第三十六話~畿内騒乱再び~
第三十六話~畿内騒乱再び~
摂津国にて、摂津三守護の一家である池田家で内訌が発生した。
これは前述した通り、阿波三好家に同調した荒木村重にそそのかされてその気になった池田知正が起こした物である。 しかしこの内訌とて、万全を持って動いた訳ではなく急遽前倒しをして行われている。 その理由は、丹羽長秀や村井貞勝ら京在住の織田家奉行衆にあった。
事に臨むに当たり荒木村重は、摂津国での動きについて織田信長へ情報が漏れてしまう事を考慮して、織田家の京都奉行衆に対して監視の目を向けていたのである。 するとその警戒が、功を奏する形となる。 彼が警戒した通り、京都奉行衆から主君である織田信長の元に急使が向かった事を突き止めたのである。 その事実を知った荒木村重は、直ぐに池田知正へ知らせたのであった。
今や彼を筆頭家臣と考えている池田知正は、その報告に愕然とする。 そんな彼に向かい荒木村重は、計画を前倒ししてでも決行するべきであると進言した。 兵数こそ予定通りに揃っている訳ではないが、それでも決行するには何とか足りるだけの数は揃っている。 であるからこそ荒木村重は、準備不足の感があるもののそこをあえて無視して池田知正に計画の前倒しを勧めたのだ。
そして進言を受けた彼としても、ここで退く選択など出来ないことは熟知している。 池田知正は進言を聞いた後、少し間を開けてから一つ頷くと下知したのであった。
「村重、兵を挙げるぞ! 此方に賛同した者達に、通達しろ!!」
「御意!」
こうして池田知正の書状が、味方となった摂津国人達の元に届けられる。 彼らは急ぎ兵と共に、集結した。 主だった者が集まると池田勝正を討つ、若しくは捕らえる為に出陣する。 当然だが目指したのは、池田勝正の居城である池田城である。 しかしてその思惑は、僅かの差で躱されたのであった。
それは、荒木村重と池田知正が兵を挙げる決断をして味方の摂津国人へと書状を出して暫くした頃の事である。 池田城の池田勝正の元に、義頼からの使者として鵜飼孫六が到着する。 その報せを聞いた池田勝正は、何用であろうかと訝しげにしつつも面会をした。
その席で鵜飼孫六は、義頼からの書状を差し出す。 受け取った池田勝正は、書状に目を走らせ、そしてその内容に驚き目を丸くした。 とは言う物の、密使に近いとはいえ、使者の前で狼狽えた態度を示す訳にはいかない。 ともすれば焦りそうになる気持ちを抑えて、池田勝正は居ずまいを正すと鵜飼孫六へ礼を言った。
「六角殿に感謝すると、お伝え下され」
「承知致しました」
池田勝正がそう答えると、直ぐに鵜飼孫六が立ち去った。
彼が消えると間もなく、直ぐに対抗するべく兵を集め始める。 しかし程なく、池田勝正に池田知正達の動向が知らされた。 その報せによれば、既に敵はこの池田城目掛けて兵を進めていると言うのである。 この素早い動きに、池田勝正は思わず唸っていた。
兵を集めだしたばかりなので、荒木村重や池田知正らに対抗出来る程には兵が集まっていないのは承知している。 故に池田勝正は、生き恥を晒すよりはと城を枕に討ち死にをと考える。 しかしその考えは、重臣であり一族でもあるの池田正泰と池田正詮によって窘められた。
「例え生き恥であったとしても、ここは生き残り再起を図って下さい」
「そうは言うが、誰を頼れと」
「公方(足利義昭)様がおられます」
要は、幕府の権威を利用して再起を図れと池田正詮は進言しているのだ。
それより何より、幕府の後ろには織田家が居る。 此度の一件を例え六角家経由であったとしても報せてきたと言う事は、少なく見積もっても敵となっていはいないと想像できたのだ。
