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第七十六話~出陣~


第七十六話~出陣~



 日が昇り間もなく、義頼は井伊谷城の庭に面する濡縁に腰を下ろしていた。

 視線の先には、咲き始めた寒牡丹の花が風に揺れている。 本来であれば弓の鍛錬を行っているところだが、流石に他家の城で許可も得ずにその様な事はしない。 その代わりと言う訳でもないが、穏やかな気持ちで庭を眺めていた。


「次郎法師殿、部屋へ戻られますか」

「……はい、六角様」


 次郎法師こと井伊直虎いいなおとらは、驚きの表情を浮かべながら言葉を返していた。

 その理由は、言うまでもなく義頼である。 彼が、全く後方を見ずに静かに着替えた直虎へ尋ねたからだ。

 彼から「武が立つのでは?」と言う雰囲気がなかった訳ではない。 しかし、視線を向けることもなく気配だけで察している事に驚いたのだ。

 そのお陰で反応が遅れた結果、返答までに間が開いてしまう。 それでも気を取り直すと直虎は、肯定の返答をしたのであった。


「後朝の別れ……か」

「え?」


 ぼそりと義頼が小さく言葉をこぼしたのが聞き取れず、思わず近づく。 その途端、彼は直虎を抱き寄せていた。 急に抱きしめられた為、彼女は泡を食ってしまい抵抗もできず義頼の腕の中に閉じ込められてしまう。 すると、直虎の耳元で義頼は言葉を紡いでいた。


「次郎法師殿。 貴女はまごうかたなく素敵な方だ」

「っ!!」


 その直後、抱きしめられたことでいささか強張っていた直虎の体から力が抜ける。 そして委ねる様に目をつむると、彼女の眦から一筋の涙がこぼれた。

 おそらく最後となるであろう抱擁、それが悲しいのかそれとも嬉しいのか直虎自身も分からない。 ただ分かっているのは、はかなくも美しい一筋の涙が直虎の目からこぼれた事だけであった。

 それから長かったのかそれとも一瞬だったのか、やがて直虎の腕が優しく義頼の体を押す。 殆ど力など入っていなかったが、義頼も逆らうことなく腕を解いた。 すると直虎は嫋やかに立ち上がると、朝日が差し込む中微笑みを浮かべる。 それから、静かに部屋を退出した。

 そんな直虎の笑みに一瞬だけ目を奪われた義頼だったが、程なくしてゆっくりと立ち上がる。 そして今一度、庭を眺めたのであった。


「牡丹……井伊殿のような花だ」


 牡丹は男気の象徴でもあり、同時に美女の形容でもある。 普段にあっては男さながらに当主として振る舞い、その一方で昨夜の様に女性でもある。 正に、井伊直虎そのものの様に義頼には感じられたのであった。



 その後、井伊家の歓待を受けた義頼ら織田家の将はと言うと、一先ず己らの陣へと戻っていた。

 山県昌景やまがたまさかげ率いる武田勢を、柿本城まで追いやったのは重畳と言っていいだろう。 これにより、井伊家の救援は成功したとして問題なかった。

 ただ柿本城に居座っているのは不気味だが、そもそも義頼の役目は佐久間信盛さくまのぶもり指揮下での徳川家救援である。 何時までも、井伊谷に残る訳には行かない。 つまり、これからの動きを考える必要があったからだ。

 そんな義頼の元へ、書状が届いたとの知らせが齎される。 書状を手渡したのは、 井伊谷城に行った義頼に代わり、六角家筆頭家老でもあり副将でもある馬淵健綱まぶちたてつなと共に六角家の兵を掌握していた三雲賢持みくもかたもちであった。

 

「何!? 滝川殿よりの書状だと? 佐久間殿では無くか」

「はい」


 その書状の差出人は、滝川一益たきがわかずますである。 しかしながら、彼が書状を出してくると言う事に義頼は首を傾げてしまう。 通常であれば、援軍大将である佐久間信盛から書状が届くからだ。

 兎にも角にも届いた書状を読み進めた義頼であったが、その表情は訝しげな物から徐々に真剣な物へと変わっていった。 その変化に、書状を持ってきた賢持もまた怪訝な顔をする。 程なく書状を読み終えた義頼は、即座に賢持へ馬淵健綱や本多正信ほんだまさのぶ永原重虎ながはらしげとらを呼ぶ様にと指示を出した。

