第二十二話~本圀寺の変~
三好家の反撃です。
第二十二話~本圀寺の変~
本多正信の家族を引き取った事で彼がなんの憂いも無く六角家へ仕える事が出来て程なくした頃、いよいよ年の瀬を迎えた。 そこで義頼は、年明けに行うつもりの新年を祝う宴の準備に入る。 だが去年までとは違い、六角家に大規模な宴席を開くだけの力はない。 そこで彼は、身内と直臣だけ行うつもりであった。
しかし、此処で義頼にとって嬉しい誤算が生じる。 実は年の瀬も押し迫った頃に、彼が事実上の総代として取り纏めていた湖南及び湖西の国人達。 更には、義頼に好意的であった元六角家臣などが物品や宴席で使用される様な食材を提供してくれたのだ。
「すまないな。 とても助かる」
義頼は感謝の念と共に嬉しさを表す小さな笑みを浮かべつつ、食材や物品等を持ち寄ってくれた馬淵建綱や山岡景隆。 他にも蒲生賢秀や鯰江貞景と言った者達に頭を下げる。 すると馬淵建綱は、ややおどけた様な表情を浮かべながら義頼に返答していた。
「何をおっしゃられますか、左衛門佐(六角義頼)様。 今までも、そして今もこれからも我らは貴方様の与力ですぞ」
『しかり、しかり』
馬淵建綱の言葉に、当たり前だと言う雰囲気を醸し出しながら山岡景隆や蒲生賢秀らが追随した。
そんな彼らの態度に、義頼は思わず涙腺が緩む。 すると彼は徐に立ち上がると、障子を開けて縁台に出ると空を見上げた。
零れ落ちそうになる涙を彼らに見せない為に。
「本当に、貴公らの行動に感謝するぞ」
若干、かすれた様な声であったが、それでも義頼は精一杯の感謝の念を言葉に込めて馬淵建綱達に伝える。 そんな弟の様子を、六角承禎は微笑みながら見詰めていた。
因みに彼ら近江国人が何故に義頼の与力なのかと言うと、織田信長の命による物である。 と言うのも彼は江南の代官に任じられており、事実上元六角家臣を取り纏めていたのだ。
しかし嘗ての様な力を持たない六角家では、兵力的にも実力的にもいささか心もとない。 そこで織田信長は、近江国人を義頼の与力としたのであった。
やがて年も明けた正月、義頼は観音寺城の麓の六角館で新年の祝いを行う。 義頼は、当初の予定を変更して大々的と言わないまでも中々豪華な新年の宴を開いている。 これは、物品や食材を提供してくれた馬淵建綱達のお陰である事は言うまでもなかった。
急遽彼らも招いた宴席で義頼は、せめてもの礼であるかの様に馬淵建綱達に手ずから酒を注いでいく。 義頼から酒を注がれた者達も、楽しげに酒を飲み干していった。
当然の様に返杯を受けるのだが、酒に異常なほど強い義頼はその全てを飲み干していく。 宴に参加した全ての近江国人や六角家元家臣、それから己の直臣達と酒を酌み交わしてから義頼は六角承禎達が居る場所へ腰を降ろしたのであった。
「ふう」
「ご苦労だったな、義頼」
「あ。 兄上、すみません」
傍らに座った義頼へ、労を労うかの様に声をかけつつ六角承禎が徳利を傾ける。 兄から手ずから注がれた酒を杯で受けると、義頼は一気に飲み干した。
すると六角承禎だけでなく、大原義定も苦笑を浮かべている。 宴席で相応に返杯を受けているにも拘らず、まだまだと言った感じの義頼に対するものであった。
幾ら義頼が酒に強い事を熟知していると言っても、やはり彼の酒に対する強さと言うか耐性は異常である。 家族であるから驚きこそ少ないが、それでもある意味呆れの様な態度であった。
「まだ、その様な飲み方が可能か。 相変わらずの強さよの義頼」
「そう言われましても、兄上。 これは、生来の物ですから」
「まぁ、そうだな。 幾ら飲んでも、酒に飲まれないのは悪い事ではないな。 ほら、義定からの酒も受けよ」
