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第二百三十八話~戦の停止~

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第二百三十八話~戦の停止~



 福原貞俊ふくはらさだとしの話、それは先ほど述べられた毛利家の危急存亡ききゅうそんぼうの言葉より荒唐無稽こうとうむけいと言えるかもしれない。 それくらい、現実味が感じられない話であったのだ。

 何せ義頼に対する暗殺未遂事件があり、その事件を起こしたのは足利義昭あしかがよしあきの側近を務める大館晴忠おおだちはるただだと言うのだから当然であろう。

 そしてそれだけならば、まだ分からないでもない。 ただ、正気は疑うだろう。 それよりも問題なのは、暗殺を仕掛けた相手がその時点で朝廷からの勅使の副使に任命されていた点にある。 これは朝廷に対して刃を向けたと言われても、必ずしも強弁きょうべんだとは言い切れない。 いや、ほぼ間違いなく刃を向けたと言われるだろう。 しかも、その事を聞いた者も納得してしまう。 それぐらいに、不味い事態であった。


「当然ですが、大館晴忠ど……いや大舘晴忠の主君である公方(足利義昭)様にも、咎はあるとなります」

「そして、その公方様を匿っているのが我が毛利家……危急存亡どころの話ではないではないか!!」


 毛利輝元もうりてるもとが言葉を荒げた様に、危急存亡どころの話ではない。 毛利家は無論の事、毛利家に属する家臣や国人すらも含め滅亡すらあり得る状況であった。 少し前に、全くの別の理由で朝敵になるかも知れないと話し合った事もあったが、そこでは殆ど有り得ないと考えられていたのである。 しかし、これが事実であれば朝敵扱い自体が現実味を帯びてくる。 そして万が一にも朝敵扱いされれば、距離的な問題があるので越後上杉家や北條家やさらに東北の諸大名は別にして九州の大名諸氏は織田家に協力するのは想像に難くなかった。

 しかも厄介な事に、つい最近だが織田家の意向を受けて近衛前久このえさきひさが大友家と竜造寺家、そして島津家の仲立ちに手を貸したとの情報もある。 東から織田家、西から九州諸氏から攻められては流石の毛利家と言えどもただでは済まない。 それでなくても、最盛期に比べれば力を落としている毛利家である。 毛利領内が根切ねぎりの状況まで追い込まれても、不思議はなかった。


「しかし、そうなりますると義よ……いや左衛門督(六角義頼ろっかくよしより)殿の旗下にある元尼子家の者らによる攻めと言うのはいささか疑問なのですが」

「そ、そうだ! 恵瓊の言うとおりだ! その点はどうなのだ、貞俊」


 問われた福原貞俊は、少し考えてから口を開く。

 彼の意見によれば、距離が問題なのだと言う。 義頼がいるのは山陽であり、尼子衆を含めた別動隊がいるのは山陰である。 当然ながらそこには距離という物が存在しており、どうしても時間差が生じてしまうのだ。

 しかも此度こたびの暗殺未遂事件が問題となったのは、尼子衆侵攻が始まった後となる。 これでは、どうやっても間に合う訳がなかった。 福原貞俊が己の考えを告げると、小早川隆景こばやかわたかかげも同意する。 毛利家を支える屋台骨とも言える二人の重臣からの言葉に、毛利輝元は納得するしかなかった。


「となれば、隆景。 援軍は、中止か?」

「いえ。 派遣は致しましょう。 攻められている事に変わりはないですし、援軍を送らないと言うのはそもそも問題となります。 それに元尼子の者もそうですが、兄上と相対している軍勢の動きが見たいのです。 その動きで義頼、いや左衛門督殿の言葉が嘘か真かが分かりましょう」

「つまり、山陰の敵勢が蠢動しゅんどうを辞め一時的かどうかは分からないが、矛を収める様ならば本当だと言う事ですかな?」

「ええ、恵瓊殿。 そう言う事です」

「そうなりますると、治部少輔(吉川元春きっかわもとはる)殿にもお知らせせねばなりませぬな」


 付け加える様に漏らした福原貞俊の言葉に答えたのは、安国寺恵瓊あんこくじえけいであった。

 今の状況下で、以前の様に彼が義頼らへ接触するのは難しくなっている。 そもそも、それを嫌って義頼は福原貞俊と言う手札を切ったのだ。 こうなっては、安国寺恵瓊が行う筈だった役目は保留せざるを得ない。 すると相対的に、彼は暇となってしまう。 ゆえ、手の空いた安国寺恵瓊が名乗りを上げたという訳であった。 


