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第二百三十九話~降伏~

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第二百三十九話~降伏~



 中国地方にて全ての戦線から争乱が鳴りを潜めた頃とほぼ時を同じくして、堺に船が数隻到着した。 それは近衛前久このえさきひさを筆頭とする、九州へ向かっていた一団である。

 そんな彼らの同行者として、人が増えている。 一人は、島津家当主の弟となる島津家久しまずいえひさである。 そしてもう一人は、相良義陽さがらよしひの命で護衛として同行を命じられた丸目長恵まるめながよしであった。

 彼は今年の早春に身罷みまった上泉信綱かみいずみのぶつなの弟子の一人であり、更に言えば上泉伊勢守門下四天王とまで称された剣豪でもある。 彼は十年近く前に師の上泉信綱の元を辞すると、帰郷し相良家に仕えた。 それから程なくして起こった相良家と島津家との争いで強硬に出兵を主張したのだが、実はそれが敵の策であり丸目長恵の主張通りに兵を出した相良家は大敗を喫してしまう。 これには相良義陽も激怒し、丸目長恵に逼塞ひっそくを命じていた。

 これにより彼は、相良家における立身出世はほぼ絶望となる。 後に彼は逼塞を許されているが、一応は相良家に属しながらも家中での活動はほぼない。 代わりという訳ではないのだろうが、丸目長恵は一兵法家として活動していた。

 その過程で、九州一帯の剣豪家を打ち破っており、四天王の肩書は決して虚仮脅しではない事を証明している。 その手並みに、丸目長恵は西国における新陰流教授を任されているぐらいであった。

 因みに彼が相良家内で立身出世の道を断たれた策を島津家当主に献じたのは、他でもない島津家久である。 つまり、仇敵と言っていい二人が同じ船に乗っていたのだから皮肉な物であった。 最も、丸目長恵も今更何かを言う気はない。 今の彼には、西国に新陰流を流布させると言う使命を師たる上泉信綱から帯びている。 悔しくないと言えば嘘になるが、過去にこだわり師匠からの命をあだやおろそかにする気など、毛頭なかったからだ。

 何はともあれ、堺へ上陸した一行は京へ向かう事にする。 その前に堺の代官となっている松井友閑(まついゆうかんへ一言挨拶をして行こうと考えていた近衛前久であったが、当の松井友閑が現れた。 これは手間が省けたと思ったが、相手が近づくにつれて眉を顰める事となる。 それは松井友閑の様子が、酷くおかしかったからだった。

 訝しげな表情を浮かべつつ近衛前久は、彼が近づいて来るのを待つ。 やがて到着した松井友閑は、慌てた様に近衛前久の一行を己の屋敷へ連れて行った。 やがて到着した屋敷で個別に会談した近衛前久は、何かあったのかを尋ねる。 問われた松井友閑は暫く逡巡してから、義頼の暗殺未遂を発端とする一連の事件について説明をする。 これは織田信長おだのぶながからの指示でもあり、決して独断で行ったわけではなかった。


「それは、真ですか」

「はい。 ゆえに太閤殿下に置かれましては、一刻も早い京への帰還を」

「そうなりますると、島津殿の扱いに困りましたな」

「同行されている島津家の者ですか……そちらは、拙者が受け持ちましょう」


 前述した通り、島津家久が上京した理由は伊勢神宮への祈願である。 だが最大の理由は、織田家とのよしみを結ぶ事となる。 ならば此処ここで松井友閑へ引き継がれても、何ら問題とはならない。 むしろ、そちらの方がありがたい。 それ故に近衛前久は、島津家久を松井友閑へ託すと京へと向かったのだった。

 因み堺の代官だが、本来ならば明智光秀あけちみつひでが務めていた。 しかし四国攻めを行うと言う事で、堺の重要度から嘗ての代官であった松井友閑が代わりに就任していたのである。 

 それと丸目長恵だが、彼は近衛前久に付いて行く。 あくまで彼の役目は、近衛前久の護衛でしかないからだ。 京まで送った後は、そこで役目御免となる。 その後、彼は船中で聞かされた師の上泉秀綱の墓を参るつもりである。 その後は、陸路で九州へと戻る予定にしている。 できれば途中で、師の上泉秀綱を葬った柳生宗厳やぎゅうむねよしでも会えればなどとも考えていたのである。 何はともあれ近衛前久は、そんな丸目長恵を伴い直ぐに堺を発つと京へと向かったのであった。

