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第四十八話~疋檀城降伏~


第四十八話~疋檀城降伏~



 疋檀城の周辺に軍勢が集結した。

 その場にいる主要な面子は、義頼と浅井長政あざいながまさ丹羽長秀にわながひで森可成もりよしなりである。 四人は疋壇城に到着すると即座に軍を展開したかと思うと、それこそ蟻の這い出る隙間もないほどに包囲したのだ。

 彼らは兵を配置し終えると、義頼の陣に集まり軍議を開く。 そこで冒頭、義頼が四人へ提案をした。


「漸くの反撃だが、あまり時間も無いのもまた事実。 ここはまず、一当てして敵の動向を見てみよう」


 彼が発した言葉に、四人は頷いていた。

 義頼の言葉通り、彼らは敵と戦いながら同時に時間とも戦わねばならない。 そう遠くないうちに、雪が降り始めてしまうからである。 そうなってしまえば、彼らは撤退を考慮せざるを得なくなる。 その意味でも、悠長に兵糧攻めなどを行う時間的余裕など無かったのだ。

 疋壇城攻めに丹羽長秀の陣からは溝口秀勝みぞくちひでかつが、そして浅井長政の陣からは宮部継潤みやべけいじゅんが攻め上がる。 また義頼の陣からは沼田清延ぬまたきよのぶが、森可成の陣からは林通安(はやしみちやすそれぞれ攻め立てた。

 兵数に物を言わせた力押しの攻めであったが、疋壇城側もただ粛々と受けた訳ではない。 彼らも彼らなりに、必死の抵抗を見せたのだ。 特に城主を務める疋壇六郎三郎ひきたろくろうさぶろうは、粘り強いまでの力を発揮する。 彼の奮起もあって、疋檀城は何度か織田勢に間近にまで攻め込まれながらも未だ城門を破られてはいなかった。

 この意外なほどの抵抗を受け、義頼は少々いらついている。 彼の気持ちを表すかの様に、彼の指は組んだ腕を軽く叩いていた。 そんな義頼に対して、沼田祐光ぬまたすけみつが声を掛ける。 彼の手には書状があり、義頼へと差し出していた。


「それで何の用だ、祐光」

「はっ。 富田殿からの書状にございます」

「貸せっ!」


 沼田祐光の差し出した書状を、ひったくる様にして見る。 そこには富田長繁とだながしげが、疋壇城と城主の疋壇六郎三郎と栂野吉仍とがのよしあつを手土産に織田家に帰順する旨が記されていた。

 しかし書状には、帰順とは別に要望が書かれている。 と言っても、何かの条件と言う訳ではない。 三日後に事を起こすにあたって、疋壇六郎三郎と栂野吉仍の意識を逸らす為に少々激しく攻めて貰いたいと言う物であった。


「殿。 富田殿は何と?」

此方こちらにつくそうだ。 また、疋檀城と城主。 及び、将を一人手土産とするとある」

「ほう」

「三日後には事を起こすので、その為にも我らは攻めて意識を逸らして貰いたいとの要望付きだがな」

「そうですか。 ならばこの件を含めて、今一度軍議を開きましょう」

「良かろう。 早速集めるとしよう」


 沼田祐光の言葉に同意した義頼は、急いで浅井長政と丹羽長秀と森可成を集める。 そこで他言無用と念を押した後、三人に富田長繁からの書状を見せた。

 そこに記された内容に、浅井長政は不満気な表情をする。 それは義頼が行っていた富田長繁に対する調略を、浅井長政が全く耳にしていなかった事に起因していた。

 海津東内城に居た丹羽長秀であれば、離れていた事もあるので耳にしていなかったという言い訳は立つ。 しかし義頼と浅井長政は、直ぐ近くに居たのである。 ならば一言あっても良いのではと言う思いが、無意識に出てしまったのだ。 


