第四十七話~木之本出陣~
第四十七話~木之本出陣~
疋壇城にある一室に籠った朝倉義景は、じっと考え込みながら床に置かれた畿内周辺の地図を見ている。 そこには幾つか石が置かれたり、線が引かれたりしていた。
彼が目を落としている地図には、畿内の情勢や動きが書かれている。 即ち、朝倉勢と対峙し睨み合いとなった挙句に膠着状態に陥ってしまった江北の戦況や、そこに一石を投じるつもりで行った延暦寺へ蜂起を促す行動について書かれていたのだ。
その延暦寺の蜂起に関してだが、此方に関しては一応の成功を収めていると言っていい。 森可成が城主を務める宇佐山城へ延暦寺の僧兵らが攻め込んだのだから、これは成功したと言って差支えはないだろう。 その事に安堵した朝倉義景は、続いての動きを見せようとしていた。
それは、延暦寺の蜂起によって湖西に生まれるであろう混乱に乗じ、改めて近江国内に兵を進ませようと言った趣旨のものである。 しかしその考えも、素早く動いた織田勢によって反故にされてしまった。
何と延暦寺の僧兵が、素早く動いた織田勢によって比叡山へ押し返されてしまったからである。 しかも織田家の軍勢を率いたのが、嘗ての家臣であった明智光秀だと言うのだ。
それだけでも腹立たしいと言うのに、更に彼の神経を逆なでする様な報告が上がってきている。 その内容とは、別動隊を指揮させている朝倉景鏡に関する物である。 その報告によれば、彼が膠着状態に陥ってしまった現状に対して不満を持ち始めているというのだ。
それでなくても朝倉景鏡は、今回の出陣に対しては当初反対の意を示している。 彼は朝倉連枝衆の中でも筆頭格であり、朝倉家中に対する影響力は決して低くはない。 だからこそ朝倉義景は、彼を説得した上で軍勢に同行させたのだ。
しかし、よりにもよってその朝倉景鏡が、不満を持っていると言うのである。 出陣に対して反対された経緯もあって、朝倉義景の中でこの噂に対する真実味が増しており彼の気持ちに影を落としていた。
また、そればかりではない。
朝倉景鏡に与力としてつけた富田長繁に対しても、あらぬ噂が出ている。 この事実もまた、朝倉義景が朝倉景鏡に対して疑問を持つ事に拍車を掛けていた。
最も今回の出陣に当たって、朝倉景鏡の下に富田長繁をつけたのは他でもない朝倉義景なのだが。
「くそっ! 何ゆえ、俺だけが上手くいかぬ。 三好も本願寺も上手くいっておるのに」
確かに朝倉義景が腹立たし気に漏らした通り、四国から畿内へと攻め込んだ三好家は織田家を幾度か負かせるという実績を出している。 そしてそれは、石山本願寺も同様であった。 結果として織田信長が自ら率いた織田家本隊を摂津国の戦線より押し返した形となっているので相応の結果を出していると言っていい。 少なくとも朝倉義景には、その様に見えるのだ。
翻って朝倉義景はと言うと、碌な結果を得られていない。 大将として兵を率いて一乗谷より出陣したはいいが、湖西を抜き京へ旗を立てるどころか越前国と近江国の国境近くに存在する疋檀城までしか進出できていないのだ。
それならばと目線を変える意味合いもあって朝倉景鏡に兵を持たせて浅井家の湖東へと兵を差し向けてみたが、こちらも足止めされてしまい進軍もままならない状況にある。 それであるが故の、不満であった。
つまり朝倉義景は、戦果を挙げられない己と旗下の者達の事を考え悶々としていたのである。 するとそんな彼へ、新たな報せが届く。 報せを持って来たその男の名は高橋景業であり、彼は鳥居景近同様に朝倉義景の近侍を務めている者であった。
「殿。 信長が岐阜城を出陣する模様です」
「ん? あ奴は、長島に行ったのでなかったのか?」
「はい。 ですが、どうも信長は早々に長島から撤退した様でして」
「ほう? それで今度は、また近江に出て来ると言うのか」
「御意」
長島から岐阜城に戻った織田信長は、下間正秀と下間頼亮と湖北十ヶ寺の住職達が降伏した事に関して報せを受けると、返書を義頼へと認めていた。
しかし織田信長は、それだけで良しとしなかったのである。 義頼の返書を認めると、あろう事か数日も経たずに岐阜城から近江国へ出陣していたのだ。 この織田家本隊と見える軍勢だが、数があるだけに行動を隠し切れない。 それであったが為に、動きを高橋景業に知られてしまったのだ。
「ふむ……あ奴が出てくる理由だが、何だと思う景業」
