第五十話~武田と論功行賞~
第五十話~武田と論功行賞~
比叡山延暦寺と山王二十一社を討った織田信長はその後、岐阜への帰路に就く。 その途中にある観音寺城下にある六角館にて一泊する事とし、その旨を義頼へと告げた。
その話を織田信長から聞くと、慌てて観音寺城にて義頼の代理を務めている進藤賢盛へと使いを出す。 使者から話を聞いた進藤賢盛は、急いで一行を迎えるべく饗応の支度を行う。 そのお陰で、質素ではあったが此度の戦勝を祝う宴を催す体裁を整える事が出来たのであった。
「済まなかったな、賢盛」
「いえ。 大層な出迎えが出来ず、申し訳ございません」
「何を言う、そんな謙遜をするな。 むしろ礼が言いた「殿! 一大事にございます」い……何だ正信」
何とか手筈を整えた事で六角家の面目を保つことが出来た事に対し、礼を言う。 するとその時、本多正信が息せき切って部屋へ入って来た。 しかも彼の手には、書状と思しき紙が握られている。 その様子と本田正信が手にしている紙から何か急報でも入ったのかと思い、義頼と進藤賢盛は表情を引き締めた。
部屋に入った本多正信は一呼吸置くと、主たる義頼へ報告を始める。 その彼が報せて来たその内容とは、武田家についてであった。 何と武田家の将である秋山虎繁が、東濃へと侵攻をしたと言うのである。 彼は瞬く間に東濃を席巻し、少なくはない被害を織田家へ与えていると言うのだ。
勿論、その武田家侵攻を東濃の者がただ見ていた訳ではない。 東農の有力国人一族の遠山氏の総領家当主である遠山景任が、居城の岩村城より出陣していた。 しかし相手は、武田の猛牛と綽名される秋山虎繁である。 善戦むなしく遠山景任は破れてしまい、更には重傷まで負ってしまったのだ。
「何っ! 遠山殿が重傷だとっ!?」
「はっ。 ただ幸いと言っていいか分かりませんが、本格的な侵攻では無いらしく武田家の本隊が動いた様子はありません。 ですが、重傷の遠山殿を助ける為に出陣した明智城主の遠山景行殿が討ち死になされたとの報告が」
「っく! 本隊が動いてないとはいえ、秋山虎繁は名うての将だ。 放っておけば、どこまで東濃を荒らすか分からんぞ! これは、急ぎ殿にお知らせせねば!」
そう言うと義頼は、本多正信が手にしていた報告書を持って織田信長の元に行く。 宴会もお開きとなっているので夜も更けていた時間であったが、躊躇っている暇などはない。 義頼は主の側近である菅屋長頼へ取り次ぎを頼んだ。
時間が時間であった為、彼も取次ぎには躊躇う。 しかし事は、武田家侵攻の報告である。 頓着している時間などなく、半ば脅すかの様に詰め寄っていた。 その勢いに押された菅屋長頼であったが、だからと言って織田信長の側に使える者としておいそれと通す訳には行かない。 そこで彼は、明日では駄目な理由を尋ねた。
そこで初めて、義頼はまだ事情を説明していないことに気付く。 彼は居住まいを正すと、夜分遅く尋ねた理由を告げた。 事情を聞けば、急いで然るべき事案である。 菅屋長頼は頷くと、織田信長を起こした。
とは言え、寝ていたところを起こされたのであるから、機嫌はすこぶる悪い。 だが義頼の差し出した報告を読むと、眠気と起こされた事による機嫌の悪さなど吹き飛んでいた。
「……何だと!? 義頼、この報に嘘はないのだな」
「はっ」
「そうか。 ならば誰を向かわせるか…………よしっ! 勝家を呼べっ!!」
暫く考えた後、信長は小姓に柴田勝家を連れ来る様にと命を出す。 急ぎ向かった小姓が視界から消えると、義頼を労うと下がる様に命じた。
その言葉に従い、義頼は報告書を残して部屋から出る。 そして部屋に一人残った織田信長は、じっと腕を組んで柴田勝家が来るのを待つのであった。
その柴田勝家だが、彼は寝入った直後であった。
そこを起こされたのだから、酷く不機嫌である。 その事を隠そうともせず小姓を迎えたのだが、織田信長からの呼び出しだと聞くと素早く着替えてから主君の元へと向った。
急ぎ到着した柴田勝家は、呼び出しを受けた要件について尋ねる。 すると織田信長は、不機嫌な表情のまま手にした書状を差し出した。 それは、義頼が信長に渡した報告書である。 その報告書を目にした柴田勝家だったが、読み進めるうちに彼の表情は驚愕へと変わっていった。
「……これはっ! 誠にございますか!!」
「うむ、残念ながらな。 そこでその方には、急遽援軍として東濃へ行って貰う。 与力として、秀隆を連れて行け」
