第七十二話~朝倉義景の死~
越前侵攻、終了します。
第七十二話~朝倉義景の死~
越前国川島城、ほんの数か月前までこの城には朝倉義景の叔父に当たる朝倉景紀が入っていた。 しかし彼は、数ヵ月前に死亡してしまう。 既に息子に当たる朝倉景恒も死亡していた事から、川島城は空き城となってしまった。
だがその様な時に、斎藤龍興が親戚である朝倉家を頼って摂津国より越前国へと移動して来た。
龍興に頼られた朝倉義景は、元美濃国主である龍興を粗略には扱う事はせず賓客として扱っている。 信長によって岐阜城(稲葉山城)から放逐されて以来、各地を放浪して何かと苦労してきた龍興はその扱いに感動し、義景に臣下の礼を取り朝倉家の家臣となる。 すると義景は、龍興に丁度空き城となっていた川島城城代の任を与えていた。
その龍興だが、城の一室で報告を受けている。 その内容は、浅井長政が率いる軍勢と、浅井家の援軍である織田家の軍勢を率いる義頼の動きについてであった。
「そうか。 浅井と六角は、既に府中へ進軍したのか」
「はい。 物見の知らせでは、その様にございます」
「分かった、下がれ」
「はっ」
報告を上げて来た者を下げさせると、龍興は大きく息を吐く。 それは川島城に居る兵力と、敵である浅井・織田の兵数が違いすぎる事に由来していた。
それに浅井長政は織田家からの援軍を得たばかりでなく、降伏した越前国人も旗下に加えている。 浅井勢が越前国内に侵攻して来た時から比べるのも馬鹿らしいぐらいの兵数を、長政は擁しているのだ。
だからと言って、降伏などもっての外である。 龍興は、朝倉家より多大な恩義を受けている。 この様な状態で降伏など、出来る筈も無かった。
そんな時、更なる報せが齎される。 その内容は、驚きに値するのもであった。
「刑部大輔(斎藤龍興)様!」
「どうした」
「鞍谷様が浅井に降ったとの知らせが!」
「何だとっ!」
鞍谷こと鞍谷嗣知は通称であり、本姓は足利である。 彼は祖父の代に足利幕府内の継承問題に関係して越前国に下った足利一門であり、朝倉家からは貴種として厚遇されていた。
そればかりか嗣知は、義景の今は亡き側室である小宰相の父親である。 足利一門であり、しかも亡くなっているが娘は義景に嫁いでいる。 この様な経緯もあって、鞍谷嗣知は朝倉家中に強い影響力を持っていたのだ。
また一説には、足利義昭が朝倉家より出ていく遠因を作ったとされるぐらいの影響力を持った人物でもある。 その嗣知が、浅井家に降ってしまった。
木の芽峠が抜かれているだけでも、十分朝倉家臣や越前国人へ動揺を与えている。 その上、越前公方とも称される鞍谷嗣知が浅井勢に降伏したと知れ渡れば、朝倉家中や越前国人へどれだけの影響を与えるのか龍興には想像も出来なかった。
そしてその頃、一乗谷では鳥居景近と高橋景業の進言を受けた義景が、浅井・織田の連合勢にまだ降伏していない朝倉家臣と越前国人へ召集を掛けていた。
しかしながらその招集に答えて一乗谷にあらわれたのは、朝倉景鏡と朝倉景忠と朝倉景嘉の三人である。 その他には、河合吉統と山崎吉家の息子である山崎吉健だけであった。
その様な現状を垣間見た義景は、力なく笑うとへたり込む。 だがこの様な事態も、それはそれで致し方ないと言えた。
先ず侵攻している浅井・織田の連合勢は、最早数万を数える兵数である。 それに引き換え朝倉家は、一乗谷と三峰城と川島城に居る兵を集めても万にも届かない。 つまり、兵力的に遠く及ばないのだ。
