第五十九話~長島の決着~
第五十九話~長島の決着~
織田家と阿波三好家、それから荒木勢と幕府との間で和議が結ばれてから二日後、軍勢を率いて先ず篠原長房が整然と撤収した。 するとその翌日には、荒木村重もまた兵を率いて居城に戻っていったのである。 そして義頼は、そんな彼らを細川藤孝と松永久秀、そして彼の息子である松永久通と共に見送ってから和田惟長が立て籠もっていた高槻城へと入城した。
なお織田信長の代理として織田家と阿波三好家、荒木家と幕府勢との和議を纏めた祝重正はと言うと、既に摂津国より出立している。 これは主君である織田信長へ、一刻も早く纏めた和議と松永家に関する報告をする為であった。
「兵部大輔(細川藤孝)殿、左衛門佐(六角義頼)殿。 救援忝い」
「いや、お気になさいますな。 それよりも、お父上が討ち取られた事お悔やみ申し上げます」
父親である和田惟政が戦死してしまった為、急遽家督を継がざるを得なかった和田惟長に対して、細川藤孝がお悔やみの言葉を述べた。 何と言っても和田惟政は、彼と共に流浪時代の足利義昭を支えた男である。 そんな同僚を失ってしまった細川藤孝の表情は、決して明るくは無かった。
「某は信長公の命により、この地に来たのです。 なればその思いは、信長公へ向けていただきたい」
「重々分かっております」
後を継ぐ形で義頼が口を開くと、和田惟長はそう答えた。
その返答を聞き、細川藤孝は内心で苦笑する。 彼の言葉から、既に和田惟長が幕府を当てにしていない事が分かったからである。 しかしてこれは新当主だけでなく、和田家家臣も同様であった。
しかし、彼らの気持ちが分からない訳ではない。 織田家と幕府で考えれば、どちらに力があるのかなど明白である。 そして家の存続を考えれば、力のない幕府より織田家を当てにするのは当然と言えたからだ。
だからこそ細川藤孝は、苦笑だけに留めたのである。 そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、和田惟長が当たり障りのない返答をしている。 それから彼と彼の家臣である高山友照と友照の嫡子である高山重友は、厳しい視線を二人の男へと向ける。 誰であろうそれは、松永久秀と松永久通の親子であった。
和田惟長ら和田家の者にしてみれば、松永久秀が余計な動きをした為に和田惟政が討たれた様なものである。 もし彼らの存在が無ければ、当主の代替わりは行われる事はなかった筈だからだ。
無論、戦は水物である事など承知している。 であったとしても、松永家の存在が此度の戦で和田家に取り影響を齎した事もまた間違いではない。 だからこそ和田惟長らの表情には、悔しさがにじみ出ていた。
だが、それでも和田惟長は松永久秀に礼を言った。
途中の経緯が何であれ、この男が積極的に動いた事で素早く和議が纏まったのもまた事実だからである。 あのまま行けば、下手をすると和田家が滅んでいたかもしれない。 そんな未来を回避できた事に対する譲歩、それが己の気持ちを押し殺しての礼だったのだ。
そしてこの気持ちは、高山友照や息子の高山重友なども同じである。 彼らもまた、新たな主君となった和田惟長と同様に己の気持ちを押し殺して礼を述べていた。
「いえいえ。 拙者は味方として当然の事をしたまでにございます」
しかしながら松永久秀は、場の空気に気付いていないのかそれとも態とかは分からないがしれっと返答している。 これを聞いた和田惟長ら和田家の者の表情だが、更に険しくなる。 しかし義頼と細川藤孝の手前と言う事もあって、彼らは何とか自重していた。
すると場の空気を和ますかの様に、細川藤孝が取り繕う。 それに義頼も続いた事で和田惟長らは、不承不承であっても松永久秀と松永久通の親子を睨むのをやめた。
やはり足利義昭の代理と言っていい細川藤孝と、祝重正が伊勢国長島へ戻った事で織田信長の代理と言う様な立場となった義頼の言葉は大きいのである。 それに松永親子、特に松永久秀に対して何か言い募ってもこたえそうもない。 寧ろ言うだけ無駄であると感じた和田惟長達は、義頼と細川藤孝に頷く事でもう話題にしない事を伝えた。
一先ず松永久秀と松永久通の事は置いておくとして、今は戦勝の後である。 このまま勝ち戦を祝う宴を開いてもいいのだが、荒木勢がそして阿波三好勢がもしかしたら舞い戻ってくる可能性も捨てきれない。 それ故、宴は見送られる事となった。
