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第三十一話~遠藤直経の決断~


第三十一話~遠藤直経の決断~



 妙顕寺内にて浅井家が裏切ったなどと正に寝耳に水と言える知らせを義頼から聞かされた織田信長おだのぶながは、思わず呆気に取られてしまう。 しかし直ぐに気を取り直すと、やがて大いに笑い出した。

 彼にしてみれば、浅井長政あざいながまさが裏切ったなど戯言ざれごとにしか聞こえない。 確かにこの朝倉攻めに関して浅井家……より正確に言えば浅井久政あざいひさまさとの密約を破っていると言えるが、浅井長政も馬鹿では無い。 その密約が、あくまで形の上でしか無い事は十分に理解している。 その浅井長政が当主として率いている浅井家が裏切るなど、織田信長に取ってみれば埒外の考えでしか無かったのだ。

 ゆえに織田信長は、一頻り笑った後で視線を義頼へ向ける。 その視線に怒りはないが、同時に少し呆れた様な色が籠められていたのも彼の心情をかんがみれば当然と言えた。


「全く……義頼、戯言も大概にしておけ。 長政が俺を裏切るなど、あり得ぬ」

「殿! 戯言などではありません。 既に浅井久政の命を受けた浅井の兵は、北近江を出立しているのです。 遅くとも明日には、疋檀城に到着する物と思われますっ!」


 切迫しているという顔で言い募る義頼の言葉を聞いた織田信長は、己の何かに引っ掛かる物を感じる。 その直後、彼から表情を消えたかと思うと次の瞬間には鋭利な顔つきとなっていた。

 そして織田信長は、何かを促す様に顔を動かす。 そんな仕草を見た義頼は、山中俊好やまなかとしよしが届けて来た報告書を主へと差し出した。 その報告書には、前述した様に浅井勢の動きなどが簡潔ながらも記されている。 その報告書を最後まで目を通した織田信長は、視線を義頼に向けた。


「これを見れば、確かにその方の言う通りだ。 だが、確実と言えるのか?」

「その情報を届けた者は、実際に兵として集められた者達から受け取ったのです」

「そうか! その方は、潜ませていたのだな……ふむ、相分かった。 直ぐに確認させる」


 暫く考えた後での織田信長の言葉なのだが、当の義頼としては早々に撤退へと移って貰いたいと言うのが本音であった。 だが織田信長が、浅井長政という男を気に入っている事は義頼も先刻承知である。 そんな主が、浅井勢の動きを確認したいと言い出した気持ちも分からないでは無かった。

 しかしだからと言って、手をこまねいているの考え物である。 だからこそ義頼は、敢えてその事を指摘した。 すると、彼の言葉を打ち消す様に織田信長が言葉を重ねて来る。 そこで義頼は言葉を切ったが、彼は構わず言葉を続けて来た。


「聞け、義頼。 確認と同時に、撤収の準備もさせる。 どの道、我らは敦賀を発つつもりであったのは知っておろう。 そして、木の芽峠に向かう事も」

「はい」

「それが、撤収に代わるだけの事。 違うか?」

「……分かりました」


 木の芽峠に向かおうが、撤退に移ろうが移動すると言う事に変わりがある訳ではない。 そして移動の為の手筈を整えるというのならば、義頼はそれ以上言うつもりもなかった。

 そんな義頼を尻目に、信長は撤退の方法を考え出す。 義頼の誤報であるならば良いが、もし正しかった場合は朝倉勢と浅井勢に取り囲まれてしまう。 いや、下手をすれば若狭衆も怪しい。 そうなってしまっては、完全に逃げ道が塞がれてしまう事になるからだ。

 前門の朝倉勢に後門の若狭衆、ついでに横腹を喰い破るべく虎視眈眈こしたんたんと浅井勢が狙っている。 とても耐えられるとは思えなかったが、まだ諦めるのは早い。 この虎口から脱出できれば、反撃は可能である。 時は掛かるかもしれないが、朝倉家と浅井家に借りを返す事は出来るのだ。