このままでは各個撃破されるのは必至であり、さりとて兵を集めたとしても何れはすり潰されるだけである。 越前国人達にはどう転んでも滅亡の未来しか、朝倉家に見えなかった。 そしてそれは家臣も同様であり、殆どの朝倉家家臣は木の芽峠城砦群の陥落後間もなくの頃から密かに浅井長政か義頼へ接触していたのだ。
この様に殆どの味方が集まらないと言う現実を見せつけられた義景は、表情のないままふらりと立ちあがると屋敷の奥に向かっていく。 そんな義景に対して朝倉景鏡らは、憐憫の眼差しを送っていた。
その日の夜の事である。 義景に呼び出されて、一人の男が彼の部屋を訪問していた。
その男とは、朝倉一門衆筆頭となる朝倉景鏡であった。 やがて彼が義景の部屋の前に到着すると、障子戸が静かに開いていく。 やがて障子戸が開き切ると、景鏡は義景付きの小姓に促される。 部屋の奥に居る義景を見た景鏡は、そのまま静かに中へと入って行った。
彼は、主である義景の少し前で平伏する。 その直後、義景は景鏡へ話し掛けた。
「景鏡。 そなたは、朝倉一門衆筆頭である。 そこで、そちに頼みたい事がある」
「……何でしょうか」
何処なく厳かと言うか悲壮と言うか、兎に角引き締まった雰囲気を義景が醸し出している。 その事を敏感に感じ取った景鏡は、知らず知らずのうちに居住まいを正していた。
「朝倉式部大輔景鏡。 その方に我が子、愛王丸を預ける」
「は? えっと、それはいかなる仕儀でありましょうか」
「うむ。 他でもない。 その方が陣代となり愛王丸を、そして朝倉家を守ってくれ」
陣代とは出陣時に総大将の代わりに大将を務める者、若しくは主君が幼少の際に当主代理の役を務める者の事である。 この場合は後者が当て嵌まり、つまり義景は後見役を景鏡に頼んでいたのだ。 しかし、言われた景鏡は首を傾げている。 だが、彼の疑問は至極当然だった。
何と言っても彼の目の前に、朝倉家現当主となる義景が居る。 彼が後見役を務めれば済む話であり、態々景鏡が出る幕ではなかった。 これが軍勢を率いる陣代ならばまだ分かったのだが、話の流れから判断するに朝倉家嫡子の愛王丸を預けた上で陣代になれとは筋が通らない話であった。
「しかし、殿が後見を務めれば宜しいのでは?」
「いや。 残念だが、それは無理と言う物だ。 これより、わしは腹を切る。 さすれば、朝倉家の命脈は保たれるであろう」
「ほ、本気にございますか!」
「うむ。 思えば、景健と吉継と直澄には悪い事をした。 済まぬが、その方から三人へ謝っておいてくれ」
「はぁ……」
景鏡はどう答えていいか分からず、曖昧な返事をした。
朝倉義景と朝倉景健達の遣り取りなど、景鏡は聞き及んでもいない話であったからである。 だからこその、彼の反応であった。
だが義景は、全く気にもせずに話を進めて行く。 終いには、一通の書状を持ち出していた。 何かと景鏡が問うと、此度の件について詳しく認めたものだと言って義景は文机の上に置いた書状を顎で示す。 その後、静かに立ち上がり文机に近づいた景鏡は、 恭しく捧げ持っていた。
「朝倉式部大輔景鏡、確かに承りました」
「では、後を頼むぞ」
「はっ」
書状を持って部屋を出た景鏡は、招集に応じた者達が居るところへと向かう。 彼らに合流すると、そこで義景より伝えられた事や義景が認めたと言う書状を公開した。
書状の内容を聞くと皆が皆、信じられないという顔つきとなる。 そこで彼らは、義景直筆であると言う書状を改めて確認する。 確かに筆跡は、間違いなく義景の物である。 すると、河合吉統と鳥居景近と高橋景業は力なく腰を降ろしていた。
それもその筈で、この三人は奏者や取り次ぎ役として散々に義景の筆や花押を見て来た者達である。 義景が認めたという書状が本物である事など、見ればすぐに分かるのだ。