 その様に慌ただしく近衛前久が堺を発った頃、安土城では織田信忠おだのぶただ織田信長おだのぶながが溜息をついている。 そんな彼らの視線は、一通の書状へと注がれている。 その書状を出したのは、義頼である。 そこに記されているのは、最早言うまでもなく義頼暗殺未遂騒動の顛末であった。


「しかし父上。 まさか、この様な事になろうとは思いもよりませんでした」

「全くだ。 偶然が偶然を呼んだ、そうとしか言えんなこれは。 とは言え、織田家にと言うかお前に関わり合いがある。 中々に、面倒な事だな」

「父上、言わないでいただきたい」


 織田信長の言った織田家と関わり合いがあると言うのは、何も義頼が織田家の武将だからと言うだけではない。 この問題は、実のところ織田信忠にも関係してくるのだ。 何せ織田信忠は、征西大将軍の地位にある。 そして今回の騒動は、中国地方で起きている。 つまり、征西大将軍の職責に入ってしまうのだ。 だからこそ、織田信忠が父親の言葉に半ば愚痴の様に返答したのである。 


「それはそうと、信忠。 お前は、京へ向かえ。 先程も言った通り、お前にも関わってくる事案だ。 恐らくは、現地へ向かう必要が出てくるだろう」

「そう、ですね。 分かりました」

「それと兵は、後で送ってやる。 今は、護衛の者らを連れて行くだけでよかろう。 義頼がつけた忍びもいる事だしの」

「承知致しました」


 織田信長の言葉に、織田信忠は素直に従った。

 その後、早急に兵を集めると、数日後には安土城より出立して京へ向かっている。 そして彼らとは別に、織田信長が先ほど述べた様に忍びの者の護衛も陰に徹しながらも同行していた。

 それから二日、京に到着した織田信忠は兵は京の郊外に駐屯させる。 それから、父親の京における滞在場所となる二条御新造へ織田信長の命で付き従った堀秀政ほりひでまさとともに入った。 すると翌日には、朝廷から出仕する様にとの命が下る。 その命に従い、翌日には織田信忠も朝廷へ赴くと、そこには近衛前久も戻ってきていた。

 こうして面子が揃うと、改めて此度こたびの事態への対処が話し合われる。 とは言う物の、此処ここまでの事態となった以上ははっきりとした態度を足利義昭あしかがよしあきらに見せる必要があった。


「やはり此処は、征西大将軍殿にお出まししてもらうしかないのでは?」

「それはいい。 如何いかがであろう大将軍殿」

「拙者は、一向に構いません」


 初めからその気であるので、織田信忠が断ると言う選択をする訳がない。 彼は、間髪入れずに了承の意を表していた。 しかしながら、全面的に彼へ預けるという訳にもいかない。 やはりそこには、朝廷の面子も存在するからだ。 ゆえに朝廷の面々は、糾問の使者も併せて派遣する旨が伝えられる。 とは言うが、実際に派遣される訳ではなかった。

 その理由は、朝廷が六角承禎ろっかくしょうていを追加で糾問の使者に任じる事にしたからである。 そして義頼にも、糾問の副使の肩書を与える事にする。 完全に当事者であるので、そのまま関与させてしまおうとの考えからであった。

 これは、織田家としても別に損をする訳でもない事もあって、取り分けて織田信忠が反対する事もない。 こうして今回の騒動における取り敢えずの道筋が見えた頃、京の郊外に織田信長の用立てた数万の織田兵が到着する。 すると織田信忠は彼らの到着を持って、中国地方へ向かったのだった。



 さてその頃、義頼はと言うと、彼は密かに毛利家の面々と会談をしていたのである。 場所は蓮華寺と言う寺である。 彼の寺は、空海くうかいが開いたと言う寺伝を持つ古刹こさつであった。

 その様な寺伝を持つ蓮華寺で密かに開かれた織田家と毛利家の会合だが、参加しているのは織田家側からは中国攻めの大将たる義頼と彼の幕僚となる沼田祐光ぬまたすけみつ、そして長岡藤孝ながおかふじたかと勅使でもある兄の六角承禎である。 翻って毛利家はと言うと、当主の毛利輝元もうりてるもとと毛利両川の二人となる吉川元春きっかわもとはる小早川隆景こばやかわたかかげとなる。 そしてもう一人、織田家と毛利家を結ぶ存在として福原貞俊ふくはらさだとしもいる。 但し、彼は両家の繋ぎ役と言う立場もあるので、完全に毛利家側という訳ではなかった。  


