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第五十三話~接触~


第五十三話~接触~



 近江国へ帰国する義頼は、織田信長おだのぶながの元に向かった。

 それは帰国前の挨拶伺いだったのだが、そこで主より別の命を受ける事となる。 その命とは、今月内に上洛するにあたっての同行であった。


「上洛、にございますか?」

「うむ、上洛だ。 今月中にも京に向かおうと思っている。 そこで義頼、そなたの帰国は許すが上洛の際には同行するのだ」

「承知致しました」


 その後、織田信長の屋敷を辞去した義頼は、岐阜城下の屋敷に戻る。 そこで身支度を整えると、六角義治ろっかくよしはるに挨拶してから屋敷を出立した。

 彼らの一行は東山道を使い、近江国へと入る。 そのまま進み、やがて観音寺城へと到着した。 城下の六角館に入ると、そこで数日過ごす。 その間にも彼は、近江代官としての政務を行っていた。

 その政務が一段落付くと、義頼は後の事を平井高明ひらいたかあきに任せる。 その後、六角館を出立した義頼は、甲賀郡に入ると三雲城に三雲成持みくもしげもちを尋ねた。 三雲家の家督を父親の三雲定持みくもさだもちより譲られた彼は、同時に義頼の代理として甲賀郡を預かる身ともなっている。 これは、父親の三雲定持もまた担っていた役目であった。


「ふむ……上手くやっている様だな」

「まだまだにございますが」

「何、十分よ。 このまま、大過なく治めてくれ」

「御意」


 三雲城で甲賀郡の治安政策等について見分を行い、取り分けて問題はないと判断した義頼はそのまま伊賀国へと向かう。 そこで己の家臣に対し、織田信長の供として上洛する事を伝える。 そしてその間の事は、甥の大原義定おおはらよしさだに任せる事を合わせて伝えていた。

 また上洛の際には、伊賀衆も同行させる旨も伝える。 京へ向かう同行者の人選については、伊賀衆筆頭の千賀地則直ちがちのりただに任せる事とした。

 それから数日の後、義頼は千賀地則直と彼が選んだ伊賀崎道順いがさきどうじゅん率いる伊賀衆を供に加えると、一先ず近江国へと舞い戻る。 そして観音寺城下の六角館へと入ると、京へ向かう為に岐阜を出立している筈である織田信長の一行を待った。

 すると程なくして、観音寺城に一行が到着する。 義頼の出迎えを受けた彼ら一行は、案内された六角館にて一泊した。 明けて翌日、義頼達を加えた織田信長は六角館を出発して一路京へ向かう。 その日は瀬田城にて一泊すると、次の日には逢坂関を抜けて山城国へと入る。 やがて京に到着すると、一行は宿所と定めた妙覚寺に入ったのであった。 

 その翌日、妙覚寺を出た織田信長は、持参した進物を持って朝廷へと向かう。 この進物は、延暦寺攻めに対する礼も兼ねていた事もあり、膨大な量となっている。 その様な多大な進物を持って京の御所に到着した織田信長は、進物と進物の内容を記した目録を朝廷へ献上したのであった。

 こうして朝廷への挨拶伺いを済ましてから数日した後、織田信長はやはりある場所へと向かう。 向かった先は、足利義昭あしかがよしあきの居る二条城であった。

 そして此方こちらに関しても、用件は朝廷と同じく挨拶伺いである。 土産を持ち二条城にて面会した織田信長であったが、持参した土産を渡した後で足利義昭から思いも掛けない事を伝えられたのである。 それは、京における織田信長の屋敷の建造であった。

