第四十一話~長島と北近江~
第四十一話~長島と北近江~
天満が森で起きた織田家と石山本願寺との戦で勝利を収めた織田信長は、引き続き前田利家らに石山本願寺に籠る一向宗門徒を牽制させる。 石山本願寺が退いたこの隙を狙い、野田城・福島城へ兵を押し出して一気に勝敗を決するつもりであった。
とは言え、現実問題として攻勢に出るにはいささか無理がある。 何せまだ三好勢が籠っている野田城・福島城の近辺では、水が引いていないからだ。
そこで織田信長は水が引き次第動くつもりであったのだが、彼の目論見はその三日後に齎されたある報告によって御破算となってしまう。 彼の計算を狂わせた報告とは、長島の地のすぐ近くに建てられている小木江城の城主を務める織田信興からの急使であった。
「伊勢の長島城が落ちただと!?」
「はっ! 願証寺の一向衆門徒どもが攻め寄せた為、長島城主である伊藤殿は城を護れぬと判断して脱出。 その後は辛くも、彦七郎(織田信興)様のおられる小木江城に身を寄せたそうにございます」
伊勢国桑名郡長島にある願証寺、この寺は長島における一向衆の中心と言っていい寺である。 その願証寺には住職である証意は無論の事、他にも顕如によって石山本願寺から同地に派遣された下間頼成や下間頼旦が滞在していたのだ。
その様な一大拠点となっている願証寺へ、顕如からの檄文が届いたのである。 すると、証意や下間頼成や下間頼旦は一向衆門徒や長島の土豪らの一部を招集したのである。 やがてその招きに答えて、願証寺に一向宗門徒や国人達など集まって来る。 その数は凡そ、数万とも十万とも号するほどであった。
予想を上回る数の兵が集まると、下間頼成と下間頼旦は一向宗門徒衆達を率いて願証寺より出陣する。 彼らが向かった先は、近隣の長島城である。 二人は集まった兵の数に物を言わせて、一気に長島城へ攻め寄せたのであった。
どんなに少なく見積もっても数万という敵の兵数に長島城主の伊藤長時は、ほうほうの体で城より脱出する。 彼が落ち延びた先は、織田信興が城主を務める小木江城と言う訳であった。
「如何致した、長時」
「一向衆門徒どもが数万の兵と共に、長島城に攻め寄せました」
「何っ!? 数万だと!」
「はっ! ざっと見ですが、それぐらいは居たかと。 いえ、もしかしたらそれ以上かも知れません!!」
その数を聞き、織田信興は驚愕した。
もし一向宗門徒が小木江城に攻め寄せれば、遠からず落城するのが目に見えるからである。 何せ小木江城は、城とは名ばかりの砦ぐらいの規模しか持たないからだ。
元々この城は、願証寺に拠る一向門徒の為に築かれたのではない。 嘗て津島に勢力を持ち織田家に反抗していた服部友貞に対する攻略の一環として、この地に建築されたのだ。
その後、服部友貞は伊勢国攻略の最中に討たれてしまう。 すると小木江城は、その役目を服部友貞に対する物から願証寺の一向衆門徒に対する監視へと変更されたのだ。 とは言えその頃は、まだ織田家と一向宗は対立していた訳ではない。 その為、城の拡張などのあからさまな手段は行っていなかった。
そんな小木江城であるから、数万ともそれ以上とも号する軍勢に対抗しようなど出来る筈もない。 そこで織田信興は、兄である織田信長へ救援を求める事にした。
丁度目の前に、伊藤長時と言う恰好の存在が居る。 織田信長へ此度の事情を説明するのに、彼以上の人材はそうはいなかった。 何せ彼は、実際に一向宗門徒に攻め込まれて敗れたばかりなのである。 言わば敵の存在を肌で感じた人物であり、これ以上うって付けの人材は考え付けなかった。
「長時。 その方が使者となり、摂津に向かえ。 兄上に援軍を請うのだ」
「……ぎ、御意……」
織田信興の命は彼に取り、死刑宣告の様に感じられた。
城を敵に取られた城主が、主たる織田信長へ城を取り返す要請を行えと言うのだからその気持ちも分からないではない。 しかし命は命であり、その事が断る理由にはなり得なかった。
伊藤長時は酷く落ち込みながらも、律儀にも命を果たす為に小木江城を出立する。 しかし彼は、途中で幾度となくこのまま逐電するべきではとの思いにかられてしまう。 だがその度に、己へ言い聞かせつつ彼はどうにか摂津国の中嶋城へ到達したのであった。
