第五十一話~伊賀での方針~
久しぶりに戦の話ではありません。
第五十一話~伊賀での方針~
織田家主催の新年の宴が終わってより数日した後、義頼は去年と同様に近江国在住の元六角家臣の人質や織田家直臣となって後に岐阜城下へ移動した元家臣達と交流を深めていた。
その宴の席において彼は、去年と同様に宴に参加している者達の間を回り次々と酒を注いでいく。 しかし、去年と違うところもあった。 それは、お犬の方の存在である。 本来近江国に居る彼女だが、此度は新年の挨拶と里帰りも兼ねて義頼と共に岐阜に来ていたのだ。
そして当然ながら、お犬の方と共に女衆も参加している。 その為、彼女らの存在が宴を彩り、華やかさもある宴となっていた。
「頼秀、先ずは一献」
「はっ。 ありがとうございます、左衛門佐(六角義頼)様」
宴の中で蒲生頼秀の前に座った義頼は、彼の杯に手にした徳利より酒を注いだ。 並々と注がれると、彼は杯を傾ける。 若い割には、中々の飲みっぷりであった。
杯の酒を飲みほした蒲生頼秀に対して義頼は、追加の酒を注ぐ。 その間に、一つ気になっている事を彼に尋ねる。 それは、秋に行う予定となっている蒲生頼秀と織田信長の娘である冬姫の婚儀についてであった。
慶事は続けて行う方がいいと考えた織田信長は、先年に行われた義頼とお犬の方との婚儀に続いて、同年の秋には蒲生頼秀と冬姫の婚儀を行うつもりでいたのである。 しかし野田・福島での戦や続いて起きた石山本願寺との戦、更には朝倉家による近江国への侵攻が行われた事でそれどころではなくなってしまったのだ。
しかもそれだけには留まらず、顕如の激に従い近江国内と伊勢国内の一向宗門徒が一向一揆を起こしている。 その上、比叡山延暦寺と武田家も動いている。 その様な経緯も合わさり、秋に予定されていた婚儀は急遽延期となってしまったのだ。
しかしそれらの戦も一段落し、無事に新年を迎えている。 だが織田家からまだ、延期された婚姻について如何にするのかの発表が無かった。 そこで義頼は、ついでとばかりに当事者である蒲生頼秀に尋ねたのである。 彼は新たに注がれた酒を飲み干してから、弓や茶の師匠でもある嘗ての主へそれとなく聞かされていた婚儀についての予定を答えるのであった。
「ところで頼秀。 そなたと冬姫様の婚儀についてだが、何か聞いておるか?」
「左衛門佐様。 拙者もまだはっきりと聞いておりませぬが、恐らく今年の春辺りかと思います」
「ほう、そうか。 すると、俺が婚儀を上げた時期とほぼ重なるな」
「はい。 奇しくも。 偶然ですが」
「だが、それもまた一興。 これは、そなたの婚儀を楽しみ待つとしよう」
そう言ってから義頼は、蒲生頼秀の前から立ち上がる。 そして、まだ巡っていない元家臣の元に行き酒を注ぎ新年の挨拶を行う。 一通り回り終えると義頼は、最後に甥である六角義治の元へ向かう。 そこでどっかりと腰を降ろすと、彼の杯に酒を注いだ。
「して義治。 美濃国内、特に岐阜の様子はどうであった?」
「義頼。 それは、三好の侵攻や一向一揆などに関連して聞いているのだな」
「無論、そうだ」
「そうだな……割と安定していたと、そう言った印象を受けたな。 最も、石山本願寺の門徒らは少々騒いでいた様だがな」
「やはりか」
顕如の檄文だが、実は織田信長のお膝元でもあるこの美濃国へも伸びていたのである。 しかし織田信長の手腕もあり思いの外美濃国内は安定しているので、近江国の様な蜂起が起きる事は無かったのだ。
とは言え檄文は届いていたので、一向宗系列の寺では静かであったとは言えない。 しかし大した数の門徒が集まらなかったので、結局寺は門を閉ざして殆ど形だけの抵抗を示して見せたのである。 だがその抵抗も、織田信長が軍勢と共に戻ると言う話が出ると雲散霧消してしまう。 やがて岐阜へと帰って来た時に見た景色は、通常より少し治安が悪くなったかなと思えるぐらいの街並みでしかなかった。
「ああ。 それに弾正大弼(織田信長)殿が、早々に長島を抜けて岐阜へ戻ったせいか、活動は下火となった感がある。 流石に、完全にとはいっていないみたいだが」
