第二百五十四話~竜造寺の従属と肥前平定~
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第二百五十四話~竜造寺の従属と肥前平定~
筑紫家の居城である勝尾城へ戻っていた筑紫広門であったが、彼は戦々恐々としていた。そもそも東の外れとはいえ肥前国に居城を持つ筑紫氏が兵を筑前国まで押し出すことができた背景には、竜造寺家の存在がある。竜造寺隆信とは口約束であったが、それでも両家の間でお互いの領内へ侵攻しないという約定があったのだ。
しかしてその約定も、竜造寺信周率いる竜造寺家の軍勢が織田家の軍勢に協力していることでご破算となっている。いや、ご破算になったと考える方が無難である。それはつまり、竜造寺家の力を当てにはできないということでもあり、事実上、筑紫家単独で事態の打開を図るしかなかった。
そんな筑紫家へ、高橋鎮種からの書状が届く。そこに書かれている内容は、降伏勧告であった。降伏の条件も書状には記されており、それは下蒲池家と西牟田家に出したものとほぼ同じである。その書状が届けられたあと、筑紫広門はすぐ軍議へ諮っていた。
当然ながら、話し合いは紛糾する。降伏論を唱える者もいれば、徹底抗戦を声高に主張する者もいる。結局、結論が出ないままにむなしく過ぎていった。
その間、羽柴秀吉は義頼や明智光秀を勝尾城周辺の出城へ派遣して、これらを落とさせている。彼らは期限までに全ての出城を落としきると、勝尾城近辺にまで戻ってきていた。
因みに、城を落とされた筑紫家の者たちだが、彼らの一部が降伏するなり逐電するなりしている。しかし、大体が勝尾城へと逃げ込んでいる。そんな負け戦を経験した者たちの存在も、話し合いが纏まらなかった一因であった。
だが、そのような事情など織田勢からすれば関係はない。羽柴秀吉は、期限までに回答がなかったので勝尾城へと進軍する。こうなれば、降伏も何もあったものではない。迎え撃たねば、蹂躙されてしまうのだ。
「こうなれば致し方なし。打って出るぞ」
『おうっ!』
筑紫広門以下、筑紫家の家臣は一縷の望みを掛けてほぼ全軍で打って出た。しかし彼らには、大砲の洗礼を浴びせ掛けられることになる。口径は太宰府においてある大砲に比べれば小さいとはいえ大砲は大砲であり、彼らに損傷を強いるには十分であった。
筑紫勢は砲弾を放たれるときに生じる轟音により混乱をきたし、その直後には砲弾が降ってくる。その状況で、整然とした動きをするなど余程練度があるか砲撃に慣れている軍勢でもない限りは無理である。ゆえに混乱はあっという間に伝播し、浮足立ってしまった。
こうなってしまえば、まともな行動など望める筈もない。慌てて立て直そうと試みてはいたが、このような隙を逃してくれるほど織田勢も甘くはない。先鋒を纏める高橋鎮種の命により、織田家の軍勢に組み込まれた九州の国人たちが攻勢を駆けていく。混乱した味方と敵勢という、ある意味で二つの敵に挟まれた筑紫広門ら混戦に巻き込まれてしまった。
しかも兵の数では、織田勢の方が圧倒的に多い。筑紫家の将兵は、碌な対応をできないまま飲み込まれてしまった。そんな中、必死に生き延びようと逃げる筑紫家の兵を、同じ九州の国人たちが容赦なく切り捨てていく。もはや前線は、織田勢に協力した九州国人による狩場と化してしまっていた。
その一方で羽柴秀吉はというと、織田勢の本隊を使って勝尾城へと攻め掛かっている。勿論、筑紫広門も最低限の兵を残してはいた。しかし、目の前で次々と味方が討たれていくありさまを見せられては、彼らから抵抗しようなどと気にはならない。それでも城の守りを任された弟の筑紫晴門が必死に鼓舞した。
このままでは全滅もあり得ると考えた、同じく城の守りを任されていた神辺宮内と金屋左衛門が筑紫晴門を捕らえてしまう。その上で軍使を派遣して、降伏する旨を伝えていた。これにより筑紫家は降伏し、大友家に反旗を翻した北九州の国人は全て鎮定されたのであった。
