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第三十四話~沙汰~

浅井家の処分です。


第三十四話~沙汰~


 

 朝倉勢の追手を追い付かれては押し返しという事を繰り返しつつどうにか振り切った義頼達は、漸く朽木城に到着した。

 何とか城門を潜り城内へと到着した軍勢であったが、疲れからかあちらこちらで腰を下ろしている。 それは、義頼も似たような状況と言えた。 彼はへたり込んでこそいないが、それでも肩が激しく上下している。 座り込んでいないのは、若さとその若さから来る意地みたいなものであった。

 そんな義頼の近くには、木下秀吉きのしたひでよしもいる。 彼は義頼と違って、遠慮なく地面に寝転んでいた。 

 ある意味対照的な態度で息を整えている二人であったが、そこに明智光秀あけちみつひでも加わる。 しかも彼は、木下秀吉よりも更に十才近く年上である。 まだ三十代の木下秀吉や二十代の義頼と比べるまでもなく、疲労がかなり蓄積された状態であった。

 だがそうであったとしても、何とか歩けるだけ大したものである。 たとえその姿が、ふら付き頼りなさ気であったとしてもだ。

 そんな中、殿しんがり大将であった池田勝正いけだかつまさが口を開く。 木下秀吉と同年代の男だが、肩を大きく上下させているだけの様にも見える。 それでも、ものすごく億劫そうではあった。

 それはそれとして、やがて皆の前に立った池田勝正はと言うと、先ず将や兵士をねぎらう。 それから、今後の動きについて伝えた。 その言によれば、朽木城で二刻程の休憩の後で京へ向けてこの城を発つつもりらしい。 義頼を含む諸将や兵士が疲れを滲ませながらも返事をすると、ここで漸く池田勝正も腰を下ろして休息するのであった。

 だが義頼は、休憩の途中で他の将より早く息が整うと領主の元へと顔を出す。 と言うのも、朽木城主を務める朽木元綱くつきもとつなとは、足利義昭あしかがよしあきがまだ近江国内に居た頃からの友だからである。 それに此度こたびの退却に当たって色々な骨折りを頼んだ事もあり、その挨拶も兼ねて朽木元網を探していたのだ。

 暫く城内を探した義頼であったが、中々に目的の人物が見つからない。 それでも探し続けると、漸く朽木元綱が見付けた。 しかし彼は一人ではなく、もう一人と共に居る。 その人物とは、誰であろう森可成もりよしなりであった。

 因みに織田信長おだのぶながを追いかける様に撤退した筈の森可成が朽木城に残っていた理由だが、それは主の命によるものである。 彼は織田信長に命じられ、朽木元綱に対する増援として朽木城に手勢を伴って残されたのであった。

 何ゆえに森可成が指名されたのかと言うと、彼が織田信長から宇佐山城を預けられていたからである。 宇佐山城はこの朽木城からもそう離れていない距離にあり、その事から彼がこの地に残されたのであった。

 その様な彼の事情は置いておくとして、今は義頼である。 彼は漸く見つけた朽木元網に近づくと、声を掛けていた。


「久しいな、元綱」

「え?……ああ! 左衛門佐(六角義頼ろっかくよしより)殿か。 あなた様もご無事で、何よりです」

「ああ、何とかな」


 朽木元網と久方ぶりの挨拶を交わした義頼は、それから森可成の方を向く。 その後、彼に対して頭を下げた。 これは別に、森可成が織田家重臣だからと言う訳ではない。 いや、その理由も勿論あるのだが、それ以上の理由があったのだ。



 話は、まだ織田勢が越前国内に居た頃まで遡る。

 敦賀の妙顕寺に入った信長は、金ヶ崎城を落とす為に同城の出城である天筒山城へ攻め立てた事は前述した。 しかしその際、森可成の嫡子である森可隆もりよしたかが命を落としてしまったのである。 彼は天筒山城へ一番乗りするという功名を立てたのだが、先行し過ぎた事が災いして彼に降り掛かり、何と朝倉勢に討ち取られてしまったのだった。


「御嫡子の事についましては、お悔やみ申し上げます」

「いや。 あ奴も、城に一番乗りと言う功名は得て面目も果たしました」


 そんな息子を褒める言葉とは裏腹に、森可成の表情は晴れない。 やはり、息子をそれも嫡子を失った悲しみは大きかったのだ。 そんな森可成の気持ちを汲んだのか、義頼もそれ以上はなにも言わない。 最後にもう一度頭を下げると、二人の前から辞したのであった。





