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第五十七話~茨木城外の戦い~


第五十七話~茨木城外の戦い~



 織田信長おだのぶながからの命を受けて自陣に戻った義頼は、直ぐに馬淵建綱まぶちたてつな本多正信ほんだまさのぶらを呼び出す。 程なくして現れた彼らに対して、摂津国行きの命を受けた事を話した上で馬淵建綱に兵を纏める様にと命じた。

 命を受けて間もなく、即座に編成に入るべく義頼の前から辞する。 そんな彼を見送った後、続いて望月吉棟もちづきよしむねを呼び出す。 間もなく現れた甲賀衆を率いる彼に、この伊勢国長島に残る様にと命じた。

 その理由は、引き続いてこの地を警戒する為である。 それと言うのも願証寺に居る下間頼成しもつまらいせい下間頼旦しもつまらいたん、そして願証寺住職の証意しょういが飽きもせずに雑賀衆へ向けて救援を求める軍使を出し続けているからである。 折角今まで軍使を捕縛し続けていたと言うのに、此処ここで見逃す訳には行かなかった。

 仕える主君より命とその理由を聞いた望月吉棟は、平伏して了承する。 その後、彼が消えると義頼は傍らにいた沼田祐光ぬまたすけみつへと話し掛けていた。


「さて、長島はこれでいいだろう。 問題はこれから行く摂津だ、果たしてどう動いた物か」

「いきなり現れた我らが和議などを持ち掛けても、受けはしないでしょう。 何より、相手に侮られかねません。 そこで一定の勝ちを得た後で、和議に持ち込むなり降伏を受諾する様に持ち掛けるべきかと」

「そうだな……それしかないか」

「はい」

「分かった。 その線で行おう」

『御意』


 こうして大雑把ながらも方針を決めてから数日後、甲賀衆の大半を残した義頼の軍勢は出立した。 大鳥居砦にて森可成もりよしなり森長可もりながよし親子の軍勢と、佐々成政さっさなりまさの軍勢に合流する。 その後、彼らは東海道を使い、京の近郊を抜けてから摂津国に向かった。

 その途中に存在する三好家や石山本願寺の一向宗の妨害を警戒しつつの行軍であった為、少し余計に時間が掛かる。 だが警戒を密にしたお陰もあり敵対勢力からの妨害などは入らず、無事に摂津国へと到着する。 そのまま行軍を続けた義頼は、高槻城の近くに布陣した。

 その理由は、高槻城に足利義昭あしかがよしあきから和田惟政わだこれまさを救出すると言う命を受けて細川藤孝ほそかわふじたか率いる軍勢が入っているからである。 先に摂津国へと入っていた彼らに合流する事で情報の交換も行えるし、何より軍勢の足並みを揃える事が出来るからだ。

 既に織田信長と足利義昭の仲は拗れているが、表立って対立している訳ではない。 その事を隠蔽する為にも、足並みを揃えた方が良いのである。 こうすれば、織田家が援軍を寄越したとできるからであった。


「お久しぶりです、兵部大輔(細川藤孝)殿」

「これは左衛門佐(六角義頼ろっかくよしより)殿、貴殿も息災そうで何よりだ」

「して、如何いかなる状況ですか?」

「正直、やや手に余るといった感じだったので助かる。 しかし、弾正少弼(松永久秀まつながひさひで)殿は何を考えているのだ! 此方こちらの援軍に来たのかと思えば、長房と行動を共にするとは。 もしかして、あ奴は織田家を裏切ったのか?」

「さぁ、今は何とも言えませぬ。 ですが一つ、松永家の領内に甲斐武田家の者が出入りしているという噂があります」

「何っ! 武田だと!?」


 此処で義頼は、細川藤孝に対して大和国内での話を聞かせる。 するとそこで出た名前に、彼は驚きを隠せないでいた。 しかし、それも致し方ないと言えるだろう。 その場で出た名は、細川藤孝にとって心当たりがあり過ぎるからだ。

 と言うのも、松永久秀と武田信玄たけだしんげんの仲を繋いだ人物と言うのが細川藤孝の主である足利義昭であるらしい。 前述した様に彼は表面上織田家と協調路線を続けているのだが、その裏では依然として織田信長の許可なしに勝手に出す事を禁止された筈の御内書を発行し続けているからである。 その様に暗躍している足利義昭が今最も期待しているのが、他でもない武田信玄であったのだ。