最も松永久秀がいるので、とてもではないが和田家の者がその気になる筈もなかったのだがそれは言わぬが華であろう。 兎にも角にも、こうして摂津国での騒動は一応の終結を見たのであった。
それから数日、高槻城に織田信長からの書状が届く。 そこには義頼達、援軍の撤退命令が記されている。 と同時にその書状は、松永久秀に対する召喚状でもあった。
義頼は件の書状を見せた上で、彼に同行を促す。 但しこれは、要望などではなく事実上の命令である。 そして松永久秀もそれは十分に分かっていたので、一も二もなく了承した。 しかし、同時に息子に関しては大和国へ戻すと言ってくる。 その理由はと言うと、筒井家に対処する為であった。
そんな松永久秀の言葉に眉を顰めて暫く考えた義頼だったが、最終的には了承している。 それと言うのも、織田信長からの書状には松永久秀に対する事は書いてあったが、息子の松永久通についてはただの一言も言及がされていないからだ。
それでなくても大和国内で筒井家が策動しているのは事実であり、それに伴い松永勢が押されていると言う事実もある。 畿内の騒乱を押さえると言う観点からも、松永久通が軍勢と共に国元に戻るのは悪い事でもなかった。
最も義頼も内心では「分かっているなら、摂津まで出しゃばるな」と思っていたのであるが。
「ふう。 兎にも角にも、弾正少弼(松永久秀)殿。 我らは明日にでも、この地を離れます。 宜しいですな」
「承知」
因みに、石山本願寺や阿波三好家に対する抑えとして残っていた塙直政と明智光秀、それから高屋城に籠っている阿波三好勢の三好康長だが、彼らにはそれぞれの陣営から此度の和議に対する連絡が行われている。 その為、これと言った問題は起きなかった。
なおこの和議により、三好康長は籠城していた高屋城を出て和泉国南部、通称「泉南」に入る事となった。
さて話を戻して、織田信長からの命が届いた二日後の事である。 義頼率いる織田家の援軍と細川藤孝が率いる幕府軍、更には松永勢は高槻城を出発した。
やがて京の郊外に差し掛かった頃、義頼は細川藤孝と松永久通に別れを告げる。 その後、細川藤孝は京へと凱旋する。 そして松永久通は、奈良街道を通って大和国へと舞い戻って行った。 最後に義頼だが、最初は松永久秀と共に摂津国へ来た時と同じく街道を東進する。 程なくして伊勢国まで戻ると、義頼は殿名で織田信長と謁見した。 そこで織田家と阿波三好家、荒木勢と幕軍との間で結ばれた和議について改めて報告したのだった。
最もその報告自体は、既に祝重正より届けられている。 しかしそんなことはおくびにも出さず最後まで話を聞いた織田信長は、ゆったりとした口調で義頼らを労った。 その後、一転して冷たい視線を松永久秀へと叩き付ける。 しかし彼はどこ吹く風とばかりに、平然としている。 そんなふてぶてしいとも取れる態度に、義頼はいい度胸だと内心である意味感心していた。
「……さて、久秀。 此度の件について、何か申し開く事はあるか」
「さすれば弾正大弼(織田信長)殿。 拙者左衛門佐殿にも告げましたが、和議の仲立ちをする為に摂津へと赴いたのでございます。 それ以外の他意など、拙者にはございませんでした」
「なるほど、和議の仲立ちか」
「はっ」
「ならば仕方ないのう、それでだ久秀。 話は変わるがそなた、武田と通じているそうだな」
まさか武田との密約について織田信長に悟られているなどとは思ってもみなかった松永久秀は、彼にしては珍しく徐に顔色を変えた。
もし平伏をして居なかったら、織田信長へ武田家との繋がりを確信されてしまっただろう。 しかしながら松永久秀は、織田信長の御前と言う事で平伏をしている。 その為、彼の表情が読まれる事はなかったのだった。
この不幸中の幸いと言える事態を、松永久秀が奇貨としない筈もない。 何と言っても彼は、したたかにこの年になるまで、戦国の世を渡り歩いた男である。 すると松永久秀は、如才なく対応して見せた。
「これは異な事を。 拙者の忠義は織田家、いえ弾正大弼殿に向いております」
「ほう? それは殊勝な事よな……まぁ良かろう。 和議を結ぶのに尽力したというその功を持って、不問としてやる」
「ははっ」