なお、前線にて混戦に巻き込まれた筑紫家の将はその混戦のさなかに誰とも分からない者たちによって討たれている。筑紫広門の嫡子で叔父となる筑紫晴門と同名となる筑紫春門と、彼の弟となる筑紫茂成もやはり死亡してしまっていた。
但し、筑紫広門はその限りではない。高橋鎮種家臣、荻尾治種によって打ち取られていた。これにより、筑紫家の嫡流は途絶えることとなる。だが不幸中の幸いといえるのかは分からないが、筑紫広門には娘が数名健在である。その為、女系とはいえ血筋そのものは永らえることになった。
兵数差もあるので当然といえば当然といえる勝利を収めた織田勢を中核とした軍勢が、勝尾城へと入る。そこで軍勢を休ませた翌日、旧筑紫家の領地についての管理を検討しはじめた。とはいうものの、現状では高橋鎮種に委ねる外はない。それについては、高橋鎮種も考慮していたことであるので、問題なく彼へ委ねられたのであった。
これで北九州において大友家に反旗を翻した国人らの鎮定は終わりを迎えたといえる。しかし、それで終わりとはならないのが頭の痛いところでもあった。織田家からすれば、もう一人扱いを明確にしておかねばならない者がいる。その者とは、竜造寺隆信に他ならなかった。
何せ彼は証拠こそ残していないが、この北九州にて起きた一連の混乱に乗じて策謀を巡らした疑いがある。しかしながら、ようとして証拠が見つからない。これでは、彼を追い詰めるには心許なかった。
そこで義頼や羽柴秀吉や明智光秀は、書状などの物品による証拠ではなく人による証拠を集めることにする。それは、まだ織田勢が筑後国内で戦を行っていた頃まで遡ることになる。彼らは一応証拠を集めるようにしつつ、その裏である者たちと密かに接触を行っていた。
その者たちとは、竜造寺家の忍びである。幾ら証拠を残さないように心掛けていたとはいえ、相手と連絡を付けた以上は絶対に人が介在している。そしてその介在させる存在として、状況的に適任なのは忍びとなる。つまり義頼たちは証拠ではなく証人を味方に引き込むことで、竜造寺家を押さえようとしたのだ。
この際、義頼が行っていた忍びに対する待遇が功を奏することになる。なお、この忍びに対する待遇の改善は義頼だけが行っていた訳ではない。しかし当初は、織田家中では義頼ぐらいしか行っていなかった。
だが、時が経つにつれて徐々に織田家中内へ浸透したのである。確かに、全ての織田家家臣が行った訳ではない。だが、義頼の挙げた功績に忍びの存在が大きく関わっていることを知ると義頼に近しい者たちにもその動きが伝播したのだ。
そして、この場にいる羽柴秀吉や明智光秀も、義頼から影響を受けた者である。だが、それであったとしても義頼の扱いは頭一つ抜けていた。その待遇の良さ、これが竜造寺家に仕えていた忍びの琴線に触れたのである。何せ竜造寺家でも忍びの扱いは、他家と大して変わらぬものでしかなかったからだ。
それより何より、六角家や羽柴家や明智家と繋がるということは、そのまま彼らが仕える織田家に繋がることであった。例え繋がりを持てなかったとしても彼の家の重臣ならば、竜造寺家より大きい。特に義頼は、三ヵ国の国主を務めている。下手な大名など、比べ物にならないぐらい力を持っているのだ。そのような者たちからの接触に応えないなど、まず有り得ない。彼らは竜造寺家を見限り、織田家についたのである。これにより証人を確保したことで、竜造寺隆信の策略が次々と露呈してしまう。その策略等は報告書に纏められ、義頼や羽柴秀吉や明智光秀ら織田家の重臣には伝えられていた。
この報告書が提出されたのは、勝尾城での戦に勝ちを収めてすぐのことである。義頼たちはその報告書に目を通し、竜造寺隆信の行った謀略の把握に努めていた。おおよそ把握すると、彼らは織田の将や大友家家臣にも情報を齎す。特に高橋鎮種以下大友家の将は、怒りを隠そうとしていなかった。
