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第二百四十四話~九州の予測~

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第二百四十四話~九州の予測~



 屋敷に戻った翌日、義頼は長岡藤孝ながおかふじたからと共に、織田信長おだのぶなが織田信忠おだのぶただの両名との面会にのぞんだ。

 前述の通り、中国地方における戦の終了を報告する為の物である。 既に褒美などが与えられているので、詳細な報告などがある訳ではない。 ただ単純に、与えられた命が完了した事を報告するだけの物でしかなかった。 通り一遍の挨拶の後に報告を終えると、それぞれが辞去して行く。 しかし義頼だけは、別室に通された。 そこで待つ事暫し、部屋に織田信長と織田信忠が入ってくる。 彼らは上座に腰を下ろすと、平伏している義頼へ頭を上げる様に言う。 すると、ゆっくりと頭を上げて行った。


「さて、そなたに聞きたいことがある」

「何でしょうか、殿」

「っと。 ああ、別に問題とか起きた訳ではないから安心しろ。 同じ事は、光秀や秀吉にも聞いている」

「……それがしだけでなく日向守(明智光秀あけちみつひで)殿や紀伊守(羽柴秀吉はしばひでよし)殿にも尋ねられていると言う事は、九州の話なのでしょうか」


 義頼と明智光秀、そして羽柴秀吉の三名は西国攻めにおいてそれぞれ担当が決まっていた。 義頼は中国地方担当、明智光秀は四国地方担当、そして羽柴秀吉は九州地方の担当となっていたのである。 そして九州へと攻め入る際には、三人が軍を率いるのだ。

 総大将は言うまでもないが、征西大将軍たる織田信忠が引き続い務める事となる。 そして九州において実質の大将は、羽柴秀吉であった。 その際、義頼と明智光秀は、副将として戦を行う事となる。 これは、既に決まっている事案であり、ゆえこの三人が名を連ねると言う事は、現時点において九州攻めに関する件しかありえなかった。


「その通りだ義頼、話が早くて助かる。 それで九州だが、そなたはどれくらいで変化があると見ている?」

「そうですな……早ければ今年中、遅くとも来年の春から夏までには何らかの動きがあるでしょう」

「そうかっ! 俺や、秀吉や光秀より早いな」

「殿と両名はどれくらいと思われているのですか?」

「うむ。 俺は来年の中ごろ以降、秀吉と光秀はお前が遅いと言った来年の春から夏にかけてであった」


 織田信忠は来年の秋、つまり収穫後に何かあると予測し、明智光秀と羽柴秀吉はもう少し早く来年の春以降、即ち田植えが終わってからではないかと踏んでいた。 しかし義頼は、それよりも更に早いと考えている。 そしてこの予測は、織田信長と同じである。 彼もまた、義頼と同じ時期だと予測をしていたのだ。

 故に織田信忠は、目の前の男がその時期を予測した事に対して疑問が生じる。 そこで、義頼へ根拠を尋ねていた。


「その根拠は?」

「日向伊東家です。 彼の家がどれだけ持つか、それで決まりましょう」


 日向伊東氏は、相良氏と同様に藤原氏の流れを汲む工藤氏の末となる一族である。 「曽我兄弟の仇討ち」で討たれる工藤祐経くどうすけつねの息子となる伊東祐時いとうすけときを祖とする一族であり、足利尊氏あしかがたかうじへ合力した子孫の伊東祐持いとうすけもちが日向国に領地を賜った事でそれまでの土地から移動してきたのだ。

 以降は、日向伊東氏として彼の一族は日向国内に勢力を広げたのである。 その勢力が最大となったのが、伊東義祐いとうよしすけが当主の頃であった。 しかしながらそれは、同時に凋落ちょうらくの兆しでもある。 日向伊東家の本拠があった佐土原は九州の小京都と言われるまでに発展したが、それは伊東義祐から武将としての覇気も奪ってしまう。 その頃から島津家の侵攻も重なり、伊東家は徐々に衰退して行ったのだ。


「伊東か……と言う事は、今年中にも伊東は敗れると言うのが義頼の見立てか」

「無論、必ずという訳ではありません。 しかし日向伊東家の情勢などを考慮致しますと、あながち間違いでもないかと」


 事実、日向伊東氏は追い込まれていた。

 南から島津家の軍勢が攻め寄せてきていたと言うのもあったが、他にも日向北部に勢力を持ち以前から干戈かんかを交えていた土持氏が、今年の中頃から侵攻を開始したのである。 これにより伊東家は、南北から攻められる事となったのだ。

