第三十八話~砦の奪取~
第三十八話~砦の奪取~
義頼が摂津国より近江国へ向けて移動してから二日後の早朝、石山本願寺から早鐘が鳴り響いた。
何事かと織田勢から、訝しげな視線が石山本願寺へと向けられる。 すると間もなく、石山本願寺や近隣の一向衆寺院から鬨の声が上がり始める。 その直後に彼らは山門を開くと、一向衆は一丸となって楼の岸砦と川口砦に襲い掛かっていった。
この朝駆けとも取れる奇襲を受けた織田勢は、なす術もなく一方的に蹂躙されていく……とはならなかったのである。 その理由は、義頼が織田信長に上げた報告にあった。
近江国へ移動する前に義頼から報告された一向宗の動きに警戒した織田信長は、密かに陣変えをしていたからである。 具体的に言えば、織田勢を石山本願寺により近い楼の岸砦と天満が森により多く配置換えをしていたのだ。
その結果、楼の岸砦に襲い掛かった一向宗の軍勢は、砦の門より前で押し留められてしまう。 そんな味方の様子を見て、顕如は悔し気に顔をしかめていた。
しかしその顕如に、話し掛けた者が居る。 それは、坊官の一人である下間頼康であった。 彼は顕如へ、増援の進言を行う。 下間頼康の言葉にその通りだと納得すると、顕如は下間頼照を呼び出して楼の岸砦へ援軍に向かう様に命じる。 命を拝領した下間頼照は、長子の下間頼俊は石山本願寺に留め置いて顕如の護衛とし、二男の下間仲孝を引き連れて出陣した。
下間頼照は石山本願寺を出ると、兵を二つに分け一方を息子の下間仲孝に預ける。 そして彼へ、織田家の増援が来たら抑える様に言った。 すると息子から、どちらから来るのかと尋ねられる。 その問いに下間頼照は、天満が森からの増援だと伝えた。
その言葉に納得した下間仲孝は、頷く事で返答とする。 しかし内心では、父親と共に行けない事に対する小さな不満が存在していると言っていい。 だがその事は何とか押し留めると、黙って父親の言葉に従った。
しかしてそんな息子の様子など、父親からすれば分かり易い。 下間頼照は小さく笑みを浮かべると、まるであやすかのように何度か彼の頭をぽんぽんと叩く。 それから表情を引き締めると、兵を率いて楼の岸砦の援軍に向かうのであった。
その一方で楼の岸砦に籠っている織田勢だが、予め増援を受けていたとはいえ攻め寄せて来ている本願寺勢より兵の数は少ないという問題が存在する。 だが彼らは砦に籠り迎撃しているので、何とか本願寺勢とほぼ互角の戦いを展開できたのだ。
しかし、そこに一向宗門徒の増援が到着すれば話は別である。 下間頼照は、石山本願寺に入っていた雑賀衆による一斉射撃を楼の岸砦に向かって加えていく。 その濃密ともいえる射撃に、砦からの反撃が一瞬止んだ。
その瞬間、好機と判断した下間頼照は一斉攻撃を砦に敢行する。 数に物を言わせた攻勢であり、砦に籠っていた坂井政尚や稲葉良通(稲葉一徹)、そして斎藤利治としては堪ったものではなかった。
それでも必死に、彼らは砦を守ろうとする。 しかし砦と言う守りの要があっても、この兵数差では落城は時間の問題かと思われた。
そこで斎藤利治と稲葉良通は、揃って坂井政尚に楼の岸砦からの撤退を提案する。 確かに守り通せれば、良いに越した事はない。 しかし現状では守るに難しく、下手をすれば全滅となるかもしれない。 しかし今ならば、砦より落ちるだけの余力も存在するのだ。
「坂井殿、このままでは我ら討ち死にですぞ。 ここは、退かれるのが宜しかろう」
「そうだ。 ここは右京亮(稲葉良通)の言われる通りかと思うが」
「むぅ……しかし……」
『坂井殿!』
「……致し方ないか。 この砦は捨て、海老江へ引く!」
決断すると、彼らは素早く行動に移った。
坂井政尚と稲葉良通と斎藤利治の三人は、砦より全軍で打って出ると、有利な状況に気分を良くしていた石山本願寺勢に一撃を与える。 半ば敵である織田勢を侮り始めていた石山本願寺勢にとって、この一撃は正に痛撃であった。 その為、折角の攻勢も一時的に頓挫してしまう。 そればかりか、混乱と言う決定的な隙が石山本願寺勢に生まれてしまっていた。