そこで義頼たちは、竜造寺隆信を呼び出すことにする。彼らが手始めに行ったのは、竜造寺隆信の呼び出しではなく筑前国で活動している織田家の分遣隊と行動を共にしている竜造寺信周が率いている竜造寺勢に対するものであった。
若し、竜造寺隆信への対応が漏れてしまうと竜造寺家を含めて何をしでかすか分からない。若しかしたら、折角落ち着いた筑前国で再び騒乱を起こしかねないのだ。そのような事態とならない為にも、手を打っておく必要がある。とはいうものの、まだ確定した話という訳でもない。そこで、なんらかの行動を起こされてもいいようにと密かに命を出したという訳であった。
その命とは、義頼や羽柴秀吉や明智光秀からの指示があり次第、即座に竜造寺信周らの捕縛と竜造寺勢の鎮圧である。命を受けた毛利輝元や長曾我部元親は驚きを表したが、命と共に届けられた書状に記されていた内容を考えればそれもやむなしと思わざるを得ない。ゆえに彼らは、宗像氏貞をも巻き込み、万が一の事態となっても抑え込めるようにと手を打ったのである。その辺りは、小早川隆景や滝本寺非有などが上手く行った結果であった。
勝尾城にて分遣隊からの知らせを受けた義頼らは、これで竜造寺隆信を呼び出せるとした。しかし正にその時、何とその竜造寺隆信から知らせが舞い込んだのである。その書状には、戦勝の挨拶に赴きたいというものであった。
これから呼び出そうと考えていた竜造寺隆信からの書状であり、しかも義頼たちは独自の調査で彼の行った謀略についても把握している。それただけに、義頼たちはよくも顔をだせたものだとある意味で感心してしまった。
だが、これは義頼たちの感覚でしかない。竜造寺隆信からすれば、証拠はないと確信しているのだ。勿論、彼も全く疑われていないなどとお気楽に構えている訳ではない。しかしながら、証拠がない以上はこちらを処罰することはできない筈であった。
いわば自身の策略に絶対的な自信を持っていたが為に、相手を見くびっていたのである。しかしそれは、早計であったといわざるを得なかった。とはいえそのようなことなど露ほどにも思っていない竜造寺隆信であり、彼は特に生き負うこともなく悠然と勝尾城に現れていた。
流石に勝尾城の近隣まで至ると、表面上は粛々とした態度を取る。その上で彼は軍使を派遣して、来訪の旨を伝えていたのだ。どのみち、義頼たちは前述した通り竜造寺隆信を呼び出すつもりであった。だが相手から来たのならば都合が良いとして、来訪を了承する旨を返答する。その連絡を受けて竜造寺隆信は、勝尾城へ入城した。
特に問題なく城に入った一行は、一室へ案内される。その途中で、彼らは大友家の者たちから敵意を持った視線を向けられることに首を傾げた。ただ、大友家と竜造寺家は何度か干戈を交えているので、敵意を持たれているのもその一環であろうとあまり深く考えなかった。
やがて部屋へと案内された竜造寺隆信の一行のうちで、供廻り者たちはそこで控えることになる。そして竜造寺隆信は一人、義頼たちと面会する。案内に従い面会する為の部屋に到着した竜造寺隆信であったが、そこで思わず立ち止まってしまう。その理由は、二つあった。
一つは、部屋に多数の者がいたからである。面子は織田家の軍勢の大将を務める羽柴秀吉を筆頭に、義頼や明智光秀という軍勢の副将を勤めている者。さらには、長岡藤孝など主要な織田家臣も揃っていたからだ。それだけでも驚きだが、他にも高橋鎮種を筆頭に問註所統景など、大友家側の人間も揃っている。それは、中々に豪勢な顔ぶれであった。
もう一つは、この場に歓迎されていない雰囲気があったからである。何せ大友家家臣からは睨まれているし、織田家の将からも歓迎するような雰囲気はないのだ。流石に上座に座る三人からは感じないが、総じて疎まれていると感じられた。
しかしながら、その理由が分からない。大友家であれば、先に述べたように今まで幾度となく刃を交えているので分からなくもない。それに引き換え、ほぼ初対面といっていい織田家の将からも不穏に思われるなど全く意味が分からなかった。
