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第六十一話~再びの但馬~


第六十一話~再びの但馬~



 伊賀国阿拝郡にあった旧伊賀国府にほど近い場所に、ふた筋の川が合流する地点がある。 その場所に、義頼は伊賀国における屋敷を建てていた。

 実は義頼、いわゆる居城を持っていない。 しかしながら、かつては矢島御所を建築した実績を持つ男である。 その様な彼が縄張りをして建築した屋敷は、天守閣などは無いが二つの川を利用して幾重にも堀を巡らしている。 他にも石垣などを配し館でありながら砦にも匹敵する堅牢さを誇っており、最早城館と呼んでも差し支えはなかった。

 なお、この屋敷を建築するに当たって義頼は、伊賀衆の力を借りている。 始めは伊賀衆の力を借りずに建築しようとしたが、三雲定持みくもさだもち三雲賢持みくもかたもち親子に伊賀衆の力を借りるべきであるとして止められたのだ。


「だがそうなると、屋敷の構造が漏れてしまうぞ定持」

「それでいいのです。 構造は判明しましょうが、彼ら伊賀衆に対して殿が胸襟きょうきんを開いていると示す事が出来ます」

「……そうか、胸襟か。 敢えてさらけ出す事で、伊賀衆を疑ってなどいないと行動と態度で表すのか」

「はっ。 幾ら伊賀衆が六角家に対して比較的好意を持っているとは言え、我らが他国の者である事に変わりはありません。 そこで、此方こちらから歩み寄ってみるべきかと」

「なるほどな。 あい分かった。 その方達の言う通りにしよう」


 こうして義頼は、伊賀衆全員に等しく声を掛けた上で屋敷の建築を行ったのである。 しかも賦役ぶえきではなく、給金をしっかりと払った上での屋敷建築であった。

 そう言った経緯で建築が成された為、義頼の屋敷の構造自体が伊賀衆に知れ渡っている。 これは、三雲親子が言った通り伊賀衆へ屋敷を公開したに等しかった。 しかも、給金まで貰っている。 この二つの行為が、伊賀国人の六角家に対する安心感を引き出していたのであった。



 さてこの日、義頼はお犬の方や生れて間もない嫡子の鶴松丸を連れて新築した屋敷にほど近い敢國神社あえくにじんじゃに参詣していた。

 敢國神社は伊賀国一宮であり、主神に大彦命(おおひこのみこと)を祭っている。 また配神として、佐々木氏の氏神である少彦名すくなひこなを祭っている神社でもある。 その意味でも、参詣は丁度よかったのだ。

 なお近江源氏発祥の佐々木荘に建つ沙沙貴神社に対してであるが、此方は既に参詣し鶴松丸の健やかな成長を願っている。 最も、神社に参詣したのは、義頼だけであった。

 実はこの沙沙貴神社であるが、観音寺城落城後に織田信長おだのぶながの手によって社領が没収されている。 しかし義頼は、降伏後で手元不如意ながらも金銭を工面しており、何とか荒廃する事だけは防いでいたのである。 やがて領地も増えた事で喜捨する金銭なども多くなり、殆ど心配しなくても良くはなっていた。

 話を戻して、敢國神社に参詣を終えた義頼達は、屋敷に戻ろうとする。 しかしそんな義頼達の元に、少し難しい顔をした本多正信ほんだまさのぶがやって来た。 その様子に何かあったと判断した義頼は、お犬の方と鶴松丸を先に屋敷へ戻らせる。 そして敢國神社の神主に頼み社務所の一室を借り受けると、そこで彼からの報告を聞いたのであった。


「何があった」

山名宗詮やまなそうせん山名祐豊やまなすけとよ)殿が、隣国を攻めました」

「因幡か?」

「いえ! 丹波です!」

「は? 丹波だと!? それは一体どういう事だ!」

「分かりません。 拙者も、彼の御人が攻めるとすれば因幡であるとばかり考えていた次第です。 まさかここで丹波に侵攻するなど、思ってもおりませんでした」


 本多正信が言った通り、山名宗詮が因幡国へと攻め込むのであれば理解できた。

 それは因幡国も、そして山名宗詮の居る但馬国も元は山名氏が守護職を務めて来たからである。 その因幡国なのだが、今は山名家の影響下にはない。 中国の雄である毛利家と結んだ武田高信たかだたかのぶによって、因幡守護の山名氏はその地位を奪われていたからだ。 ゆえに因幡守護の地位奪還の為に兵を動かしたとすれば、理由としては十分である。 しかし山名宗詮は、前述の通り丹波国へ侵攻した。

