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第二百五十七話~英雄の幻視~

お待たせしました。


書店アプリ『まいどく』において、配信もされております。


第二百五十七話~英雄の幻視~



 護衛を伴って自陣を出ると、その足で戸次道雪べっきどうせつを尋ねた。

 しかしてその戸次道雪であるが、実は彼も同様の懸念を抱えていたのである。その為か、義頼からの相談を受けた戸次道雪は、思わず驚きの表情を浮かべてしまう。しかしそれも一瞬であり、次の瞬間には彼の表情は真剣なものへと変わっていた。


「貴殿も同じ懸念をされていたとは、驚きですな」

「それは、某としても同様です。しかし、今になって急に戦勝を祝う宴を取り止めろとは流石にいい辛い。ましてや大友家は、島津家からかなり辛酸をなめさせられたと聞いていますからな」

「うむ。しかしだからこそ、そこに付け込まれかねないと危惧致したのだ」

「それは確かに。実際、某も相手は違うとはいえ、一度、付け込まれたことがあります。その経験をしている身としては、座して見過ごす訳にはいきますまい」

「ほう。貴殿にもそのような経験が。ならば、なおさらそうであるな」


 奇しくも考えの一致を見た義頼と戸次道雪は、互いに頷きあう。それから警告を与えるべく、それぞれの大将へと近づいた。警告を与える相手は義頼が羽柴秀吉はしばひでよしであり、そして戸次道雪は大友宗麟おおともそうりんと大友家現当主の大友義統おおともよしむねであった。

 しかしその警告が、生かされることはない。いや、それも正確ではない。まがりなりにも、羽柴秀吉には届いていた。とはいえ宴を行うと宣言した直後であるし、何より大友家の浮かれ具合が尋常ではない。そこで警戒はするが、宴自体は行うと義頼へ返答するにとどめていた。また進言した義頼としてもそこが落としどころであろうと考えており、了承している。その代わりという訳でもないのだが、言い出した者の責任として、宴の際は六角家が周囲の警戒を行うとしている。つまりこれが、前述した貧乏くじであった。

 一方で大友家側であるが、戸次道雪の進言は完全に一笑に付されてしまう。あれだけの損害を被りながら、幾ら島津義久しまずよしひさ率いる島津家とてそんな余裕はないだろうとされたからである。実際、傍から見てもそれほど余裕があるような退却ではなかったのも確かなのだ。

 しかしながら、羽柴秀吉より一応警戒をするようにとの通達がのちに大友家にもされる。そうなってくると大友家としても無視はできず、最終的には義頼と同じく言い出した者が責任を取るという体で戸次道雪へ警戒をするようにと命じる。だが彼としてもその命は想定内であり、即座に了承したのであった。



 羽柴秀吉から命じられた織田家の将である義頼と、そして大友宗麟から命じられた大友家の将である戸次道雪は合同でそれぞれの陣営から主だった将を集める。そして彼らと共に、警戒を強めた。

 すると彼らの動きを察したのか、竜造寺家より鍋島直茂なべしまなおしげも警戒に加わったのである。だが、そうなると彼らが宴に出ることができなくなる。そこで彼らはそれぞれ体調を崩したとして、宴に代理を出すこととした。

 義頼は、甥である大原義定おおはらよしさだを、そして戸次道雪は、彼の甥であり今は養子縁組して戸次家当主となっている戸次鎮連べっきしげつらを参加させることに決める。最後に鍋島直茂は、弟の小河信俊おがわのぶとしを代理としていた。

 さて警戒網の中心となるのは、やはり地の利がある戸次家である。そこで、六角勢と鍋島勢は何かあった時の即応隊として動くこととなる。その為、義頼と鍋島直茂は陣を置き待機していたのだが、このことが島津家の義頼の陣へ兵を誘引することになるとは皮肉な話であった。