「ええ。 ですから、その事が関係しているかも知れません」

「そ、そうか。 武田か……」


 やや慌てた様な感じで言い淀んだ細川藤孝の態度に、義頼は「やはり公方様も関係があるのか」と推察した。 しかし今は追及する時ではないし、何よりそれは義頼の役目ではない。 織田信長から命じられればその限りではないが、今はまだその様な命が出ている訳ではない。 下手に関わって万が一にも藪蛇となってしまうなど御免被るのだ。

 それに何より、今はそれよりも目の前の摂津国で起きている騒動に対処する必要がある。 まずはそれを片付けてから考えればよい事だと頭を切り替えた義頼は、引き続いて細川藤孝に話し掛けた。


「まぁ、今は考えても仕方ありません。 それより、敵の勢いを削りましょう」

「勢いを削る?」

「ええ、削ります。 兵部大輔殿には高槻城にあって引き続き荒木勢を抑えていただきたい」

「構わぬが、貴殿は如何いかがする?」

「某は、茨木城や安威城などを攻略致しましょう」

「そうか。 それはありがたいが、拙者達だけで荒木勢を抑えきれるかどうか分からぬ。 彼らもまた、援軍と合流しているからな」

「承知しております。 ですので、幾許かの兵を残します。 沼田兄弟を残しますので、存分にお使い下さい」


 沼田清延ぬまたきよのぶ沼田祐光ぬまたすけみつ、そして沼田光友ぬまたみつともの三兄弟と細川藤孝だが、実は義理の兄弟に当たるのだ。

 彼ら三兄弟は、先代の沼田家当主であった沼田光兼ぬまたみつかねの息子である。 だが、他にも光兼には子がいた。 それが、沼田麝香ぬまたじゃこうである。 彼女は細川家の嫡子となる熊千代や二男の頓五郎など数名程儲もうけていた。

 因みに細川藤孝に、側室や妾と言った女性は居ない。 戦国の世には珍しく、彼は麝香以外妻を迎えてはいないのである。 ただ、既に複数の子供がいるので、敢えて側室などを増やす理由はなかった。

 兎にも角にも、細川藤孝と沼田三兄弟は義理とは言え兄弟である。 義頼に与力として付けられた森親子や佐々成政よりは、よっぽど齟齬は来たさないだろうと考えての事であった。

 そして細川藤孝としても、彼らであれば面識もある。 下手な者を付けられるよりは、遥かにましと言う物であった。


「そうか。 それはありがたい、感謝するぞ左衛門佐殿」

「では早速にでも」

「うむ」


 そう言うと義頼は、直ぐに三兄弟を呼び出した。

 そこで、細川藤孝に協力する様に命じる。 命じられた沼田清延らは、即座に了承した。 明けて翌日、義頼は高槻城に三兄弟残して出陣する。 そのまま進軍して普門寺にて陣を張ると、茨木城に入っている荒木村重あらきむらしげの嫡子に当たる荒木村次あらきむらつぐと対峙した。

 その茨木城だが、確かに今の城主は荒木村次である。 しか彼は元服したばかりで、まだまだ年も若い。 そこで荒木村重は、補佐として中川清秀なかがわきよひでも同行させている。 これにより茨木城の実質的な城主は、彼が務めていた。

 その中川清秀に、荒木村次がこれからについて尋ねる。 その問いに対し、彼が自信満々に「撃退して見せる」と返答したのを聞いて、年若い彼の表情に安堵が生まれていた。 何と言っても中川清秀は、猛将として敵味方に名が知れている。 その彼が放った言葉は、荒木村次に安心感を植え付けたのだ。

 しかも父親の荒木村重からは、中川清秀の言葉をよく聞く様にとの忠告とも命とも取れる言葉も出ている。 ゆえに荒木村次は、中川清秀に出陣の命を与える。 一応の上司である男から出陣の許可を得た中川清秀は、嬉々とした笑みを浮かべながら軍の編成に入ったのであった。



 その一方で義頼はと言うと、既に普門寺より出陣していた。

 目指すは、無論茨木城である。 しかしその途中で、物見を命じていた伊賀衆より報せが入る。 その報を届けたのは、伊賀十二人衆の一人である森田浄雲もりたじょううんであった。

 彼の言によれば、茨木城より荒木勢が出陣しており、その軍勢を率いているのは中川清秀であるらしい。 彼は荒木村重より信頼を厚く持たれている男であり、六角勢との緒戦を勝利で飾り出鼻を挫くためであろうと見当が付けられた。