そこまで諭されれば、彼としても生き残る選択は吝かではない。 少し目を瞑ってから池田勝正は考えを改めると、再起を図る決断をした。 だが、その為には敵を足止めをせねばならない。 もし捕らえられでもしたら、再起も何もないのだ。 するとその時、池田正詮が進言する。 彼は池田城に残り、荒木村重と池田知正らの軍勢を抑えると言うのだ。
しかしこれは、言うなれば生贄に他ならない。 もし敵がこの事を知れば、殺されるのは必至であった。 勿論、池田正詮は先刻承知である。 その上で、城に残ると言っているのだ。
実のところ、これは彼なりの責任の取り方である。 と言うのも、池田家には池田四人衆と言う重臣中の重臣とも言える者達が居た。 池田正詮も、そして池田正泰もこの四人衆の一人である。 彼ら四人衆は池田家の要として、時には当主に成り代わり家中を抑えるぐらいの実力者で構成されていた。
しかしその様な重職にありながらも、此度の様な内訌を止める事が出来なかったことに責任を感じているのである。 池田正詮も池田正泰も、池田勝正によって池田四人衆に引き上げてもらったと言う経緯を持っているのでその思いは殊更だった。
そこで二人は、池田正詮が残り敵の足止めに命を懸ける事で、そして池田正泰は死するまで池田勝正に付き従う事で責任を果たすと誓ったのであった。
因みに池田四人衆の残りの二人、即ち池田正朝と池田正秀だが、彼らは荒木村重に賛同し行動を共にしている。 つまり、既に池田四人衆も敵味方に分かれた状態にある。 そしてその事が、池田正詮と池田正泰への情報が遅れた理由でもあった。
兎にも角にも、池田勝正は池田正泰と共に荒木村重らの軍勢が到着する前に池田城から脱出する。 首尾よく城を出た池田勝正と池田正泰は、その足で京に向かったのであった。
その一方で城に残った池田正詮は、寡兵を承知の上で籠城して足止めを行う。 出来れば今後の為にも池田城と兵の損傷を抑えたい池田知正らは、強引な力攻めを行う事を躊躇ってしまう。 そして充分に時を稼いだ池田正詮は、後を下村勝重に託して切腹する。 残された下村勝重は、池田正詮の首と将兵の命と池田城の開くことを条件に降伏したのであった。
さて池田正詮の奮闘と、荒木村重と池田知正らが抱える事情により命拾いをした池田勝正は無事に京へと到着する。 そこでかねてから親交のあった細川藤孝と会い、事情を説明した上で足利義昭との面会を希望する。 隣国の摂津国で起きた池田家内訌を聞いた細川藤孝は驚きつつも了承し、面会を実現させたのだった。
その面談の席で池田勝正は、端的に己がこの場に居る理由と幕府による援助を進言し懇願する。 そんな池田勝正を見ながら、足利義昭は手を貸すべきか貸さないべきかを考えていた。 その理由は、この池田家内訌の裏に阿波三好家が係わっている事を彼が知らなかったからである。 もし知っていれば、別の動きをした筈であった。
そして荒木村重を諭して内訌を起こさせた阿波三好家も、まさかあの池田勝正が一戦もせずに摂津国から落ちるとは想定していない。 それ故に、足利義昭に知らせる必要もないと判断して報告を怠っていたのだ。
いわば味方同士で情報の齟齬が出てしまった訳だが、その様な裏事情があるなどとは知らない故に足利義昭は思案に耽る。 すると、迷っている足利義昭に対して、細川藤孝が派兵を行うべきだと進言した。
此処で兵を送れば、幕府の権威も上がるであろうと言う言葉と共に。
この言葉は、足利義昭にとってまさに魅力的であった。
