第七十七話~欠下城外の戦い~
第七十七話~欠下城外の戦い~
武田信玄率いる武田勢を打ち破るべく浜松城を出た徳川家康と佐久間信盛は、欠下城近くに到着するとそこで軍の展開を始める。 そして彼らの軍勢は、三方ヶ原を背にする形で軍を展開していた武田勢と対峙した。
そして両軍は、奇妙な沈黙の中でお互いに向きあう。 半刻ほど睨み合うかの如く対峙していた両軍勢であるが、やがてどちらからともなく配が掲げられる。 するとほぼ同時に、両軍の先鋒がぶつかる事となった。
織田・徳川連合勢の先鋒は、石川数正と鳥居忠広が務めている。 二人は家康の配が振り下ろされると同時に、武田勢の先鋒を担っている小山田信茂に突撃した。
「藤蔵(成瀬正義)の言葉、必ずあかしてくれる。 行くぞ、与七郎(石川数正)殿!」
「応っ! 四郎左衛門(鳥居忠広)殿!」
しかしながら小山田信茂は、巧みに兵を操り石川数正と鳥居忠広の軍勢と寡兵ながらもほぼ五分に渡り合う。 先鋒の戦況について報告を受けた徳川家康は、次の手を打った。 援軍として、本多忠勝と大須賀康高を送り出したのである。 流石に彼らが加わっては、敵の軍勢を抑えることはできない。 小山田信茂は、じりじりと押され始めた。
しかし、その状況を武田信玄が座して見ている筈もない。 彼は配を返すと、武田信豊へ本多忠勝と大須賀康高の軍勢へ一撃を加えるように指示した。 その命を受けた信豊からの一撃を受けると、戦況は盛り返されやや武田家側に傾く。 だがすかさず信盛が命を出して、平手汎秀に突撃させる。 この攻勢によって、武田勢は押し留められた。
思いの外、粘る織田・徳川の連合勢に武田信玄は少し感心する。 幾ら敵の兵数の方が多いとは言え、例え一刻でも凌がれるとは思ってもみなかったのだ。 だからと言って、敵に趨勢の手綱を渡す訳にはいかない。 味方の方が少ないのであるのだから、それは尚更だった。
信玄はすかさず、馬場信春に前線へ出るように命じる。 すると彼は、躊躇う事無く戦場に躍り出た。 馬場信春は、鬼美濃とあだ名される武将である。 彼は初陣を飾ってから今日まで、ただの一回も怪我を負ったことがないとまで言われるほどの男である。 そして彼は、そのあだ名に恥じない働きをこの戦でも示し、馬場信春率いる軍勢は織田・徳川勢の先鋒を突破してみせた。
文字通り前線を喰い破った馬場信春は、そのまま徳川家康と佐久間信盛の居るであろう本陣を目指して突き進む。 しかし、そんな彼に立ちふさがる者が居る。 誰であろう、それは榊原康政と小笠原信興の両名であった。
彼らとて、鬼美濃の名は知っている。 しかしだからと言って、このまま蹂躙される気などない。 ましてや二人の後方には、主君である徳川家康が居る。 簡単に抜かせる訳にはいかなかった。
「鬼美濃とて、この先はいかせぬ!」
「その通り」
しかしながら馬場信春は、二対一という状況を前にしても慌てない。 いやそればかりか、二対一という不利な状況であるにも拘わらず、嘲笑とも取れそうな笑みを浮かべていた。
彼にしてみたら、二人の行動など滑稽でしかない。 何せわざわざ、自分と戦う為に持ち場を離れたのだ。 目の前で得物を構える二人が此処にいると言うだけでも、結果としたら十分である。 二人が此処にいると言う事は、即ち敵の陣に綻びが生じたという事だからだ。
そして、その綻びを見逃す様な者は武田の将にはいない。 ふと見れば、一人の将が旗下の兵を率いて敵に生じた綻びを突破しようとしている。 その様子を見て取った馬場信春は、更に目の前の敵が動揺する様に言葉を掛けていた。