 しかしそれも全て、生き残った後の話である。 死んでしまえば、元も子もないのだ。

 何とか最悪に陥った場合の脱出方法について織田信長が思案している最中、義頼が進言する。 考えを中断される事にいささか気分を害したが、一応その先を促す。 その言葉に一つ頭を下げると、撤退の道筋について説明を始めた。

 義頼の言で、二つの手順が示されたのである。 一つは、若狭国を通り針畑峠を越えるという道筋。 もう一つは琵琶湖を渡り、近江国南部の大津か草津。 若しくは、常楽寺湊へ上陸すると言う道筋であった。 しかしながら、六角水軍はまだ海津湊に到着していない。 その為、今現在では針畑峠越えが撤退の道筋であった。

 義頼の説明を聞いた織田信長は、暫く考える。 若狭国を抜け、針畑峠を越える。 その後は朽木領を経由した後に、琵琶湖西岸を抜けて京へと向かう道筋は決して悪くはない考えだからだ。

 しかし、一つこの道筋に問題がある。 と言うのも、若狭国内に土地勘が無いと言う事であった。 最悪の状態となれば、若狭衆も敵となる可能性が否定できない。 となれば、若狭衆を用いるのも此度こたびに限っては躊躇わざるを得なかった。

 しかし義頼は、織田信長へその解決策を示す為に後ろへ目配せする。 するとそこには、大原義定おおはらよしさだ沼田清延ぬまたきよのぶ。それから、清延の弟である沼田光友ぬまたみつともが平伏していた。


「殿。 そこに控えます者のうちの二人は、元々若狭の者です」

「何だと?」

「熊川城なのですが、実はつい先年までは若狭沼田一族の城でした。 しかし現熊川城主の松宮左馬亮まつみやさまのすけの父親である玄蕃允(松宮清長まつみやきよなが)により、熊川の地より追われたのです。 そこで某が、昔の恩義を返す意味も含めて客として受け入れました」

「昔の恩義? 何だそれは」

「それは……公方(足利義昭あしかがよしあき)様が近江国内の矢島に居た頃まで話が戻ります。 当時、ある問題が切欠となり公方様は近江を離れ若狭へご動座致しました。 その際、若狭の武田家に話を通したのですが、窓口となったのが当時の熊川城主で沼田家当主だった上野介(沼田光兼ぬまたみつかね)殿です。 その縁で、熊川城を脱出後に近江に落ちて来た沼田一族を某が受け入れたのでございます」


 義頼の説明で納得がいった織田信長は、彼に対して一つ頷く。 そして、撤退となった場合の道筋を決断した。 まだ海津湊に辿り着いてもいない水軍を、当てになど出来はしない。 となれば、自ずと答えは決まって来る。 陸路による撤退、それに他ならなかった。

 彼の感覚からすれば漸く信長から撤退の道筋について聞いた義頼は、甥の大原義定と家臣の沼田清延と沼田光友を改めて織田信長に紹介する。 その上で、若狭沼田家現当主の沼田清延と彼の弟である沼田光友を織田本陣に残す。 そして義頼自身はと言うと、疋檀城へ戻っていくのであった。





 さてその頃、小谷城でも動きが起きていた。

 土牢へと押し込められて動けない浅井長政に代わり、父親の浅井久政が一時的に浅井家当主代理となる事を集めた家臣の前で宣言したからである。 しかもその理由が、浅井久政に対して浅井長政が不義を働いたからだと言うのだから驚きは一入ひとしおであった。

 すると当然の様に広間にざわめきが起きるが、浅井久政はあえて話を続ける。 その内容は、驚きに輪をかけるものであった。 事もあろうか、織田家と袂を分かつと言ったからである。 その上、朝倉家と足並みを揃えるとまで宣言したのだ。

