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第二百六十八話~陸奥国進攻~

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ついに陸奥国への侵攻が始まります。


第二百六十八話~陸奥国進攻~



 佐々木氏の氏神を祭っている沙沙貴神社を中心とした一帯に、軍勢が集結していた。

 彼らは征東大将軍である織田信長おだのぶながと征西大将軍の地位を返上して新たに征狄大将軍を拝命した織田信忠おだのぶただ、並びに足利十六代征夷大将軍たる足利義信あしかがよしのぶという三名の大将軍に率いられる者たちである。形の上では対等となっているが、実質の総大将は織田信長であった。

 旗下には義頼と明智光秀あけちみつひで、そして羽柴秀吉はしばひでよしを中心とした軍勢で構成されている。その上、毛利家や長宗我部家など、西国において有力とされていた家からも軍勢を出している。西国の雄ともいえる彼らは、その出身地から義頼と明智光秀と羽柴秀吉の与力という形で参加していたのだ。

 しかし九州を事実上任されている羽柴秀吉が、南蛮及びイエズス会の警戒もあるのにも関わらず参加できているのか。それは、そのイエズス会で人事の刷新が行われたことに由来していた。

 そもそも、織田家とイエズス会は対立していた訳ではない。当初は織田信長が、南蛮の進んだ文化や兵器などに興味を示したことで友好的であったといってよかった。しかし九州遠征に絡む奴隷貿易の事案で、織田家とイエズス会の間で距離感が生まれてしまう。特に日の本でイエズス会を纏めていたフランシスコ・カブラルが、織田家当主である織田信忠との間で問題が発生してしまったことが、イエズス会の日の本における立場を悪くしてしまった。

 その為、この問題が起きた頃とほぼ同時期に日の本へ訪れたアレッサンドロ・ヴァリニャーノが取りあえずフランシスコ・カブラルを宥め、自身が織田信長や織田信忠と会って確かめるとしたことで、一旦は彼も引き下がる。その後、アレッサンドロ・ヴァリニャーノは約束通り上洛して、織田信長と織田信忠の親子と面会する。そこで織田家側から、事実上の脅しを掛けられてしまったのだ。

 現在の織田家の力や、織田家の所有する火器等については、ルイス・フロイスが京で活動していたこともあり彼から聞き及んでいた。それだけに、アレッサンドロ・ヴァリニャーノも危機感を募らせる。何せ、ルイス・フロイスから聞いた話を事実とするならば、織田家の所有する力は到底馬鹿にできないからである。それだけにアレッサンドロ・ヴァリニャーノは、フランシスコ・カブラルの暴走を抑えなければならないという思いを強くしていた。

 その彼が取った行動は、フランシスコ・ガブラルを日本から追い出すというものである。しかしただ追い出すだけでは恨まれるし、万が一にでも暴走されてもたまらない。そこで、栄転という形で日本から追い出すことにしたのである。その為に色々と知り合いへ繋ぎを取り、彼の持つ人脈などおよそ自身の持つ力を最大限に使ってまでその形を整えたのであった。

 フランシスコ・ガブラルは日の本におけるイエズス会の長という地位にあったが、管区のように明確な体制となっていた訳ではない。そこで、彼をインド管区の長として栄転させ、日の本より追い出しに掛かったのだ。勿論、アレッサンドロ・ヴァリニャーノの名前は出さない。それはあくまで、フランシスコ・ガブラルを追い出すという形ではなく栄転という形でなければならなかった為だ。

 とはいうものの、そんな告知をいきなり受ければ、フランシスコ・ガブラルも当然驚く。しかしながら、悪い話でもない。それに彼は、元々インドに赴任した軍人でもある。その意味では、インドという地の管区長というのはいい話といってもよかった。

 織田信忠の態度は相も変わらず気に食わなかったが、それぐらいで管区長になれるという話を棒に振る気もない。フランシスコ・ガブラルは喜んで拝命し、意気揚々と日の本を出て次の赴任地となるインドへ向かって行った。

 これにはアレッサンドロ・ヴァリニャーノも、胸を撫で下ろす。元来エリートであるフランシスコ・ガブラルであるから、栄転であれば断りはしないとは予想していた。しかし、感情は時として予想もつかない判断をさせる。それを恐れていたのだが、拍子抜けするぐらいあっさりと日の本から離れたことに安堵したのだ。

