第一話~元服~
第一話~元服~
近江国南部に勢力を張り、近江守護職の地位を持つ六角家。
その居城である観音寺城は、繖山南側全体に曲輪を配する山城である。その山の麓にある石寺には、六角一族が寝起きをする館があった。
その館はほぼ正方形をなしており、敷地全体としては優に千坪は越える広さを持った屋敷である。そんな広大な敷地に建つ屋敷の廊下を、年の頃なら十を少し越えたぐらいと思われる一人の若者が歩いていた。
その若者は、ある部屋の前に着くと腰を降ろす。そして襖越しに、中にいる人物へと声を掛けたのであった。
「兄上。鶴松丸です、何か御用ですか?」
「おお。待っておったぞ、早く入れ」
「はい」
部屋の中に向かって声を掛けた鶴松丸が、部屋の主の許可を得てその部屋に入る。すると部屋の奥には、四十を少し越えたぐらいと思われる男が座っていた。頭は綺麗に剃り上げ、丸坊主である。一見すれば坊主のようにも見えるが、その者の持つ雰囲気は仏に仕える僧侶とは到底思えないものであった。
だが、それも当然である。彼は今でこそ剃髪して坊主然としているが、数年前まで六角義賢と名乗り近江佐々木六角氏当主であったのだ。しかしその当主の座も、今は嫡子の六角義弼に譲っている。そして本人は、隠居して剃髪すると六角承禎と名乗っていた。
とはいえ、隠居したとはいえまだまだ影響力は相当なものである。いわば今の六角家は、先代と当代の二元政治のような体制といってよかった。
「さて鶴松丸。この度六角家は、わしを大将に息子の義弼と高定を連れて三好家と対峙する細川家を援護する。その為、京へ出陣することは分かっているな」
「はい」
「そこで鶴松丸には、わしらが帰ってくるまで家中の纏め役に任じる」
「分かりました、兄上」
自らの言葉にそう答えた鶴松丸の態度に、六角承禎は満足そうに頷く。それからゆっくり立ち上がると、鶴松丸に近づき彼の肩に手を置いた。
「まだ元服を迎えていないお主だが、きっとこの役を果たせると信じている。慣れぬ故に戸惑うかもしれぬが、傅役の定秀や賢盛ら国元に残す重臣達と共に後顧の憂いが無きように頼むぞ」
「……承知致しました」
唾を一つ飲んでから、鶴松丸は兄へ再度返事をする。そんな弟の姿を見て六角承禎は、鶴松丸を安心させる様に柔らかい笑みを向けた。
「何、そこまで深刻になることはない。重臣達と相談し、適宜対応するのだ」
「はい、兄上」
それから二日、全ての用意を整えた六角勢は大将の六角承禎に率いられて観音寺城を出陣する。彼らは一路、京に向けて進軍を開始した。
その一方で、兄の六角承禎や年上だが二人の甥が率いる軍勢を館から見送った鶴松丸はというと、六角領内に留守居役として残された家臣のうちで主だった者達を集めた。彼らに対して一言と思った訳だが、領内に残された者達とはいえその面子は決して京に向かった将達と比べても遜色がある訳ではない。自ら集めておきながらそんな重臣達を前にしていささか気圧され視線を下に向けてしまった鶴松丸だったが、腹に力を入れて自らを奮い立たせると視線を上げて重臣達をしっかりと見つめ返した。
「……皆が知っての通り、俺は御屋形様の代理を命じられた。しかし未だ、元服すらしていない。それゆえに、お主達の力がどうしても必要だ。この六角……いや近江の為に、そなたらの力を借してくれ」
『はっ!』
間髪入れずに返ってきた家臣達の言葉に、鶴松丸は内心で胸を撫で下ろしていた。
その後、集めた重臣達を観音寺城内に建てられているもう一つの六角館にある広間から退出させた鶴松丸は二人の男を召し出した。
一人は、領内に残った家臣の中で筆頭格の進藤賢盛である。何ゆえ彼なのかというと、一つは賢盛が六角家宿老でもあるからである。そしてもう一つ、彼は兄の六角承禎と共に京へ向かった後藤賢豊と並んで六角の両藤とまで称されている男でもあったからだ。