「そうですな。 あくまで推論でございますが、従属大名たる浅井家と織田家臣の丹羽家と六角家に対する後詰の様なものでは無いかと」
高橋景業の考えを聞いた朝倉義景は、更に思案を深めた。
実のところ、彼は既に撤退を考え始めていたのである。 そこにはやはり、恐らく一月も経たずに降り始めるであろう雪の存在があった。 また、彼が撤退を視野に入れ始めた理由は雪ばかりでは無い。 一つは、攻勢に出るに遅きに失した感があったからだ。
そもそも朝倉義景は、三好勢と対峙する為に出陣した織田家を素早く攻めるつもりで出陣している。 しかし今は攻勢にも出られておらず、越前国と近江国の国境近くにある疋壇城にて足止めを喰らっている状況にある。 最早当初の予定は完全に頓挫しており、得る物もないまま長々と対陣しているに過ぎないのだ。
そして今一つに、陣内に広がる噂がある。 前述した別動隊を率いる朝倉景鏡と彼の与力として付けた富田長繁が、当主に対して不満を持っていると言う話だ。 これが噂程度の話なのか、それとも本当にそうなのかはまだ確認しきれていない。 しかし率いる軍勢内に不和と思しき物が存在しているのは間違いはなく、その件が朝倉義景の気持ちを撤退へと後押ししていたのだ。
「撤退も視野に入れるべきか……そなたはどう思う?」
主に話を振られた高橋景業は、眉に皺をよせ難しい顔をしながら考える。 やがて考えが纏まると、彼は居住まいを正して話し始めた。
「殿。 拙者としましては、撤退に賛同いたします。 既に攻勢に出る機を外していると思われますし、何より雪が問題になるかと思われます」
「やはり、そうなるか……して、どう撤退する?」
「式部大輔(朝倉景鏡)殿と合流後、敦賀経由で一乗谷に引きましょう」
「だがそれだと、北国街道を北上されぬか?」
「木の芽峠の辺りに配置している兵がございますれば、問題は無いかと思います」
「そうか……そうだな……」
高橋景業の言葉に自身を納得させるように相槌を打つと、朝倉義景は撤退の命を出すのであった。
さてその頃、義頼はと言うと……彼は書状を読んでいた。
岐阜城に居る織田信長からの物であり、そこには主に二つの事柄が記されている。 先ず一つ目は、近江一向宗に対する物であった。 しかもその書状には彼らを許す旨が記されていたので、新村城と小川城を落とした際に大原義定が一向宗に対して約定した事が織田信長によって保障された形となっている。 その内容に大原義定は、一先ず胸を撫で下ろしていた。
そして今一つだが、此方は簡潔な内容で「後詰として横山城に入る」という物である。 ただこの時点で織田信長は、既に岐阜城を出ている。 しかし義頼は知らない……にも拘らず穿った意見を述べていた。
最も笑いながらであるので、冗談のつもりなのは明白である。 だがその冗談が正鵠を射ているのだから、笑えると言うのは実に幸せと言えた。
「既に城を出ている……などと言う事は無いか、幾ら殿であっても。 だが雪と言う時間制限がある以上、これは実にあり難い。 これで、心おきなく出陣が出来るという物だ。 重綱!」
「はっ」
「全軍に通達を出せ! 明後日、日の出と共に出陣する!!」
「はっ」
小姓の吉田重綱にそう命じた後、義頼は甲賀衆の岩室貞俊を呼び出すと、彼を海津東内城に居る丹羽長秀の元へ派遣して、出陣の旨を伝えた。 派遣されてきた使者自体は急ではあったが、義頼が出陣を考えていると既に見当つけていた丹羽長秀である。 彼は慌てる事無く家臣に命じて、直ぐに出陣の用意を整えさせていた。
また義頼は、出陣に当たって織田信長にも出陣する旨の報せを届けている。 その書状は、鵜飼孫六に託していた。 書状を受け取ると直ぐに出発した鵜飼孫六であったが、その途中にて織田信長が岐阜城におらず既に近江国内に居ると聞き急遽横山城に向かう。 そこで面会し、義頼の書状を渡していた。
思いの外行程が短くなったこともあり、同日夜には鵜飼孫六が義頼の元へと戻って来る。 幾らなんでも早い帰還に訝しがり尋ねると、彼から織田信長が横山城に入っていると知らされた。
先日冗談混じりにこぼした一言が現実のものであったと言う報告に義頼は、思わず呆れてしまう。 さもありなんと苦笑を浮かべる鵜飼孫六の態度に再起動を果たした義頼は、一つ咳払いをすると誤魔化す様に言葉を小さく漏らしていた。
「まさか本当に、こちらから返事をする前に動いていたとは思わなかったな」