 このことは、当然織田家側でも掴んでいる。内情は兎も角、織田信忠と関係の悪化した者であり、しかもイエズス会の日の本における長と思われていたフランシスコ・ガブラルが突如、日の本から離れたのだ。

 警戒を密にしてさらに調べると、彼が栄転したことが判明する。問題なく離れたというならば、その警戒も優先度が下がる。その為、羽柴秀吉の参画も兵数を抑えた形ではあっても行えたという訳であった。

 しかし、島津家など九州の諸家に関しては家を上げてとはならない。警戒の優先度は下がったとはいえ、まだ警戒を緩められるほどでもない。だからこそ、羽柴家も事実上の副将である羽柴秀長はしばひでながはこの奥羽への戦に参画していないのだ。

 この流れは九州の諸家も同じであり、九州勢の参画は抑えられる。とはいえ、今となっては膨大なまでの兵力を抱える織田家である。九州勢の兵力が抑えられたからといって、それが大勢に影響することはなかったのであった。





 奥羽での戦であるが、既に始まっていたといっていいだろう。先年に行った清玉上人せいぎょくじょうにんの派遣も、ある意味ではそうであった。しかし、それだけではない。あからさまな遠征の準備も、しかりであるといえる。また他にもあり、新年の宴もその一つであった。

 例年であれば、織田家家臣と従属した大名との宴は別に行っている。しかし今年からは、一緒くたにして行ったのだ。これの意味するところは、いうまでもない。従属大名ももはや織田家家臣であると、明確にこそしてはいないが事実上織田家からそうなのだと叩きつけられたといってよかった。

 現在の織田家には、それをいってしまえるだけの実力がある。織田家から叩きつけられた各家としても、今となっては力が隔絶しすぎてしまっている為、内心は別にして声高に反論などできない。何より奥羽での戦が終われば、ほぼ日の本は統一されるのは間違いない。多少のいざこざはあるかも知れないが、その程度で今の織田家がどうにかなるとも思えない。ならばここは織田家に従い、家を残す努力に傾注すべきであった。

 そんな様子は、当然今年が初めての参画となる奥羽でも織田家側に立った家より派遣された者たちの目にも映る。つまりこの場の様子が織田家の力と判断され、なおさらに抵抗するという気持ちが薄れることに繋がっていた。

 さらに、奥羽へ派遣する軍勢にもその形は見て取れた。何せ現在集められている軍勢は本隊であり、軍勢としては第二陣となるからである。既に一月ほど前には、第一陣となる軍勢は出陣している。こちらは関東を任されていた、柴田勝家しばたかついえを大将とする軍勢であった。

 彼らには織田家より、拙速に進軍することはしないでいいとの通達が出ている。その命の持つ意味は柴田勝家も理解しており、それこそ彼は既に織田家傘下といえる関東の諸家や奥羽の諸家に対して圧力でも掛けるかのように進軍していたのだ。この影響は、既に出ている。奥羽では、前哨戦ともいえる戦が始まっていたからだ。

 南部家と共に織田家との対立を選んだ相馬家は、先手必勝とばかりに戦の先鞭を付けようとしていた節がある。しかし、この織田家からの圧力にやや及び腰となるも、自らを奮い起こしていた。既に南部家からの援助や援軍などの後押しは出ているので、今さら引くに引けないというのもある。しかし、この相馬家や南部家の動きが、伊達家や蘆名家を予想外に早く動かす形となってしまったのは予定外であった。

 当初、織田家に付いた蘆名家や伊達家などは織田家の軍勢の動きに合わせる予定であり、軍勢こそ集めていたがいきなり戦端を開くつもりはなかった。しかし、相手が動いたとなれば話は別である。伊達家と蘆名家を中心に石川家や二階堂家や田村家などが纏まり、相馬家に対して軍事的に圧力を掛けたのだ。

 こうなれば、相馬家側も黙ってはいない。相馬家当主の相馬義胤そうまよしたねは、白河結城家と岩城家、さらには南部家からの援軍と共に兵力の大多数を率いて伊達家と蘆名家の連合勢と対峙したのだ。兵力としてみれば、味方が弱冠不利であることは否めない。しかも、織田勢がいつ侵攻を開始してくるかも分からない。ゆえに、この一撃に相当の力を注ぎこんでいた。

