第二百六十五話~老臣の死と京都馬揃え~
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第二百六十五話~老臣の死と京都馬揃え~
先の見舞より大して時間がたっていない三雲家からの急使に、何とも嫌な予感がした義頼は眉を寄せる。だがそれも僅かな時間であり、すぐに表情を取り繕うと用件を告げように促していた。
「はっ……対馬守(三雲定持)様、重篤にございます」
「何!! 分かった。ご苦労」
「御意」
先程感じた嫌な予感が当たった報告に、義頼は家臣を集める。やがて大原義定や本多正信や永原重虎らが揃うと、彼らに向けて使者の告げた内容を伝えた。
「どうやら、定持が重篤らしい。わしは急ぎ三雲城へ向かう。お主ら、後からついてこい」
『御意』
その後、用意された馬に跨ると、三雲城へとひた走る。当初、家臣は付いて行けていたのだが、そんな彼らも徐々に離されていってしまった。馬廻衆を率いる藤堂高虎ら馬廻衆、それに藍母衣衆も馬術の鍛錬を欠かしてはいない。しかし義頼が本気で馬を操ってしまうと、どうしてもついて行けなくなってしまう。彼らの操る馬も悪い訳ではないので、これは純粋に馬術の差であった。
やがて、いつの間にか単騎となっていた義頼は三雲城へと到着する。まさか義頼が単騎で現れるとは想定していなかった三雲家家臣は、慌ててしまった。そんな三雲家臣に対し咎めるでもなく、義頼は三雲定持の元へ案内するようにと言い放つ。決して大きな声という訳ではないのだが、有無をも言わさない迫力があった。
その気勢に飲み込まれるように彼らは幾度か頷くと、義頼を三雲定持の元へ案内した。すると幸いかどうかは分からないが、何とか彼は命を繋いでいたのである。とはいえ、かなり苦しそうであることに変わりはなかった
そんな三雲定持の周りには、長男となる三雲賢持と、三雲家の家督を継いでいる三雲成持がいる。また、彼の息子となる三雲成長が控えていた。
なお、三雲賢持には息子の三雲賢春がいるのだが、彼はここにいない。本来であれば義頼と共に三雲城へ来る筈であったが、三雲賢春も義頼についていけなかったのである。今は他の家臣たちと共に必死に馬を走らせ、この三雲城へ向かっている最中であった。
「定持!」
「……と、殿」
義頼の呼びかけに、混濁していた三雲定持の意識が浮かび上がってくる。それから視線を義頼へ向けると、苦そうに口を開いてから体を起こそうとした。しかし、義頼が押し留めたことで、彼は体を起こすことはない。その後、枕元まで近寄ってきた義頼が腰を降ろす。そんな彼に対して三雲定持は、息をたびたびつきながらも声を掛けた。
「……どう……やら、拙者も……これまでに、ございます」
「定持……寂しいことを言うでない」
「……いえ。自身の……ことにござい……ますれば。です……が、最後に殿と……お、お目通り……がかないましたこと、嬉しく……存じます」
言葉を紡いでいる三雲定持には、明確に死の影がさしている。若い頃より幾度となく戦場に出て、死というもの間近に感じていた義頼だけにその意味が示していることは理解できていた。そして少しの間だが目を瞑りやがて顔を上げたあと、義頼は三雲定持へと向けると口を開いた。
「……定持。わが父より四代に渡り仕えたこと、見事であった」
「ありがとう、ございます……」
その言葉を最後に、三雲定持が口を開くことは二度となかった。
その後、三雲家の館へ到着した馬廻衆や母衣衆らも涅槃へと旅立ってしまった三雲定持と面会する。その中にいた三雲賢春は、涙を流しながらの面会であったという。何はともあれ、死に目に会えた義頼から改めてお悔やみの言葉が三雲家の面々へ伝えられる。六角家当主直々の言葉に、三雲成持以下三雲家の者たちは目から零れ落ちる涙を拭おうともせずただ粛々と聞いていたのであった。
