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第四十六話~近江一向一揆鎮圧~

義頼と義定が、漸く合流します。


第四十六話~近江一向一揆鎮圧~



 箕浦城に入っている大原義定おおはらよしさだの元へ、義頼からの書状が届いた。

 彼は一読した後で、その書状を皆に見せる。 そこには、駒井秀勝こまいひでかつが率いる六角水軍と猪飼昇貞いかいのぶさだが率いる堅田衆を援軍として送った旨が書かれていた。

 水軍と言う名の援軍の存在に、本多正信ほんだまさのぶ三雲賢持みくもかたもちは喜色を表す。 今のままの軍勢であっても負けるとは思っていない両名であったが、此処ここにきて更なる兵力が投入されれば攻略がより早まるからである。 即ちそれは、兵力の消耗を抑える事にもつながるからでもあった。


「……しかし、半ば遊兵であったとはいえ水軍を派遣するとは思いもよりませんでしたな」


 腕を組みつつ樋口直房ひぐちなおふさが、呆れるとも感心しているとも取れる風に言う。 それには勿論、理由があった。

 元々六角水軍と堅田衆を積極的に運用していなかったのは、主に後方支援に充てる為である。 兵糧であれ物資であれ兵であれ、陸上を移動させるより水上を移動させる方が効率がいい。 しかし、それだけで水軍を遊兵状態にしていた訳ではない。 実はその裏でもう一つ、水軍を遊兵にしていた理由がある。 それは、万が一にも義頼ら織田家の援軍や浅井勢が朝倉勢に敗れた際の撤退手段の確保であった。

 先程も述べた様に、陸地を移動するより水上を移動した方が早い。 陸上を撤退する場合、地形等から様々な影響を受ける可能性がある。 しかし水上では、船にさえ乗ってしまえば殆ど障害となる物が存在しないのだ。

 そればかりではない。

 何と言っても、攻めてきている朝倉勢に水軍はない事が上げられる。 即ち琵琶湖上へと逃れてしまえば、追手を掛けられる心配がないのである。 もし追手を掛けられたとしても、船の方が移動速度が早いので簡単に敵を撒く事が可能であった。


「殿は恐らく、此方が押し時と踏んだのでしょう」

「拙者もそう思います」


 大原義定より見せられた書状を見て、義頼の考えを読んだかの様に蒲生定秀がもうさだひでが端的に述べる。 傅役もりやくとして傍に居続けた男の言葉であり、しかも義頼の父親である六角定頼ろっかくさだよりの右腕であり続けた男の言葉には説得力と言う物が存在していた。

 それを証明するかの様に、三雲賢持も彼の言葉に追随している。 その横では、本多正信もまた頷いている。 その様な蒲生定秀の言葉と二人の知恵袋の反応は、大原義定にも納得できる物であった。 


「まぁ、そうであろうな。 では……攻めるとするか」

「お待ちください、中務大輔(大原義定)様。 ここは江南の一向宗門徒達に行った様に、湖北十ヶ寺に対しても同様の対応を行うべきであると愚考します」

「正信、今更必要か? 金森御坊、それから新村・小川の両城陥落を見ても一向宗門徒どもは降伏しなかったのだぞ」

「分かっております。 ですが例えそうであったとしても、いえそうであったからこそ対応は一貫しておくべきかと存じます。 それにもし相手が降伏勧告を払いのけたのであれば、我らとしても遠慮をする必要がなくなります」

「ふむ、なるほどな……まぁ、よかろう。 それにもし上手くいけば、兵をいたずらに損耗せずに済むしな」


 本多正信の進言を受けて暫く考えた後、大原義定は軍使を派遣する事に同意した。

 そして十ヶ寺に対する軍使となったのは、山崎片家やまざきかたいえである。 山崎家は嘗て六角家に仕えた家であり、また血筋としては近江佐々木氏の支族であった。 それに何より、織田家直臣となっている。 反抗した相手に派遣する軍使としては、十分に配慮していると言える人選であった。

 軍使に任じられた山崎片家は、別名長沢御坊とまで謡われた湖北十ヶ寺の中心である福田寺住職の覚芸かくげいの元に向かい面会する。 そこで降伏を促す書状と口上を述べたが、覚芸は一顧だにせず山崎片家を追い返してしまった。