「その辺りが五郎左(丹羽長秀)殿や明智殿、佐久間殿といった方々が近江国内に領地を与えられた理由かも知れん」
「それはあり得るな。 ところで義頼、お前はまだ観音寺の城代なのか?」
「ああ」
六角義治の問い、義頼は頷いた。
先の論功行賞で伊賀国にも領地を持った義頼だが、観音寺城の城代としての任は未だ解かれていない。 また佐久間信盛と丹羽長秀が近江国内に領地を貰った為にいささか範囲は狭まったが、それ以外の地域に住む近江国人達の取り纏めに関しては相も変わらずである。 故に彼は観音寺城代としての役職も、そして近江国代官としての役職も解かれてはいなかったのだ。
「そうか。 まぁ頑張れ」
「分かっている。 幾ら同腹妹であるお犬を嫁に頂いたと言っても、そこに甘える訳には行かない。 必要とされなくなれば、直ぐに切られるだろう……と、宴席で話す事でもなかったな。 ほら義治」
「ああ」
固い話はそれまでとばかりに、義頼と六角義治は軽く笑みを浮かべるとお互いが手にしていた酒を飲み干す。 その後、二人は宴に参加している他の者達とも大いに語らい飲み騒ぐのであった。
明けて翌日、義頼はいつもと大して変わらない様子で朝を迎えていた。
因みに宴席の後片付けだが、そちらはお犬の方を筆頭とした女衆が行っている。 それにお犬を除く女衆は、何度も行ってきたの事もあり手際は実に鮮やかであった。
そんな片付けを行っている現場に現れた義頼に対して女衆は、頭を下げる。 そんな彼女達に義頼は、片付けを続ける様に言ってから、腰を降ろす。 するとお犬の方が、そっと器を差し出した。
「あなた、おはようございます。 はい、どうぞ」
「すまんな」
義頼は白湯の注がれた器を受け取ると、一気に飲んだ。
その様子をじっと見ていたお犬の方だったが、やがて小さく息を吐く。 そしてやや不思議そうな表情を浮かべながら、夫へ話し掛けた。
「……本当に大丈夫そうなのですね」
「お犬、何がだ?」
「いえ。 昨日は皆々が痛飲していましたので、あなたも大丈夫かと心配していたのです。 ですが侍女達は「あの方は問題無い」と言うばかりで心配をしていない様に見受けられましたので」
「そう言う事か。 とは言え、問題が無いという訳ではない。 少し飲みすぎたか、とは思っている。 あそこで唸っている者達ほどではないのは確かだがな」
義頼が顎で示した先は隣室であり、そこには義治を筆頭に二日酔いで唸っている者達が死屍累々の様相を呈している。 彼らは唸り声を上げながら横たわっていたり、痛むのであろう頭を抱えたりしていた。
すると義頼の声が聞こえたのか、二日酔いで痛む頭を押さえつつ六角義治が顔を向ける。 それから恨みがましい目を向けると、ゆっくりと口を開いた。
「……あれで少しだと? このうわばみめ」
「あ、相変わらずでございますな。 左衛門佐様は」
そんな言葉に続く様に、六角義治と共にこの岐阜城下にある屋敷に居る建部秀明が二日酔いの頭を抱えながら口を開く。 彼も義頼らと酒を痛飲し、六角義治と同様に二日酔いと戦っていたのだ。
「秀明。 そなたも、二日酔いか」
「あれだけ……お飲みになって、どうして平然としておられるのですか」
「だから平然では無いといっただろう。 少しだが、頭が重い……様な気もするぞ」
「我らに比べれば……十分平然にござ……い…………ぐあっ」
そこまで言った建部秀明だが、突如頭を抱える。 どうやら義頼と会話をしたことが原因となって、強い頭痛が彼を襲った様であった。 そんな彼の様子に、お犬の方が苦笑を浮かべる。 そして義頼も、これ以上は不味いだろうと思い会話を打ち切った。
「あー、無理をするな秀明。 それと義治、俺は後少ししたら殿へ挨拶に行ってくる。 明日にはこの岐阜を発つつもりなのでな」
「……分かった……」
短く言葉を返すと、六角義治は分の悪い二日酔いとの戦いを継続する。 その様に軽く肩をすくめると、お犬の方と共に苦笑いを浮かべるのであった。