「恵瓊殿。 行ってくれますか」

「無論です、左近充(福原貞俊)殿。 毛利家存亡の危機となれば、動かない理由はありません」

「では恵瓊、頼むぞ」

「はっ」


 こうして半信半疑ながらも、事の次第の大きさに毛利家も動かざるを得なかったのである。 その一方で毛利輝元らからすれば、足利義昭と言う存在は疫病神としか考えられなくなっていた。

 確かに毛利家が足利義昭を庇護下に置いている事が、今回の事案に毛利家が当事者の一人となったのは間違いない。 しかし毛利家は、当初から足利義昭を受け入れたかった訳ではないのだ。 そもそも毛利家にの御仁を受け入れる気などなく、強引に押しかけられたので仕方なく毛利家領内においていたのだ。 それが数年に渡ってしまった事で、簡単には手放せなくなってしまったのである。 それならばそれで大人しくしていればいい物を、何をとち狂ったのか書状をばらまいたのだ。

 挙句の果てには、話によればであるが知らなかったとは言え勅使の副使の暗殺未遂騒動まで引き起こし、その事件に毛利家を巻き込んだのである。 これが疫病神でないのならば、何を疫病神と呼ぶのだと彼らは内心でほぞを噛んでいた。

 兎にも角にも、毛利家も動き出す。 その動きに連動したと言う訳でもないのだろうが、やはり山陰でも動きがあった。

 それは、十神山城を攻めていた尼子衆が義頼からの命に従い城攻めを止めて兵を退いた少し後の頃である。 山陰の別動隊を率いる京極高吉きょうごくたかよしを筆頭に大原義定おおはらよしさだ一色義俊いっしきよしとし山名堯熙やまなあきひろ、更には急遽打吹城から呼び出された南条元続なんじょうもとつぐなどが田尻城に揃っていた。

 はっきり言うと、現時点における別動隊の主要人物がほぼ勢ぞろいしていると言っていい。 例外は、尼子衆が雲伯地方へ出陣している為、物理的に参加できない尼子勝久あまごかつひさらぐらいであった。

 そして意外な話なのだが、別動隊の大将を務めている京極高吉が部屋の上座にいない。 彼は他の将や織田家従属大名達と同じ場所に腰を下ろしていた。

 やがて部屋に、一人の男が入ってくる。その者の名は、寺村重友てらむらしげともと言った。 彼は義頼の使いとして、田尻城に現れている。 その為、上座が空いていたという訳であった。 部屋に入った寺村重友はその空いていた上座に立つと、懐より義頼から託された書状を出す。 そして、朗々と内容を読み上げた。

 その途端、部屋にざわめきが満ちる。 その騒めきは、治まる様子を見せない。 だが、山陰からの侵攻の中止が通達されたのだからそれも当然であった。

 そのうち、大原義定から寺村重友に対し、義頼の命についての詳細な説明が問われる。 すると、使者の寺村重友はこの場にいる全ての将に対し近づく様にと手振りで示した。 その動作に従い、全員がにじり寄ってくる。 彼らが近づくと、腰を下ろした寺村重友は耳打ちする様に囁いた。

 それは言うまでもなく、義頼へ行われた暗殺未遂騒動からの一連の流れである。 その話を聞かされた彼らは、暗殺未遂におののきそしてその事案が足利義昭の側近である大舘晴忠によって引き起こされた事に怒りを表す。 更には義頼が、勅使の副使となっていた事に驚愕していた。


「その、太郎左衛門(寺村重友)殿。 その話ですが、真でありましょうや」

「無論です、中務少輔(京極高吉)殿。 それとも貴殿は、我が殿がたばかりを申したとそう言われるのか!?」

「あ、いや。 その様な意味では……」


 寺村重友の迫力か、京極高吉の言葉は尻つぼみに小さくなる。 すると、彼の言葉を受け継ぐ形で大原義定が口を開いた。 そこで彼は、重ねて尋ねる。 大原義定にしてみればとても重要であり、確認しない訳にはいかなかったからだ。

 一方で寺村重友だが、流石に京極高吉に対した様な態度は取れない。 何せ大原義定は義頼の甥であり、嘗ては六角家当主であった男である。 そして寺村重友だが、幾ら彼が義頼直属とは言え六角家家臣には変わりがない。 到底、大原義定を無碍むげにする事はできなかった。