 相馬義胤は、白河結城家当主を名乗っている結城義親ゆうきよしちかや岩城家当主の岩城常隆いわきつねたか、そして南部家からの援軍大将を勤める九戸政実くのへまさざねと話し合う。その結果、相馬家と白河結城家と岩城家の軍勢と南部家からの援軍の二つに分けられていた。

 そして相馬家と白河結城と岩城家の三家は伊達輝宗だててるむね率いる伊達家と相対し、九戸政実は蘆名盛氏あしなもりうじ率いる蘆名家と相対したのだ。戦場となったのは、浅川城の麓となる。その地で激突した両軍勢であるが、戦の趨勢は意外にも相馬家と岩城家と白河結城家と南部家援軍の連合勢側が押していた。この理由は、覚悟の違いによる。伊達家と蘆名家側は、決戦という訳ではない。時間を稼げればいい、それぐらいの気持ちでいたからだ。

 翻って、相馬家と南部家はそうではない。彼らにとって、生き残りをかけた戦である。ここで織田家側に付いた軍勢の出鼻を挫くことができれば、味方の士気も上がる。そうなれば、いずれは当たることとなる織田家の軍勢に対しても、味方が気後れすることなくなる筈である。まさにこの戦は、今後の趨勢を見る上で重要な戦と相馬家と南部家側は見ていたのだ。

 その覚悟の為か、じりじりと伊達家と蘆名家の軍勢が押され始める。兵数の違いから戦の趨勢を楽観視していた伊達家と蘆名家を主力とする彼らも、本腰を入れ始めた。しかし戦の機先を征された為か、押し返すことができない。このままでは悪戯に兵を損耗するだけだと感じた伊達輝宗と蘆名盛氏は浅川城への後退を考え始めていた。

 しかして、その隙を突かれてしまう。蘆名勢の齟齬を敏感に感じ取った九戸政実は、自身と同様に援軍の将を務める大浦為信おおうらためのぶ櫛引清長くしびききよながへ突貫する旨を伝えたのであった。


「右京亮(大浦為信)、河内守(櫛引清長)殿! 今こそ、押し込む」

『承知!!』


 二人も押し時と感じたのか、即座に了承する。その後、幾許かの兵を新田政盛にいだまさもりに任せて残すと、九戸政実も戦力の大半を率いて攻撃を開始した。まさかここで突っ込んでくるとは思ってもみなかった蘆名勢は、完全に虚を突かれてしまう。慌てた味方を立て直そうとした蘆名盛氏であったが、その暇すら与えられない。しかも一気に軍勢の中ほどまで突破されたことで、完全に浮足立ってしまった味方は敗走に転じていた。

 彼らは我先にと、浅川城へ向けて走っていく。その敗走に、あろうことか本陣が巻き込まれてしまった。敵味方入り乱れた状態となり、近くの者が敵なのか味方なのかも判断しづらい。これではどうにもならないと、蘆名盛氏も撤退を決める。しかしながら、その判断は僅かに遅かった。

 何と、敵方の兵に囲まれてしまったのである。しかし蘆名盛氏も、会津にて勢力を拡大した傑物である。彼は多少の怪我を負いつつも、どうにか血路を開いて囲みを突破してみせる。しかし次から次へと現れる敵兵に不覚を取り、ついには大怪我を負ってしまった。そんな蘆名盛氏を救ったのは、針生盛信はりゅうもりのぶである。蘆名一族となる針生家の当主であった彼は、少数ではあっても精鋭を率いて現れたのだ。そして運よく、蘆名盛氏と遭遇する。それは彼が怪我を負い、劣勢となっていた時であった。

 それを見た針生盛信は、一気に突撃する。なまじ蘆名盛氏という大物を討てる機会であった為、南部家の者も周りにまで注意が回らなかったのである。その為、この突撃は成功を見る。お蔭で蘆名盛氏は、九死に一生を得たのであった。


「も、盛信か!」

「大殿! 我の後ろへ!!」

「くっ。済まぬ」

「引くぞ」

『はっ』


 針生盛信の働きもあって、浅川城までの撤退は成功する。しかし怪我が思いの外重く、このままでは流石に兵の指揮は難しい。そこで蘆名勢の指揮は、蘆名盛隆あしなもりたかが引き継ぐこととなった。