 実は織田信長は、京に屋敷を持っていなかったのである。 その代わりに上洛の度に京の都内の寺と交渉し、今回の妙覚寺の様に宿泊所としていたのであった。


「拙者の屋敷……にございますか」

「そうだ、信長。 その方は幾度となく上洛しておるが、京に屋敷を構えておらぬではないか。 それでは、何かと不便であろうと思ってな」

「はぁ」

「何、武者小路沿いにあった徳大寺邸の跡地が空いておったのでな。 余が帝に奏上し、許可を得ておいたぞ」


 やや踏ん反り少し恩着せがましく、そしてやはり少し得意気に言う足利義昭を見つつ織田信長は内心溜息を漏らした。 それは屋敷などを建築するつもりもなかったと言う事もあるが、何より織田信長と足利義昭の仲がかなり悪い状態となっていると言う現状に対する物でもあった。 しかし、彼らはお互いにまだまだ利用できるところはあるとも判断している。 その為、両者共に表面上は関係に問題が無いという体をまだ装っているのであったのだ。

 さて織田信長と足利義昭の関係は一先ず置いておくとして、今問題となっているのは屋敷の建築に関してである。 だが、信長としては、出来うるなら断りたかった。

 しかし、建築に関しては帝からも許可を得ていると言う。 そこまでお膳立てをされては、織田信長としても断るのはいささか難しい。 小さく溜息をつきながら信長は内心で致し方がないと諦め、屋敷の建築に同意したのであった。

 因みに屋敷を建築する賦役だが、これは畿内諸勢力の役目となっている。 そして普請奉行には、村井貞勝むらいさだかつ島田秀満しまだひでみつの両名が任じられたのであった。



 足利義昭の屋敷でもある二条城から帰った翌日、義頼は兄の六角承禎ろっかくしょうていを訪ねていた。 これは兄の武家故実就任以来なのでおよそ一年ぶりに再会したのだが、二人はそれ以上の懐かしさを感じている。 それだけ両名に取って、この一年は濃密と言える時間の証左であった。

 

「兄上、 お久しぶりにございます」

「そうだな、義頼。 本当に久しぶりと言う気がするわ」


 二人とも情報交換などもあったので、書状などの遣り取りは行っていた。 そればかりか、何度か義頼も京を通過している。 しかし大抵は軍務の最中であり、兄弟と言えどそう簡単には会えなかったのだ。


「はい。 それと遅ればせながら、延暦寺に対しての協力ですがありがとうございました」

「ふむ。 気にするな。 ところで義頼、その方に客が来ている」

「某に客ですか? どなたでしょう、兄上」

「尼子家臣だ」

「……尼子? 京の東福寺の僧として剃髪していた尼子孫四郎殿を還俗させて旗頭にし、山陰で毛利と干戈を交えていると言う噂のあの尼子ですか」

「その通りだ」


 その尼子家の家臣が何ゆえに六角承禎の元を訪れたのかと言うと、原因はその血筋にあった。

 と言うのも、尼子氏は近江源氏の分流に当たる家だからである。 正確には京極氏の分家に当たる尼子氏だが、近江源氏の分流である事に間違いはない。 その尼子家の者が、隠居しているとは言え近江源氏の嫡流の一人である六角承禎を訪ねる事自体に不審な点はなかった。

 普通であれば、との但し書きは付くが。

 何ゆえに但し書きなどが付くのか、それは尼子家がある問題に直面しているからである。 その事を考えれば、この訪問がただの近江源氏嫡流の者に対する挨拶とは到底思えなかったのだ。

 さて話を戻して尼子家だが、前述した様に尼子家の復興を目指して山陰で毛利家を相手に干戈を交えている。 この事については、義頼が織田信長の命により江北へ出陣してから少しした後、本多正信ほんだまさのぶからの報告で把握していた。

 当初尼子家が優勢であったこの戦だが、毛利元就もうりもとなりが本腰を入れて対応に入った頃から混沌とし始めている。 それでも序盤の優勢が功を奏していたのか、戦の主導権はまだ尼子家側にあった。