兄の六角承禎からそう言われた義頼は、言葉通り大原義定からの酒を受ける。 その酒を飲み干すと、義定に対して返杯した。 それから嬉しそうに笑いながら会話を始める弟と息子を見て、六角承禎もまた嬉しそうに杯を呷るのであった。
さてこの正月を祝う宴であるが、二日目にはお開きとなった。
これには理由があり、それは織田信長が観音寺城下の寺から出立する時まで時間が遡る。 数日程近江国に逗留していたのだが、何時までも近江国へ滞在と言う訳にもいかない。 本拠である岐阜へと戻り、やらねばならない事が幾らでもあるからだ。
程なくして近江国から出た織田信長だが、実は観音寺城から出立する際に義頼を呼び寄せている そこで織田信長は、京の様子に対して注意する様にと申し渡している。 始めは何の事だが理解出来なかったが、その直後に信長が「畿内の情勢を考えろ」と言った事で義頼もその意味を理解したのであった。
信長の真意が「京で何か起きた時には、すぐに行動出来る様にしておけ」というところにある事に。
とは言え流石に義頼も、正月から何か騒動が起きるとは思っていない。 しかし、織田信長直々の命である。 そこで彼は畿内へ重点的に甲賀衆を配置して情報収集に努めると同時に、一朝ことあらば直ぐにでも兵を動かせる様にとある程度の数も揃えて置いたのであった。
しかし彼らは、何時出陣するかも分からない者達でもあり、不平を覚える可能性が多分にある。 その為、義頼は別に宴席を設ける事と臨時の給金を褒美として与える事を約束したのであった。
だが幸いな事に、正月二日の間はそこまでして揃えた者達に出番はない。 その事を安堵して胸を撫で下ろしていた義頼であったが、それはいささか早計であった。
「吉棟! 三好が動いたとは……真か!!」
「御意」
新年が明けて三日目の明け方、義頼は甲賀衆筆頭を務める望月家の現当主である望月吉棟から畿内の情報を聞く。 それは正に、織田信長が危惧していた事に他ならない報告であった。
義頼が思わずと言った感じで言葉をこぼした様に、阿波国へ落ちていた三好家が渡海したのである。 三好家は旗下の水軍である淡路水軍を動かして阿波国を出ると、堺に程近い場所から畿内へ上陸したのだ。
彼らは迅速に兵を整えると、近在に有る家原城へと進撃する。 この城には少数の守備兵しかおらず、程なくして城は沈黙したのであった。
その様な畿内の情勢を聞いた義頼は、望月吉棟へ新たな命を出していた。 それは、江北の浅井長政と織田信長へ知らせると言った物である。 命を受けた望月吉棟は、即座に実行するべく義頼の前から消えていた。
さて望月吉棟から畿内の情勢を報告された義頼は、彼を岐阜に送り出しすと同時に用意していた兵を招集したのである。 兵については進藤賢盛に任せて、彼は軍議を開く。 その席で先ず冒頭、集った近江衆へ三好勢の動きを伝えた。 するとその途端に、部屋にどよめきが広がる。 義頼はそんな彼らのどよめきを切り裂く様に声をあえて張り上げ、織田信長と浅井長政へ既に報せた事を伝える。 すると程なくして、近江衆のどよめきも静まって行った。
「よし。 では、何か聞きたい事はあるか?」
しかし、近江衆から聞きたい事などは出なかった。
既に兵も用意されており、やる事も京へ向かい足利義昭の救援だと分かり切っている。 後は義頼の下知に従って、京へと向かい三好勢と一戦交えるだけなのだ。
「良い面構えだ。 これならば、公方(足利義昭)様も救援できる!」
『応っ!!』
「では、出陣だ!」
『御意!!』
力強く返答する近江衆と共に義頼は、留守を兄の六角承禎と蒲生定秀に任せて観音寺城より出陣する。 予てより常楽寺湊に停留させていた六角水軍の船に乗り込むと、大津湊を目指して出港したのであった。