一瞬前の動揺など微塵も感じさせない対応を見せた松永久秀に対し、敢えて織田信長は不問とする。 それから改めて松永家に、大和国の鎮定を命じるともう用はないとばかりに松永久秀を下がらせた。
そして部屋の中には、織田信長と義頼。 それから、側近の堀秀政が残っている。 しばらく沈黙が部屋に流れたが、その静けさを破って義頼が主へと尋ねた。
「殿。 弾正少弼殿ですが、宜しいのですか?」
「構わん。 あ奴はまだ使える、せいぜい使い潰してやる。 それに、力を削ぐ手は打つ」
「となりますると、筒井ですか?」
「そうだ秀政。 そう言う事だから義頼、筒井を此方に付かせろ。 いいな」
「御意」
なお大和国へと戻った松永久秀はと言うと、間髪入れずに己が所蔵している名物茶器の幾つかを献上した。
その抜け目がない行動にさしもの織田信長も苦笑したが、送られた茶器は何れも名器と言っていい代物である。 これにより、織田信長の機嫌もいささかは和らいだのであった。
さて願証寺と長島城には、まだかなりの数の一向衆門徒がひしめいていた。
その為、戦力としては十分であると言える。 しかしながら、その抱えている兵の数ゆえに問題が顕著に表れていた。 それは、兵糧である。 伊勢国長島を攻めるに当たって事前に十全な準備をした織田勢は、まだまだ余裕がある。 しかしながら、願証寺と長島城に籠る一向衆はそうではなかった。
元々彼ら一向宗は、各城や砦などに分散して兵糧を置いていたのである。 しかし各城や砦に居た一向宗門徒や一向宗に協力した国人達が、籠っていた城や砦などを放棄して願証寺と長島城に集まってしまったが為に一気に兵糧が減ってしまったのだ。
何よりこんな長期に包囲をされるなど、完全に想定していなかったのである。 かといって、国人や一向宗門徒を放り出すなど出来はしない。 彼らがいるからこそ、まだ願証寺と長島城は落城を免れているのだ。 此処で彼らを放り出しなどすれば、矛先が織田家ではなく己達に向かうのは明白である。 そこで証意らは、苦渋の決断として配給の量を減らしたのであった。
「父上。 おなかがすきました」
「我慢をするのだ、顕忍」
証意は、息子の顕忍に優しく諭した。
しかしまだ子供の顕忍には、兵糧が尽きかけているなどという事情など関係ない。 顕忍は感情のままに、己が空腹を父親である証意へとぶつけたのだった。
「父上っ! どうして、前の様に食べてはいけないんですかっ!」
「たわけっ! わがままなど言うでないっ!」
「おなかがすきした! おなかがすきました! おなかがすきましたっ!」
「このっ、馬鹿者っ!!」
すると証意は、叱責と共に息子へゲンコツを落とした。
まさか父親から殴られるとは思っていなかった顕忍は、頭を抑えながら走って自らの部屋へと向かう。 そんな息子の背に対して思わず手を伸ばした証意であったが、殴ってしまったからか追い掛ける事はしなかった。
暫くその場に留まっていたが、やがて息子に対して小さく謝罪の言葉を紡ぐ。 その時、そんな証意に対して声を掛けてきた者がいる。 誰であろうと振り向くと、そこにいたのは下間頼成であった。
「拙僧に何か御用ですかな?」
「うむ。 少し宜しいか」
「……構いません」
顕忍の事は気になったが、少し時間を置いた方がいいだろうと証意は考えた。
しかし彼としては、息子を放って置くことに後ろ髪を引かれる思いである。 だが首を振ってその気持ちを断ち切ると、顕如は下間頼成について行く事にした。
やがて頼成に案内された証意は、ある一室へと入る。 するとそこには、下間頼旦が座っていた。
証意に下間頼成、そして下間頼旦。 事実上の伊勢国長島における、一向宗の長である。 彼らが揃うのだから、何か重要な事である事は間違いなかった。
下間頼成は下間頼旦を一瞥すると、静かに部屋の中へと入る。 続いて証意も入り、三人はめいめいに腰を降ろした。
「さて、証意殿も知っての通り、最早兵糧など既に底をついており餓死者も出ている。 これでは、戦う事など不可能に近い」
「それは……そうかも知れません」
始め下間頼成の言葉に反論しようとした証意であったが、直後脳裏には先程の息子の言葉がよぎっては消えて行く。 すると証意は、自分でも不思議なぐらい素直に下間頼成の言葉へ同意していた。
しかしその一方で、下間頼旦はと言うと意気軒昂である。 だが、そんな彼とて威勢がいいのは言葉だけである。 当の下間頼旦の頬は大分痩せており、また動き一つとっても張りという物があまり感じられなかったからだ。