 島津義弘しまずよしひろ率いる奇襲部隊であるが、ただ闇雲に動き回っていた訳ではない。彼は六角家に捕らえられてしまい生死不明の赤塚真賢あかつかまさかたと並ぶといっても差し支えないだろう酒瀬川武安さかせがわたけやす率いる山くぐり衆に探らせつつ、敵から判明しづらいであろう者たちから襲っていたのである。これにより、戸次道雪の巡回という警戒をも掻い潜り、幾つかの襲撃を成功させていたのだった。

 当初、島津義弘の狙いは敵将と同時に大砲群にあった。しかし義頼は毛利家との戦で経験した事態も考慮して、大砲群と火薬には念入りな護衛を付けている。これでは、いかに島津義弘としてもあきらめるより他ない。そこで彼は、標的を敵将に絞ったのである。この為、大身の将は兎も角、比較的小身といっていい将たちが損害を被ることになったのだ。

 さらにいうと島津義弘は、特に織田家の将より比較的相手が分かっている大友家の将を狙ったこともあり、被害は偏り気味となる。これは元々九州の家である大友家と、畿内より派遣された織田家に対する認知度の差であり、襲撃者たる島津義弘はつまるところ分かり易い者から襲い掛かったのだ。

 そんな中、山くぐり衆が義頼の情報を掴んでくる。当然だが、表向きは体調をいささか崩しているとしているので、掴んだ情報もそれに準拠したものであった。義頼に関しては、島津義弘も島津家久からも聞いていたし、今までに流れてきた噂等から厄介な男であることも分かっている。その上、義頼は織田家の重臣に名を連ねている人物である。また織田家重臣の中では最年少であり、その年齢から、織田信長おだのぶながの次となる織田信忠おだのぶただの代となっても重臣に名を連ねるのはほぼ間違いなかった。

 その義頼の体調が、優れないという。つまり、標的としておあつらえ向きなのだ。とはいえ、いささか不審に思わないでもない。だが義頼を討つことができれば、かなりの利を得ることは間違いないのも事実である。それは自身や率いてきた者たちの命を引き換えにしても、襲撃を行う価値がある相手であった。

 少し考えたあとで腹を括った島津義弘は、義頼を襲撃するべく彼の陣へと向かう。しかしてこの動きは、流石に義頼へ知られることとなった。幾ら警戒の中心が戸次家であったとはいえ、義頼とて警戒はしていない訳ではないのだ。彼は彼で、旗下の忍び衆を周囲に展開している。その警戒網に、島津義弘の動きが引っ掛かったのだ。

 しかし義頼は、事前に旗下の忍び衆に対してもし島津家の者を見かけたらさりげなく自陣へ誘導するようにとの指示を出している。下手にあちこち動き回られるより、その方が被害を抑えられるからだった。その誘導にしても、露骨に行う必要はない。相手は、精鋭とはいえ少数である。警戒網を厚くしたり薄くしたりという警戒網の温度差を作ってしまえば、ある程度は可能であったのだ。

 仮に誘導に掛からなかったとしても、相手の動向が分かればこちらから動くこともできる。少なくとも義頼は、どちらに転んでも問題はないと考えていた。

 だが前述したように、既に島津義弘は襲う気である。そこに誘導があろうとなかろうと、もはや関係なかった。やがて島津義弘率いる島津家の精鋭は、目的とした六角家の陣近くへと辿り着く。そして六角家本陣を襲うべく、ゆっくりと迂回して後方へ回る。いよいよ彼らは、六角家本陣へと急襲するべく躍り掛ったのだが、その本陣は島津義弘にとり虎口に他ならなかった。

 既に襲撃が想定されているのだから、襲われる側も万全を期して待ち構えている。寧ろ義頼としては、敢えて敵に襲わせることで、相手を逃げ辛くさせることが目的である。襲撃者の思惑がどこにあるにせよ、逃がすつもりなど最初からないのだ。

 陣幕を切り裂き躍りかかった島津家の精鋭だが、その彼らをして思わず立ち止まってしまう。何せそこにいたのは、当然ではあるが義頼の誇る六角家藍母衣衆や彼の馬廻衆というこちらも六角家の誇る精鋭であったからだ。しかも藍母衣衆は、武将というより剣豪といっていい者たちが多く属する部隊である。いかな島津家の精鋭といえども、恐るべき相手であることに間違いはなかった。

