第四十話~南近江と摂津の情勢~
第四十話~南近江の情勢~
金森御坊を出陣した川那辺秀政は、同じ様に三宅城(蓮生寺)から出陣した一向宗門徒と合流した。
その後、川那辺秀政は合流した三宅城の一向宗門徒と共に大原義定が率いる軍勢が本陣を置く勝部神社近くまで辿り着く。 そこで彼ら一向宗門徒が見た物は、煌々と篝火こそたかれているが別段慌てた様子の無い大原義定の陣であった。
思いもよらず簡単に敵陣へと接近できた事に、これも阿弥陀如来の思し召しと内心で喜んでいる。 そしてそれは、彼が率いている一向宗門徒も同じであったらしく彼らの表情にも険しい物などなかった。
そんな味方の様子を見た川那部秀政は、小さく笑みを浮かべる。 それから、直ぐに一向宗門徒へ敵本陣への総攻撃を命じた。 その命に従い、大原義定が敷いた陣目掛けて攻撃を開始する。 しかし彼等の動きは、陣に踏み込んだ途端すぐに止まる。 いや、止まったというよりは戸惑っていると言っていい。 そんな門徒達の様子に、攻撃を命じた川那部秀政はあらぬ事態が起きたのかと声を掛けた。
程なく彼らから、戸惑いを含んだ声が返ってくる。 そしてそれは、川那部秀政にとって予想外の返答であった。 何と、敵本陣に人が一人もいないと言うのである。 その答えに川那部秀政は訝しげな表情を浮かべながらも己の目で確かめる為に、敵本陣へと近づいた。
すると確かに、人っ子一人おらずもぬけの殻である。 成らばこちらに気付いて慌てて退いたのかとも考えたが、それにしては陣の様子に慌てた感じがない。 床几がひっくり返っているとか、武器防具が散乱していると言った事も無く、ただひっそりとしているだけであった。
そこまで行くと、不思議と言うより不審だと思えて来る。 その様な敵本陣の有様を見ながら、川那部秀政は考えを巡らした。 やがて脳裏に、ある考えが描き出されていく。 彼の思いついた事、それは敵の策にはまった可能性である。 そして一度思い付いてしまうと、その考えは推察から確信へと変わっていた。
「引けっ! これは敵の策だ!!」
「策……ですか?」
「そうだ! 我らは罠にはまったのだ!」
するとまるで川那部秀政の言葉が合図であったかの様に勝部神社の周りから一斉に鬨の声が上がったのである。 その声は周囲よりひっきりなしに上がり、一向宗門徒の誰もが自分達は敵に包囲されたのだと実感した。
その考えを肯定するかの様に、大原義定に命じられた近江衆が鬨の声をあげながら一斉に一向宗門徒目がけて襲い掛かっていく。 そんな彼らの先鋒を務めるのは、小倉実房であった。
彼は嘗て小倉東家当主として、小倉宗家を支えていた人物である。 しかしその小倉宗家が、後に【小倉の乱】と呼ばれる様になる内訌後、後継の者が幼かった事もあり実質蒲生家の家臣となってしまった。 だが小倉東家は、宗家と行動は共にせず六角家の家臣としての立場を貫いていたのである。 そして六角家降伏後は、近江衆として織田家直臣となっていた。
その小倉実房が、先鋒として一向宗門徒を分断するかの様に攻撃を仕掛けて行く。 完全な奇襲と言う事もあり、果たして一向衆は彼の手によって分断されてしまう。 その直後、その傷を広げるかの様に藤堂高則が追撃を仕掛けたのであった。
小倉実房によって軍勢を分断され混乱したところへ、藤堂高則の追撃である。 元々農民が主力の一向宗門徒であった為か、彼らの士気はあっという間に崩壊してしまう。 そうなれば、最早烏合の衆と何ら変わりがない。 一向宗門徒は我先にと、金森御坊を目指して逃げ出し始めたのであった。
そんな味方の者達に発生した動揺を、川那部秀政は何とか抑えようと声を張り上げる。 しかし潰走を始めた者達を押し留める事など出来る筈もなく、戦場には空しく彼の声が流れていく。 そしてその事が、川那部秀政に不幸を呼び寄せる事となった。
声を張り上げた事で、己の居所を敵である近江衆に知らしめてしまったのである。 更に不幸な事に、川那部秀政の声を聞いたのがよりにもよって先鋒を務めた小倉実房だったのだ。
「その方、川那辺秀政だな」
「誰だ!」
「先鋒大将、小倉実房。 せめてもの礼儀として、拙者自ら貴公を討とうと推参した」
槍を構えながら口上を宣言する小倉実房、すると川那部秀政もまた手にしていた槍を構えていた。