「さて、こうして顔を合わせるのは、治部少輔(吉川元春きっかわもとはる)殿以外は初めてとなりますか。 改めまして、六角左衛門督義頼と申す。 後ろに控えるは、長岡兵部大輔藤孝殿。 そして我が家臣となる沼田上野之介祐光となる」


 義頼の紹介を受けて、長岡藤孝と沼田祐光が頭を下げる。 すると、毛利家側から当主の毛利輝元、並びに吉川元春と小早川隆景。 最後に、福原貞俊の紹介を行った。

 彼らの紹介を聞きつつ、義頼は内心で少し残念そうにしている。 と言うのも、この会談に臨むに当たって沼田祐光から出されたある策を実行したからであった。 その策とは、大掛かりな物ではなく一寸ちょっとしたものである。 しかし策が嵌れば、義頼と言うか織田家側が有利になる様な物だった。

 この己の知恵袋より提言された策とは、この会談に義頼が出席する事である。 若し、毛利家側から当主となる毛利輝元が出てこなかった場合、義頼が出席しているのに何ゆえに毛利家からは当主が出てこないのかと攻める事ができる。 そうなれば、交渉事も優位に運ぶのも可能であるとの策だった。

 しかし、その辺りは毛利家側もわきまえていたらしく、ちゃんと毛利輝元もこの場に現れていた。 こんな些細な駆け引きも孕みつつ、両家の紹介が進む。 それが終わると、今度は情報交換となった。 最初に毛利家側から意見が出され、勅使についての確認がされる。 最も、この場には正使となる六角承禎が同席しているので、問題なく確認が成されていた。

 勅使の件が証明された以上、毛利家側も誠意に対応する外はない。 下手にごねるなどすれば、毛利家自体が危うくなるかもしれないからだ。 ゆえに彼らは、正直に義頼達へ大寧寺は厳重に護衛と言う名の元で監視下に置いている旨が伝えられる。 これは六角承禎や義頼が毛利家に頼もうとしていた事であり、先に手を打っている辺りは流石であると認識していた。

 足利義昭らの逃亡などと言った事態が起きずらい状況にあると言うならば、後は朝廷なり織田家からの連絡を待つ事になる。 そしてどちらからにせよ連絡が入った場合は、即座に伝える旨を毛利家側に伝えて今日の会談は終了となった。


「一先ずは無事に終了した訳だが、祐光は毛利の様子を見て、はどう思うか?」

「そうですな。 特段怪しいとは、思いませんでした。 やはり、此度の暗殺未遂騒動には全く関わっていないのかと。 それこそ、我らと同様に。 ある意味では、毛利家も被害者と言えましょう」

「故に、少なくとも此度の一件では手をたずさえる事も可能か。 藤孝殿と兄上はどう思われる?」

「そうよな。 わしも祐光と同じだ、兵務大輔(長岡藤孝)殿はどうか」

「拙者も変わりませぬ」


 彼らの答えを聞き、義頼も安心した様に頷いた。

 つまるところ、義頼も同じだったのである。 なればこそ、今回の騒動に関しての協調は上手く行くだろうと思えた。 何せ此処にきて、もし足利義昭に逃げられようものなら織田家側も毛利家側も面目丸潰れとなってしまう。 しかし毛利家との協調が上手く運べば、その憂いもほぼなくなるのだから安心感が出るという物だった。

 そしてそれは、毛利家側でも同じである。 織田家より派遣されている義頼との協調関係は、非常に助かると言っていい。 足利義昭と言う、最早貧乏神しか思えない存在を押し付けられることができるし、此度の暗殺騒動に対する明確な立ち位置を確立できるからだ。

 しかもこの事で、次に繋げる事ができる。 此度の暗殺騒動に巻き込まれた事で、もう毛利家として織田家と対立する事はほぼ不可能になったと言っていい。 暗殺未遂騒動が終わっても抵抗を続けると、今度は家中から不満が出かねない。 しかも下手をすれば、一向宗が動く可能性すらあった。

 例え織田家が一向宗へさとさなくても、知っての通り此度こたびの一件には朝廷も関与している。 ならば一向宗が、汚名返上おめいへんじょう名誉挽回めいよばんかいのきっかけになると考え、独断で動く事も有り得るのだ。

 それでなくても安芸国内には、一向宗門徒が多い。 それは毛利家家臣も同様であり、下手をすれば三河一向一揆の様な騒動が安芸国でも起こりかねなかった。

 しかし、このまま協調関係を構築できれば、その懸念は大分払しょくされる。 その意味でも毛利家としては、何としても今回の暗殺未遂騒動を出来れば密かに終わらせたかったのだ。