 予想外の言葉に命を受けた賢持だったが、取り敢えず三人を呼びに行く。 そんな賢持を見送ると、義頼は再度一益の書状に目を戻していた。


「佐久間殿と徳川殿が出陣とは、一体どういう事なのだ? 連絡では、浜松城にて迎え撃つとなっていた筈であろうが……一体全体、浜松城で何が起きたというのだ?」


 そんな義頼の独白は、誰が聞くでもなく虚空へ消えていた。

 それから間もなく、義頼の元に馬淵健綱以下呼び出した三人とそして三雲賢持の計四人が揃う。 すると義頼は彼らに、一益からの書状を見せる。 その内容に、本多正信と三雲賢持が息をのんで驚きの表情となっていた。

 と言うのも、二人に取り佐久間信盛と徳川家康とくがわいえやすの出陣など無謀な行動にしか見えないからである。 両名が出陣すると決断した経緯は分からないが、その事を置いておいても危険な賭けにしか思えなかったのだ。

 すると正信と賢持の表情を認めた永原重虎が、不思議そうな表情を浮かべつつ尋ねる。 それと言うのも重虎には、二人が何ゆえに驚いているのかが分からなかったからであった。


「……永原殿。 この出陣は、いささか不味い事になる可能性がございます」

「不味い事だと?」

「はい。 確かに武田信玄たけだしんげんを上手く奇襲する事が出来れば、勝利を得ることは不可能とは言いませぬ。 ですが、その可能性は極めて低いと言わざるを得ません。 あの信玄が、浜松城の動静を注視していない訳がないからです」


 正信と賢持にそこまで説明されれば、重虎とて分かる。 どうしてそこまで、正信と賢持が驚いたのかの理由がだ。 つまるところ正信と賢持の二人は、佐久間信盛と徳川家康の出陣を逆手に取られ武田勢からの逆撃を喰らう事態を恐れているのである。 そうなれば武田勢の勢いは更に盛んになるのは必定となり、ひいては徳川家の救援は難しくなるからだ。 


「……やはり、その可能性が高いか」

「はい、殿。 それ故に、我らを集めたのでありましょう」


 正信の言葉に、義頼は頷いた。

 彼もまた、正信の考えた事態を警戒していたのである。 だからこそ、正信達を集めたのだ。 状況から予測となるが、この家康と信盛による奇襲が成功するとは思えない。 その上、もし両者のうちどちらか一人でも討たれ様物ならこの戦の行く末すら混沌としかねなかった。

 しかも、今から動いたところで信盛と家康が仕掛けた戦に間に合わない。 ならばこの戦の結果を、如何にして不利な状況から脱出させるのかが必要になるのだ。


「その通りだ正信。 そこで問題だが、如何に動くかという事なのは分かるだろう」

「はい」

「そしてもう一つある、柿本城の山県勢の動きだ。 井伊谷城攻めの最中に奇襲を掛けて、多少なりとも損害を与えたのは事実だがまだまだ油断はできん。 我らがこの地より移動した後に、柿本城から出陣してまた攻めて来られてはせっかくの救援が意味のないものになってしまうからな」

「……その柿本城なのですが殿……妙なのです」


 義頼の口から撤退した山県昌景についての話が出ると、賢持が柿本城の様子が妙だと告げて来る。 その言葉に義頼は無論の事、正信や健綱や重虎が眉を寄せた。

 それは、そうだろう。 今まさに話していた柿本城の様子がおかしいと言うのだから、それも当然と言える。 何であれ義頼は、賢持へ気に掛かっていることを告げる様に促していた。

 一つ頷いた後に口を開いた賢持によれば、柿本城にたなびく旗指物の数に比べて城に居る兵の数が合わない。  旗指物の中には、山県家の旗も見受けられるにも拘わらずである。 その事を聞いた義頼と馬淵建綱と永原重虎の三人は、顔を突き出すように詰め寄っていた。

 すると賢持は、思わずのけ反りそのまま後ろに倒れてしまう。 彼は以前、戦のせいで体に不自由を抱えてしまっているので、彼は上手く後ずさる事が出来なかったのだ。

 その様子に、詰め寄った彼らも賢持の体について思い出す。 流石に悪いと思ったのか、義頼は倒れた賢持に謝罪をする。 その脇から差し出された永原重虎の手を掴みながら起き上がると、彼は問題ない事を告げていた。