 その直後、ざわめきが更に大きくなる。 最早、浅井家家臣が集められた広間には喧騒に満ち満ちており、簡単には収拾が付きそうになくなっていた。 そんな家臣の様を見て浅井久政は、仕方無く一刻の中断を告げる。 その間に去就を決めろという考えであったのだが、この事が彼の致命傷となるのは皮肉であった。

 と言うのも、この中断を利用して遠藤直経えんどうなおつねが動いたからである。 まず遠藤直経は、数人の同僚に声を掛ける。 それから彼らと共に、自らの部屋に移動した。

 直経が声を掛けたのは、赤尾清綱あかおきよつな阿閉貞征あつじさだゆき。 それから安養寺氏種あんようじうじたね磯野員昌いそのかずまさ大野木茂俊おおのぎしげとし新庄直頼しんじょうなおより。 そして、宮部継潤みやべけいじゅん海北綱親かいほうなおちかの計八人である。 全員が浅井家の重臣に当たる存在であり、そして皆がどちらかと言えば長政派と言える者達であった。

 八人が部屋に入ると、直経は配下の霧隠弾正左衛門きりがくれだんじょうざえもんに誰も取り次がない様に命じる。 その上で八人に、先程の一件についてどう思うか尋ねた。

 すると部屋に、少しの間だが沈黙が流れる。 しかし、その沈黙を海北綱親が破った。 それも、当然であろう。 海北綱親が浅井長政の元を訪れたのは、今朝の事なのだ。 その時、浅井長政は浅井久政のところに行くと遠藤直経と海北綱親に言っている。 そして、同日の昼前に浅井長政の訪問を受けた筈の浅井久政が当主代理に就くなどと言うのだから裏が無いと考える筈が無かった。


「拙者は、此度の事に裏があると思います」

『裏だと!?』


 海北綱親の言葉に、遠藤直経を除く者達の口から驚きの言葉が出た。

 すると海北綱親は、視線で「聞いた事を話していいか」と尋ねる。 遠藤直経は、頷く事で返事とした。 了承を得た海北綱親は、今朝の出来事をこの場で話し始める。 その内容に、海北綱親と遠藤直経を除く七人の表情は強張って行った。

 どう考えても、反対する浅井長政を浅井久政が捕えたとしか思えないからである。 と同時に、彼らはある事に気付いた。 浅井長政の行方を知る者が、浅井久政しか居ないと言う事にである。 つまり裏を返せば、浅井久政は浅井長政を人質としているに等しいのだ。  

 これでは、逆に動けない。 少なくとも浅井長政の行方が分からなければ、動くのは厳しいと言えた。 その事実に、部屋の空気は重くなる。 だが暗い表情を浮かべる面々の中で、ただ一人悲壮感に囚われていない者が居た。 それは、遠藤直経である。 元傅役と言う、この場に居る者の中である意味最も暗い表情を浮かべる筈の男が微塵もそんな様子を見せていない事に気付いた赤尾清綱は、訝しげな顔をする。 そこで問い掛けようとした時、部屋の外から遠藤直経へ声が掛かった。

 すると、即座に立ち上がると部屋の襖を開ける。 赤尾清綱から垣間見えるそこには、膝をついている霧隠弾正左衛門ともう一人が見えていた。

 そして遠藤直経だが、膝をつくと何やら報告らしき物を受けている。 するとそのうちに、彼の顔に喜色が浮かんで来た。 報告を全て受けると、遠藤直経は部屋の中に振り向く。 その表情は笑みを浮かべているが、しかし表情と相反する様に眼は笑っていなかった。

 そんな目と表情の差異に、誰ともなく唾を飲み込む。 すると奇妙なぐらい、その音が部屋に響く。 その直後、まるでその音を契機としたかの様に遠藤直経が思いがけない一言を紡いだ。


「そなた達。 今一度、十五年前の再現を行うつもりはないか?」

『…………はあっ!?』

 