 しかして丹波国であるが、波多野氏を筆頭にほぼ揃って織田家へと恭順している。 つまり丹波国と但馬国は良く言えば味方同士であり、悪く言っても中立の関係となる。 少なくとも、両国間に争う理由は存在していなかったのだ。


「一体全体、何を考えているのだ宗詮殿は……はぁ、正信。 すぐに殿へ知らせるぞ、良いな」

「はっ」


 義頼は本多正信が持っていた報告書を、伴資定 (ばんすけさだ)に託して岐阜城へと派遣する。 そして自らは彼と共に敢國神社から屋敷に戻ると、何があってもいい様に即応の体制を取らせる。 同時に近江衆にも連絡し、一朝事が起きれば間髪入れず動ける様にとの指示を出していた。

 その書状を受け、義頼の代理として近江衆を束ねる蒲生賢秀がもうかたひでも動く。 彼は義頼の名で通達を出し、近江衆へ軍事行動の用意をさせたのであった。


「おのれ宗詮! 裏切ったか!!」


 岐阜にある屋敷の一室で、織田信長おだのぶながは怒りに震えている。 それぐらい彼とって此度こたびの山名宗詮が取った丹波国侵攻は、寝耳に水であったのだ。

 何と言っても読み始めた一瞬、彼をして思わず呆気に取られたぐらいである。 しかしてその理由だが、先述した様に但馬国と丹波国に表立って争う理由は無い事にあった。 それであるにも拘らず、山名宗詮は独断で丹波国へ兵を進めたのである。 この事実から、山名家が織田家から離れたと織田信長が考えても何ら不思議は無かった。

 また、それだけでは無い。 織田信長にとって但馬国は、毛利攻めに結構重要な位置を占めている。 毛利家を攻めるに当たり、兵糧などの物資を整えるのに但馬国にある生野銀山から産出する銀を充てるつもりでいたのだ。 それが此度の侵攻で、ご破算となる可能性が出ている。 何としてもこの侵攻は、潰す必要があった。

 その様な事情もあって、織田信長の怒りが収まる事はない。 彼はその勢いのまま小姓に命じて、義頼と阿波三好家と和睦した為に摂津国から戻って来ていた明智光秀あけちみつひでを招聘した。

 しかし義頼は領地である伊賀国に居た事もあって、織田信長の将兵に応じるには少し時間が掛かっている。 それでも翌日には、二人揃っていた。


「光秀! その方は丹波に行き、丹波国人の救援を行うのだ! 与力として、西美濃三人衆を付けてやる」

「はっ」

「義頼は但馬に行け。 その方には、森可成もりよしなり佐々成政さっさなりまさ。 それから、順慶も連れて行くのだ」

「は? 筒井殿もですか?」


 織田信長は、山名宗詮に対して怒りを覚えていた。 だが同時に、今回の事で戦となれば筒井家の力を見る機会だと考えたのである。 そこで義頼と共に出陣させて、筒井家の実力を図ろうと思案したのだ。


「何だ、不都合でもあるのか?」

「い、いえ。 ですが筒井家が大和を離れますと、折角筒井家と松永家で結ばせた和睦が破れませぬか?」

「久秀もそこまで愚かでは無かろう。 それに信盛も近くに居る、早々軽挙には動かんだろう」

「……分かりました。 直ぐに出陣の用意を整えます」

「うむ。 両名とも励め」

『御意』


 織田信長の前から辞すると、義頼と明智光秀は直ぐに出陣の用意を行った。

 その一方で信長から命を受けた筒井順慶つついじゅんけいはと言うと、此方こちらも直ぐに兵を集めたのである。 しかし本音を言えば、断りたいところである。 だが、織田家に恭順したばかりの筒井家がそんな事をすればあっという間に潰されかねない。 例え潰されなくても、立場が悪くなるのは必定である。 その事を考えれば、例え理不尽と思っても命に服さない訳にはいかなかったのだ。