「頼旦殿。 意地は立派だが、現実問題として戦いで死亡する者より飢えて亡くなる者の方が多いのが現状だ。 このままでは拙僧達も門徒も、揃って飢え死にするだけです」
「ならば、頼成殿。 どうしろというのだ」
「拙僧は、降伏を考えている。 われらと引き換えならば、門徒は許されるかも知れん。 実際、近江の門徒は許されたらしいからのう」
近江国より流れてきた一部の門徒からもその話は聞いている。 その事実がある以上、流石に下間頼成の言を否定出来なかった。 とは言え相手は延暦寺を攻め、そして顕如が仏敵と認定した織田信長である。 幾ら降伏を申し出ても、彼がどの様な対応をしてくるのか想像の埒外であった。
しかし、このままでは座して死を待つばかりである。 そこで証意からの提案で、先ずは軍使を派遣して相手の反応を確認する事としたのだ。
会合が終わると、彼らは直ぐに軍使を織田家へと派遣する。 軍使の到着を聞き対応した堀秀政は、直ぐに織田信長の元へと向かったのであった。
「秀政。 一向衆どもからの軍使が来ただと?」
「はい」
「で、あ奴らは何と言って来ている」
「下間頼旦、下間頼成、証意の身柄を持って門徒を助けて欲しいと」
「つまり和睦か……足りんな。 秀政、軍使など追い返せ。 その様な条件では、交渉する価値など無いわ」
「ぎ、御意」
主からの返事を聞き急ぎ軍使の元に戻る堀秀政の背を見ながら、織田信長は鼻を鳴らして不満を表す。 今の織田信長にとって、三人が提示した案など受けるに値しないからだ。
確かに近江国内の一向宗は許している。 だが、その時と今では前提条件が全く違うのだ。
あの時点で織田信長は、追い込まれていたと言っていい。 江北に朝倉家、江南に一向衆と延暦寺。 更に、今居る長島に摂津国で蠢動した阿波三好家と石山本願寺。 更には池田家の内訌に端を発する動乱と、領内のあちこちで戦火が広がっていた。
しかしながら、現時点ではそんな事はない。 江北から朝倉家の軍勢は叩き出し、彼の家の対応は浅井長政を当てた。 そして江南で蠢いていた近江一向衆と延暦寺もまた、鎮定に成功し、この時点で近江国は平穏を取り戻している。 つまり今を持って戦火があるのは、今いる伊勢国長島と摂津国の二つだけであったのだ。
また、織田信長が軍使を追い返した理由は他にもある。 それはここまで追い込まれながらも、未だに一向衆から離れず織田家に付こうとしない伊勢国人の存在であった。
戦後の統治を考えれば、この叛骨的な行動をとる国人は除いておきたい。 伊勢国内に居る一向宗と共に、文字通り存在を抹消しておきたかったからだ。
「まだまだ。 証意どもが嫌でも受けいれざるを得ない状態まで、じらしてやるわ」
そう独白した織田信長は、不敵な笑みを浮かべていた。
こうして一縷の望みを掛けた試みは、素気無く追い返された事で泡と消えてしまう。 最早後の無くなった一向宗側は、最後の意地とばかりに抵抗を続けた。 だが、ついに願証寺にて蓄えていた兵糧も完全に底をついてしまう。 食べる物が尽きては、織田勢による重囲に耐えられる筈もない。 仕方なく一向宗は、願証寺を放棄して長島城に集合する。 これで伊勢国長島に残る一向宗の拠点は長島城だけとなり、事実上織田家によって押し込まれた形となった。
しかしてこれが、更なる悲劇を呼ぶ。 一向宗側の軍勢が長島城に集結した事で、僅かに残っていた長島城の兵糧もあっという間に消費してしまったのだ。 最早長島城内には米粒一つなく、牛馬は勿論鼠すら存在していない。 このままでは飢え死ぬか、それとも乾坤一擲に打って出るかの何れかを選択すより他は無いところまで証意達は追い込まれてしまっていたのだ。
だが、そんな二進も三進もいかない状態こそ織田信長が望んていた状態である。 頃合いは良しと判断すると、今まで一回も派遣する事の無かった軍使を織田家から長島城に派遣したのであった。
長島城へと派遣されたのは、大津長昌である。 彼は、堀秀政と同様に織田信長からの信頼が厚い側近である。 そんな男を派遣して来たのだから、少なくとも織田家が本気である事は一向衆としても確信が持てた。
そんな大津長昌から、証意と下間頼旦と下間頼成に対して書状が提示される。 そこには織田信長からの降伏勧告、並びに降伏の条件が記されていた。 その条件とは、証意ら三人の身柄とそして此度の一向宗蜂起に協力した伊勢国人達の身柄であった。