 島津義弘が率いる者たちはそのことを敏感に感じ取り、思わず動きを止めてしまったのである。すると六角家の精鋭に守られた辺りよりやや後方から、彼らに声が掛かった。


「よくぞ参られた、島津の者よ」

「何者だ!!」

「人に名を尋ねる時は、自身から名乗るのが礼儀であろう」

「……ちっ! 我は島津が次男、島津兵庫頭義弘なり!!」

「なるほど。では某も、名乗ろう。我は、六角左衛門督義頼なり! 噂に名高い兵庫頭(島津義弘)殿とあれば馳走いたすしかあるまい。掛かれー!」

『おおー!!』

「くそっ! 怯むな! 我に続くのだ!!」

『おー!!』


 こうして、六角家と島津家の精鋭が正面からぶつかった。

 しかし、万全の備えで待ち構えていたのは六角勢であるし、その上先手まで取られている。さらにいえば、兵数でも六角家の方が上であった。つまり戦いの手綱は、六角家が握った形である。だが、相手も島津家の誇る精鋭で構成されている。そう簡単に崩れるような敵でもなかった。

 そんな島津勢の先頭に立ち味方を鼓舞する島津義弘は、義頼へ肉薄するべく執拗に攻勢を掛ける。だが、相手は北畠具教きたばたけとものりが鍛え上げた義頼の親衛隊といえる藍母衣衆である。頑強に立ち塞がり、島津勢を寄せ付けなかった。そこに、義頼も参加する。とはいえ、自ら打根を持って参戦した訳ではない。愛用の弓である雷上動を用いての参戦であった。

 この場は六角家の陣であり、当然だが周囲にはかがり火がある。襲撃を行ったとはいえ、夜の時分であり、かがり火を消してしまえば島津勢とて同士討ちとなりかねない。その為、意図的にかがり火が倒されることはなかった。

 しかしながら夜は夜であり、暗いところはやはり暗い。そんな状況でありながらも義頼は、正確に敵兵を射抜いていた。しかもその矢が放たれる間隔は、非常に短い。それはまるで、狙いなど付けていないのではないかと思わせるぐらいに短いのだ。

 それであるにも関わらず、味方を誤射するといった撃ち損じはない。驚異の命中度で、次々と島津の精鋭を射抜いていた。しかもその矢は、時おり一人だけではなく二人をも射抜くのである。確かに奇襲ということもあって、島津の者たちは軽装となっている。だが、防具を全く纏っていないという訳でもなかった。

 それでも義頼は、時には纏めて射抜いている。前述したように放った矢全てが纏めて射抜いている訳ではないが、それでも一本の矢で二人や、時にはそれ以上射抜いたりしていることがあるのは間違いなかった。


「……ち、鎮西八郎……」


 この九州は、弓の名手として名高い鎮西八郎こと源為朝みなもとのためとも所縁ゆかりがある地である。源為朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝みなもとのよりともの叔父に当たる人物であった。しかも身の丈が七尺(二メートル十センチ前後)あるといわれた程大柄であり、同時に強弓の使い手で剛勇無双と名を馳せていたのである。しかし気性が非常に荒く、実の父親である源為義みなもとのためよしにすら持て余され、九州へ追放されてしまった人物でもあった。

 だが彼は、九州で大人しくしているような男ではない。彼は自らを鎮西総追捕使と称して菊池氏や原田氏といった九州に在している国人らと戦を交え、ついには九州を平らげてしまったのである。このいわば乱暴狼藉を朝廷に訴えられてしまい、彼は出頭するようにとの宣旨を朝廷より出されてしまった。

 しかし源為朝は昂然と無視し、上洛を行わなかったのである。その為、代わりに父親が責任を取らされて解官されてしまう。流石の彼もこれにはこたえたらしく、九州の精鋭二十八人を伴って上洛したのであった。

