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第二百七十九話~天下統一へ~

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第二百七十九話~天下統一へ~



 南部氏の居城である三戸城、その大手門がゆっくりと開いていく。するとそこには、足利義氏あしかがよしうじ以下、梁田助縄やなだすけつな梁田持助やなだもちすけを始めとする古河公方の家臣たちが揃っていた。そしてその後方にある綱御門と鳩御門の間にある武者溜まりの辺りから、南部晴政なんぶはるまさを筆頭に、嫡子の南部晴継なんぶはるつぐや彼らに付き従う家臣たちが控えている。彼らは、侮蔑ともとれるようなとても冷ややかな目でその一行を見ていたのであった。

 因みに、足利義氏の家臣で三戸城へ残った者はただ一人としていない。主君が織田家に降伏すると決めた時点から、もう彼らにこの城内での居場所はないからである。残ったところで、碌なことにならない。それゆえに彼らは、最後まで古河公方と行動することにしたのであった。

 徒歩で、足利義氏たちが三戸城の大手門から外に出て行く。程なくして全員が城より出ると、開いた時と同じようにゆっくりと門が閉まっていった。するとその動きに合わせるように、一行を出迎える者たちがいる。その者たちは、嘗て足利義昭あしかがよしあきに仕えていたが、彼が京より追放されると織田家家臣となったのちに、成人した足利義信あしかがよしのぶへ仕えた者たちである。


「古河公方(足利義氏)様。拙者は、三淵大和守藤英にございます」

「拙者は、細川右馬頭藤賢にございます」

「同じく、伊勢兵庫頭貞為にございます」


 三名とも、たとえ形だけになっているとはいえ幕府の重鎮である。いかに関東に拠点を持つ古河公方たる足利義氏であったとしても、名前だけは知っている者たちでもあった。

 そして迎える側となる足利家としても、古河公方に対する礼儀として彼ら重鎮をよこしたわけである。そんな三名の後方には、織田家からの出迎えとして義頼が控えていた。何せ義頼が当主を務める六角家は、近江源氏総領家である。つまり織田家中において、屈指の名門となるのだ。

 しかも義頼は、織田信長おだのぶながの同腹妹を娶っている関係から織田家準一門衆といっていい立場にある。その為、足利義氏のような家格が高い家の者を迎える際に、彼の立場は実に都合が良かった。


「お待ちしておりました。某は、織田家臣六角左衛門督義頼にございます。これより、お三方と共に我が主や公方(足利義信)様の元へご案内致します」

「そうか……近江源氏の頭領たる六角殿か。貴公の案内では、従わぬことなどできぬな」


 清和源氏と近江源氏という違いはあるが、同じ源氏である。しかも足利家の分家となる関東公方家当主の迎えに、近江源氏の総領家現当主を迎えとさせている以上、同じ源家の者として礼を失する訳にはいかなかった。

 すると足利義氏らは、静かに義頼の藍母衣衆と馬廻衆、それから三淵藤英みつぶちふじひで細川藤賢ほそかわふじかた伊勢貞為いせさだための三人が連れてきていた家臣と共に本陣へと向かう。その一行を、南部家より離反した南部信直なんぶのぶなお以下、織田家へ降伏した南部家の者たちが見詰めている。そんな彼らの向ける視線だが、皮肉にも南部晴政らが三戸城から出て行く足利義氏たちへ向けていた視線と、全く同じであった。

 そんな、何とも居心地の悪い視線を背に受けつつも、足利義氏たちは織田勢がひしめく陣中を進んで行く。その途中で、島津や相良や毛利や尼子、長宗我部や三好や一色や山名、赤松に畠山に浅井、越後上杉や甲斐武田や北條など実に様々さまざまな旗印を目にすることになった。

 これだけの旗が揃うなど、そうそう見ることはできない。それだけに足利義氏は、織田家が日の本の大半を手中にしていると初めて実感する。同時に、よくも織田家へ戦を仕掛けたものだと今さらのように思えてきていた。

 しかし彼の考えがいささか他人行儀なのは、この現実を前にある意味で逃避しているからといっていい。あまりにも自身の想定より乖離している為、彼の中で現実を認識しきれていないのである。だがそれも、本陣へ到着し、織田信長おだのぶなが織田信忠おだのぶただと足利義信の三人に会うまでであった。

