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第二百五十二話~筑後国快進撃~

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書店アプリ『まいどく』において、配信もされております。


第二百五十二話~筑後国快進撃~



 国境を越えた軍勢が駐屯したのは、下高橋城であった。そもそも高橋氏は、筑後国の国人である。しかし高橋鑑種たかはしあきたねが戦にて大功をたてたことで、大友家から筑前国に領地を賜り、それに伴って高橋家は本拠地を下高橋城から宝満山城へ移している。その後、岩屋城を築城して最終的にはそこを本拠地としたのである。同時に彼は、筑前国における守護代となったとされていた。

 因みに前述した高橋鑑種の謀反だが、これは筑前国に領地を賜った後に起きた話である。

 話を戻して下高橋城だが、高橋氏が本拠地を移したあともやはり高橋家の城として機能していたのである。現時点における高橋氏の勢力圏は筑前国内が大半だったが、この下高橋城の存在が多少なりとも高橋家の力を筑後国内へ残していた。だが、その下高橋城も原田家による岩屋城への侵攻と筑紫氏による秋月家との共闘によって、高橋家の勢力に居続いつづけるのが難しくなった。実質、岩屋城より援軍をだせる状況になかった為、下高橋城の城代は降伏せざるを得なかったのである。しかしその原田家が敗北し、そして筑紫氏もまた居城へ戻ったことで下高橋城は空き城となったのであった。


「ふむ。思ったほどの損傷はない。これならば、問題なかろう」


 元は自身の勢力下にあった城ということもあり、高橋鎮種たかはししげたね自らが様子を見る為に先駆けて下高橋城へ入っている。そして一通り検分をした結果、城としてはほぼ問題ない状態にあることが判明する。ただ、これを喜んでいいのか、それとも嘆けばいいのか高橋鎮種は悩んでいた。

 何ゆえに悩んだのかというと、正に城の現状にあった。下高橋城がすぐに使える状態である、これは喜ばしいといっていいかもしれない。しかし裏返せば、それは殆ど抵抗しなかったということなのだ。事情は把握しているが、それでも下高橋城は元々は高橋氏の本拠地である。しかも、今となっては筑後国内における高橋家の橋頭保ともいえる城であっただけにその思いはなおさらであった。

 とはいえ、悩んでいても仕方がない。これは良いことであると半ば強引に割り切ると、高橋鎮種は軍勢に戻り報告をした。その後、織田家の軍勢は彼に先導されて下高橋城に入っている。すると大将となる羽柴秀吉はしばひでよしは、ひとまずこの城を筑後国鎮定における本陣とする。そして義頼と明智光秀あけちみつひでの両名はというと、筑後国内の鎮定に向かったのであった。

 なおこの下高橋城のある御原郡には他に三原氏という有力国人もいるが、この三原氏はほぼ高橋家家臣といっていい存在である。その為か三原氏は、一族郎党を率いて下高橋城へ現れていたのだ。そして改めて大友家、引いては高橋家に対して反旗を翻すなどあり得ないと誓っている。これにより、御原郡は事実上鎮圧されたのだった。

 その一方で筑後国南部も、鎮定に向けて大きく前進している。これは上蒲池氏と黒木氏と五条氏が大友氏側に残り、そのまま織田勢に協力する旨を表明したことが大きい。またこれにより、黒木氏と同様に竜造寺家から少なからず圧力を受けていた筑後十五城の一家となる河崎氏が味方したことも地域の鎮定に向けて助長していたのだった。



 義頼と明智光秀に率いられた軍勢が下高橋城を出陣して向かったのは、東である。そこでは、星野家と問註所家の間で争いが起きていたのだ。星野家当主である星野鎮胤ほしのしげたねは、【高城の戦い】によって筑後国内において大友家の力が激減するとすかさず兵を集めたのである。同時に彼は秋月家とも繋がりを持つと、同じ筑後国人である問註所家を攻めたてている。この戦自体は既に前述しているが、実はその戦がまだ続いていたのだ。

 なお、この戦とは別に筑後国内で戦が起きている。こちらは国人同士の争いなどではなく、いわば内訌であった。筑後国内には高良大社という由緒ある神社が存在しており、その高良大社の座主を丹波良寛たんばりょうかんが務めていた。しかしこのことを篠原城主でもある弟の丹波麟圭たんばりんけいは不服に感じており、その為か彼らは仲が悪く幾度となく小競り合いを起こしていたのだ。

