第四十三話~金森御坊の降伏~
第四十三話~金森御坊の降伏~
夜も更けた夜半過ぎ、冴え冴えと照らす月明かりを頼りに明智光秀が軍勢を率いて進んでいる。 彼らは月明かりの照り返しを恐れてか、槍の穂先などにぼろきれなどを巻き付けていた。
これは、敵となる者達に見つからない為である。 そしてその工夫が功を奏したらしく、明智光秀が率いる軍勢は目標としている場所へと到着する事が出来た。
その場所に兵を控えさせると、直ぐに敵の所在を正確にする為に斥候を出す。 それから暫くすると、出した斥候が戻って来た。 そこで明智光秀は、兵を重臣の藤田行政に任せる。 そして、己の目で敵の所在を確認する為に斥候に案内させた。 そこは、明智光秀が率いて来た軍勢を駐屯させた場所から少し離れたところである。 焚火などが幾つか焚かれているので、様子がよく分かる。 彼の目には、焚火に照らされた幾人もの僧兵の姿が映っていた。
彼らは延暦寺の僧兵であり、宇佐山城を落とすべく攻め寄せた者達である。 しかし城代を務める各務元正の指揮の元での抵抗により、当初予定していた早急な攻略に失敗してしまったのだ。 しかも日が暮れてしまったので延暦寺の僧兵らは一旦兵を退き、この地に陣を構えたのである。 明日にでも、改めて仕切り直しをするつもりであった。
そんな延暦寺の僧兵が駐屯している場所を見た明智光秀は、静かに己の兵の元へと戻る。 それから彼ら将兵と共に静かに移動を開始すると、先ほど敵陣を観察した場所にまで移動した。
そこには、相も変わらず煌々と焚火による明かりで辺りを照らしている僧兵の姿が見える。 そんな敵の姿を確認した明智光秀は、己の愛刀を抜き振り上げた。 その途端、刀身が月明かりを反射するが最早関係はない。 彼は腹の底から声を張り上げ、将兵に命を出したのであった。
「突撃ー!」
『おおー』
大将たる明智光秀の声に呼応して、彼の率いる兵達は一斉に鬨の声をあげながら敵へと攻撃を仕掛けた。
まさかの奇襲に完全に不意を突かれた形となった延暦寺の僧兵達は、慄き慌てふためいている。 そんな敵勢に対し、明智光秀と彼の兵達は容赦なく攻撃を仕掛けていった。 初めのうちは混乱した僧兵達も、漸く敵による攻撃だと状況を把握する。 彼らは慌てて対応に移ったが、その反応はてんでばらばらであった。 反撃に転ずる者が居たかと思うと、逆に逃げ出す者も居ると言う有様である。 烏合の衆と大して変わりが無いその動きでは、有効な手を打てる筈もなかった。
そんな僧兵達の混乱渦巻く戦場に、更なる一撃が振り下ろされる。 僧兵達の混乱を見計らったかの様に、宇佐山城の兵が打って出た為であった。
「行けいっ! 昼の鬱憤、今こそ晴らす時ぞ!」
『おおー!!』
宇佐山城から出陣した兵達は、凄まじい勢いで延暦寺の僧兵へ攻勢をかけて行った。
彼らの先頭に立ち率いているのは、武藤兼友である。 彼は宇佐山勢の一番槍として、僧兵へ槍をつける。 そんな先鋒を追う様に、肥田忠政もまた宇佐山城の城兵を引き連れて打って出たのであった。
それでなくても延暦寺の僧兵らは、明智光秀率いる軍勢に夜討ちを掛けられた事で混乱をきたしている。 そんなところに、悪夢と言える宇佐山城からの攻撃である。 これでは僧兵達に残された道など、多くはない。 討たれるまで戦うかそれとも降伏するか、若しくは撤退するかの何れでしかなかった。 そして彼らの殆どが選択したのは、逃げる事である。 僧兵らは必死の形相で、延暦寺へ向けて撤退したのであった。
奇襲によって首尾よく僧兵らを退けた明智光秀はと言うと、追撃は行わずそのまま宇佐山城に入り夜明けを待った。
出来れば追撃して痛撃を与えたいところではあるが、幾ら月明かりがあるとはいえ夜は危険である。 それならば明日を待ってから行動した方が、幾らかましと言う物であった。
やがて翌日となり陽が昇ると、明智光秀は宇佐山城を出て坂本へと向かう。 しかし彼らが到着した坂本の町は、閑散としている。 町民が逃げ出しているのは仕方無いとしても、坂本を抑えていた筈の者達の姿も見えない為であった。
「ふむ。 僧兵が抑えていると報告にはあったが、逃げ出したか?」
「どうやら、その通りの様ですな」
明智光秀の言葉に、斎藤利三が返答した。