「六角殿は、内密に動いていたと。 そう言う訳か」

「済まぬな、浅井殿。 「事は密を持って良しとする」とも言うのでな」

「「敵を騙すには味方から」とも言う。 離れていた拙者と違い、浅井殿は面白くないかもしれぬがな」


 小さく笑みを浮かべながら丹羽長秀は、諭す様な言葉を掛けた。

 十も年上の男からの言葉を受けた浅井長政は、面映おもはゆくなる。 するとそんな自分を誤魔化す様に、強引に話を戻していた。


「兎に角! 此方こちらとしては今まで通り攻めれば良いのだな」

「はい、備前守様。 それで宜しいかと。 但し、無理には攻められませぬ様にお気を付け下さい。 また出来る事ならば、疋檀殿と栂野殿を中心に攻めていただければなお宜しいかと存じます」

「言われなくとも分かっている! 弥八郎(本多正信ほんだまさのぶ)殿、無用な心配だ!!」


 こうして富田長繁からの書状を考慮した方針が改めて決まると、軍議は終了した。

 その後、義頼は返書を認めると鵜飼孫六うかいまごろくに持たせて派遣する。 彼は戦で殺気立つ疋壇城へ首尾よく潜入し、無事に書状を渡した。 義頼からの書状を受け取った富田長繁は、毛屋猪介けやいのすけを呼び出して共に書状を見る。 読み進めるうち、彼らの表情から喜色が沸き上がって来た。

 それは帰順するにあたって出した要望が、ほぼ全て受け入れられたからである。 城外からとはいえこれだけの手助けがあれば、成功の確率も上がる。 そうなると心配なのは、寧ろ自分達の方であった。 

 二人が疋壇城主である疋壇六郎三郎と栂野吉仍を捕らえる為の手段とするのは、火である。 義頼ら織田勢が攻めるに合わせて、城内に火を放ち混乱を助長するのだ。 その隙に富田長繁が栂野吉仍を捕らえ、毛屋猪介が城主の疋壇六郎三郎を捕らえるというものである。

 因みに捕縛に失敗した場合、長繁と猪介は狙った二人の命を奪ってから帰順する事にしていた。


「ところで、毛屋殿。 今更だが、手筈に抜かりはないのだな?」

「無論だ。 そして最悪の状況になった場合、命を奪う手筈も整えている」

「……それは使わないに越した事はないが、致し方ないな」


 義頼と富田長繁が書状のやり取りを行ってから三日経ち、いよいよ決行当日である。 その舞台となる疋檀城だが、相も変わらず織田勢に攻め立てられていた。

 当然ながら、城側も迎撃している。 しかし今日の攻めは、いつにもまして執拗である。 ここ数日と違う攻めに、城主の疋壇六郎三郎は織田勢が本格的に攻めて来たのかと考えていた。 だからと言って、疋壇城の将兵が行う事に変わる訳ではない。 彼らは、敵を追い返すのに躍起やっきになっていた。

 その隙を突くかの様にして、富田長繁と毛屋猪介が動きをみせる。 事前の打ち合わせの通り、最初に動くのは富田長繁であった。 彼が先ず、疋壇城内の建物や櫓などに火を付けさせる。 彼方此方あちらこちらから湧き上がるかの様に上がる火に、城内が騒がしくなった。

 その騒ぎを聞きつけた疋壇六郎三郎がまず考えたのは、織田勢による応手門の突破である。 そこで事態を確認するべく、直ぐに使いを差し向けた。

 だが派遣した者が戻って来る前に、彼の元へ毛屋猪介が兵と共に現れたのである。 これが平時であれば兵を連れて城主の元に来るなどおかしな行動であり、とても許容できるものではない。 しかし今は、織田勢からの城攻めを受けている真っ最中である。 しかも城内で緊急とも思える事態が発生している様子であったので、彼は毛屋猪介達をそのまま通してしまったのだ。


「城主殿! 城内のあちこちより、火が出ております! もしかしたら、謀反かも知れませぬ」

「なっ、謀反だと!? 誰だ! その様な不埒者は!!」

「それは……拙者にございます。 疋檀六郎三郎殿」


 そう言うと毛屋猪介は、一瞬だけ力を貯めたかと思うと一足飛びに疋壇六郎三郎に近づく。 虚を突かれて反応出来ない彼に肉薄した毛屋猪介は、即座に脇差を抜くと城主の首筋に突き付けていた。