そしてもう一人は、自らの傅役を務める蒲生定秀である。彼は六角家の重臣でもあり、六角承禎と鶴松丸の父親であった今は亡き六角定頼からもっとも信頼を受けていた男であった。それゆえ、六角定頼が老境といってもいい歳に生まれた鶴松丸の傅役にと請われて就任したという経緯を持つ男である。
因みに彼が鶴松丸の傅役となるまでは、六角家家臣の中で重鎮中の重鎮とまでいわれた男でもあった。
「さて……今更だがその方らも知っているように、兄上達が兵を率いて領国を離れている。これに乗じて、浅井は攻めてくると思うか?」
「ふむ。あり得ますな、鶴松丸様。その他にも、大和国より三好の別動隊が来る可能性もまた考えられます」
「三好の別動隊か……それこそあり得るのか?」
召しだされた二人のうちで、鶴松丸が先ず問い掛けたのは進藤賢盛である。彼に先ず問い掛けたのは、別に意図した訳ではない。偶々、偶然そうなったに過ぎなかった。
「そうですな。あの三好家ですから、山城守(進藤賢盛)殿が言われた様な事態もあり得るでしょう」
すると、傅役の蒲生定秀が進藤賢盛に追随する形で言葉を紡いだ。
彼らは六角家の宿老であり、鶴松丸など比べるまでもない経験を積んできた男達である。二人からの言葉に、鶴松丸は少し考えたあとで国境での警戒を密にするように指示を出した。だが、鶴松丸らが危惧した両家からの侵攻という事実は起こらず、取り越し苦労に終わる。しかし鶴松丸の当主代理の役目は、本人が想像していた以上に長くなるのであった。
ところで、何ゆえに六角承禎が軍勢を率いて京に向かうこととなったのか。
それは三好長慶が、前管領の細川晴元を幽閉したことに端を発している。その細川晴元の継室だが、六角承禎の妹であり、即ち鶴松丸の姉に当たる人物であった。
もっとも、鶴松丸が生まれた頃には既に輿入れしている。その為、鶴松丸が会ったことはただの一度もなかった。しかし、六角承禎にとってはそうではない。肉親たる妹の夫、即ち義弟が拘束されたのだ。それゆえに六角承禎は、兵を率いて上京したのである。すると、事前に話し合いがなされていたのかそれともただの偶然だったのかは分からないが、室町幕府三管領の一家である畠山家が兵を挙げたのであった。
この後、両家は三好家に誅伐を与える為に共に手を取り彼の家へ刃を向ける。畠山高政の家である畠山尾州家は紀伊国より進軍すると、和泉国にある岸和田城を取り囲む。そして六角承禎はというと、晴元の次男である細川晴之、つまりは義理の甥を擁して将軍山城に入っていた。
この両家の動きを知った三好長慶は、畠山尾州家には弟の三好実休に河内衆や淡路衆や阿波衆を率いさせて派遣している。そして六角家には、嫡子の三好義興や松永久秀らを派遣して将軍山城への備えとしたのであった。
この畿内での様子は、六角承禎が派遣した甲賀衆の手により観音寺城にも書状の形で伝えられている。つい先程届いた書状を読んだ鶴松丸は、蒲生定秀と進藤賢盛に見せた上で畿内の趨勢について尋ねたのであった。
「なあ定秀。この戦、長くなるのかな?」
「恐らくは」
間髪入れずに答えた自分の傅役の言葉に、鶴松丸は絶句しながらまじまじと蒲生定秀の顔を見る。しかし幾ら見つめようとも、彼の言葉が変わることはない。鶴松丸は軽く頭を振ると、この場にいるもう一人の男へ同じ質問をぶつけてみた。
「……賢盛は?」
「拙者も蒲生殿と同様にございます」
「そうか……長くなるのか……」
自分の予想、いや希望に反して戦が長引くという二人の言葉を聞いた鶴松丸は、考えを改めることにした。できることなら、早く決着がついて欲しかったというのが彼の正直な気持ちだったからである。名目上とは言いえ家中を纏めるということが、まだまだ元服すら迎えていない若い鶴松丸に対してそれなりに重くのしかかっていたのだ。