 そのような中、大友家が【高城の戦い】で大敗し、その隙を突くように竜造寺家が軍勢を筑後国へと進撃させると、丹波麟圭は蒲池氏の本家となる下蒲池氏や西牟田氏と共に竜造寺家へ鞍替えして、事実上の傘下となったのである。その後、丹波麟圭は、竜造寺家を後ろ盾として本格的に兄へ兵を繰り出したのだ。しかし丹波良寛も、ただ黙っていた訳ではない。彼も兵を集められるだけ集めると、高良山城へ籠城したのだ。

 話を戻して義頼と明智光秀だが、この内訌にはまだ関わらないつもりである。その為、内訌を起こしている丹波氏の情報収集を主眼とするに留めていた。こうして情報を集める間、先に問註家と星野家の戦を終わらせる予定であったのだ。

 義頼と明智光秀は、共同で忍びを丹波家へ派遣しつつ軍勢自体は星野氏の居城である鷹取城へと進撃する。しかしその途中で、軍勢は別れることとなった。しかし不思議なことに、義頼の軍勢には六角家の旗印である隅立て四つ目の他に明智家の旗印である水色桔梗の旗印が幾つもたなびいている。だがこれは、義頼と明智光秀の両者による合意の元であった。

 鷹取城を義頼の軍勢が攻めるのだが、当初はほぼ時を同じくして長岩城を攻めている星野家の軍勢にも攻勢を掛けるつもりであった。しかしここで問題となるのが、長岩城に籠る問註所統景もんちゅうじょむねかげの存在である。繋ぎが取れているならばそこまで問題とならないのだが、未だに連絡が取れていない。この状態では最悪、同士討ちとなりかねない。義頼と明智光秀からすれが、それだけは避けたかった。


「大丈夫です、お二方」

「主膳正(高橋鎮種)殿。いやに自信ありげだが、何が大丈夫なのか?」

「左衛門督(六角義頼ろっかくよしより)様、こちらをご覧あれ。さ、日向守(明智光秀)様も」


 そういいつつ高橋鎮種は、書状を広げる。何かと二人が見てみれば、それは問註所統景からの書状であった。何と高橋鎮種は、あらゆる手段を用いて繋ぎを取ったのである。その返書が、正に二人の目の前で広げられている書状であった。そして書状には、申し出を喜んで受けることと救援の要請が記されていたのである。こうなれば、同士討ちに関してはほぼ問題がなくなったといっていい。あとは、いかにして星野家の兵を破るかに問題は移っていた。

 そして義頼と明智光秀、それと高橋鎮種が話し合った結果、鷹取城攻めに義頼が赴く。しかしその軍勢には、明智家の旗印をも同時に掲げ、さも鷹取城攻めの軍勢の中に明智家の軍勢がいると敵へ判断させることとしたのだ。

 だが実態は、鷹取城攻めには参加せず、高橋鎮種より派遣された三原紹心みはらじょうしんと共にできるだけ目立たずに長岩城へ向かう。その後、鷹取城を義頼の軍勢が取り囲み、敢えて長岩城攻めを行っている星野鎮胤へ報告させるのだ。

 この情報を知れば、鷹取城へ戻るにせよそのまま長岩城を攻め続けるにせよ星野勢に動揺が広がる筈である。そこに、三原紹心を先鋒とした明智光秀の軍勢が躍り掛かるのだ。

 こうして方針が決まると、さっそく彼らは行動に移る。最初は、義頼の出番であった。高橋鎮種が先鋒を務める軍勢は、鷹取城へと進軍すると取り囲む。そして星野家の居城を任されている弟の星野鎮元ほしのしげもとは、彼我の兵力差から迷わず籠城を選択していた。

 彼は城の防御に任せ時を稼ぎ、兄が帰ってくるまで耐えるつもりだったのである。しかし、ここにきて兵力差がまともに表れてしまい、劣勢となってしまう。さらにこの戦は、新たに開発された砲のお披露目ともなっていた。

 鷹取城は峻険な山城であり、彼の城へ大砲を持ち込むのは難しい。そこで使用したのが、擲筒と命名された新式の砲であったのだ。何せこの擲筒、射程こそ短いが運搬は容易たやすいのである。ただ運ぶだけなら、人一人で可能なのだ。その軽量ゆえに、鷹取城のような急峻な山城を攻めるには都合が良かったのである。しかもある程度数を揃えれば、城門や城壁ですら打ち破れるという代物であった。