「だが、無理であろうな。 どう思う、隆景」

「兄上のおっしゃる通りでしょう。 公方様に対する処遇は、どのように隠しても恐らくは広がるでしょう。 そうなれば、どうしようもありません。 人の口に戸は立てられないのですから」

「……やはり、そうなのか……」

「ええ、殿。 最早、我らではどうしようもありません。 ですが前にも言った通り、少しでも口さがなくする方法はあります」

「織田家への降伏……か」


 事が大々的に表ざたになる前に降伏と言う手札を切れば、口さがない噂も幾分は抑えられる。 世間的には、責任を取ってとも取れるからだ。 しかし、問題があるとすれば降伏の条件である。 今まで沼田祐光と安国寺恵瓊との間で幾度となく話し合われた会合だが、織田家側の条件は一貫していたのだ。

 領地は二国安堵、石見銀山は織田家へ譲渡するという物である。 正確に言えば石見銀山の所有者は毛利家ではないのだが、実質は毛利家が所有している鉱山である。 前述した様に彼の鉱山を領有する際、嘗ての尼子家との対立の中で毛利家は石見銀山を御所領として朝廷へ献呈している。 これにより尼子家も手が出せなくなり、朝廷の代理と言う事で毛利家が運営管理を行っていたのだ。

 その石見銀山の管理運営を、織田家に譲渡すると言うのである。 最も、これは織田家にすれば当然の対応である。 降伏した従属大名に、石見銀山と言う有力な鉱山を所有させ続けるなどできる筈もないからだった。


「すると、石見銀山も手放す事となるか」

「それは、致し方ありません。 ですが、毛利家は残ります」

「毛利が残る……やはりそれしかないのか」

「以前であれば、可能であったかもしれません。 しかし、今となっては」

「無理、であろうな。 相分かった、その線で動くとする。 頼むぞ」

『はっ』


 毛利輝元の言葉に、吉川元春と小早川隆景が声を揃えて答えた。

 なお、福原貞俊であるが、彼はこの場にいない。 いつ何時なんどきに織田家なり朝廷なりからの連絡が来るとも分からないので、毛利家の忍び衆となる外聞衆の一人で佐田彦四郎さだひこしろうと彼が率いる毛利家の忍びらと共に義頼へ付いて行っているからだった。

 その一方で京を発った織田信忠はと言うと、山陽道を西へ進んでいる。 その進軍は、形振なりふり構わずにとはなっていない。 寧ろ悠々と進軍しており、ある種の余裕すら感じられていた。


「しかし、良いのか秀政。 この様に悠々と進んで」

「はい。 大大名、織田家当主として堂々とお進みください」

「まぁ、それでいいと言うのならばいいがな」


 織田信忠率いる織田勢が悠々と進んでいる理由は、同行している堀秀政ほりひでまさの進言が元となっている。 確かに、緊急度が高い案件ではあるだろう。 しかしそこで、敢えて余裕の態度で進む事で織田家はその様な事では動じないと毛利家、それから後の事になるだろうがひいては他の大名家へ見せ付ける為だったのだ。

 そして他にも、足利義昭がいらぬ警戒心を持たない様にする為でもある。 下手に急行すれば、何かあるのでは勘繰かんぐられかねない。 ゆえに普通の行軍であるとしていたのだ。

 そして更に言えば、表向き義頼の要請で軍を率いてきたと言う体裁を整えている。 つい少し前のほぼ敗戦と言っていい六角勢と毛利勢の激突もあった事が、その理由を後押ししていた。 何よりこの理由ならば、足利義昭も彼に従っている幕臣達も疑いを持ちづらい。 寧ろ、先の戦の損害が予想よりも大きかったのかと、喜んでいるぐらいなのだ。

 そんな様子であるので、当然ながら足利義昭達は逃げる様な素振りは全く見せていなかったのである。 それこそ彼らは、これで織田家の中国侵攻も終わりであるとばかりに浮かれていたぐらいだった。


「流石は毛利よ。 これは輝元に、管領代の地位を褒美として与えるというのはどうだ」

「それは宜しいですな。 それに、義頼に対する皮肉ともなりましょう」

「昭賢。 そうであろう」


 同意する畠山昭賢はたけやまあきかたの言葉に、足利義昭は何度か頷いていた。

 ところで、何ゆえに義頼に対する皮肉になるのかと言うと、管領代に唯一補任されたとされているのが義頼の実父となる六角定頼ろっかくさだよりだからだ。 父親は補任されているにも拘らず息子はされず、その息子と対立している毛利輝元が補任される。 実に皮肉が効いていると、足利義昭は考えたのだ。