そんな千載一遇とも取れる好機を、彼ら三人が見逃す筈もない。 彼らはかさになって攻め掛かり、石山本願寺勢の混乱をさらに大きくしてしまった。 数こそ多くとも、一向宗門徒は殆どが武士ではない。 勢いづいている時は脅威となり得るが、一度崩れてしまうと途端に脆くなってしまう。 坂井政尚と稲葉良通と斎藤利治は、正にそこを突いたのだ。
これにより軍勢を分断された石山本願寺勢は、よりにもよって織田勢の逃走を許してしまう。 彼ら三人は、協力しつつ敵中を突破するとそのまま織田家本陣のある海老江へと撤退したのであった。
その頃、天満が森に配置されていた織田勢は、楼の岸砦の救援に向かっていた。
向かっているのは、蜂屋頼隆と黒母衣衆の平井九右衛門である。 二人は、必ず楼の岸砦を救援する決意に溢れていた。
そんな彼らの前に、軍勢が立ちふさがる。 石塔を模した様な旗印や、「南無阿弥陀仏」などと書かれた幟を掲げている軍勢など、一向宗以外考えられなかった。
『罷り通る!』
「此処は通す訳に参りませぬ!!」
蜂屋頼隆と平井九右衛門の言葉に呼応する様に、下間仲孝も言葉を返す。 その直後、二人が率いる織田勢と下間仲孝率いる石山本願寺勢がぶつかった。
まだまだ若い下間仲孝であったが、彼は寡兵を巧みに操り蜂屋頼隆と平井九右衛門をいなす事で織田勢の突破を許さずに押し留める。 そんな僧とは思えない武者ぶりに、本家の武士である蜂屋頼隆も、そして平井九右衛門も驚きを露わにした。
相手が生粋の武士であるならば、二人もそこまで驚きはしない。 だが、二人の目の前で織田勢を抑え込んでるのは、まがいなりにも僧侶である。 幾ら数が石山本願寺勢の方が多いとはいえ、五分とも言える戦いを展開している。 ならば、二人の抱いた心持ちもある意味当然であった。
しかし、驚いてばかりでは意味はない。 蜂屋頼隆と平井九右衛門の目的は、楼の岸砦なのだ。 味方の救援を改めて決意をした二人は、気を引き締めるとより真剣に攻勢を仕掛けていく。 こうなってしまうと、数と共に兵の質が重要となる。 その意味においては、織田勢と石山本願寺勢では比べるべくもなかった。
石山本願寺勢が敵を押し込める理由は、その数である。 逆に言えば、それしかないとも言える。 つまり、決して兵の質によるものではないのだ。
本気となった武士相手に、農民などが多数を占める一向宗門徒では太刀打ちできない。 数が多い故にいきなり崩壊することはないが、攻勢に専念されては分が悪いとしか言えないのである。 その証拠であるかの様に数に勝っている筈の石山本願寺勢が、少しずつであるが織田勢に押され始めていた。
その様な劣勢となった味方に対し下間仲孝は、あらん限りの声を張り上げて叱咤激励している。 すると一瞬だけだが、味方に勢いが戻り掛けた様にも思えた。
しかしそれは、ほんの一瞬の出来事でしかない。 石山本願寺勢は、程なく劣勢へと押しやられてしまう。 だがそれでも下間仲孝は、それこそ必死に味方を鼓舞していく。 そしてこの踏ん張りが、楼の岸砦における勝敗の天秤を石山本願寺側に傾かせる事となった。
何と下間仲孝の元に、援軍が駆け付けたのである。 それは誰であろう、父の下間頼照であった。 彼は楼の岸砦を首尾よく落とすと、半数の兵を砦に残し取って返したのである。 それは、絶妙とも言える間合いであった。 あと少しでも遅ければ、下間仲孝の石山本願寺勢は織田勢に突破されていたであろう。 しかし父親が間に合った事で、その未来は雲散霧消してしまった。
「どうやら無事の様だな」
「はいっ!」
