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第四十五話~長島の戦況~


第四十五話~長島の戦況~



 饗応きょうおうを受けた三雲家の館を出立した織田信長おだのぶながはと言うと、彼は三雲定持みくもさだもちの嫡子である三雲成持みくもしげもちの案内で無事に鈴鹿峠を越えている。 やがて到着した伊勢国内の関まで案内させたところで、織田信長は三雲成持を甲賀郡へと返していた。

 所詮彼は、鈴鹿峠を越えるまでの水先案内人でしか無い。 また、三雲成持が率いた兵も少数しか居ない状態であるので、この判断も致し方なかった。

 因みに三雲成持を帰したこの関だが、嘗て桓武天皇によって廃止された三関の一つ鈴鹿関すずかのせきが置かれていた場所となる。 その様な経緯からか、のちに廃止されてからも天皇の即位や大喪などがある際には警護を行った場所であった。

 その様な関で三雲成持と別れた織田信長は、そのまま軍勢を率いて東海道を進んでいる。 やがて滝川一益たきがわかずますが入っている桑名城へと到着したのだが、そこで願証寺の存在する長島の地を直に見て攻略の難解さを認識していた。

 歩兵と騎馬が主の兵科である織田勢において、天然の水路を張り巡らしたかの様な長島の地は軍の展開がし辛いのである。 つまり、織田信長が連れている兵達と根本的に相性が悪い。 そしてそれは、滝川一益が連れている兵についても同様の事が言えた。


「むう……これは、義頼をこちらに向かわせた方が良かったか」


 義頼と言うより六角家は、以前より琵琶湖限定だが水軍をようしていた。

 つまり水上での行動には、慣れていると言える。 勿論河口と湖の差はあるので上手くいくかどうかはやってみなければ分からないのだが、少なくとも現在織田信長が率いている兵よりも慣れている事は間違いない。 ならば当然、動かし易いと思えるのだ。

 とは言え、今更である。 現状ある兵でどうにかしなければならず、またどうにかできなければ信興を救う事など出来ないのだ。 そこで織田信長は如何いかなる手を使い弟を助け出そうかと思案していたその時、声を掛ける者がいる。 彼が視線を向けると、そこに居たのは予想通り滝川一益であった。


「殿」

「一益か。 ここは、特に事前準備が必要だな。 今日長島を見て、つくづく思ったわ」

「はい。 拙者もそう思います」


 織田信長の言葉に、滝川一益は追随した。

 実は彼もそう思ったからこそ、主へ現状をありのまま報告したのである。 無理強いして攻めて、味方の兵を散らす必要などないのだ。


「さて、と。 どうしたものかのう」

「いっその事、水軍でも動かしますか?」

「水軍か……」


 伊勢湾を挟んで対岸の知多半島には、織田家旗下の水軍である大野(佐治)水軍が居る。 また、やや離れているが志摩国にもやはり織田家旗下の九鬼氏が率いる九鬼水軍が存在する。 これらの事を考慮すれば、確かに滝川一益が言った通り水軍を動かした方が効率がいい様に思える。 何と言っても水軍を動かせば、水上移動が出来る様になるし水上からも攻勢を掛ける事が可能だからだ。

 すると織田信長は、滝川一益の進言を一考する。 だがやがて、彼は首を振ってその考えを否定した。 始めからその気であったのならばまだしも、いきなり水軍などを動かしては味方と連携が取れないかもしれない。 戦を手伝わせる為に水軍を動かして、それが原因で味方に齟齬そごが出てしまえば本末転倒以外何物でもないのだ。


如何いかがなさいますか? もし動かすのであれば、急ぎ伝令を走らせますが」

「……いや、止めておこう。 始めから水軍を使う気だったのならばやぶさかではないが、今は違う。 それは、次の機会にでも取っておくとしよう。 何より長島の一向宗門徒どもが、此方こちらの水軍が展開するまで待ってくれるとも思えん」

