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第二十七話~御内書~


第二十七話~御内書~


 

 年も明けた正月、義頼は年賀の祝いの為に岐阜を訪れた。

 すると岐阜城下にある六角家の屋敷に、護衛と共に入る。 それから彼は、織田家への人質として屋敷に常駐する甥の六角義治ろっかくよしはるへ新年の挨拶を行った。

 甥と挨拶を交わした義頼は、彼へ今回の岐阜来訪の目的を告げる。 それは二つあり、一つは主たる織田信長おだのぶながへ新年の挨拶と進物の献上をする為である。 そしてもう一つは、新年を祝う宴を開く許可を得る為であった。

 通常であれば、宴を開くぐらいで許可が必要な訳ではない。 しかしながら、義頼が新年を祝うに当たって集める面子に問題があるのだ。 彼が新年を祝う宴に集める顔ぶれは、ことごとくが近江国の国人なのである。 具体的に言えば、元六角家臣やその人質などを集めた宴なのだ。

 織田家に降伏した六角家当主の義頼が、元六角家臣の人質を集めて宴を行う。 ほぼ間違いなく、織田家中から要らぬ勘繰かんぐりをする者が出る事が予想された。

 と言っても、当初は予想していた訳ではない。 しかしその事を、観音寺城下にある六角館を出る前に、兄の六角承禎ろっかくしょうていや家臣の本多正信ほんだまさのぶ、他にも沼田祐光ぬまたすけみつから指摘されてしまったのである。 そして彼らから、誤解を招く前に織田信長からの許可を得るべきだとさとされたのだ。

 そこで義頼は、兄の忠告や家臣の進言を生かすべく、新年の挨拶にかこつけて織田信長から許可を得るつもりなのである。 主からの許可さえ得てしまえば、他人から何を言われようと下種の勘繰りとしてしまえる。 無論、そのまま言い返す様な真似はしないが、憂いを間違いなく無くす事が出来るのは明白だった。

 そして岐阜に到着した翌日、義頼は六角家の弓衆を束ねる吉田重高よしだしげたかの嫡子である吉田重綱よしだしげつなを伴い岐阜城下にある織田信長の屋敷を訪問した。 なお吉田重綱であるが、彼は義頼の小姓として岐阜へ同行していたのだ。

 屋敷に到着した義頼と吉田重綱であったが、彼らは暫く待たされる。 やがて呼び出しを受けると、吉田重綱を待機していた部屋に残して義頼は一人で織田信長と面会した。 その席で新年の挨拶と、年始の進物の目録を献上する。 その内訳だが、地元の産物である漆器や焼き物などであり、決して派手ではないがかと言って質素過ぎない物を選んでいた。

 その後、義頼は元六角家の人質達と新年の宴を岐阜の六角屋敷で催す許可を求める。 そしてついでと言う訳ではないが、近江国の六角館で元六角家臣を集めて新年の宴を行う許可も求めていた。 すると信長は「勝手にせい」と、あっさり許可を出す。 あまりのあっけなさに、義頼の方が面を喰らったぐらいであった。

 何はともあれ、織田信長より許可を得ると彼は屋敷に戻る。 すると義頼の来訪をどこで聞きつけたのか、蒲生頼秀がもうよりひでが尋ねて来ていた。

 彼は義頼の顔を見ると、嬉しそうに破顔はがんする。 それから新年の挨拶を行ったのだが、彼の挨拶に義頼は笑顔で答えていた。

 その後は、蒲生頼秀から立っての頼みで、義頼は弓の鍛錬を見てやる。 その中で褒めるべきところは褒め、直すべきところは直す様に指導していた。 やがて鍛錬を終えると、師弟でもある二人は、屋敷内の茶室へ移動する。 そこで義頼が茶頭となり、蒲生頼秀と六角義治に茶を点てた。

 六角義治も茶の作法については一通りたしなんでいるし、蒲生頼秀に至っては弓と同様に義頼の弟子である。 彼らは弓などの共通する話題も多い事もあってか、夜の帳が下りるまで語り合っていた。

 やがて夜となると、蒲生頼秀は屋敷を辞する。 彼の本音の部分ではまだ名残惜しかったのであるが、「明後日には新年の宴を催す」との言葉で引きさがったのであった。

 こうして蒲生頼秀が屋敷を辞してから暫くした頃、義頼は甥に話し掛ける。 それは、一つの確認であった。 と言うのも、義頼の元にある男から書状が届いていたからである。 書状の差出人は、将軍である足利義昭あしかがよしあきであった。