その中嶋城では、次に打つ手は如何なる物がいいかと色々と検討していた織田信長であったが、伊藤長時が現れたと聞かされ訝しげな顔をした。 しかも彼は、弟の書状も携えていると言う。 仮にも城主である伊藤長時が、幾ら織田家一門衆とは言え織田信興の書状を持って訪問してくる理由が全く思いつかなかった。
とは言え、来ているのだから話だけは聞くかと連れて来る様にと伝える。 すると程なく、祝重正に先導されて伊藤長時が現れた。 彼は平伏し震えながらも、織田信興から預かった書状を差し出す。 祝重正より渡された書状に目を通した織田信長は、みるみる機嫌が悪くなっていく。 それでも最後まで目を通したが、彼の我慢もそこが限界である。 用が無くなった途端、織田信長は書状を破り捨てていた。
平伏しながら書状が破かれて行く音を聞いた伊藤長時であったが、彼は生きた心地がしない。 その動向から、織田信長が怒りを覚えている事は容易に想像ができる。 いつ怒りの矛先が、己に向かってくるか分からないのだから当然と言えた。
だが伊藤長時の心配は、杞憂である。 正直に言えば、今の織田信長にとって目の前で平伏している男の存在や長島城が落ちた事など些末でしかない。 寧ろ彼の怒りは、願証寺に居る証意や長島城を落とした下間頼成と下間頼旦、更に言えば彼らの後ろに居るであろう顕如へと向けられていたのだ。
「くそっ! これからという時に!」
「そ、それで殿。 ご返事の方は」
恐れからか声を震わせながらも長時は、か細い声で返事を尋ねた。
怒りが向けられる事に戦々恐々だが、使者である以上は返答を聞かない訳にはいかない。 出来うるならば聞きたくはないが、そう言う訳にもいかないのだ。
そして問われた織田信長はと言うと、冷たい視線を彼へと向けている。 最もこれは、伊藤長時に怒っている訳ではない。 一向宗が仕掛けた策に対して、怒りを覚えているだけであった。 その様な怒りを抱えたまま、織田信長は返答する。 その声は酷く冷たく、伊藤長時はこの時内心で命が無くなるかと思ったぐらいであった。
「ふんっ! 取りあえず一益でも向かわせるから安心せい。 それで長時、汝が使者となれ。 その後は、一益と共に長島に向かえ。 良いな」
「ぎょ、御意」
その後、信長は右筆の楠木正虎に命じて書状を認めさせる。 その書状を持って伊藤長時は、滝川一益の元へ向かった。
織田信長からの使者が現れたと聞き滝川一益は、急ぎ面会する。 しかしその使者を見て、彼もまた訝しげな顔になった。 それも、当たり前である。 使者を務める伊藤長時は長島城主であり、この場に居る筈がない人物だからだ。
しかし現実には、この場に居る。 しかも、織田信長からの使者としてだ。 此のあり得ない状況に眉を顰めつつも、滝川一益は命の内容を聞く。 すると彼は、またしても訝しげな顔をしたのであった。
前述した様に織田信長は、滝川一益に長島へ向かえと言っているからである。 しかも、使者である伊藤長時と共にだ。 どうにも要領を得ない命に、滝川一益は伊東長時へ尋ねる。 使者となった以上、彼ならば詳しい情報を持っているだろうと考えての事であった。
その考えは的中し、伊藤長時は少し逡巡した後で己に降りかかった事態と事情を説明する。 この説明で漸く状況を把握した滝川一益は、急いで兵を取り纏めたのである。 同時に彼は、織田信長からの命もあり、伊藤長時へ兵を五百程預けたのであった。
やがて兵が揃うと二人は、摂津国から離れる。 京のある山城国を経由して近江国へ入ると、瀬田から信楽方面へ向かったのである。 それと言うのも金森御坊や小川城などにまだ一向宗門徒が居るので、東海道が使えない為であった。
そこで義頼の領地である甲賀郡を抜ける事で、滝川一益率いる軍勢は伊勢国へと向かったのである。 本来であれば領主である義頼の許可が必要となるので、既に織田信長から北近江の義頼へ軍使が向けられていた。 これは事実上の命であり、義頼に断ると言う選択肢はない。 それが分かっているからこそ、彼は全て了承したのであった。