「それは、確かに」

「取りあえず一益、いつでも出陣出来る様にしておけ」

「承知致しました」


 了承の返事をした滝川一益の言葉に頷くと、織田信長は桑名城の一室に入った。

 そこで改めて手立てを考え始めたのだが、それから数刻すうこくと経たないうちに近江国から知らせが届く。 それは大原義定おおはらよしさだからの書状であり、そこには新村城と小川城の攻略が成功した事と下間頼亮しもつまらいりょうを人質とした旨が書かれていた。


「ふん。 義定め、俺の真似をしおったか。 だがこれで、一応だが江南の往来が可能となった。  湖北十ヶ寺とか言った本願寺の寺が未だ邪魔だが、そこは兵数さえあればどうとでもなる。 何より義定も攻めるであろうから、さして問題とはなるまい。 となれば、此処ここで必ず勝ちを拾いにいく事は無くなったな」


 大原義定からの書状を読み終わった後で、織田信長はそう独白した。

 今までは如何いかにして勝ちを収め、弟を救援する手立てだけを考えていたので難しかったのである。 しかし、必ずしも勝ちを収めなければならないのでなければ、大分救援の条件は緩和されるのだ。

 やがて救援の手立てについて考えを纏めた織田信長は、早速行動に移る。 先ず最初の手立てとして、柴田勝家しばたかついえ佐久間信盛さくまのぶもりと滝川一益を呼び出す。 程なくして現れた三名に、地図を見せながら織田信長は指示を出した。


「勝家と信盛、それと一益は出陣して揖斐川沿いの城砦を落とせ。 落とした後は城を一益に託し、勝家と信盛は太田口へ向かうのだ。 太田口到着後は、信盛が街道を確保せよ。 残った勝家はそのまま進軍し、信興の居る小木江城に向かえ」


 太田口とは、桑名と大垣を繋ぐ街道に存在している。 丁度、揖斐川と養老山地に挟まれ非常に狭くなっている個所であった。 その為、大軍を展開するには向かない場所である。 しかし、抑えてしまえば敵から急襲も奇襲もされなくなる場所でもあったのだ。

 それであるがゆえに織田信長は、救援後の退路を確保すると言う意味合いも込め、太田口の確保に軍勢を割いたのである。 命を受けた彼らは、異口同音に了承したのであった。


「それから勝家。 信興と合流した後は、津島まで引け。 砦と大して変わらん小木江城など、放っておいて構わん」

「よ、宜しいのですか?」

「うむ」

「ぎょ、御意」


 柴田勝家が主の言葉を了承すると、今度は佐久間信盛が織田信長の動向について尋ねた。

 すると、桑名城に残り囮となると言う言葉が返ってくる。 織田信長を仏敵扱いにした一向宗に取り、彼の存在は許せるものではない。 そこで彼は、逆にその事を利用する事で敵を引き付ける事にしたのだ。

 有り体に言えば、一向宗に対する餌である。 しかし城に籠り、無理に打って出る様な事をしなければ連れて来ている兵数も相応にあるのでそう簡単に落ちるとは思えない。 ならば、籠城策も決して悪い手ではなかった。

 三人はそんな主の命を了承すると、直ぐに部屋から出て行く。 そして部屋に一人残った織田信長は、どうやって引き付けてやろうかと意地の悪そうな笑みを浮かべていたのであった。



 さて柴田勝家と佐久間信盛、そして滝川一益の三人だが、彼らは日の出と共に桑名城から出陣していた。 そのまま、揖斐川沿いに存在する中江城や屋長島砦といった本願寺勢の城砦に攻撃を仕掛けていく。 彼らは城や砦の包囲などといった時間の掛かる攻めでは無く、火攻めや力押しで城砦を落としていった。

 やがて当初の目的通り、いくつもの城砦を落とし切った彼らは軍勢を分ける事となる。 滝川一益に落とした城砦を任せると、柴田勝家と佐久間信盛は軍勢を率いて出陣した。 程なくして太田口に到着した二人は、此処ここでも軍勢を分けている。 それに伴い佐久間信盛は太田口に残り、織田信長の指示通り此処を押さえる。 そして残った柴田勝家はと言うと、やはり命通りに織田信興おだのぶおきの居る小木江城に向けて出陣するのであった。