 本陣の中では、織田信長を頂点に、側に織田信忠が右に足利義信が、床几しょうぎへ腰を降ろしている。本来ならば、足利義信が中央の上座にいるところであろう。しかし、三人とも大将軍の地位にあるので同格となる。その為、三人の力関係が、そのまま座る位置として反映されていた。

 そしてこの関係をみて、足利義氏は無論のこと梁田助縄や梁田持助などといった家臣たちは衝撃を受けた。足利宗家現当主である足利義信が中央にいないなど、想定していなかったからに他ならない。先に本陣まで連れてこられる際に見た各地にて力を振るっていた大名家を表す旗が並んでいた景色より受けた衝撃も含め、彼らの思考は事実上停止していた。


「さて、右兵衛佐(足利義氏)。分かっているだろうが、そなたには南部との戦のあとに切腹をしてもらう」

『……』

「右兵衛佐?」


 まだ思考停止から戻っていない為に反応を示さない足利義氏らを見て、織田信長もそして息子の織田信忠おだのぶただも訝しそうに眉を寄せる。しかし、三人の中で唯一目の前の者たちの気持ちがわかる足利義信が、大きく息を吸うと足利義氏へ鋭く呼びかけを行ったのだ。


「……足利右兵衛佐義氏!」

「はっ!?」

「征東大将軍殿が聞いておるぞ」

「し、失礼致しました!!」


 慌てて平伏する足利義氏を見て、理由は兎も角こちらの声が耳に入っていなかったことを認識した織田信長は苦笑を浮かべる。そしてその隣にいる織田信忠はというと、少し呆れたような表情を浮かべていた。何せ声を掛けたのは、事実上日の本を押さえているといっても過言ではない父親の織田信長である。その言葉を無視するなど、命が惜しくないとしか思えなかった。

 もっとも、南部家との戦が終われば切腹をすることが決まっている。その意味では、もう命など惜しくはないと考えても不思議はないかとも織田信忠は思っていた。とはいえ、それも誤解である。単純に、余裕がなかっただけに過ぎなかったのだ。

 一方で意識を取り戻した足利義氏らは、必死に弁明している。その姿が余計に滑稽こっけいさを生んでおり、結果としてその様子が織田信長の機嫌を損ねなかったのだから何が幸いするか分からなかった。


「分かった、分かった。何であれ右兵衛佐、そなたには戦のあとに切腹して貰う。だが、約定通りそなたの娘と婚儀はつつがなく行われるので安心するがいい」

「はは。かたじけなく」

「うむ」


 ここに織田信長と織田信忠と足利義信という三人の大将軍との面会を終えた足利義氏らは、織田勢の後陣へと送られてそこに留め置かれることになる。当然ながら監視付きであり、事実上の軟禁であった。





 足利義氏らを城外へ送り出した三戸城内では、南部家の家督継承が行われていた。勿論、南部晴政から南部晴継への家督継承である。これにより南部晴継は、南部家二十五代目当主となった。とはいうものの、ことここに至っての家督継承などに殆ど意味はない。南部晴政が率いていた南部家は、居城の三戸城へ追い込まれ「三日月の丸くなるまで南部領」とまで称された南部家の版図など、もはや見る影もなかったからだ。

 その意味では、南部晴政の嫡子へ全てを与えるという望みはもう果たせそうもない。だが、南部家の家督を継承させるという最後の望みだけは無事に果たせたのであった。


「済まぬ、晴継。わしにできることは、もうこれぐらいしかない」

「何をいわれます、父上。ただいまを持って、拙者も名門南部家の当主にございます。その名に恥じぬ働きを致します」


 南部晴政も南部晴継も、そして九戸くのへ市左衛門も七戸家国しちのへいえくにも、明日には最後の決戦を仕掛けるつもりである。標的は織田家先鋒として布陣している南部信直や北信愛きたのぶちか南長義みなみながよしであった。

 もう、織田家に対抗できる程の兵力など手元にない。三戸城内に残っている将兵、それが全てとなる。彼らは、南部晴政や南部晴継と最後まで付き合う覚悟であった。その持てる全ての将兵を使い、南部晴政は織田勢の前線へ最後の吶喊を仕掛ける。その結果、南部信直らを道連れにするもよし、それも叶わずに討たれるもよし。しかし最後の最後、刀の目釘が折れるまで戦い続けて、一人でも多く涅槃への土産にするつもりであった。