 但し、父親の源為義も息子程ではないにしろ粗暴な振る舞いが多い人物であり、この解官も息子の不明にかこつけた解官であったともされるがそれも定かではなかった。

 何はともあれ上洛した源為朝の処遇であるが、朝廷としても乱暴な振る舞いは目に余る。しかし、彼の持つ武人としての能力は突出しており失うには惜しい。そこで軽めの謹慎とすることで、一まずの幕を下ろしていた。

 しかしながらその翌年になると、治天の君の座を巡って【保元の乱】が起きる。そこで彼は、崇徳上皇へ味方する。だが、【保元の乱】は後白河天皇側の勝利で終わりを迎えてしまった。敗れた崇徳上皇側の将であった源為朝は、仕方なく近江国へと落ち延びる。しかし坂田の地で病にかかり、彼は湯治中に捕らえられてしまうのであった。

 その後、京まで送られたが当時名を馳せた武将ということもあり人気が高く、何と敵であった筈の後白河天皇も見物に行幸したぐらいであったという。そういった経緯もあり、源為朝はまたしても命を長らえている。だが彼の持つ弓の腕が脅威なのは間違いなく、そこで朝廷は、源為朝を伊豆大島に流していた。

 しかしそこでも、乱暴ぶりは健在だったのである。彼は島の代官の娘を娶り婿の立場になると、瞬く間に伊豆諸島を切り従えてしまった。そうなれば、同地を治めていた工藤茂光くどうもちみつも黙っていない。彼は朝廷に訴えて自身の正当性を明らかにして援軍を得ると、源為朝を攻め立てたのだ。

 いかに武勇を誇る源為朝とはいえ、明らかに多勢に無勢である。勝ち目はないと判断した彼は、せめて一矢だけでも報いて見せるとして自慢の強弓を用いて矢を放つ。するとその矢は見事敵兵の船を貫き、乗船していた多数の兵ごと舳先を海底へと向けてしまったのであった。

 それでなくても既に半ば伝説に近い逸話を持っている源為朝が齎した一矢だけで船を沈めてしまうという新たな逸話に、多数の兵を抱えている筈の討伐軍の方が怯えてしまう。そんな敵兵らを一瞥したあと、源為朝は館に戻ると自刃して果てたとされている。そんな源為朝の通称が、先に述べた通り島津義弘の漏らした鎮西八郎であった。

 源為朝は姓が示す通り源氏であり、そして弓の名手で大柄な体つきをしている。しかも追放という形であったが、この九州に現れた人物であった。

 翻って義頼だが、源為朝には及ばないがそれでも大柄な体つきをしており、しかも弓の名手である。それに、出自は違うとはいえ同じ源氏なのだ。ゆえに島津義弘は、思わず義頼の姿に源為朝を幻視してしまい不覚にも見入ってしまったのである。しかし次の瞬間、島津義弘は視線を感じはたと気づく。しかもその視線は、義頼からのものであり、そればかりか彼は、手にしていた雷上動の弓を引き絞っていたのだ。

 義頼からしてみれば、視線が通るということは即ち射線が通ると同義である。ましてや視線の先には、なぜか動きを止めている人物がいる。それだけで標的とするには十分であり、しかも偶々であったがかがり火のお陰で標的が誰なのかを判別できたのである。義頼が討ち取ろうとするのは、当然であった。


「もらったっ!」

「はっ!? しまった!!」


 咄嗟に射線から外れようとする島津義弘であったが、義頼がいったように一歩遅かった。雷上動につがえられていた矢は放たれ、真直ぐに島津義弘へ襲いくる。しかし、直前に隣にいた武将が身を挺して矢の軸線上に立つ。その者は五代友喜ごだいともよしといい、島津義弘の家老を務めている一人であった。

 だが義頼の矢は、そのまま五代友喜の首に当たりそのまま貫いてみせる。しかもその矢は、勢いを殆ど減していなかった。しかし首を貫いた際にどこかに当たったのか、やや射線がさがってしまう。するとその矢はそのまま、本来の標的となった人物、即ち島津義弘に襲いくると胸に突き刺さり、そのまま心臓を貫いたところで漸く止まっていた。

