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第二百七十七話~大浦と大崎の最後~

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第二百七十七話~大浦と大崎の最後~


 

 南部家の兵が逃げ出し始めた頃、義頼は引き絞っていた雷上動の弦を緩める。しかし、織田信忠おだのぶただ以下、織田家の将たちは呆気に取られていた。

 そのような織田家本陣にあって、藍母衣衆は義頼の行動に対してある程度の見当がついていた。だからこそ、咄嗟の命にも従ったのである。特に、同じ日置流を学び、しかも次期日置流当代となる吉田重綱よしだしげつなは、より正確に把握していた。


「殿(六角義頼ろっかくよしより)。敵を、討ち取られましたか」

「ほぼ間違いなく、な」

「流石にございます」

「お、おい。義頼、いったい何が起きている」

「は。殿(織田信忠)を狙う、不逞ふていやからを排除致しましてございます」


 今もって状況を把握していない織田信忠以下織田家の将たちであり、それだけの説明で把握しろというのは無理である。ゆえに義頼へ、正確に報告しろと命じていた。勿論、義頼としても説明はやぶさかでない。その後、彼は自身の行動について、織田信忠や織田家家臣へつぶさに報告をしていた。

 その説明を聞き、ようやく織田信忠も織田家の将も狙撃されたことを把握する。そして、その狙撃を防ぐ為に義頼が行動を起こしたことも併せて認識したのであった。


「見事だ、義頼。よく防いだ」

「はは」


 こうべを垂れて、主君からの称賛を受ける。その後、義頼は織田信忠へ兵を派遣して確認するべきであると進言した。確かに一連のことに関しては、義頼の説明だけでしかない。事態を把握する為にも、兵の派遣は必須であった。

 また、堀秀政ほりひでまさからも、敵勢の動きに対して警戒を密にするべきだとの進言がある。これは、今回の件を引き合いにして敵から織田信忠が死んだなどという流言飛語りゅうげんひごが出ることを警戒してのものであった。

 両者からの進言を聞き、至極もっともだとして二人の意見を採用する。その上で織田信忠は、大胆な動きに出た。何と、本陣を押し出すと言い出したのである。だが、この動きはそう悪い手でもない。何せ池田恒興いけだつねおき率いる別動隊が攻めている大浦城も、そして南部家の援軍である七戸家国しちのへいえくにと対峙している梶原景義(かじわらかげよしも、戦を優勢に進めているのだ。

 そのあと押しとして本陣を動かせば、敵に対する圧力になる。同時にその行動は、ここで決める気だと敵味方に知らしめることにも繋がるからだ。


「分かりました、殿。押し出しましょう」

「うむ。では、進め! ここで決めるぞ!!」

『御意!』


 こうして、二つの前線に対して本陣を動かすとの伝令を出した上で、織田信忠は本陣を押し出したのである。この旨を伝令より伝えられた池田恒興と梶原景義は、さらに気合を入れて敵を攻めたてるのであった。





 急に攻勢が強まってきたことに、大浦信勝おおうらのぶかつは眉を顰めた。

 織田勢の方が押し気味であったとはいえ、大浦勢とて大浦城に立て籠もっての戦である。防衛施設がある分だけ、兵が少ない状況においてもそれなりに戦えていたのだ。その為、双方にとって決め手が欠けてしまったのである。半ば膠着しているといっていい状態となっており、どちらの勢力も一押しが踏み出せずにいた。

 そんな戦場において、急に織田勢が攻めに転じたのである。そこには、なにかしらの理由があることは想像できる。しかし、その理由が分からないゆえに大浦信勝は不審な顔をしたのだ。


「分からぬ。ここにきて織田が攻めに力を入れた理由はなんだ? 何が起こっている」

「殿! 七戸殿から知らせが!!」


 大浦信勝の元に飛び込んできたのは、重臣の森岡信元もりおかのぶもとである。その彼の手には、書状が一枚握られていた。差し出された書状を奪うように受け取ると、中身を確認する。そこには織田信忠の狙撃に失敗した旨と、相手は分からないが、川守田正広かわもりだまさひろが討たれた旨が記されていた。