 間もなく賢持が体勢を整えると、義頼は改めて賢持に尋ねたのであった。


「賢持。 先ほどの言葉だが、相違ないのだな」

「柿本城の事にございますか? それならば、間違いございません」


 賢持の返事を聞いた重虎は、はっとしたような表情をしながら義頼へ視線を向ける。 そこで義頼は、確信したかの様な表情で二人に頷き返した。

 実は義頼も、嘗て似た様な事を行っている。 それは、まだ義頼が六角家当主とはなっていない頃の話であった。 足利義輝あしかがよしてるが討たれ足利義昭あしかがよしあきが六角家に身を寄せた際、甥の六角義治ろっかくよしはると三好三人衆が密約を結んでしまう。

 その為、義昭は近江国より若狭国へ逃れたのだが、その密約の為に三好長逸みよしながやすが兵を率いて当時義昭の御所であった矢島へ攻め込んだのである。 その時、迎撃した義頼は矢島御所に案山子や篝火をたき三好勢を引き付けたのだ。

 旗指物と案山子や篝火と言う違いはあるが、敵の目を引き付けるという意味では行っている事に変わりはない。 義頼はその後、奇襲をしているが昌景にその様な事をする必要などない。 そうならば導き出される答えは、一つしかなかった。 


「……これはしてやられましたな、殿」

「そうであろうな、重虎。 恐らく代わりの城兵を入れると同時に山県昌景は、軍勢を率いて密かに城を出たのであろう。 あの戦からの時間経過を考えれば、山県勢が信玄率いる武田本隊と合流している可能性もないとは言えない。 となれば、ぐずぐずもしてられぬ。 正信、賢持!!」

『はっ』

「佐久間殿と徳川殿の軍勢が、武田勢とぶつかるのはどのあたりだと思う?」


 正信が作成した浜松城近隣の地図を見ていた二人だったが、やがて賢持がある場所を指さした。 それは、嘗て欠下城と言う城が建っていた場所であった。 しかし既に廃城となっており、今は遺構が残されているに過ぎない場所であった。


「……正信、そこは城跡か?」

「はい。 凡そ数十年前の事になりますが、この辺りで戦があったそうにございます。 文献によればその頃にはまだ城があったそうでございますが、今となっては理由は不明ながらも城は打ち捨てられたそうにございます。 とは言え城跡には変わりがございませんので、多少の手直しをすれば防衛拠点としてまだ使えるかと」

「そうとなれば、どちらが先に抑えるかが問題となるな」


 正信の言葉を聞いて、建綱が一言漏らす。 その言葉に、正信は頷いていた。

 彼が言った通り、防御機能の有無は戦の行く末も左右しかねない。 それが例え廃城であったとしても、侮るなど決してできる物ではないのだ。

 それ故、防御拠点を先に抑えた勢力は楽になると言える。 ましてや競争相手となるのはあの武田家の軍勢であり、そうなっては苦戦は必定であった。


「馬淵殿、その通りです。 そして恐らくですが、武田が先に押さえるでしょう。 もしかしたら、既に抑えているかも知れませぬ」

「……分かった、正信。 すぐにでも動こう。 俺は、丹羽殿達に事情を説明する。 建綱は、兵を取り纏めておけ。 賢持は滝川殿に返書を出せ、それと道案内だが教明に任せるとしよう」


 程なく建綱らが消えると、義頼は丹羽長秀にわながひでら将を集めて一益からの書状を示した。

 その内容を聞いた長秀は勿論、森可成もりよしなり森長可もりながよしの親子や佐々成政さっさなりまさ不破光治ふわみつはるも驚きの表情を浮かべたのであった。


「それ故に我らは、早々にこの地より発とうと思う。 そして、徳川殿と佐久間殿の救援に向かう」

「……いいでしょう。 左衛門佐(六角義頼ろっかくよしより)殿と共に、救援に参りましょう」


 織田家の将を代表する形で、丹羽長秀が口を開く。 すると他の者達も、頷く事で義頼に同意する。 その後、彼らは急いで自陣へ戻ると出立の用意を始めた。

 そして義頼はと言うと、馬廻衆を護衛として井伊谷城へ赴く。 出立するに当たり、滞りなくこの井伊谷を離れる為に、井伊家へ話を通す為であった。


「……そうですか。 殿(徳川家康)の元へ向かう為にこの井伊谷より出陣なさると」

「ええ。 井伊殿もご存知の通り、我らは徳川家の援軍としてこの遠江にやって来ました。 その我らが、救援に向かうは至極当然の事ですから」

「それはそうでしょう……我ら井伊衆が同行出来ぬのが歯がゆい」


 現状の井伊家では、柿本城への警戒がありとてもではないが兵を出す余裕が無かった。

 無理に出陣する事も可能だが、それでこの井伊谷を再度敵に取られてはそれこそ本末転倒となる。 それ故、兵を出す訳にはいかなかった。

 直虎や井伊家家臣の表情から、彼らの気持ちを感じた義頼は胸を叩き必ずや徳川家を救う旨を約束する。 珍しく安請け合いをしているが、これは井伊家の者から感じられる悲壮な雰囲気を払拭する為である。 その気遣いに気づいたからか分からないが、直虎を含む井伊家の者より苦笑が幾つか上がっていた。