 幸いな事に年貢の刈り取りは終わっていたので、農繁期に比べれば比較的短時間で兵を集める事は可能である。 そこで順慶は兵を集めるだけ集めると、領地に関しては叔父の筒井順国つついじゅんこくに委ねる。 そして自身は筒井家重臣の島清興しまきよおきと繋ぎと言う意味で六角家並び彼の家の主家と言える織田家折衝を行った箸尾高春はしおたかはるを伴い出陣した。

 筒井勢が向かうのは、京の近くで待っている筈である義頼の元である。 義頼は筒井勢より先行する形で兵の用意を始めていた事もあって、筒井家よりも迅速に兵を集めていたのだ。 その軍勢を率いて近江国を出た義頼は、京の郊外で一旦駐屯していたのだ。

 そんな六角勢の駐屯地に、漸く筒井順慶が現れる。 彼は島清興と箸尾高春を伴って、一先ず義頼の本陣を訪ねている。 すると義頼は、遅れて来た事など全く意に介していないかの様に筒井勢を出迎えていた。


「順慶殿、よく参られた。 ささこちらへ」

かたじけない……して、丹波と但馬の動静は如何ですか?」

「明智殿から連絡はまだありません。 ですが、明智殿なら問題には成らないでしょう。 それよりも筒井殿、我らは明日にでも但馬国に向かいます。 ご異存はありませぬな」

「無論」


 翌日になると義頼は、陣を払い出発した。

 しかしながら、摂津国はまだ安定したとは言えない。 そこで義頼は、明智光秀を追う形で丹波国へと向かう。 するとそこで義頼は、意外な者の出迎えを受けた。 そこに居たのは、何と丹波国人の救援に向かった明智光秀その人である。 彼は義頼より先行する形で、丹波国へと進撃を果たしている。 そこで丹波国人と共に山名勢を退け、丹波国へ静謐せいひつもたらす筈なのであった。

 それであるにも拘らず、明智光秀の出迎えを受けたのである。 義頼が驚くのも、無理がない話であった。


「あ、明智殿!? なぜここに! 貴公は、丹波国人衆の救援を行っているのではないのですか」

「うむ。 それであるが、左衛門佐(六角義頼ろっかくよしより)殿。 実は山名勢だが、既に丹波国内にはおらぬ」

「居ない? それはどういう事です!」

「それはだな、宗詮が領国の但馬にて敗走したからだ」


 事の次第はこうである。

 山名宗詮は、丹波国の国境を越えると氷上郡へ確かに侵攻した。 しかし、僅かの間に山名宗詮は氷上郡の国人に叩きのめされて追い払われたのである。 しかし普通であれば大名の山名家である、国人などに追い払われる筈もなかった。

 だが氷上郡国人の旗頭となる家は、誰であろう赤井氏である。 そして赤井氏には、丹波の赤鬼と評された猛将の赤井直正あかいなおまさが居たのが山名宗詮の運の尽きであった。

 山名勢は、赤井直正が率いる兵に散々に蹴散らされ惨敗を期す。 しかし敗れたとはいえ、直ぐに兵を引いては山名家の名折れと思った山名宗詮は、一端兵を国境まで引くと再編へと取り掛かった。 だがそんな彼の元に、明智光秀の兵が丹波国に入ったという報告が齎されたのである。 その報告に訝しむ山名宗詮だったが、誤報若しくは偽報と判断するには情報が足りない。 そこで軍の再編を進めつつ、彼は更なる情報収集を行った。

 すると山名宗詮の元に、やはり明智光秀の軍勢が赤井直正の兵と合流したと言う情報が届けられる。 その事を知った彼は、兵数の上でも不利を悟り早々に但馬国に撤退したと言う訳であった。