 彼は義頼へ、ある依頼を記した御内書を届けたのである。 その依頼とは、織田信長の排斥であった。 元々からして織田信長は、足利義昭を上洛の駒と見ていた節がある。 だからと言って今になって排除するつもりなどないが、足利義昭を神輿以上に扱う気はなかったのだ。

 だが、足利義昭としてはそれが面白くはない。 彼の目的は、兄である亡き足利義輝あしかがよしてるも目指した幕府の復興にあるからだ。 その意味では、足利義昭の上洛の力を貸したとは言え織田信長は己の命に従う存在であると認識している。 しかしてその織田信長だが、彼は足利義昭を神輿として以外に表に出す気はないのである。 それが不遜であると、彼は感じていたのだ。

 そこで足利義昭は、近畿及びその周辺の有力者に御内書を出して味方となる様に誘いを掛けたと言うのが書状が出回っている真実である。 実際に義頼の六角家は無論のこと、他にも浅井長政あざいながまさの浅井家や朝倉義景あさくらよしかげ率いる朝倉家。 更に言えば、未だ織田家と反目している阿波三好家とその一党。 また、織田家に降伏した松永久秀まつながひさひでと大和国で対立している筒井順慶つついじゅんけいとその一派。 極めつきに、石山本願寺や比叡山延暦寺と言った宗教勢力すらにも御内書を出していたのだ。 

 その外交交渉は見事であるが、実のところこの企みが若し成功したとても足利義昭の立場があまり変わる事はないと言うのが実に皮肉がきいている。 所詮、織田信長の代わりとなる者が新たに生まれるだけであり、結局のところ足利義昭は再び神輿になるだけなのだ。

 その事に、当の足利義昭が気付いていない。 つまり、根本のところで、足利義昭は自分がおかれている立場を理解していないのである。 諸大名に取って、将軍と言う存在は必ずしも付き従う存在ではないと言う事にだ。

 今は織田家の家臣となった義頼も含めて、彼らは彼らで独自の考えを持ち動いている。 決して、将軍の意向に阿諛迎合あゆげいこうするだけの存在ではないのだ。


「つまり、それは結局のところ、信長公の代りという訳なんだよな」

「多分」

「それでは、同じ事の繰り返しとなるだけだろう? 下手をすれば、松永久秀や三好三人衆の繰り返しという事だってありえる話ではないか」

「俺もそう思うし、兄上と義定も同じ意見だった。 ただ、融山道圓(足利義輝)様のごとく討たれるという事は、流石に無いだろうが」

「そうだよな、俺でもそう思ったぐらいだ……で、義頼。 確認なのだが、公方(足利義昭)様の話を受けるのか?」


 六角義治の問いに義頼は、少し憐みを帯びた視線を向ける。 そしてその表情は、少し悲しげでもあった。

 その理由は、義頼にこの話を受ける気がないからである。 先ほど上げた面子の足並みが完全に揃っていれば成功するかもしれないが、実際問題としてその可能性は薄いと思っているのだ。 

 顔ぶれは、決して悪くはない。 悪くはないのだが、問題は彼らを取り纏める様な中心人物となる者が見当たらないのだ。 普通ならば、切欠を与えた足利義昭が主導する筈である。 しかし、彼にそこまでの技量があるかははなはだ疑わしい。 錚々たる面子であるだけに、彼らを抑えつけるだけの威武がある様には到底思えないのだ。

 それに六角家自体、織田家と言うか織田信長に恩義がある。 一度は完全に弓を引き、直接刃を交えている。 それだけの事をしたにも拘らず織田信長は、義頼には同腹妹を輿入れさせたのだ。

 それだけの配慮を受けた義頼がもし織田家に弓を引いたとしても、【野洲川の戦い】の時の様に将兵が集まるとは思えない。 そんな不利な状況に好き好んで足を踏み入れる趣味は、義頼に無かった。

 それに何より、岐阜城下には六角義治もいるし人質となっている元六角家臣の子息もいる。 絶対的な劣勢であったにもかかわらず【野洲川の戦い】に賛同してくれた者もいる元六角家臣達の為にも、義頼は織田家へ反抗する気はない。 その事を告げられると、六角義治は安堵した様な表情を見せた。

 人質となった時点で、最悪の状況下になれば殺される事は受容している。 だが出来るう事ならば、彼とて命は失いたくはない。 例え言葉だけとはいえ、現六角家当主の義頼から言質げんちを得られた事は安心に足る事であったのだ。