「我らにお任せあれ、井伊殿。 必ずや、徳川殿を救援致す。 大船に乗った気持ちで、吉報をお待ち下され」

「それは、是非もない。 ろっか……織田家援軍の御武運もお祈り致します」


 言い掛けた途中で言葉を変えた直虎に、井平城から戻っていた菅沼忠久すがぬまただひさが訝しげな顔をした。 思わず問い掛け様としたが、直後に口を開いた義頼に気を取られた為に忠久の疑問は取りあえず中断されてしまう。 彼がこの時に抱いた疑問が解消するには、今暫くの時が必要であった。


「おお! 井伊殿、それは心強い。 では」

「ええ。 お気をつけて」


 そう言うと義頼は、直虎を一瞬だけ見てから立ち上がると踵を返す。 するとまるでその背を追い駆けるかの様に、直虎はじっと見続けたのであった。





 こうして井伊谷にいる義頼の軍勢も動き始めた頃、亀井戸城に本陣を置く武田信玄は物見の者からの報告を受けていた。

 その報告によれば、浜松城より家康と信盛が打って出てくる気であるらしい。 如何にして彼らが籠っている浜松城より誘い出そうかと思案を巡らせていた信玄にとって、まさに朗報と言えた。


「徳川と織田が出てくるか。 昌景が敗れたと聞いた時はまさかと思ったが、結果としてその事が誘因の役に立った訳だな……昌貞はいるか」

「はっ」

「その方は二俣城に向かい、勝頼と攻め手の大将を変われ。 そして、二俣城から徳川の兵が出ない様に抑えよ」

「御意」


 信玄から命を受けた三枝昌貞さえぐさまささだは、兵を整えるとすぐに亀井戸城より出陣した。

 そして二俣城を攻めていた武田勝頼たけだかつより達に主君の命を伝える。 父親である信玄からの命を受けて勝頼達は、後を昌貞に任せると亀井戸城へ取って返した。

 こうして亀井戸城にて勝頼達と合流した信玄は、簡易的に修築させていた欠下城に向けて進軍を開始する。 そのほぼ同時刻、二俣城の昌貞は思わぬ者の訪問を受けていた。

 その者とは、柿本城より撤退した山県昌景である。 彼は別の道を使い、二俣城まで辿り着いたのであった。


「それはこちらの科白だ、勘解由左衛門尉(三枝昌貞)殿。 二俣城を攻めていた四郎(武田勝頼)様は如何いかがなされた」

「四郎様は、御屋形様の命により亀井戸城へ向かわれました。 今は、拙者が二俣攻めを担当しています」

「何? 亀井戸城に召集だと?」


 疑問を呈する昌景に対して昌貞は、信玄から伝えられた徳川家と織田家の動きを教える。 その話を黙って最後まで聞いていた昌景は、話が終わり次第すぐに立ち上がった。

 その理由は、欠下城へ向かう為である。 そもそも柿本城を囮にしてまで合流を優先させたのは、武田信玄率いる本隊と一刻も早い合流をと考えたからだ。 このまままごついて武田家と織田・徳川の連合勢との戦に遅れては意味がなくなってしまう。 故に、昌景は一刻も早い合流を目指したのであった。

 その気持ちは、昌貞にもよく分かる。 そこで昌貞は、信玄へ昌景が戻ってきている旨を伝令にて伝えると告げる。 昌景はその心遣いに感謝すると、休む間もあればこそ欠下城へ向かうのであった。

 途中で斥候などの敵と遭遇することなく、昌景は欠下城へ到着する。 既に昌貞の伝令が信玄の元に到達していた為、山県勢は問題なく武田本隊と合流に成功していた。

 無事に武田本隊との合流を果たした昌景は、信玄に呼び出される前に自ら主の元へ赴く。 そして目通りが叶うと、挨拶もそこそこに信玄に平伏して詫びの言葉を述べていた。


「御屋形様より拝領した兵をみすみす失い、真に申し訳ございません。 如何いかなる処罰も受けまするが、その前に徳川との戦にだけは参加させていただきとう存じます!」

「昌景。 勝ち負けは兵家の常だ、あまり気にする事はない。 それよりも此度の戦で、負けの汚名を存分に晴らすとよい」

「御意!」


 力強く返答した昌景は、改めて雪辱を果たす決意を新たにしたのであった。

 