さて織田信長へ岐阜より退去する挨拶を済ませた義頼は、観音寺城の六角館に戻っていた。
そして館にて数日、お犬としっぽり過ごす。 その後、観音寺城に自らの代理として大原義定を置くと、進藤賢盛と目賀田山に城を築き居城としている元六角家重臣の目賀田貞政を呼び出す。 二人に大原義定の補佐を任せると、お犬を連れて観音寺城から新領地のある伊賀国に向けて出立する。 やがて甲賀郡に入ると義頼は、己の代理として甲賀郡を任せていた三雲定持の元を訪れていた。
「定持。 殿への対応、流石であった」
「はっ」
それは、織田信長が長島に向かう際に三雲定持が行った歓待の席についてである。 実はこの一件、義頼からの指示ではなく彼が独断で行ったものであった。 この辺り手抜かりは、まだまだ義頼も若いと言う事なのであろう。 しかし老臣と言っていい三雲定持は、その溢れんばかりの経験から抜かりなく質素ながらも歓待の用意を整え義頼が不興を買わない様にとしたのであった。
そんな己の至らなさを補ってくれた彼へ、義頼は自身の脇差を与える。 名刀と言う程でもないが、決して鈍でもない脇差である。 ましてや主が、つい今しがたまで身に着けていた物である。 そんな脇差を手ずから渡された三雲定持は、静かに押しいただくのであった。
「それとだな定持。 その方には、俺と共に伊賀に来て貰うぞ」
「は? 伊賀にですか? それは構いませぬが、何故でしょうか」
「そなたが嘗て領内で行った事を、再現する為だ」
義頼が言う三雲定持が嘗て行った事とは、彼が施行した経済活動にあった。
嘗て彼は明と単独で貿易を行い、巨額の益を上げている。 その益を持って領内の開発に着手しただけでなく、何と当時の幕府に益の一部を寄付した事があるのだ。 つまり義頼は、彼の持つその経験を使い伊賀国の発展に寄与しろと命じたのである。 すると三雲定持は、すこし考える素振りを見せた後で義頼を見る。 そして平伏すると、一つ願い出た。
それは、三雲家の家督についてである。 義頼に従い伊賀国へ向かう以上、三雲家の家督は嫡子の三雲成持へ渡しておきたかったのだ。
「成持へ三雲家の家督を譲る? それは構わぬが、その方は隠居する気か」
「はい、拙者も年にございますれば。 それに、隠居の身であれば伊賀国へ向かう事も差し支え出ませんので」
「そうか……分かった。 では定持には、御伽衆として俺の傍にいて貰う。 それで良いな」
「御意」
その後、三雲家の家督は三雲成持へ与えられる。
義頼は一行に隠居した三雲定持を加えると、甲賀郡を出立する。 近江国の国境近くで一泊した一行は、翌日には伊賀国に入る。 そして取り敢えず、伊賀守護職である仁木義視の屋敷に入ったのであった。
こうして屋敷に腰を据えた義頼は、先ず書状を認める。 それから認めた書状を主要な伊賀国人達へ出し、彼らを集める事にした。 程なくして、続々と伊賀国人達が仁木氏の屋敷へと集まって来る。 元々、六角家と伊賀国人衆との関係が決して悪くはない。 また仁木義視も、織田信長より伊賀郡を与えられている事もあってか招集は滞りなく行われた。
「取り敢えず、様子見だな」
「ですな、百地殿」
そう言った百地泰光の言葉に、青木信定が相槌を打った。
彼らが慎重な態度を取っているのには、勿論訳がある。 それもまた、六角家と伊賀国人衆との関係故であった。 六角家と伊賀国人衆が仲が悪くない事は前述した通りだが、それでも温度差がある。 と言うのも、伊賀国四郡のうちで南の名張郡は六角家より北畠家との繋がりが深いからだ。
その北畠家と六角家は縁続きなので、嫌悪するまでは行っていない。 しかしながら、一定の距離を置いていたのは事実である。 その為、他の三郡に領地を持つ伊賀国人と比べるとどうしても警戒する必要があった。
そんな名張郡国人である二人の声を聞いた、一人の伊賀国人が声を掛ける。 その男は、阿拝郡の国人となる藤林正保であった。
「どうなされた御両人。 此度の事に何かご不満でも?」