「御意」
織田信長から命を受けた柴田勝家は、夜であるにも拘らず黒母衣衆筆頭の河尻秀隆と共に出陣の用意を始めた。
明けて翌朝、日の出と共に柴田勝家は河尻秀隆を伴い六角館より数千の兵を率いて出立する。 彼らは街道を東進し、やがて美濃国へと入る。 それから程なくして、河尻秀隆の居城である勝山城に到着した。 二人はそこで一泊して兵を休ませると、翌日には出陣して遠山景任の居城である岩村城に入ったのであった。
「殿の命により、援軍として参りました」
「感謝致します、権六(柴田勝家)殿」
そう言って援軍を出迎えたのは、岩村城主の遠山景任では無かった。
そこにいたのは、彼の妻で岩村殿などと称されている信長の叔母に当たるおつやの方である。 遠山景任の怪我がことの他重く、満足に援軍の二人を迎える事が出来なかった為であった。
なお景任の怪我についてだが、柴田勝家と河尻秀隆も聞き及んでいたので取り分けて問題とはしない。 それより何より、東濃に侵攻している秋山虎繁の軍勢の方が気に掛かっていた。 そこで柴田勝家は、秋山虎繁の行方についておつやの方へと問い掛ける。 しかして答えたのは、遠山一族で飯羽間城主の遠山友忠であった。
彼の言によると、秋山虎繁は小里城を包囲しているとの事である。 その小里城だが、此処は小里氏の居城であった。 その小里氏も遠山景任と共に当主の小里光忠が秋山虎繁と戦ったのだが、武運拙く敗れてしまう。 しかも不幸な事に、命を落としてしまう。 現在は城に残った嫡子の小里光次が弟の小里光明と共に守っていた。
そうであるならば話は早いとばかりに柴田勝家は、小里城救援をおつやの方へ進言する。 その進言には、おつやの方としても否はない。 彼女は戦に出られない遠山景任の代理として遠山友忠を指名すると、柴田勝家の軍勢へ合流させる。 その後、彼らは急ぎ小里城に向けて出陣したのであった。
そしてこの織田勢の動きだが、一応援軍を警戒していた秋山虎繁の知る事となる。
実は秋山虎繁、織田の援軍が来るとは最初露ほども思っていなかったのである。 だが、出陣前に武田信玄より「油断だけはするな」とくぎを刺された事もあって警戒だけは怠っていなかったのだ。
それが幸いとなった形であるが、正直に言うと少々驚いている。 畿内と近江国、それと長島にそれぞれ騒動が発生している現状で、織田家がこうも素早く援軍を送って来るとは思ってもいなかったからだ。
「正直言って、意外であったな。 こうも早く、織田が動くとは」
「して殿、如何なさいますか?」
「……致し方あるまい。 小里城の包囲を解き、撤収するぞ」
秋山虎繁は遠山景任達が率いていた倍近い兵力を打ち破るという殊勲をあげていたが、勿論無傷と言う訳ではない。 当然だが、彼らもある程度の損害は受けていた。 そこにきて、敵の援軍である。 これでは勝ち目は薄いと、秋山虎繁は判断したのだ。
その状況で何時までも戦場に居ては身の破滅しかない。 秋山虎繁は未練を見せる事無く攻囲していた小里城を諦めると、兵を纏めて急ぎ撤退に入っていた。 するとその翌日、柴田勝家と遠山友忠に率いられた救援の軍勢が小里城に到着する。 しかし城の周辺には、武田の兵は唯の一人も残っていなかった。
「流石は武田の者、と言ったところか」
「柴田殿。 敵を褒めて如何しますか」
「いや、すまん久兵衛(遠山友忠)殿」
その後、彼らは小里城へと入ったのであった。
さて柴田勝家と河尻秀隆が小里城へ入った丁度その頃、岐阜城では新年の挨拶が行われていた。
当然だが、義頼も参加している。 彼が挨拶が行われる岐阜城の大広間に行くと、そこには既に他の織田家臣が幾人か到着している。 しかしてその数は、時間が経つごとに増えて行った。
やがて織田家臣が集まりきると、広間に織田信長が現れる。 すると、織田家臣筆頭である佐久間信盛が代表する形で新年の挨拶を行った。
「殿。 新年、あけましておめでとうございます」
『おめでとうございます』
「うむ。 そなたらもご苦労だった。 近江での戦には決着はついたが、東濃でも騒動が有り油断はできん。 まだまだ気を抜くでないぞ」
「はっ」
それから一刻後、一連の戦に対する論功行賞が行われた。
その論功行賞で義頼は、伊賀国の阿拝郡を褒美として与えられている。 そればかりか、仁木一族の仁木義視を与力として付けられていた。