「確かにこれは……殿直筆の書状。 その内容と式部大輔殿の言われた事に齟齬が無い以上、間違いなく殿の御遺言となります」
吉統の言葉に、景近と景業は涙を流しながら頷いている。 義景に近侍し続けた三人が認めた以上、疑う事などあり得なかった。
すると景鏡が、この場にいる全員に対して異存がないかの確認を取る。 その言葉に、全員が等しく頷く。 直後、頷き返した景鏡であったが、そこで何かを思いついたらしく視線を景近と景業に向けた。
「ところでお二方。 殿より妙な事を窺ったのだが、知っておるか」
『妙な事?』
「さよう。 孫三郎殿と吉継と直澄に、拙者から謝っておいてくれと頼まれたのだ」
「ああ、式部大輔(朝倉景鏡)様。 それはですな……」
そう切り出すと、二人は木の芽峠より命からがら戻って来た朝倉景健達と朝倉義景の面会した時の話を伝える。 その内容を聞いた景鏡は内心で舌打ちをしたが、これぐらいは仕方無いかと割り切る事にした。
「なるほど、あい分かった。 拙者から三人へ、謝っておく事にするとしよう。 それはそれとして、降伏の使者を送らねばなるまい。 して、誰が向かわせるかのう」
「ご陣代、その儀はお待ち下さい。 その前に、やるべき事がございます。 ご先代様の御遺体と愛王丸様を、しっかと確保致しましょう」
「む……それもそうだな」
景近に指摘された景鏡は、少し考えた後で吉統に頼もうとした。
しかし、頼もうとした吉統を含めた全員から共に行って確認するべきだと言われ景鏡は考えを改める。 これから陣代として行動する今後の為にも、彼らと認識は共通としておいた方が良いと判断したからだった。
それから景鏡を先頭に、彼が呼ばれた部屋に全員で入る。 するとそこには、死に装束に着替えた義景が見事割腹して相果てていた。 越前朝倉氏初代の朝倉広景より数えて凡そ二百年、越前国に名を馳せた朝倉家当主として恥じない見事な作法である。 そんな義景の遺体を前にした吉統と景近と景業は、平伏してむせび泣き始めた。
他にも、景忠と景嘉と吉健が目頭を押さえて涙を堪えている。 また景鏡も、義景の遺体を前にすると何とは無しに悲しみが込み上げてきたらしく思わず涙を零していた。
どれぐらい時間が経ったのか、むせび泣いていた吉統と景近と景業の声も消える。 泣き止んだ三人は居住まいを質してから、丁重に義景の遺体を綺麗にしていく。 そして景鏡ら四人は、粛々と厳かな雰囲気で河合吉統と鳥居景近と高橋景業の行動をじっと見守っていた。
程なくして義景の遺体を綺麗にすると、三人は後ろを振り向く。 そして今までじっとしていた景鏡ら四人へ、今後の提案を行った。 それは言うまでもなく、嫡子の愛王丸と生母の小少将と義景の母親となる光徳院の身柄である。 今となっては義景の遺言となる書状の履行の為にも、三人の確保は絶対となる。 此処で下手に胡乱な者によって彼らを討たれるなり確保されるなりされては、全てに置いて意味が無くなってしまうからだ。
また、それだけではない。 愛王丸の生母に当たる小少将と義景の母親となる光徳院を納得させる為に、きちんと説明する必要がある。 越前朝倉家の存続の為にも、二人には納得づくで味方になってもらわなければならないのである。 しかもその説明だが、今後は陣代として朝倉家を守る役目を担う事になる景鏡が一番適任であった。
そしてその点は、景鏡も理解している。 それ故に彼は、説明の役を自ら望んで行うのであった。
その後、景鏡は義景の側室である小少将と母親の光徳院と愛王丸に事情を説明する。 すると光徳院は泣き崩れ、小少将は愛息である愛王丸を抱きしめながら泣く。 ただ一人愛王丸は、その幼さ故に事情が分からず目を大きく開いて不思議そうな顔をしていた。