ところ変わり、小谷城。

 その城の一室で浅井長政あざいながまさは、織田信長が京に戻った事を伊賀衆から報告される。 すると彼は赤尾清綱あかおきよつな阿閉貞征あつじさだゆき安養寺氏種あんようじうじたね、それから磯野員昌いそのかずまさ大野木茂俊おおのぎしげとし海北綱親かいほうつなちか、そして新庄直頼しんじょうなおより宮部継潤みやべけいじゅんの計八人を集めた。

 彼ら八人は、浅井長政が今最も信用し信頼している家臣である。 その八人に対し浅井長政は、秘中の秘とも言える言葉をを伝えた。


「聞け。 俺は義兄へ……信長公に会いにいく」


 主君の言葉に、八人全員が一様に驚く。 その後、彼ら八人の中でいち早く我に返った赤尾清綱が浅井長政に詰め寄りつつ反対の意を告げた。 しかし彼は、赤尾清綱の言葉に首を振る。 それは浅井長政の中では、織田信長の元へ出向くと言う案件が既に決定事項だからである。 恐らく織田信長へ浅井家の事情が知られているのがほぼ間違いないと言う状況において、下手な小細工などしたところで意味などありはしない。 ならば、正面から堂々と乗り込んで行った方が遥かにましだと考えたのだ。

 とは言え、危険であるに変わりはない。 そして出来うる事ならば、主君である浅井長政に危ない橋など家臣の立場としては渡ってもらいたくはない。 だからこそ赤尾清綱は何とか翻意させようと言葉を重ねたが、その決意は変わらなかった。

 しかも、浅井長政の考えに同意する者まで出てくる始末である。 その賛同者とは、安養寺氏種であった。 彼の発したまさかの言葉に驚きつつも、赤尾清綱は安養寺氏種を睨み付る。 しかし彼は涼しい顔で赤尾清綱の視線を受け流しつつ、彼は何ゆえに浅井長政の言葉に同意したのかを告げたのであった。


「宜しいか、美作守(赤尾清綱)殿。 この様な状況下において、もはや我らに後などありはしない。 此処ここ赤心せきしんを見せるつもりで行動を起こさねば、相手を動かすなど叶わぬでしょう」

「それは、そうかもしれぬが……」


 それでも赤尾清綱は、他に手は無いのかと模索をし始めた。

 しかし浅井家が置かれた今の状況において、嘘偽りのないありのままの心、即ち赤心を見せる以上の手などまず考え付かない。 だからと言って、そう簡単に受け入れられるものでもなかった。

 だからこそ赤尾清綱は、必死に頭を働かして別の手を考える。 そんな彼の思案を打ち切らせたのは、いっそ透明ともいえる表情を浮かべた浅井長政であった。

 

「清綱、これはもう決めた事だ。 例えそなたが何を言おうと、前言を翻す気など俺にはない」

「殿……」

「それと、お主達にこれだけは言っておく。 義兄より俺が如何いかなる処分を受けようとも、織田家に反抗はするな。 これ以上は、鏖殺おうさつされかねん」

『ぎ、御意!』


 八人の返事を聞いた浅井長政は、満足そうに何度もうなずいた。

 その後、彼は宮部継潤みやべけいじゅんと彼の配下の伊賀衆を供として京へと向かう。 城に残った七人に後の事を託した浅井長政は、城の大手門を出たところで京がある方向へ目を向けた。 少しの間、まるで京の街並みが見えているかのごとく彼は眺め続ける。 やがて視線を切った浅井長政は、今度こそ一路京を目指したのであった。

 その一方で、朽木城で休憩を取った義頼達はと言うと、その頃には城を後にしていた。

 それから彼らは、大津方面へは向わずに鞍馬山を通る鞍馬街道を使って北より京の町中へと入っている。 その足で、先に京へと戻っている筈の織田信長の元へ向かう。 果たして彼らは、無事に面会したのであった。


「その方ら、よくぞ戻った」

『はっ』

「これからの事については、明日にも軍議を開く。 今日はゆっくり休め」

『御意』


 明けて翌日、軍議が開かれる前に義頼は、織田信長に呼び出された。

 何かと思いつつ尋ねると、彼は主の冷たい目に出迎えられる。 そんな織田信長の雰囲気と視線に義頼は一瞬だけ気圧けおされかけたが、彼は一度目を瞑って己の気を落ち着かせる。 するとまるで見計らったかの様に、織田信長が義頼へ彼を呼び出した要件を告げる。 してその告げられた要件とは、浅井久政あさいひさまさに対する物であった。