 また彼の連れてきた兵も、動いている。 疋壇六郎三郎と共にいた護衛の者達に対して武器を付け、動けない様にすると端から捕縛していったのであった。

 また時を同じくして、栂野吉仍とがのよしあつの元にも富田長繁が将兵を率いて現れている。 そこで彼は、毛屋猪介が疋壇六郎三郎に言った事とほぼ同じ内容を、彼へと告げていた。


「謀反だと!?……いかん、直ぐに城主殿へと知らせねば!」

「ご安心召されよ。 毛屋殿が報せに向かったので、今頃は伝わっておろう」

「そ、そうか。 ならば、しかと敵を止めねばなるまい!」

「いや。 それには及びませぬぞ」

「え?」


 織田勢を防ぐ為に出て行こうとした栂野吉仍であったが、富田長繁の言葉に思わず振り返ってしまう。 そんな彼の視界に入って来たのは手を振りあげている男と、矢を番えて此方こちらを狙っている兵の姿であった。

 想定外の現状を理解できなかった栂野吉仍の頭の中は、白くなってしまう。 そんな彼に対して、宣言するかの様に富田長繁は口を開いていた。


「我ら織田に降伏する。 今頃は、城主殿も捕えている。 無駄な足掻きはせず、大人しくなされよ」

「なっ! 謀反はその方かっ!!」

「ふん。 あの様な理不尽な命を出す方が悪い。 さて、栂野殿。 抵抗なさるか? するというならば、この手を振り下ろさなくてはならないが、如何いかが?」

「くっ!……」


 それでも栂野吉仍は何とか出来ないかと隙を窺いあわよくば反撃を試みようとしたが、その前に後ろを取られ羽交い絞めにされると地面に押さえつけられてしまった。

 彼は視線を巡らして、抑えつけた相手を見る。 栂野吉仍の視界に入ってきた顔、それは戸田与次郎とだよじろうのものであった


「なっ! 戸田!!」

「無駄な足掻きは止めましょう、栂野殿」

「くそっ! 汝もあの裏切り者の仲間か!!」

「いえ、違います。 ですが、御屋形様の命に理不尽を感じているのは弥六郎(富田長繁)殿だけでは無い。 そう言う事です」


 背中から圧し掛かられ、腕を締め上げられている。 この状態では反撃の仕様もなく、栂野吉仍は憎々し気に戸田与次郎をそして富田長繁を睨みつけるのであった。



「祐光。 どうやら、上手くいった様だぞ」

「はい、殿」


 義頼は、疋檀城の壁越しに揺れている笠を見ながら、沼田祐光に話し掛けていた。

 この頃の降伏の合図だが、一般的には笠を振るったり上げたりするからである。 それを見て義頼は、直ぐに伝令を出して城攻めを中止させる。 間もなく喧騒が消えて辺りが静かになると、疋檀城の応手門がゆっくりと開かれて行った。

 それを見た義頼は、山中俊好やまなかとしよしに命じて確認に赴かせる。 命を受けた山中俊好は、甲賀衆を率いて確認しにいく。 やがて、一人の男と共に戻って来た。 


「殿。 富田長繁殿にございます」

「そうか。 富田殿、面を上げられよ」

「はっ。 お初にお目に掛かります。 拙者、富田弥六郎長繁と申します」

「六角左衛門佐義頼です。 此度の貴公の働き、間違いなく殿にお伝えしましょう」

「よしなに」


 その後、富田長繁の先導で義頼達は城内に案内される。 やがて疋壇城の本丸に辿り着くと、そこには城主の疋壇六郎三郎と栂野吉仍が仏頂面で捕えられていた。


「城主の疋檀六郎三郎殿、それから栂野吉仍殿にございます」

「そうか……貴公達の身柄は、殿にお預けする。 連れて行け」

「はっ」


 捕らえられた二人に対して沙汰を伝えると義頼は、浅井長政達と共に本丸内にある館に入る。 その建物内の一室で富田長繁と毛屋猪介、それから栂野吉仍を捕えるのに功があった戸田与次郎と面会した。

 すると富田長繁が、二人を紹介する。 義頼は一つ頷くと、先ほど言った通り織田信長に伝える旨を知らせる。 その言に毛屋猪介と戸田与次郎は、安心したのであった。

 疋壇城を無事に開城させた義頼は、経緯を記した書状を横山城に居る織田信長へと届けさせる。 その書状にて疋檀城落城の経緯と朝倉勢の主力が同地より撤退している事を知った信長は、部屋で考えに耽っていた。