 すると義頼は、ある事を思い出す。 それは自分がいま六角義治に告げた織田家を裏切らない理由が、人質の件について頼んだ時に言った言葉であると言う事に。

 何となく義頼は面映ゆくなり、小さな笑みを浮かべる。 その様子に気付いた義治は、不思議そうに義頼へ尋ねていた。


「何かおかしなことをいったか?」

「いや、そうじゃない。 先ほどの返答を兄上にした時、「父親として感謝する」と言われたのを思い出してな」

「あの父上が、か。 まぁ、人質の俺としてもその保証は嬉しいが」

「安心してくれ。 あの時の言葉に嘘は無い」

「信じてるよ。 お前は、家族と認めた者には少し甘いしな」

「そうか? あんまり自覚は無いが」

「そうだよ」


 その後、二人は一しきり笑いあうのだった。

 明けて翌日、元六角家臣の人質達を集めて開く宴の準備に義治と義頼を中心とした者達は丸一日を掛ける。 漸く準備が整ったのは、夜半過ぎであった。

 一通りの準備を何とか終えた彼らの顔に、漸く安堵の表情が見える。 朝から根を詰めて準備に大わらわであった一件が終了した事で、ほっと気が抜けたからである。 準備が終わったと言う嬉しさより、やっと終えたと言う安心感の方が大きかったのだ。

 その後、彼らは明日に向けて泥の様に眠り疲れを取る。 明けて翌日、朝からこまごまとした片付けなどをしていたのだが、それも午前中には終わる。 やがて午後に入り暫くすると、宴に参加する者達が集まって来た。

 夕方になる前には、ほぼ全ての者が揃う。 どうしても外せない用がある者や遅れて来る者達を除き全て参加者が揃うと、義頼の音頭で新年を祝う宴は始まった。

 無礼講である事は、宴開始時の音頭を取る際に告げている。 始めは恐縮していた者達も多かったが、義頼が長光寺城主時代に与力であった者達が遠慮なく騒いでいる事に他の参加者も安心する。 彼らは酒がまわるに従って、徐々にはめを外していった。

 そして義頼はと言うと、彼もある意味相変わらずである。 まだ六角家が近江の大名であった頃から同じく、義頼は宴の参加者達の元へと向かい酒を組み交わしていた。

 宴に参加している者達全てと一杯ずつとはいえ酒を酌み交わすのだから、最終的な酒量は中々な物となる。 しかし義頼は、やり遂げる。 そればかりかそのまま宴に参加し続け、そこでも酒を飲んでいるのだから酒精に対して異常と言っていいぐらいの耐性であった。

 元々一日しか許可を貰っていない事もあり、その日のうちに宴は終わりを迎える。 そして己の足で帰れる者は数人と連れだって帰宅したが、中には帰宅できない程に飲んでしまった者達もいる。 義頼はそんな彼らの為に部屋を用意させると、帰宅できない者全員をその数部屋で寝かせたのであった。

 そして翌日、昨日の宴に参加した者の中で義頼の屋敷に泊った者の何人かが二日酔いの状態となっていた。 彼らは一様に頭を抱えるか、顔を蒼褪めさせている。 その中には、台所で桶と格闘している者もいるぐらいであった。

 基本、昨日の宴に参加した者達は比較的若い者が多い。 つまりはあまり酒に慣れていない者達であり、宴の雰囲気で己の限界を超えた酒を飲んでしまった罰と言えた。

 そんな彼らと一線を画しているのが、他でもない義頼である。 彼は酒に飲まれた者達が多数を占める屋敷内に置いて、平時と殆ど変わらない様に思えた。 その証左が、彼の一言である。 死屍累々とまでとはいかなくても、その状況に近い屋敷にいるにも拘らず、「少し深酒したかな?」とこぼすぐらいでしか無い。 殆ど素面しらふに近いその様子は、正に酒豪と言う言葉が当て嵌まる存在であった。

 その後、義頼は体を動かし、少し残っていたかなぐらいの酒精を体がら拭い去ると何時いつもの様に朝の鍛錬を行う。 昨日の酒の影響は起きるのが多少ずれ込んで遅くなったぐらいでしか無かったので、特に問題なく行えたのだ。

 酒精を抜いた義頼は、本当に昨日酒を深くたしなんだのかと思わせるぐらいの動きで弓を射ている。 そんな彼の姿を、頭痛や吐き気のせいで本調子ではない者達が見やっている。 その対照的な絵面は、傍から見ると失笑を誘うものであった。

 やがて一通りの鍛錬を終えると義頼は、汗を拭いそして朝食に入る。 その頃には、宿泊した者達の中にも体調が戻り始めている者もいる。 義頼は、その様な者達に対しても朝餉あさげを提供していた。