 義頼は、一つ息を大きく吸ってから手に入れた浅井家の動きについて報告する。 全てを話し終えるまで黙って聞いていた織田信長であったが、話が終わると目を見開き怒りをあらわにした。

 その雰囲気は、黙って聞いていた先程までとは明らかに違い怒気を体から噴き出させている事からも怒りの大きさが分かる。 そんな彼の変化に、不覚にも呆気にとられた義頼だったが、我に返ると織田信長に進言した。


「お待ちください。 確かに浅井の裏切りを許す事は出来ませんが今回の場合、備前守殿(浅井長政)は父親の暴挙に巻き込まれたに等しいです」

 

 義頼の言葉に、織田信長は怒りを抑えぬまま言葉を返した。

 確かに、浅井家に起きた事に対してある程度は既に把握している。 それには、お市の方からの情報が大きかった。 だが幾ら父親が動いたからと言って、浅井家当主は浅井長政である。 その当主が、結果的には隠居している父親の勝手を許した以上、不手際である事に変わりはない。 だからこそ織田信長の中では、浅井家の面々を無罪放免とする気持ちはなかった。

 そんな織田信長の心情は兎も角、義頼の返答だが彼は首を二度三度と振り否定の意を表す。 その仕草に織田信長は、いぶかしそうな表情を浮かべる。 すると義頼が、ある進言をする。 それは何と、浅井長政助命の嘆願たんがんであった。

 それは彼だけに留まらず、お市の方様や浅井長政の子息にまで及んでいる。 無論、ただで許すはずもない事も承知している義頼は、引き換えに相応の罰を浅井家に与える事も併せて進言していた。

 まさか六角家当主である義頼から、助命の嘆願が出るなど夢にも思っていなかった織田信長は眼を丸くしている。 しかもその対象が、六角家と嘗て幾度となく干戈かんかを交えた浅井家のしかも当主なのだ。 両家の内情をいささかにでも知る織田信長にとって、助命の願いはやはり驚きを隠せない。 彼は暫くの間義頼を見ていたが、やがて堰を切った様に笑い始めた。


「何と、その方からその様な言葉が出てこようとは。 まさか助命を言い出すとは、流石に思いもよらなかったぞ。 お主と長政は敵同士であったのだろう? どういう心境の変化だ」


 織田信長の言葉に義頼は、少し考えた後で答えた。

 嘗て義頼が経験した事に、この状況に似通った事態があったからである。 勿論、此度こたびの撤退に比べれば遥かに規模は小さい。 それでも似たような経験である事に間違いはなかった。


「……もしかしたら、同情している……のかもしれません。 某も、身に覚えがあります故に」


 義頼が元服してから織田家に降伏するまでに経験した戦は、大きい物が六つある。

 その内の四つ、一つは【観音寺騒動】によって起きた浅井長政の六角領への派兵。 それから、浅井家の湖西の侵攻と布施家の反乱である【瀬田・布施山の戦い】。 更には矢島での三好長逸みよしながやすとの戦と、その事に端を発した宇曽川を挟んでの戦。 この4つの戦には、全て六角義治ろっかくよしはるが関係しているのだ。

 つまり義頼は、六角義治に振り回されたと言っていい。 だからと言って、今更彼へ何か言う気もなかった。 その様な義頼の心の内はいいとして、身に覚えがあるとの言葉に織田信長は興味を示す。 それからまるで尋ねるかの様に装いつつも、義頼へにじり寄った。 


「ほう? 身に覚えのう」

「はっ。 また、そればかりではありません。 他にも、二年前の借りを返したいという気持ちもあります」

「二年前の借り?……ああ、野洲川での事か。 だがその方を見ると、その二つだけとは思えんな。 まるで、長政に死んで欲しくない様に見える」


 織田信長に言われて、義頼ははたと気付いた。

 今の今まで、本当の意味で意識していなかった己の気持ちに。

 そう。

 義頼は、浅井長政に死んでほしくはないのである。 それが長年争ってきた相手の当主に対して抱いたのが、全く不思議としか言いようがない。 だが確かに義頼の心の内には、その様な気持ちがあるのだ。

