第四十九話~延暦寺攻め~
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第四十九話~延暦寺攻め~
山岡家の居城である瀬田城に、織田家の軍勢が到着した。
その軍勢を率いてるのは、当然だが織田信長である。 そこで軍勢は、瀬田城に城代として残っていた山岡景隆の弟である山岡景佐の出迎えを受けた。
瀬田城へ無事に入った織田信長は、その日のうちに書状を出す。 宛先は江北から坂本に移動して来ている義頼達、そして延暦寺を抑えていた明智光秀であった。
織田信長からの書状を受け取った義頼達は、翌日の早朝に坂本を発つ。 彼らの目的地は、園城寺にある山岡景猶の屋敷であった。
その日のうちに園城寺へ到着した義頼達は、屋敷の主である山岡景猶の出迎えを受ける。 彼が元六角家臣という事もあり、義頼が代表する形で返事をした。
その後、通された部屋で一息つくと、義頼は同行している本多正信に話し掛けた。
「やはり、殿は延暦寺を攻めるのだろうな」
「恐らくは。 ですがそうなりますると、一つ懸念がございます。 近江国内の者はまだ良いのですが、遠方に住む者達は延暦寺の実情を知っているとは思えません。 実際、拙者も詳しく知ったのは、殿へお仕えする様になってからです」
「……つまり、この状況を利用する者が出るのではないか。 という事を、正信は懸念していると」
「その通りにございます」
本多正信の言葉に、義頼は眉を顰めた。
事実、延暦寺が過去に二度攻められている事を、丹羽長秀と森可成は知らなかったのである。 その事を考えれば、本多正信の言葉も杞憂とは言い切れなかった。
とは言え、対処の方法があるとは思えない。 時を掛ければあるいは可能かもしれないが、今はその様な暇などない。 一時も早く、各個撃破を行う必要がある。 その第一歩が、延暦寺攻めなのだ。
しかし悩んでいる義頼に対し、話を振った本多正信にはその様な素振りは見えない。 訝しげに眉を顰めた義頼に対し、彼はそっと近づくと策を一つ授けるのであった。
それから夕刻になる少し前、瀬田城を出た織田信長が園城寺へと到着する。 山岡景猶の屋敷に入り一息ついたかと思うと、家臣を集めただ一言「比叡山を攻める!」と宣言した。 するとこの場に居る織田家臣のうち、全てとまでは言わないまでも相応の数の織田家臣が動揺する。 そればかりか、強硬に反対する者も出た。
誰かと思えば、何と織田信長の右筆を務める武井夕庵である。 また彼の他に、織田家臣筆頭の佐久間信盛も反対の声を上げていた。
「殿! 比叡山は京の鬼門を守る王城鎮護の山に御座います。 そこを攻め寄せるなど、言語道断にございます!!」
「武井殿の申す通りです」
「黙れ! あ奴らが仏を拝み国や民の安寧を齎すというならば、俺は何も言わん! だが強訴は行うわ、兵力を持って我らと敵対するわ。 その上、山は荒れ放題だ。 更に坊主どもは、坂本で遊興三昧と言うではないか!」
実際、強訴などは、延暦寺が平安時代より行って来ている事である。 時の権力者である白河法皇をもってしても、延暦寺は思い通りにならないと匙を投げられた存在なのだ。
「で、ですが、幾人もの名僧を輩出してきたのもまた事実。 その事を御懸案下さい!」
「そ、その通りにございます。 殿!」
織田信長の怒りを前にして、佐久間信盛と武井夕庵はいささかたじろぐ。 だが、彼らは主を翻意させようとなおも食い下がる。 そんな彼らの行動を、義頼は何も言わず見ていた。
いみじくも織田信長が言った様に、延暦寺の腐敗はかなり進んでいるからである。 何より延暦寺は前述した通り過去に二度ほど攻められており、今回延暦寺を信長が攻めれば都合三度目の事なのだ。 その様な経緯を知っている事もあってか、義頼は目の前で起きている騒動を冷ややかな目で見ている。 そんな他の家臣とは明らかに違う態度する義頼を見とめた織田信長は、そこで義頼がこの近江国出身であることを思い出した。