彼は今年になってから、明智家に仕官した男である。 それまでは西美濃三人衆の一人、稲葉良通の家臣であった。 しかし彼とはそりが合わなかったらしく、斎藤利三は主君である稲葉良通と幾度か口論を繰り広げている。 ついには稲葉家を出奔すると、実兄である石谷頼辰を頼って彼の仕えている明智家に仕官したのである。 石谷頼辰より紹介された明智光秀は一目で斎藤利三を気に入り、彼を側近としたのであった。
彼の事は兎も角、今は坂本の町の様子である。 確かに前日までは、延暦寺の僧兵が駐屯していた。 しかし夜半過ぎに、彼ら僧兵の元にも宇佐山城に攻め寄せた味方の勝敗が知らされたのである。 織田勢の援軍と思われる助成により味方が敗れた事を知った彼らは、坂本の町より遁走する。 そして彼らの逃げた先も、やはり延暦寺であった。
逃げる事が叶わなかった町民などからの話で漸く現状を把握すると、股肱の臣として明智光秀が放浪していた頃も支え続けた溝尾茂朝が町の鎮定を具申する。 その意見は彼としても同意する物であったので、明智光秀は許可を出す。 主よりの許可を得た溝尾茂朝は、一つ頭を下げると兵を率いて町を抑えに入ったのであった。
程なくして坂本の町を押さえた明智光秀は、町の中にある寺に本陣を置く。 それから彼は、雄琴城に居る和田秀純達に書状を出して、坂本の町を抑えた事を伝達する。 同時にその書面へ、比叡山に圧力を掛ける旨を認めたのであった。
その書状には織田信長からの命じられた際に渡された書状も添えられており、事実上の主から出た命令である。 その様な書状を受け取った和田秀純や高島七頭などの面々は、急ぎ兵を整えるとその翌日には雄琴城を出陣する。 彼らはそのまま、比叡山の麓に布陣して延暦寺に睨みを利かせたのであった。
こうして坂本の町と宇佐山城の将兵、そして雄琴城に居る近江衆と協力して敵へ圧力を掛ける事に成功した明智光秀は、報告も兼ねた書状を織田信長に送っている。 程なくして明智光秀からの書状を受け取ると、急いで京から出陣する。 念の為に毛利秀頼と津川義冬の兄弟を残すと、長島に向かう為に本能寺を出立したのであった。
京を発った織田信長はそのまま長島へと向かわずに別の場所を目指す。 それは、義頼の甥である大原義定が包囲している金森御坊である。 信長は往来をより確実にする為、金森御坊の戦に決着と付ける腹なのだ。
なお、この事は大原義定に伝えていない。 その為、いきなり織田信長が現れた事に驚いていた。
「こ、これは大殿(織田信長)。 お出迎えもままならず、失礼致しました」
「構わぬ。 ところで戦だが、どの様な塩梅となっておるか?」
「御覧の通り金森御坊の四方を刈田し、その上で鹿垣を組み囲んであります」
大原義定が指し示しながら言った通り、金森御坊の四方は近江衆によって刈田されている。 その為、大変に見通しが良い。 そのお陰もあり、密かに金森御坊から人が出る事も逆に金森御坊に入る事も不可能となっていた。
また、そればかりではない。 金森御坊の周囲には、幾重にも鹿垣が配置されている。 そんな戦場を暫く見ていた織田信長であったが、やがて大原義定に声を掛けた。
「ところで義定。 確か御坊には、本願寺の坊官が一人居るのだったな」
「は、はいっ!」
問われた大原義定は、驚きを露わにした。
近江国に来たばかりの織田信長が、まさか金森御坊に居る坊官について把握しているなどとは思ってもいなかったからである。 そんな大原義定に軽く視線を投げ掛けつつも、織田信長は言葉を続けていた。
「では、金森御坊に使者を出せ。 人質を差し出し降伏すれば、門徒の命は助けてやるとな」
「承知致しました」
金森御坊の中では、件の坊官が頭を抱えていた。
その者は、石山本願寺より顕如の命を受けて近江国へときた下間正秀である。 彼が頭を抱えている理由、それは今の状況が当初の目論見より完全に外れているからだ。
まさか、金森御坊に押し込まれて籠城する羽目になるとは夢にも思っていなかった。 それだけでも十分予想外の展開であるのに、あろう事か刈田までされてしまっており、正直に言って兵糧が心もとなかった。