 あまりにも突拍子のない言葉に、遠藤直経を除く全員が異口同音に声を上げたのであった。

 それはそれとして、遠藤直経の言う十五年前の再現とは如何いかなる事か。 それは、当時の浅井家で起きた当主の強制隠居事件であった。

 その頃の浅井家は、一応独立の形を擁していたが、実質は六角家の従属大名となっていたのである。 これは、浅井家を守る為に浅井久政が行った苦渋の決断による物であった。 しかし、その事を不満に思っていた浅井家重臣達は、久政を竹生島ちくぶしまに幽閉した上で浅井長政へ家督を譲らせたのだ。

 これが十五年前に起きた事件だが、この話には続きがあった。

 この様な経緯を経て浅井長政は浅井家の当主となったのだが、その際に当時妻としていた平井定武ひらいさだたけの娘を離縁して実家に送り返している。 また、六角承禎ろっかくしょうていより偏諱を受けて名乗っていた賢政の名を新九郎へ変えたのだ。

 更に、当時肥田城主であった高野備前守まで寝返らせたのである。 これには、六角承禎も激怒した。 己が差配した婚姻を一方的に反故ほごとしただけでなく、偏諱もなかった事にしたのである。 そればかりか、国境近くの城主すら調略したのだ。

 此処ここまでされては、軍を動かさざるを得ない。 六角承禎は兵を集めると、先ずは肥田城へと兵を向けた。 すると当然だが、城主の高田備前守は浅井家へ援軍を要請する。 浅井長政はこれに答え、小谷城より出陣した。

 この後、六角家と浅井家は野良田の地で激突する。 後に【野良田の戦い】と称されたこの戦にて勝利を得たのは、以外にも兵が少なかった浅井長政率いる浅井家であった。

 この勝利で浅井家は、江北における覇権を完全に有したとされている。 また浅井長政もこの勝利で家臣の信頼を己が物とし、神輿の様な扱いから当主としての力を確立させたのであった。



 話を戻して、つまり遠藤直経は浅井久政を退けるべきだと提示したのである。 この言葉に、先ほどとは別の意味で遠藤直経を除く全員が唾を飲んだ。 

 それからどれくらい時間が経ったであろう。 やがて宮部継潤が、確認するかの様に尋ねたのであった。

 

「喜右衛門(遠藤直経)殿。 具体的には、何をする気なのだ?」 

「ご先代様を討つ。 その首を持って、信長公から許しをいただく」

「待て! 殿の安否が先であろう」 


 慌てた様に言った新庄直頼の言葉に、遠藤直経を除く全員が頷く。 しかし彼は、笑顔と共に彼らへある情報を告げる。 それは、浅井長政の居場所であった。

 実は浅井長政と面会した今朝のあと、遠藤直経は事態が事態であった為に配下の伊賀衆を付けていたのである。 しかし、浅井久政の部屋に入ったは良いが一向に浅井長政が出て来ない。 その事を報告された遠藤直経は、伊賀衆に行方を探させてたのである。 やがて行方を突き止めた伊賀衆が、先ほど報告して来たのだ。

 「長政は、土牢に居る」と。

 こうして遠藤直経から浅井長政の行方と安否を聞き、部屋の中に安堵の空気が流れる。 しかしその空気を、遠藤直経が切り裂いた。


「さて、殿の行方が分かった。 そこで、そなた達には二つの事を頼みたい。 一つは、殿の救援。 もう一つは、家中の抑えだ」

「それは構わぬが、貴公はどうする気だ?」

「先ほど言ったであろう、淡路守(阿閉貞征)殿。 御先代様を……討つ! と」

「本気かっ!」

「勿論本気だ、淡路守殿。 御家の為、浅井家中の者の為。 ひいては、この地に住む民の為。 織田との戦火など、避けねばならん。 その為には、御先代様の首が必要なのだ。 それでも許されるかは分からんが、座して滅びるよりはましだ」