また義頼は、軍議を開く前に駒井秀勝を堅田衆に派遣している。 その理由は、押っ取り刀で岐阜より駆けつけるであろう織田信長と付き従う兵達を運ぶ為であった。
命を受けた駒井秀勝は陽が昇り始めている中、馬を走らせて堅田砦を訪問する。 まだ早い時間であったが、六角水軍を率いる駒井秀勝が現れた事に何かあると判断した猪飼昇貞は即座に面会した。
「美作守(駒井秀勝)殿。 この様な早い時間に、如何した?」
「左衛門佐様の依頼にございます。 岐阜より急行されるであろう殿の軍勢を運ぶ為、手筈をお願いしたい」
「……そうか。 起きてしまったか……あい分かった。 明日には朝妻湊に船を揃えておく」
「頼むぞ」
「任せておけ」
その頃、家原城を落として城に入っていた三好勢はと言うと、翌日には京へ向けて進軍を開始していた。
彼らは景気づけかどうかは分からないが、進軍途中にあった法性寺に火を付け全てを灰に戻している。 やがて三好勢は、目的地に程近い場所に到達するとそこに陣を張ったのであった。
その三好家本陣に、織田信長に追放されて長島に落ちた斎藤龍興や長井道利といった牢人衆が合流する。 その為、三好勢は総数で六千を越えた軍勢となっていた。
彼らの目的は、言わずもがな将軍の足利義昭が寄宿する本圀寺だ。
実は足利義昭だが、織田信長が岐阜へ戻る為に京から離れると、それまで仮の御殿としていた細川昭元の屋敷を出ている。 そして本圀寺へと居を移していた訳だが、その本圀寺を三好勢が攻めたのであった。
しかし足利義昭にとって幸いな事に、将軍警護の為に京に居た明智光秀が三好勢の動きを察知していた事にある。 彼は本圀寺が攻められる前に何とか兵を率いて駆けつけると、足利義昭と共に本圀寺にて防衛戦を展開する。 だが劣勢である事に変わりはなく、何と足利義昭本人が刀を振るって防戦しなければならないほど危険な状況でもあった。
こうして三好勢はあと一歩のところまで押し込んだのだが、駆け付けた明智光秀を筆頭とした警護の者達の踏ん張りで決定的な勝利を得られないうちに陽が暮れたので大将である三好政康は一度兵を引く決断をする。 その代わりと言う訳でもないだろうが、三好勢は本圀寺周辺を焼き打ちしたのであった。
明けて翌日、三好政康は改めて本圀寺を攻める。 昨日同様必死の抵抗を見せる足利義昭達に、三好勢の先鋒に少なくない損傷を与えていた。
しかし足利義昭達も苦しく、彼らもまた味方から二人の将が討ち取られていた。
「そうか。 若狭の山県源内と宇野弥七を討ったか。 ならばここは、平押しに押そう」
三好勢を率いる三好政康が言うと、三好康長や岩成友通といった面々が頷いた。
そんな彼らを見て三好政康が更なる攻撃の命を出そうとした正にその時、三好本陣の側面から蛮声が上がる。 それに続き聞こえて来る鉄砲や剣戟の音に、三好政康の弟である三好政勝は確認の兵を差し向けた。
それから程なくした頃、確認の為に差し向けた兵が転がり込む様に駆け戻って来る。 そんな兵の様子を見た三好政勝は、即座に兵を問い質した。
「すぐに報告しろ! 何があった!!」
「て、敵襲に御座います。 旗印は隅立て四つ目! 六角義頼率いる兵と思われます」
『何だと!』
話をほんの少しだけ戻す。
足利義昭の味方である山県源内と宇野弥七が三好勢の先鋒を務める薬師寺貞春に討たれた頃、義頼率いる六角勢は戦場の外れに辿り着いていたのである。 すると義頼の元へ、事前に放っていた甲賀衆の伴資定が現れた。
義頼は彼に本圀寺の情勢を尋ねると、攻め込まれてはいても落ちてはいない事を報告される。 その後、伴資定に労いの言葉を掛けてから、後ろを振り向いた。
「皆、まだ本圀寺は落ちてはおらん! 我らの救援は、間にあったぞ!」
『はっ!!』
「よってこれから、敵本陣に急襲を掛ける。 全軍、突撃!」