「二人して持ち場を離れるとは、いやはや若いのう。 羨ましい限りじゃて」
『何をっ!』
「ほれ。 それが理由じゃ」
馬場信春が手にしていた槍で示した先、そこはつい先ほどまで榊原康政と小笠原信興が布陣していた場所であった。
だが二人は、馬場信春と言う存在につられ配された場所から移動してしまっている。 その二人が居た場所を突破する、武田の軍勢が見て取れる。 その軍勢を率いる者は武田の将である内藤昌秀であり、彼は榊原康政と小笠原信興が動いた為に出来た戦線の綻びを見つけるとそこ目指して突き進んできたのだ。
敵である馬場信春に指摘され、慌てて戻ろうとする二人だがそんな事が許される筈もない。 彼は手にしていた槍を扱くと、次の瞬間には榊原康政と小笠原信興に突き付ける。 その迫力に押されたのか二人の全身からは、嫌な汗がにじみ出ていた。
その一方で馬場信春の助力もあって敵を突破した内藤昌秀であったが、そのまま敵本陣まで突貫とはならない。 彼もまた、二人の男に止められたのだ。
彼を止めた二人とは、水野信元と毛利秀頼である。 二人は佐久間信盛からの命を受けて、この場に現れたのであった。
先を急ぎたい内藤昌秀であったが、目の前に現れた二人を放っておいて先になど進める筈もない。 彼は二人を排除すべく、躍り掛かっていった。
さて戦況だが、どちらかと言えば武田勢の方が押し気味であると言える。 だが、織田・徳川勢の奮闘があり、前線は乱戦模様となっていた。 しかしながら武田信玄は、前線の戦況を知ると不敵な笑みを小さく浮かべる。 その理由は唯一つ、この乱戦とも言える戦況こそが狙いであったからだ。
織田の軍勢も徳川の軍勢も、目の前にいる味方の軍勢を相手にするのが精一杯である。 この状況下で次の手を打てば、直ぐには対応できない。 すると信玄は、またしても配を返した。 するとその動きに合わせて、騎馬の一団が武田勢より突出した。
この一団を率いているのは、武田信玄の息子である武田勝頼である。 そして彼には真田信綱と真田昌輝の兄弟が付けられていたが、更に追加として武藤昌幸も付けられている。 そんな彼らを引き連れて、武田勝頼は突撃したのだ。
すると武田信玄が予想した通り、この一行に織田と徳川の将兵は対応出来ない。 それぞれが武田勢の将を相手にするのが精一杯の状況であり、それも致し方無いと言えた。
だからと言って、見逃せるのかと言えばその様な事はない。 そこで何とか足止めをしたのだが、彼らも武田勢を押し留めるので手一杯でありそこから離れる事ができない。 最も離れられたとしても、今度は自由になった武田の将が突貫してしまうので結局のところ離れられなかった。
さて首尾よく敵を突破した武田勝頼だったが、その勢いのままに織田。徳川連合勢の敵本陣を目指す。 しかしもう少しで敵本陣と言うところで、彼は行く手を遮られてしまった。
そんな無粋な敵の登場に、苛立たしげに槍を繰り出す。 だがその槍は、相手の持つ槍に止められていた。 しかし勝頼はそれで終わらず、再度槍を繰り出す。 しかしてその槍も、やはり相手に止められた。
なかなかの腕を持つその相手に、武田勝頼は何者かと誰何する。 しかしながら、返ってきた答えに思わず驚きを露にする。 それと言うのも、目の前の男は徳川家康だと言うからであった。
「ほう。 家康か。 ならばその首、もらい受ける」
「そう簡単には渡せぬわっ!」
そう言うと、槍を繰り出していた。
だがこの男、実は徳川家康本人では無い。 彼の本当の名は夏目吉信といい、れっきとした徳川家の将である。 そんな男が何故に主君の名を語り勝頼と対峙したのか、その理由は少し前にある。 何と夏目吉信は、本陣近くまで攻められたと知って出陣しようとした徳川家康を押し留め、その上でこの場に現れたからであった。