「ふん。 藤林家と違い、百地や青木は六角殿と盟約を結んではいなかったのでな。 まぁ、北畠とは姻戚関係故にそこまで警戒はしないが、相応の対応をするのが当然であろう?」
「なるほど。 とは言え、別段対立をした訳ではありますまい。 そればかりか盟約を結んでいなかった伊賀国内南部の者達にも、六角家は相応の対応をしていた。 違いますかな?」
「そんな事は貴公に言われ無くても分かっておる。 だからこそ、様子見なのだ」
伊賀国人衆の間でそんな話しがされている事など知る由もない義頼は、表向きには問題が発生していない様に感じる事に取りあえず胸を撫で下ろす。 勿論油断などはしていないが、それでも目に見える反発が無いのは彼にとってありがたかった。
「まず一つ、といったところだな」
「真に」
義頼の言葉に、蒲生定秀が返した。
他に三雲定持と三雲賢持の親子、本多正信や沼田祐光と言った義頼の参謀達も頷いている。 どの道、彼らの信を得る為には地道に成果を上げて行くしかない。 それには、伊賀国を少しでも豊かにすると言うのが一番の早道であった。
最も、漢の書物である「塩鉄論」の中でも言うは易し行うは難しとある。 それ故に義頼も、そう簡単に行えるとは思っていない。 だがそれでも、事実上伊賀国を任された以上はやれる事を行っていくしかなかった。
「兎にも角にも、徐々にでも信を得ていくしかない。 その為にも、そして己らの為にもこの伊賀を少しでも豊かにしないとな」
『はっ』
それから幾日した後、義頼は自らの家臣の他に伊賀国人の中で有力な者達も交えて会議を行う。 議題は勿論、伊賀国を少しでも豊かにする為のものであった。
集まった者達から意見を募ると、まず口を開いたのは蒲生定秀である。 彼の言は、大胆とも言える物であった。 何と古の東海道を復興してはと言うのである。 と言うのも、元々東海道は近江国ではなく伊賀国を通っていた。 しかし都が大和国の平城京から山城国の平安京へ移動すると、地理的条件から道筋が変更されたのである。 それにより伊賀国は、東海道より外れてしまったのだ。
「定秀、古の東海道の復活だと?」
「はい。 都が山城では無く大和にあった頃、東海道はこの伊賀を通っていたのは殿もご存じですな」
「ああ。 まだ俺が元服前に、他ならぬ定秀に教わった事だ。 確か……伊賀から伊勢を抜けるのであったな。 だが昔の様に都が大和国にあるならばまだしも、今更街道を復興させて意味があるのか?」
「勿論、大和国で止まってしまっては意味はありません。 更にその先、はっきり言えば堺まで結びたいのです」
「堺だと!?」
この言葉に、義頼も他の者も驚いた。
とは言え、決して出来ない話では無い。 前述した様に都が大和国にあった関係上、街道は平城京へ繋がる様にと整備されていた。 当然だがその街道は、堺方面にも延びている。 つまりそれらの街道は、平城京で集まり終着地点となる。 当然だが出発地点となるので、伊賀国を抜ける旧東海道とも繋がっているのだ。
確かにその構想が実現すれば、伊賀国が発展する可能性は決して低くはない。 その思いに至り、義頼は喜色を浮かべた。
「ですが、問題が無い訳ではありません。 一つは、大和国を通るという事、そしてもう一つは堺が石山本願寺に近いという事です」
現在大和国内では、松永久秀率いる松永家と筒井順慶率いる筒井家が国の覇権を巡って相争っている。 何より大和国は、織田の領地では無いのだ。
その上、畿内でも織田家は、石山本願寺と三好家とも争っている。 ざっと挙げただけでも、実現するにはこれだけ問題が付属し山積されているのだ。
到底、すぐには解決できない問題である。 その上、沼田祐光が問題を一つ追加する。 それは、伊勢国の長島であった。 東海道は、旧東海道の頃でも伊勢国から尾張国へと抜ける道筋である。 そして長島は伊勢国と尾張国の国境近くであり、ほぼ街道筋と言っていい場所であったからだ。
「ふむ……諦めるには惜しいが、現実問題として無理だな。 何より実現可能であったとしても、そこまで大きな話だと俺の一存では如何ともしがたい」