 南部晴政と南部晴継は、明日行う最後の突撃を前にして、破滅寸前の南部家に付きあうある意味で酔狂な将兵と共に、最後の晩餐よろしく杯を傾けている。その様子は、三戸城を囲んでいる織田信長らにまで報告されていた。すると、彼は不敵にも笑みを浮かべる。そればかりか、何と彼らを賞賛していた。


「この兵力差を前にして、最後の宴とは。なかなかよのう」

「なれば上様。その気概、称えてやりましょう。これまでの南部家の戦を称えるとして、我らからも酒肴しゅこうを届けてはいかがかと」

「なるほど。して、義頼。誰がいく?」

「無論、言い出した以上は某が参ります」

「ふん。よかろう、許す」

「ははっ」


 その後、義頼は三戸城へ軍使として赴くと、共に持ってきた酒肴を届ける。その際に、南部晴政らに織田信長が褒めていたことも併せて伝える。また、織田家からの差し入れを受け取った南部晴政や南部晴継も、実に礼儀正しく返答していたという。

 こうしてその夜は、南部晴政らによる最後の宴と、その宴を静かに見守る織田勢という奇妙な構図のままふけていった。明けて翌日、三戸城の大手門には城内にいる全ての将兵が揃う。そして、南部晴政の命じるままに大手門はゆっくりと開いていく。彼らの眼前には、比べるのも馬鹿らしいぐらいの兵力を持つ織田勢がひしめき合っていた。

 しかしそんな劣勢であるにも関わらず、彼らから動揺など感じられない。それは、彼ら南部勢の視線が、織田勢先鋒としてひるがえる南部鶴の旗印ただ一点へ注がれているからに他ならなかった。


「誠に口惜しい。口惜しいが、これで南部という名は残せる」

「はい、父上」

「では、南部家最後の意地。同じ南部家の者に見せ付け、華々しく散るとするぞ……突撃―!」

『おおー!!』

 

 南部晴政の号令一下ごうれいいっか、寡兵の南部勢は南部信直率いる織田勢先鋒へ吶喊したのであった。



 三戸城より最後の突撃を始めた南部家の軍勢と相対するのは、これまた南部家の軍勢である。南部信直以下、南部晴政から離反した南部家の者たちであった。しかし、彼らとは別にやはり南部家の軍勢を相対する者たちがいる。その者たちとは、相馬家現当主の相馬義胤そうまよしたねと岩城家現当主の岩城常隆いわきつねたか、そして白河結城家当主となった結城義顕ゆうきよしあきであった。

 彼らが何ゆえに前線に出ているのかというと、後始末を行う為である。何せ三戸城から打って出た南部家の軍勢には、それぞれの家の関係者が存在しているのだ。

 まず白河結城家には、結城義顕を放逐して一度は白河結城家当主となった結城義親ゆうきよしちかと彼に従った少数の元家臣がいる。そして相馬家と岩城家には、家の存続と援軍を出した南部家に対する義理立てとして両家から出た父親、即ち相馬盛胤そうまもりたね岩城親隆いわきちかたかがいる。さらに相馬家には、父親と共に家を出た弟の相馬隆胤そうまたかたねもいる。その上、白河結城家のように数としては多くはないが相馬家と岩城家の元家臣も加わっているのだ。

 内訌の果てにこのような形となった白河結城家は別にして、相馬家と岩城家は先に述べたように家の存続という大義名分の為に家を分けたのである。しかし幾ら大義名分があっても、所詮は両家の事情でしかない。少なくとも織田家には関係がないことでしかなく、相馬家も岩城家もあまりいい目で見られてはいなかった。そんな目を払拭ふっしょくする為にも相馬義胤は相馬盛胤と相馬隆胤を、岩城常隆は岩城親隆を何としても討っておく必要があった。

 こうして同じ旗印を掲げる軍勢が、前線でぶつかるという事態が発生する。しかし、ある意味で滅びの美学を求めていると言っていい南部晴政と南部晴継が率いる南部勢と違い、相馬盛胤と岩城親隆の両名にはそこまで抵抗する理由は勿論、必要もなかった。