 一向宗総本山である石山本願寺に在する顕如けんにょの檄を受けて一揆を起こした以上、一回も討伐の命を受けた軍勢と干戈を交えない状態で降伏をするのは問題がある。 例え金森御坊や新村城や小川城で負けていたとしても、現時点において覚芸が受け入れる訳には行かなかったのだ。

 大原義定が本陣としている箕浦城へと戻って来た山崎片家から顛末を聞くと、彼は本多正信に視線を向けつつゆっくりと口を開いた。

 

「これで、何の遠慮するところも無いな正信。 此方が差し伸べた手を、向こうが蹴ったのだ」

「……はっ」


 本多正信としても、この結果は想定していた。

 それでも一向宗を信じる者としては、せめて一般の門徒を救いたいと考えたからこそ進言したのである。 だがこれ以上の進言は、利敵行為と取られかねない。 大原義定がその様な判断をするとは思わないが、周りの者は必ずしもそうだとは断言できないのだ。

 義頼の信頼を得ているとは言え、所詮彼は六角家に仕えて僅か数年の外様でしかない。 しかも立場上、時には非情とも取れる進言も行う事もある。 そうである以上、必ずと言っていいほど彼を疎む者が出るのは必須であった。

 ならば少しでも、疎まれる材料を減らしておかなければならない。 それであるが故に、それ以上は言葉を続けずに従ったのだ。

 本多正信が了承したのを確認した大原義定は、駒井秀勝や猪飼昇貞が率いて来た水軍と、丁野山城に陣取っている森可成もりよしなりへ連絡を取ったのであった。



 福田寺の覚芸が大原義定からの降伏勧告を断ってから二日後の早朝、丁野山城から出陣した森可成率いる軍勢と水軍を率いる駒井秀勝と猪飼昇貞。 そして箕浦城の大原義定は、ほぼ時を同じくして湖北十ヶ寺に攻め寄せた。

 先ず森可成だが、彼は称名寺に攻め入っている。 次に琵琶湖より上陸した駒井秀勝と猪飼昇貞は、水軍を率いて真宗寺に攻め入る。 最後に大原義定はと言うと、箕浦にある請願寺へとそれぞれ攻め込んでいた。

 三方から同時に攻めた理由は、相手となる湖北十ヶ寺が対応を難しくさせるという意図に基づいている。 そしてこの意図は、ものの見事に当たってしまっていた。 この攻め手により完全に各個撃破をされた事で、湖北十ヶ寺側は対応しきれなくなってしまったのである。 まだ攻められていない他の寺から援軍を出す間もなく、狙われた三つの寺は落とされてしまった。

 首尾よく真宗寺を陥落させた駒井秀勝と猪飼昇貞は、攻め手を緩める事無く琵琶湖岸に近い寺を次々と狙っていく。 それは森可成もまた同じであり、彼は、浅井家が織田家からの命で破却した小谷城近くにある順慶寺などを攻撃、若しくは降伏を促していた。

 最後に大原義定だが、彼は箕浦の請願寺を灰燼と化すとそのまま進軍して福田寺を取り囲んでいる。 同時に青地茂綱あおちしげつなに兵を与えて、彼を森可成への援軍としていた。

 こうして大原義定達の手によって分断、各個撃破された湖北十ヶ寺の一向衆の住職や門徒達は、ほうほうの体で福田寺へと逃走する。 しかし囲まれている福田寺を見て意気消沈した彼らは、反抗を断念してしまう。 この為、殆ど全ての者が大原義定の手によって捕えられていた。

 そんな彼の元に、水軍を率いて福田寺近くの浜に上陸した駒井秀勝と猪飼昇貞が合流する。 それから暫く後、敵勢たる一向宗門徒を破るなり降伏させるなりした森可成と青地茂綱もまた、福田寺付近に到着したのであった。

 後から到着した両名は、直ぐに大原義定の元にむかう。 そこには、既に到着していた水軍衆の駒井秀勝と猪飼昇貞も集っていた。 すると森可成らの姿を見た大原義定は、立ち上がって彼らを出迎えていた。