だが、考えたとて分かるとも思えない。竜造寺隆信は気持ちを切り替え、その場に腰を降ろす。それから彼は、上座にいる羽柴秀吉へ戦勝祝いを口上する。その上で、織田家に対して従属する旨を伝えてきた。
「……竜造寺家は織田家に従属すると、そう申されるのか」
「はっ、紀伊守(羽柴秀吉)殿。もはや時勢は我が家にあらず。そう考え、織田家に従う決断を致しました」
「それは真に殊勝な考えである。殊勝な考えであるのだが、山城守(竜造寺隆信)殿。その前に、明確にさせておくことがある」
「明確に、ですか?」
「うむ」
羽柴秀吉が頷いた瞬間、周りにいた部屋の外に控えていた者たちが動く。彼らによって、竜造寺隆信は抵抗の暇すらなく捕縛されてしまった。当然のように抗議したが、受け入れられることはない。そればかりか、彼の目の前で次々と大友家が【高城の戦い】で負けた前後から行った策略が暴露されてしまったのである。しかも、それだけではない。下蒲池氏や西牟田氏など、竜造寺家を頼って落ちてきた者たちの存在も明るみされてしまったのだ。
近隣で頼れる存在がもはや竜造寺家ぐらいしかないこともあり、下蒲池家や西牟田家の者の一部は遠い島津家ではなく近くの竜造寺家を頼ったのである。竜造寺隆信も彼らを密かに受け入れていたのだが、その行為もまた暴露されたという訳であった。
あまりにも正確に暴露されてしまった為に、彼は不覚にも驚き狼狽えてしまう。その態度は、義頼たちに数々の策略が事実であると認識させるには十分であった。ゆえに彼らは、即座に手を打つ。それは、筑前国で分遣隊に行わせていた竜造寺家の軍勢を抑える為の命であった。
なお、これは事前に符丁を決めており、竜造寺側にそれとはわからないようにしている。その符丁を受けて、鵜飼孫六が即座に勝尾城から出立していた。
一方で竜造寺隆信であるが、まさか自身が実行した策の全てを暴露されるなど夢にも思わなかったので思わず焦りを覚え狼狽えてしまっていた訳だが、証拠がないことは一番理解している。だからこそ彼は、何とかいいくるめこの場を切り抜けるつもりであった。
無論、代償は必要だろう。当初予定していた、肥前国の安堵や、従属した褒美として与えられるかもしれないと考えていた筑後国は諦めるしかない。それでも肥前国の半国ぐらいは得られる道はまだ残っている。その為にも、何としてもこの場を切り抜ける必要があったのだ。
「紀伊守様、日向様、左衛門督様! お言葉ですが、我が身には与り知らぬことにございます」
「つまり、その方は嘘であるとそう申すのだな」
「いえ。そうは申しません。これは、そう。有馬や松浦の策謀にございましょう」
「ほう? 確か、そなたの敵であったな」
「はっ。恐らくは、彼らの策謀です。あ奴らは恥知らずにも、紀伊守様らを策に嵌め、織田家の軍勢と我が竜造寺とを相争わせようとしたのです!!」
咄嗟に考えたとはいえ、いいできだと竜造寺隆信はそう考えていた。確かに、その可能性はないとはいわない。ましてや有馬や松浦は追い詰められているので、なりふり構わずにというのもあり得る事態であった。
しかし義頼たちとて、無能という訳ではない。それでなくても織田勢は、九州の地の利という意味ではおくれを取るのだ。であればこそ、現地について調べない訳がない。それゆえに、彼がいっていることが言い逃れでしかないことが分かる。とてもではないが、有馬家と松浦家にその様な余裕がないからであった。
「……とぼけるのもいい加減にするがいい」
「とぼけるも……なに……も……」
あまりにも冷たい視線とそれ以上ともいえる寒気を感じ、竜造寺隆信は思わずそちらを向いてしまう。するとそこには、冷たい視線を向けつつ冷然といっていい雰囲気を醸し出す義頼がいた。そんな彼からの視線をまともに受けた為か、竜造寺隆信は気圧されて言葉を失ってしまう。そればかりか、背筋に寒いものが駆け抜けていった。