その一方で事情を知る者達は、景健達が居る三峰城と龍興が居る川島城へ朝倉一門衆の朝倉景忠が赴く。 そして浅井織田連合軍に降伏していない者達に対しては、義景の側近であった吉統と景近と景業の三人が書状を出して浅井・織田の連合勢に降伏する様に伝えた。
同時に府中に居る浅井長政に対して、降伏の使者を送る。 使者の役は、朝倉景嘉が務める事となった。 軍使として府中に陣を張る長政の本陣へと向かった景嘉は、そこで留められる。 そして彼が持参した書状は、長政の手に渡った。 中身を見ると、長政は義頼を呼ぶ。 程なくして現れた義頼へ呼び出した用件を伝えると、共に会う様にと伝えた。
そこで、間髪入れずに頷く。 了承を得た長政は、義頼と共に朝倉景嘉に面会したのであった。
「さて修理亮(朝倉景嘉)殿。 内容に、嘘偽りはないな」
「無論にございます。 そして書状に書いてある通り、今の朝倉家は陣代となられた式部大輔殿が抑えております」
「なるほど……さて、如何する左衛門佐(六角義頼)殿」
「備前守(浅井長政)殿。 我らは唯の援軍、越前に関しては備前守殿の専権事項ではありませぬか」
これは、義頼が出陣する前に信長から伝えられた事でもある。 それ故に義頼は、越前国平定に関する報告は信長にする気はあっても、長政の決定に口を出すつもりは完全になかった。
そして長政としても、義頼の言葉はあり難い物である。 今は完全に敵味方に分かれているが、元は何かと縁のあった朝倉家である。 出来る事なら厳しい処置は避けたいという思いが、多少なりともあった。 だからこそ、朝倉家の降伏を認めたのである。 少し間をおいてから長政は、ゆっくりと口を開いたのであった。
「……良かろう、修理亮殿。 朝倉家の降伏、認める」
「備前守様、感謝致します」
長政の言葉を聞いた景嘉は、内心で安堵しつつ平伏した。
その後、長政からの書状を受け取ると一乗谷へと戻る。 程なくして到着した景嘉の知らせと彼の持参した長政の書状で降伏が受諾された事を確認した朝倉家では、長政達を迎え入れる準備を始めた。
そんな中、三峰城から景健と吉継と直澄が一乗谷に到着する。 他にも川島城から、斎藤龍興が到着した。 彼ら四人を前にした景鏡が、降伏の経緯を改めて説明する。 そして義景直筆の書状も見せて、嘘偽りが無い事を証明した。 正直に言えば寝耳に水であるが、義景直筆の書状もありしかも当人は既に切腹している。 この状況で何を言っても、最早後の祭りである。 無理やりにでも己を納得させた四人は、静かに平伏して従う態度を見せたのであった。
「それで孫三郎殿、それから吉継と直澄。 そなたらには、伝えたい事がある」
「何でしょうか、陣代殿」
「お先代からのお言葉である、しかと聞くのだ」
『亡き殿のお言葉?』
「うむ。 ご先代はこう言っておられた。 「真にすまぬ事をした」と」
景鏡の伝えた義景の言葉が、三峰城に赴く前の叱責を指している事を察した三人は驚きの表情を浮かべる。 やがて誰からともなく、涙を流し始めた。
「陣代殿……ご先代……様からの詫び、確かにわれ……ら三人うけたまわ……りました……」
三人を代表する形で、景健が嗚咽が混じり答える。 その後ろでは、吉継と直澄が涙を流しながら頷いていた。
そしてもう一人、龍興は何も言わずただじっと景鏡の言葉を聞いていた。
程なくして長政を筆頭に、義頼達も同行して一乗谷に到着する。 するとそこでは、景鏡以下の出迎えを受けた。 その後、一乗谷にある義景の屋敷で長政は改めて景鏡から降伏の口上を受ける。 長政は頷く事で了承の意思を示し、ここに朝倉家の降伏が結実した。