「ふむ。 義景めが越前に撤退したと……そう言えば、雪も近いとか言っていたな。 なれば朝倉は後回しにして、先ず一つ片付けるとするか!」


 決断した織田信長は、右筆に義頼への返書を認めさせると使いを走らせる。 同時に、軍勢を移動させる移動の準備を始めさせた。

 その翌日、義頼の元に届いた書状には、織田信長からの新たな命が書かれてあった。

 疋壇城を浅井長政に任せ、義頼と丹羽長秀と森可成は坂本へと向かう様にと記されている。 また疋壇六郎三郎と栂野吉仍に関しては、岐阜城へと送る旨が書かれている。 書状を読み終えると義頼は、浅井長政と丹羽長秀と森可成を集めると織田信長からの命を伝えた。 


「疋檀城を我らに任せると」

「少なくとも、書状にはそうあります。 正式な物は、追ってあるとは思われますが」

「この地を任せられる事に何ら異存はない、お引受け致しましょう」

「それは重畳です、浅井殿」

「そして我らは坂本……か」

「ええ、五郎左(丹羽長秀)殿。 恐らく、延暦寺に関係しているでしょう」

「延暦寺のう。 まさかとは思うが、殿は攻め返す気か?」

「可能性がない訳ではありますまい。 実際、過去に二度ほど比叡山は攻めらています」

『えっ?』


 義頼の言葉に、丹羽長秀と森可成が意外そうな声を上げる。 尾張国出身の丹羽長秀と美濃国出身の森可成であるから、知らないのも致し方ないと義頼も浅井長政も考えた。

 実は比叡山だが、義頼が言った通り過去に二度ほど攻められている。 一度目は、室町幕府六代将軍の足利義教あしかがよしのりからの命によってである。 その彼だが、将軍位を受けるまでは、天台座主であった。 その様な経緯から足利義教は、天台宗の取り込みを図る。 しかし延暦寺が反発し、あろう事か逆に山門奉行を務めていた飯尾為種いいのおためたねを強訴したのだ。

 更に当時の管領であった細川持之ほそかわもちゆきや黒衣の宰相と呼ばれた満済まんさいらが延暦寺との融和策を取ってしまったので仕方なく足利義教は比叡山攻めを諦めていた。

 だがこの決定を勝利と考えた延暦寺は、日頃から対立関係にありしかも強訴に賛同しなかった園城寺(三井寺)を焼き討ちしたのである。 この延暦寺の動きに足利義教は激怒し、当時の六角家当主であった六角満綱ろっかくみつつなや京極家当主であった京極持高きょうごくもちたかに命じて比叡山一帯を取り囲ませたのだった。

 命を受けた両名は坂本の町を焼き、延暦寺に対して脅しを掛けている。 これには延暦寺も降伏を申し入れたが、足利義教は首を縦に振らなかった。 だが細川持之などの幕府重臣数名が「延暦寺の赦免が叶わなければ反逆も辞さない」とまで言い出したので、足利義教もついに折れて和睦が成立し一応の決着を見たのであった。

 二度目は、義教の時代から下って六十年ぐらい後の話である。 その頃、将軍位の継承に端を発する幕府内の権力闘争が存在していた。

 将軍に就任した足利義植あしかがよしたねは、父親の足利義視あしかがよしみを後ろ盾としていたのだが、父親が亡くなると三管領の一家である畠山家当主の畠山政長はたけやままさながと連携して権力の掌握を図っている。 その為、元々足利義植の対立候補であった清晃せいこうを推していた細川政元ほそかわまさもとと対立したのだ。

 そこで足利義植は権力の掌握の為に足利義尚あしかがよしひさが行い、病によって断念せざるを得なかった六角家征伐を再度行うと宣言する。 細川政元は反対したが、足利義植は強行した。 戦自体は幕府側の優勢で推移し、当時の六角家当主であった六角高頼ろっかくたかよりは伊勢国まで逃亡する。 この事実を持って足利義植は、討伐を完了したとして近江国より兵を退いたのであった。