僅かの間見合った二人であったが、その時両者の間に風が一筋流れる。 その風が吹き抜けると同時に、小倉実房と川那部秀政の二人は槍を繰り出していた。 次の瞬間、 両者の槍が空中でかち合い激しく火花が散る。 それから二人は、互いの槍がぶつかり合った事で生まれた反発力を利用して槍を引いていた。
しかしながら、小倉実房の槍はそこで止まらない。 彼は槍を引くと、勢いを殺さずにまるで円を描く様に得物を振るったのである。 とっさに川那部秀政は槍で受け止めようとしたが、遠心力すら利用した小倉実房の槍をそう簡単に止める事など出来はしない。 彼は、数歩後方へたたらを踏んでいた。
川那部秀政は慌てて体勢を立て直すと、再び槍を構える。 それから一呼吸置いた後、今度は己の番だとばかりに槍を繰り出した。 しかし小倉実房は、自らの槍を使い川那部秀政の攻撃が描く軌道を受け流す様に逸らしてみせる。 すかさず彼は槍を手元に戻し、態勢が流れるの防いでみせた……かと思うと、再度槍で突く。 しかし小倉実房は冷静に、後ろに跳ぶ事でその突きを避けてみせた。
それを見た川那部秀政は、一歩踏み込むと同時に槍を大きく振りかぶる。 すかさず槍を振り下ろしたが、小倉実房は槍を頭上で横に構える事でその槍を受け止めて見せた。 すると、小倉実房と川那部秀政の二人はその体勢で固まり力比べとなる。 だが小倉実房は、何時までもその様な態勢ではいなかった。
彼は手にしている槍を斜めにし、川那部秀政の槍を滑らせて見せる。 すると、自らの槍に引きづられる様に体勢を崩してしまった。 なまじ力比べとなっていた事が、災いしたと言える。 そして小倉実房は、そんな好機を見逃すほど甘くは無い。 彼は自らを軸とし、大きく円を描く様に槍を振りまわす。 体勢の崩れている川那部秀政に、その振り回された槍を防ぐ手立ては無かった。
強かに打ち付けられた痛みの為に漏れた声と共に、彼はさらに体勢を崩してしまう。 完全に死に体となった川那部秀政に向かい、小倉実房は槍の石突きによる突きを喰らわした。 その一撃は、綺麗に相手の胸を捕らえる。 体を襲った更なる痛みと衝撃により呼吸が出来なくなった川那部秀政は、思わず槍を取り落としてしまった。
正に千載一遇ともいえる好機を捕らえた小倉実房は、狙いすましたかの様な一撃を放つ。 次の瞬間、彼の槍の穂先は見事に川那部秀政の首を貫いていた。
己に突き立てられた槍を視界に収めつつゆっくりと崩れていく川那部秀政に対しつつ、小倉実房は不意打ちを討たれない様に周囲を確認しながら近づいていく。 やがて倒れ伏した川那部秀政の首に抜いた刀を添えると、彼は首を取っていた。
「小倉右京亮実房! 敵大将、川那辺秀政が首討ち取ったり!!」
朗々と戦場に響く、小倉実房の声。 そしてそれは、この戦の終結を告げる物でもあった。
先鋒を務める小倉実房から敵大将の首を挙げたとの報が齎されると、大原義定は青地茂綱に一向宗門徒の追撃を命じていた。 命を受けた彼は、預けられた兵を率いて追撃に入る。 その後、自らは一度本陣に戻ると現時点において分かっている戦の詳細についての報告を受けていた。
明けて翌日、追撃を命じた青地茂綱が金森御坊に布陣したとの報告が届く。 その報を受けて大原義定は、兵を率いての進軍を再開する。 そのまま、追撃した青地茂綱と合流を果たすと、金森御坊を取り囲んだ。
同時に大原義定は、蒲生定秀より進言された三宅城の抑えを実行する。 藤堂高則を呼び出すと、彼にその任を与えたのであった。
「中務大輔(大原義定)様。 人が居ないのであるならば、放っておいても宜しいのではありませぬか?」
「そういう訳にもいかん。 金森御坊に、近江国内全ての一向宗門徒が全員揃っている訳ではない。 まず無いと思うが、再び一向一揆の拠点とされてはいささか面倒になる」
「なるほど、そう言う事でしたか。 承知致しました」
了承した藤堂高則は、直ぐに兵を率いて三宅城へと向かったのであった。
さて彼が向かった三宅城だが、そこには川那部秀政と同じく顕如が派遣した下間正秀が入っていたのである。 しかし彼は、川那部秀政が討ち取られたのを知ると三宅城を捨てて城に残っていた少ない一向宗門徒と共に金森御坊へと移動していた。 その為、三宅城には人が居ない。 居たとしてもそれは怪我人か子供、若しくは女性だろうと想像された。