「ひ、常陸介(川守田正広)殿が、矢で討たれただと!」

「な、何ですと!!」


 書状を届けた筈の森岡信元が驚いたのは、書状の詳細については聞き及んでいなかったからである。実は書状を届けた軍使も詳しくは知らされておらず、一刻も早く大浦信勝へ届けるようにとしか命じられていなかったのだ。

 それはそれとして、大浦信勝も森岡信元も驚愕したのは、やはり川守田正広が弓上手として南部家中で知られていたからとなる。その彼が、よりにもよって矢で討たれるなど流石に二人も……いや、南部家の者であれば誰もが想像できなかったのである。それだけに、二人へもたらされた衝撃は大きかった。


「どうする。常陸介殿ですら射殺せないとなれば、誰も叶わぬといってもいい。つまり、勝てない……」


 思わず漏らしてしまった自分の言葉に、体が震える。それは大浦信勝だけでなく、同じ部屋にいる森岡信元も同様であった。その時、二人の元に兼平綱則かねひらつなのりが現れる。しかも彼は、驚き慌てふためいていた。

 そんな重臣の様子に大浦信勝は、川守田正広の死が知られてしまったのかと訝しむ。しかし、兼平綱則の齎した知らせは、想像とは違っていた。


「お、織田の本陣が動きました!」

「真か!!」

「は。織田木瓜がひるがっております。他にも隅立て四つ目や折敷に三文字や上り藤、石持ち地抜き左三つ巴や水野沢瀉らの旗も!!」


 隅立て四つ目は、いうまでもなく義頼の旗印である。折敷に三文字は稲葉家のものであり上り藤は美濃安藤家の、石持ち地抜き左三つ巴は氏家家の、水野沢瀉は水野家の物である。大浦城と和徳城を攻めに参画している将を除けば、正に織田信忠の率いた将で固められた本隊であった。

 先に述べたように大浦勢は、防御施設となる大浦城へ籠ることで何とか持ち堪えている状態である。そしてこれは、和徳城にて梶原景義と対峙している七戸家国率いる南部家からの援軍も同様であった。

 いや、寧ろ和徳城の軍勢の方が劣勢である。これは和徳城の城兵に、川守田正広の死が広まってしまったことに起因していた。


「ついに織田信忠の本隊が動いたか。しかも、織田信忠は健在……これまでか」

『殿……』

「信元! 綱則! 我は打って出る!! そして織田……いや浪岡北畠に一矢報いてくれるわ!」

「よくぞ申されました! 我らも付き合いましょうぞ!!」

「しかり!」


 大浦信勝の宣言に、森岡信元と兼平綱則が賛同する。しかし、大浦信勝は首を振って彼らの同行を許さなかった。これには、勿論理由がある。その理由とは、四人の子供の命であった。


「そなたらも知っての通り、亡き右京亮(大浦為信おおうらためのぶ)殿には幼き二人のお子がある。そして、我の弟で二人が元服を迎えておらぬ。そなたらには、この四人を託したい」

「殿……我らに死ぬなと、そうおおせか……」

「済まぬ。だが、先代様の忘れ形見、しかも元服すら迎えておらぬ幼子の命を負け戦の果てに失うのは忍び難いのだ。そしてわしの二人の弟だが、最悪は身代わりとせよ」

『!!?』


 本来であれば、大浦為信の嫡子が継いでいた筈の大浦家の家督を大浦信勝が継いでいる理由は、大浦為信の嫡子が幼かった為である。いずれは元服させ、時期を見計らって家督を譲るつもりだった。しかし、今となってはそれも難しい。だがそれでも、大浦という家の再興の目だけは残しておく必要がある。そしてお家再興が叶えば、近臣もまた必要となるのだ。