 まだ本調子ではないかも知れないと言う事も考慮し、消化のしやすい食事を彼らに与えている。 すると食べられるまでに回復した者達は、そろそろと胃の腑へと流し込んでいた。

 そんな彼らを尻目に食事を終えた義頼は、観音寺城下にある六角館に戻る準備を始める。 しかし準備も中頃、義頼は織田信長からの呼び出しを受ける事となった。

 何であろうと内心で首を傾げながら、義頼は取り敢えず織田信長の屋敷へと向かう。 その彼に同伴するのは、一昨日と同様に吉田重綱が務めていた。

 やがて屋敷に到着すると、義頼は吉田重綱と共に面会する者が待つ控えの間で暫く待機する。 それから間もなく、呼び出したのが織田信長と言う事から比較的早く面会へとこぎつけていた。


「義頼。 俺は三月に上洛する。 その時、近江常楽寺にて相撲を執り行う。 その方が差配せい」

「はっ」

「ところで話は変わるが、その方は弓の名手であったな」

「日置流免許皆伝にございます」


 義頼は日置流当代である吉田重高には教わっていないが、彼の先代となる兄の六角承禎から日置流の手ほどきを受けている。 そんな義頼ではあるが、彼の弓の才は日置流当代の吉田重高もそして師匠である六角承禎も認める程であった。


「ならば我と来い。 京にて、その方らの腕前を披露して貰う」

「殿、その方らと言うのは?」

「うむ。 その方の他に、承禎と日置流の当代にも同行させる」


 意外な織田信長の言葉に、義頼は大きく目を開いた。

 既に織田家家臣となっている義頼が、主の上洛に同行すると言うのはまだ分かる。 しかし隠居して現在は義頼の相談役の様な立場である六角承禎や、織田家直臣では無い吉田重高すら同行させろとは想像の埒外であった。

 思わず義頼は、織田信長に対して再度確認してしまう。 すると問われた織田信長は、首を一つ縦に動かしてから念を押す様に今一度命じた。

 主君の意図が掴めない事に、彼は眉を顰める。 しかし命は命であり、義頼は了承したのであった。

 その後、織田信長の屋敷より辞した義頼は、岐阜城下の屋敷に戻る。 呼び出しがあったせいで中途半端な時間であった事もあるが、何よりまだ用意が終わっていなかった事もあって彼は出立を延ばす事にしたのだった。

 するとその翌日、六角義治や人質となっている近江国の国人達に見送られて義頼は屋敷を出立する。 幸いにして、何も問題は起きない。 そんな旅路の途中で彼は一泊した後、六角館へと到着した。 すると義頼は、吉田重高を呼び出す。 やがて訪れた吉田重高と六角承禎の二人が揃うと、彼は両名に織田信長から上洛に同行する様に命があった事を伝えた。

 まさかの命に、六角承禎もそして吉田重高も不審気な表情をする。 それは、織田家に直接仕えている訳でもない二人を、わざわざ指名している事に驚きを覚えたからだ。 その様な二人に義頼は、更に言葉を続ける。 やがて話は織田信長の口から出た「京で腕前を披露して貰う」という段になった時、六角承禎の表情が動いた。

 その様な兄の変化を認めた義頼が尋ねたが、彼は腕を組んで思案を巡らしている様に見受けられる。 何か思い当たるならば言って欲しいと言うのが義頼の本音なのだが、待てども六角承禎が言葉を紡ぐ様子は見えなかった。

 思わず義頼と吉田重高は、お互いに視線を交わし合う。 しかし、分からないと言う事には変わりが無い。 義頼は首をすくめているだけであるし、吉田重高はただ首を振るだけであった。

 暫く部屋に沈黙が流れたが、やがて無意識なのか六角承禎が呟く。 その言葉を聞きつけて義頼が尋ねると、彼は不思議そうな顔をした後で口を開いていた。 


「……何がだ?」

「兄上、いま呟かれたでは無いですか。 京で弓がどうだとか」

「あ? もしかして、口に出していたか?」

『はい』

「そうだったか。 まぁ、気にするな。 何であれ、京に行けば分かるだろう。 我らは何を言われてもいい様に、準備を怠っていなければそれで良い話だ」


 確かに、それはその通りだと言えた。

 織田信長が義頼と六角承禎、そして吉田重高を京へと連れて行く意図ははっきりとしないが、心構えと準備さえ怠っていなければそれなりに対応できるであろう。 ましてや腕前を披露という事は分かっているのだから、如何いかなる状況になったとしても恥をかかない様にすれば良いのだ。