しかし、蒲生定秀と進藤賢盛と言う六角家宿老の二人が同じ考えを持つ以上は、戦は長引くと考えた方が無難である。そうであるならば、京で戦をしている兄達の後方を支えている者として必要なことは何かと目の前の二人へ尋ねるのであった。
「定秀。京にいる兄上たちに対して、我らには何ができる?」
「そうですな……やはり輜重でしょう」
「輜重か」
「はい。腹が減っては戦はできぬ、これはある意味で至言となりましょう」
「それは……そうだな」
鶴松丸は名門六角家の一族ゆえに、飢えと言うものを体験したことはない。しかし、兄の六角承禎から叱られ飯を抜かれた時などは、あまり力が出なかった。それこそ、力が抜けたような感じでおもうように弓が引けなかったぐらいである。蒲生定秀の言葉でその時のことを思い出したからこそ、鶴松丸も同意したのだ。
「よし! 賢盛。将軍山城にいるという兄上達への補給、決して切らすことのないようにするのだ」
「無論、心得ております。兵糧は、加賀守(平井定武)殿に任せます。また、補佐として備前守(鯰江貞景)殿もその任に当たらせましょう。彼らならば、遺漏無く届けてくれる筈にございます」
平井定武は、蒲生定秀や進藤賢盛に並ぶ六角家の宿老である。蒲生定秀同様に鶴松丸の父親である六角定頼より仕えている重鎮であり、戦に内政にと働きを見せる者だ。
また鯰江貞景は、彼の家に養子に入った六角高久の子孫である。その意味でも信用が置ける者であるし、何より平井定武も鯰江貞景も決して無能と言う訳ではない。この二人であれば問題ないだろうと、鶴松丸も安心した。
そんな彼らの働きもあり、京にいる六角勢は兵糧が尽きるかもしれないという後顧の憂いがなくなったといえる。これには六角承禎も感謝して、態々鶴松丸宛に書状を送ったぐらいであった。
兎にも角にも、輜重という問題が小さくなった六角勢であるが、情勢はあまり動きを見せていなかった。それは三好義興や松永久秀ら対六角家として当てられた者達が、やや劣勢となりながらも六角勢を抑えていたからである。始めのうちはあまり気にしなかった六角承禎であったが、四ヶ月にもわたる長対陣に痺れを切らしてついに動いたのだ。
彼は将軍山城に永原重澄を残すと、自ら陣頭に立ち出陣する。そして、久秀が入っている西院小泉城へと攻め掛かった。しかし松永久秀は、その襲撃にも落ち着いて対応する。彼は密かに別動隊を組織すると、戦が中断した夜を見計らって搦め手より出陣させる。そして翌日、日が昇り城攻めを再開させた六角勢の本陣を、別動隊に急襲させたのだ。
まさか本陣が襲われるなど夢にも思っていなかった六角承禎は、慌てて撤退する。彼は何とか神楽岡方面へ逃げ遂せたことで、虎口より脱出した。そこで松永久秀は間髪入れずに出陣すると、手薄の将軍山城へ反撃とばかりに攻勢を仕掛けたのである。あまり兵数が多くなかったことに加え大将の承禎が敗走していたこともあり、将軍山城は長くは持たなかった。
「安芸守(永原重澄)様。最早、応手門が持ちません!」
「そうか……ところで、承禎様や御屋形様はどうなったのだ?」
「神楽岡方面へ向かう味方は見えましたが、それ以上のことは……」
「分からぬか」
「はい」
「ならば、我らはできるだけ抵抗を続け戦う。承禎様たちは、必ず生きておられる筈だ!」
いってしまえば、命を掛けた囮であった。
ここで敵を引き付ければ、六角承禎らの時間が稼げるし軍勢の立て直しもできる。そうなれば、そう簡単には負けることはないと考えたのだ。
将軍山城に籠る永原重澄と旗下の兵は、応手門を破られようが出丸を落とされようが決して諦めずに抵抗を続ける。しかし寡兵なことに加え本丸まで押し込まれた永原重澄は、本丸に火を放つと生き残った僅かな兵と共に、城を枕に自決したのであった。
その様子を本陣で見ていた松永久秀は、思いの外大きかった抵抗によって浪費した時間に溜め息を漏らす。とはいえ、このままという訳にもいかない。松永久秀は兵と軍勢を調えると、逃走した六角勢の追撃へと入った。