「殿? 如何されましたか?」
「いや、何でも無い。 それよりも使いご苦労だった、休んでいいぞ」
「はっ」
それから二日後、義頼が全軍に対して出陣を通達した当日は喧噪に包まれていた。
まだ日の出前にも拘らず義頼の陣では、既に近江衆が整列している。 そしてこれは場所こそ違うが、田上山城の浅井長政が率いる浅井兵も、そして海津東内城の丹羽長秀が率いる兵も同様であった。
「良いか! これから我らは出陣する。 そなた達は、存分に手柄を立てるが良い!」
『おおー!!』
「では、出陣!」
その声と共に、義頼率いる近江衆が進軍を開始した。
ほぼ時を同じくして、浅井長政率いる浅井勢も田上山城から出陣を開始する。 そして海津東内城の丹羽長秀もまた、出陣をしていた。 程なくして義頼と浅井長政は、木之本を出た辺りで合流を果たす。 すると彼らは歩を揃えて、北国街道を北進して行った。
やがて義頼と浅井長政は、分かれ道にと差し掛かる。 この分かれ道をそのまま北進すれば越前国に、そして西進すれば朝倉景鏡が布陣している刀根へと向かえる。 そしてそのまま進み刀根を越えれば、疋檀城方面に向かう事が出来る。 だが刀根の手前へと到着した義頼は、頻りに首を傾げていた。
その理由は、味方ではなく敵にある。 この近辺に居る筈の朝倉勢が、ただの一人も存在していないからだ。 朝倉別動隊の大将である朝倉景鏡が刀根に陣を張っているのだから、その手前に当たるこの辺りに朝倉の兵が居てもおかしくは無い。 それであるにも拘らず全く敵兵の姿が見えない事に、義頼は不安を覚えていた。
そこで彼は、甲賀衆の山中俊好を呼び出すと物見を命じる。 命を受けた彼は、旗下の甲賀衆を率いて先行したのであった。
こうして山中俊好を送り出した義頼は、大原義定を呼び出す。 そして彼に、この地に留まり北国街道を押さえる様にと命じた。
「何ゆえにございますか?」
「万が一を考えてだ義定。 例えこの先何かあっても、例えば敵に敗れたとして此処に兵が居れば足止めが出来る。 そうなれば、六角水軍と堅田衆の船を使っての撤退が容易くなる。 その為に、残すのだ。 万が一の事態に陥った場合、一人でも多くの将兵を残す為に、な」
「承知しました」
義頼から命を受け大原義定は、兵を率いて軍勢から離れた。
それから彼は、分かれ道からやや南下した近江国側に陣を張る。 そこは北国街道の近くであり、義頼が朝倉勢に敗れて街道を逃げ帰って来たとしても直ぐに救援に向かえる場所であった。
間もなく、軍勢より分かれた大原義定が陣を張り終えた頃、物見に向かった甲賀衆が戻って来る。 義頼は、彼らの報告を浅井長政と共に聞いていた。
「やはり……刀根に朝倉勢が居ないのか」
「はい。 陣の跡はございましたが、もぬけの殻にございます」
物見へと向かった山中俊好の報告を聞いて義頼は、思わず浅井長政を見る。 すると、彼もまた義頼を見ていた。 自分と浅井長政がほぼ同じ行動をしている事に、義頼は薄く笑みを浮かべる。 しかし直ぐに表情を引き締めると、問い掛けていた。
「さて備前守(浅井長政)殿、報告を聞いて貴殿はどう思われるか?」
「どうと言われても、この情報だけでは何とも」
「それもそうか……っと、そうだ俊好。 何故に、お前達の数が少ない?」
「はっ。 一部の者を念の為、疋檀城に向かわせました」
「なるほど。 では、その報告を待つか」
そう判断した義頼は、浅井長政と共に軍勢の休憩に入る。 どの道、残りの甲賀衆が戻って来るまで待つつもりである。 ならば、ここで休憩も済ませてしまおうと、考えたのだ。
それから暫く後、疋檀城に向かった甲賀衆が帰って来る。 彼らはその足で義頼の元へと向かうと、疋壇城の様子を報告する。 その内容は、義頼と浅井長政にとってやや意外と思える物であった。
「確かに、疋檀城に兵がおります。 ですが、兵の数が異様に少ないと思われます」
『兵が少ない?』
「はい。 どう見ても、朝倉家の本隊が居る様には見えませんでした」
そんな甲賀衆の報告を黙って聞いていた義頼の幕僚達であったが、やがて幕僚の筆頭格となる本多正信が代表する様な形で口を開いた。 それによると、朝倉勢は撤退したとの事である。 その言葉を聞き、奇しくも義頼と浅井長政が異口同音に驚きの声を上げていた。
最も今の二人は、そんな事など爪の先ほども気にしていない。 それぐらい、本多正信の言葉に驚いていたのだ。