「しかし、貴公もただではすまな……」


 遠藤直経の言葉を聞いて思わず声を掛けた宮部継潤だったが、彼の言葉は最後まで続かない。 と言うのも遠藤直経の目に、覚悟の色が見て取れたからだ。 最早もはや、どれだけ言葉を投げかけても彼の決意を翻意ほんいさせる事は出来ない。 その事を理解してしまったが為に、言葉が紡げなくなったのだ。

 そしてそれは、宮部継潤以外の者達も同じである。 悲壮とも言える覚悟を見せる遠藤直経に、二の句など継げる筈もなかった。 


「……それが貴公の覚悟、と言う訳か……相分かった喜右衛門殿! この赤尾美作守清綱、必ずや殿の救出と家中の抑えを行おう」

かたじけない」

「何、浅井家の為だ気にするな……して各々方は如何いかが致す?」

「……拙者も喜右衛門殿にご賛同致します」

「ならば拙者も」


 赤尾清綱に問い掛けられた八人は、一様に考え始めた。

 そんな中、先ず宮部継潤が同意する。 その直後、海北綱親と大野木茂俊が同意した。 それから阿閉貞征、安養寺氏種、磯野員昌と続く。 新庄直頼は最後まで逡巡していたのだが、彼も最終的には同意した。

 その後、彼らは金打ちして今の約束を違えない事を確認する。 そして直経以外はこの場に残り、誰が何を担当するかを話し合う事となった。

 そして遠藤直経だが、彼は部屋を出ると霧隠弾正左衛門に指示を出す。 それは、浅井久政に近いいわば久政派といえる浅井家臣をいつでも捕える事が出来る様にとの命であった。

 幸いと言っていいのかは分からないが、浅井久政に近しい家臣は元々少ない。 それぐらいの数ならば、伊賀衆で十分捕縛出来ると遠藤直経は判断したのだ。

 伊賀衆に指示を出した直経が部屋に戻ろうとしたその時、襖が開く。 現れたのは、磯野員昌と大野木茂俊と新庄直頼であった。

 彼らは、遠藤直経を見ると彼に浅井長政のところへ案内する様に言って来る。 その言葉で、三人が救援に向かうのだと判断した遠藤直経は伊賀衆を数人付ける。 彼らは浅井長政の捜索を命じられた者達であり、そして行方を突き止めた者達でもあった。

 三人に配下の伊賀衆を付けて送り出した遠藤直経は、今度こそ部屋に入る。 そこでは、出て行った三人以外の五人が顔を突き合わせていた。 彼らは手分けして、浅井久政派以外の浅井家臣を説得するつもりである。 今は誰が誰を説得するかに付いて、意見をすり合わせていたのだ。 

 浅井家中に対しては、彼らに下駄を預けた状態なので今更遠藤直経が言う事はない。 彼は座ると、部屋の柱に背もたれる。 そして、伊賀衆からの報告を待った。

 やがて話し合いが纏まったらしく、彼らが出て行こうとする。 その時、遠藤直経は宮部継潤を呼び止めた。 


「喜右衛門殿、何か?」

「うむ。 実は伊賀衆に付いてなのだが、善祥坊(宮部継潤)殿に任せたい」

「拙僧にですかな?」

「ああ。 そなたならば、任せられる。 どうであろうか」


 遠藤直経の言葉に驚いた宮部継潤であったが、死にゆく事を覚悟した者の言葉である。 とても、無碍には出来ない。 それから少し間を置くと、宮部継潤は了承した。 途端に彼は、小さく笑みを浮かべる。 そんな遠藤直経に一礼すると、宮部継潤は先に出た四人を追う様に部屋から出て行った。

 それから暫く後、霧隠弾正左衛門が手筈が整った旨を遠藤直経に伝える。 その直後、彼は、霧隠弾正左衛門に命じて捕縛を実行させた。

 伊賀衆が消えると、遠藤直経は書状を認める。 その書状が書き終わる頃、再び霧隠弾正左衛門が現れた。 彼からの報告で捕縛に成功した事を知った彼は、拳を握りしめる。 そして、捕縛した者達の監視と伊賀衆の招集を霧隠弾正左衛門に命じた。