 最初に射抜かれた五代友喜は、自身が射抜かれた認識した瞬間には思考も意識も失せてしまっている。その直後、彼は人形ひとがたじみた動きで地面へと倒れ込んでいた。次に射抜かれた島津義弘は、ゆっくりと自分の体に突き立った矢を見ると、のろのろと視線を前へと向ける。そこで視界に入ったのは、地面に倒れ逝く五代友喜の姿であり、そしてその先で矢を放っていた義頼の姿である。その直後、自身の心の臓が拍動していないことを認識した島津義弘の意識は闇へと沈んだのであった。


「島津兵庫頭義弘! 六角左衛門督義頼が討ち取ったり!!」


 しっかりとした声で朗々と宣言された義頼の声が、はっきりと敵味方の耳にまで届く。しかしてその声は、味方には鼓舞を敵には落胆を与えていた。その上、この場に義頼側の援軍が到着する。その援軍は二つの集団であり、一つは戸次道雪の兵であり、しかも彼らを率いていたのは由布惟信ゆふこれのぶであっる。彼はやはり家臣となる小野鎮幸おのしげゆきと並んで、立花双翼と謳われた武将であった。

 もう一つの集団は、鍋島直茂旗下の兵であり、率いているのは鍋島清虎である。彼は鍋島直茂のいとこに当たる人物であった。

 そんな男たちが援軍として現れたという事実に、島津家の者は絶望する。それでなくても大将の島津義弘が討ち取られているのだから、そのような雰囲気となるのも何ら不思議はなかった。この戦場の流れを、義頼もそして援軍として現れた由布惟信と鍋島清虎も見逃す筈もない。彼らは、島津家の者たちに対して、総攻撃を命じたのであった。

 なお戸次道雪の援軍でありながら何ゆえに立花双翼なのかというと、実は戸次道雪が立花家の者だからである。立花家は大友家の庶流であるが、立花鑑載たちばなあきとしが当主の頃に二度ほど主家である大友家に対して反旗を翻している。一度目は許されたが、流石に二度目は許されず首を取られていた。

 その後、彼には養子縁組した子供がおり彼を持って立花家の再興が検討されたが、そのことに大友宗麟が難色を示す。最終的には、本来家を継ぐ筈であった立花親善たちばなちかよしではなく、当時は剃髪前でまだ戸次鑑連べっきあきつらと名乗っていた戸次道雪が名跡を継ぐという形を取り立花家の再興が成されたのであった。

 しかし二度も大友家に反旗を翻した為か、大友宗麟は戸次道雪に立花の姓を名乗ることを許していない。また戸次道雪自身も、家名こそ継いだが立花の姓を名乗ることを嫌がった為に立花の姓を名乗らなかったのであった。

 戸次道雪にはそんな経緯があるのだが、立花家を継いでいたのも事実である。そもそもからして立花家を継いでいる以上、本来の家名は立花である。だからこそ、由布惟信と小野鎮幸は立花双翼なのであった。

 なお、立花家の家督だが今は戸次道雪の手にはない。家督は、彼の唯一の子供でもある娘の誾千代へ継承されていたのである。これは戸次家が仕える大友宗家が許したことであり、現時点において立花家の当主は戸次道雪の娘となる立花誾千代が継承していた。

 しかし彼女は、まだ十才になるかならないかといった年齢でしかない。そこで立花家の実権は、相も変わらず戸次道雪の手にあったのである。


「左衛門督(六角義頼ろっかくよしより)様、首尾よく討たれたようで何よりです」

「なんとかのう。しかし、島津の者は聞きしに勝る」


 声を掛けてきた由布惟信へ返答しつつ、義頼はつい先ほどまでお互いが干戈を交えていた戦場を見やった。

 何せこの場にいた六角家の者も、精鋭である。しかしその精鋭たちが、少なくない被害を被っている。正直にいえば、兵数差からいってここまで被害が出るとは想定していなかった。ここから立て直しを考えると、いささか頭が痛い。しかし主要な者たちは、怪我人しか出ていないことが不幸中の幸いであった。