苦笑を伴った義頼の言葉により、この旧東海道復興の案は取り敢えず棚投げとする事にした。
現実問題として不可能な事を、何時までも検討案とする程余裕がある訳ではない。 それならば別の案を考えていた方が、遥かに建設的だからである。 そこで彼らは棚投げした件は取り敢えず忘れ、他の案の検討へと入ったのであった。
すると先ず最初に上がったのは、林業である。 実際、伊賀国は山に囲まれており、それが「隠し国」とも呼ばれる由縁でもあった。 だからと言って、林業だけに頼る訳にもいかない。 同時に、国内の開墾を積極的に行っていく事にした。
「あとは、と。 漆器でも作るか」
「それは良いお考えかと。 幸い、近江の永源寺辺りには木地師が多く住んでおります」
「だな……ところで定秀。 漆器を作成するにあたって、他にはどの様な者が必要なのだ?」
「漆器となりますと、塗り師などが必要になります。 その辺りは、拙者が何とか致しましょう」
蒲生定秀は嘗て己の居城であった日野城下に職人を集め、後に日野椀と呼ばれる様になる漆器作りで実績を上げた経験がある。 彼はその伝手を使い、漆器作成に必要な人員を集める気であった。
そして義頼も、蒲生定秀が漆器作りを行った事を知っている。 故に、彼へ任せる事にした。 何と言っても蒲生定秀は、義頼の元服前は彼の傅役だったのである。 その為、寧ろ知らないと言う方がおかしいのだ。
その時、伊賀国人の一人である藤林保豊より声が上がる。 それは、焼き物についてであった。
元々伊賀国では、焼き物が行われていた。 年代的には信楽焼が始まった頃とそう大差がない、とされているぐらいの歴史を持っている。 しかし時代の流れからそれとも別の要因かは分からないが、伊賀の焼き物は次第に廃れてしまっていた。
しかし数十年前に、太朗太夫・次郎太夫という陶工が再興したのである。 それにより伊賀焼は、徐々にではあるが焼かれる様になっていたのだ。
「そう言えば、結構古い歴史があるとは聞いていたが」
「一時廃れてしまいましたが、数十年前に再興しました」
「ほう。 それは興味あるな、後で現物を見せてくれ」
「はっ」
茶人としての心得がある義頼であるから、茶器となる焼き物に興味がない訳がない。 ましてや、新たに得た領地の名産品となるかも知れないのだから、興味を示さない方がおかしかった。
後に義頼は伊賀焼の風情をいたく気に入り、やはり彼が気に入っている信楽焼と並んで茶の道具や香道の香炉などを作る事を奨励する様になる。 更に義頼のもう一人の茶の師匠と言っていい建部隆勝へ伊賀焼と完成した漆器を送った事で、伊賀焼と伊賀国製の漆器は茶人の間で広まる様になるのだがそれはもう少し後の事であった。
話を戻して、義頼は伊賀焼の件の後で蒲生定秀にある事を問い掛ける。 それは、鉄砲についてであった。 日野椀と呼ばれる漆器作りに梃入れをした蒲生定秀だが、彼は他にも奨励した事がある。 それが、火縄銃の作成であった。
「定秀。 鉄砲鍛冶だが、招聘出来るか?」
「……殿は、火縄銃をこの地で作るおつもりですか?」
「出来ればな。 購入には限度がある。 定秀が漆器作りだけでなく鉄砲鍛冶までもを日野に住まわせたのは、その辺りも関係しているのだろう?」
義頼は長光寺城主時代から、鉄砲衆を組織したぐらいである。 だからこそ、鉄砲の重要性について理解していた。 そしてその考えの先駆者と言えるのが、他ならぬ蒲生定秀である。 彼は蒲生家当主であった頃、日野城下にて漆器だけでなく鉄砲の製造を始めていたのだ。
だからこそ蒲生定秀は、漆器職人だけでなく鉄砲鍛冶にも伝手がある。 その伝手を義頼は、徹底的に利用するつもりでいたのだ。
「まぁ、否定は致しませぬ」
「ならば決まりだ……あとは、これらを一つずつ確実に行っていく。 良いな」
『御意』
六角家家臣だけでなく伊賀国人からも出た返答に、義頼は笑みを浮かべながら頷いたのであった。
宴会と伊賀国の内政?話でした。
ご一読いただきありがとうございました。