 

「では、その前提で聞く。 伊東が敗れた後は、どうなると思っているのだ」

「伊東家の者も死にたくはないとは思いますので、恐らくは大友へ逃れるのではないかと」

「何ゆえに大友なのだ?」

「隣国の強国と言う事もありますが、伊東家先々代当主の伊東義祐いとうよしすけの子供で今は亡き先代当主伊東義益いとうよしますの正室が大友宗麟おおともそうりんの姪に当たるのです」


 大友宗麟の妹が、土佐一条家四代目当主となる一条房基いちじょうふさもとの元へと嫁いでいる。 その子供に、阿喜多おきたと言う名の姫がおり、その姫が伊藤義益の正室となっている。 つまり義頼が言わんとしているのは、その伝手つてを頼り大友家へ落ち延びるのだろうと言っていたのだ。


「ふむ。 だが受け入れるか?」

「恐らくは。 何せこの形となれば、建前上は大友家と島津家と竜造寺家との間で結んだ停戦合意に抵触致しませんので」

「ん?……ああ、そう言う事か」

「はい」


 そう。

 少なくとも来年の末までは、織田家が仲介した三家の合意で戦えない事となっている。 最も織田信忠や明智光秀や羽柴秀吉が予想した様に、本当に来年の末まで合意が守られるかは正直怪しい事は置いておく。 しかしだからと言って、約定は約定であるので破らないに越した事はなかった。

 だが、今回の場合、伊東家の存在が抜け道となる。 伊東家を大友家が受け入れた場合、彼の家を支援するだけと言う態度を取るのは間違いない。 それは例え伊東家の旧領奪還を目的とした軍勢の大半が大友家の家臣や兵で構成されていようとも、表向きは伊東家の兵だと言い張れるのだ。

 何せ伊東家は、先の停戦合意に全く関わっていないのである。 だからこそ、伊東家の戦であるとすれば停戦合意に抵触せずに戦を行う事ができるからだ。

 それは島津家も同じであり、此方こちらもあくまで戦うのは表向き伊東家の兵である。 例えその兵が、大友家が用意した者であってもだ。 つまり、どちらの家にとっても約定を破る事なく戦を行える。 伊東家と言う殆ど死に体の存在を介在させる、それだけでいいのだ。

 するとその時、今まで黙って聞いていた織田信長が口を開く。


「そうなると、大友が負けた方がいいか」

「そうですな、上様。 もし大友が負ければ、救援要請をしてくるでしょう。 大友家にとっては幸いな事に、中国地方も四国での争いも終わっていますので」

「うむ。 大義名分があれば、進軍もしやすい……ところでその大友だが、貿易の方は相変わらずと聞いたが相違ないか?」

「はい。 大友家も、一応ですが家臣へ注意喚起はした模様です。 逆に言いますと、注意喚起しかしておりませぬ」

「つまり取り締まっていない、そう言うのだな。 なるほど、織田も舐められた物よ。 のう、信忠」

「はい、真に父上。 九州へ兵を向けた際は、拙者がそやつらに分からせます」

「そうだな。 任せたぞ」

「お任せあれ」


 だがこれは、必ずしも大友宗麟や現当主の大友義統おおともよしむねが悪いのかと言うと必ずしもそう言う訳ではない。 と言うのも大友家だが、織田家に比べて意外と家臣の力が強いのだ。 その為か、大友本家も強硬に事を進めるのがいささか難しい側面も持っている。 だが、所詮は他家の事情である。 織田家からすれば、そんな事は全く関係なかった。

 少なくとも大友家は、奴隷貿易や乱取りを取り締まると言う織田家からの要請を受け入れている。 それであるにも拘らず要請の履行を行っていない以上、織田家からすれば怠慢に他ならなかった。

 なお、この大友家の対応だが織田信長や織田信忠にいささか悪い印象を与えている。 それに伴い、この親子が領地を持つ九州の国人や大名も、態度が同様なのではないかという印象を与えてしまったのだ。 この印象の悪さが、そのまま先の島津家久しまずいえひさと対面した時の対応にも多少は影響している。 有り体に言えば、島津家は大友家のとばっちりを知らぬ間に受けていたのであった。


「兎も角、おおよその事は見えた。 ご苦労だったな義頼、下がっていいぞ」

「御意」


 織田信長と織田信忠の謁見も終わった義頼は、その足で安土城内にある己の屋敷へと戻る。 やがて到着した屋敷では、兄の醜態しゅうたいと言っていい様子が演じられていた。 それは、まだ何時いつからは決まってないが、いずれ養子縁組する予定の六角金剛丸に対する物である。 どうやら六角承禎ろっかくしょうていは、新たな義息となる甥を痛く気に入ってしまった様であった。