 幸いにして、伊達輝宗は相馬勢を上手くあしらい首尾よく引いたことで、敵に押し切られるまでには至っていない。しかし、劣勢となったことには変わりがない。そこで伊達勢と蘆名勢は、立て直しをすることにした。

 まず浅川城には城代の矢吹光頼やぶきみつよりは無論のこと、彼の主となる石川昭光いしかわあきみつが籠城して敵を引きつける。伊達勢と蘆名勢は、一旦石川氏の居城となる三芦城へ引いたのちに軍勢を再編し、再度浅川城へ舞い戻りそこで織田勢の到着を待つという作戦に変更したのだ。

 因みに大怪我を負った蘆名盛氏はというと、蘆名勢の一部を護衛として須賀川城まで引いている。本来であれば居城の黒川城というのが一番いいのであろうが、流石にそういう訳にはいかない。そこで蘆名家現当主となる蘆名盛隆の実家、二階堂家の居城にて怪我の治療を行うことにしたのだ。

 同時に彼は、浅川城より味方が撤退を余儀なくされた際に防衛線を指揮する将としての役目も併せ持つことになる。そう簡単に打ち破られるとは思ってもいないが、万が一の場合も考慮してであった。

 また、この戦の結果については、関東にまで進軍してきている織田勢の第一陣へ知らされる。流石に敵勢となる領内を通ることはなかったが、しかし遠回りをすればいいだけである。織田家が、日の本の大半を勢力下としているからこそであった。

 程なくして浅川城で行われた戦の結果が、織田家第一陣の総大将の元へと舞い込む。嘗て宇都宮氏の居城であった宇都宮城へと入っていた大将の柴田勝家だったが、戦の結果を聞き慌てて出陣するなどということはない。彼は、予定通りの日程で出陣するつもりであった。

 これは、この戦のついでに伊達家や蘆名家、さらには南部家や相馬家など奥羽勢の勢力を削っておこうという思惑がある。敵となる家は無論、味方の勢力も削っておき、織田家の力を少しでも伸ばしておこうという考えに基づいていた。

 しかしながら、味方の負け戦の情報を聞き、全く兵を出さないというのも外聞が悪い。そこで柴田勝家は、滝川一益たきがわかずますに兵を与えて出陣させることとした。一見すると、織田家重臣とはいえ一将だけというのは援軍として心許ないようにも感じる。しかし兵を第一陣と第二陣の二つに分けていたとしても、動員した兵は膨大となる織田勢である。援軍が滝川一益だけだからといって、兵が少ないという事態にはならない。何より彼は織田家重臣であり、その体裁を調える為にも率いる兵が少ないというのはあり得なかった。

 いわば滝川一益は、第一陣の先発隊となった感がある。しかも彼の率いる兵は万を軽く超えており、彼だけでも十分に援軍の体裁を調えていた。

 宇都宮城を一足先に出陣した滝川一益は、那須資晴なすすけはる先導の元で蘆野城へ向かう。蘆野城は、那須家の重臣である蘆野家の居城である。城下を街道が走っており、その街道は結城義親の居城となる小峰城へと繋がっているのだ。

 蘆野城で三日ほど休養し、滝川一益は味方の疲れを抜いて万全の体制を調える。そして、いよいよ陸奥国へ向けて進軍を開始した。この滝川一益率いる軍勢が宇都宮城を出陣し、蘆屋城へ入ったことに驚いたのが結城義親である。このままでは、居城を取られかねないからだ。

 勿論、陸奥国と下野国の堺には兵を配置している。しかし滝川一益が率いている兵数を考えれば、国境を突破されるかも知れない。ならば、その前に小峰城へ戻る必要があった。また浅川城は固く、敵兵も多い為に短時間で落とせるとは思えない。万が一落とせたとしても、受ける被害は大きくなる。そうなってしまえば、小峰城を守ることなど無理である。つまり結城義親は、ここの戦場を放棄してでも居城へ戻る必要があった。

 そして白河結城家の兵が抜けてしまえば、浅川城を包囲し続けるなど無理である。つまり白河結城家と相馬家と岩城家と南部家連合勢の時間切れの負け戦であり、同時に伊達家と蘆名家連合勢の勝ち戦であった。しかし、負けたとはいえあくまで取り巻く情勢により勝ち負けが決まったに過ぎない。実質、蘆名家と伊達家連合勢が負けたという事実に変わりはなかった。