そしていざ到着してみれば、人影など全くない。 はっきり言ってもぬけの殻であり、何となく寒々しい雰囲気が辺りを包んでいた。 ましてや歴史ある寺と言う事もあり、その雰囲気に拍車をかけている。 その様は、正に廃墟と言って良かった。
「さてこれから寺……いや城を抑える。 だが、略奪は許さん。 もし行ったら、命は無い物と思え!」
『はっ』
藤堂高則は率いていた兵に念押しをすると、粛々と三宅城を抑えに入る。 大将の脅しとも取れる言葉が聞いたのか、兵による略奪らしい略奪が行われる事無く接収は無事に完了する。 その後、藤堂高則は大原義定へ三宅城の接収が完了したことを報告したのであった。
その一方で三宅城を抑えたとの知らせを受けた大原義定は、藤堂高則に対して三宅城を抑えるのに必要な兵を残して此方に合流する様に伝えている。 同時に蒲生定秀らを集めると、今後の対応について話し合っていた。
「拠点が一つになった事で攻め易くはなったと言えるが、敵の兵数は侮れるほど少なくは無い」
「その様ですな。 その上、土塁や濠を巡らしている。 これでは、城と変わらないでしょう」
稲葉貞通が言った通り、金森御坊は寺とは名ばかりの最早城と言っていい。 当然ながらそこには一向宗門徒が籠っており、とてもすぐに落とせる雰囲気ではなかった。
「となれば、此処はじっくり攻めるべきです」
「何か策でもあるますかなか? 彦六(稲葉貞通)殿」
「刈田を致しましょう」
「それは……金森御坊を兵糧攻めにするつもりか?」
「ええ。 それに此方にとっても、兵糧の補給ともなりましょう」
「それもそうか。 分かった、刈田を行う」
大原義定は稲葉貞通へ金森御坊に本願寺勢の牽制を頼むと、兵を率いて周辺の田を刈っていく。 その一方で金森御坊の四方に鹿垣を設置して、金森御坊から人の出入りが出来ない様にしたのであった。
摂津国、中嶋城。
この城には今、篠原長房が行った水攻めによって海老江を捨てざるを得なかった織田信長が入っている。 その城内で、彼は近辺の地図を見ていた。
「ふむ……俺が本願寺なら、やはりここだろうな」
殆ど無意識に呟きながら織田信長が扇子で指し示した場所は、蜂屋頼隆と平井九右衛門が配置されている天満が森であった。
程なくして考えが固まると、佐々成政や前田利家と言った者達を密かに援軍として天満が森へと派遣する。 果たしてそれは、無駄に成らなかった。
それから二日後、織田信長が予測した通り石山本願寺から兵が出陣したのである。 本願寺勢を率いるのは、下間頼康と下間頼宗の二人であった。 夜の内に本願寺を出た彼らは、 払暁とともに天満が森近くにある淀川堤に陣取る織田勢に攻撃を仕掛ける……つもりであった。
しかしその近辺には、既に織田信長が派遣した援軍が到着している。 特に佐々成政は「川口砦での雪辱を果たす!」と意気込んでおり、彼はいつも以上に警戒を密にしていたのである。 その甲斐もあり、石山本願寺の兵が出陣した事が家臣の小坂雄吉により齎されたのであった。
「殿! 本願寺の兵が此方を目指しているとの知らせが!」
「真か!! 雄吉」
「はっ」
「よしっ! 本願寺勢を迎え撃つ!!」
「御意!」
佐々成政は、先頭切って布陣していた淀川堤より出陣する。 すると、他の織田家臣も兵を整えると彼の後を追った。 一足早く石山本願寺より出陣した者達と接した佐々成政はと言うと、その勢いのままに本願寺勢へ突撃を敢行したのである。
奇襲を掛けるつもりが逆に奇襲を仕掛けられ、本願寺勢は浮足立つ。 するとその隙をつく様に、遅ればせながら戦場に付いた前田利家達が攻撃を仕掛けたのであった。
「ここは利家達に任せ、突き進むぞ」
『おー!』
味方の声に頼もしげに頷くと、視線を前に戻す。 その途端、佐々成政の視界に何かが飛び込んでくる。 それは、本願寺勢の放った一筋の矢であった。
その矢は、吸い込まれる様に腕に突き刺さる。 いきなりの事だったので、如何に佐々成政と言えども対応しきれなかったのだ。 そんな彼へ声を掛けたのは、佐々一族の佐々平左衛門である。 彼は急いで、膝をついている佐々成政に近づくと心配げに見やる。 すると、安心させるかの様に笑みを浮かべていた。
「だ、大事ない平左衛門」
「何を言われます、直ぐに手当てを」
「こんなもの、かすり傷だ」
「なりませぬ! おい!!」
「はっ」
佐々平左衛門は周りの者に声を掛けると、強制的に佐々成政を引かせる。 同時に後続の前田利家達に、現状を知らせたのだ。