 寧ろ抵抗すればするだけ、相馬家と岩城家に迷惑が掛ることになる。ゆえに彼らには、頑強に抵抗する意思はなかったのだ。それこそ、そこそこに戦い、それぞれの息子の軍勢に討たれるつもりなのである。事実、相馬盛胤と岩城親隆は不甲斐ないとまではいわれない程度の戦を展開した上で討たれている。思惑通りにそれぞれの家の者に討たれ、相馬盛胤の遺骸は相馬義胤の元に、そして岩城親隆の遺骸は岩城常隆の元へと齎されることになった。


『父上……申し訳ありませぬ』


 事情が事情ということもあって、相馬家と岩城家と白河結城家は連合で兵を動かしている。その為、相馬盛胤と岩城親隆の遺骸は同じ本陣へと持ち込まれることとなった。そうして持ち込まれた父親の遺骸を前に、相馬義胤と岩城常隆は一言漏らしつつ涙を流している。しかし遺骸に縋るようなことはせず、涙を拭うと首を討つように命じた。

 それは、彼らの首を持って織田家が相馬家と岩城家に抱いた疑念を払う為である。無論、的外れな疑念ではないので完全に払拭するなど無理であろう。それでも、首を献上すれば筋を通すことにはなるからだ。

 その直後、相馬家と岩城家と白河結城家の本陣へ一つの遺骸と一つの首が持ち込まれる。遺骸の方は、相馬義胤の弟となる相馬隆胤である。そして持ち込まれた首は、結城義親であった。彼らは戦の仕方は違うが、どちらも将として名を馳せている一廉の者である。その名に恥じない戦いを彼らは演じ、相応の被害を相馬家と白河結城家に残して死したのであった。

 そして当然だが、相馬隆胤の遺骸は相馬義胤の元へと届けられ、そして結城義親の首は結城義顕の元へと届けられる。しかし二人の態度は、明らかに違っていた。相馬義胤はというと、父親と同様に悲しみのあとでその首を討っている。だが、結城義顕はというと、それこそ憎しみの炎を目に宿しつつ首を睨みつけていた。

 その態度は、結城義親が織田家に逆らい結果として白河結城家を滅亡寸前にまで追い込んだことを、彼が憎々にくにくしく思っていた証左であろう。流石に首を足蹴にするなど、死体に鞭打つようなことはしていない。しかしその扱いは、酷くぞんざいであったという。何はともあれ、彼らが討たれたことで三家の残した最後の懸念が払われたのであった。

 一方で、南部晴政と南部晴継が率いる南部勢と南部信直率いる南部勢との戦は、予想しなかった結末を迎えていた。何と少数である筈の三戸城から打って出た南部勢が、相対した南部勢を貫いてしまったのだ。だが、元々の兵数差もあるので多くの兵が抜けた訳ではない。だがそれでも、抜かれてしまったことに違いはなかった。

 これは、両南部勢が持っていた心の持ちようの違いが如実にょじつに表れた結果である。南部晴政と南部晴継率いる軍勢にはもうあともないので、彼らの目的は同じ南部家の軍勢に対して名を残すという決死の思いによって彩られていた。しかし南部信直が率いる南部勢に、そこまでの覚悟はない。確かに南部晴政との確執などといった内訌から端を発して別れた両家だが、同じ南部家の者であるという考えがどこかに存在していたからだ。

 つまり、両軍勢が抱いていた覚悟の違いが、そのまま戦い結果に現れたのである。しかし南部信直や北信愛や南長義も、将として決して無能だということはない。途中で抱く思いの違いに気付き、対応を厳しくしたが少し遅かったのだ。

 しかも彼らには、南部晴継や七戸家国や九戸市左衛門が相対していたことも対応が遅れた理由である。そういった事情も重なり、歴戦の将である南部晴政と彼に付き従った者たちによって、抜かれてしまったのだ。

 同じ南部家の軍勢が織田勢の前線を抜いた南部晴政は、ある意味で名を残すという目的は達したといえるだろう。しかし、だからといってそこで終わる男でもない。これならば、いけるところまで行くという思いが湧いていたのだ。