 何と言っても相手は、織田家重臣である。 義頼の代理として、森可成へ粗相をするわけにはいかないからだ。 出迎えた義定は、彼を己の隣に用意させた床几に座らせる。 そして改めて、挨拶を行うのであった。


「こうして直接相見えるのは、恐らく初めてだと思います森様。 拙者は六角左衛門佐義頼が甥、大原中務大輔義定にございます。 以後お見知りおきを」

「六角殿から聞いておる。 拙者が、森三左衛門可成だ」

「それで早速ですが、福田寺攻めについて話し合おうかと」

「そうだな」


 森可成から了承を得られた直後、大原義定は軍議に入った。

 とはいえ、難しい事は無い。 それぞれの将が率いる兵で福田寺を取り囲み、包囲に拠る兵糧攻めか力押しを行うだけである。 そのどちらかを選ぶだけであり、その結末はすぐに得られた。

 軍議の結果は、力押しによる攻めである。 大原義定の軍勢は圧倒的優位に立っているが、あくまでこの戦は局地戦でしかない。 織田家全体として見た場合、不利な立場にあるのは変わらないのだ。 その為、此処は早々に戦を終わらせて義頼に合流する必要がある。 兵力が増えれば、朝倉家としてもおいそれとは侵攻を続けられないからだ。 


「では、攻撃は二日後の日の出と共に」

『おう!』


 最後に締めくくった大原義定の言葉に、森可成達の返事が唱和する。 その後、森可成と駒井秀勝と猪飼昇貞は、それぞれの本陣へと引きあげて行った。

 その軍議とほぼ時を同じくした頃、福田寺住職の覚芸は自らの部屋で悩んでいたのである。 その悩みとは、遅まきながらではあるが、降伏するべきか否かをであった。 何せ僅かの間に湖北十ヶ寺は、己が住職を務める福田寺以外落とされてしまっている。 しかも他の寺から落ち延びた者達も、殆どがとらわれてしまったのだ。

 そのもたらされた情報が嘘か真かは分かっていないが、覚芸は真実であろうと踏んでいる。 その理由は、殆ど一向宗の者が福田寺へ到来していない為であった。


「この短期間に、この御坊を除く寺を打ち破られてしまうとは夢にも思いませんでした。 だが、この寺だけは何としても守らねばなりません。 嘗て蓮如れんにょ様が滞在なされた、この長沢御坊を」


 長沢御坊には蓮如自らが植えたと伝わる松や、蓮如作と言われる庭(枯山水)が存在する。 覚芸は、これらの物を守り残したいのである。

 それこそ、自らの命と引き換えにしてもである。 また流石に門徒衆までも道連れと言うのは、いささか寝覚めが悪いと言うのもあった。


「……やはり此処は降伏しましょう。 我が命を引き替えに差し出せば、江南の一向宗門徒を許して来た織田勢です。 受け入れるでしょう」


 決断すると覚芸は、自らが軍使となる。 彼は単身で密かに福田寺を出ると、大原義定の陣へと赴いた。 まさか敵大将が現れると思っていなかった大原義定は、報告を受けると思わず呆気に取られる。 暫く後に気を取り直すと、丁重に出迎える様にと命じていた。 

 同時に彼は、本陣に森可成と駒井秀勝と猪飼昇貞を集める。 呼び出しを受けた三人が慌てて本陣へ到着すると、そこには自ら降伏の使者となった覚芸が平伏していた。 湖北十ヶ寺を攻めた中軸の将が揃うと、覚芸は降伏の口上をする。 四人は黙って聞いていたが、やがて大将である義定が口を開いた。


「降伏……今更か」

「ご意見もっともなれど、なにとぞお願い致します。 その為ならば、愚僧の命と引きかえとしても構いません」

「その方の命……のう。 さて、如何いかにするか……」


 そう言ってから大原義定は、蒲生定秀と本多正信。 それから、三雲賢持へ視線を向ける。 すると本多正信が静かに近付き、大原義定に耳打ちした。


「中務大輔様、此処は受けておくべきです」

「また一向衆を助けたいからか?」

「それが無い、とは申しません。 ですが、此方にも急ぐ意味がございます。 急ぐ意味は二つ。 一つは勿論、江北で朝倉勢を止めている殿に対して。 そして今一つは、雪にございます」