 その役目を大浦信勝は、二人の重臣に託したのである。森岡信元と兼平綱則という大浦家の屋台骨を支え続けた二人の重臣ならば、安心して任せられるからだ。

 一方で、図らずも大浦家の未来を託されるかも知れない立場に置かれた二人は、思わず顔を見合わせてしまう。大浦信勝より信用されたこと、それ自体に悪い気はしない。しかしこの要請を受ければ、泥を掬い、雑草をんででも生きることに固執する必要がある。それこそ、いかなる恥すらも受け入れなければならないような強い覚悟と忍耐が必要となるのだ。

 その後、じっと二人は考える。この命を受け、地虫のように這いずりながらも大浦家再興を目指すのか、それとも浪岡北畠家へ一矢報いる道を選ぶのかという選択である。まさにここが、思案のしどころであった。

 それから暫く、部屋に静かな時間が流れる。やがて、考えがまとまったのか二人は頷きあうと居住まいを正す。そして、しっかりと大浦信勝の目を見ながら返答したのだ。


『殿。そのお役目、承ります』

「本当に、済まぬ! だが、もうそなたらぐらいにしか託せぬのだ」

「お任せください」

「同じく」

「……頼むぞ!」


 ここに大浦信勝は、森岡信元と兼平綱則の手を握りしめて大浦為信の子と二人の弟の命を託す。四名の幼子の命を託された彼らは、その夜に森岡家と兼平家の一門衆をも引き連れていずこともなく消えたのであった。

 これでもう気兼ねはなくなったとして大浦信勝は、自身の考えを七戸家国へ伝えるべく使者を出す。その使者へ託された書状には、朝駆けに全軍で打って出て、ただひたすらに浪岡北畠のひいては織田勢へ攻勢を掛けること。それともう一つ、この出陣で我らが囮となるゆえに七戸家国率いる南部家の軍勢は、隙を突いて撤退するようにとの旨が記されていた。


「五郎左衛門(大浦信勝)殿は、死ぬ気だな」

「大浦家として、最後の意地でしょう」

「そうであろうな。とはいえ、我らも劣勢であることには変わりがない」

「彦三郎(七戸家国)殿、拙者が殿しんがりとなりましょう。貴殿は、兵と共にお引きなされ」

「……済まぬ、紀伊守(石亀信房いしがめのぶふさ)殿」


 和徳城にて梶原義景率いる織田勢を相手していた七戸家国であったが、ついには石亀信房を殿にして撤退へと入ったのである。そして殿となった石亀信房は、できるだけ織田勢を引きつける。これは同時に、大浦信勝への手助けでもあった。

 成功する可能性は低くても、兵が分散していれば成功率は僅かでも上がる。それが微々たるものであったとしても、援軍に失敗した南部家から贈れるせめてもの手向けであった。

 石亀信房から予想外の手助けを受けることとなった大浦信勝は、大浦家の軍勢の先頭に立って打って出た。彼がまず目指したのは、攻め寄せている織田勢の先鋒を務めている浪岡顕村なみおかあきむらとなる。彼らを打ち破り、あわよくば織田勢の本陣まで突貫するというのが最終目的であった。



 大浦城の城門が開かれ、そこには大浦信勝がいる。そして彼のうしろには、大浦家の将兵が一糸乱れぬ姿で整列していた。彼らは、大浦信勝の策に従うことを決めた者たちである。成功しても、そして失敗してもほぼ生き残ることは叶わない策でありながら、共にあることを選択したいわば死兵であった。