義頼の号令一下、六角勢が一斉に三好本陣へと突き進んだ。
此処でまさかの敵の援軍に、本圀寺を攻める事に重点を置いていた三好勢は対応しきれない。 それでも僅かな反撃を行ったが、そこは少数の域を出なかったのだ。
そんな三好勢を蹴散らしつつ、六角勢を率いる義頼は敵本陣中枢へと辿り着く。 果たしてそこには、三好政康以下三好家重臣達の姿は無い。 代わりという訳ではないのであろうが、本陣に居たのは少数の兵とその者達を指揮する将だけであった。
そんな彼らに対して六角勢の先鋒として突入した後藤高治は、三好家の重臣達の動向を誰何する。 だが彼らからの返答は、問答無用の攻撃だった。
しかし、所詮は多勢に無勢。 三好家本陣に居た彼らは、悉く後藤高治率いる兵に駆逐されたのであった。
「殿へ報告! 三好家の者達は逃走を図った。 我らは追撃すると!」
「御意」
状況を把握した後藤高治は伝令を走らせると、逃げ出したであろう三好政康らの追撃に移ったのであった。
さて三好家本陣が奇襲され、その上味方本陣で戦闘が始まったにも拘らず命令に変化が無い事に三好勢が動揺し始める。 そんな敵勢の変化を、見逃さない男が居た。
明智光秀である。
彼は敵の士気の変化と、先程戦場に現れた軍勢が三好家の軍勢に攻勢を掛けている様子に、反撃の好機と判断して本圀寺より打って出た。
結果として六角、明智の軍勢に前後から攻められる事となってしまった三好勢の士気は大いに落ちる。 寸でのところで本陣から落ち延びる事に成功していた三好政康は、戦場の情勢に不利を悟って退却を決定した。
すると三好勢の動きから退却に入ったと判断した義頼は、間髪入れずに追撃へと入ったのである。 そこに細川藤孝や三好義継、更には池田勝正や和田惟政や伊丹親興や荒木村重などの摂津衆。 終いには浅井長政までもが救援に駆け付けた為、彼我の兵力は完全に逆転してしまった。
こうして追撃を行った者達はと言うと、桂川近辺で三好勢に追い付いたので攻撃を仕掛けている。 この為、微かにだが残っていた三好勢の士気は完全に崩壊して軍の体裁を保つ事が出来なくなってしまった。
正に烏合の衆と化した三好勢を始めは六角勢が、やがて追い付いた摂津衆や浅井長政達も当たる端から敵勢を切り捨てていく。 中には、三好の重臣級と思われる者達を中心に戦いを仕掛けている者達まで居た。
しかしこの追撃も、高槻城主である入江春景が三好勢に味方した事で終わりを告げてしまう。 入江春景の籠る高槻城が邪魔で、追撃が出来なくなってしまったのである。 三好勢はこれ幸いにと、乗って来た船で阿波国に向けて逃走したのであった。
入江春景の邪魔で追撃を諦めざるを得なかった義頼達はと言うと、軍勢を止めて高槻城を取り囲んでいた。
この状況下で高槻城を放って追撃など、後顧の憂いとなるので出来はしない。 何より高槻城に関わった時点で、三好勢の追撃など時間的にまず無理であった。
そこで彼らは、高槻城を取り囲んだのである。 それから皆で集まると、今後の事に付いて軍議を開いたのだった。
「さて、降伏を促すか……それとも攻めるか……」
細川藤孝がそう漏らすと、同じ摂津衆である和田惟政が攻めるべきであると主張した。
己が細川藤孝と共に一度降伏を許した入江春景が裏切ったなど、到底許せなかったからである。 彼からの意見を聞いた細川藤孝は義頼や浅井長政、そして三好義継や伊丹親興にも尋ねた。
問われた義頼達にしても、高槻城を攻めるのは吝かでは無い。 その為、和田惟政の言葉に異を唱える様な事はしなかった。
となれば必然的に、軍議の流れは高槻城攻めに決まる。 翌日には城攻めを開始する事で、軍議はお開きとなった。