ならば佐久間信盛たちとは違う考えを持っているのではないかと、考えたのである。 そこで義頼に問いかけると、帰ってきた言葉は織田信長の支持であった。
その答えに武井夕庵は驚きの声を張り上げ、そして佐久間信盛は驚きの表情を浮かべる。 すると義頼は、そんな二人に聞かせるかの様にしつつも実はこの場に居る織田家臣達へ延暦寺の現状を伝えた。
即ち延暦寺の僧の大半が酒や肉を喰らい、女を抱くと言った行為に耽っているのだと告げたのである。 すると義頼の言葉に対し、園城寺の僧でもある山岡景猶が、即座に同意して援護を行った。
しかし二人の言葉が、とても信じられないらしい。 織田信長を諫めていた武井夕庵と佐久間信盛の二人を含め、大半の織田家臣が驚きの表情を浮かべている。 そんな彼らの表情に、義頼は内心「やはりな」と思いつつ言葉を続けた。
「現状の延暦寺もそれはそれで問題なのですが、他にも問題があります。 佐久間殿や武井殿の認識、それこそが武田や上杉、他に毛利といった者達の認識であろうという事にございます」
「うむ。 で、あろうな。 美濃や尾張の者ですらこの有り様だ。 さらに遠方の者だと殊更だろう」
「はい。 故に延暦寺を攻めると、その事を利用する者が出て来るかもしれませぬ」
奥歯に物が挟まったかの様な言い方に、織田信長は早々に先を促す。 すると義頼は一つ頷き、ここで本多正信より授けられた策について披露した。
その策とは、朝廷より勅を賜る事にある。 勅があれば、即ち官軍である。 例え延暦寺を攻めようとも、その事を理由に織田家を非難する事は難しくなる。 もし非難すれば、それは朝廷を非難したに等しくなるからだ。
何と言っても国内において正式に官位を与える事が出来るのは、帝しかない。 たとえ征夷大将軍であっても、それは例外ではないのだ。
「……義頼。 存念をはっきり申せ」
「はっ。 朝廷より勅を賜りますれば、誰もこの一件を利用する事など出来ないのではないかと思われます」
「ふむ。 なるほどな。 帝の勅に従えばよし、従わなくても悪いのは延暦寺であり我らは官軍と言う訳か……義頼。 その方、公家に伝手があったな」
「はっ。 三条家と、多少ではありますが関白二条家にもあります」
「なれば義頼、その方に命ずる。 見事、勅を手に入れてみせよ」
「御意」
「信盛、夕庵。 異存はないな!」
『……はっ』
こうして織田信長からの命を受けた義頼は、本多正信と蒲生定秀と馬淵建綱の派遣を決める。 そして彼ら三人を呼び出し、朝廷との折衝役を命じる。 更に追加の人員として、和田信維を派遣する事も彼らに約束した。
するとその時、本多正信が一つ義頼へ進言する。 それは、天台座主の地位にある覚恕法親王の確保についてである。 眉を寄せつつその理由を尋ねると、本多正信は二つほど理由を上げた。
先ず一つ目は、責任の追及の為である。 幾ら皇族であり准三宮であるとはいえ、覚恕法親王は天台座主である。 最上位の者として、追及を免れる事は出来ないのだ。
二つ目は、その地位を利用されない為である。 万が一にも逃亡を許し、保護された先で大義名分とされてしまうといささか面倒となりかねない。 そんな、生れるかも知れない厄介事を阻止する為であった。
本多正信から覚恕法親王を押さえておく理由を聞き、一々最もだと思い義頼も了承する。 必ず確保する事を約束すると、本多正信は後を任せてともに折衝を行う事となる蒲生定秀と馬淵建綱と共に出立しようとする。 だがその前に、義頼が声を掛けた。