「では信盛。 此処の守り、任せるぞ」

「おう、勝家。 大船に乗ったつもりでいるがいい。 そなたも確り働き、彦七郎(織田信興)様を御救いするのだ」

「無論分かっておるわ」

 

 その一方で長島の願証寺に居る一向宗門徒だが、彼らも織田勢の動きをただ黙って見守る筈もない。 落とされてしまった城砦を奪回する為に、兵を派遣した。

 坊官の一人、下間頼成しもつまらいせいが滝川一益が籠る城に向かう。 そして織田信長の居る桑名城には、下間頼旦しもつまらいたんが兵を率いて向かったのであった。

 先ず下間頼成だが、彼は数に物を言わせた平押しで滝川一益の籠る城を攻め立てる。 しかし、基本農民兵が主の一向宗勢の攻めである。 長島城主の伊藤長時いとうながときを攻めた時の様な奇襲による攻撃であればまだしも、きちんと迎撃態勢を整えている相手にはそう簡単に効く筈もなかった。

 籠城している滝川一益は、時には貝の様に城に籠り守備を固める。 そして時には、逆に攻め掛かるして下間頼成率いる一向宗門徒を翻弄する。 この敵勢の動きに思う様な戦果が挙げられない頼成の苛立ちは、よどみの様に積もっていく。 また滝川一益と共にいた伊藤長時も、此処は汚名返上おめいへんじょうとばかりに働いていた。

 この硬軟織り交ぜた滝川一益の戦に、下間頼成は撤退を決断する。 当初の目的は城砦の奪回だったのだが、とても成功するとは思えない。 そこで目的を変更し、違う戦果を示す事で撤退の理由としたのだ。

 その理由とは、落とされた城砦に居た門徒衆の確保である。 柴田勝家も佐久間信盛も、そして滝川一益も城を落とす事を最優先としていたので、逃げ出す一向宗門徒に対しては殆ど攻撃を仕掛けていない。 その為、怪我人けがにんこそそれなりに居たが、相応の者達が生き残っているのだ。

 そのお陰で一向宗門徒は落とされた城から多数落ち延びていたのだが、此処に問題が一つある。 前述した様に彼らは武士ではない、大半は農民である。 つまり誰かの指示で戦う事は出来ても、自発的に戦を行える様な者達ではないのだ。

 城砦から落ち延びた一向宗門徒は集まっていたが、ただそれだけである。 奪われた城砦を奪還するような動きなど見せず、ただ不安げな表情を浮かべながら肩を寄り添っていただけであった。

 そこに現れたのが、下間頼成である。 彼は城砦を奪還する為に連れてきた一向宗門徒に指示を出しつつ、落ち延びた一向宗門徒を収容した。 下間頼成は負け戦を経験した直後である彼らを、即座に使うつもりはない。 その為、後方に集めさせていたのだ。

 しかしてその収容作業も、つい先程完了したとの報告が上がってきている。 ならばこのままではそう簡単に落とせそうにない城にかかずらわる必要はないとして、収容した一向宗門徒達を引き連れて願証寺へと撤収を開始したのであった。

 その一方で桑名城に向かった下間頼旦だが、彼も下間頼成と実情にあまり変わりがない。 織田勢、いや織田信長に振り回され未だ応手門すら破れていないのである。 その為か桑名城の周りには、織田の兵に比べて一向宗門徒の死体の方が圧倒的に多いという状況が広がっていた。


「くっ! 信長を討つ千載一遇の好機だというのに!!」


 下間頼旦は、悔しげに拳を握りしめた。

 その後、気持ちを落ち着ける為か彼は目を瞑る。 このままでは悪戯に一向宗門徒の命を散らすばかりで、目的を達せそうにないからだ。 暫くして漸く気持ちが落ち着くと、そこで下間頼旦は目を開ける。 そして彼は、下間頼成同様に願証寺への撤退を決断したのであった。

 こうして下間頼旦が命を出すと、城を落とすどころか門すら破れない状況に士気が下がり始めていた一向宗門徒は我先にと撤退していく。 そんな一向宗門徒を冷ややかな目で見ていた織田信長であったが、やがて大きく右手を突き上げていた。