 そしていよいよ、新式の砲が実演される。敵兵からの反撃に耐えつつ近づくと、大手門に対して擲筒を放つ。すると砲弾は、大手門に着弾したのちに炎すらもまき散らした。そもそも、焙烙玉をより遠くへ飛ばすことを原点としている火器である。ゆえに放たれた砲弾にも、その性質は受け継がれていたのだ。

 またこの戦では、嘗て備前国で義頼の軍勢が宇喜多家の兵と干戈を交えていた頃、毛利家からの物資を遮断する為に不正規戦を仕掛けた忍び衆が使用していた矢に火薬を詰めた竹筒を装填して放つ火矢をも使用している。従来の火矢とは違う為、別に炎矢えんしと名付けられていたこの火矢をも使って城攻めを仕掛けたのだ。

 砲撃と火炎という二つの損傷を同時に食らった形となる大手門は、長く持たせることはできず焼け落ちてしまう。この予想よりも早く大手門が打ち破られたことが事実上の止めとなり、鷹取城兵の士気は下がっていく。すると、そこに間髪入れず、高橋鎮種が兵を率いて乱入したのだ。

 これではもう、どうしようもない。劣勢を実感した城兵は、次々と降伏なり逃げるなりし始めたのである。あっという間に味方が減った星野鎮元は、ここにはいない兄への詫びを漏らしつつ切腹して果てる。それから間もなく、鷹取城は義頼の手に落ちたのであった。

 この鷹取城攻めの知らせだが、予定通り星野鎮胤の元へと届いている。急使により居城を攻められていると知った彼は、暫く考えたのちに撤退を判断した。問註所統景の籠る長岩城を落とせないのは癪だが、戦にこだわり本拠地を失う訳にはいかないからである。そう考えての撤退であったが、それも敵の手のうちだということに気付けていなかったのも仕方がなかった。

 鷹取城へと急がせていた星野勢へ、明智光秀の軍勢が奇襲を掛ける。急ぐあまり、いささか探索を疎かにしてしまったことが仇となった形であった。

 まず三原紹心率いる先鋒が一撃を加え、敵を狼狽させる。そうして生まれた敵勢の綻びへ、明智光秀が決定打を与えたのだ。このことは、星野鎮胤にさらなる驚きを与える。急使による報告では、明智家の軍勢も鷹取城攻めに参加していた筈だからである。だが、現実にはこうして攻められている。大将たる星野鎮胤の驚きと狼狽は、旗下の軍勢に不安を与えてしまった。

 それでなくても明智勢の攻勢により、完全に星野勢は分断されてしまっている。ゆえに動揺や不安がより大きくはなっても、小さくなることはない。そんな星野勢に対し、再び三原紹心が攻勢を仕掛けた。しかも狙ったのは、大将となる星野鎮胤がいると思われる辺りである。これで組織だった動きなどできなくなり、あとは混乱のうちにただ討取られていくだけであった。

 勿論、彼らも抵抗していない訳ではない。しかし、兵数は明智勢の方が圧倒的に多い。たとえ一度は敵を退けられたとしても、次の攻撃には耐えられる訳がない。こうした中、星野鎮胤も必死に立ち回っていたのだが、やがて混乱の戦場の露と消えてしまう。彼は、三原紹心旗下の者によって討たれてしまっていた。


「して紹心殿。この首、相違ないか?」

「はい、日向様。中務大輔(星野鎮胤)の首にございます」


 しかし九州出身でも筑後国出身でもない明智光秀に、星野鎮胤の顔など分かる筈もない。そこで彼は、長岩城主の問註所統景にも確認することにした。どの道、このあとは長岩城へ向かうのである。そこで確認すればいい、そう考えたのだ。やがて長岩城にて迎えられると、明智光秀は問註所統景へ首を確認させる。その返答は、相違ないというものであった。

 首尾よく星野鎮胤を討ち目的を達した明智光秀は、問註所統景を軍勢に加えると鷹取城へ取って返す。やがて明智勢が到着した頃、丹波氏に関する報告もまた鷹取城へ届いていた。

 ちょうどいいとして義頼は、明智光秀と高橋鎮種を交えて報告を見ようと彼らを呼び出している。すると明智光秀は、一人の男を伴っていた。申すまでもなくその男は、長岩城主となる問註所統景であった。

 まず明智光秀は、義頼へ彼の紹介をする。そのあとで、彼らは届いた報告を見た。当初の予定よりも一人多くなった訳だが、問註所統景もまた筑後の有力国人でもある。丹波氏の抱える事情を聞くに当たり、邪魔になるということはなかった。