何ゆえに義頼が伊賀国の領地を与えられたのかというと、その理由は彼の父親にある。 義頼の父親である六角定頼は、生前に伊賀守護職の仁木家と伊賀十二人衆に代表される伊賀国の有力な国人達と同盟関係といえるものを築いている。 つまり六角家は、伊賀国人衆及び仁木家とは良好と言っていい間柄であった。 詰まるところ、織田信長は六角家と伊賀国人衆の関係を利用して彼の国を抑える為に義頼へ伊賀国の領地を与えたのだ。
なお、伊賀国南部の国人達に関してはその範疇にない。 彼の地域は、北畠家の領分であったからである。 しかし北畠と六角家が敵対していた訳ではないので、関係が疎遠という訳でも無かったので問題とはなっていなかった。
何はともあれ新年の挨拶と論功行賞が終わると、新年を祝う宴が催される。 その宴が始まると、義頼は酒を片手に織田家重臣達の元に向かっていた。 彼は佐久間信盛を皮切りとして、次々と織田家重臣の元へと向かい挨拶をして回る。 漸く挨拶し終えると、自らにあてがわれた席へと戻る。 そこで同行した六角家重臣や近江衆と共に、酒を酌み交わし始めた。 やがて宴もたけなわとなるが、その頃にはそれぞれがめいめいに酒を飲んでいた。
「左衛門佐(六角義頼)様、一献」
「ああ」
義頼は、自分の弟子である蒲生頼秀から酒を勧められる。 義頼は注がれた酒を一気に呷ると、愛弟子へ返杯をした。
「それでどうだ? ちゃんと修練は行っているか?」
「はい。 殿の計らいで、新八郎殿や又助殿と共に励んでおります」
蒲生頼秀の言うところの新八郎とは大島光義の事であり、そして又助とは太田信定(後の太田牛一)の事である。 両者とも弓に覚えを持つ者達であり、その弓の腕を持って織田信長に認められた者達であった。
そしてその事は、義頼も知っている。 故にその二人であるならば、蒲生頼秀の腕を競う相手としては打って付けであると感じられた。
「おお! 新八郎殿や又助殿か。 その両名ならば、俺も名は聞いている。 殿に感謝せねばなるまいな」
「はい」
「して、茶の方はどうだ?」
「建部殿から指南をいただいております」
「隆勝か……そういえばどこに居るのだ?」
その時、誰かが近づいてくる気配を感じた義頼がそちらを向いた。
それから程なく、蒲生頼秀も義頼と同じ方向を見る。 そんな彼らの視線の先に居たのは、先ほど名前の上がっていた建部隆勝であった。
彼はと言うか建部家は佐々木氏の一族であり、元は六角家臣である。 しかし織田信長による観音寺城攻めに前後して、織田家へと降伏していたのだ。 そして彼は、香道家でもあるし茶人でもある。 その事から、織田信長直々の命で織田家茶頭の一人となっていたのだ。
「流石は、左衛門佐様です。 承禎様より、≪弓術天下無双≫の二つ名を譲り受けただけはありますな。 それから、忠三郎(蒲生頼秀)殿も」
義頼の兄である六角承禎は、弓術天下無双と謡われた男である。 その兄から三十三間堂の通し矢で彼を上回る成績を収めた義頼は、その二つ名を承禎より譲り受けていた。
その事を言われ、面映ゆそうな顔をしつつ後ろ頭を掻く。 それから一つ咳払いをすると、建部隆勝へ蒲生頼秀の指導をしてくれた事への礼を述べていた。
「ところで隆勝、俺の代りに頼秀の指導をしてくれたそうだな。 真、感謝する」
「何の左衛門佐様。 同門の誼です」
「その同門繋がりだったな、俺の茶の師は」
義頼の茶の師だが、実のところ二人居ると言っても良かった。
本来の師は香道で名を馳せ、同時に茶人としても名が通っていた志野省巴である。 その省巴が義頼に茶を指導する切っ掛けとなった理由だが、実は建部隆勝にあった。
彼は志野省巴の父親で先代に当たる志野宗温の高弟であり、その縁で六角承禎が六角家家臣であった建部隆勝を通して志野省巴に義頼の指導を頼んだのであった。
しかし距離的な意味と世情の不安定さから、彼がそうそう何度も観音寺城を訪れる事は出来ない。 そこで建部隆勝は、師の省巴が訪れる事が出来ない期間を埋めるかの様に義頼に志野流の手解きをした経緯があったのだ。
するとその時、義頼達のところに二人ほどが酒を持って現れる。 その二人とは、丹羽長秀と森可成であった。
「仲間に入れてもらえるか?」
「どうぞ。 五郎左(丹羽長秀)殿、三左衛門(森長可)殿」
「では遠慮なく……まず一献」
そう言いつつ森可成が、義頼と蒲生頼秀と建部隆勝の三人に酒を注いだ。
三人がそれぞれ飲み干すと、続いて丹羽長秀がやはり酒を注ぐ。 当然三人は、その酒も綺麗に飲み干していた。