 寺村重友は一つ息を吐きだしてから、現在で己が知る最新の情報を披露する。 その話だけでも、今この場で告げられたことが嘘ではないと確信する事が出来た。 


「……分かりました太郎左衛門殿。 殿へ、了解したとお伝えください」

「承知しました」


 そう返答すると、寺村重友は部屋から出て行く。 やがて部屋に残された彼らから、京極高吉が上座へと腰を下ろす。 それから丁度いいとばかりに、軍議を開く事にした。 と言ったところで、重ねる論議など殆どない。 毛利家に対する侵攻の中止を命じられた以上、義頼の指示通りにむやみやたらと動かず、敵が攻めてきた際には反撃するぐらいしかなかったからだ。

 その一方で、相対している吉川元春きっかわもとはるはと言うと、そんな敵勢の様子にいぶかしげに眉を寄せていた。

 およそではあるが敵に動きがあると察知した彼は、先手必勝とばかりに出陣する事にしたのである。 そしていざ出陣となった際に、奇妙な報告を受けた。 それは、敵勢が門を固く閉じてしまったと言うのである。 敵の動きを察知し、それに対応した動きを取ろうとしたその矢先の話である。 彼でなくても、訝し気な表情を浮かべるのは当たり前であった。

 そこでひと先ず出陣し、敵の出方を探る事にする。 情報が少なく、何が最善の行動なのか全く判別がつかないのだから仕方がない。 此処ここは、多少は危険を冒してでも、情報を得る必要があった。 しかし、遠巻きに挑発しても動く気配を見せない。 そこで一部の兵を大物見とばかりに接近させると、適当なところで反撃がきた。

 そこから見えるのは、少なくとも戦う意思がない訳ではないと言う事である。 だからこそ、何ゆえに動く気配を見せながら結局は動かなかった理由が見えてこなかった。


「全く、分からん。 岳父殿は如何いかに思う?」

「籠城……な訳はありませんな。 敵の方が全体的には優勢なのですから」

「その通りだ。 だから分からん、敵は何がしたいのだ?」


 吉川元春の岳父となる熊谷信直くまがいのぶなおも、首を傾げるばかりであった。 

 勝ち目がないとして動かない、それならばまだ分からなくもない。 だが、兵数でも士気でも全く負けていない敵が動く素振りを見せながら結局のところは動いていないなど異様であった。 その為、物見を多く放ち敵の出方の様子を見るなど、およそ勇猛で名を馳せる吉川勢にしては珍しく慎重な動きとなる。 そんな中にありながらも、ただただ沈黙を守る敵勢はある意味で不気味ですらあった。 

 その為、戦線がまさかの膠着状態となってしまう。 こうなると動くに動けなくなってしまい、流石の吉川勢も積極的な行動へと移れなかった。

 完全に想定外となってしまいどうしたものかと思案に暮れていた吉川元春であったが、そんな彼の元に毛利輝元からの使者として安国寺恵瓊が現れる。 そして彼は、毛利輝元と弟の小早川隆景との連名で届いた文に首を傾げつつも受け取った。

 どちらかからならば、まだ分からなくもない。 しかしながら連名による書状であり、その上使者となっているのが安国寺恵瓊である。 彼が首を傾げたとしても、何ら不思議はなかった。

 何であれ吉川元春は眉を寄せつつも、書状に目を通す。 そして読み進めていくうち、彼は眉を寄せた。

 だが、それも分からなくはない。 その書状に掛かれていたのは、戦の停止と吉川元春の吉田郡山城への召喚だったからである。 全く持って訳の分からない指示に、首を傾げるしかなかったと言うのが本音であった。

 何せ山陰に戻って以来、吉川元春に落ち度らしい落ち度もない。 しかも、負けが込んでいる訳でもない。 つまり、召喚される理由も戦を停止されられる理由も全くなかったからだ。


「恵瓊。 まったく理由が思いつかないが、何なのだこの書状は。 そもそも、この様な内容程度で何でその方が使者を務めている?」

「それは、書状に記すにははばかれるからでございます」

「何だそれは」

「治部少輔(吉川元春)お耳を拝借したく」

「何だ、そこで言え」

「壁に耳あり……とも言いますので」

「あー、分かった、分かった。 近くによれ」

「では、失礼して」


 やや面倒くさげな言葉に従い、安国寺恵瓊が吉川元春に近づく。 そして、囁く様に自分が何故なぜに使者となっているのかを伝えた。 その耳打ちされた内容に、吉川元春は驚きの表情を浮かべる。 しかし、かろうじて声に出すのだけは抑える。 だが彼の表情は、驚きから怒りへと変わっていた。