 しかして義頼は、この何とも言えない偶然に思いを馳せる。 と言うのも、彼の軍勢には同じ中川の姓を持つ男が従軍していたからだ。 その者の名は、中川重政なかがわしげまさと言う。 嘗ては黒母衣衆として織田信長の傍に仕えていた男であったが、お犬の方の輿入れの際に彼女と共に六角家へと来た男である。 その中川重政に、義頼は先鋒を任せていたのだ。

 共に中川の姓を持つ二人の将が、意図した訳でもないにも拘らず相見える事になる。 ただ、中川重政は清和源氏の小笠原氏であり、中川清秀は多田源氏である。 その為、同姓と言えども同族には当たらなかった。


「ふむ。 偶然とはいえ、奇妙なものです」

「そう、だな。 しかし村重の信頼厚い将か、侮らない方が無難だと言うところだな定秀」

「はい。 ここは万が一を考えて、後続を用意致した方が宜しいかと。 ここで下手に敵が勝利しますと、勢いがまた相手に渡りかねません」


 和田惟政が討たれた事で、摂津国内の情勢は一気に荒木勢側へと傾いていたのだ。

 しかしながら義頼達が現れた事で摂津国内の情勢は、再度織田家側へと戻って来ている。 しかし、まだ完全に織田家側となっている訳ではない。 そこでこの流れを断ち切らない為にも、負ける訳には行かなかった。

 その事を蒲生定秀がもうさだひでから指摘された義頼は、暫く考えた後で寺村重友てらむらしげとも山内一豊やまうちかずとよを呼び出す。 程なくして両名が現れると義頼は、両名に中川重政の後詰めを命じたのだ。

 主からの命を受けると二人は、直ぐに旗下の兵を率いて中川重政の後を追うべく進軍を速める。 そして義頼もまた、先行する中川重政との距離を縮めるかの様に行軍を速めるのだった。

 丁度その頃、義頼から先鋒を任された中川重政はと言うと茨木城を出陣した中川清秀と対峙している。 暫くはそのまま殺気を交えつつも互いに牽制していたのだが、その状態が何時いつまでも続くはずもない。 先に焦れたのは、中川重政の方であった。

 すると彼は、弟の津田盛月つだもりつきに命じて突撃に移る。 その命に従い、津田盛月は兵と共に突撃を開始する。 間もなく、まるで呼応するかの様に中川清秀の兵もまた突撃を開始していた。

 暫くは一進一退いっしんいったいと言う感じであったが、徐々に差が出始める。 「勇将の下に弱卒なし」の言葉通りと言えるのであろう、津田盛月の兵は徐々にだが押され始めたのであった。 そんな弟の率いる兵の様子を不甲斐なく感じた中川重政は、もう一人の弟である木下嘉俊きのしたよしとしに命じて、津田盛月の救援を行わせる。 そのお陰で前線は、一時的とは言え持ち直しを見せた。

 たが、それもそう長くは持たなかったのである。 何と中川清秀自らが先頭に立って、打って出たのである。 その働きは、正に猛将と言う名に恥じる者ではない。 苦も無くとは言わないまでも彼は、津田盛月と木下嘉俊の軍勢を貫いて戦線を突破する。 その直後、中川清秀は中川重政の居る本陣に迫ったのであった。


「殿。 お下がりください」

「馬鹿を申すな! 敵の大将が来ているのだ、討ち取る好機ではないか」

「しかし、敵の勢いは凄まじいものがありますぞ」

「だからこそであろうが! ええぃ、槍を持て。 わし自ら出迎えてやるわっ!」


 中川重政がそう家臣へ言い放った正にその時、周辺が妙に騒がしくなる。 しかもその騒動は、徐々にだが近づいて要る様子であった。 やがて大分近づいたかと中川重政が思った直後、彼の視線の先で味方が一人槍で貫かれる。 その直後、槍が抜かれると支えがなくなった味方は崩れ落ちる。 次いで見えたのは、一人の偉丈夫とその彼につき従う馬廻り達であった。


「中川八郎右衛門尉重政殿とお見受け致す。 相違ござらぬな」

「如何にも! 貴公は何者だ」

池田知正いけだともまさが臣、中川瀬兵衛清秀。 いざ、尋常に勝負!」

「おうっ!!」


 一騎打ちを受けると同時に中川重政は、槍をひったくる。 そのまま振りかぶると、力いっぱい振り下ろしていた。

 しかし中川清秀は槍を斜めに構えて槍をいなすと、まるで円の描く様に己の槍を振るう。 それを見た中川重政は、数歩下がる事で何とか槍をかわしていた。 すると、微かに痛みが走る。 避け損なったのかそれとも刃風はかぜによるものかは分からないが、中川重政は浅くではあるが切り傷を付けられていたのである。 だが幸いな事に、彼の動きを阻害するほどではない。 中川重政は気にする事無く、己の槍を構えていた。