杯を明けると、義頼は丹羽長秀に祝いの言葉を掛ける。 それは、彼が此度の論功行賞において、坂田郡と佐和山城を与えられていたからである。 同時に与力として、堀秀村が付けられていたのであった。
「それと森殿も、加増されました」
「代わりに宇佐山城主の役目は、明智殿となったがな」
森可成は美濃金山城を拝領しており、領地もその周辺に持っている。 そんな彼が宇佐山城主をも拝命していた訳だが、それは新たに与えられたというより湖西を守る纏め役としての意味合いの方が強かった。 しかし、論功行賞で明智光秀が志賀郡を拝領した事で森可成の役目が彼から明智光秀に移動したのである。 それに伴い宇佐山城は、明智光秀に与えられたのだ。
因みに近江国内に領地を賜った重臣としては、他に佐久間信盛が居る。 織田信長は褒美と延暦寺の寺領を確実に押さえるという理由から、佐久間信盛に栗太郡を与えたのであった。
「……ところで話は変わるが、六角殿は相も変わらず強いな」
「何がですか?」
「それだ、それ」
「あぁ。 森殿、確かに」
森可成が示したのは、義頼が手に持つ杯であった。
いや、正確にはその中身の酒である。 すると丹羽長秀も、その言葉に同調していた。
最も、森可成がそう言うのも無理はない。 建部隆勝はそれなりに顔に出ているし、蒲生頼秀も年の割には中々酒に強いがやはり顔に出ている。 そして丹羽長秀や森可成もやや赤ら顔となっているのでそれなりに飲んでいるのが分かるのだが、そんな彼らとは対照的に義頼は全くと言っていいほど顔色を変えずに酒を飲んでいるのだ。
「そうですか?」
「そうだ。 自覚が無いのか、貴公は」
「丹羽殿、自覚と言われましても……」
義頼はそもそも酔い潰れた事がないので、自覚をした事が無かった。
なので長秀の言葉に対して、どう答えていいか分からない。 するとそんな義頼を見兼ねたのか、森可成が助け船を出した。
「まぁまぁ、五郎左殿。 案外そんな物かもしれません。 他人からはその人となりが見えますが、自分が把握するのは難しいですからな」
「……そういうものか? 三左衛門殿」
「そういうものでしょう」
「ふむ。 そうかも知れんな」
それから彼らは、引き続き宴を楽しんで行った。
そして宴自体はと言うと、参加している者で起きている者が一人減り、二人減りして宴に参加している者が減っていく。 そうなると、自然に新年を祝う宴はお開きとなったのであった。
この日、新年を祝う織田家臣とは別に岐阜城へ来ていた一行が居る。 それは浅井長政を筆頭とする、浅井家の者達であった。
首尾よく織田信長と面会した浅井長政は、近江侵攻に伴い発生した朝倉勢の浅井領侵攻に対する援軍の礼を先ず言上する。 それから改めて、新年の挨拶を行っていた。
新年の挨拶が終わると、織田信長はある事を浅井長政に告げる。 その内容に、流石に驚いた。 それもそうであろう、織田信長は織田家に変わって浅井家が越前国を攻める様にと通達したからである。
しかし浅井家は、信長が軍勢を率いた越前国侵攻の際に起きた浅井久政の蜂起と失敗により織田家の従属大名となっている。 その浅井家に朝倉攻めが伝えられたのだから、驚くのも当然であった。
だが浅井長政は、織田信長の義弟に当たる男である。 確かに先代の浅井久政の蜂起を許すと言う失態を演じたが、将としては中々の人物である。 その事を考えれば、それほど不思議という程では無かった。
「さて、浅井備前守。 そなたには、朝倉を担当して貰う」
「は?……あー、そのー。 どういう意味でしょうか」
「意味も何もそのままだ。 浅井家には、朝倉討伐に力を注いで貰いたい」
「はぁ」
「無論、ただでとは言わん。 朝倉の領地である越前国は、浅井家の切り取り次第だ」
「ま、誠にございますか!」
織田信長の言葉に、浅井長政は驚いた。
越前国は雪の深い国だが、同時に地味豊かな土地である。 近江国に準ずるといっても言いぐらいの国力がある、そんな土地である。 そのような豊かな地を切り取り勝手だと信長が言ったのだから、浅井長政の驚きも当然と言えた。
「態々新年の挨拶に来た義弟に、こと領地に関して戯言をいう程俺は酔狂では無い。 どうだ、長政」
「その話、お受け致します!」
「うむ」
嬉々として承諾した義弟の様子を見て、織田信長も笑みを浮かべたのであった。
浅井家が、越前を担当します。
ご一読いただき、ありがとうございました。