 その怒りは余程深いらしく、腕が小刻みに震えている。 そればかりか、彼の顔付はひどく恐ろしい物へと変わっている。 その姿は、正に鬼もかくやと言わんばかりであった。

 だが、彼とて歴戦の武将である。 怒りのままに行動すると言う愚かさも、また知っている。 自身を落ち着かせる様に何度か息を吸って吐くとそこで途切れ途切れながらも口を開いた。


「……本当なの……だな」

「はい。 残念ではありますが」

「まったく。 本当に疫病神だな、あのお方は……取り敢えず、事情は分かった、先ずは城に向かおうぞ」

「それが宜しいかと」


 とは言う物の、吉川元春としては、正直に言って今はこの地を離れたくなかった。

 幾ら事情があろうとも、敵は目の前である。 しかし毛利家当主からの命であるし、それより何より此度の一件は毛利家存続の危機となりかねない。 そこで召集の命に逆らって山陰へ留まり続けると言うのは、吉川元春自身の為にも宜しくはない。 結局彼は、熊谷信直を自身の代理として兵の統括を任せると、少ない供回りと共に吉田郡山城へ向かう事にしたのだった。

 吉川元春が供回りを少なくした理由は、一刻も早く吉田郡山城へ行く為である。 基本的に、同行者が少なければ少ないほど動きも早くなるからだ。 使者となった安国寺恵瓊をも伴い、彼が最初に向かったのは米子城である。 そこで機会を見計らい、一気に月山富田城を経由して安芸国へ向かうつもりだったのだ。

 しかし米子城に入ったところで、吉川元春は驚く事ととなる。 それは、織田家に与した尼子衆の動きであった。 彼らの動きから、中海を己の庭とするべく進軍をしていた事は分かっている。 だが、そんな彼らも、十神山城攻略を半ば放棄するような形で終わらせているのだ。 この不可解な動きは、伯耆国で対峙していた京極高吉が率いる軍勢にも相通じるところがある。 それは、安国寺恵瓊より伝えられた内容を裏付けする様にも感じられた。

 兎にも角にも米子城を出ると、月山富田城へと向かう。 何事もなく城へ到着すると、城主を務めている弟の毛利元秋もうりもとあきと面会した。


「兄上。 何なのですか。 停戦は命じられるわ、兄上は最前線より戻るわ。 しかも兄上への使者は、安国寺恵瓊ときた」

「う、うむ。 ところで恵瓊、話していいのか?」

「はい。 少輔十郎(毛利元秋)殿ならば、宜しいでしょう」

「そうか。 では頼むぞ」

「せ、拙僧がですか!?」

「そもそも、お前が伝えてきた事。 お前から説明した方が、いいだろうが」

「ふぅ。 分かりました」


 安国寺恵瓊は一つため息を付くと、一連の流れについて分かっている事を伝える。 その話を聞き、毛利元秋の顔は憂い一色となった。 しかし何度か息を吸って吐くを繰り返す事で、気持ちを幾らか落ち着けると、自身が如何いかに動いた方がをいいかを尋ねる。 すると安国寺恵瓊からは、何時いつも通りでいいとの返答を得ていた。

 その答えに、毛利元秋は意外そうな顔になる。 そんな彼に対して安国寺恵瓊は、根拠を話した。 彼曰く、足利義昭側に気取られたくない。 だからこそ、今まで通りの対応でとの事である。 その言葉に毛利元秋は、了承の意を告げた。


「分かった。 その方の言う通りとしよう」

「うむ。 それでいい。 では元秋、我は行くぞ」

「はい。 道中お気をつけて」


 吉川元春は、毛利元秋の見送りを背に月山富田城を後にすると吉田郡山城へと急ぐ。 やがて城へと到着すると、彼は身だしなみを整えてから毛利輝元の元へと現れた。 その部屋には、弟の小早川隆景もいる。 そして彼らの雰囲気が只ならぬ事から、事態が嘘ではない事を改めて認識する。 その思いが出たのだろう。 部屋に入り改めて事情を聞いた吉家元春の口から出た言葉は、辛辣と言うより物騒な代物だった。