「勝ち鬨を上げろ!」

『えいえいおー!!』



 下間頼成が城砦の奪還に失敗し、下間頼旦が桑名城攻略に失敗して撤退を決断した頃、柴田勝家は小木江城に到着していた。

 太田口で佐久間信盛と別れてから対して時間が経っていないにも拘らず到着出来た理由は、織田信長と滝川一益にある。 彼らに一向宗門徒と言う敵兵力が集中した為に、柴田勝家は殆ど邪魔される事無く進軍出来たのだ。

 小木江城に到着すると、早速城主の織田信興の元へ向かう。 柴田勝家と言う援軍が到着した事に気を良くしていた彼は、満面の笑みで迎えたのであった。

 何と言っても、これで反撃できるからである。 力押しなどがされていなかったので何とか城を保っていたのだが、落城は時間の問題だった。 しかし柴田勝家と佐久間信盛と滝川一益が暴れた事で、包囲していた一向宗門徒が消えているが所詮は一時的な物でしかない。 何れは再び押し寄せて来るのは、明白であった。

 そうなれば、今度は力押しで攻めて来ると思われる。 だからその前に逆に攻勢をかけて、攻める気を萎えさせなければならない。 織田家髄一の猛将である柴田勝家が援軍としてきた今こそが、正に攻め時と言えるからだ。 

 だからこそ織田信興は柴田勝家に反撃する力を貸せと伝えたが、他ならぬ柴田勝家によって引き止められてしまう。 思わず激昂げきこうし掛かったが、今後について織田信長から指示が出ていると伝えると織田信興の気持ちもいささか収まる。 すると柴田勝家は、織田信長の指示を織田信興へ伝えたのであった。

 

「殿はこう申されております。 「彦七郎様と拙者が合流した後は、津島まで引け」と」

「そ、それは真か!」

「はっ」


 織田信長は、摂津国に引き続いてこの長島も一時的とはいえ捨てる決断をしたのだ。

 だからこそ始め指示を聞いた柴田勝家も、そして彼を通して告げられた織田信長からの命を聞いた織田信興も驚きを露わにしたのある。 しかも織田信興は、柴田勝家と違って今正に命を告げられたのである。 彼は城主を務めている城を捨てねばならないと言う現実を前にして、悔しさに身を震わした。 


「まさか兄上が、長島を捨てるとおっしゃられるとは」

「一時的であるとは愚考ぐこう致しますが」

「兄上の命とはいえ、一向宗門徒どもに痛撃を与えずして撤退するとは、まっこと悔しいわっ!」

「心中、お察し致します」


 だが忸怩じくじたる思いを胸に抱いているのは、全員同じであった。

 幾ばくか時が経っているとは言え、柴田勝家とて尻に帆を掛けた様に撤退しなければならい事に悔しさを感じているのである。 しかし長島周辺からの撤退は他ならぬ織田信長が決定した事であり、逆らう訳には行かないのだ。 


「……いつか取り返しに来る。 のう、勝家」

「はっ。 あの殿が、そう長くこの長島を放っておくとは思えませぬ。 近いうちに、必ず兵を差し向けましょう。 その時の為、今はこらえて引きましょう」

「分かっておるっ!」


 織田信興は柴田勝家へ噛みつく様に言葉を返すと、織田信長の指示通り撤退する事を決めた。

 その夜の内に、彼らは軍勢と城を脱出して小木江城を捨てる。 そして、織田信長の指示通り津島の近くにある勝幡城に入ったのであった。

 無事に勝幡城に到着すると、織田信興はすかさず織田信長に対して書状を送り現状を報告する。 程なくして届いた書状を見ると、直ぐに行動を起こす。 彼は滝川一益に使いを出すと、返事を待たずその夜の内に桑名城を出ていた。