「何っ! 引けだとっ!!」
「はっ。 こうなっては、最早敵の勢いは止められますまい。 なれば殿はすぐに兵を引き、浜松城にて体勢を立て直す事が寛容かと」
「馬鹿を申すな! 兵数が劣る敵にここまでされて、おめおめと引き下がれるものか! のけっ! わしは出る!!」
そう答えると徳川家康は、床几から立ち上がり馬を連れて来る様に命じる。 やがて現れた愛馬に跨ろうとしたが、その行動は他でもない夏目吉信に邪魔された。
彼は徳川家康の腕を掴み自らの方に引き寄せると、強引に床几へと座らせる。 そして自身は、徳川家康と主君の愛馬の間に立ち塞がった。
「殿。 我らが死しても、徳川家は無くなりません。 しかし殿が亡くなられてしまわれたら、徳川の家がどうなるとお思いか! どうか国の為、家臣領民の為に御自愛ください」
夏目吉信は、処罰も覚悟の上で主君へと忠言する。 そんな家臣の覚悟を前に、徳川家康の頭に上っていた血は急速に下がっていった。 冷静になれば、夏目吉信の言っている事は妥当なものだと判断できる。 そうなると、周囲に対しても意識を回す事ができる様になった。
すると徳川家康の耳には、剣劇の音が幾つも聞こえてくる。 しかも、そう離れているとも思えない。 それは即ち、味方が押されているという証左に他ならなかった。
「……分かった。 ここは、退却する」
「しからば、拙者は時間を稼ぎます。 殿のお馬と鎧、お貸し下さい」
夏目吉信の言葉に、家康は顔を上げた。
それもそうだろう、彼は身代わりになると言っているのである。 兵の強い弱いは別にして、兵が少ない軍勢が兵の多い軍勢を相手する場合、勝利を得る手っ取り早い方法は敵の頭である大将を討ってしまう事だ。
故に大将が居るとなれば、敵の軍勢も集中する。 そして敵勢が一点に集中すればするほど、退却する側はより有利な状況で退却できるのだ。
だからこそ夏目吉信は、主君の鎧と馬を借りるのだ。 己自身を囮とする為に。
その考えが分かるだけに、徳川家康は苦虫を噛み潰した様な表情となる。 とは言え、目の前で平伏しながら願い出ている夏目吉信の策に代わる策など考えつけない。 彼はそれこそ、己が命を懸けて主たる徳川家康を救うと願い出ているのだ。 そんな命を賭した懇願を前にして、何も言えなくなってしまった。
徳川家康は口を開いたが、次の瞬間には首を振っている。 そんな仕草を何度か繰り返した後、漸く決断したのかゆっくり立ち上がると、小姓に手伝わせて鎧を脱ぎ始めていた。
「良いか、吉信。 馬と鎧は貸すだけだ。 必ず返せ」
「ははっ」
その後、徳川家康の鎧を着込んだ夏目吉信は、主君の馬に跨る。 それから数十騎を率いると、戦場に向かって行った。
残された徳川家康は、ぐっと拳を握りしめながら忠臣を見送っていたが、その時声を掛ける者が居る。 誰かと思い家康が視線を巡らすと、そこには家臣の松井忠次の姿があった。
何用かと声をかけると、彼は兜を貸して欲しいと言う。 理由を募ると、さも何でもないと言った表情をしながら夏目吉信と同様に敵の目を引き付ける為だとのたまわった。
夏目吉信にしても松井忠次にしても家康さえ生きていれば、例えこのまま負けて力を落としたとしても徳川家の再興に何ら問題ないと確信している。 その為にも、徳川家康の命をこの戦で失う訳にはいかないのだ。
そこまでの覚悟を見せられては、否は無い。 自らの兜を脱ぐと、松井忠次に手渡した。
「よいか。 命を無駄に散らすな!」