裏の事情は一先ず置いておくとして、彼が第一に考えている室町幕府の力を取り戻す事に繋がるからである。 ましてや細川藤孝は、信を置く側近である。 その側近が進言した言葉には、足利義昭が心を決めるのに十分な説得力があったのだ。
心を決めると、池田勝正へ摂津国へ兵を送る決断を告げる。 その言葉を聞き顔を上げた彼の表情は、正に喜色満面と言える表情である。 そんな池田勝正に己が決断を告げた後、足利義昭は細川藤孝に視線を向けた。
「藤孝、兵を預ける。 その方が大将となり、勝正と共に摂津へ向かえ。 それと、藤英も連れて行け」
「御意」
こうして足利義昭の命を受けて摂津国に向った細川藤孝と三淵藤英の兄弟は、池田知正が入った池田家の居城である池田城に向けて進軍する。 そこで幕府の軍勢と、池田知正ら摂津国国人衆の軍勢は対陣した。
そんな彼らの動きは、派兵を決めた直後に足利義昭から齎された報せとは別に京都奉行達や義頼からの続報として織田信長の元に届いている。 しかし織田信長は直ぐに動かず、畿内の様子見を行った。 しかしてこの動きは、結果的に悪手となってしまう。 その原因は、荒木村重にある。 彼は池田知正を説得し挙兵を速めさせると、阿波三好家にも助力を求めていたからだ。
元々、荒木村重の考えた策の切っ掛けは阿波三好家にある。 その事を考えれば、この動きも必然であった。
「ほう。 村重がやったか」
「その様ですな、山城守(三好康長)殿。 やや片手落ちの様ですが」
「まぁ、そう言ってやるな右京進(篠原長房)殿。 それはそれとして、援軍の要請にはこたえてやらねばなるまいて」
「……ここは、岩成殿に行かせるとしますか」
少し考えた後で篠原長房は、岩成友通の派遣を康長に提案した。
嘗ては三好三人衆の一人として家中に力を示した岩成友通であったが、今はその影もない。 一応彼は重臣の一人として名を連ねているが、逆に言えばそれだけの存在でしか無くなっているのだ。
「そうだな、最悪となっても今は惜しくはない。 無難なところであろう」
こうして、岩成友通を大将とした摂津国への先遣隊が阿波国から発ったのであった。
そしてこの三好康長達の動きだが、察知されてしまう。 幾ら秘密にしようと、兵が動けば当然だった。 ましてや京には、忍び衆を抱えた六角承禎が居るのだから秘密にし続ける方が難しい。 かくして三好家の動きは、六角承禎を通じて近江国の義頼の元に齎される。 兄からの知らせを受けた義頼は、直ぐに織田信長へ届けたのであった。
それから間もなく、義頼に少し遅れはしたが、木下秀吉や明智光秀などの京都奉行衆からも三好家の動きについての報せが届く。 そこで織田信長は、若江城の三好義継と高屋城の畠山昭高に派兵を命じる。 それと同じくして、義頼に兵を集めさせたのであった。
その頃、摂津国に上陸した岩成友通は野田城と福島城に兵を分けて入ると両城の大増築を始める。 同時に彼は、十河存保を呼び出していた。
それは彼に、ある任務を任せる為である。 十河存保に託したい任務とは、古橋城攻めであった。 と言うのも、古橋城は何れは現れると予測されている織田家の軍勢の拠点となってしまう可能性が多分にあったからである。 地図を見ながらその事を説明された十河存保は、その考えに賛同した。
出陣した彼は、件の城に到着すると平押しに責め立てる。 何せ古橋城には、五百に満たない兵が籠る城でしかないからだ。 実に六倍以上の兵に攻められては、到底耐えきれる訳もない。 それでも古橋城の城兵は、同数以上の敵勢を道連れにする。 引き換えは、ほぼ全員の命であった。
するとこの戦勝を機に、野田城に居る岩成友通に合流した者達が居たのである。 それは、雑賀衆であった。 この雑賀衆の動きは、細川昭元通して、義昭へと報告される。 すると彼は、悔しげに顔を歪めながら手にした扇子を捻る。 それに伴い手にした扇子は壊れたが、足利義昭は気にしてもいなかった。