つい先程までとはあまりにも違う雰囲気を纏う義頼に、肥前の熊とまで称された竜造寺隆信が完全に気圧されている。しかもその影響は、彼だけに留まらない。この場に同席している、織田家の家臣や大友家の家臣にも及んでいたのだ。
流石に、羽柴秀吉と明智光秀はその限りではない。他にも長岡藤孝や佐々成政など歴戦の将といえるような者も同様である。それでも彼らへ影響が及んでいる辺り、凄まじいといえた。
さて義頼であるが、自身が齎した事態に気付いていないのかそれとも全く無視しているのか、言葉を続けていた。
「織田とて、肥前について調べてはある。これ以上、たわけたことをのたまうのであるならば、我らが肥前を統一しても構わぬ」
「……なっ! そ、それは……」
義頼の言葉に、気圧されていた竜造寺隆信も思わず反応してしまった。何せ肥前国の統一は、竜造寺家のひいては彼の悲願である。それを他家に、しかも九州の者でもない織田家の者にされるなど許諾できるものではない。おかげで気圧された状態より抜け出せた訳だが、義頼が向けている冷たい視線も冷然な雰囲気も変わる訳でもなかった。
「今ここで選ぶがいい、竜造寺隆信。家を滅ぼすか、それとも残すかをな」
義頼が竜造寺隆信へ最終判断ともいえる言葉で迫る傍らでは、羽柴秀吉や明智光秀も睨みつけていた。それでなくとも、義頼に気圧されていた竜造寺隆信である。その上、織田家を代表するといっても申し分のない将である羽柴秀吉と明智光秀からの圧力を受けたのだ。また、それだけではなく先に上げた一部の将からも睨みつけられている。これはある意味で織田家の武力を背景とした最後通告であり、さしもの竜造寺隆信も膝を屈するよりほかはなかった。
その後、羽柴秀吉から竜造寺家へ、織田家に対する従属条件が提示される。果たしてその条件であるが、それは竜造寺隆信の隠居である。しかもその後、彼自身が織田家の人質となるとされていた。
竜造寺家には、嫡子となる竜造寺鎮賢が既に元服を迎えており、後継者に困ることはない。また、家臣も鍋島直茂を(なべしまなおしげ)を筆頭に粒が揃っており、家の維持程度であれば何ら問題とはならなかった。
それでも、当主が変われば大なり小なり混乱が生じてしまう。そこで、九州における騒乱が終結するまでは当主の地位は竜造寺隆信が務めることとされていた。
こうして織田家は竜造寺家をも傘下に収めた訳だが、それだけに肥前国の争乱は終わらせておく必要がある。ましてやこのあと、大友家と合流し島津勢との戦が控えていることを考えれば、なおさら後方は安定させておかねばならない。そこで義頼らは、竜造寺家の支援を行うことにした。
だが、軍勢に協力したりする訳ではない。織田勢が行ったのは、竜造寺家の軍勢と共に、日野江城を攻めている鍋島直茂の後方へ陣を張っただけであった。だが、この影響はすさまじい。それでなくても居城へ追い詰められている有馬晴信や、彼と共に抵抗している松浦鎮信にとって、敵方の援軍など悪夢でしかない。しかもその援軍の旗印は、織田家の将で固められているのだ。
「……これでは、勝負にもならぬ。ここらが引き時、そうではないか修理大夫(有馬晴信)殿」
「悔しいが、致し方ない」
ここに有馬晴信と松浦鎮信が降伏し、肥前国の統一が果たされた。
あとは筑前国の分遣隊と合流して大友家の救援に向かうだけであるのだが、【高城の戦い】において大友家の大敗という事態に発生した混乱に乗じて北九州で暗躍した竜造寺隆信をこのまま肥前国に残すという選択もやはり避けるべきである。彼を下手に後方へ置いておくと、どのような動きをするか予測がしにくいのだ。
そこで義頼や羽柴秀吉や明智光秀は話し合い、今は筑前国にいる竜造寺信周の軍勢の大将を竜造寺隆信に変えることにした。どのみち、このあとには筑前国の分遣隊と合流するので、問題とはならなかった。
なお竜造寺家をふくむ肥前国の監視だが、筑紫家の時と同様に高橋鎮種へ一任したのであった。
肥前国における戦も、漸く終了しました。
ご一読いただき、ありがとうございました。