 さて、報告の中身だが、丹波氏の争いは正しく内訌に他ならない。ものすごく簡略して説明すれば、この内訌は高良大社の座主を巡る争いであった。しかしそこに竜造寺氏が関わっていることが、いささか問題を面倒にしていた。


「主膳正殿に刑部大輔(問註所統景)殿。大友家家臣となる貴公らに尋ねる、丹波麟圭の……あー、彼だけではないようだが、兎に角彼らの鞍替えだが許容されるのか?」

「いえ。許されません。少なくとも、大友家は許していません」

「しかり」


 高橋鎮種に続き、問註所統景も義頼からの問い掛けには否定の言葉を返す。もっとも、仕えていた家が力を落とすと国人が離反して近隣の力ある家に仕えるようになるという構図は珍しくもなかった。それに、六角家でもあったことである。【観音寺騒動】直後や、義頼が家臣の暴走から不本意ながらも織田信長おだのぶながと対立して敗れたあとなどが正しくそれに当たった。


「では、降伏を促すか?」

「……いえ、甘い対応はあざけりを生みかねません」

「拙者も、主膳正殿に同意致します」

「そうか。しからば日向殿、貴殿もよろしいか」

「うむ」


 明智光秀と高橋鎮種、問註所統景も同意したことで丹波氏の内訌に介入することが決まる。同時に、事実上大友家から竜造寺家に鞍替えした下蒲池氏と西牟田氏、そして兄の丹波良寛と対立している丹波麟圭の討伐も決定した。

 それから数日後、鷹取城を出陣した軍勢は、発心城へと押し寄せた。この城は、今は亡き原田隆種はらだたかたねの次男となる草野鎮永が養子縁組した草野氏の本家筋に当たる筑後草野氏の居城である。しかしてこの家も、やはり大友家より離反した家であったのだ。

 現当主となる草野家清くさのいえきよは、秋月家と同調すると前述した下蒲池氏や西牟田氏と同様に竜造寺家に付いたのである。その後、丹波麟圭と共に高良山城へ兵を繰り出していたのだが、星野氏が織田家の軍勢により滅ぼされると、慌てて居城へ戻ったのであった。

 発心城へ戻った草野家清は、急いで兵を調えつつも使者を送る。何とか高橋鎮種や問註所統景に取り成しをとの願いからであったが、送った使者はすげなく追い返されてしまう。手酷く追い返されて戻ってきた使者の様子に、草野家清も覚悟を決めざるを得なかった。だが、ここで家を絶やすのも忍びない。そこで二人の息子は、城より落ち延びさせることにした。


「よいか。わしが城より逆落としに打って出る。その隙に、落ちよ」

「しかし、父上!」

「永広。そなたは草野の嫡子、あとは頼んだぞ」


 そういい残すと、草野家清は発心城より打って出る。もちろん勝てるなど、露ほども思っていない。時が稼げれば、それで十分なのだ。損害など全く考慮せず、ただひたすらに前へ前へと突き進んでいった。だが所詮は、寡兵に過ぎない。草野勢は前線も突破できず、高橋鎮種と問註所統景によって蹴散らされてしまった。それでも、僅かでも時は稼げたのも事実である。父親よりあとを託された草野永広くさのながひろは弟と共に発心城から落ち延びると、竜造寺家を頼り肥前国へと落ち延びたのであった。

 打って出たこともあり僅か一日で筑後草野家を討ち破った義頼らは、発心城の麓にある草野氏の館にて休養する。その間、高橋鎮種に使者を出させて座主を勤める丹波良寛へ援軍する旨を伝えておいた。使者から書状を受け取った丹波良寛は、喜びに打ち震える。数日持たせれば、勝つことができる上に長年の諍いに終止符を打てるからである。丹波良寛は己を奮い立たせると、より一層指揮に力を込めたのだった。

 発心城を落としてから二日ほど休養した義頼らは、高良山城近くまで進軍する。これには、丹波麟圭も流石に気付いた為に初めは迎え撃とうとする。しかし敵軍勢の数を知ると、大将も含めあっという間に士気が低下していく。丹波麟圭としてもかなり無理して兵を集めたのだが、その努力をあざ笑うかのような兵数であったからだ。

 あまりの兵力差に、呆気に取られた者もいたぐらいである。しかしそんなことは、義頼らには全く持って関係がない。義頼は自身の刀を引き抜くと、すぐに振り降ろして総攻撃を命じたのであった。