「追撃だと? 河内守、まことか!」
「はい、承禎様。久秀めは将軍山城を落としただけでなく、こちらへ追撃に入ったとのこと」
「……そうか、城を落としたと。ならば、重澄は討たれたか」
「恐らくは。して、いかがなさいます?」
「無論迎え撃つ! 三郎左衛門はいるか!」
「ここに」
「おう。三郎左衛門には弓兵を預ける。久秀めを追い散らしてこい」
「御意」
甲賀衆の一人である饗庭河内守から、将軍山城の落城と久秀の追撃の報せを聞いた六角承禎は、家臣の三雲三郎左衛門を呼び出す。そして彼に選りすぐりの弓兵を預けると、高所から松永勢に射掛ける様に命じた。
三雲三郎左衛門は、六角承禎の指示した場所に潜むとじっと敵の到来を待つ。やがて現れた松永久秀率いる追撃部隊を射程に捕えると、彼は一斉に弓による射撃を行った。流石は六角承禎の選んだ弓兵である、彼らは次々と松永勢に射かけこれを討っていく。この反撃には松永久秀も堪らず、慌てて兵を引いたのであった。
「よし! 今こそ反撃の時、久秀の首を上げてやる」
「お待ち下さい、承禎様」
「……何だ賢秀」
「追撃でしたら、おやめ下さい」
「何だと!?」
「我らも、漸く再編が終わったばかりにございます。兵も疲れており、今は敵を蹴散らしただけで良しとするべきかと存じます」
「…………疲れているか……分かった。そなたの言を取り入れる」
「ありがとうございます、承禎様」
本音を言えば追撃に移りたかったのだが、蒲生定秀の嫡子である蒲生賢秀の言葉で冷静になって味方の将兵の様子を見ると確かに疲れが見え隠れしている。この状況でもし追撃に移った場合、要らぬ損害を新たに積み重ねてしまうような気がしたのだ。
兎にも角にも六角承禎が追撃を諦めたことで、六角家と三好家の戦いは痛み分けとなる。こうして両家は、再び睨み合いを始めたのであった。
年も明け三月、和泉国久米田の地でこちらも三好家と長対陣となっていた畠山高政がついに動く。彼は必勝を期して、態々背水の陣をひいてまで三好家へ戦いを仕掛けたのだ。
当初は戦を仕掛けた畠山家の方が何故か劣勢だったが、戦が始まり一時半ほどした頃に三好勢の本陣が畠山勢の湯川直光により奇襲を受けてしまう。すると大将の三好実休は、返り討ちにするべく直光に襲い掛かった。
「蹴散らせ! ふざけた真似をした直光の首を挙げるのだ!」
『御意!!』
実休の命を受けて、彼の馬廻り衆が直光率いる紀伊衆へ攻勢を仕掛ける。しかし、この命が彼の命を散らす最大の原因となった。馬廻り衆が攻勢に出た為に、三好実休の身辺が手薄となってしまったのである。するとその隙を突いて、畠山勢に加担していた根来衆から一斉に火縄銃の銃撃が実休へと襲いかかった。
「貰った!」
「が! ぐはっ!」
根来衆の一人、往来右京の放った銃弾が、三好実休を撃ち抜いていた。
そこへ続いて、複数の銃弾も彼を撃ち抜く。こうして三好実休は幾つもの銃弾を体に浴び、ついには討ち取られてしまったのであった。
「敵大将! 三好実休討ち取ったり!」
朗々と響く総大将討ち死にの報に、戦を優勢に進めていた三好勢はあっという間に瓦解してしまった。
軍勢は総崩れとなり、彼らの大半は堺を目指して遁走に入る。その後、堺に辿り着いた彼らは、船で海を渡り阿波国へと逃げ帰って行く。こうして畠山高政は、三好勢との戦に勝利するとすぐに兵を展開し、和泉国と河内国南部を手中に納めたのであった。
この戦の結果は、当然六角勢と対峙している三好勢にも影響を与えた。
後に【久米田の戦い】と呼ばれる戦に負け旗色が悪いと見た三好側は、京を捨てると勝龍寺城まで兵を引いたのである。だが手中にしていた将軍の足利義輝までは手放さず、将軍に岩成友通をつけると石清水八幡宮まで移動させたのであった。
その翌日、洛中に三好勢がいないことを確認した六角承禎は、兵を率いて京の町へ進軍する。そしてすぐに徳政令を出すことで、六角家が山城国を抑えた事を敵味方に知らしめていた。