 その上、前述のように蘆名勢の大将であった蘆名盛氏が大怪我を負って後方に下がらざるを得ない状況にまでなっている。これでは、そう簡単に士気を回復させることはできそうもなかった。それゆえに浅川城にいる石川勢は無論のこと、軍勢立て直し中の蘆名家と首尾よく引いた伊達家を中心とした連合勢も歯噛みしながらも黙って見送るしかなかった。



 さて蘆野城を出陣した滝川一益であるが、既に戦端を開いていた。戦場となったのは、下野国と陸奥国の国境にある神社である。両国の国境には、玉津島神社と住吉神社が並立して建っている。そこを本陣として、結城義親の命を受けた中畠晴辰なかはたはるときが軍勢と共に駐屯していたのだ。

 その軍勢に、滝川一益が攻め込んだ訳である。神社は峠にあり、高所を取られている形である。しかし兵数は、滝川一益の方が多かった。さらに敵が本陣を置いているのは、砦などではなく神社でしかない。下手に時間を掛けるよりは引きずり出した方がいいと判断した滝川一益が、重臣の長崎元家ながさきもといえに命じて攻めさせることにしたのである。その一方で彼は、兵を分けて伏兵を作っていた。

 敵勢の動きから、攻める気なのではと感じた中畠晴辰は機先を制する選択をする。そもそもからして本陣があるのは砦でも何でもない神社であり、守ったところで守りきれるとは思えないからである。それならば、峠という高所から逆落としに攻め掛かった方がいいと判断し、打って出ることにした。

 まさか誘い出す前に敵の方から動くとは、滝川一益からしても少々予想外である。だが、これで誘い出す必要もなくなったと考えた彼は、ついに策を実行する。前提条件である敵の誘引を外し、長崎元家を攻めさせたのである。彼は滝川一益からの指示通り攻めるが、途中で自身では無様だと思えるような動きで撤退に入る。その不甲斐なく見える敵の動きに、中畠晴辰は追撃を命じていた。

 しかし、もう少しで追加の一撃を与えられるというその時、あろうことか奇襲を受ける。それは勿論、滝川一益が伏せていた兵を動かし、側面からの一撃を加えたからだ。まさかの奇襲に、中畠晴辰が狼狽えてしまう。その機会を、長崎元家が見逃す筈もなかった。


「偽りの撤退はこれまでだ! 反撃するぞ!」

『おお!!』


 先程までほうほうの体で逃げていた長崎元家が率いる軍勢が、即座に反撃へと転じる。予想していなかった側面からの一撃を受け、それでなくても混乱している味方に今の今まで逃げを打っていた筈の敵が逆撃を加えている。状況を把握する間などある筈もなく、あちこちで敵に食い破られてしまう。いやそれどころか、自身へ肉薄されてしまっていた。


「ば、馬鹿な……」

「その首、貰った!」


 やけに通る声を張り上げつつ、一人の武将があっという間に中畠晴辰に肉薄すると、すれ違いざまに槍で貫く。まさに一瞬の出来事であり、馬廻も防げなかった。


「敵大将、前田慶次利益が討ち取ったり!!」


 前田利益まえだとしますが宣言した次の瞬間、まるで後を追うように織田家の兵がなだれ込んでくる。あっという間に乱戦となり、敵を討つどころの騒ぎではない。中畠晴辰旗下の将兵は自身を守ることで精一杯となってしまった。

 その後、滝川一益は一気に本隊を投入する。これが決め手となり、中畠晴辰の軍勢は蹴散らされてしまった。しかし、彼らが敵勢を足止めしたことは無駄とはならない。結果として命を懸けた時間稼ぎとなったことにより、伊達家と蘆名家を主軸とした敵との戦場より先行して撤退した結城義親の軍勢が居城の小峰城に駆け付ける猶予を生み出したのであった。


いよいよ、日の本統一の最後の仕上げ、奥州侵攻です。

さて、あともうひと踏ん張りです。

それと、織田家対ポルトガルは、取りあえず回避されました。


ご一読いただき、ありがとうございました。


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[良い点] じきにイギリスやオランダなどのプロテスタント勢もきちゃうからね~銀鉱山ある日本に拠点無くなるのはこまるでしょう
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