 待つ事暫し、霧隠弾正左衛門を筆頭に伊賀衆が集まる。 すると遠藤直経は、静かに彼らへ最後の命を告げた。


「よいか。 急で済まぬが、これが拙者からの出す最後の仕事だと思え。 この仕事以降は、善祥坊殿の指示に従うのだ。 彼にも話は通してある」

「はっ。 して、目標は?」


 敢えて尋ねる霧隠弾正左衛門に、遠藤直経は不敵な笑みを浮かべる。 それから一言一句、噛みしめる様に命を告げたのであった


「小丸におわします、ご先代様だ。 今から決行する!」

『承知しました』 


 行動を起こした遠藤直経は、伊賀衆を数名で一つの組みとして行動させる。 そして、自らも数名の伊賀衆と共に進んでいった。

 元々、遠藤直経は伊賀衆の束ねとして家中では認識されている。 その彼が、数名の伊賀衆を連れていたところで怪しまれる事など無かった。 何より皮肉な事に、浅井久政の宣言によって生み出された小谷城内の混乱や喧騒がそこかしこであり目立つ事はない。 そんな小谷城内を、彼らは慎重に進んでいった。

 遠藤直経は本丸は敢えて避けて同志でもある赤井清綱の曲輪、通称赤井曲輪を抜ける。 それから、やはり同志の大野木茂俊の屋敷を経由した。 そのまま彼らは、久政の隠居屋敷がある小丸の前で集合する。 その後、静かに小丸曲輪内へと侵入を果たした。

 ここまで侵入できれば、もう慎重にそして密かに行動する必要もない。 遠藤直経は、今までの慎重さとは一転して強行突入を敢行する。 無論、誰何すいかはされたが、遠藤直経は内心でその者に謝りながら黙って斬り捨てて行った。

 此処で漸く、小丸の隠居屋敷内は騒ぎとなる。 しかし完全な奇襲である事と、何より浅井家重臣である遠藤直経率いる部隊が攻勢を掛けている為か動揺が大きい。 彼らは組織だった反抗もままならないまま、次々と討たれていった。

 果たして隠居屋敷は、彼らによって制圧される。 すると遠藤直経は、そのまま浅井久政が居る部屋へと踏み込んだ。 そこには浅井久政の護衛を務める数人、そして浅井井演と井口経親いのくちつねちか。 そして、舞楽師の森本鶴松大夫もりもとつるまつだゆうが驚きの表情を浮かべていたのであった。



 その頃、小谷城の一角にある土牢では二人の男が向き合っていた。

 一人は言うまでもない、浅井長政である。 そしてもう一人は、意外だが浅井井伴あざいいともであった。 浅井井伴は浅井長政を説得する為にこの場に居るのだが、ひたりと土牢内より睨みつけらて逆に視線を逸らしていた。

 やはり浅井井伴には、浅井長政を捕えた事に対して後ろめたい気持ちがある。 しかしそれよりも、彼は土牢内より向けられたきつい視線にうろたえていたのである。 これでは、どちらが説得する側なのか分からなかった。 

 だが、それでは此処に居る意味が無い。 浅井井伴は、浅井長政の気持ちを翻意させるべく口を開いた。


「殿。 御先代様がおっしゃった様に、我らには大義があります。 どうか、御先代様と共に歩むとお約束して下さい。 さすれば、拙者が責任を持って此処よりお出しします」


 しかし、浅井長政の目は厳しいままである。 浅井井伴の言葉は、全く彼の胸には響いていなかった。

 足利義昭の御内書によって、三好家や朝倉家が味方となっている。 確かに、その件は評価に値するであろう。 だが、それだけで勝てるのならば苦労はないのだ。

 織田家が今よりも力が無かった上洛時、織田家より強大であった三好家は敗れている。 足利義昭と言う大義名分が織田家にあったとはいえ、三好家の力は相当の物であった。

 一代の英傑であった三好長慶みよしながよしが亡くなっていたとは言え、三好三人衆や三好康長みよしやすなが篠原長房しのはらながふさなどの良将は数多くいたのだ。 それであるにも拘らず、三好家は織田家に敗れてしまう。 その翌年には雪辱も兼ねて本圀寺へと攻め込んだが、この戦も三好家の敗北で終わったのだ。