「よいか! 浪岡顕村を潰し、織田本陣へと突貫する。大浦家の……否、陸奥国の武士もののふの意地、上方の軟弱者に見せ付けてくれん!!」

『おー!』

「突撃!!」


 大浦信勝は、腰の刀を抜き放つと同時に馬を駆けさせる。そんな大将に続いて、大浦家の将兵が少数ながらも怒濤のごとく突き進んだ。

 一方で、大浦信勝から第一目標とされた浪岡顕村も素早く動く。彼は剛勇で知られた一門衆の浪岡顕則なみおかあきのりに兵を与えると、大浦勢を迎撃させたのだ。命を受けた彼もその命に応え、大浦家家臣となる一町田森清いっちょうだもりきよ乾安儔いぬいやすともを討っていた。

 しかし、討たれた彼らもただ大人しく討たれた訳ではない。それこそ、命を懸けた足止めを行ったのである。こうした彼らの働きにより、大浦信勝は浪岡顕則の部隊を突破したのだ。

 しかし、すぐに朝日行安あさひゆきやすが立ち塞がる。彼は大浦信勝の弟となる大浦建康おおうらたてやすを討ち取り、さらには大浦信勝へ浅くはない怪我を負わせていた。しかし大浦信勝は、傷を負いながらも朝日行安の軍勢を突破することに成功する。そしてあともう少しで浪岡勢の本陣というところで、彼の前に立ちふさがった男がいた。


「のけっ!」

「断る!! この奥寺万助おくでらまんすけ、貴公を討ち汚名を返上するのだ!」


 奥寺万助は浪岡北畠家が大浦為信に敗れた【浪岡御所の戦い】の際、浪岡御所から打って出て留守にするという致命的な汚点を残してしまっていた。そしてこのことが原因となって、浪岡御所が落ちたのである。つまり奥寺万助は、浪岡顕村が安東家を頼って落ち延びるという事態を招いた当事者の一人なのだ。

 この悔やんでも悔やみきれない汚点を晴らす為に、ここで大浦信勝の首というのは打ってつけといえるだろう。


「そんなことなど知らぬ! いいからのけ!」

「ならば、腕ずくでやって見せろ!」

「よかろう!」

 

 まず、奥村万助が馬を駆る。続いて、大浦信勝も馬を駆けさせていた。

 しかし奥村万助がほぼ万全な体調であることに対して、大浦信勝は疲労がたまっている上に深手を負っている。この事実が、二人の明暗を分けることとなってしまった。

 二合、三合と打ち合ううちに、怪我もあって大浦信勝の息切れが激しくなる。それに伴い、剣速も落ちていく。ついには対処しきれなくなり、大浦信勝は自身の右腕を半ばまで切り付けられて落馬する。その好機を逃さず即座に馬から降りた奥寺万助は、大浦信勝に馬乗りになると彼の首に刀を添えていた。


「御覚悟召されよ、五郎左衛門殿」

「これまでか……よかろう、奥寺殿。この首、貴公へ渡そう。だが、せめて自身の命は、己の手で断ちたい」

「よかろう。拙者が介錯致す」

かたじけない」


 大浦信勝は奥寺万助に対して一言礼をいうと、自身の脇差を抜く。そのまま自分の首筋に当てたかと思うと、首を切り裂いた。

 その直後、奥寺万助は刀を振り降ろして首を落としたのだ。


「大浦信勝が首、奥寺万助が討ち取ったり!!」


 これにより、大浦家最後の攻勢が終わりを告げる。その知らせを聞いた石亀信房も、抵抗を止めて降伏を願い出る。その上で彼は、自身の命を引き換えに将兵の助命を願い出ていた。

 これらについて梶原景義より報告を受けた織田信忠がこれを許したことにより、津軽地方を巡る戦に終止符が打たれたのであった。





 津軽での戦が終了した頃には、もう一つの戦場で雌雄が既に決していた。その戦だが、のちに【迫川の戦い】と呼ばれるようになる戦である。しかしその戦に至るまでには、情勢が二転、三転としていた。