「何ともはや……そうでしたか。 となりますと、明智殿のお役目も終わりですか」

「それは分からぬ。 殿に報告は出してある故、今日明日にでも次の指示が来よう」

「なるほど。 では明智殿、某は但馬の国境に向かいます。 ただし、越境はまだ行いませんが」

「何ゆえです?」

「但馬の国人を動かします」


 要は以前の侵攻時と同じで、事前に書状を出し但馬の国人を味方につけるのである。 また実質の脅威として、兵も動かし但馬国に侵攻する。 つまり書状による懐柔と軍事力の脅威という二枚看板で、義頼は山名家を孤立させるつもりであった。  

 明智光秀へ方針を説明した義頼は、すぐに行動に移る。 書状自体は筒井順慶を待っている間に出しているので、後は実質的な力を見せるだけなのだ。

 その次の日、義頼は進軍を行おうとしたが、他ならぬ明智光秀に止められる。 その理由は、先ほど織田信長から届いた書状にあった。


「拙者も但馬に行けとの事」

「すると大将は?」

「六角殿が但馬攻めの責任者です」

「つまり、それがしという事ですな」

「そうなりましょう」


 急遽明智光秀の軍勢が加わった義頼であったが、それならばと彼に山名宗詮が攻め込んで来た道筋を辿る様に攻め込むよう依頼する。 そして義頼自身は、竹田城方面に進軍するのであった。


 

 現在の竹田城主は、太田垣輝延おおたがきてるのぶである。 先代の太田垣朝延おおたがきあさのぶは、家督と共に城主の地位も息子に譲り隠居していた。

 その竹田城の一室で、二人の男が顔を突き合わせている。 何と言う事はない、太田垣朝延と太田垣輝延の親子であった。 彼らは二人して、太田垣家がどう動くべきかと話し合っているのである。 その冒頭で、太田垣家現当主の太田垣輝延は織田家に協力するべきだと父親に伝えていた。

 彼は元々、山名宗詮の丹波国侵攻に反対だったからである。 その為、彼は病と称して此隅山城から竹田城に戻っていたのだ。 そして山名宗詮も邪魔をしなければいいと思っていたので、太田垣輝延の行動は黙認されていた。

それから暫くして太田垣輝延は、居城にて宗詮の但馬国侵攻と敗戦を知ったのである。 その報告に彼は「さもありなん」と内心思っていたぐらいであった。 そこに来ての、織田家による再度の侵攻である。 それも以前と同じく、義頼が大将の軍勢が竹田城に迫っているのだ。 その上、その義頼から味方に付く様にとの書状も届いている。 この事態では、太田垣輝延の判断も当然と言えた。


「そうか。 今はお前が太田垣家の当主。 わしも、そなたの決定に従おう」

「つきましては父上、城の留守をお頼みしたいのです」

「留守……輝延。 お前、自ら使者となるのか」

「はい。 他意が無い事を、左衛門佐殿に示します」

「わかった。 城は任せろ」


 そして太田垣輝延は、自ら軍使となり義頼を訪問した。

 竹田城からの使者の訪問、しかも正使が太田垣輝延と聞き驚きを露わにする。 それから取り次いだ小姓の吉田重綱よしだしげつなより差し出された書状を受け取ると、中を確認する。 そこには、太田垣家の降伏と義頼に協力する旨が書かれていた。

 その内容に、義頼は小さく笑みを浮かべる。 そして、太田垣輝延を通す様に命じた。 程なく、吉田重綱に案内された彼が義頼の前に現れる。 そこで太田垣輝延は平伏すると、口上を述べ始めるのであった。  


「お久しぶりにございます、左衛門佐殿」

「真に。 貴公も息災で何よりだ土佐守(太田垣輝延)殿。 して、太田垣家は織田家に従うという事で宜しいのですな」

「はっ。 我が太田垣家は、以前織田家に誓った通りにございますれば」

「うむ。 嬉しいぞ」

「はっ」


 その後、太田垣輝延自らが先導して義頼達を竹田城へと迎え入れた。

 すると、太田垣家の行動を切っ掛けとして近在に勢力を持つ但馬の国人達はことごとくが竹田城へと赴く。 そして太田垣家と同様に、織田家への協力を願い出たのであった。

 こうして但馬国の一部を勢力下に置いた義頼は、即座に次の手を打つ。 それは、八木城攻めであった。 八木城は、名の通り八木氏の居城である。 しかし当主の八木豊信やぎとよのぶは、山名宗詮と共に丹波国へと攻め入りそして撤退している。 今は山名家の居城である此隅山城にあるので、当主不在の城であった。