 その時、中川清秀はと言うと驚きの表情をしていた。 まさか避けられるとは、思ってもみなかったからである。 だが彼に取り、これは望外の喜びである。 相手が強者であれば、それだけ勝利を引き寄せた後に得られる効果は大きい。 援軍の気勢を制する上でも、それは重要であった。

 その思いに、中川清秀の表情に笑みが浮かぶ。 その表情に侮蔑されたと感じた中川重政は、「避けられる物ならば避けてみよ」とばかりに槍を突き出す。 しかし中川清秀は体を開き半身となる事で槍を避けつつ槍を振りかぶると、中川重政の頭に叩き付けるがごとく振り下ろしていた。

 体勢的に避ける事は難しい上に、手にした槍で受ける事は難しい。 咄嗟とっさにそう判断した中川重政は、槍を手放すと腰を降ろして確りと踏ん張る。 その上で、頭の上に腕を交差させて中川清秀の槍を受け止めていた。 しかしその威力は凄まじく、勢いを完全には殺せない。 その為に押し込まれてしまい、槍の柄が当たった兜が外れてしまった。

 ゆっくりと頭から落ちて行く中川重政の兜であったが、その時彼は思いも掛けない行動に出る。 何と、咄嗟にその兜を中川清秀に向けて蹴り付けたのだ。 そんな彼のまさかの行動に、彼は本能のまま思わずその兜を避けてしまう。 すると体勢が崩れたその隙を突いて、中川重政は何とか距離を取った。 そして刀を抜こうとしたが、途端に襲った鋭い痛みにその思いは叶わない。 どうやら槍を受け止めた時に腕を痛めたらしく、刀を抜くにはいささか難しい状況にある。 仕方無しに重政は、脇差を抜くのだった。

 その様な中川重政の行動に、彼がおかれた現状を推察した中川清秀はにやりと笑みを浮かべながら改めて槍を構える。 相対的に対峙する中川重政の額には、脂汗が滲んでいた。


「これで……終わりだ!」


 一瞬だけためを作った中川清秀は、槍を突き出そうとした。

 しかしてその直前、彼の耳に何かが飛来する様な風切り音が聞こえて来る。 その瞬間、何となく感じた勘とも思える衝動に従い槍を振るった。 するとその槍に何かがぶつかる様な音がしたかと思うと、間もなく何かが落ちる。 それは、半ば近くで折れた矢である。 一瞬何事かと思った中川清秀だったが、直後対峙する中川重政以外の気配が近づいて来るのを感じると咄嗟に槍を構える。 すると頃合いを見計らった様に、一人の男が飛び込んで来た。

 突如乱入した男は、現れた勢いのままに中川清秀へと肉薄する。 と同時に、手にした槍を振り降ろす。 行き成りの攻撃に泡を喰った中川清秀であったが、踏ん張る事で何とかその槍を受け止めてみせたのである。 流石は猛将、中川清秀であった。


「ご無事か! 右衛門尉(中川重政)殿!!」

「や、山内殿! 何故ここに!」

「殿の命で、救援に参った。 今のうちに下がられよ!」

「させるか! のけぃ!!」


 山内一豊の言葉を聞いた中川清秀は、彼の槍を弾くと体を回転させながら槍を振るう。 その勢いで一豊を排除しようとしたのだが、 相手の山内一豊は確りと槍を持ちながら更に体の重心を槍が撃ち込まれてくる方向へと傾ける。 そのお陰で、槍を振るった中川清秀の槍の方が弾かれてしまい、逆に彼の体勢の方が崩れてしまう。 しかし受け止めた筈の山内一豊も、その体勢故に、反撃に移る事は叶わなかった。

 しかしてその時、更にもう一人中川重政のところへと飛び込んで来た男がいる。 彼は弓を手にしており、その事から清秀は先程の矢はこの男が放ったのかと推察した。

 弓を手に飛び込んできたのは、寺村重友である。 彼は蒲生頼秀がもうよりひでと同様に、義頼へ弟子入りして弓を教わっている。 中々に優秀な腕の持ち主であり、義頼もその点は認めている。 だからこそ彼が落ち着いて狙えば、確実に敵へ狙いを付けるなどそこまで難しい事ではないのだ。