そこに来て、今度は織田信長が自ら軍勢を率いて現れたとの報告がたった今齎されたのである。 それでなくても一方的な負け戦と意図せぬ籠城で士気が落ちている。 そこに現れた敵大将の存在が、士気の低下に拍車をかけてしまった。
このままでは、どうあがいても勝ち目は見えて来ないのは言うまでも無い。 最早一縷の望みを掛けて打って出るか、それとも飢え死する未来しか見えてこなかった。
するとその時、部屋の外から声が掛かる。 打開策を思案している彼としては、余計な邪魔などして欲しくはない。 そこで下間正秀は、その者へ下がる様にと命令する。 しかし返ってきたのは了承などではなく、別の言葉であった。
「織田家よりの使者にございます」
「何!? 織田よりの使者だと?」
「はい。 如何なさいますか?」
まさかの使者の登場に驚きを露わにする下間正秀であったが、彼はは少し考えた後で会う事に決めた。
程なくして織田家からの使者が通された部屋に入った彼は、そこに知っている顔を見る。 それと言うのも、織田家からの軍使は蒲生定秀が務めていたからだ。
最も、蒲生定秀と下間正秀が知り合いと言う訳ではない。 嘗ては義頼の父親である六角定頼の片腕として名をを馳せていた蒲生定秀を、偶々下間正秀が見知っていただけであった。
「お初にお目にかかる。 拙者は、蒲生藤十郎定秀と申す」
「お噂はかねがね。 拙僧は、下間正秀にございます。 して御使者殿、早速ですが赴かれた用向きを窺いたい」
「そうですな。 では」
そう言うと、蒲生定秀は書状を差し出した。
書状を受け取った下間正秀は、そこに目を通していく。 書状に記されていたのは織田家からの降伏勧告、それとその条件である。 記されていた条件は二つあり、一つは人質の差し出し。 そしてもう一つは、金森御坊に籠る一向宗門徒らの武装放棄である。 これら二つの条件を飲み守れば、金森御坊に籠る一向衆門徒の命は助けるという物であった。
その条件に、下間正秀は目を見開く。 正直に言えば、現状では死の未来しか見えて来ない。 しかし提示された条件は、そんな未来から比べれば遥かにましと言えるものであるからだ。 彼は一度瞑目すると、提示された条件をじっと考える。 やがて目を開いた下間正秀は、降伏を受け入れるのであった。
その後、彼は、金森御坊の門を自らの手で押し開くと歩み出す。 そして、一向宗門徒達の先頭に立って織田の陣に向かって行った。
当然だが、金森御坊から出た後には捕えられてしまう。 しかし彼を除く一向宗門徒らは、陣の一角に隔離されるだけである。 その事実を確認した下間正秀は、蒲生定秀と共に織田信長の元へとやって来た。
「下間正秀にございます。 拙僧が人質となります故、門徒達の命をお助け下さい」
「約定は守る、それで良かろう」
「はい」
その後、織田信長は万が一を考えて金森御坊内を調べる。 しかし懸念した様な、刺客等が潜んでいると言う事も無い。 安全が確認されると、金森御坊へと入った。
そこで腰を据えると、大原義定を呼び出して彼に近江国内で蜂起した一向宗門徒へと対応について改めて一任する旨を通達する。 元来そのつもりであるし義頼からも言われていた事であるので、大原義定は即座に了承している。 そんな彼に一つ頷いて後、信長は稲葉貞通にこの地の治安を預けたのであった。
それから二日後、金森御坊より軍勢を率いて出陣した織田信長は東海道を使って鈴鹿峠に向かう。 やがて彼の軍勢が石部城近くまで来ると、平伏して待つ一団が彼らを待っていた。 それは、義頼の留守を守る三雲定持を筆頭とした者達であった。
今更の事だが、東海道は義頼の領地である甲賀郡をほぼ縦断する様に走る街道である。 そこで三雲定持は、甲賀郡に残っている少ない兵数から更に捻出した精鋭で信長を出迎えたのだ。
「久しいな、定持。 出迎え御苦労」
「はっ。 信長公も息災なご様子にて、拙者お喜び申し上げます。 してこの先にある我が館にて、ささやかではありますが饗応致します」
「うむ。 定持、大儀である」
この三雲定持だが、六角家が織田家に降伏した後は織田家直臣となっていた。
だが但馬国攻めの褒美として織田信長が義頼へ甲賀郡を与えた際に、彼は織田家直臣から義頼家臣となっている。 これは彼だけでなく、甲賀郡出身の国人は等しく同じであった。