こうして難なく近江国を抜けた滝川一益の軍勢は、伊勢国へと到達する。 それから程なくして彼の軍勢は、桑名城へと到着する。 しかし彼らの順調な行軍も、そこまでであった。
さてこの長島と言う地であるが、河口に出来た三角州を形成している。 しかも木曽川と長良川と揖斐川が流れ込んでいる為か、かなり広い。 その上、長島の各所に本願寺勢の拠点として砦や寺が点在している関係上、敵となる軍勢はそう易々と進む事ができない。 その事実が、滝川一益らの進撃を困難にしていたのだ。
しかしこのまま放っておけば、長島城を落とした願証寺の本願寺勢が織田信興の居城である小木江城を攻めるのは火を見るより明らかである。 先に述べた通り小木江城は砦とほぼ変わらない防御力しか持たない城であり、長島城を落とした門徒達に攻め寄せられればそう時を掛けずして落城の憂き目にあうのは想像に難くないのだ。
故に滝川一益は、先ず長島の現状を織田信長へ伝えたのだった。
伊勢国の桑名城に入った一益からの書状を受け取った織田信長は、一読すると側近の矢部家定に近江国の戦況を尋ねる。 すると彼は、淀みなく質問に答えた。
まず北近江であるが、此方は義頼と丹羽長秀が浅井長政と共に朝倉義景率いる朝倉勢を抑えきっている為に取り分けて問題は起きていなかった。
また南近江でも一向一揆が発生しているが、こちらも別動隊を率いる大原義定によって痛撃を与えられてしまった事で低調になっていると言う。 その報を聞いた織田信長は、即座に長島へ向かう決断をした。
どの道、滝川一益が桑名城へ抜けたのだから同じ道を辿れば到達できる筈である。 それにこの道ならば、途中で彼の軍勢も吸収出来るのだ。
何より織田信長の目的は、織田信興の救援である。 可能ならば長島の一向宗門徒を排除したいが、それが出来なくても今回に限って言えば問題は無いのだ。
「……家定。 秀吉と直政、惟政と秀隆を呼べ」
「はっ」
織田信長は身じろぎ一つせず待っていた家定に、木下秀吉と塙直政と和田惟政と河尻秀隆を呼ぶように命じる。 程なくして四人が揃うと、彼らに新たな命を伝えた。
その命とは、敵の足止めである。 己が軍勢を率いて長島に向かう以上、石山本願寺の一向宗門徒と三好勢をこの地へ釘付けとする必要がある。 その役目を、召し出した四人へ与える為であった。
今まで本陣としていた中嶋城に木下秀吉と塙直政を配置して守らせ、天満が森には和田惟政と河尻秀隆を派遣して守らせる。 また織田信長は、三好義継と松永久秀と彼の息子である松永久通を呼び出す。 やがて三人が現れると、彼らに遊撃部隊としての命を与えた。
こうして三好勢や石山本願寺の一向宗からの追撃があっても対応出来るであろう体勢を整えると、織田信長は足利義昭と共に中嶋城を出て一度京へと戻るのであった。
当然この行動を見逃す筈もなく、顕如は直ぐに兵を繰り出している。 しかし、天満が森に陣取った和田惟政と河尻秀隆が獅子奮迅の働きで一向宗門徒を喰い止める。 その隙に三好義継と松永親子の軍勢が本願寺勢に奇襲を仕掛け、その直後遅ればせながら参上した木下秀吉と塙直政に追撃された一向宗門徒は散々に蹴散らされたのである。
因みに野田城・福島城に居る三好勢は動いていない。 皮肉にも、織田信長が海老江より退去する原因となった水が今度は織田家を助けたのであった。
その頃、北近江で朝倉勢と対峙している義頼にも、長島での動きは報告された。
すると義頼は、沼田祐光にどの様な影響が出るかを尋ねている。 それでなくても織田家は、摂津国と近江国に戦線を抱えている。 そこに長島と言う新たな戦線が加わるのだから、全体的にどのような影響が出るかを把握しておく必要があったからだ。
主から問われた沼田祐光は、少し考えてから義頼へ返答する。 彼の考えでは、このままでは何れ破綻するので織田信長は戦線を縮小するだろうとの事であった。 となると、何処の戦線が縮小するのかが気になってしまう。 義頼に取り最悪は、近江国の戦線が縮小される事であった。
しかし沼田祐光は、それはあり得ないと言い切る。 今の織田家に取り近江国は、各戦線を繋ぐ重要な位置にあるだけでなく岐阜と京を結ぶ重要な位置付けにある。 であるからこそ、近江国の戦線を縮小、若しくは諦めるような事態は考えられなかった。