何せ野田城に入ったのは、雑賀衆だけではないのである。 嘗て織田信長との戦いに負け、美濃国を追い出された斎藤龍興なども三好勢に合流しているからだ。 とは言っても、元々阿波三好家が派兵した兵がそうは多くないこともあり、総兵数では一万にも届いてはいない。 だが斎藤龍興や鈴木重秀(孫一)などといった者達が合流した事で更に兵力が増えた三好勢に、足利義昭は慄いたのであった。
もしかしたら阿波三好家は、池田家に兵を派遣している事で手許に兵が少ない事を好機と捕えて去年の様に攻めて来るのではないかと彼は不安にかられてしまったのである。 確かに御内書を使い現在の状況の元を作り上げたとはいえ、裏切りは戦国の常である。 池田家の内訌も不安の要素となり、足利義昭の心を蝕んでしまったのだ。
「あ、昭元! 藤孝らに京へ戻る様に使いを出せ」
「池田家の事は宜しいのですか?」
「構わん! いいから呼び戻せ!!」
「ぎ、御意」
程なくして池田城にて対陣している細川藤孝達の元に、足利義昭からの撤退命令が届く。 その命令に彼らは一瞬呆気に取られたが、内容を知りそれも仕方無いかと思った。 その後、細川藤孝から撤退を伝えられた池田勝正は、暫く唇をかみしめながらも寂しく同意したのであった。
結果として、京より派遣された幕府の軍勢が池田城より兵を引くと荒木村重は即座に次の手を打つ。 彼は池田知正に進言し、自ら大将となり伊丹親興の居城である伊丹城を攻めたのである。 いきなり荒木村重に攻められた伊丹親興は、息子の伊丹忠親と共に自らの城を遠巻きにしている軍勢の旗を忌々しげに睨んでいだ。
「村重め。 ふざけた真似を」
「父上、如何なさいます。 これでは、細川殿達を追えませぬ」
「分かっておるわっ! 黙っておれ!!」
息子の言葉に父親は一喝した。
なぜ伊丹忠親が細川藤孝達を追いたいのかというと、伊丹家は足利義昭に協力するつもりであったからである。 しかし情勢の変化により細川藤孝達が京に戻ってしまったので、伊丹親興は息子の伊丹忠親と共に追って京へ向かおうと考えていたのだ。
だがそれも、兵を差し向けてきた荒木村重の為にご破算である。 何とも憎らしい行動をとったと憎々し気に荒木村重の軍勢を睨みつけるが、それを言っても詮無き事であった。
「忠親、こうなっては致し方ない。 我ら親子は此処で踏ん張り、荒木の兵を引き付けるぞ! さすれば、京の公方様の御身安全に少しでも貢献できるというものだ」
「はいっ」
息子の返事を聞き、父親の表情が少し緩む。 だが数度頭を振って緩んだ表情を引き締めると、厳しい視線を荒木勢に叩きつけたのであった。
畿内の情勢がいよいよ混沌としてくると、やや遅きに失する感はあったがついに織田信長が動いた。
彼は精兵数千を率いて岐阜城を出陣すると、観音寺城にて義頼と合流する。 そこで一泊し、翌々日には京の本能寺に入った。
明けて次の日、本能寺に三好義継と畠山昭高。 それから、松永久秀と松永久通親子が軍勢と共に到着する。 またその日の内に、足利義昭の命を受けた細川藤賢と和田惟政が本能寺へと多少の兵と共に到着した。
こうして軍勢が揃った翌日、織田信長は兵を率いて本能寺を出ると天王寺に移動してそこに本陣を置き阿波三好勢に備える。 その一方で、三好康長を大将とした阿波三好家の本隊が野田城へと着陣した。
天王寺にて敵勢の到着を知った織田信長は、天満が森などに兵を配置する。 そうする事で、野田城と福島城に籠る三好勢を牽制した。