 しかしそこで、上野秀政うえのひでまさより幾ら何でも与えすぎなのではと進言してくる。 既に毛利輝元には、右馬頭の地位を朝廷より与えられており、他にも相判衆にも名を連ねている。 確かにこの一戦の結果だけで、管領代とするのも与えすぎかとも思えてくる。 そこで、織田家を追い払ったあかつきには、管領代か副将軍の地位を与え様と考えを改めた。

 その旨を上野秀政に伝えると、それならばと彼も納得する。  すると足利義昭は、これでこの話は終わりだとばかりにさかずきを掲げる。 その仕草に追随する様かのごとく、真昼間からの宴に参加している者達も杯を掲げる。 それから足利義昭らは、良き気分のまま一気に杯を呷っていた。

 これにより、もしかしたら唯一足利義昭側から自分の立場が今どのようになっているかを知る事が出来たかもしれない千載一遇せんざいいちぐうの好機を完全に逃してしまう。 その為、彼らが事態の趨勢を知る事となるのは、最早言い逃れができないところまで推移してしまってからとなってしまうのだった。

 その一方で、義頼がいる常興寺跡の地へ訪問してきた者がいる。 その者とは、織田信忠の派遣した連絡役の使者であった。 その使者の口から、織田信忠が軍勢を率いて向かっている事と糾問の使者として六角承禎がそして副使として義頼が朝廷より改めて任じられた旨が伝えられる。 これは先の様に、伝達の齟齬が生じないようにとの配慮から出された物であったとされていた。

 この報せは、福原貞俊を介して毛利家側へと伝えられる。 その後、密かに第二回目の会談が設けられた。 そこで、織田信忠が到着次第、織田家と毛利家合同で大寧寺を取り囲む。 そこで、事の次第をつまびらかにする為に足利義昭と面会を行うとの合意がなされた。 同時にその場が、将軍職解任を伝える場所になる事も伝達される。 無論だが、毛利家側に異議などない。 その全てを、粛々と了承していた。


「では、次に会う時は殿(織田信忠)が到着次第となりましょう」

「その事ですが、左衛門督殿。 お話があります」

「右馬頭(毛利輝元)殿、何か?」

「……我が毛利家ですが……織田家に臣従致します」

「はあっ!?」


 唐突と言えば唐突な物言いに、義頼は思わず声を張り上げる。 そして彼の周りにいる六角承禎や沼田祐光、並びに長岡藤孝は声こそ上げなかったが、表情に関しては義頼と何ら変わりがなかった。

 しかし毛利家側は、そのまま話を続ける。 彼らいわく、臣従の条件は全て飲むので、何としても織田信忠への仲介をと申し出つつも毛利輝元以下毛利家の面々は平伏している。 すると義頼は、軽く頭を振って状況を整理する。 そして頭の中で事態の整理をし終えると、毛利家へ己の考えを伝えた。


「お話は承った。 しかし今更だが、虫が良い話ではないか」

「それは、重々承知にございます。 故に臣従の条件である二ヵ国領有のうち、一国を辞退します。 必要とあらば、拙者の命を。 それでも足りないと言われるのであるならば、兄の吉川元春の首も差し上げましょう!!」


 義頼の言葉に、毛利輝元に代わって答えたのは平伏していた小早川隆景であった。  

 彼は毛利家降伏後に織田家が認める二ヵ国領有のうち、一ヵ国を献上すると言う。 しかも、自身と吉川元春の首すら必要ならば差し出すとまで言ってのけている。 しかも彼の隣で微動だにしない吉川元春の様子から、少なくとも兄弟間では話し合いがついてると見て取れた。

 とは言うが、正直なところ吉川元春と小早川隆景の首など欲しくはない。 此処で毛利家救援の為に毛利両川の命を散らされるより、生かして織田家の天下統一に役立てた方が有意義だからだ。


「分かりました。 兎に角、殿にはお話しします。 今約束できるのは、それだけです。 実際の条件に関しては、殿(織田信忠)が到着次第としたい。 それで宜しいか」

『感謝致します』


 義頼の言葉に、毛利家主従が揃って感謝の言葉を述べる。 こうして話は、毛利家の臣従すら含んだ物となっていくのであった。

足利義昭は、知らぬ間に追い詰められました。

そして毛利家が、いよいよ決断しました。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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