その日は僧侶が呼ばれ、いわゆる通夜となる。義頼も、その通夜には参加している。それから数日後には葬儀が行われ、そちらにも義頼はそして京より急遽六角承禎も参加したのであった。
三雲定持が身罷ってより半月ほどした頃、義頼の元に緊急の知らせが届く。それは蒲生賢秀からであり、その内容は蒲生定秀についてであった。
その使者によれば容態はかなり重く、それこそ明日をも知れないとのことである。取る物も取り敢えず、義頼は立ち上がり着替える。その間に、三雲定持の時と同様に重臣へも知らせていた。やがて着替えが終わると、日野城へと向かう。慌てて母衣衆や馬廻衆が追い掛けるも、今回も日野城までに彼らが追いつけることはなかった。
先に到着した義頼は、そのまま隠居舘へ向かう。そこには驚くことに布団を上げ、さらにはきちんと正装した蒲生定秀が待っていた。そのことに驚いた義頼だったが、さらに驚いたのは彼の顔色である。殆ど土気色といってよく、その様子からかなり無理していることが容易に想像できた。
「定秀! 無理をするな」
「殿……これにて……お別れにござい……ます」
「……そうか……長きに渡る我のお守り、実に大義である」
「ぎ、御意……」
そう返すのが精一杯だったのか、蒲生定秀は崩れていく。しかしすぐに動いた義頼が、しっかりと抱きかかえる。その体はとても軽く、彼は驚きを覚えていた。
「じい。ゆっくり、そうゆっくりと休むがいい。それと、父上によろしく頼む」
そう言ったあと義頼は、蒲生定秀を抱えたまま庭に出る。その庭では桜が咲いており、花びらが静かに散っている。それはまるで、屋敷の主の死を悼むかのようであった。
桜吹雪とまではいかないが、一枚、また一枚と散る桜の花びらの中、義頼は暫く佇んでいる。どれだけ、そのままの体勢でいたのだろう。やがて義頼は、部屋に戻ると静かに蒲生定秀の遺体を横たえたのであった。
「すまぬな。本来ならば、嫡子となるそなたの役目であった」
「いえ。父も、最後に左衛門督(六角義頼)様に抱きかかえられ満足して逝ったと思います」
「そうか。そうだといいが……」
「自信をお持ちください。自慢の息子だと、父はそう漏らしておりました」
「……我にとっても、じいは父であったわ……」
「きっと、草葉の陰で父は喜んでいます」
そんな蒲生賢秀の言葉に応えず、義頼はじっと横たわる蒲生定秀を見る。だが、身罷った蒲生定秀が動くことはない。すると、不意に蒲生定秀の死が胃の腑に落ちたそんな気がした義頼であった。
「さらばだ、じい」
今一度庭に出た義頼であったが、それから空を見上げつつ先に言葉を漏らしている。その後、三雲定持の時の同じく通夜と葬儀に参列している。そして蒲生定秀の葬儀にも、六角承禎は参列したのであった。
京の町は、かなりの混雑具合となっている。それは勿論、天皇よりの要請により行われることとなった馬揃えの本番をいよいよ迎えた為であった。当然ながら、相次いで亡くなった六角家重臣の葬儀などにも参加していた義頼も京にいる。しかし、彼の身に纏う雰囲気には少々の疲れがあるように見えた。だが、それも仕方がないといえる。彼は、織田信長からの要請通りに朝廷との折衝にまだ九州にいる頃から尽力していたからだ。
その上、相次いで老臣をなくしている。いかな彼とはいえ、疲れが見えてもおかしくはない。とはいえ、そんな様子を馬揃えの最中に見せる訳にはいかない。自身は無論だが、織田家にも恥をかかせてしまうかも知れないからだ。
すると義頼は、自身に気合を入れる為にも両ほほを平手ではたく。だが周囲の騒がしさが大きい為、近くにいる者以外で気付かれることはなかった。
「殿。大丈夫にございますか」
「気合を入れただけだ。高虎、気にするでない」
「はっ」
そんな中で、馬廻衆の筆頭として近くにいたことで気付けた藤堂高虎からの問いに、当たり前のように答える。そこには、先程まで見せていた少々の疲れなど全く微塵も感じさせない。そして、義頼は自身の出番を待つのであった。