それと同時に、如何にして三好勢を打ち破るか軍議を開く。 するとその冒頭で、木下秀吉が先陣の役目を進言する。 しかしそれは織田信長の言葉を遮った形であり、その事を柴田勝家に窘められる。 織田家重臣たる者の言葉を聞いた木下秀吉は、恐る恐る織田信長へと視線を向けた。
すると彼の視線には、微かではあるが不快感が込められている。 敏感にその事を気付いた木下秀吉は、慌てて平伏し詫びを入れていた。
その様な彼の行動に、織田信長は不機嫌そうに鼻を鳴らす。 しかしそれだけであり、鼻を鳴らした後の視線に不快感はもうない。 どうやら木下秀吉の態度に、機嫌も直った様であった。
「まあ良い、話を続ける。 三好に対してだが、誘降を仕掛ける。 そこで……義頼」
「はっ」
「その方がやれ」
「は、ははっ」
まさかの指名に、義頼は一瞬だけ驚く。 すると念を押すかのように、織田信長が言葉を続けた。 そんな主の態度と言葉にやや当惑した義頼であったが、そんな彼の様子など関係なく軍議はお開きとなった。
その後、自陣に戻りながら義頼は指名された意味とその後の念押しについて腕を組み考える。 しかし一向に答えは出ず、悶々と考えていた。 そんな義頼に対して、明智光秀が話し掛けて来る。 すると義頼は、苦笑を浮かべながら彼へ答えた。 そこで明智光秀は納得するかの様に頷くと、義頼に一つ助言をする。 その助言とは「家臣を使え」と言う物であった。
それだけを残して、明智光秀は去っていく。 彼の背を見ながら言葉の意味を考えていた義頼であったが、やがて彼の姿が視界から消えた頃に漸く言葉の意味を察したのであった。
「家臣を使う……ああ、そう言う事か!」
その後、自陣に戻った義頼は、直ぐに釣竿斎宗渭と三好政勝を呼び寄せた。 そして二人に対して、三好家の将の誘降を命じたのである。
嘗ては三好三人衆の一人として家中に重きをなしていた三好政康こと釣竿斎宗渭と、やはり兄同様に三好家の重臣として活躍した三好政勝である。 その気になれば伝手など、幾らでもあるのだ。
命を受けた兄弟は、その伝手を使い密かに三好家臣に接触を図る。 まず三好政勝だが、彼は香西長信と密かに某所で会う。 彼は、三好政勝がまだ生前の三好長慶と対立していた頃に行動を共にしていた香西元成の息子であったからだ。
今は亡き父親の縁で面会に応じた香西長信は、黙って三好政勝を見つめている。 その行動はまるで「織田家に付け」と言う彼の真意を測るか様にでもあった。
すると三好政勝は、真面目な雰囲気は残しながらも少し軽めに言葉を続ける。 そんな彼の口から齎された言葉は、城攻めが始まったら織田家の兵を誘引してくればいいと言ういわゆる手引きであった。
決して出来ないとは言わないが、一人で行うのはいささか難しい。 彼がその事を告げると、三好政勝は小さく微笑みながら言葉を続けた。
「それならば問題はない、そちらには当てがある。 もう一人、兄者が手を回している。 その者と協力すれば、大丈夫であろう」
「誰だ、その者とは」
「兄者と並び称された者。 と言えば分かるか?」
三好政勝の言葉に釣竿斎宗渭が接触して居る者について見当がついた香西長信は、絶句したのであった。
その頃、野田城にて、釣竿斎宗渭からの書状を見ている者が居た。
その者とは、岩成友通である。 彼は前述した通り、数年前まで釣竿斎宗渭と今は亡き三好長逸と共に三好三人衆と呼ばれ三好家において重臣中の重臣であった。
しかし三好長逸が死に、そして三好政康が織田家に降伏すると彼らの地位は三好康長と篠原長房にとって代わられている。 今の岩成友通は、三好家重臣の一人という存在でしかなかった。 その様な待遇に、不満を抱かない訳はない。 しかし力を落とした彼が三好家の中で生きる為には、その扱いを甘んじて受けるよりなかったのであった。