そんな経緯を持つ三雲定持の先導の元、織田信長と彼の軍勢は三雲氏の館まで進むとそこで饗応を受ける。 それは三雲定持の言った通りささやかではあったが、心が籠った饗応に織田信長は満足気であった。
明けて翌日、三雲定持の二男で嫡子の三雲成持による先導で東海道を進む。 途中で用意された場所で更に一日休んだ後で漸く織田信長は、鈴鹿峠を越えたのであった。
江北に居る義頼の元へ、金森御坊での戦と延暦寺近辺にておきた戦の勝敗についての報告が齎された。
更に彼の領地である甲賀郡での対応についてなどの報告も、齎されている。 それらの報告を受けたのは沼田祐光であり、彼は義頼に知らせる為に主を探していた。
その途中で兵糧奉行を務める水口盛里から義頼の所在を教わった沼田祐光は、彼に礼を言ってからそちらに向かう。 しかしてその場所とは、的場であった。
その場には、義頼と小姓を務める吉田重綱や、馬廻り衆でしかも弓術の弟子でもある藤堂高虎が居る。 その他にもやはり馬廻り衆である瀧一氏や沼田光友、他に布施公保や馬淵宗綱、寺村重友や山内一豊と言った者達も数名存在していた。
中々の面子であるが、集まっている理由が分からない。 不思議に思い主である義頼へと尋ねると、何と弓の指導と鍛錬であると言う。 平時ならばまだしも戦場でと言う思いが、更なる問い掛けとなって口から出ていた。
「今、此処でですか? 殿」
「ああ。 取りあえず、打てる手は打った。 かといって、ずっと緊張しているという訳にもいくまいて」
「……それはそうですが」
「祐光。 油断は禁物だが、気を抜ける時は抜け。 俺は、そう兄上や定秀から教わったよ」
「………………」
終始気を張っていたら、間違いなく人は疲れ果てる。 そうならない為にも、息抜きは間違いなく必要であった。 例えそれが、戦場であったとしてもである。 いや、戦場であるからこそ寧ろ気に掛ける必要があった。
そしてその理屈も分かるからこそ沼田祐光は、返事に窮したのである。 そんな彼を見つつ、義頼は現れた用件を尋ねていた。 そもそも、報告の為に主を探していた沼田祐光である。 しかし場違いと言えば場違いな状況を見た為か、彼は何とはなしに気が抜けてしまったので報告する気がいささか薄れてしまっていた。
義頼の耳に入れておかねばならない情報ではあるのだが、危急の話と言う程の物でもない。 その為か沼田祐光は後でもと言ったのだが、しかし義頼は首を振ると言葉を促した。
「いや、聞こうか祐光。 丁度、一息入れ様と思っていたからな」
「はぁ。 左様にございますか」
「ああ。 という訳で、今日は終わりだ」
『はっ』
義頼は皆を解散させると、沼田祐光から報告を受けた。
その報告だが、反応としては全く別々である。 明智光秀の勝利については、喜色を表す。 しかし織田信長が大原義定の戦に力を貸した事には、若干の戸惑いが見えていた。 しかしそのお陰で金森御坊での戦が早めに終わったのだから、文句を言う様な筋合いのものではない。 寧ろ、感謝するべき事案であった。
「……まさか殿が義定に力を貸すとは、正直夢にも思わなかった」
「大殿(織田信長)におかれましても、邪魔者は早々に取り除いておこうという気持があったかと思われます」
「邪魔者か……まぁ、そのお陰でさっさと方が付いたのだからそれで良しとするか」
義頼の言った通り、驚きよりも喜ぶべき事実であった。
何と言っても問題の解決が早まったのだから、当然である。 そんな主の気持ちを察したのか、沼田祐光は頷いて返事をしてからそのまま報告を続けた。
「それと延暦寺の方ですが、明智様が主体となっておられるようです。 最も、今すぐに決着をつけるという事ではない様ですが」
「だろうな。 織田家の軍勢の主力は、殿が率いているのだ。 現状ではこれ以上、延暦寺の蠢動を何とか押さえるだけで精一杯だろう」
「恐らくは」
「となればだ……こちらとしては、朝倉勢へ仕掛けた策の効果が出て欲しい物だな」
「御意」
膠着状態になっているので、動きが生まれないのだ。 その現状を打破する為にも、義頼も沼田祐光も敵に動いて欲しいと言うのが本音なのである。 しかし彼らの望みが叶うには、今しばらく待つ必要があるのであった。
瀧一氏……史実の中村一氏です。
ご一読いただき、ありがとうございました。