 その城を、落としてしまおうと言うのである。 そして義頼が白羽の矢を立てたのは、森可成と筒井順慶であった。


「さて三左衛門(森可成)殿、順慶殿。 貴公達には、八木城を攻めていただきたい」

「八木城? それは構わぬが、此隅山城に向かうのではないのか」

「理由は二つあります。 まず一つ目ですが、八木城主の八木豊信やぎとよのぶは、宗詮に味方して今は此隅山城に居ます。 この隙をついて、城を落とします」

「なるほど。 城主の居ないうちに落としておくという事ですか」

「ええ、順慶殿。 そしてもう一つですが、実は此方の方が城攻めの理由としては大きいのです。 と言うのも豊信なのですが、どうやら毛利と繋がっているらしい」

「何っ!? それは真か!」

「ほぼ間違いありません」


 驚きの声を上げた森可成に対し、義頼は確信をもって答えた。

 以前の但馬国侵攻時には義頼の味方となった八木豊信が、その後は毛利家と誼を通じたと聞けば彼の驚きも理解できると言う物であろう。 その情報には、筒井順慶も驚いていた。

 そんな八木豊信だが、山名家が織田家に降伏後に山名家中で起きた騒動を毛利家へと報告している。 それは織田方を鮮明にした田結庄是義たいのしょうこれよしが、山名家臣内では毛利方を鮮明にしていた垣屋続成かきやつぐなりを不意に攻めた事であった。

 しかもこの件は、織田家に全く伝え様とはしていない。 それであるにも拘らず、吉川元春きっかわもとはるには報告している。 これでは、疑えと言っているに等しかった。


「なるほど。 そんな事が……するとこの城攻めは、豊信に対する懲罰と但馬国人に対する見せしめか」

「そうです、三左衛門殿。 ここで、但馬の国人を織田に繋ぎ止めておきます。 そうなれば、山陰から攻める際に楽になりますので」

「承知した。 八木城攻め、引き受けよう。 何、城主の居ない城などそう長くは掛かるまいて」

  

 翌日、竹田城を出陣した森可成と筒井順慶、それと沼田祐光ぬまたすけみつが八木城に向かった。

 わざわざ沼田祐光が八木城攻めに同行した理由は、表向きには義頼からの援軍である。 しかし本当の目的は、ある物証を八木豊信の居城から見付ける為であった。 

 沼田祐光の行動の意味は追々分かるとして、今は八木城攻めである。 この八木城だが、二つの城で互いを守る様な作りをしている堅城である。  通常であれば攻めるに難しい城なのだが今の八木城は城主不在であり、しかもその城主が主力を率いて城より離れているのだ。

 勿論八木豊信とて、何も手を打っていない訳ではない。 彼は城を離れるに当たって、弟の八木信貞やぎのぶさだを残して守らせていた。 だが幾ら守り易い城であったとしても、兵力の差はいかんともし難い。 とてもではないが、守り切れる兵力差では無かった。


如何いかがなさいます? 篭城したとしても、よくて数日持つかといった次第と思われますが」

「そんな事など分かっておる!」


 八木信貞は、家臣に噛みつく様に反論する。 態々指摘などされなくても、現状は彼が一番理解しているのだ。 実際、数日も持たずに落城するのは必定となる。 しかし抵抗したところで、全滅とは言わなくとも手酷い痛手を被るのは間違いなかった。


「……致し方ない、開城する」

『おおっ』


 八木信貞は、断腸の思いで降伏を決める。 するとほぼ全ての将兵から、安堵の言葉が漏れ出たのであった。 

 此処ここに八木城は開城し、城主代理の八木信貞を含めて城兵は揃って降伏する。 すると森可成は、城に各務元正かがみもとまさを残して此隅山城へと向かった。

 因みに八木城には、沼田祐光も残っている。 城に残った彼は、くまなく城内の捜索を行う。 やがて目的の物を見付けると、それを持って義頼の元に向かったのであった。


第二次但馬攻め? 開始です。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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