 一瞬だけ、抜いた南部信直率いる南部家の軍勢を見たあと、視線を前に向けて進み始める。彼の向かう先には、二種類の菱紋を掲げる家の軍勢が駐屯していた。





 旗下の三ッ者から届けられた知らせに、甲斐武田家の軍勢を率いる坊主頭の将が眉をひそめる。嘗ては武田信勝たけだのぶかつと名乗っていたが、織田家に降伏した際に剃髪して頼山勝らいさんしょうの法名を名乗っていた。その彼が眉を顰める訳はというと、少数ではあるが自陣へ突撃をしてくる一団があるという報告を聞いたからである。しかも旗印は、南部鶴だというのだ。

 一瞬、味方となっている南部信直か彼に近い者かとも思ったが、幾ら何でも彼らが敗走してくるとは思えない。となれば、残る可能性は一つしかない。誰かは知らないが、敵の南部家が前線を抜いたことに他ならなかった。


「昌澄! 昌輝! 迎え撃て!!」

『御意!』


 主君に命じられて、春日昌澄かすがまさずみ真田昌輝さなだまさてるが打って出る。やがて彼らが率いる旗下の軍勢と、南部晴政率いる兵が相対した。しかし万全な武田勢に対して、かなりの疲労感に覆われている南部勢である。前線を抜いたことで意気こそ軒高だが、現実に疲労している体ではいささか相手にするには荷が勝ちすぎていた。

 甲斐武田家の軍勢と南部勢の数合に渡る相対の結果、残った南部家の兵の大半が討ち取られるか捕らえられるかしてしまう。そして彼らを率いていた南部晴政も、数合の相対で浅くはない手傷を負ってしまっていたのだ。

 ともすれば傷の痛みから意識が飛びそうでもあるのだが、同時に彼は奇妙な満足感を得ている。最後の最後に相手したのが、甲斐源氏の宗家である武田家だという事実が、彼にそのような気分を持たせたようであった。

 しかし、満身創痍まんしんそういな状態の南部晴政にとって、もうできることなど殆どない。彼に今できることは、せめて南部家の名に恥じない最期を迎えるだけであった。既に刀を持つだけでも精一杯という自分の体を内心で叱咤しつつ視線を前に向けると、彼の視線はそこで釘付けになる。その理由は、ゆっくりと近づいてくる剃髪姿の男を見た為である。その姿を認めた時、どうしてか理由は分からないが目が離せなくなったのだ。


「……だ、誰だ」

「武田家当主、武田頼山勝である。そなたも、名乗られよ」

「甲斐源氏宗家の当主で……あられたか……我は、南部彦三郎晴政……なり」

「そなたが、そうか。ならば、せめてもの情けである。甲斐源氏宗家当主として、わが手で討ってやろう」

「……感謝、致す」


 その後、両者は刀を構えるがその姿は対照的であった。

 二人は同じようにゆっくりと刀を構えたのだが、頼山勝はゆっくりではあっても力強い構えである。それに対し、南部晴政の構えはそれが精一杯であるといった風情にしか見えないからだ。そしてそれは、事実その通りである。もう南部晴政には、立っているだけの力しか残っていない。寧ろ、よく刀を構えることができたと称賛してもいいぐらいであった。

 そんな両者の状態では、決着など火を見るより明らかである。僅かに静かな時が流れたあと、両者がすれ違う。すると間もなく、ゆっくりと南部晴政が倒れ伏す。その顔には、笑みすら浮かんでいたという。


「敵大将、南部晴政が首! 甲斐武田家当主、武田頼山勝が討ち取ったりー!!」


 その後、頼山勝は、南部晴政の遺骸へ手を合わせたあと自らの手で彼の首を討ちとっていた。





 そして、この南部晴政の最期をもって、日の本に百有余年に渡り続いた戦国の世が、ついに幕を閉じたのであった。


南部家との戦、終焉です。

南部晴政も南部晴継も、戦の中で落命いたしました。


連載中「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

こちらも、よろしくお願いします。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 討ち取った武田はともかく少数の攻撃を支えきれず南部の身内で解決できなかった織田側の南部勢の立場がないな。 事実はともかく手心を加えたとか叛意を疑われかねない行動だからなー。 相馬などへの体面…
[良い点] 南部は名も血も残しただけに某公方との差異が 流石三日月~と言われた古豪ですね
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