 そんな兄の何とも言えない姿に、義頼も思わず凝視してしまう。 そこで漸く弟が戻ってきたことに気付いた六角承禎であったが、今更彼の行動がなかった事になる訳ではない。 その為、兄弟の間に表現しづらい空気が漂ってしまう。 暫くそのままであったが、やがてのろのろと手を動かした義頼は口に握った拳を添えると咳払いを数回して場の空気を変えた。

 しかしその時、客の来訪が告げられる。 現れたのは、六角義治ろっかくよしはる大原義定おおはらよしさだの兄弟である。 しかも彼らは、家族も連れてきていた。 そのお蔭か、先程までの妙な空気も雲散霧消うんさんむしょうする。 義頼も六角承禎も、これは幸いとばかりにそのまま雰囲気に乗っかっている。 つまり、お互いが先程までの光景がなかったものとしたのだ。 阿吽の呼吸と言っていい対応であり、流石は実の兄弟だといっていいだろう。 寧ろ周りの者の方が付いて行けず、彼らにだけ奇妙な空気が多少でも残された形となってしまった。

 そんな多少は残る妙な雰囲気に、六角義治と大原義定の兄弟は首を傾げる。 何であろうとお互い見合わせたが、大した事でもなかろうとしてそのまま流すと、父親に挨拶を行った。

 

「父上、お元気そうで何よりにございます」

「お、おう。 義治も義定も息災そうで何よりよ」

『はっ』


 少しぎこちなさが残っていたが、それでも六角承禎は二人の息子へ無難な挨拶を返している。 こうして六角義治や大原義定の家族も加えた形で、六角屋敷での家族団らんを楽んだのであった。



 それから二日後の事であるが、義頼は本多正信ほんだまさのぶ蒲生定秀がもうさだひで、そして三雲定持みくもさだもちと顔を合わせている。 彼らと会っている理由は、以前に彼らに考える様にと命じた他家との戦のなくなった後についての件であった。

 なお、実は此処ここに六角承禎もいる筈だった。 彼も、嘗ては六角家当主として君臨しているので、その経験も踏まえて、意見を聞こうと願ったためであった。 しかし彼は、今朝になって織田信長からの通達もあり、そちらへ向かっている。 その為、この場にはいなかったのだ。  結局、当初の予定通り四人で顔合わせとなったのである。 その席で義頼は、彼らの考えを聞いていた。


「……やはり、そうなるほうがいいか」

「はい。 殿の御父上であらせられまする江雲(六角定頼ろっかくさだより)様が行われた家臣の集結が現状良き方法かと」

「定秀。 そなたの言いたいのは、家臣を土地から切り離すという訳だな。 その上で、拠点となる城や砦を減らすという訳か」

「まさしくその通りにございます。 ですが、いきなりは難しいでしょう。 そこで、少なく土地を与え後は金や名物でと言う形が宜しいではないでしょうか」


 なまじ領地を持っているからこそ、それを根拠に国人は反旗をひるがえすと言う側面があるのは否めない。 戦国の世の切っ掛けの一つとなった【応仁の乱】の原因の一つも、実はそうであった。 己たちの上に立つ将軍に権威はあっても権力は乏しい、それに引き換え己自身達には実質の力の根拠となる領地もあれば力を行使する兵もいる。 この状況で、力を持つものが力を持たない者の言う事など聞くと言うのは、中々に難しい物があった。

 勿論、それだけが原因ではない。 人間関係や権力闘争など様々な要因が絡み合って【応仁の乱】は起きている。 だが、上に君臨する者に力がなかった事が要因の一つであると言う事は、覆し難い事実だった。

 なお、【応仁の乱】が形だけでも終結した後に起きた将軍擁廃立事件、いわゆる【明応の政変】も戦国の世が続いた要因としては大きい。 しかし【応仁の乱】がなければこの政変は起きなかったかもしれないので、やはり【応仁の乱】と言う内乱がもたらした切っ掛けは大きいと言えた。

 話がずれたので、話を戻す。

 つまり蒲生定秀や三雲定持と本多正信の三人は、家臣や国人が主家に対して反旗を翻す根拠や拠点となる物をなくし、その上で当主に力を集中させてしまえばいいと言っているのである。 そうすれば基盤もないかあっても脆弱ぜいじゃくでしかなく、そう簡単に兵を挙げる様な事にはなりずらくなると言った物であった。