 だが尼子家の居城であった月山富田城を取り返す事を目的とした攻防戦に尼子勢が敗れてから、その主導権も尼子家から毛利家へと移動してしまっていた。

 すると、尼子側に不協和音が生じ始める。 そんな好機を、稀代の謀将と言われた毛利元就が逃す筈もない。 彼は手練手管を駆使して、一気に尼子側の切り崩しを行ったのである。 この手立てにより、尼子側が優勢であった山陰の情勢は毛利側に傾いてしまったのであった。

 なおこの山陰の情勢については、義頼も報告している。 しかし当時、織田信長は畿内や長島の戦に集中していた事もあり、報告だけ受け取ってその件に関してはあまり頓着していなかったのだ。

 ただ、事は同じ近江源氏が係わっている為、義頼は引き続き情報を集めさせていたのである。 その追加情報でも、尼子勢の不利はかなり深刻であるという報告も受けていた。


「して義頼、どうする、会うか?」

「……一応同族です、無碍むげには出来ません。 会いましょう」

「そう言うと思ったので招いておいたぞ。 今から呼ぼう」


 それから程なくして、山中長俊やまなかながとしに先導された男が義頼達の前に現れた。

 年の頃なら、四十に届こうかという男である。 そして中々に知的な雰囲気を持っているが、それもやや霞んで見えるくらい少しやつれている様な印象を受ける。 その様子に、山陰に居る尼子勢の状況が決して良くない事が想像できた。

 

「お初にお目に掛かります。 尼子孫四郎勝久が臣、立原源太兵衛久綱と申します」

「丁寧なあいさつ痛み入る。 某は六角家当主、六角左衛門佐義頼と申す。 して立原殿、用向きを窺おうか」

「はっ。 織田弾正大弼(織田信長)様へのお目通りをお願いしたい。 尼子家再興の為に」

「尼子家の再興か……しかし嫡流は、毛利に幽閉された状態であったはずだが?」


 尼子家は、およそ今より五年程前に毛利元就によって滅ぼされていたと言っていいだろう。

 当時の尼子家当主であった尼子義久あまごよしひさは、己を含む尼子家の者の助命を条件に毛利家に降伏したのである。 これにより一時は山陰・山陽八ヶ国に覇を唱えた尼子家は、大名としての終焉を迎えたのであった。

 こうして尼子家が亡ぶと、尼子家臣はそれぞれの道を進む。 大抵は毛利家に仕官したのだが、中には別の道を模索した者達もいた。 その模索した道と言うのが、滅んでしまった尼子家の再興である。 彼らは京に居た尼子勝久を見出すと、彼を説得して尼子家再興の旗頭に据えたのであった。


「はい。 ですから、孫四郎(尼子勝久)様と共に尼子家の再興を目指しているのです。 左衛門佐(六角義頼ろっかくよしより)様、何卒お願い致します!」

「……分かりました。 事は同族たる近江源氏の行く末です、殿への仲立ちは致しましょう。 しかしながら殿の気持ちを動かせるかは、そなた次第ですぞ」

「勿論、分かっております」


 その翌日、義頼は尼子勢からの使者である立原久綱たちはらひさつなを伴って織田信長の宿泊している妙覚寺に向かう。 既に連絡はしておいたので、面会自体に問題が出るという事は無かった。

 やがて妙覚寺に到着した一行は、部屋に通されると暫く待たされる。 だがそう時を置かずして、義頼達が居る部屋に織田信長が入って来た。 すると彼は、上座にどっかと腰を下ろすと義頼らを一人ずつ一瞥する。 最後に立原久綱へ視線を流すと、一息置いてから口を開いた。


「義頼。 その者が、尼子からの使いか」

「はっ。 尼子勝四郎殿が臣、立原源太兵衛久綱殿にございます」

「そうか。 立原とやら、面を上げよ」


 織田信長の言葉に、平伏していた久綱がゆっくりと頭を上げる。 そして臆する事無く真っ直ぐ見返しながら、己が訪問した用件を口にした。


「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます。 拙者、ただいま紹介に預かりました立原源太兵衛久綱にございます」