立ち上がりかけた三人が腰を降ろすと、義頼は文箱より書状を取り出す。 そのまま本多正信へ、取り出した書状を渡した。 すると視線で何かを尋ねて来る本多正信に対し、書状の中身を告げる。 それは、兄である六角承禎への書状であった。
「兄上への手紙だ。 兄上も武家故実を拝命しているのだ、多少の伝手も出来てるだろう」
「承禎様への……ありがとうございます、殿」
今度こそ彼らを送り出した義頼は、信維宛に書状を認めると鵜飼孫六に届けさせる。 義頼からの書状を読んだ信維は、取るものも取り敢えず京に向かったのである。
それだけではなく義頼は、甲賀衆を動かして天台座主である覚恕法親王の動向を探らせている。 同時に、織田信長にも理由を伝えたのであった。
「なるほど。 法親王か……あ奴もいたか」
「はい。 下手な者のところに入り込みますと、いささか厄介な事になりかねませんので」
「そうだな。 では義頼、その方に命じる。 確り抑えておけ」
「御意」
その一方で京に入った蒲生定秀達だが、まず六角承禎を尋ねた。
そこで、義頼からの手紙を渡す。 一読した六角承禎は、蒲生定秀達に協力を約束したのであった。 更に追っ付け駆けつけた和田信維と合流すると、三条宗家に当たる転法輪三条家と分家の正親町三条家と三条西家。 他に飛鳥井家や正親町三条家当主である正親町三条公仲の妻の実家である勧修寺家に関白二条家、更に六角承禎の伝手から庭田家や五辻家を動かした。
因みに庭田、五辻の両家は、近江源氏の祖である宇多源氏の流れを汲む家である。 同じ流れであることを利用して六角承禎は両家との間に伝手を作っており、今回はその伝手を利用したと言う訳であった。
これだけの公家を動かし延暦寺攻めに関しての勅を求めた訳だが、その朝廷としても出来れば事を穏便に済ませたいという思いがある。 同時に、過去に強訴などを行ってきた延暦寺へ一つ灸を据えたいとの思いもあった。
そこで、勅では無く奉書という形で織田家からの要請に朝廷は答える。 すると蒲生定秀達は、武家伝奏の飛鳥井雅教と共に山岡景猶の屋敷に滞在する織田信長に届けたのであった。
坂本にある里坊、そこには天台座主の覚恕法親王が潜んでいた。
彼の他には正覚院豪盛など数名がおり、全員旅の装いをしていた。 彼らの目的地は、甲斐国である。 そこで武田信玄の庇護を受け、しかる後に延暦寺に戻るつもりだった。
彼らが何ゆえに奉書の事を知り得たのかというと、覚恕法親王に対して事前に知らせた者が朝廷内に居た為である。 例えほぼ勅に近い奉書が出たとは言っても、覚恕法親王は皇族である。 その様な彼を助けたいと考える公家も、間違いなく存在していたのだ。
何はともあれ報せを受けた覚恕法親王達は、逃亡の手筈を整えたのである。 そして全員の装いが揃ったのを確認すると、彼らは里坊を出て琵琶湖へと向かった。 暫く後、琵琶湖畔に到着すると正覚院豪盛が手配した船の元に向かう。 しかし程なく、彼らの探索は意味が無くなるのだった。
「どちらへ行かれます? 天台座主様」
「何者かっ!」
「某は六角左衛門佐義頼。 我が殿の命により、座主様のご安全の為にまかり越しました」
勿論、言葉通りの意味では無い。 義頼の役目は一行の確保であり、それは覚恕法親王達も分かっていた。 しかし既に取り囲まれている上に、人数も武装も義頼達の方が勝っている。 更に兄である帝から勅に等しい奉書が織田家へ出ている以上は、最早覚恕法親王に逆らうという判断が出来る訳も無かった。
「……どうやらここまでの様です」
「座主様!」
「帝に……兄上に逆らう訳には参りません」
覚恕法親王の言葉が決め手となったのか、彼らは全員おとなしく確保された。