 その一方で織田信長からの命を受け取った滝川一益は、急遽桑名城に向かって籠っていた城から出陣する。 程なくして、桑名城を出陣していた主と合流することが出来た。


「一益、その方は俺の代わりに桑名城に入れ。 但し、無理はするな。 危なくなったら、桑名城など捨ててよい」

「御意」


 滝川一益に指示を出した織田信長は、そのまま街道を進み太田口に到着する。 そこに駐屯して守っていた佐久間信盛と合流すると、彼に殿しんがりを任せた。

 退き佐久間の異名を持つ佐久間信盛である。 彼に殿しんがりを任せれば、後方を憂う必要はない。 織田信長は後方を一顧いっこだにせず、早々に岐阜城へ向けて撤退を開始したのであった。

 こうして織田信長が桑名城から撤退してから二日後、桑名城に籠っているのが織田信長ではなく滝川一益であると言う情報を願証寺の一向宗勢が漸く手に入れる。 その情報を手にすると、下間頼旦は報告書を悔しさと共に丸める。 そのまま憎々し気に、床へ叩き付けていた。


「ふ、ふざけおって信長めっ!」

「しかし……これは、完全にしてやられました。 まさか、頼旦と頼成の両名から勝ちを拾っておきながら撤収するとは」


 証意しょういは、呆れたとも感心したとも取れる様な何とも言えない言葉を漏らす。 それから彼は、下間頼旦と下間頼成に今後の事を尋ねた。

 先ず柴田勝家と佐久間信盛と滝川一益の三名に落とされた城砦だが、こちらはすぐに取り返すことが出来るので問題はない。 打ち捨てられている状態なのだから、門徒を派遣して押さえるだけで済むからだ。

 次に小木江城だが、こちらも織田勢はいないので門徒を派遣して接収するだけである。 つまり残る問題は、滝川一益の籠る桑名城だけであった。


「残るは、桑名城だけとなります」

「勿論攻めまする! この行き場のない思い、ぶつけてくれるっ!」

「その通り!!」


 問うてきた証意に間髪入れずに答えると、下間頼旦と下間頼成は一向宗門徒たちを引き連れて即座に出陣した。 怒涛の勢いで進軍した二人は、火が出る勢いで桑名城に攻撃を加えていく。 下間頼旦と下間頼成は、数日前の戦と違って味方の被害を全く顧みない怒涛の攻めを行っていった。

 正に数に物を言わせた攻撃であり、これには流石の滝川一益も撤退を決めざるを得なくなる。 彼は攻め疲れた本願寺勢の隙を見計らって桑名城から全軍で打って出ると、そのまま自らの居城へ撤退したのであった。





 伊勢国での戦に一応の決着がついた頃、江北に居る義頼の元に二人の男が訪問してきていた。

 一人は六角水軍を率いる駒井秀勝こまいひでかつであり、そしてもう一人は堅田衆棟梁を務める猪飼昇貞いかいのぶさだである。 二人は義頼の招聘に応じて、この地に現れたのだ。


「さて、二人を呼び出したのは他でもない。 秀勝と猪飼殿に、働いてもらいたいからだ」

「働く? 六角殿、拙者に何をしろと」

「猪飼殿には、義定と森殿と共に湖北十ヶ寺を攻めて貰いたい」

「ほう。 つまり、我ら水軍衆に湖上からも攻めろと」

「そうだ。 南から義定、北から森殿。 そして湖上から、堅田衆と六角水軍。 これだけいれば、湖北十ヶ寺の攻略もより速くなる。 間違いなく、攻め時だ」

「ふむ。 まぁ……良かろう」

「せ、拙者も受けますぞ」


 猪飼昇貞が引きうけると、慌てて駒井秀勝が追随した。


「うむ。 では、宜しく頼む。 その方達の事だが、直ぐに森殿と義定に伝える。 二人は準備が出来次第、湖上からの湖北十ヶ寺攻めに参加してくれ」

「承知」

「御意」


 この後、義頼は鵜飼孫六うかいまごろく森可成もりよしなり宛の書状を、伴資継ばんすけつぐに大原義定宛の書状をそれぞれ持たせて派遣する。 二人は即座に出立すると、それぞれ担当の将の元へと走ったのであった。

 また水軍衆である駒井秀勝と猪飼昇貞だが、彼らも旗下の者達の準備が調うと早々に出撃する。 そして湖北十ヶ寺を攻める為に、琵琶湖を南下したのであった。

ご一読いただき、ありがとうございました。

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