「あっ!」


 義頼に対する事は別にして、雪の事は完全に思いの外だった。

 義頼が朝倉義景あさくらよしかげと対峙している当たりだが、実は有数の豪雪地帯なのである。 まだ今月はいいが、来月に入れば雪もちらつき始める。 そして年末近くでもなれば、それ相応の降雪量となるのだ。

 それこそ年が明ければ尚更であり、そうなってしまえば完全に動きが取れなくなってしまう可能性が高い。 いや、間違いなく身動きが取れなくなる筈である。 その前に朝倉勢とは決着をつけねば、下手をすると双方が兵糧無く共倒れとなりかねなかった。

 まぁ、琵琶湖を抑えているので義頼達がそうなる可能性より朝倉勢の方が先に兵糧が無くなる可能性の方が高い話ではあるのだが。


「それに覚芸殿に関しましては、下間正秀しもつませいしゅう下間頼亮しもつまらいりょうと共に信長公の裁可を仰ぎましょう」


 下間正秀も下間頼亮も、最終的には織田信長の腹積もり次第である。 そこに今一人、いや大原義定達が捕えた湖北十ヶ寺の者達が加わったとしてもそう対応が変わるとも思えなかった。


「分かった。 早々に江北に向かう為にも、その方の言葉、受け入れよう」


 こうして覚芸も捕えられ、此処に近江国一向衆による騒乱は一応の決着を迎えたのである。 そして下間正秀と下間頼亮、及び湖北十ヶ寺の住職は長島から撤退して来ていた岐阜城の織田信長へ届けられる。 その後、大原義定は堀秀村ほりひでむらと樋口直房主従に任せると軍勢を纏めて江北に向かったのであった。

 なお織田信長の元に送られた者達は、長島より岐阜城に戻って来ていた信長に裁可される。 彼らは、今後は石山本願寺に従わない事と武装をしない事、そして一向宗門徒をみだりに集めない事を条件に助命された。

 これにより湖北十ヶ寺は、完全に織田の支配下とされたのである。



 南近江の街道筋を鎮定し、また湖北十ヶ寺も押さえた大原義定は軍勢と共に北上する。 そして大津近辺で別れて以来、漸く義頼と合流したのであった。


「待っていたぞ、義定」

「お待たせ致しました」


 義頼と大原義定が言葉をかわした。

 その後ろには蒲生定秀や藤堂高則とうどうたかのりといった六角家家臣や、山崎片家や山岡景隆やまおかかげたかや駒井秀勝といった織田直臣となっている元六角家家臣。 それに、協力者の立場であるが猪飼昇貞がいた。


「さてその方達が来たからには、こちらも反撃に入ろうと思う。 だが、今日はその方達を祝って宴を催す。 そこで英気を養い、もう一働きして貰いたい」

『はっ』

「では、下がって良い」


 義頼の言葉に従い、彼らは義定を先頭に部屋から出ていく。 残ったのは、蒲生定秀ともう一人の三雲賢持であった。 彼が甥の軍勢に合流した事は、書状が届いていたので知っている。 そしてその書状には、三雲賢持が参謀として義頼に仕えたいと希望している旨も記してあった。


「参謀として出仕したいか……今でも相違ないのだな」

「御意」

「分かった。 許す、励め」

「誠心誠意、務めさせていただきます」


 そう言うと、蒲生定秀と三雲賢持は下がった。

 その後、義頼は森可成と面会する。 それは、此度こたびの援軍に対する礼であった。 彼には織田家重臣であるにも拘らず、陪臣となる大原義定の命に従ってもらったと言う現実がある。 命令系統を二つにしないための措置であり、その事は森可成も分かっているので何一つ不満は漏らしていなかった。