なお長政は、義景の首を討つ事はせずに側近であった吉統と景近と景業の三人へ埋葬する様に命を出す。 すると三人は長政に感謝し、簡素ながらも葬式をあげた後に性安寺に埋葬した。
しかしそれから数日後、義景の墓の前で切腹した者が居る。 それは河合吉統と鳥居景近と高橋景業、それと斎藤龍興であった。
吉統と景近と景業は側近として長らく義景に仕えた者達である、殉死を選んでも不思議はない。 その中で彼ら三人と共に龍興が切腹した理由は、こちらもまた殉死である。 客将として丁重に迎えてくれただけではなく城代として一城を任せてくれた事、その厚遇に感謝しての殉死であった。
「そうか……丁重に扱い、朝倉左衛門督殿が埋葬された性安寺に埋葬するのだ」
「はっ」
前述した通り、義景は性安寺に埋葬されていた。
長政は、その性安寺に殉死した四人を埋葬する様にと指示を出したのである。 こうして殉死した四人は、義景の墓の四方に埋葬される。 その配置は、死してなお義景を守る様であった。
また、一乗谷において一人の男が救出される。 それは事実上監禁状態であった、若狭武田家当主の武田元明であった。 比較的平和裏に朝倉家の降伏がされたので、害される事も無く無事に義頼と丹羽長秀、そして若狭衆に引き渡されている。 彼は長秀と共に、岐阜に向かう事となった。
これで浅井家による越前征伐の援軍と武田元明の救出を成功させた事で、義頼ら織田家援軍に与えられていた役目は全て終わりを迎える。 すると義頼は、長政の元を尋ねていた。
「備前守殿。 我らの役目も終わりました故、引き上げまする」
「左衛門佐殿。 弾正大弼殿に「長政が感謝していた」とお伝えください。 それから「何れ、挨拶に伺います」とも」
「承知致した」
こうして義頼達は、長政以下浅井家の者達に見送られながら一乗谷を出て行った。
街道を南下し、義頼は敦賀経由で海津の湊で船に乗る予定である。 長秀は長政から許可を得ているので、栃ノ木峠を越えて佐和山城に向かい、そこから更に岐阜城へと向かう予定であった。
それから暫く後、織田家の軍勢は栃ノ木峠方面と木の芽峠方面の分岐点に差し掛かる。 義頼は、ここで分かれる前に休憩を挟む事にした。 すると、元明が長秀と共に現れる。 彼は義頼の前に座ると、先ずは頭を下げた。
「左衛門佐殿、五郎左衛門尉(丹羽長秀)殿より聞き申した。 弾正大弼殿へ、拙者の救援を言上していただいたと。 真に感謝致します」
「お気になさるな、孫八郎(武田元明)殿。 公方様の事では貴公のお父上にも世話になっておるし、何より貴公は我が大甥である。 見捨てるのは忍びない、そう思ったにすぎぬ」
「例えその通りであったにせよ、恩は恩。 いつか必ず、お返し致します」
そこまで言われては、義頼としても受け入れざるを得ない。 義頼は元明の言葉に頷き、彼からの謝意を受け取ったのであった。
それからもう少し休憩した彼らは、ここで別れる事となる。 義頼は木の芽峠に向かい、長秀達は栃ノ木峠へと向かった。
やがて敦賀に到着した義頼は、そこで一泊してから街道を南下して海津へと向かう。 しかし義頼が疋檀城の近くに差し掛かった時、急報が舞い込んで来た。 義頼に知らせを出したのは、本多正信である。 そして、書状を持って来たのは多羅尾光俊であった。
「正信からの急使とは、穏やかでは無いな。 何があった光俊」
「武田が……武田信玄が動きました」
「な、何だとっ!!」
まさかの報せに、義頼だけでなく馬淵建綱らも驚きの表情を浮かべたのであった。
朝倉家、義景の命と引き換えに存続しました。
ご一読いただき、ありがとうございました。