「これはっ! 使者殿!! 拙僧達は兎も角、国人達の身柄をとも弾正大弼殿は申されるのか!」
「軍使殿。 幾らなんでもこれは厳しい、何とか我らだけで収める事は出来ませぬか」
「「それ以外の条件は認めぬ」 これが殿の御意思にございます。 もし受け入れぬと言われるのであるならば、それも構いません。 我ら織田家は、引き続き攻囲するだけにございますれば」
織田家には兵糧がまだまだあるし、そう遠くないうちに米の刈り入れも始まる。 そうなれば織田信長は、追加で兵糧を購入してでも兵糧攻めを続行させる気であった。 しかし、一向衆にそんな手は打てない。 この包囲が解かれなければ、兵糧を揃えるどころか手に入れる事すらまず不可能なのだ。
「申し訳ありませぬが、返事は後日で宜しいか? 我らの一存だけでは決められません故に」
「分かりました。 殿にはその様にお伝えしましょう。 それと」
『それと?』
「賢明な判断を期待いたしますぞ」
皮肉とも哀れとも、そして忠告とも取れる言葉を一つ残して大津長昌は長島城から立ち去った。
すると証意と下間頼旦と下間頼成の三人は、長島城内に残っている伊勢国人達を集める。 やがて雁首揃えたのは、水谷盈吉や太田修理亮。 更には、屋長島城主であったが織田家に討ち取られた安藤季友の子である安藤季晴などが集まってくる。 主だった者がほぼ揃うと、そこで彼ら伊勢国人達に織田信長から示された降伏の条件を伝えたのであった。
「では、我らと引き換えに数万の門徒を助命すると信長はそう言っているのか頼旦殿」
「うむ。 それが唯一無二の条件であるらしい、まっこと忌々しい限りだ」
「ですが、ここに至ってはやむなし。 そうではありませんか、頼旦殿」
「分かっているわ! だからこそ忌々しいのではないか!!」
語彙こそ鋭く、それこそ怒りが籠っている。 しかし気持ちとは裏腹に、下間頼旦の声は怒声とはなっていなかった。 もう、怒鳴り声を上げられるほどの力も出せないのである。 そしてそれはこの場に居る者達も、そして門徒達も同じであった。
「こうなっては、最早是非もありません。 拙僧の命で門徒を助ける事が出来るのであるならば、喜んで阿弥陀如来の元に参ります」
証意は微かに笑みを浮かべながらも、まるで下間頼旦や国人達を諭す様に自らの意思を伝える。 するとすぐ様、下間頼成も証意に同意した。
その直後、下間頼旦もまた二人に追随して同意する。 徹底抗戦を主張していたが、彼としても一向宗門徒は助けたいのである。 今までは助かると言う保証もなかったので和睦に反対していたが、これ以上はどうしようもないところまで追い込まれてしまった。
ならば最後の望みを、この和睦に掛けるしかない。 そう判断し、同意したのだ。
こうなれば、残された伊勢国人達や証意達と共に門徒を指導した一向宗の僧侶にも否は無い。 彼らも証意達と行動を共にする事を決めたのであった。
明けて翌日、長島城より織田家へ軍使が送られ、提示された条件を全て飲む旨が伝えられる。 すると織田信長も了承し、彼ら主要な者達の命と引き換えに一向宗門徒の助命が成されたのであった。 そしてその日の午後、長島城を出た証意達が織田家本陣に到着すると、織田信長は一般の門徒達に織田家の兵糧を解放する。 飢え死に寸前まで追い込まれた彼ら篭城勢にとって、この行為は天の慈雨に等しい。 つい先日まで戦っていたにも拘らず、彼らは最大限の感謝をしつつ織田家から与えられる粥などを貪り食うのであった。
こうして伊勢国における一向一揆も、終わりを告げた。
この後、長島の地は滝川一益へと委ねられる。 彼は織田信長からの命に従い、苛烈にはこの地を治る事はしなかったのである。 そのお陰かは分からないが、長島の地に住む者が織田家に反抗する事など殆どなくなったとされていた。
また織田家に引き渡された証意達だが、彼らは全員織田信長の命により磔とされている。 だが、証意の息子である顕忍や捕らえられた伊勢国人達の子息でまだ成人を迎えていない者は、その若さ故に格別の配慮という事で許されたのであった。
以上の様な顛末となりました。
これは、信長がに向けられた一向衆からの被害が史実より小さい為です。
弟も生きてますしね。
ご一読いただき、ありがとうございました。