翌日、義頼達は高槻城攻めを開始しようとする。 しかしその前に、高槻城の大手門が大きく開かれた。 そこには軍勢がおり、先頭には城主の入江春景が居る。 元々の兵力に開きがあるのと援軍の見込みが無いと判断した入江春景は、武門の意地とばかりに最後の突撃を敢行したのだ。
全員死兵と言っていい彼らの攻勢は凄まじい物があり、最初に当たった三好義継の軍勢を敗退へと追い込んでしまう。 しかし相応に被害を被っており、三好勢を蹴散らした頃には半数以下となっていた。
そこに和田惟政と伊丹親興が、遅れて義頼と村重の軍勢が攻勢を掛ける。 幾ら死を覚悟した者達と言っても、兵数の差は如何ともしがたい。 入江春景以下高槻城の城兵は、悉くが討ち取れられたのであった。
こうして高槻城主だった入江春景を討ち取り首尾よく高槻城を落とした義頼達であったが、既に本圀寺へと攻め込んだ三好勢は遥か先である。 これでは追撃しても仕方が無いと、彼らは兵を纏めると細川藤孝の元に向かった。
何せ細川藤孝は足利義昭の重臣である為、なし崩し的に彼ら追撃勢の大将と目されていたからである。その細川藤孝だが、全員が揃うと軍勢と共に高槻城へと入城する。 それから、義頼達に更なる命令を出したのであった。
「三好勢は、目下阿波へと逃亡中と思われる。 取りあえずそちらは放っておき、この地に残党が居ないか調べて貰いたい」
『はっ』
その後、義頼は旗下の近江衆に三好勢の残党狩りを命じる。 その命に従い、近江衆が兵を率いて高槻城より出陣していく。 やがて義頼の周りに残ったのは馬淵建綱と後藤高治、他に本多正信と本多正重の兄弟であった。
その本多正信が、義頼へあわせたい者が居ると進言する。 誰何をすると、本多正信はその者の名を告げたのであった。
「三好政康、政勝の兄弟です」
「何っ! 政康だと!? 三好三人衆の一人ではないか。 まさか捕えたというのか!!」
「御意。 壱岐守(後藤高治)殿と弟の正重が捕えました」
後藤高治と本多正重が本陣に残った理由が、正しくこれであった。
何であれ彼らは、三好家の重臣である。 捕えた以上、会わないと言う理由はない。 そこで義頼は、本多正信らを連れて捕らえた三好政康と三好正勝の兄弟と面会した。
「お初にお目に掛かる、六角左衛門佐義頼だ。 してお二方は、降伏するとおっしゃられたそうだが?」
「うむ」
義頼の問い掛けに三好政康が返事をすると、彼の隣では弟の三好政勝が同じく頷いていた。
「なるほど。 だが、貴公らが許されると思うのか? 三好三人衆の筆頭格であった長逸ですら討たれたのだぞ」
「無論ただで、とは言わぬ。 降伏に当たり、引き替えの物を差し出そう」
「何を出すと言うのだ」
「融山道圓(足利義輝)様が生前に集めておられた刀剣類、それらを足利家にお返し致す」
『なっ!』
足利義輝が無類の刀剣収集家であった事は、わりと有名な話であった。
だがその刀剣類は、義輝襲撃の際に散逸したとされていたのである。 だからこそ彼らが驚いた訳だが、同時に義頼は細川藤孝より聞いていた事を一つ思い出していた。
「……ああ。 そう言えば、兵部大輔(細川藤孝)殿より聞いたことがある。 右衛門大輔(三好政康)殿は、刀剣の目利きに関しては当代随一だと。 兵部大輔殿にも手解きをされたそうだな」
「よく御存じで。 それで如何でござろう、左衛門佐殿」
「取りあえず、兵部大輔殿に伺いを立てる。 話はそれからだ」
その後、義頼は直ぐに細川藤孝の元に赴くと、三好政康と三好政勝の兄弟を捕えている事と、足利家伝来の刀剣類返納を条件に降伏を申し出ている事を伝えた。
話を聞いた細川藤孝は受け入れるのも悪くはないと考えたが、一つ頭をふると足利義昭の意向を組むべきだと考える。 そこで自らその旨を、三好政康と三好政勝に伝える。 二人ともその言は受け入れると、素直に従った。