 話を少し戻し、昌景が二俣城から欠下城へ移動中の頃。 浜松城でも、出陣の用意は整っていた。

 全ての準備が整った旨を聞いた徳川家康と佐久間信盛は、満足そうに頷いていた。


「良いか! 我らはこれより浜松城より出陣し、先ずは欠下城を落とす。 その勢いのまま、亀井戸城へ奇襲を掛けるのだ!!」

『応っ!』


 徳川家康からの檄を受けて、徳川家の将兵が気合の籠った返事を行う。 その直後、佐久間信盛が織田家将兵に対して同様の檄を飛ばしていた。


「我らも行くぞ! 武田を破り、天下万民に織田の強さを知らしめるのだ!!」

『おおー!』

『出陣!!』

 

 異口同音の家康と信盛の下知に従い、徳川家と織田家の将兵が出陣する。 そんな彼らを滝川一益は、じっと見送っていた。

 彼としても、被害がどれだけになるか予測できない。 勿論被害がないに越した事はないが、それこそ先ずありえない結論だ。 それ故に彼は、井伊谷に居る筈の義頼らの動きに期待を寄せる。 現状において彼らの存在こそが一人でも多くの味方を生かす手段なのだから、その期待も当然であった。


「何はともあれ、彼らがどれだけ生き残るかは六角殿の動き次第であろうな忠澄」

「はい。 それでは我らも、出陣の用意を致します」

「慎重に、かつ素早く頼むぞ」

「お任せ下さい、殿」


 滝川家の家老を務める木全忠澄きまたただすみが浜松城の城壁より降りると、彼の後を追う様に一益もまた城壁より降りた。

 その一方で意気揚々と浜松城を出陣した家康と信盛であったが、早くもその目論見が崩された事を知る。 それは彼らが率いる織田・徳川の連合軍が、欠下城にある程度近付いた時の事であった。

 亀井戸城に辿り着くまでは敵などいても鎧袖一触がいしゅういっしょく出来ると思っていた家康と信盛の両名であったが、それでも何が起きるか分からないのが戦である。 そこで彼らは、今一度武田勢の動向を探らせる事にした。

 しかし纏まった数を送ると武田勢に判明してしまう恐れがあり、それでは奇襲の意味がなくなってしまう。 そこで織田家と徳川家からそれぞれ少数だが数隊の物見を派遣する事で、補う事にした。

 それから程なく、派遣した物見の者達が戻ってくる。 すると彼らから、武田勢の動きが齎される。 そしてその情報こそが、家康と信盛の作戦を根底から覆す情報であった。


「何だと!? 欠下城の城跡に武田の旗だとっ!!」

「は、はいっ。 諏訪明神の本陣旗が翻っております」


 諏訪明神旗の存在、即ち武田信玄の存在を示す物に他ならない。 同時にその事は、結果論だが織田・徳川の軍勢が引きづり出された事を示す物でもあった。

 すると家康と信盛の脳裏には、一益の言葉が甦って来る。 だが二人は揃ってかぶりを振ると、その言葉を脳裏から追い出した。

 確かに信玄の動きは予想外であったが、ある意味では好機ともとれる。 兵の多い自身達がこのまま奇襲に成功できれば、早々に決着を着ける事ができる。 そうなれば戦も終わり、同時に武田勢の撃破と言う名誉まで付いてくるのだ。

 武田勢が既に動いていた事でわずかに意気消沈仕掛けていた織田・徳川の連合軍の士気であったが、家康と信盛の言葉に再び盛り上がった。

 それに欠下城は浜松城に比べれば遥かに小城であり、その様な城に織田・徳川連合よりも多い兵が居るとは思えない。 いにしえより「兵多ければ策もいらぬ」と言われるぐらいであり、その事が彼らに生気を吹き込んでいたのだ。

 お陰で、つい先ほどま意気消沈していた軍勢の空気が払拭される。 そんな織田・徳川の連合軍将兵を見て家康も信盛も安堵した。


「さぁ、進むぞ。 織田と徳川の勇士達よ」


 生気を取り戻した将兵達に号令を掛けた信盛の言葉に従って織田・徳川の連合軍は、改めて欠下城へ向けて進軍を再開したのであった。


浜松城出陣後、家康と信盛の動きを若干改定しました。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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