なおこの馬揃えには、京の住人は勿論だが他にも畿内やその近隣よりの見物人が京の町へ入っている。それでなくても、馬揃えに参画する者たちも多い。その参画する者たちよりも見物人の方が多いので、なおさら京の町は混雑の様相を呈していた。無論、織田家の警備も怠ることはない。相当数の兵も治安維持に投入されており、混雑はすれども混乱とはなっていなかった。
さて馬揃えの隊列だが、一番手は、柴田勝家である。彼は、柴田勝政と佐久間信盛、前田利家や原長頼に飛騨衆や甲斐衆を率いていた。二番手は丹羽長秀であり、彼は能登衆と越中衆を率いていた。
三番手は蜂屋頼隆となり摂津衆を、四番手は羽柴秀吉であり、彼は紀伊衆と和泉衆と根来衆を率いている。流石にまだ赴任していない、九州勢はいない。何より遠隔地ゆえに、そもそも上京させていない。そこで彼は、嘗ての領地であった者たちを代わりに率いていたのだ。
続いて五番手は明智光秀であり、彼は長宗我部元親ら四国衆を率いている。そして六番手は滝川一益が信濃衆を率い、七番手となる村井貞勝の嫡子である村井貞成は、革島秀存ら山城衆をそれぞれ率いていた。
次に、この馬揃えには武に覚えのある公家衆が参画している。この中には、近衛前久を筆頭に正親町季秀や烏丸光宣や日野輝資や高倉永相がいたのである。他にも、六角承禎が含まれていた。彼の場合、そもそも佐々木流馬術の開祖である。腕に覚えがあるどころの話ではないので、むしろ当然の参画であった。
その次に続いたのは、元幕臣衆である。こちらには、長岡藤孝や細川昭元や細川藤賢などの細川家一門や伊勢貞為がいる。またこの中には、老齢の父に代わり京極高次もいた。
そのあとには、織田信忠を筆頭とした織田家連枝衆が続いている。彼らは、尾張衆と美濃衆と伊勢衆を率いての参画であった。次いで義頼が甥の大原義定や六角義治など六角家の一門衆と共に、近江衆や先に列挙されなかった河内衆と中国衆を率いていた。
その後には、織田家の弓衆と織田信長の愛馬たちが続くことになる。これら自慢の名馬のあとは、武井夕庵ら坊主衆が続き、その後ろに、織田信長本人がいた。
その織田信長であるが、唐冠を被りそこには梅の花を折って差しこんでいる。そして蜀紅錦の小袖と紅緞子に桐の唐草をあしらった肩衣と袴を着用し、白熊の革製の腰蓑を身に纏っている。また彼のあとに、ビロードのマント南蛮鉄製の胴鎧を案山子に着せた上で続かせていた。
最期に、織田家に従属した大名が続く。彼らの先頭は、浅井長政であった。つまり織田信長を義頼と浅井長政が挟んで守っていることになる。この辺りにも、織田信長がこの二人を特に気にいていたことが如実に現れていた。
なお馬揃えの道筋だが、京における織田信長の御殿より出発し、京の御所東門のすぐ外にこの馬揃えの為に作られた馬場を抜けるというものである。この馬場には、天皇や馬揃えに参加していない公家衆の席、そして十六代将軍である足利義信の席が設けられていた。
参加している数が多いこともあり、三十から四十騎が纏めて天皇の前を行進する。それは見事であり、見物している天皇や公家衆、足利義信などは手を叩いて喜んでいた。また、この馬揃えには、宣教師も幾人か招かれている。というのも、先の織田信忠による九州への遠征後に、実は織田信長を宣教師が尋ねてきていたからであった。その人物は、アレッサンドロ・ヴァリニャーノである。彼は織田家による九州遠征が終了するほぼ同時期に日の本へと来訪した宣教師であった。
その彼は、日の本に到着後に聞いたフランシスコ・カブラルの態度に不安を感じていた。何せフランシスコ・ガブラルは、織田信忠との面会を求めてそれが叶わないとなると、下賤な者に馬鹿にされたと怒りに思い、あろうことかマカオにいたポルトガルの艦隊を嘗て大村純忠の依頼で行ったように動かそうと画策したからである。だが、幸いにして計画の段階で未然に防がれていた。