息子の軍勢に合流した下間頼照は、その姿を見て安心する。 そしてそれは、下間仲孝としても同じであった。 彼の表情には、援軍が来た事により安堵感と無事な父親の姿を見た安心感がにじみ出ているのである。 すると下間頼照は、全て分かっているかの様な笑みを息子へと向ける。 その直後、表情を引き締めると、共に蜂屋頼隆と平井九右衛門が率いる織田勢に攻勢を掛けるべく突進していった。
この攻勢を前にして蜂屋頼隆は、攻撃を指示しつつも少し考える。 やがて決断すると、彼は手にしている配を返した。 即ち、撤収の指示である。 敵に援軍が現れた事で再度の攻勢も抑えられ、最早突破は難しいと言えた。 しかも敵の援軍は、楼の岸砦方面からと思われる。 この事実から導き出される答え、それは楼の岸砦の陥落であった。
砦が落ちてしまえば、救援に向かう意味はない。 早々に、引き返す必要がある。 蜂屋頼隆は平井九右衛門に殿を任せると、織田勢を引き連れて元々配されていた天満が森へ向けて撤退へと入る。 そんな織田勢の動きを見た下間頼照は、少し考えてから攻勢を緩めると織田勢に対して距離を取った。
その理由は、折角敵が撤退に入ってくれたからである。 援軍としてこの場に現れたとは言っても、下間頼照が連れて来た兵は勢いはあるが楼の岸砦に引き続いての連戦となってしまう。 となるとこれ以上の攻勢、及び追撃は疲労が兵に襲いかかって来る。 そうなってしまえば、折角の勝利が無い事になりかねない。 下間頼照は、それを怖れたのだ。
そんな石山本願寺勢の様子に、殿となった平井九右衛門訝しげな顔をする。 しかし、襲って来ないのであればそれに越した事はない。 平井九右衛門は殊更慎重に石山本願寺勢を警戒しつつ天満が森へ戻っていくのであった。
「父上。 宜しいのですか?」
「構わない。 まだ緒戦、ここで味方の被害を大きくしても仕方無い」
「……そうですね」
下間仲孝は少し考えた後、父親の言葉に同意する。 そんな息子に頷くと、下間頼照は兵を纏め息子と共に石山本願寺へと戻って行った。
因みに石山本願寺に攻められたもう一つの砦である川口砦に籠っていた平手凡秀や佐々成政といった者達は、楼の岸砦が落ちるよりもはるかに早く砦を脱出している。 これは川口砦への襲撃が、織田信長にとっても予想外の襲撃だからであった。
この顕如率いる一向宗による織田勢襲撃を知った三好康長は、喜色を表しつつ拳を握りしめる。 この三好康長の態度こそ、三好家が危機に瀕していた証明とも言えた。
「となれば、こちらも動くとしましょう」
「右京進(篠原長房)殿、まさか攻めるのか?」
「山城守(三好康長)殿、そこまでの余裕が我らにあるとお思いか?」
篠原長房の言葉を聞いた三好康長が尋ねたが、逆に篠原長房より尋ね返されると彼は首を左右に振る。 そんな攻勢に出る余裕が今の三好勢に無い事など、総大将の三好康長が把握していない筈が無かった。
だからこそ彼は、篠原長房に手段を尋ねる。 するとその答えは、水である。 篠原長房は織田本陣を、水浸しにするつもりであったのだ。
彼の立てた策、それは味方の本隊を囮にすると言う物である。 総大将の三好康長が動かない事で、敵本陣に居るであろう織田信長の気を引き付ける。 その隙に少数精鋭による部隊で、堤を切るのだ。 そうすれば、海老江を含めて辺りは水に沈む。 無論、水が全てを洗い流すなどまずあり得ないが、この水によって、織田勢の動きが鈍るのは必定であった。
どの道、押されている三好勢が織田勢に対して攻勢に出る事など今となっては難しい。 となれば、辺りが水びだしになったとしても三好勢がそう困る訳ではないのだ。
翌日、前日に篠原長房が語った策に従い三好康長は早々に動く。 織田信長の手によってほぼ完全に城に押し込められていると言うこの状況において、何と城から打って出たのだ。
義頼からの報告で本願寺を警戒していた織田信長に取って、石山本願寺勢の手で二つの砦が落ちた事は中々に手痛い。 そこに三好勢大将の三好康長が出て来た事は、巻き返す好機と言えた。