「では、どこが縮小されると言うのだ?」
「長島には滝川殿を派遣していますので、諦めるとは思えません。 となれば残るは、摂津であると愚考します」
「……そうか……となるとだ、祐光。 此処は動きを見せた方がいい様に思えるがどうだ?」
「確かに。 座したまま何もしないというのは、いささか不味いかも知れません」
「ならば、何か策はあるか?」
義頼に尋ねられた沼田祐光は、少し考える素振りをした後で二つ策を仕掛けると提示した。
彼いわく、先ず朝倉家当主の朝倉義景と、朝倉一族である朝倉景鏡に対する策である。 その理由は、沼田祐光にもそして義頼にも、両者の間があまりいい関係ではないと言う情報は届いているからである。 その点から考えても、妥当なものであった。
更に沼田祐光は、朝倉景鏡だけでなく彼の与力となっている富田長繁にも離間の計を仕掛けると言う。 しかしその名が出ると、義頼は眉を顰めた。
その理由は、富田の姓に聞き覚えがあったからである。 確かにどこかで聞いたような気がしたので、彼は沼田祐光に問い掛ける。 すると彼の口から、富田長繁は出雲源氏の流れを汲んでいる聞かされた。 そこで漸く義頼は、富田氏の出自を思い出したのである。
出雲源氏の祖である佐々木義清の子に、隠岐泰清と言う者が居る。 その彼の子の一人が出雲国内の富田庄を父親から分与された際、冨田氏を名乗ったのだ。
その後、冨田氏は京極家が出雲の守護となると京極家に仕える様になる。 その冨田氏も、尼子経久が尼子家の当主を務めていた頃には既に出雲から近江国に逃れている。 つまり富田長繁は、その近江国へ逃れた冨田氏の流れを汲んでいたのだ。
「なるほど出雲源氏か……動くかどうかは分からんが、やってみて損がある話では無いな」
「はっ。 それと、後一つですが」
「ちょ、ちょっと待て」
策は既に二つ聞いている。 それであるにも拘らず更に策を言おうとする沼田祐光に義頼は、慌てて彼を止めていた。 いきなり止められた事に、不思議そうな顔をする。 そんな彼へ義頼は既に二つの策を聞いた事を指摘すると、彼は少し考えてから両手を打った。
と言うのも沼田祐光にとって朝倉家に対して仕掛けた策である離間の計は、一つとして勘定していたのである。 朝倉家に仕掛ける策全てを一つ、それからもう一つ別口に対して策を仕掛ける事を考えていたのだ。
その沼田祐光が仕掛けるつもりのもう一つの策、それは一向宗に対してである。 近江国には、湖北十ヶ寺と呼ばれる一向宗系の寺がある。 彼らもまた、此度の顕如の檄文に応じて蜂起していた。 しかしあくまで兵を整え、各寺に籠っているだけである。 金森御坊の様に、兵を押し出している訳ではなかったのだ。
その十ヶ寺に対して、沼田祐光は策を仕掛けると言う。 と言ってもそれは、ただ兵を向けるだけである。 だが兵を向ければ、それは南近江で一向一揆に相対している大原義定への側面支援に成り得る。 そればかりか、近江国内の平定に対する一助とも成り得るのだ。
どの道、今は朝倉勢と対峙しているだけである。 少しでも近江国内の安定が早まるのだから、やらないより遥かにましであった。
となれば、誰を向かわせるかと言う事になる。 その際に沼田祐光が推挙したのは、森可成であった。 その言葉に頷くと義頼は、森可成を呼び出す。 程なくして現れた彼に対し、兵を率いて湖北十ヶ寺の平定に向かってもらいたい旨を告げた。
すると少し間を開けてから彼は、朝倉勢の事について尋ねる。 その問いには、沼田祐光が答えていた。
「そちらは殿と浅井殿、それから丹羽様で当たります。 その隙に森様には、大原様と共に江南を平定していただきたいのです」
大原義定が江南の一向一揆に対処している事は、義頼から聞き森可成も把握している。 故に、沼田祐光の言葉は納得できる物であった。
「いいだろう。 湖北十ヶ寺攻め、確かに承った。 六角殿、朝倉勢は頼みますぞ」
「承知」
義頼からの要請を了承した森可成は、その日のうちに軍勢を整える。 翌日の朝、彼は北国街道を南下して湖北十ヶ寺を抑えるべく、進軍を開始したのであった。
今回は薄くないぞ主人公。(多分)
ご一読いただきありがとうございました。