 そんな義弟の言葉を聞いた織田信長は、まるで面白い物を見たかのような表情で彼を見る。 すると主からの笑い声に、彼は居心地が悪くなる。 そんな義頼を見た織田信長は、更に面白いものを見たとばかりにより大きな声で笑い声をあげたのであった。

 その時、部屋の外から声を掛けて来る。 その後も少し笑っていた彼だったが、漸く笑みを抑える。 それから、小姓に対して要件を誰何すいかする。 しかして告げられた内容は、織田信長もそして義頼にとっても意外としか言いようのない内容であった。

 何と浅井長政が、この京へ現れたと言うのである。 そればかりか、浅井長政は織田信長への目通りを希望していた。 すると織田信長は、そこで少し考え始める。 やがて顔を上げると、立ち上がる。 それから、何とも言えない笑みを浮かべている顔を義頼の方へ向けていた。

 彼はその時、何か自身に対する嫌な予感に襲われる。 だが主たる織田信長から声を掛けられた為、その予感は置いておく事にした。


「くくくっ。 聞いたか、長政はこの状況で正面からきおったわ……義頼、その方も来い」

「お会いになられるのですか?」

「ああ。 俺に会いに堂々と来た度胸と、笑わせた褒美に会ってやる。 それに、義弟からの助命もあったからな」


 浅井長政が現れた事で、離反した浅井家に対する最初の軍議が開かれる筈であった広間は、急遽信長と浅井長政の目通りの場所と変わる。 織田信長に続き義頼が入った広間には、織田家の重臣達が集められていた。

 そしてその広間内に場違いな格好をした一人の男が鎮座しており、そんな彼が齎す雰囲気に広間は異様とも言える空間となっていた。

 だがそれも致し方ないだろう、何せ浅井長政はこの場に死に装束に剃髪姿で現れたのである。 その上、彼は寸鉄一つ身につけていない。 そんな浅井長政が死に装束だけでなく首桶まで持参しているのだから、彼らの反応も止む負えない仕儀と言えた。

 なお、浅井長政に同行していた宮部継潤は別室に留められていた。

 やがてその様に異様な雰囲気を醸し出している広間に、織田信長が現れる。 流石に死に装束姿でこの場に現れるとは予想外だったのか、彼をして歩みが一瞬だけだが止まる。 だが次の瞬間には歩みを進めており、それからどっかりと上座に胡坐をかいたのであった。


「さて長政。 言いたい事はあるか」

「しからば……此度、拙者の至らなさと我が父の行い故、信長公及び織田ご家中に多大なるご迷惑をかけ真に申し訳ありませぬ。 願わくば、拙者の命と父久政の首に免じて家臣領民は御助命いだけますよう伏してお願い申し上げます」


 そう言うと浅井長政は、織田信長に平伏する。 そんな彼を、織田家の者達はじっと見ていた。

 織田家の者達の視線に込められた物は、勿論それぞれ違う。 憐みの視線を向ける者もあれば、侮蔑の籠った視線を向ける者もいる。 中には浅井長政の覚悟を、見事と思う者もいた。

 その様なさまざまの思惑が渦巻く中、織田信長は義頼へ首を確認する様に命じる。 指名された義頼は、確認をより確実とする為に、織田信長の許可を得た上で馬淵建綱まぶちたてつなと共に行った。

 手を合わせた後で確認した首は、浅井久政で間違いは無いと思われる。 それから隣に目をやると、馬淵建綱は頷く。 それは、浅井久政の首に間違いないと言う意思表示であった。

 確認した二人が、揃って同じ答えに至った以上は間違いなどない。 義頼が浅井久政の首であると報告すると、織田信長は二人へ小さくねぎらった。

 そして小姓に命じて、浅井久政の首をこの場より持って行かせる。 やがて、浅井久政の首が広間から消えると、織田信長がゆっくりと立ち上がった。 そのまま小姓に近づくと、彼の持っていた自分の刀を鞘から抜く。 次の瞬間、広間内の緊張感が一気に高まった。

 その雰囲気は、まるで張りつめた一本の糸の様である。 その緊張感の中にあって織田信長は、抜き身の刀を持ちながら浅井長政へと近づく。 そして彼の目の前に立つと、平伏している浅井長政に顔を上げる様に言い放った。