 最もこれは、義頼にも当て嵌まってしまう事案となる。 義頼の仕える家である織田家が、同じ事をしないとは言い切れないからだ。 勿論、そんな事は義頼も分かっている。 だがそれよりも、先ずは六角家中の事であった。


「うーむ……そうだな、どこまで上手くできるかは分からんが、その線で少しづつであっても進めてみるとしよう。 となると任せるの『我らにお任せあれ』は……頼む」

『御意』


 こうして彼らは、そのまま進言した案を実行する者達となる。 蒲生定秀や三雲定持の両名は老い先短いので、恨まれる役など適役だと考えていた。 しかしまだこれからであろう本多正信が受けた理由は、それが自分の役回りだと思っていたからである。 当主が被るかもしれない不興を代わりに被ってこそ、傍にいて策やはかりごとを巡らす者の役目だと彼は考えていたのだ。

 そんな彼らは、正に滅私奉公めっしほうこうと言っていい。 その思いが汲めてしまっただけに義頼としては、彼らに役目を授ける外なかった。

 こうして話し合いが終わって本多正信らも退席しようとしていたその時、織田信長と面会していた六角承禎が屋敷へ戻ってくる。 そもそも彼を話し合いに参加させようと思っていた事もあり、義頼は帰宅したばかりの兄をこの場に呼び寄せている。 その為か、席を外そうとしていた三人もその場に留めていた。 

 思わず顔をを見合わせた三人だったが、主からの命とあればやぶさかではない。 その場に腰を下ろし、六角承禎が現れるのを待っていた。 程なくして部屋に現れた訳だが、しかし四人は眉を顰める事となる。 その理由は、六角承禎の表情が宜しくなかった為であった。

 先程まで行っていた話し合いについての意見をと思って呼び寄せた義頼だったのだが、今となっては兄の様子の方が気になってしまう。 それでなくても、六角承禎は織田信長に呼ばれていたのである。 織田家に仕える義頼や、彼の家臣である三人が気にならない筈がない。 すると義頼が、この場にいる四人を代表する形で六角承禎に尋ねたのであった。


「……兄上。 その、如何いかがなされたのか?」

「え? あ、あぁ。 まぁ、な」


 何とも煮え切らない六角承禎の言葉に、義頼らは顔を見合わせてしまった。


「その、兄上。 我らでよければ話してもらえませぬか? 三人寄らば文殊の知恵、とも申します。 それにこの場には智慧のある本多正信も、そして経験豊富な蒲生定秀も三雲定持も居合わせております」

「…………そうだな。 実際、どうした物やら分からぬしな」


 腕を組みながら義頼の言葉を聞きつつ、それでも悩んでいた六角承禎だったが、やがて決断すると織田信長との面会の席で伝えられた事について話し始める。 だがその内容は、義頼達からしてもある意味で衝撃的であった。

 何と織田信長は位階である従二位はそのままだが、彼が任じられていた官職である右大臣、及び右近衛大将を辞すると告げてきたのである。 確かにこれは、武家伝奏である六角承禎に伝えられる事であると言える。 しかしあまりにも急であり、武家伝奏と言う本来の役職からは外れる様な行為だが思わず六角承禎は留任する様にと押し留めたぐらいであった。

 彼も武家とは言え、今は朝廷に仕えている。 その朝廷を庇護する家であり、かつ日の本で最大勢力を持つ織田家の実質頭領たる織田信長が、朝廷の官位を持たずに散位であると言うのが朝廷にいらぬ不安をあおるのではないかと思案したからだ。 しかし織田信長は首を縦には降らなかった為、取り敢えずは役職の通り朝廷へ伝えるとして辞してきたと言う。

 

「兄上、上様がその様な事を言われたのですか」

「うむ。 お蔭で我も頭が痛いわ」


 そんな兄の気持ちも、分からないでもない。 何せ朝廷は、以前と比べればましになったとはいえ懐具合はまだ悪い。 ゆえに織田家に対しても、傲岸不遜ごうがんふそんな態度は取りづらかった。 最も、織田家側に朝廷をないがしろにする気はないので取り越し苦労と言えなくもない。 だからと言って、朝廷側が楽天的になれるのかと言われればそんな筈もなかったのだ。


「ふむ。 義頼、正信、定秀、定持。 何かいい案はあるか?」

「……兄上。 残念ですが、織田家に仕える者としてお答えしかねます」


 ただ一人の実兄である六角承禎が悩んでいる姿に手を差し伸べないと言うのは、いささか冷たい様にも感じる。 しかし織田家家臣としては、織田信長の意向が何であれ恐らく散位を望んでいると判断できる以上、答える訳には行かなかった。 