「兵を退いた、だと?」
「はい。 その様に考えれば、刀根に居た筈の朝倉勢が消えていたのも納得できます」
「……しかし、何ゆえ義景は急に引く気になったのだ?」
そんな義頼の問いに対しては、沼田祐光が答えた。
「恐らくですが、二つほど理由が考えられます。 一つは、横山城に駐屯している弾正大弼(織田信長)様の存在でしょう。 それでなくても朝倉勢は、疋壇城に足止めされていたのです。 そこに弾正大弼様率いる軍勢が加わってしまえば、勝敗など火を見るよりも明らかです」
「なるほどな。 して、今一つは何だ」
「雪に対する懸念ではないかと」
義頼が朝倉勢に対して攻勢に出ようとした理由に、後方である江南が鎮圧された事がある。 しかし他にもあり、それは雪の存在であった。 江北に雪が降り始めると、軍事行動が極めて取り辛くなる。 その前に、決着をつける為に出陣したのだ。
そして朝倉勢は、越前国に勢力を張っている家である。 雪に対する懸念は、義頼以上に深いと言っていい。 そんな彼らが雪がちらつく前に領国へと戻ろうと考えるには、十分な理由となり得たのだ。
故に撤退に移った朝倉勢であったが、完全にこの辺りを放棄してと言う訳には行かない。 この一帯は朝倉家の領地なのだから、当然であった。
そして朝倉家が敵勢を抑える為に残した将は、四人いる。 一人目は、疋壇城主でもある疋壇六郎三郎である。 残りの三名は、栂野吉仍と富田長繁と毛屋猪介であった。
彼ら四人へ朝倉義景から与えられた任務は、疋壇城に籠り雪が降るまで何が何でも義頼達を足止めすると言うものである。 それも命を掛けてという、厳命まで付いていた。 しかも、城内に居る朝倉勢は甲賀衆が少ないと感じた通り多くは無い。 有り体に言えば、義頼達が率いる兵より遥かに少ないのだ。 幾ら疋壇城と言う要害の中に居ると言っても、この命は死命にも等しい。 それであっても義頼達に対して一歩も引くなというのだから、命じた朝倉義景も大概理不尽であった。
しかし、そんな理不尽とも言える命を出されているにも拘らず疋壇城主でもある六郎三郎と、彼の与力である栂野吉仍の士気は高い。 兵数差からも士気が低い富田長繁と毛屋猪介の両名とは、実に対照的な態度であった。
「はてさて……随分と理不尽な命令ですな、弥六郎(富田長繁)殿」
「……あの噂があったからとは言え、そなたにはとんだ巻き添えを喰わせてしまったな」
「構いませんよ。 それに完全な嘘、という訳では無いでしょう」
あの噂とは、沼田祐光が富田長繁を朝倉家から離反させる為に流した噂の事であった。
そして噂とは別に、実際問題として彼は義頼から調略を受けている。 しかしその事自体は、まだ朝倉義景達に知られた訳ではない。 ただ毛屋猪介は富田長繁の与力であった為に、義頼が彼に対して調略の手を伸ばした事を知っていたのだ。
そして見抜かれた富田長繁はと言うと、曖昧な笑みを浮かべている。 その態度だけでも、毛屋猪介の言葉に嘘が無い事を証明していると言って良かった。
「それに……ここまで来れば一蓮托生だ弥六郎殿。 拙者も、貴殿に付き合いましょう。 して、如何致しますのか?」
「俺は幾ら何でも、こんな理不尽な命に殉じる気は無い。 城主殿や栂野殿と違ってな」
「ならば、此処は降伏でもしますか。 その手土産代りに、彼らを捕えるというのは?」
毛屋猪介の言葉に富田長繁は、不敵な笑みを浮かべた。
ただ降伏するだけでなく、手土産付きの降伏である。 敵方である織田勢に己を売り付けるに、うってつけと言えた。 だが、それには味方から疑われない事が肝要である。 それでなくても富田長繁は、義頼が流した噂によって不信感を持たれている。 その不信感を払拭する為にも、義頼に動いて貰う必要があった。
「此処は疑われない為にも、少し攻めて貰わねばならん」
「なるほど、それはしたり」
「そこで、事前に書状を送ってその旨は六角殿に報せておこうと思う」
「では、その間に我らは準備を整えて……という手筈ですかな?」
「うむ」
「ならば、城内の方は我が行いましょう。 富田殿には、繋ぎの方を」
毛屋猪介の言葉に、富田長繁は頷く。 それから二人は不敵な笑みを浮かべると、彼らは生き残る為にそれぞれ動き始めるのだった。
やっと……やっと……義頼が動きました。
ご一読いただき、ありがとうございました。