またそればかりだけではなく、そもそも彼の日の本における布教方針などに対してもアレッサンドロ・ヴァリニャーノは懐疑的であった。
フランシスコ・ガブラルを感情の向くままに暴走させるのは色々と不味いと考えたアレッサンドロ・ヴァリニャーノは、彼を抑える為に自身が会って先方の思惑を聞くということで暴走をさせないようにしたのである。その後、京に向かい織田信長と織田信忠に面会を求めたが、許可は下りずそこに歓迎された様子は見えない。それでも諦めず何度か面会の申請した結果、何とか叶ったのがこの馬揃えのあとであった。
しかも織田信長は、先に述べたように宣教師らをいわば招待客として参画させている。この馬揃えを見学した彼ら宣教師は、織田家の意向を理解した。それは脅しであり、そして南蛮含む我らに対する怒りであると。華やかともいえる馬揃えの裏で、笑みを浮かべながら刃を突き付けられたに等しい彼らは、何とか織田家側の怒りを解こうと心を決めたのだ。
そんな宣教師たちの思惑とは別にして、馬揃えの華やかさをいたく気に入った天皇は馬揃えが終わるまでの間、都合十二人程の勅使を派遣する。そればかりか、馬揃えが終わった際には直々に言葉を掛けたぐらいであった。
なお、天皇はこの馬揃え相当に気にいったのか、再度の馬揃えを要請している。しかし織田信長は、天下統一が終わったあとに行っては。と返答していた。しかもその際には、日の本全て津々浦々より参加させ、今回の馬揃え以上のものを行うと言葉を添えていたのである。これには天皇も、いたく賛同し楽しみにしているとの返書を認めさせたぐらいであった。
馬揃えが無事に終了して数日、京での織田家御殿にアレッサンドロ・ヴァリニャーノが約束通りに現れる。この一行には、通訳としてルイス・フロイスも同行していた。そんな宣教師たちが通された部屋に、織田信長と織田信忠の親子が入ってくる。他にも長崎を実際に見た義頼や明智光秀、羽柴秀吉も同席していた。
その席でアレッサンドロ・ヴァリニャーノら宣教師は、釈明に必死となる。彼らの釈明を最後まで聞いた織田信長は、ゆっくりと口を開いた。
「我……いや織田家は、意向に従う限りこちらからどうこうしようとする気はない。嘗て面会した時、そういった筈だな。しかしそなたらは、奴隷貿易にも関与した。しかも、葡萄牙や西班牙だったか? 兎も角、そ奴らと協力してだ。それは、大友家に対して取り締まるようにと通達してからもだがな」
「そ、それは……」
「しかも、我が息子に会おうとして叶わなかったその方らの仲間でこの日の本の切支丹を纏めているという者が何か良からぬことを企てたとも聞き及んでいるが?」
まさかフランシスコ・カブラルが計画したことまでもが漏れていようとは夢にも思っていなかったルイス・フロイスは驚愕のあまり硬直してしまう。その様子にただならぬ気配を感じたアレッサンドロ・ヴァリニャーノは、ルイス・フロイスに尋ねた。
自身を襲った衝撃より抜けきっていなかった彼であったが、このまま伝えないのもよくはない。声が震えているのを自覚しながらもルイス・フロイスは、アレッサンドロ・ヴァリニャーノへ織田信長の言葉を通訳した。
当然ながら、内容を聞いた彼も驚きをあらわにする。そもそも今回の面会も、フランシスコ・カブラルの企てが織田家というか日の本側に判明しないうちに関係を改善しようとの目的で、望んだものである。その思惑が、根本より崩されてしまったのだからまさに青天の霹靂であった。
一方で織田家側だが、実はまだフランシスコ・カブラルが企てた計画の詳細を把握している訳ではない。しかし何らかの計画が存在した事実は掴んでおり、この席で持ち出したのもいわば駆け引きであった。だが思いの外図に当たったことに、内心では人が悪い笑みを浮かべていた。