「無論にございます。 少なくとも、殿をお助けせねば死んでも死にきれません」
主より手渡された兜を被った松井忠次は、家康に一言返すと囮となるべく馬の腹を蹴ると出陣する。 そして残った徳川家康はと言えば、夏目吉信と松井忠次が向かった方面に軽く頭を下げている。 そして次の瞬間、愛馬とは別の馬に跨ると居城の浜松城に向けて撤退を開始した。
そんな味方の軍勢を率いる家康の後ろ姿を、徳川家臣の本多忠真が見送っている。 暫し主君の背を見続けた後で彼は、自らの両脇に一つずつ旗指物を突き刺していた。
「我、ここでお家の護鬼とならん!!」
そうのたまわった本多忠真は、僅かな手勢と共に獅子奮迅の働きをする。 何と彼は、徳川家康の為に手勢より遥かに多い武田勢を暫くの間だけでも押し留める事に成功したのだ。 しかし、代償がない訳ではない。 彼が引き換えとしたのは、己と己に従った手勢全ての命であった。
こうした彼らの様な忠義の家臣達のお陰で虎口を脱しようとしていた徳川家康だが、やがて見えた光景に足を止める。 と言うのも、進行方向に兵が展開しているのが見えたからだ。
次の瞬間、慌てて後ろを見る。 すると彼の眼には、距離はまだまだあるが朱色に統一された一団が徐々に近づいて来る様に見て取れた。
それは、山県昌景率いる武田の赤備えであるかと思われたが、よく見れば笹軍配である。 となれば、武田家において山県昌景の他にもう一人赤備えを許された小幡信貞に他ならなかった。
正面には敵勢、そして後ろからは上州の赤備えこと小幡信貞の軍勢である。 流石の徳川家康もこれまでかと覚悟を決めたが、その直後に成瀬正義が手勢を率いて正面の軍勢に突撃しようとする。 しかし、それよりも早く正面の軍勢より一斉に矢が放たれた。
思わず徳川家康も成瀬正義も、そして兵達も身を固める。 だが、何時まで経っても彼らのところに放たれた矢は到来しない。 それもその筈であり、進行方向に展開している軍勢より放たれた矢は、徳川家康達を飛び越え迫り来る武田兵を足止めするかの様に降り注いだのであった。
「徳川殿! 浜松城までお引きなされ。 ここは拙者にお任せを!」
そう徳川家康に声を掛けたのは、丹羽長秀である。 何ゆえに彼が此処にいるのかと言うと、それは勿論徳川家康と佐久間信盛の救援の為であった。
話は滝川一益の救援要請に従って、義頼が井伊谷を出た直後まで遡る。 すると義頼は、井伊谷を出ると直ぐに軍勢を分ける。 一隊は己自身が率いる軍勢としたが、もう一隊は丹羽長秀と彼の補佐としてつけた不破光治に預けたのであった。
こうして救援を任された丹羽長秀は、更に兵を分けている。 半分は自身が率いて、徳川家康の救援に向かう。 そしてもう一隊は不破光治に預け、佐久間信盛の元へ向かわせたのだ。
そのお陰で、徳川家康は九死に一生を得たと言う訳である。 その後、丹羽長秀に後を任せると浜松城へ退却したのだった。
そしてほぼ同時刻、佐久間信盛もまた撤退していたのである。 彼とて「退き佐久間」とまで言われた男である。 武田勢相手にやや劣勢となりながらも、見事な撤退戦を演じていた。 しかしながら、敵から押されているのも事実である。 このままでは押し切られてしまうかもしれないという思いが、しきりに彼の脳裏を走っていた。
だが、彼の命運は尽きはしなかった。 先程も述べた通り不破光治の救援が、間に合ったからである。 こうして佐久間信盛もまた、兵を率いて浜松城へと撤退したのであった。
その一方で丹羽長秀達と別れた義頼が何処に居るのかというと、何と三方ヶ原である。