 この戦の勝利によって、彼は自身の軍事的強化に成功する。 だが引き換えに細川政元との対立は、最早抜き差しならぬところまで進んでしまったのだ。 

 そこで細川政元は、足利義植の排除を決断する。 彼は時間を掛けて畠山政長と対立する畠山義豊はたけやまよしとよと密約を結ぶなどして周到に用意を整えると、いよいよ実行に移したのだ。 彼は盟約を結んだ畠山義豊に畠山政長を挑発するかの様な態度をさせる事で、彼の怒りを暴発させる。 その怒りに任せた畠山政長は、足利義植に対して畠山義豊討伐の進言を行った。

 すると細川政元は、この進言に同意する。 そればかりか、足利義植へ親征の進言をしたのである。 将軍の更なる権力確立を目指していた足利義植はこの言に乗り、畠山政長と共に畠山義豊討伐へ出陣したのであった。

 いよいよ舞台が整うと、細川政元はこの隙を突いて一気に京を掌握してしまう。 いわゆる【明応の政変】であるが、これにより前後を挟まれる形となった畠山義豊討伐の軍勢は一気に士気が落ちてしまった。

 彼はこの好機を見逃さず、足利義植と畠山政長の軍勢に攻勢を掛けている。 士気が最低にまで落ちていた畠山義豊討伐軍に、この攻勢を弾き返すだけの力はない。 あっという間に蹂躙されてしまい、畠山政長は畠山義豊によって討たれてしまったのであった。

 その一方で足利義植だが、主力の軍勢を率いる畠山政長が討たれた事でこれ以上の抵抗は不可能となってしまう。 彼は時勢の不利を悟り、細川政元が派遣した軍勢の大将である上原元秀うえはらもとひでに投降した。

 その後、京に連れ戻された足利義植は龍安寺に幽閉されてしまう。 更には小豆島に流される筈であったが側近の手引きにより辛くも脱出すると、神保長誠じんぼうながのぶを頼って越中国へと逃れている。 そこで力を蓄えつつ細川政元と交渉し、関係の改善を図っていた。

 粘り強い交渉の末に漸く和睦が進展すると、足利義植は越中国から越前国へと移動する。 そして朝倉貞景あさくらさだかげの元に腰を据えたのだが、ここで予想外の展開が起きる。 何と上手くいっていた筈の交渉が、突然不調となってしまったのだ。

 ならばと足利義植は、力による解決を決断する。 朝倉貞景や上杉定実うえすぎさだざね、延暦寺や高野山などを味方につけると近江国に侵攻したのだ。 だが義植の動きを察した細川政元は、近々の敵対者となる延暦寺へ兵を差し向ける。 命を受けた赤沢朝経あかざわともつねや波々伯部宗量ほうかべむねかずは、比叡山へ容赦なく攻め上がる。 彼らの手によって、根本中堂などの延暦寺主要な建築物は焼き払われたのであった。


「その話は真なのか!?」

「嘘を言っても仕方ありますまい、五郎左(丹羽長秀)殿」


 そんな義頼の言葉に、浅井長政も頷いていた。

 元々浅井家は江北の有力国人の一家であり、そして京極家の家臣である。 であるならば、家臣の一人として先祖が戦に参加していても何ら不思議はなかった。

 なお余談だが、近江国に攻め込んだ足利義植は坂本で六角高頼に敗れると河内国に逃亡している。 畠山政長の息子である畠山尚順はたけやまひさのぶを頼った訳だが、細川政元の派遣した赤沢朝経と畠山義豊の息子である畠山義英はたけやまよしひでの軍勢にも攻められてしまい河内国から逃亡する。 そして西国の雄であった大内義興おおうちよしおきを頼って、中国へ下向したのだ。 

 その後に勃発した細川家の内訌(永正の錯乱)を好機と考えた足利義植は、大内義興と共に軍勢を率いて京へと帰洛する。 そして再度、将軍職に就任したのであった。


「ふむ……その様な事が、のう」

「ええ。 ですから五郎左殿と三左衛門(森可成)殿も、戦を覚悟しておいて損はないかと」


 義頼の言葉に、丹羽長秀と森可成は神妙な表情を浮かべつつ頷いたのであった。 


疋壇城の開城、そして……です。

なお、朝倉義景には逃げられてしまいました。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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