まだ、この場にいる織田家側の面々は織田信長も含めて警戒を一段階上げてもいる。それは彼らの見せた驚きの様相がおもったよりも激しく、予想以上の反応であったからである。こんな様子を見せられては、警戒しない方が無理な話であった
「ふん。やはり、付き合い方を考える必要があるようだな」
「お、お待ちください! 我ら、織田様に逆らうような気はありません」
「ほう? では、その件についてはどうする気だ」
「フランシスコ・カブラルにつきましては、我らで解決して見せます。ゆえにどうか、猶予を!!」
「だ、そうだ信忠。西のことについてはそなたに任せている、そなたならどうする?」
「……いいだろう。そなたの希望通り、猶予は付けてやる。但し、こちらが納得できなければそなたら宣教師どもも含め切支丹は追放する。これは、葡萄牙や西班牙であっても同様だ」
父親より話を振られた織田信忠は、暫く考えてからアレッサンドロ・ヴァリニャーノとルイス・フロイスへ織田家の判断を言い渡す。イエズス会もさることながらまさかポルトガルやスペインというヨーロッパの国までも追放だという言葉に、織田家側の本気度が見て取れた。
ただ、織田家側としては別にこの二国にこだわる必要はないと考えてのことである。日の本から見て万里の彼方にあるといっていいヨーロッパであるが、そこに先に上げた二国の他にも国が幾つもあることぐらいは承知している。もしポルトガルやスペインと断絶したからといって、南蛮貿易が途絶えてしまう訳ではないのだ。
また、中には宗教を押し付けるようなことをせずに貿易を行える国もあるとも伝え聞いている。こちらはまだ裏が取れている訳ではないのだが、そのような話がある以上全くの嘘というのも考えづらい。最悪、そのような国々と貿易をすればいいという織田家側の割り切りもあって追放するという話であったのだ。
しかし、イエズス会側としてはそのような事態は看過できるものではない。なんとしても、織田家側にも納得とまではいかなくても及第と判断されるぐらいの対応をせざるを得ないのだ。何はともあれ、面会を終えた彼らは肩を落として屋敷より退去する。しかし、いつまでも打ちひしがれている訳にもいかない。何としてもこの拗れた織田家との関係を解決するべく、彼らも動き始めた。
なお、羽柴秀吉に命じられた九州におけるイエズス会や切支丹に対する情報収集や、他にも義頼に命じられているポルトガルら外つ国への情報収集は引き続いて行われる。アレッサンドロ・ヴァリニャーノとルイス・フロイスの言葉を全く信じていない訳ではないが、だからといって全ての下駄を彼らに預けるなどもできはしないからだ。
何があっても対応できる体制は調える必要を鑑みて、織田信長は命の続行を支持する。それは義頼も羽柴秀吉も理解しており、両名も手を抜くことなく事態に対応させるのであった。
因みにアレッサンドロ・ヴァリニャーノであるが、彼は京に留まり続けることとなる。有り体にいうと、いまだ織田家と交渉しているという体を示したのだ。しかしながら、それだけでは何ら解決を見ない。そこでアレッサンドロ・ヴァリニャーノは、次なる手の為にと堺より使者を立てた。
その手とは、フランシスコ・ガブラルの解任である。この日の本に彼がいるからこそ問題が起きている。ならば、彼を移動させてこの日の本より切り離してしまえばいい。しかしただ日の本より追い出しては、いらぬ恨みを買ってしまう。何より、元軍人という人脈を使って暴走などされてはたまったものではないのだ。そのような未来を防ぐ為に、円満に出でいってもらう必要がある。そこで、栄転という形を取って表向きには分からないように追放することをアレッサンドロ・ヴァリニャーノは画策するのであった。
馬揃えも終わり、イエズス会も脅されました。
脅しだけで終わるかどうかは分かりませんが。
ご一読いただき、ありがとうございました。