 平伏していた浅井長政が顔を上げると、その両の眼に織田信長が手にしている刀身が目に入る。 既に覚悟を決めているからか、うろたえる事無く顔を見上げていた。 静かに二人の視線が交わると、部屋に張り詰めている緊張が更に増す。 やがて誰からともなく唾を飲み込んだ様な音がすると、その音は異様なくらい静かに広間に響き渡った。

 まるでそれが契機だったかの様に、織田信長が刀を振りあげる。 すると浅井長政は、対照的にゆっくりと目を瞑ったのである。


「いい度胸だ、長政」


 次の瞬間、織田信長は刀を振り下ろした。

 間もなくこの広間に、固い物を強く肉体に叩きつけた様な音が響く。 その音に続いて、今度はうめき声の様な物も漏れ出る。 そしてその呻き声だが、したたかに肩を打ち据えられた浅井長政が漏らしたものであった。

 要は浅井長政を斬り捨てたのではなく、織田信長は刀の峰で打ち据えたのである。 肩を抑えながら体勢を崩している彼を一瞥した後、織田信長は踵を返す。 そして刀を鞘に戻すと、再び上座に腰を下ろしたのであった。


「沙汰を命じる。 浅井領のうち、浅井郡と伊香郡を除く領地は没収。 それから小谷城は破却を命じ、同地への再建は許さん。 それと、その方の暫しの謹慎。 最後に、嫡子を人質とする。 以上だ」

「は、ははっ」


 浅井家にとり領地半減、及び当主の謹慎と嫡男の人質という沙汰は結構つらい物ではある。 しかし、家臣領民に対しての手出しは無い。 自らの命すら差し出す覚悟であった浅井長政にとってみれば、十分受け入れるに値した沙汰である。

 しかし、織田信長の言葉はそこで終わらなかった。


「長政。 俺が与えた肩の痛み、忘れるな。 次は無い、そう思え!!」

「しょ、承知致しました」


 殺気すらほとばしらせながら言い放つ織田信長に対して浅井長政は、再度平伏する。 その後、広間から出ようとしたが、何かを思い出したかの様に立ち止まると織田信長は浅井長政に声を掛けた。


「おお、そうだ。 礼なら、義頼にもしておけ。 もの好きにも、その方を助命しようとしたわ」

「と、殿!」


 義頼は「これが先ほどの嫌な予感の答えか」と思いつつ慌てたが、もう遅い。 織田信長は笑い声を上げながら、この場より立ち去る。 広間には奇異の視線にさらされている義頼と、目を丸くした浅井長政が残されたのだった。



 織田信長と浅井長政が面会した広間に、先ほどまでの緊張感など雲散霧消うんさんむしょうしている。 代わりに何とも言えない雰囲気が、広がっているのみであった。

 その様な雰囲気の中、丹羽長秀にわながひでが義頼へうかがう様に尋ねる。 それは勿論、つい先程の織田信長の言葉に対してである。 問われた義頼は、逡巡しながらも是と答えていた。

 その答えに、今度は柴田勝家しばたかついえが理由を誰何する。 すると義頼は、またしても躊躇った後でその問いに答えていた。

 

「……二年前、某は備前守(浅井長政)殿に大きな借りを作り申した。 その借りを返した、ただそれだけにございます」

「借りだと? 何だそれは」

「聞いた事がある。 あの【野洲川の戦い】で、備前守より六角殿の助命があったとか無かったとか」


 二年前の借りについて柴田勝家が尋ねると、思い当たるふしのあった丹羽長秀が告げた。

 その言葉に問い掛けた柴田勝家を含め、織田家臣のあちらこちらから思いだしたかの様な声が上がる。 そんな周りの雰囲気に、義頼は更にばつが悪くなった。

 その時、止めとばかりに浅井長政が一言呟く。 これ以上はないくらいばつが悪くなった義頼は、辞去の挨拶を口にするとまるで逃げる様に広間から立ち去る。 やがて広間には、誰からともなく上がった笑いが満ちたのである。

 最も浅井長政は、笑うに笑えない。 何とか顔をひきつる程度で、収めていたと言う。

 何はともあれこうして浅井家は、従属という形であったが何とか家の存続を得る事に成功する。 その顛末は、宮部継潤の連れて来た伊賀衆によって小谷城に伝えられる。 その知らせに、小谷城に残っていた赤尾清綱達は安堵して胸を撫で下ろしたのであった。


浅井家と長政の命は、存続しました。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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