 気持さえ決まってしまえば、そう気になる物でもない。 何より気にしても仕様がないと言うたぐいのものなので、義頼は話を二人に対して確認をする事にした。

 それは、織田信長の命に従うかどうかである。 最も六角承禎にしろ吉田重高にしろ受ける気で話をしているので、彼らから今更になって否と言い出すとは思えない。 何より義頼の面子を潰してしまうので、断るという選択肢を彼らは持っていなかった。


「では……兄上も重高も異存はないと言う事だな」

「うむ。 わしには異存はない」

「殿。 拙者も、承禎様と同様に異存などございません。 大殿(織田信長)に何の意図があって我らまで京までの同行を命じたのかは分かりかねますが、折角です。 京にて、日置流の実力を存分に知らしめてみせましょうぞ」

「ふむ……そう考えれば、また面白いと言う事か。 よし、日置流の力を天下に知らしめるぞ」

『応っ』 


 こうして二人から了承の返事を貰った数日後、元六角家家臣達と共に新年を祝う宴を執り行う。 此方も織田信長から許可を得ているので、要らぬ疑いを向けられ腹を探られる心配もなかった。

 その席で義頼は、織田信長から命じられた上覧相撲を行う旨を彼らに伝えている。 我と思うものは積極的に参加する様に告げてから、新年の宴を開催したのであった。

 そして此処でも義頼は、宴に参加している者達一人一人を尋ねて酒を組み交わしている。 しかして彼は、この席でも相変わらずの酒豪ぶりを彼らに知らしめていた。





 さて話は変わり岐阜にいる織田信長であるが、彼は上洛するに先立って二種類の書状を出していた。

 先ず一つ目の書状の内容だが、近畿及び近隣の諸勢力に上洛を促すという物である。 この書状は表向きには幕府への忠誠と挨拶と言う形を取っていたが、実際のところは織田領近隣の有力者達に上洛を促して彼らの動向を探るという目的があった。

 そして今一つについてであるが、此方は足利義昭に対してである。 先年に認めさせた殿中御掟に、新たな項目を五つ追加して計二十一項目となった新たな殿中御掟を認めさせると言うものであった。

 この追加された五項目であるが、先年に出した殿中御掟よりも更に厳しく将軍の権威権力を統制していた。 特にその中の一項目に「将軍たる義昭の許しが無くても信長は好きに行動できる」という物である。 この条文だけでも織田信長は、自身の手による天下統一を明確に意図していた事をうかがわせると言ってよかった。

 またこの五項目には、御内書を出す際は織田信長の許可を得る事という項目もある。 これは義頼や六角承禎や大原義定おおはらよしさだに出した様な書状を規制する為の物であり、幕府再興を目指している足利義昭の動きを先に潰す意図があるものであった。

 因みにこの新たに出された五項目を含め、総数二十一項目となった殿中御掟を忠実に守るという事。 それは即ち、足利義昭の傀儡化を示した物である。 いや織田信長の真意は兎も角、足利義昭にはその様に感じられたのだ。

 この書状が届けられ一読したあと、足利義昭は顔を真っ赤にして怒りに震えたと言う。 しかし幕臣である細川藤孝ほそかわふじたか京極高吉きょうごくたかよしが受け入れる様に諭すと、先ほどまでとは一転して諦めに近い表情を浮かべたのだ。

 足利義昭とて、織田信長の力は一応でも理解している。 だが例えそうであったとしても、この殿中御掟を受け入れるのには筆舌しがたい思いがある。 だからこそ、彼は怒りに震えた。

 とは言った物の、己の重臣である細川藤孝と京極高吉の言葉であり、流石に彼らの意見を無視するのは少々不味い。 そこで足利義昭は、この場にいるもう一人の重臣である和田惟政わだこれまさにも殿中御掟の扱いについて問い掛けた。


「惟政。 その方はどう思う?」

「公方様。 ここは、受け入れるべきです。 今は、信長公と仲違をするべきではありません」

「……そうか、お主もか……そこまでその方らが言うのなら、致し方無い。 受け入れるだけは受け入れる、それで良いな」

『はっ』


 三人の重臣からの返事を聞いた足利義昭は、溜め息を一つこぼす。 それから返答については細川藤孝に任せると、肩を落として部屋から出て行った。 その後、足利義昭に下駄を預けられた細川藤孝は、自ら使者として岐阜へ赴き足利義昭が全て了承した旨を記した書状を織田信長へ手渡したのであった。


六角家にも御内書は届いていましたが、義頼は受けませんでした。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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