明けて翌日、三好勢の残党狩りが行われる中、一足早く義頼は本圀寺へと向かう。 果たしてそこには、織田信長も到着していた。
一人だけ戻って来た義頼を見た織田信長は、訝しげな表情をしながらも理由を問い質す。 そんな織田信長とやはり隣で似たような表情を浮かべている足利義昭に対して義頼は、懐より書状を差し出した。
彼が差し出した書状は、細川藤孝が認めた足利義昭宛の書状である。 その中身は、当然だが三好政康と三好政勝兄弟に関する事であった。
義頼から書状を受け取った足利義昭は、時には渋い顔をしながらも文を読んでいく。 最後まで目を通すと、彼は織田信長へと手紙を手渡していた。
「この内容に、嘘偽りは無いのであるか」
「少なくとも右衛門大輔殿は、その様に申しております」
「刀剣の目利きに関して、あの者の右に出る者はまず居ない。 その事は、余も知っておる。 なれば、兄の集めた武具を持っていても不思議は無いか……よかろう。 足利家累代の宝が戻ると言うのなら、降伏は認める。 両者の身柄に関しては、どうした物よのう」
そう言いつつ足利義昭は、傍らの織田信長へ視線を向ける。 たまさか細川藤孝からの書状を読んでいた織田信長であったが、足利義昭の視線を感じて顔を上げた。
すると彼は、義頼の配下とする様にと命じる。 まさかの命に義頼は目を白黒させたが、そんな彼を見て、織田信長は声を上げて一しきり笑った。
「おう、そうだ。 その方に伝える事があった」
「何でしょうか」
「その方への輿入れよ。 今年中には、輿入れさせる。 楽しみにしておれ」
「は、ははぁ!」
何はともあれ、此処に三好家による義昭襲撃は頓挫した。
それから数日したある日、織田信長は後に殿中御掟と呼ばれる様になる十六ヵ条に及ぶ掟を足利義昭に対して承認する様にと迫っている。 この掟は将軍権力の制限を狙った物であり、足利義昭はこの掟が認められた書状を一読すると激怒した。
しかし、細川藤孝や和田惟政。 更に京極高吉といった幕臣より諭された事もあって、足利義昭は不承不承ながらもこの掟を認めたのであった。
また織田信長は、此度の三好勢襲撃を鑑みて二条にあった旧斯波邸跡地に足利義昭の新たな御所建築を開始する。 それに伴い畿内及び近隣の十余国に働きかけると、程なくしてそれぞれの国から人や物が集まって来た。
そこで織田信長は、普請奉行として村井貞勝と島田秀満の両名を任じる。 それから彼らとは別に、義頼もまた普請奉行に任じられたのであった。
義頼が普請奉行に任じられた理由は、近江矢島の地に御所を建築した経験を買われての事であったと言う。
何はともあれ普請奉行となった三人は、連日話し合い滞り無く工事を進捗させる。 そのお陰かそれとも集めた職人達の腕が良かったのか、完成まで数カ月は掛かるであろうとみられていた新御所建築は、僅か二ヶ月弱で完成の運びとなったのであった。
こうして出来上がった新御所には金銀が散りばめられ、庭には泉水、遣水、築山等が造成されていたのである。 この新たな御所の出来栄えを見た足利義昭は、殿中御掟が提示されて以来いささか不機嫌であった機嫌も直っていた。
そんな彼の機嫌の良さを露わすかの様に、足利義昭は織田信長に手ずから杯を与えただけでなく足利家累代の刀剣の幾つかなどを下賜したのである。 そしてその翌日、織田信長は集った者達を労う宴を開いた後で帰国する事を許したのであった。
因みに、この際に下賜された刀の中に三日月宗近がある。 この宗近は足利義昭の意向もあり、三好政康と三好政勝の兄弟を捕えた褒美として織田信長から義頼に与えられたのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。