しかし、何ゆえかここにきて六角承禎の行動が突然鈍くなる。彼は朝廷に対して働きかけは行ったが、それ以上目立った行動をしなくなったのだ。それは味方に対しても同じであり、三好長慶の居城を攻めている畠山高政より戦への参戦を促す督促状が届くもこれも無視する。そのまま六角承禎は、引き続いて京に駐屯し続けたのであった。
この敵の足並みの乱れを好機と見た三好長慶は、急ぎ畿内各地に散った家臣を招集する。河内国内の教興寺周辺に味方の将兵を掻き集めると、畠山高政と雌雄を決するべく対陣した。
更に三好長慶は勝ちをより確実にする為、畠山勢に噂を流し疑心暗鬼に陥らせる。その上で脅威となる雑賀や根来の鉄砲衆を無効化する為に、雨が降る日をひたすらに待ち続けた。やがて三好と畠山の両家が対峙を始めてから一月ぐらい経った頃、三好家が待ちに待った雨の日がついに訪れる。すると彼は、満を持して畠山高政へ戦いを仕掛けた。
この戦は双方に取って、まさに総力戦となる。だが雨のせいで十全に力を発揮できない畠山勢は、次第に押され始めていた。
「くそっ! 忌々しい雨め!」
一向にやむ気配を見せないどころか、どんどんと酷くなる雨に畠山高政が悪態を突く。お陰で幾らか気分は晴れるが、それだけである。相も変わらず、天気は一向に回復する兆しを見せなかった。
「そろそろ頃合いだな」
「ではいよいよ!」
「全軍、攻勢に移る! 者ども続けぃ!!」
『おおー!』
夕方に差し掛かった頃、三好長慶は三好勢全軍による大攻勢を畠山勢に仕掛ける。既に雑賀衆と大和衆が敗走し、畠山家重臣の湯川直光が討ち死にしていた畠山勢ではこの攻勢を受け止める事はできなかった。
そればかりか畠山家の譜代や河内衆までもが敗走した為、畠山勢は総崩れとなる。こんな好機を逃す程、三好長慶は甘くない。一年近く押され続けた鬱憤を晴らすかのように、畠山勢へ攻勢を仕掛ける。この追討戦は十日に亘って続けられ、畿内における畠山勢は完全に瓦解し三好家の軍門に降った。
この結果を知った承禎は、京より兵を引き領国の近江に帰ることを条件に長慶と和睦する。こうして一年近くに亘った三好家と六角・畠山連合軍の戦いは、幕を引いたのであった。
三好長慶と手打ちをして京より引き上げた六角承禎は、同月中には観音寺城へ戻ってくる。京での戦とその結果は鶴松丸も勿論知っていたが、彼はそれをおくびにも出さず兄や二人の甥を出迎えた。
「兄上。無事のお帰り、何よりです」
「……うむ」
京を抑えておきながら事実上の負け戦であった為か、六角承禎は少し不機嫌である。だが鶴松丸はそのことには敢えて触れず、兄の後に続く年上の甥達へ声を掛けた。最初に声を掛けたのは、六角家当代を務める六角義弼である。彼は間違いなく主となる存在なので、当然であった。
「御屋形様、御無事で何よりでございます」
「ああ。鶴松丸こそ、拙者の代理をよく遺漏なく務め上げた。若年ながら見事だ」
「御意。それと高定殿も、無事でよかった」
「何とか無事に帰ってこられたよ、鶴松丸」
こうして京から戻ってきた六角承禎らを出迎えた鶴松丸は、彼らの慰労も兼ねて宴を催した。この宴を用意し取り仕切ったのは、蒲生定秀と重臣の進藤賢盛である。実のところ、まだ若い鶴松丸ではそこまで頭が回らなかった為、両名が用意させたと言うのが本音であった。
それは兎も角としてやがて宴もたけなわになった頃、六角承禎は鶴松丸を自らの傍へと呼びよせる。鶴松丸は兄の前に座ると、用件を尋ねた。
「何用でしょう、兄上」
「実はな鶴松丸、その方を元服させようと思う」
「まことですか!」
兄の言葉に、鶴松丸は喜色を表した。
数えで、もう十五歳の鶴松丸である。正直、元服はいつになるのだろうと言う不安もあった。六角承禎や御屋形たる六角義弼が領内にいないということもあり、心配も一入だったのである。そんな鶴松丸に六角承禎より元服の儀を行う旨が告げられたのであるから、彼が喜ぶのも無理はなかった。