「成政が怪我をして引いただと?」
「はっ」
「ならば、すぐに前に出る」
前田利家は、成り行き上先鋒となっていた佐々成政が引いた事で抜けた穴を埋めるべく前に出る。 そんな彼を追うかの様に右手には、弓衆を率いた中野又兵衛が付き従う。 そして前田利家の左手には、毛利秀頼や兼松又四郎が兵と共に突き進んだ。
佐々成政に手傷を与えた事で少々浮かれていた石山本願寺勢であったが、彼等にとってこの反撃は想定外である。 その実を示すかの様に、この逆撃に当たってまたもや浮足立ってしまう。 そのせいと言う訳ではないのだが、毛利秀頼と兼松又四郎の手によって本願寺勢の将である長末新七郎なる者が討ち取られてしまった。
だがここで、一寸した問題が起きる。 それは、毛利秀頼と兼松又四郎がほぼ同時に切りつけて新七郎を討ち取ったからである。 つまりどちらが致命傷を与えたのか、判別できないのだ。
元々協力して敵に当たっていたと言う事もあり、ここで非常に珍しい事だが首の譲り合いが始まってしまったのである。 二人は戦のさ中であるにも拘らず、相手に首を持っていく権利があると言い募っていった。
と言うのも、己の手柄とするのは自らの手で討ったと言う確信を彼らが欲っしたからである。 有り体に言えば毛利秀頼と兼松又四郎の二人は、誰が討ったか分からない手柄などいらないとすら考えていたのだ。
もし自分ではなく相手が手柄を立てたにも拘らず己の手柄にするなど、彼らの矜持と誇りが許さない。 例えそれが、知らなかったとしてもだ。 だからこそ、お互いが手柄を譲り合うという奇妙な状況が生まれてしまったと言える。 最終的に二人は、首をお互いに譲り合った挙句そのまま首を打ち捨てている。 その後は新たな手柄を求めて、敵兵に突き進んでいったと言う。
何であれこの戦は双方に被害を齎しているが、戦の結果だけを見れば石山本願寺勢の方が被害は大きい。 その事を鑑みた攻め手の大将である下間頼康は、被害が致命的となる前に兵を引く決断をする。 下間頼宗を殿に、石山本願寺へと撤退したのであった。
その頃、江北に向かった義頼ら浅井家の援軍と朝倉勢は、その江北で完全に睨み合いに入っていた。
それには義頼の軍勢にも、そして朝倉家の軍勢にも思惑があるからである。 朝倉勢としては、援軍の追加と言う事態が何よりも厄介なのだ。 これが浅井家単独による迎撃であれば、どうとでも手は打てる。 最悪は朝倉景鏡辺りに兵の一部を預けて浅井家を牽制し、その隙に京を目指せばよかったのだ。
しかしながら、敵には織田家から派遣された援軍が到着している。 更には海津にある東内城にも、織田家の軍勢が入っていると言う。 これにより、浅井家の軍勢を牽制しつつ琵琶湖の西岸を進軍するという手も打てなくなってしまったのだ。
つまりは、どうあっても敵を打ち破らねば京への道は開けないのである。 その事実故に朝倉義景は、苛立ちながら田上山城が存在する方向を睨みつけていた。
そして義頼はと言うと、この状況をある程度歓迎していた。
兵を分けて大原義定に預けた事で、援軍の兵数が減っているからである。 この状況で下手に動き小競り合いを仕掛けて藪蛇になるよりは、現状維持に努めた方が賢明であると判断したのだ。
とは言え、何時までもこのままと言う訳にもいかない。 下手に長引かせれば、甲斐の武田や中国の毛利が動かないとも限らないのだ。 頃合いを見て、朝倉勢に攻勢を掛けなければならい。 その切っ掛けとしては、大原義定率いる別動隊が合流した後がいいとも判断していた。
「さて、祐光。 まだないとは思うが、兵たちの気の緩みには気をつけておいてくれ。 何れ義定と合流すれば、直ぐに攻勢を掛ける為にもな」
「はっ」
「それから、策も頼むぞ。 今はいいが下手に長引かせると、何が動き出すか分からん」
「確かに。 甲斐の武田や中国の毛利がどう動くか分かりかねていますし……承知致しました」
義頼に対して一つ頭を下げてから、沼田祐光は義頼の前から辞去する。 己の知恵袋である彼の背が視界から消えると、義頼は視線を大原義定の居る江南へと向けていた。
「頼むぞ、義定。 早急に、一向宗を駆逐してくれ。 お前が合流さえすれば、反撃に移れるのだからな」
それは、願いにも似た思いの発露であった。
しゅ、主人公の……影が薄いなぁ。
ご一読いただき、ありがとうございました。