更にその翌日、軍勢を率いて園城寺より出陣した織田信長は改めて坂本の町と比叡山を半円状に取り囲む。 琵琶湖側は完全に味方で固めて比叡山にしか逃げ道が無い布陣を敷いた上で、甲賀衆に警護されて里坊に確保されている覚恕法親王に使者を出したのであった。
使者から書状を受け取った覚恕法親王は、黙って織田信長の要請である全山からの退去及び僧の拘束を了承した。
また織田信長は、寺宝の持ち出しを二日間だけ許している。 これは朝廷が奉書を出すに当たっての条件だった為、許した物であった。
「まさか、あの延暦寺を攻める事になるとは。 殿の言わんとする事も分からぬでもないが、出来る事ならあまりやりたくはないのう……ところで五郎左(丹羽長秀)」
「権六(柴田勝家)殿、何だ?」
「そなたは何ゆえ、そこまで落ち着き払っていられるのだ。 そう言えば、三左衛門(森可成)と十兵衛(明智光秀)殿もそうであったな。 まぁ、左衛門佐(六角義頼)は除くが」
佐久間信盛と武井夕庵が織田信長に諫言している中、柴田勝家は見かけ上はあまり動揺している風には見せない様にしていた。
そのお陰か冷静とまでは言わなくても、周りを観察するぐらいは行えたのである。 その際に気付いたのが、丹羽長秀と森可成と明智光秀の落ち着いた態度。 そして、織田信長も気付いた義頼の様子であった。
「ああ、その事か。 実はまだ江北にて朝倉と対峙していた頃、六角殿と浅井殿から忠告されたのだ」
「忠告とは何だ五郎左」
「うむ。 此度の件で殿が延暦寺を攻めると言い出すかも知れぬから、覚悟だけはしておいた方がいいとな」
「はっ? 何ゆえにその様な結果に繋がるのだ!?」
柴田勝家の態度に丹羽長秀は、微かに笑みを浮かべた。
実際、丹羽長秀も義頼と浅井長政から話を聞いた時は、似た様な対応をしたからである。 それから彼は一つ間を開けると、二度に渡る延暦寺攻めの話をしたのであった。
「何と。 その様な事が……出鱈目という訳ではないのか?」
「あの二人が拙者と三左衛門殿を騙して、何か得をするとでも言われるのか権六殿は」
「……無いなそれは」
この二人の遣り取りは、柴田勝家の声が大きかった為か周りの織田家臣の注意を引いていた。
その証明の様に前田利家が、隣に居る佐々成政に尋ねている。 しかし佐々成政としても、明確な事など分かる筈もない。 ただ、義頼や浅井長政に丹羽長秀や森可成を騙す理由がないのだけは事実であった。
「内蔵助(佐々成政)。 あの話は、誠か?」
「さぁ。 俺も比叡山が攻められたなど、初耳だしな。 しかし六角殿や浅井殿が、丹羽様や森様を騙す理由が無いのは事実だ」
「まぁ、そうだな」
「そう言う事だ。 又左(前田利家)、内蔵助」
『も、森様!』
話していた前田利家と佐々成政に話し掛けたのは、話題に上がっていた森可成である。 彼は両名の肩に手を置くと、二人に言い聞かせる様に口を開いた。
「又左、内蔵助。 迷う気持ちも分からぬではないが、今はその気持ちを捨てよ。 一意専心で、殿の命を履行するのだ」
『はっ』
それから二日、猶予の為に与えられていた日時も過ぎると織田信長は、事前に取り決め通達していた刻限を以って延暦寺に攻め込んだ。
最も、天台座主の覚恕法親王が坂本の町に居る事や朝廷から出された奉書が存在する事。 更には寺宝を運び出す猶予期間が与えた事で、比叡山に籠る者はそう多くはない。 しかしながら、僧兵を中心に少ないながらも延暦寺に残る者達はいる。 だがそれらの者達は、それぞれの場所から攻め登っていった織田の将達に討ち取られていった。
なおこの将達の配置の際、明智光秀の進言があったとされている。 と言うのも、彼の考えはどちらかというと義頼寄りであったからだ。 明智光秀としても僧侶達などを殄戮するつもりなどないが、腐敗した者達に対して同情する気も無い。 その考えは織田信長も似たところがあり、それ故に彼の意見も取り入れたのであった。