そこで織田信長は、三好義継や松永久秀に迎撃する様に命じる。 その命に従い二人が出陣すると、三好康長は二人を小馬鹿にする様に三好義継と松永久秀の手前で兵を城に戻した。 それもわざわざ、挑発してである。 その行動を見て松永久秀は直ぐに敵の動きが挑発と見抜いたが、まだ若い三好義継には見抜けなかった。
つまり彼は、完全に愚弄されたと感じたのである。 それに相手が、三好家長老格の三好康長と言うのもいただけなかった。 三好家先代当主、三好長慶の病気によって急遽養子となり、先代の死亡後に三好家家督を相続した三好義継だが、その家督を継いだ時も若かった。 それ故に、長老格の三好康長には窘められる事が何度もある。 その三好康長が、よりにもよって目の前で愚弄するかの様な行動をとった事で、三好義継は完全に頭へ血が上ってしまった。
彼は怒りのままに、三好康長の軍勢を追って一撃を仕掛けようとしたのである。 しかし松永久秀が、諫めて止めようと試みる。 だが怒髪天を突いている三好義継は、聞く耳を持たない。 彼は松永久秀の忠告など無視して、出撃してしまったのだ。
こうして三好義継の挑発に成功した三好康長は、絶妙な采配を行う。 その手腕は、追い掛けて来た敵勢からの損害をほぼ被ることなく野田城へと到着しているのを見れば頷ける。 そして三好康長を追って来た三好義継の兵であるが、命令があったとはいえその迂闊さの代償を自らの命で払う事となった。
と言うのも三好康長は、出陣するにあたって辺りに伏兵を配置していたのである。 その伏兵のうちの一つが、鈴木重秀率いる雑賀衆であった。 自分の方へ三好義継の軍勢が現れると同時に鈴木重秀は、一斉射撃を敢行する。 完全な奇襲である上に、雑賀衆の鉄砲隊が誇る恐るべき命中精度によって三好義継の兵は次々と涅槃へと旅立っていった。
その隙をついて、今度は斎藤龍興率いる伏兵が攻勢を仕掛けたのである。 これによって、三好義継の兵は完全に混乱してしまった。 すると間髪入れずに、篠原長房が率いる一隊が行動を起こす。 彼らは静かに離れると、混乱する戦場に背を向け堤へと向かったのであった。
遠くから微かに聞こえる斎藤龍興らの勝ち鬨に、織田信長のこめかみがひきつっていた。
迎撃を命じた三好義継が敵につられて出撃し、さんざんに打ち破られた事による勝ち鬨なのである。 目の前で平伏している三好義継に対し、罵声を浴びせたかった。 しかし此度の戦は、あくまで一戦でしかない。 しかも、戦局に影響を齎すほどではないのだ。
この程度の負け戦で一々罵声など浴びせていたら、言葉が幾つあっても足りなくなってしまう。 一先ず三好義継には、いずれ汚名返上の機会を与えると申し伝えた。
報告と詫びにきていた三好義継、その彼を止められなかった松永久秀もまた織田信長へ詫びを入れている。 その二人を下がらせると、木下秀吉に対して命を出す。 それは、石山本願寺の動向調査であった。 完全に敵となった以上、石山本願寺の動きは把握しておく必要がある。 その役目を、木下秀吉に与えたのだ。
すると彼は、命を受けてそこそこに自陣へと戻っていく。 本陣から彼が消えると織田信長は、視線を他の者に向けつつ注意喚起を促した。 そもそも、今まで城に籠っていた三好勢が行き成り動いた理由が分からない。 石山本願寺と連携して同時に動いたというならばまだ分かるが、少なくとも三好勢が動いたのは攻め寄せた一向宗門徒が石山本願寺へ退いてからである。 そこには、連携の欠片も見受けられなかった。
石山本願寺の蜂起と三好勢が無関係とは到底考えられない。 だからこそ、分からないと言えた。
その一方で注意喚起された織田家臣達はと言うと、慌てて自陣に戻って行く。 そんな彼らを見送りつつ己の考えの中にいた織田信長であったが、その時、何か違和感を感じる。 訝しげに眉を寄せつつ周りを見回したが、別段変わった様子など無い。 気のせいかと思ったその瞬間、黒母衣衆の佐々成政が声を上げた。