さて井伊谷を出て丹羽長秀と別れた義頼率いる軍勢が何故に三方ヶ原に居るのかと言うと、彼はこの戦が織田・徳川連合と武田勢の総力戦になると予測した為である。 いくら武田信玄と言えど、何かに傾注すればその分だけ周囲が疎かになると考えたのである。 そうなれば、付け込む隙ができる。 そこを突こうと、義頼は考えたのだ。
「どうだ二人とも。 俺の考えに間違いはあるか?」
「……いえ、ありませぬ。 新左衛門尉(三雲賢持)殿はどう思われる?」
「拙者も同じでございます、弥八郎(本多正信)殿。 間違いなく、全力となりましょう」
「ならばこの策でいく。 武田本陣に奇襲を掛けるぞ!」
『はっ!!』
その後、浜松城を出陣した滝川一益と合流した義頼は、岸教明の案内で三方ヶ原を東進する。 同時に、甲賀衆と伊賀衆を物見と派遣して先の様子を探らせた。
すると派遣された甲賀衆と伊賀衆は、理由か分からないが少数で行動している武田勢を発見したのである。 数の上で自分達の方が優位であると分かると、彼らはその武田勢を襲撃する。 幾らかの犠牲も払ったが、それでも一人残らず武田勢を打ち果たす事に成功する。 その後、望月吉棟が報告の為に義頼の元へ向かった。
程なくして到着した彼から話を聞くと、三雲賢持へ武田兵が居た理由について訪ねる。 少し考えた後で彼は、偵察か警戒の部隊ではないかと推察した。 もしそうであるならば、いたずらに時間を空けると敵に悟られてしまう可能性がある。 そう思案した義頼は、馬淵健綱へ配を渡した。
ここで馬淵建綱に配を預ける理由、それは今回の奇襲に当たって義頼が自ら先鋒を務めた方がいいと判断したからである。 何せこれから奇襲をかける相手は、あの武田信玄が居る敵の本陣なのだ。 士気と勢いが一番大事だと判断し、その二つを高める為に義頼自らが先陣を切る事に決めたのであった。
そして馬淵健綱はと言えば、不承不承といった感じで配を受け取っている。 出来る事ならば今でも反対したいのだが、義頼の言った理由にも納得できてしまっている。 それだけ武田という名は、大きいと言えるのだ。
「今更、否とか言ってくれるなよ」
「言いませぬ。 ですが、御身は大事になさってください」
「分かっている」
馬淵建綱にそう答えた義頼であったが、しかしてその口元は微かに弧を描いていた。
何と言っても、相手は戦国最強の一角とまで謡われた武田勢である。 その相手にどれだけ力を示せるか、それを考えると義頼の胸は躍っていた。
無論、味方の指揮と勢いを高める為に義頼が先陣を務めるといった言葉に嘘はない。 だがそれはそれとして、武田勢を相手にするという事実が義頼に武人としての高揚感を齎していた。
因みに一益も、同じ理由から先陣を切る事となっていたが……
それはそれとして義頼の後方には蒲生頼秀ら近江衆と永原重虎ら義頼家臣衆が、そして左隣り後方には尼子勝久率いる尼子衆が、その右隣後方には森可成と森長可親子、そして佐々成政が追随していた。
なお武田本陣には、騎馬でのみで突撃を仕掛ける手筈となっている。 歩兵は、援護の一撃を敵へ浴びせた後に早々にそこから離れる事となっていた。
こうして陣立てを行った義頼は、一益と共に先頭に出るとそこで馬首を返す。 そして一呼吸開けると、二人は声を張り上げた。
『旗立ていっ!』
義頼と一益の言葉に従い、六角家の家紋である隅立て四つ目が描かれた旗と滝川家の家紋である丸に竪木瓜の旗が翻る。 それに引き続いて、森家など他家の旗が立ちあがる。 横目でそれらの旗印を確認してから義頼は、ゆっくりと口を開いた。
「聞けぃ! 今より虎狩りに向かう。 狙うは虎の首ただ一つ!!」
「他の首など捨て置け!」
