿の御嫡子との御婚約を入れてはどうかと」
「亀と貞昌の婚約だと?」
「はっ」
家康には、亀姫と督姫という二人の娘がいる。 そして数正が名を上げた亀姫は、家康の長女であった。
「亀と貞昌を婚約させる、か……いいだろう。 だが、それ以上は譲歩せぬぞ」
「それで宜しいかと思います」
数正の言葉に了承した家康は、改めて書状を認めるさせると数正に託した。
その翌日、彼は日も明けきらないうちから浜松城を出ると亀山城へ向かう。 やがて到着した亀山城で定能との面会に臨んだ数正は、そこで新たに条件が書き加えられた家康直筆の書状を差し出す。 確かめる様に書状をじっくりと読んだ定能は、恭しく書状を畳み懐にしまうと上座から降りた。
その行動に、数正が不思議そうな表情を浮かべる。 すると定能はにっこりと微笑んでから、口を開いた。
「与七郎殿。 わが奥平家、今一度徳川家の旗の元に集いたいと存じます」
「おお! それは重畳!!」
「ですが、今すぐという訳には参りません。 その代わりにと言っては何ですが、情報を一つ与七郎殿にお伝え致します」
「一つの情報とは?」
「はい。 信玄公は先の戦にて六角殿から受けた傷もさることながら、長対陣による物も重なりかなりの重篤な様子です」
「そ、それは真か! それが本当ならば、こうしてはおれん。 すぐにでも、殿にお知らせ……と言う訳にはいかぬな」
立ち上がりそれこそすぐにでも浜松城へ行きかねない数正であったが、自分がこの亀山城へ何の目的で来ているのかを思い出すとばつが悪そうにしながらも再び座る。 そんな数正をみて小さく笑みを浮かべた定能は、家康への返書を認めた。
受け取った数正は、家康に奥平家の意向を必ず伝えると約束する。 その言葉に対し、定能は頭を下げる。 そんな彼に大きく頷くと、数正は今度こそ亀山城を発ち浜松城へと向かうのであった。
義頼の出番、ほとんどありません(泣)
ご一読いただき、ありがとうございました。