「む。 そうか、そうだな。 分かった、忘れてくれ。 一先ずは、右府(織田信長)殿からの提案を俺は伝えばねばならぬ。 武家伝奏としてな」

「確かに」

「では、急いで京に戻るとしよう。 本当はもう少し此方こちらにいるつもりだったのだがな」


 そう言ってから六角承禎は立ち上がると、滞在用にとあてがわれた部屋へと戻って行く。 そんな兄を見送った義頼だったが、やがてその場に残っていた三人へ今回の一件に若し答えるとすればどの様なものになるかと尋ねてみる。 すると暫く考えた後、本多正信が思いついたらしく視線を上げていた。

 さて彼の考えだがそれは三つあり、一つは名目上は同格だが実質的には右大臣の上とされる左大臣への就任である。 そしてもう一つは、織田信忠と同様に将軍位を与えると言う物であった。

 これは征夷大将軍も同じなのだが、織田信忠の征西大将軍も令外官と言う扱いであり、そもそも常設の物ではない。 征西大将軍も征夷大将軍も、当初は臨時に設けられた官職である。 後に源頼朝みなもとのよりとも以降は征夷大将軍が半ば常設の物になったが、それでも本質は臨時の官職でしかないのだ。

 その事を証明するかの様に、征夷大将軍には官位相当と言う物が存在しない。 あくまで、臨時の官職でしかないからだ。 だが逆に言えば、該当の官職を与える時に位階を好きに付けられるとも取れる。 要するに、官職を与える朝廷側の胸三寸むねさんずんと言う事だった。

 それはそれとして、今は織田信長に与えると言う将軍位であるが、彼は西は織田信忠に任せ、東は自分で行うと考えていたし実際に明言している。 それを考慮すると、征夷大将軍がちょうどいい役職となる。 しかし征夷大将軍は、翌年に足利義昭の長男が還俗して継ぐ事になっているのでこれから就任と言うのは、いささかに難しい。 そこで代わりとして挙げられたのが、征東大将軍であった。

 征東大将軍は、征夷大将軍と言う将軍位が生まれる前からあった臨時の将軍位で、与えられる任務は征夷大将軍とほぼ同じである。 そこで東を征すると言う意味もあって、推挙してはと本多正信は進言したのだった。


「そして残る一つですが、氏長者に任じると言うのは如何いかがでしょう」

「氏長者だと? だが、平氏の末裔に該当する氏長者などいな……ああ、いたか。 確か、鎌倉執権殿であった筈だな」


 本多正信に言われた事で、義頼も思い出す。 嘗て鎌倉の世であった頃の話となるが、執権北条家が平氏長者であった。 しかし足利の世になると、何時の間にか平氏長者もいなくなってしまう。 以降は、誰も任じられる事もなくなっていたのだ。


「幸いと言っていいかは分かりませんが、織田家は平清盛公の嫡子の次男となる平資盛たいらのすけもり公の末と称しております。 ならば、織田家が平氏長者となられても問題はないかと」

「平氏長者の復活か」


 織田家の祖としている織田親真おだちかざね平親真たいらのちかざね)だが、彼は平資盛の息子とされている。 しかも伝承によれば百歳を超える長寿であり、いささか説得力には欠けている。 しかし、平資盛の親戚には百歳を越えて生きたとある四条貞子しじょうさだこと言う人物もいるので、全くの嘘であるとは言い切れなかった。

 話がそれたが、現時点において太政大臣が空位である事をかんがみれば、事実上の最高位となる左大臣への就任。 そして織田信長の願いに叶うだろうと憶測できる征東大将軍の就任、更には平氏長者の復活と就任である。 流石にこれだけ列挙されれば、織田信長と言えどそう易々と断る訳にもいかないだろうと言うのは想像できた。

 とは言う物の、所詮は想像に過ぎない。 少なくとも現時点において、実行される事はまずないであろう考えに過ぎない物であった。


「さて、中々に面白かったぞ正信。 戯れはこの辺りにしておくか」

『はっ』


 義頼の言葉にそう返答すると、本多正信と蒲生定秀と三雲定持の三人は、今度こそ部屋を辞したのであった。

九州の動向についての見解。

そして、織田信長が官職辞退を申し出ました。

あくまで織田信長からの申し出ですので、まだ受領はされていませんが。


ご一読いただき、ありがとうございました。


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