 しかし、陪臣の命に従ったと言う事実が変わる訳ではない。 その件に対する筋を通す為にも、義頼は森可成の元を訪問したのであった。  


「森殿、お疲れさまにございました」

「何の。 此処で戦もなく対陣しているより、ずっと良かったわ」

「そうですか。 それはそうと、今宵は森殿や義定達を労う形で、ささやかながら宴を催しまする故ご参加ください」

「おお! それはいい。 確り参加させてもらおう」


 その夜は、一応戦場であるが故に大大的にとはいかないまでも宴を執り行う。 勿論浅井家も招待をし、浅井長政あざいながまさを筆頭に浅井家重臣の何人かも参加しての宴となった。

 また義頼は、海津にて対陣している丹羽長秀にわながひでにも書状と酒と肴を送ったのである。 やがて到着した物を見つめつつ、丹羽家家老の成田道徳なりたみちのりが主へ理由を尋ねた。


「殿。 六角様が送って来た酒と肴、この意味は何でしょうか」

「近江一向衆を攻略した事を祝って、三左衛門(森可成)殿や六角家臣の中務大輔殿を労ってやるらしい。 だが我らは離れている為、宴には参加は出来ん。 そこで、これらを送って来たという訳であろう」

「なるほど」

「それとこちらは酒と肴に関係は無いかもしれんが、六角殿は朝倉義景に対して反撃に出る気の様だな」


 丹羽長秀の言葉に、成田道徳は視線を天井に向けながら少し考える。 すると丹羽長秀も、視線を上に向ける。 しかしそこには、部屋の天井があるだけであった。

 不思議そうにしながら丹羽長秀は、視線を成田道徳に戻す。 丁度その時、彼は口を開いた。


「……となればこの酒の肴は、出陣前の景気づけの意味合いもあるかもしれませぬ」

「なるほど、そうとも取れるか。 ならば、わしも家臣達に用意してやろう」

「それは良い考えかと」


 

 その夜、宴が終わった後で義頼の重臣となる蒲生定秀や本多正信らといった者達。 そして、森可成と彼の家臣達。 それから浅井長政と浅井家重臣達、彼らは襖を取り払って広くした一室に揃って話し合っていた。

 内容は勿論、朝倉勢に対してである。 出陣を前にして、不足した物資等などが無いかの最終確認を行う為であった。


「直ぐにでも出陣したいが、流石にそれは無理がある。 だが、近日中には出陣するつもりだ。 備前守(浅井長政)殿、三左衛門殿。 問題はありますか?」

「どうだ綱親、問題ないか?」


 浅井長政は彼より十才ほど年上の男に尋ねた。

 彼の名は、海北綱親かいほうつなちかと言う。 彼は浅井家重臣であり、先の織田家による朝倉家侵攻時に起きた浅井家内訌の折には浅井長政の側に立った男でもあった。 同時に彼は、浅井家の戦奉行を務めている男である。 そして、同名の今は亡き父親同様に浅井家に仕えてきた者でもあった。


「問題ありません。 我らは、いつでも出陣は可能です」

「という事だ六角殿。 此方としては、何ら問題は無い」

「森殿は?」

「そうだな……通安、何か不足しているか?」


 義頼に尋ねられた森可成は、重臣で義理の父親でもある林通安はやしみちやすに尋ねる。 すると彼は、直ぐに返答した。 彼の言によると、若干であるが兵糧と武具が不足気味であるらしい。 それを聞いた義頼は即座に了承すると、足りない物品の一覧を用意する様にと伝える。 林通安も即座に応じ、後で即座に提出する旨を伝えた。

 その言葉に頷くと、義頼は視線を林通安から駒井秀勝、更には猪飼昇貞へと向ける。 そして二人には、別の命を伝えた。

 

「秀勝と猪飼殿は、万が一我らが敗れた時に備えていて貰いたい」


 義頼の言う万が一とは、朝倉勢に敗れた時に速やかに撤退する為である。 元々水軍衆を使っていなかった理由こそがそれであり、水軍衆にする命を戻しただけであった。 勿論、二人もその事は認識している。 彼らは即座に、応じていた。

 全ての件が終わると、義頼と六角家家臣以外は部屋から退出する。 自らの陣へ戻った彼らは、それぞれが用意を始めるのであった。


近江一向一揆、一応の決着がつきました。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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