「うむ。本来なら父上没後十年ということもあって、今年の正月を予定していた。だが、戦が長引いたことでできなかったのだ。よって、翌年正月をもってそなたの元服の儀を行う予定としている。そうなれば、もうお主は一廉の武士だ。甘いことはいえぬぞ」
「はい!!」
翌年正月、全ての手筈を整えた六角承禎は予定通り鶴松丸の元服を執り行う。なお鶴松丸の加冠役は、兄である六角承禎自らが務めた。
「凛々しい姿よ。その姿を見れば、亡き父も喜ぶだろうて……」
思わず、六角承禎が涙ぐんでいた。
兄として、いや親代りとして鶴松丸の成長を見守り指導してきたのである。そんな弟の姿を見て、彼の胸に期するものがあったのだ。
「父上。鶴松丸の祝いの席にございますれば、涙は禁物でございます」
「そうだな義弼……さて鶴松丸、お主は今日より五郎義頼と名乗れ。義の一字は畏れ多くも公方様より偏諱をお受けした。また頼の一字は、亡き父六角定頼から一字をいただいておる。それと、朝廷より従五位下侍従の官位を賜った」
鶴松丸、いや義頼は兄である六角承禎に対して平伏して官位を受けた。
「従五位下侍従。ありがたく受領致します」
「うむ。それと義弼」
「はい」
父親の六角承禎に呼ばれた六角義弼は、彼に対して一つ頷く。それから視線を、義頼へと向けた。御屋形でもある六角義弼から視線を真っ向から受け止めた義頼は、ただ黙って見返す。そんな義頼に相好を崩すと、六角義弼は口を開いた。
「義頼には、長光寺城に入ってもらう」
「御意」
「それと定秀、義頼の傅役の任を解く。今日より義頼の宿老となり、補佐をするのだ」
「承知致しました」
それから一週間後、義頼は傅役より自らの筆頭家臣となった蒲生定秀を連れて観音寺城下にある六角館を出る。他に甲賀衆の柏木三家の者や幾許かの将兵達を連れて長光寺城に入った。
すると長光寺城には、蒲生家や平井家や進藤家と並ぶ重鎮の家である馬淵家を筆頭として、永原家や山岡家などといった六角領内南部に領地を持つ者達が揃っている。これは、長光寺城主となる義頼へ六角承禎がつけた与力であった。
「若輩者だが、これから宜しく頼むぞ」
『御意』
こうして長光寺城に入った義頼は、経験豊富な蒲生定秀から薫陶を受けつつも堅実に時には大胆に与えられた領内を治めたのである。そんな蒲生定秀の的確な補佐のお陰か、義頼は無事にその年の収穫時期を迎える。元服したてであり、一年目の若い当主である旨を考えれば、十分に及第点を与えることができる結果であった。
「さて、殿。収穫も無事に終えて、何よりでしたな」
「そうだな、爺……ではなかった定秀」
「ははは。 拙者は爺でも構いませぬぞ」
「そういう訳にはいかんだろ、けじめというものもある。それはそれとして収穫に関してだが、領民に問題は出ていないのだな」
「大丈夫にございます、殿」
「それは何よりだ、定秀」
「侍従様!」
その時、義頼と蒲生定秀に対して声が掛けられる。つい先程まで全く気配を感じていなかったこともあり、二人は慌てたように声がした方を見る。するとそこには、一人の男が佇んでいた。
二人に声を掛けた人物は、義頼につけられた甲賀衆の一人であり名を鵜飼源八郎という。彼は義頼に付けられた甲賀衆である荘内三家の一つ、鵜飼家の当主でもある男だった。
「申し訳ありません」
表情が殆ど動いていないせいか、彼からあまり申し訳なさそうな気配は感じられない。義頼もそれは分かっているので、取り分け気になどしていなかった。
「まあいい。して、何用だ」
「御屋形様が、後藤但馬守様とご子息の後藤壱岐守殿を誅殺されました」
『何!!』
予想だにしていないまさかの報告に、義頼は驚きの声を上げたのであった。
ご一読いただき、ありがとうございます。