「寺村殿かっ!」

「右衛門尉殿。 ご無事か!」

「な、何とかな」


 時折腕に走る痛みに顔を歪めつつも、中川重政は気丈に答える。 そんな三人を睨みながらも、中川清秀は思案した。

 それは今の状況が、予想と大分異なってしまったからである。 彼は噂で尾張の兵には弱兵が多いと聞いていたからこそ、中川清秀は蹴散らせると荒木村次に言ったのである。 だが、実際に槍を交えると想定外に強い。 何とか敵の大将と肉薄するまで敵中を突破出来たのだが、引き換えに思った以上の被害を被っていたのだ。 

 故に彼は、此処は退き時だと判断し、近くに居た自らの馬に走るとそれに跨る。 同時にまだ戦闘継続中の己の馬廻りに対して撤退の声を掛けると、中川清秀は茨木城に向けて撤退した。

 こうして寺村重友と山内一豊のお陰で何とか九死に一生を得た中川重政は、二人に礼を言いつつも行軍を止める。 旗下の軍勢を突破され直接刃を交える状態となるまで肉薄されていた事もあり、兵の統制を欠いてしまったからであった。 何とか乱れていた兵を取り纏めつつ怪我人などの対処を行っている中川重政であったが、その時使者が現れる。 それは、義頼率いる本隊の来訪を告げる使者であった。

 その報せに中川重政は顔を蒼ざめたが、弟達に仕事を引き継ぐと寺村重友と山内一豊と共に義頼の元に向かっていた。


「申し訳ありません。 先鋒の任、果たせませんでした」

「勝ち負けは時の運、気にするな重政。 それよりも、その方が無事でよかった」

「さ、左衛門佐様……」

「重政。 その思い、いつか晴らせる時も来よう。 それまで心に留めておけ」

「ぎょ、御意!」


 この後、義頼は先鋒を救援に向かわせた寺村重友と山内一豊へ変える。 中川重政の軍勢には相応の被害が出ているし、何より先鋒の大将を務めている者が負傷してしまっている。 そうである以上、この処置は致し方ないと言えた。

 更に義頼は、荒木攻めの効率を上げる為に佐々成政へ別動隊を任ると、安威了佐あいりょうさと息子の安威勝宗あいかつむねの籠る安威城を攻める様にと命じた。 その為に佐々成政は、別動隊を率いて義頼が率いる本隊と別れる。 そして彼は、意気揚々と安威城に向けて進軍を開始したのであった。



 こうして否応も無く義頼が軍の再編を行っている頃、茨木城では荒木村次と撤退して来た中川清秀が話をしていた。


「申し訳ない、荒木殿。 大言を放ちながら、全うする事が叶わなかった」

「中川殿、話は聞きました。 敵の先鋒を、一度は追い詰めたと聞いております。 ならば、そんなことは無いかと。 それよりも、これからどうした方が宜しいか?」

「そうですな……この茨木城の修築ですが、殆ど行われておりません。 それであるが故に、この城での篭城はお勧めいたしませぬ。 此処は早々に退いて、信濃守(荒木村重)殿と合流した方が宜しいと判断致す」

「撤収か。 では、安威城にも出した方がいいですか」

「無論ですな」


 この言を受けて荒木村次は、撤収の命を記した書状を安威城に出した。

 同時に中川清秀は、兵達を纏め上げて撤退の準備に入る。 やがて全ての準備を終えた両名は、兵糧などはそのままに茨木城から高槻城近くに陣を張る荒木村重の元へと脱出した。

 また撤退の知らせを受けた安威了佐と安威勝宗だが、茨木城と同様に兵糧や武具などを残したまま城から落ち延びている。 これは、佐々成政が別動隊を率いて安威城に向かった頃とほぼ同時刻である。 つまり安威の親子は、僅かの差で成政の攻撃を受ける事無く撤収したのであった。



 中川重政と中川清秀の前哨戦こそあったが、結局決戦無く終わっている。 しかし茨木城と安威城の両城は接収出来たのだから、義頼の当初の目的は果たしたと言えるだろう。 そこで茨木城に後藤高治ごとうたかはる田原武久たはらたけひさを入れて抑えとし、更に安威城に横山頼郷よこやまよりさとを残した義頼は、軍勢を率いて細川藤孝の軍勢と再度合流するべく戻ったのであった。 


義頼が率いている兵は、全て近江兵か伊賀兵です。

そして、中川重政が率いているのは近江兵ですのでよろしく。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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