「して、久綱。 用向きは何だ」

「尼子家の再興の為、弾正大弼様のお力をお貸し願いたいのです。 もしお貸しいただけるのであるならば、我ら尼子家は織田様に臣従致します」

「臣従のう。 そなたらが降ったところで、どうなると言うのだ?」


 それは、事実であった。

 嘗て山陰・山陽に覇を唱えた最盛期の尼子家ならばまだしも、今の尼子勢は毛利家の逆撃によって山陰に数城を押さえているに過ぎない弱小勢力でしかない。 せめて山陰にある国のうちでどこか半国でも抑えていればまた話は違ったのであろうが、毛利家に押し込まれ続けている今の尼子家にそんな事は望むべくもなかった。

 だがそんな事は、立原久綱も織り込み済みである。 彼は、慌てることなく織田信長に尼子を押さえる事で発生するであろう利を上げたのだった。

 彼の挙げた利とは、二つである。 一つは織田家が中国地方へ勢力を伸ばす際に、山陰側へ侵攻する大義名分となり得る事であった。 そして今一つだが、それは毛利家自体に対する物である。 もし尼子家が山陰にてそれなりの勢力として存在し得るのであれば、それは間違いなく毛利家への圧力となるからであった。

 以前は中国地方の覇権を掛けて、毛利家と干戈を交えた尼子家である。 その名だけでも、簡単に無視できる存在でもないのだ。


「二つの利か……まぁ、悪くは無いな」

「ではっ!」

「慌てるな、久綱。 その前に証として、その方ら尼子の力を見せてもらおうか」

「力……にございますか?」

「そうだ、尼子の力だ」


 先程も述べた様に、現在の尼子家では毛利家相手に力を示すなどほぼ不可能である。 何と言っても尼子勢は、毛利家によってすり潰される直前まで追い込まれているのだ。 だからこそ、立原久綱は尼子勝久あまごかつひさに進言して上洛したのである。

 織田家という一大勢力の力を頼る為に。

 それであるにも拘らず、織田信長は尼子勢に力を示せと言う。 そんな理不尽とも言える事を敢えて告げている言葉を聞いた立原久綱は、その意味についてを考える。 やがて自分なりの答えを導き出すと、口を開いていた。


「もしや弾正大弼様。 我らに一度引き、織田家の元で力を見せろとそうおっしゃられますか」

「どの道、今のままでは長くなかろう」


 悔しいが織田信長の言う通り、もはや尼子家に毛利家へ反撃するだけの力は無い。 例え今病に伏せっていると言われている毛利元就がもし身罷ったとしても、その隙を窺う事もままならない状況なのである。 今の尼子勢は、毛利家によってそこまで追い込まれているのだ。


「……承知致しました。 必ずや孫四郎様を、そして同僚達を説得し織田の旗下に合流致します」


 立原久綱の言葉を聞いた織田信長は、小姓が持っていた刀を取る。 そのまま進むと、彼の前にその刀を置いた。 己の目の前に置かれた刀を見た立原久綱は、不思議そうな表情を浮かべる。 その彼へ、織田信長は渡す刀の意味を伝えた。 要は、織田家からの保証と言う事である。 織田信長の所持していた刀を持って帰れば、少なくとも織田家が尼子家を無碍むげにはしないと言う証左にはなる。 刀を与えられた事が尼子家再興の保証となるかと言われれば実は微妙なのだが、それでも立原久綱が織田信長の考えを実行するに当たり行わなければならない主君や家中の説得に対する援護射撃とは成り得ると思われた。

 無論、織田信長としてもこの刀だけで済ませる気はない。 刀とは別に書状も出して、尼子勢が山陰より撤退する後押しぐらいはするつもりなのだ。

 押し抱くかの様に差し出された刀を受け取った立原久綱を見つつその様な事を考えていた織田信長であったが、そこで視線を切ると今度は義頼を見る。 そして一言、告げていた。