「掛かれー!」

『おおー!!』


 草野家清と干戈を交えた時と同じように、前線を任されている高橋鎮種と問註所統景旗下の兵が丹波麟圭の兵目掛けて突き進んでいく。この戦で義頼が命じたのは、単純な力押しである。彼我の兵力差がありすぎる為、策を用いる必要すらないからだ。勿論、戦場では何が起きるか分からないので、忍び衆による周囲の監視は怠らない。そのような状況下で行われた突撃に、不測の事態など起きる筈もなかった。

 先手を取られてしまったがゆえに、後手に回らざるを得なかった丹波麟圭の軍はあっという間に飲み込まれていく。義頼率いる兵も投入されており、もはや逃げることすらも叶わなかった。彼は高橋鎮種の家臣で弓の名手である世戸口十兵衛によって、討ち取られてしまう。総大将が討たれるというまさかの事態に軍勢は混乱し、そこに義頼の本隊の兵による蹂躙を受け、事実上瓦解したのであった。

 こうして敵兵を文字通り駆逐した義頼は、周囲へ兵を派遣する。討ち漏らしがないようにという、配慮からである。その後、義頼らは高良大社へと向かう。そこでは、丹波良寛が軍勢を迎えたのであった。


「主膳正殿、それと刑部大輔殿。ご助成、かたじけなく存じます」 

「座主殿もご無事で何より」

「しかり」


 出迎えた丹波良寛は、まず高橋鎮種と問註所統景へ救援の礼を述べる。その上で、二人へ義頼らの紹介を視線で求めた。その意を汲み、義頼と明智光秀を紹介する。高橋鎮種より紹介されるやいなや、丹波良寛は二人にも礼を述べていた。救援したことに対するのは無論だが、それ以上に彼らのお陰で助かったことが大きい。もし彼らの動きがなければ、そう遠くないうちに高良山城は落ちただろうと思われたからであった。しかも彼らのお陰で、弟に協力していた草野勢は兵を引き居城へと戻っていたし、その軍勢も、既に敗れていると聞いている。丹波良寛からすれば、織田家様さまといってもいいぐらいであった。

 ただ一つ残念があるとすれば、弟の丹波麟圭が討ち死にしてしまったことにある。兄弟で座主の座を争っていたとはいえ、できれば生き残っていて欲しかったのだ。しかし、この望みは贅沢であることも理解している。それゆえに丹波良寛は、弟の末路に対して何一つ口にすることはなかった。

 その後、高良大社に陣を張った義頼たちは、下高橋城にいる羽柴秀吉へ星野氏と丹波氏の戦が終了し鎮定に成功した旨を伝えるべく使者を派遣する。すると彼は下高橋城を出て、合流するべく高良大社へと向かった。やがて合流を果たすと、義頼らは丹波良寛を羽柴秀吉に紹介する。そこで丹波家は、筑後国鎮定の為に高橋鎮種と問註所統景のように行動を共にする旨を伝えたのであった。

 こうして順調に筑後国の鎮定を進めていた義頼らへ、さらに軍勢が加わる。それは、大友家から離反せず義頼らの軍勢についた黒木氏や五条氏らである。彼らが上蒲池家や河崎家を味方としたことは前述したが、さらに田尻氏と溝口氏と三池氏を味方へと引き入れていた。

 しかし、この三家だがそれぞれの家でいささか態度が違う。三池氏は、初めから大友家から離反していなかった。しかし、残りの田尻氏と溝口氏は三池氏と違い大友家から離反こそしていなかったが、さりとて旗幟きしを明確に表した訳でもなかったのである。いわば、中立の立場を取っていたのだ。

 しかし大友家より救援の要請を受けた織田家の軍勢が九州に上陸し、次々と反大友家の立場を取った国人らを攻め滅ぼしているという状況を把握した田尻氏と溝口氏は、従来通り大友家被官として上蒲池家や黒木氏や河崎氏に合流したのである。そしてほぼ同じ時期に、三池氏もまた合流を果たしていた。

 その後、彼らは、軍勢を調えると織田家の軍勢と合流するべく出陣する。しかし星野氏や丹波氏との戦が短時間で終了したのを知り、急遽高良山城へ進路を変更した。ここに漸く彼らも、織田家派遣軍に合流したという訳である。これで筑後国内に残る敵勢は、表向きは密かに竜造寺家へ鞍替えした蒲池氏の本家である下蒲池家と、彼の家に同調した西牟田氏だけであった。


筑後国鎮定に向けての戦です。

もっとも各個撃破状態ですので、結果は押して知るべしです。

連携って大事ですね。


ご一読いただき、ありがとうございます。


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