『はっ』
義頼に続き、滝川一益も声を上げた。
するとその直後、将兵から一斉に了承の声が上がる。 そんな旗下の兵からの返事を聞いた義頼と滝川一益は、頷き合う。 それから二人は同時に腕を振りあげた、一呼吸置いた後でやはり同時に振り下ろした。
『突撃ー!』
『おおー!!』
義頼と滝川一益の号令一下、六角勢と滝川勢は突撃を開始したのであった。
さて武田本陣であるが、武田信玄が家臣の曽根昌世と話をしていた。
その内容は、未だ戻らない部隊についてである。 武田信玄も歴戦の将、例え一戦に集中しているとは言え周りの警戒を怠ったりはしていなかった。
但し、やはり幾らかは疎かになってしまう。 勝ちを収める為にも、前線に回す兵を増やさねばならない。 翻ってそれは、警戒に回す兵を減らすことになってしまうからだった。
だからと言って、話題にしている兵に何かがあったと結論付けるにはまだ早く感じる。 少なくとも、曽根昌世はそう感じていた。
だが、武田信玄にはそうは思えなかった。 これは、長年の経験と言っていいかもしれない。 何かがあったと、理屈ではない何かに引っ掛かりを覚えたのだ。
「何かあった……そう考えた方がよかろう。 昌世、警戒を密にせよ。 それと、前線より勝頼を呼び戻せ」
「御意」
武田勝頼率いる部隊は、武田信玄が最後の最後で投入した部隊である。 それだけに兵の損耗も少ないと思われ、それ故の命であった。
武田信玄の命を受けた曽根昌世は、すぐに伝令を走らせる。 同時に本陣の兵を信玄の周りに集結させ、自らも武田信玄の傍らに佇んだ。
それから程なく、三方ヶ原の在る方向から何かが集団で駆けて来る様な音が聞こえてくる。 何事かと思い、武田信玄と曽根昌世はそちらに視線を向けた。 すると彼らの視界に、隅立て四つ目と丸に竪木瓜の旗が写る。 次の直後、真一文字に三方ヶ原から駆け降りて来る一団の姿がやはり目に写った。
「あの隅立て四つ目は……六角かっ! 昌世!!」
「はっ。 迎え討て!」」
まさかの奇襲に一瞬呆気に取られた武田兵であったが、武田信玄より声を掛けられた曽根昌世の声に武田兵はすぐに我に返ると集結する。 しかし大将を守ろうとしたその行動は、皮肉にも今回の場合は裏目に出てしまった。
その時、六角家の弓衆を率いる吉田重高と吉田重綱親子の声と六角家の鉄砲衆を率いる杉谷善住坊と城戸弥左衛門の声が重なる。 なまじ兵が集った為、やや上から武田本陣を見ていた彼らにも信玄の居場所を大凡であるが判明してしまったのである。 そこで彼らははじめ牽制のつもりであった矢玉の一撃を、敵将が居ると思われる辺りに浴びせる事にしたのだ。
その為、僅かの時間であったが武田本陣が混乱してしまう。 その隙を突いた義頼と滝川一益が率いる軍勢が、逆落としの勢いのまま武田本陣へと乱入したのだ。
六角・滝川の軍勢は、混乱が収まっていない武田本陣を貫きに掛かる。 軍勢の道を切り開いているのは、尼子衆の山中幸盛と熊谷新右衛門 、そして滝川家の軍勢に従軍していた前田利益であった。
彼らはひたすら武田本陣を突き進み、やがて信玄の本陣旗である諏訪明神旗を認める。 その途端、義頼と一益は一気に馬の速度を上げた。 すると彼らの視界に、まるで同じ格好をした二人の信玄が目に入った。
「影武者か! 彦右衛門(滝川一益)殿は右を、某は左を」
「承知した!!」
『信玄! 覚悟っ!!』
義頼と滝川一益は、その勢いのまま二人の信玄目掛けて攻撃を仕掛けたのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