そんな岩成友通に届いたのが、釣竿斎宗渭よりの書状である。 彼は書状を前に腕を組んでじっくりと考えていたが、やがて決断すると返書を認めた。 その内容は、織田家に内応するという物である。 岩成友通の返書の内容は、態度を保留していた香西長信にも伝えられている。 すると彼も、漸く首を縦に振ったのであった。
その後、釣竿斎宗渭と三好政勝から岩成友通と香西長信から内応の約を得た事を聞いた義頼は、織田信長へ報告している。 すると彼は、直ぐに行動を起こした。 今までの織田勢は遠巻きに野田城と福島城を囲んでいただけだったのであるが、岩成友通と香西長信の内応を聞いた織田信長は兵を城の近くまで移動させている。 そして、二人に約束通り兵の誘因をさせようとしたのであった。
「どうだ、越前守(香西長信)殿」
「だめだ、警戒が厳しすぎる。 とてもではないが、警備の目を盗んでなど出来ぬ」
岩成友通と香西長信は、何としても約定を履行するべく城兵の隙を探す。 しかし城内外の警戒が思ったより厳しく、二人はおいそれとは行動を起こせなかった。
故に日にちは一日、二日と空しく過ぎていく。 しかし彼らは、どうしても警戒の隙を見付ける事が出来なかった。 このままでは内応を約した織田家ばかりだけでなく、阿波三好家からも疑いの目を向けられかねない。 もしそのような事態となれば、間違いなく身の破滅であった。
そこで岩成友通は、書状にて自分たちが置かれた現状を知らせる事にする。 二人が置かれた窮状に付いて知らされた釣竿斎宗渭と三好政勝は、急いで義頼へと報告した。
「ふむ。 動けそうもない、か」
「はい。 どうやら、その様にございます」
義頼の言葉に、釣竿斎宗渭が申し訳なさそうに答える。 その隣では、三好政勝もやはり申し訳なさそうにしていた。
「別に、責めている訳ではない。 むしろ二人は、内応者を見付け味方としたのだ。 十分、役目を果たしている」
『はっ』
「とは言え、このままという訳には……祐光、何か策はあるか」
「策というより、このまま二人を此方に引き入れるというのはどうでしょうか」
「どういう事だ?」
「敵城内に入り込むのが難しい状態ですので、敵の兵数と士気を減らしてしまおうかと」
「ああ、そう言う事か。 だが、勝手は出来んな。 殿にお伺いを立てる」
義頼は、岩成友通と香西長信からの書状と沼田祐光の考えを持って信長の元を訪れた。
そこで織田信長と面会すると、沼田祐光の考えた策を進言する。 義頼の進言を聞いた織田信長は、少し考えると彼の進言を採用する事にした。 士気云々は別として、敵兵の数が減り味方の兵が増えるのは悪い事ではないからである。 織田信長は義頼に、隙を作ってやるから岩成友通と香西長信に城から脱出する様に伝えよと命じた。
その後、義頼から連絡を受けた両名は、翌日に行われた織田勢の城攻めが終わり兵が引くのを見ると追撃に入ると称して城から打って出る。 そして義頼の陣に近付くと、そのまま逃げ込んだのである。 彼らを迎えいれると義頼は、岩成友通と香西長信が連れて来た兵を甥の大原義定に預ける。 そして自らは、二人と共に織田信長の元へと向ったのだった。
「岩成主税助友通と申します」
「香西越後守長信と申します」
「であるか。 その方らの力、織田で存分に生かせ」
『ははっ!』
こうして岩成友通と香西長信は阿波三好家を離れ、織田家家臣となったのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