「義頼。 今日以降、尼子はその方に預ける」

「御意」


 その後、織田信長からの書状を受け取ってから妙覚寺を出た義頼と立原久綱は、六角承禎の屋敷に戻って来た。

 そこで屋敷に居た兄に義頼は、織田信長との面会での経緯を話す。 話を最後まで聞いた六角承禎は、肩を竦めると大きく息を吐いている。 彼が何故にその様な仕草をしたのかと言うと、織田信長の出した命の裏事情を知るからであった。

 実は織田信長の言った「尼子の力を見るから、山陰より手を引け」という言葉だが、半分本心だが半分は方便であったのである。 その理由だが、現在の織田家が抱えている事情に由来している。 今の織田家は、伊勢長島と摂津国、この二つの戦線を領内に抱え込んでいる。 この二つの戦線のうちでどちらかを片付けるか、若しくは敵勢力の動きを封じ込んでしまわなければ流石に他国へ手を出しづらかったのだ。

 例え毛利元就が倒れた事で毛利につけ込む隙が生まれているとしても、自領内を疎かにして足をすくわれる訳にはいかないのだ。 


「……口惜しいですが、今の尼子家に反撃する力が無いというのも覆し様のない事実にございます。 ここは、弾正大弼様の言葉に従う他ありません」


 尼子勢の望んだ直ぐの援軍は残念ながら得られなかったのだが、支援の当ては得られている。 最上の結果ではないが、最悪でもない回答を織田家から得られた事で立原久綱は良しとしたのであった。

 山陰で何とか踏ん張っている尼子勢に取って、尼子家の再興は間違いなく悲願である。 だがしかし、無理をして全てを御破算にしてもやはり意味が無い。 何より織田家からの援助を確約できたことで、目的が達せられる見込みが出ているのである。 この状況下で無理をして全てを失ってしまうよりは、例え艱難辛苦であろうともそちらに掛けると言う判断が間違いだとは思えなかった。


「そうか。 ならば、某からも微力ながら援助を行おう。 甲賀衆と伊賀衆の精鋭をそなたに付ける、脱出の際には存分に使うとよい」

「いや、しかし。 それは何でも」

「ま、援軍要請に答えられなかったわびとでも思って下されればそれでよい」

「……わかりました。 ご援助、感謝いたします」

「うむ。 俊好と則直を呼べ」


 義頼が小姓へ声を掛けると、程なくして甲賀衆の山中俊好やまなかとしよしと伊賀衆の千賀地則直の二人が現れた。

 両名が揃うと義頼は、事情を説明した上で甲賀衆と伊賀衆から立原久綱につける者を出す様にと命じたのである。 そしてこのつける者達だが、久綱の護衛と共に尼子勢の監視の任も帯びている。 その事に気付いた両名は、少し考えた後でそれぞれ一人ずつ名前を挙げていた。

 山中俊好が挙げた人物は、佐治為次さじためつぐである。 近江佐治氏は甲賀五十三家・甲賀二十一家に名を連ねる甲賀衆の名家であり、しかも尾張知多半島に勢力を持つ大野佐治氏の本家とも言える家であった。

 また千賀地則直が挙げた人物はと言うと、同行させた伊賀崎道順である。 彼は伊賀衆きっての忍びであり、彼に掛かれば難攻不落と謡われた城も落とせるとまで言わしめた人物なのだ。 そんな彼らであるので、義頼としても不満はない。 二つ返事で、彼らの同行を認めたのであった。

 明けて翌日、義頼の付けた佐治為次率いる甲賀衆と伊賀埼道順率いる伊賀衆と共に立原久綱は六角承禎の屋敷から出立する。 そして甲賀衆と伊賀衆と共に、一路主君である尼子勝久の籠る真山城(新山城)に向かったのだった。 


ご一読いただき、ありがとうございました。

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