「殿! 水が!!」
「何っ!?」
佐々成政の声にそちらを見ると、彼は何かを指さしている。 指し示した先を見ると、そこから水が流れ込んで来るのを確認した。 その段になって織田信長は、漸く三好勢の意図を把握する。 要は三好康長の動きとは、この事から目を反らすための物であったのだ。
こうして堤防が切られれば、当然だが水が流れ込んでくる。 城に籠る三好勢や石山本願寺勢と違い、織田信長は城に籠っている訳ではない。 このまま水嵩が増えれば、動きが取れなくなるのは必定であった。
こうなってしまっては、海老江の陣を捨てるより他はない。 織田信長は三好康長が居る筈の野田城を憎々し気に睨みつけた後、「全軍、中嶋城まで引くように」と佐々成政に命じて伝令を走らせる。 彼は即座に伝令を派遣して、主の命を伝えていく。 それから間もなく、織田勢は三好勢を警戒しつつ中嶋城へと退いたのであった。
石山本願寺蜂起の知らせは、近江国に向かっていた義頼と丹羽長秀の元へも届けられている。 二人はすぐに顔を合わせると、今後についての検討を行った。
「……丹羽殿。 某は殿より「近江を守れ」との下知を承りました」
「ふむ。 なればこのまま、近江へと参るのだな」
「ええ。 それに幾ら本願寺が蜂起したとはいえ、早々に全軍撤退とはならないでしょう」
「十分に兵力は残っているのだから、そうであろうな」
「某もその様に思います。 だからこそ、このまま近江へと向かいます」
「うむ」
改めて二人の間で近江国へ向かう事が確認がされる。 するとその時、伝令が現れた。 その伝令によると、援軍が現れたとの事である。 しかし二人には、全く心当たりはない。 戦場より離脱する際にも、織田信長から丹羽長秀以外の援軍があるなど聞いていないのだから当然であった。
何であれ、本当に援軍であれば嬉しい事でもある。 義頼と丹羽長秀は、伝令に誰が現れたのかを尋ねる。 すると伝令の者は、一度居住いを正すと援軍に来た者の名を告げる。 何と援軍とは、京に居る筈の織田信治であった。
織田信治は織田信長の弟であり、そして野府城主である。 彼は兄の命で京に残っていたのだが、朝倉家の近江国侵攻を受けて、宇佐山城主の森可成と合流するべく兵を集める。 だが義頼を大将とした援軍が近江国に向かっているのを聞き、そちらに合流する事にしたのであった。
織田信長の弟である織田信治が現れた以上、会わないという選択はない。 義頼は伝令に命じて丁重に案内させると、それから程なくして信治が二人の前に現れた。
「五郎左(丹羽長秀)、左衛門佐(六角義頼)。 久しいな」
「はっ。 ところで九郎(織田信治)様、援軍とはいかなる仕儀でしょう」
「うむ。 初めは三左(森可成)のところへ向かおうかと思っていたが、そなたたちが来ると聞いたのでな。 取り敢えず、二千ほど連れて来た。 俺も、近江国への援軍に加えて貰いたい」
「……ありがたいお話ですが九郎様。 お分かりだとは思いますが、援軍の大将は某にございます。 この一件が終わるまでは、某の命に従って貰いますぞ」
織田信長より命じられた近江国への援軍を率いる大将は、義頼である。 幾ら主君の弟とはいえども、大将の命には従って貰わない訳にはいかないのだ。
しかしその事は織田信治も弁えていたらしく、反論などはせず即座に了承している。 それであるならば、義頼としても問題はない。 勿論彼の動向について義頼は、丹羽長秀にも訪ねている。 だが彼としても、織田信治が大将である義頼に従うというのであれば何も言う事はなかった。
何はともあれ、義頼と丹羽長秀の軍勢に織田信治の兵も加えた義頼の軍勢は国境を越えて近江国へと入ったのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