「それはそれとして、左衛門督殿。紀伊守(羽柴秀吉)様や、大友宗麟様には報告為されますか」

「いや、周防守(鍋島清虎)殿。報告は明日にしよう。宴に水を差すというのも何ですし、それに襲撃がこれで終わるとも限りますまい」

「ふむ……分かりました。ですが今宵は、このまま警戒をするべきかと存ずる」

「ええ。某も賛成です」


 この後、義頼率いる六角勢と戸次道雪率いる戸次勢、それから鍋島直茂率いる鍋島勢の警戒は続いた。やがて追加の襲撃もなく無事に朝を迎えると、漸く警戒を緩めていた。すると彼らは、それぞれの旗下の兵に交代で休息を取るように通達する。それから三名は、それぞれ注進へ赴いた。義頼と戸次道雪と鍋島直茂の三人揃っての訪問ということもあったからか、羽柴秀吉と大友宗麟と竜造寺隆信も揃っている。そんな彼らを前に、義頼は持ち込んだ首桶を彼らの目の前に置いた。

 いきなり現れた首桶を見て、一同は目を丸くする。そんな彼らに声を掛けず、義頼は首桶より首を一つ取り出させる。その首は島津義弘であり、そのことに大友家や竜造寺の関係者、即ち九州国人らは驚きを隠せなかった。


『こ、これは……』

「島津兵庫頭義弘殿の首となる、存分に改めて貰いたい」


 この場にいる大友家の将や竜造寺家の将が矯めつ眇めつ確認するが、誰が見ても島津義弘の首と判断する。だが、昨日終わった戦では、島津義弘の首はなかった筈である。しかし現実として、眼の前に存在する以上は認めざるを得なかった。

 その一方で事前に警告を受けた羽柴秀吉や大友宗麟などからすれば、島津義弘の首がある理由など想像できてしまう。彼らもここで、漸く事態を飲み込んだのであった。


「……そうか。左衛門督殿が懸念された通りであったのだな」

「紀伊守殿。とても残念ですが、その通りです」

「そうですか。しかし、間もなく殿(織田信忠おだのぶただ)が到着なされる。それまでは、警戒を続けたいと考えるが……日向(明智光秀あけちみつひで)殿はいかがかな?」

「いや。拙者に異論はない。して、左衛門督殿は?」

「無論、某にも異論はございませんぞ」

「では、決まりだな」


 こうして織田勢の対応が決まった頃、大友家と竜造寺家でも対応が決まる。もっとも大友家と竜造寺家の出した対応は、織田家の出した対応と齟齬が生じる程には乖離していない。竜造寺家は兎も角、島津家に恨みがある大友家が織田家の出した対応と乖離しなかったのは、漸く勝ちを収めたことで一息入れられる状態になれたからであった。

 それでなくても、つい最近まで島津家に押されていた大友家である。これから軍勢の立て直しを行うことを鑑みれば、少しでも時間が欲しい。そこで彼らは、程なく到着する筈の織田信忠の来訪を利用したかたちである。何はともあれ、意見の一致を見た彼らは、栂牟礼城に退却した島津勢を警戒しつつ織田信忠の到着を待ったのであった。

 因みにこの戦は、島津義弘の奇襲も含め【丹生島城下の戦い】と呼ばれるようになる。しかし、のちに丹生島城が臼杵城と名を変えたことから【臼杵城下の戦い】とも呼ばれるようになるのであった。


六角勢対島津勢となります。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして ぜんぜん知らない名前がでまくってますけど、どうやって知ったのでしょうか? 義弘が死んだってことは、忠恒が生まれてこない 豊久が島津の跡継ぎになるんですかね?
[気になる点] 一か所だけ「兵庫守」になってるところがあります [一言] ここで義弘の退場は島津の判断に大きく影響しますね。 信忠到着後に最低限の領地や家名を残す形で降伏を認めるのか一部直臣として多く…
[良い点] 琉球に行きそうな名前ですよね 王族に源氏の血引いてる説には鎮西八郎がさらっと入ってるんですよねww
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