 最初の転機は、織田家に味方した葛西家の劣勢である。葛西家の宿敵といえる大崎家が南部家と盟約を結んだことで、葛西家は一気に劣勢へと追い込まれてしまったのだ。一時は、葛西家の居城となる寺池城まで押し込まれたぐらいである。いや押し込まれたどころか、落城までどれぐらい持つかというところまで追い込まれていたのだ。

 しかし、陸奥国へ進軍してきた織田勢と白河結城家と相馬家と岩城家との戦で、織田勢が勝利したことで流れが変わり次の転機が訪れる。落城まであと僅かというところまで追い込まれていた葛西家の士気は、織田勢勝利の報を聞いたことで急速に回復したのだ。

 これにより、寺池城を巡る戦の流れそのものが変わってしまう。士気を取り戻した葛西勢からの抵抗が大きくなり、大崎勢や援軍の南部勢へ損害が出始める。そこにきて、伊達家と蘆名家と石川家が織田家に臣従した旨と、相馬家と岩城家が織田家に降伏したという知らせが、大崎勢にも葛西勢にももたらされる。この知らせによって、ついに両軍勢の士気が逆転してしまった。

 その上、織田家に臣従した伊達家と蘆名家と石川家の軍勢と、織田家に降伏した相馬家と岩城家の軍勢が織田勢の先鋒として北上を開始したのである。しかもその後方には、織田家の軍勢の第一陣が続いているのだ。

 これが、三つ目の転機となった。

 この知らせを聞き及んだ大崎家当主の大崎義隆おおさきよしたかと、南部家から援軍を率いている東直義ひがしなおよし斯波詮直しばあきなおは、織田家の兵が到着する前にせめて寺池城は落としてしまおうと考えて苛烈な攻めを向けたのだ。

 もしこれが数日前までの葛西家であれば、持ち堪えることはできなかったであろう。しかし今の葛西家は、上は当主の葛西晴信かさいはるのぶから下は一足軽までこれでもかというぐらいにまで士気が高まっている。彼らは劣勢であるにも関わらず異常なまでの粘りを見せたばかりか、一度は打ち破られた大手門の外まで敵を押し返すぐらい頑強な抵抗をしたのだ。

 その甲斐もあってか、伊達家と蘆名家と石川家、それと相馬家と岩城家の軍勢で構成された織田勢の先鋒が、伊寺水門いしみなと(現在の石巻港)沖に現れ次々と上陸を始めたのである。この織田家の動きにもう間に合わないと判断した大崎家と南部家援軍の連合勢は、寺池城の攻囲を解く。その後、彼らは後方へ下がり、大崎勢は柴咲館へ入る。そして南部勢は、岩切館へ入ったのであった。

 当然だがこの動きは、葛西家へも知られてしまう。だが、敵は敗走した訳ではなく、整然と引いている。この軍勢に追撃でもしようものなら、手痛い反撃を受けるのは必定だった。何より、今の葛西家には追撃できるだけの余裕はない。彼らにできることは、せいぜい近隣の城館を取り返して失った領地を回復するぐらいであった。

 そこで葛西晴信は、織田勢へ現在の情勢を知らせると同時に、近隣の領地回復へ力を注いでいく。この知らせを受けた織田家の先鋒は、上陸すると一気に北上して寺池城に入り、葛西晴信と合流を果たしていた。こうして織田家先鋒と合流した葛西勢と、大崎勢と南部勢は睨み合いへと入る。一気に決着を付けようとしなかった理由は、織田家の第一陣を率いている柴田勝家の到着を待ってのことであった。

 その柴田勝家だが、織田勢の先鋒と違い陸路で小高城から寺池城へと向かっている。その為、到着は遅くなったが無事に合流を果たしていた。彼らは、葛西家が取り返していた善王寺館まで兵を進めると、そこに駐屯する。その動きに反応した大崎家と南部家の連合勢は、軍勢と共にそれぞれの拠点を出ると迫川に布陣した。