 その事実を鑑みれば、大義だけでどうにかなるとは到底思えないのである。 だからこそ浅井長政は、父親を止めようとしたのだ。 結果としては、望みとは逆となってしまったていた。


「井伴。 大義あるから成功するとは限らんぞ」

「ですが、三好と朝倉。 そして浅井が三方から攻めれば、迎撃の準備が整っていない信長が虎口を脱するとは思えませぬ」

「だと良いがな」


 しかし浅井長政は、浅井井伴の言葉を切って捨てた。

 彼には、織田信長が今の事態に気付かないとは思えないからである。 もし本人が気付かなくても、周りに気付く人間が居る。 そう考えれば考える程、浅井長政の脳裏には義頼の影がちらつくのだ。

 するとその時、通路の方から人が来る様な気配を感じる。 一人ならば気付けなかっただろうが、複数居た為に気付けたのだ。 すると浅井長政は、気配がした方に視線を向ける。 やがて彼の視界には、磯野員昌と大野木茂俊と新庄直頼の姿が入ったのであった。

 三人が現れた事に浅井長政は驚いたが、彼以上に驚いたのは浅井井伴であった。

 何せ浅井長政がこの土牢に閉じ込められているのは、極一部の者しか知らない。 そして現れた三人も、知らない筈である。 少なくとも、浅井井伴は三人が知っている筈もないと認知していた。

 だが、現れない筈の三人が現れた事で、土牢の格子越しに相対していた二人と見張りの者は呆気に取られてしまう。 そんな隙を、現れた三人と三人を案内して来た伊賀衆が見逃す筈なかった。

 磯野員昌は呆気に取られている浅井井伴に対して一足飛びに近づくと、彼の腹部に拳を叩きこむ。 綺麗な形で拳を入れられた浅井井伴は、一言呻くとそのまま意識を失った。 その直後、新庄直頼が見張りを務めている兵に走り寄る。 すると彼は、見張りを一刀両断に斬り捨てていた。

 すかさず伊賀衆が、浅井井伴を縄で縛り拘束する。 そして土牢でだが、大野木茂俊が浅井長政と再会を果たしていた。


「殿。 よくご無事で」

「あ、ああ。 しかし、何故にそなたらが此処に来たのだ?」

「実は……喜右衛門殿から相談を受けたのです」


 そう言ってから大野木茂俊は、浅井長政が浅井久政に捕えられてから今に至るまでの経緯について話す。 厳しい表情のままで最後まで聞いていたが、聞き終えると彼は大野木茂俊へ詰め寄る。 そして彼へ、遠藤直経の行方を問いただしていた。

 しかし彼から、明確な答えは返ってこない。 それも、当然である。 少なくとも三人が、浅井長政の救出に向かうまでは部屋に居たからだ。

 話を聞いた浅井長政は大野木茂俊へ一つ頷くと、三人と共にこの場に現れた伊賀衆へ問い掛ける。 何と言っても、彼らを統括していたのは遠藤直経である。 それ故に、問えば分かると判断したのだ。

 浅井長政から問い掛けられた伊賀衆の一人は、少し間を明けた後で遠藤直経が行っている手段に付いて答える。 それを聞いた浅井長政は、おもむろに立ちあがった。


「員昌、茂俊、直頼! ついて来い! 小丸へ行くぞ!!」

「な、何故でございますかっ!」

「知れた事。 直経に、汚名を被せない為だ!」


 それだけ言うと、浅井長政は駆け出した。

 すかさず、伊賀衆が追随する。 慌てて、磯野員昌ら三人も後を追い駆けたのであった。


史実から…………


ご一読いただきありがとうございました。

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