またこの延暦寺攻めにより、荒廃していたとはいえ僅かだが残っていた建物などにも織田信長の命で火を掛けられている。 その為、根本中堂や大講堂といった未だ残っていた数少ない建築物も含めて全て灰燼に帰したのであった。
更に織田信長は、山王二十一社にも兵を出している。 こちらへの対応も延暦寺と同様であり、宝物の持ち出しと退去を命じた後の焼き打ちであった。 ただ、山王二十一社は延暦寺よりは比較的荒廃は進んでいない。 故に、相応に大きな焼き打ちとなった。
「おお……根本中堂が……不滅の法灯が」
「座主様……無念にございます……」
『おおおおお……』
延暦寺と山王二十一社に対する焼き打ちの火は、当然の事ながら覚恕法親王達の目にも映る。 その火を目の当たりにした法親王は、最澄の頃より欠かさず灯し続けた不滅の法灯が根本中堂と共に消えていく様にはらはらと涙した。
そして正覚院豪盛も、身体を震わせつつ涙する。 そして他の僧侶達も、延暦寺を襲う光景を見て嗚咽と共に地面へ崩れ伏すのであった。
但しこれは、彼らの誤解である。 覚恕法親王達が心配した不滅の法灯だが、猶予期間の間に確保されている。 後にその事を聞いた覚恕法親王は、今度は喜びで涙したのであった。
話を戻して、延暦寺と山王二十一社への焼き打ちの火が消えた頃、信長は覚恕法親王と謁見した。
「法親王様。 御壮健で何よりです」
間違いなく織田信長の皮肉である。 言われた覚恕法親王の頬が微かに動いたが、それ以上は表情を崩さずに返答した。
「織田殿の御活躍は、色々と聞いております」
「それは恐悦至極。 その様な事よりも此度の件、御異存はありますまいな」
「帝の言葉を違えるなどありはしません」
「なれば、法親王様には責任を取り座主より身を引いていただきます」
「分かっています」
「それは重畳にございますな」
こうして覚恕法親王は、僧侶達の乱行に対する責任を取る形で天台座主より辞任する事となった。
また織田信長は、捕えた僧の中で特に所業が酷かったとされる者達の首を次々と討っていく。 彼自身はそれこそ大半の僧を討ちたかったのだが、またぞろ武井夕庵達が五月蠅く言いだした為に仕方なくその条件を飲んだのである。 それでもかなりの数の僧侶が、織田信長によって討たれる事となったのであった。
こうして僧らの首を取る傍ら、織田信長は義頼と明智光秀を呼び出すと仰木城の攻略を命じた。
と言うのも、仰木城を居城とする仰木氏が、延暦寺に同調したからである。 あろう事か、織田家に反抗的な態度を取ったのがそもそもの理由であった。
織田信長から命を受けた二人は、雄琴城主の和田秀純を伴って仰木城に出陣したのである。 そこで和田秀純に、褒美は切り取り次第だと告げていた。
「ま、誠にございますか!!」
「間違いない、和田殿。 これがその証拠だ」
そう言うと明智光秀は、織田信長からの書状を見せた。
その書状には、義頼の言った言葉と同じ意味の文言が書かれている。 勿論、織田信長の花押も入っている正式な文書であった。
「おお! 確かに」
「秀純。 俺と明智殿は、そなたの援護に回る。 この好機、存分に生かせ」
「はいっ」
二人から先鋒を任された和田秀純は、果敢に仰木城を攻め立てる。 そして義頼と明智光秀は、先程の言葉通り和田秀純を援護する様に搦め手から城を攻め込んでいた。
まるで城を挟みこむ様な攻めに、仰木城は数日と持たずに落城してしまう。 城主の仰木氏は捕えられ、織田信長に討たれた延暦寺の僧侶に混じって首を晒されたのである。
この城攻めを最後に、織田家による比叡山延暦寺攻めは一応の終結を見たのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