 すると、織田家の軍勢も動きを見せる。柴田勝家率いる織田家の第一陣に、織田家先鋒と葛西家の軍勢が合流する。その上で、一つとなった織田勢も出陣して迫川の対岸へ陣を敷いた。

 それから両軍勢は、暫くの間だが睨み合う。しかしいつまでも、膠着状態が続く筈もない。ついに織田勢と大崎家・南部家の連合勢がぶつかったのであった。

 しかし織田勢は、大砲や火縄銃に弓などという遠距離武器を駆使して戦う軍勢である。ゆえに彼らは、いつものように大砲を打ち込む。すると、その時に発生した轟音を聞き、敵兵も馬も怯んでしまい、突撃どころかまともな行動もできなくなってしまった。

 だからといって、織田勢が手を抜くこともない。その後も織田勢から、火器による攻撃が間断なく続いたのである。これではまともな戦にならないとして、大崎義隆と東直義と斯波詮直は撤退を決断した。だが、大崎家の軍勢と南部家の援軍が撤退した方向は違っている。大崎義隆は居城の名生城へ撤退したのだが、東直義と斯波詮直は一関方面へと撤退したのだ。

 つまり南部家の軍勢は、領地へ戻ることを決めたのである。南部家からの手助けがなくなった大崎家に、反撃の余地はない。まだ戦えない訳ではないが、あまりにも兵力差が大きい為に鎧袖一触がいしゅういっしょくとばかりに打ち破られることは必定である。もはや大崎義隆に、選択の余地はなかった。


「ことここに至っては、致し方なし。織田家に降伏する」


 どこか諦観ていかんしたような表情を浮かべつつ、大崎義隆は家臣へ自身の決断を伝える。この決断を聞いて彼らは涙したが、それでも主君の意思は尊重していた。こうして家中の意見統一が図られると、大崎義隆は重臣の四釜隆秀しかまたかひでを軍使として派遣する。彼は、知勇兼備の将として主君からの信頼も厚い人物であった。

 その彼を通して、織田勢第一陣を預かる柴田勝家しばたかついえへ降伏の打診がされたのである。しかして織田家側から出た降伏の条件は、当主の大崎義隆と元服を迎えている息子の命であった。

 だがその代わりとして、大崎家の存続自体は許している。そして織田家側が指名した大崎家次代の当主は、黒川家か最上家より出すこととされていた。

 実は大崎家には、半ば伊達家家臣と言っていい黒川家へ養子にいった大崎義隆の弟が一人いるのである。そして、最上義光もがみよしあきの正室は大崎義隆の妹である。つまり、最上家でも黒川家でも、大崎家の血は残せるのだ。


「これもまた、致し方なかろう。これ以上は、どうにもならぬ」

『父上……』

「すまぬな。父が不甲斐ないばかりに、そなたらも巻き込んでしまった」


 大崎義隆には三人の息子がいるが、元服しているのは長男だけである。本当ならば、自分が全ての責任を負うつもりであったが、彼が言った通り今となってはもうどうしようもないのだ。


「いえ。家臣領民の為にも、これ以上の抵抗は無意味です。拙者は、父上と共に涅槃へ参ります」

「義興、済まぬ」


 共に死ぬこととなる長子の大崎義興おおさきよしおきから出た言葉を聞いた大崎義隆は、こうべを垂れるしかなかった。

 何はともあれ、こうして大崎家の降伏が決まる。その後、大崎義隆と長子の大崎義興は、見事に切腹して果てる。そして残された元服を迎えていない二人の息子に関しては、剃髪して僧侶となることで助命されたのであった。


二つの戦場での決着がつきました。

あとは、南部家です。



連載中「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

こちらも、よろしくお願いします。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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[良い点] マグロっといった名物で振興も地震来なきゃ大間含めた北海道と青森の間の海峡に来ないから地方任官してくれる(見入り少ない場所)人材は残したいですね
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