「……本気で、公方(足利義昭)様の素っ首を叩き切りたくなった」

「兄上! お、お止め下さい! そんな事をしたら、毛利家は証拠隠滅のそしりを受けかねない」

「戯け。 本当にするか。 そんな事などはせんから、安心しろ。 だがこれは、今の俺の偽らざる心境だ」

「気持ちは、まぁ分かりますがね」


 小早川隆景が頷いているのと同様に、毛利輝元も頷いている。 何せ、完全にとばっちりを受けて、したくもない尻拭いをさせられていると言うのが今の毛利家の立ち位置である。 恨み言の一つや二つ、いや三つや四つも言い出したくなるのは吉川元春だけではない。 小早川隆景も毛利輝元も、全く同じ心持であったからだ。


「それで隆景、俺はどうすればいい。 公方様を捉えろと言うのなら、喜んで行うぞ」

「兄上、流石にそれは不味い。 それに、そんな事をする必要もない」


 それと言うのも、足利義昭のいる大寧寺だが、既に毛利家の忍び衆である外聞衆によって十重二十重とえはたえに囲まれている。 今や大寧寺周辺は、寺にいる足利義昭らの知らない間に蟻の這い出る隙間もないほどに囲まれていたのだ。

 しかし、情報を完全に遮断している訳ではない。 そんな事をすれば、逆に訝しがられてしまう。 適当に嘘ではない情報を流す事で、足利義昭らが下手な動きをしない様に仕向けているのだ。


「そこで兄上ですが、俺や殿と共に左衛門督と会って貰いたい。 事情が事情だけに、殿と我らが揃っていた方が良いと考えてな」

「六角義頼とか……仕方がないか」


 いささか不満げに、吉川元春が答えた。

 彼が不満を表しているのは、義頼が息子の仇に等しいからである。 生き死には戦場での習いであるし、その事で恨みを彼へ言う気はない。 だが勝敗が決した後ならばまだしも、今はまだ織田家と毛利家の係争中である。 それだけに、まだ割り切る事が難しかったのだ。

 しかし、事は毛利家の存続、いや毛利家及び毛利家に属する全ての者の命すら関わりかねない事態にすらなるかも知れない。 その点を考慮し、吉川元春は義頼と会う事に同調したのであった。



 その頃、安芸国の南でも驚きが満ちていた。

 そこで驚きをあらわにしているのは明智光秀あけちみつひで羽柴秀吉はしばひでよし長宗我部元親ちょうそがべもとちか来島通総くるしまみちふさらといった者達である。 彼らは来島氏の居城である来島城を本拠地とし、義頼の側面援護と言う名目で毛利家を攻めていたのだ。

 その来島城に突如、長岡藤孝ながおかふじたかが現れたのである。 これには明智光秀らも、訝し気な顔をしつつも彼へ用件を聞いた。


「兵部大輔(長岡藤孝)殿。 此度こたびは、如何いかがされた」

「うむ、日向守(明智光秀)殿。 拙者は、左衛門督殿の使者として参った。 日向守殿、一時停戦をしていただきたい」

「兵部大輔殿。 それは、如何いかなる仕儀にてでしょうか」

「日向守殿。 それはだな、こう言う事だ」


 そう前置きしてから、長岡藤孝は自身が使者となった経緯を説明する。 それは驚くに値する内容であり、にわかには信じ難い事でもある。 しかし彼の態度から、嘘を言っているとは到底思えなかった。

 何よりこれが嘘であるならば、それは朝廷すらだましたと言う事になる。 義頼にしろ長岡藤孝にしろ、そんな危険な橋を渡る様な事をする理由が全く見えてこない。 つまるところ、嘘と断じるより真であると判断した方が妥当なのだ。

 とは言う物の、驚愕の事実に変わりはない。 話の内容から驚きのあまり思わず立ち上がっていた明智光秀だったが、やがて力が抜けたかの様に腰を下ろしていた。 そしてそれは、羽柴秀吉以下の者達も同様である。 明智光秀の様に立ち上がっていた者こそいなかったが、彼らもまた驚きを露にしていた。


「……これは難しいところですな、日向守殿」

「とは言うが紀伊守(羽柴秀吉)殿。 兵部大輔殿の言う通り、事の正否や動向が見えるまで積極的に動く事は控えた方が無難であろう」

「それは、確かに。 事が色々と絡み合いますからな」 


 そうなのだ。

 羽柴秀吉の言う通り、色々な物や案件が絡み合っている。 その為、より繊細な判断が求められてしまう。 此処ここで下手に動くと、いらぬ叱責を織田信長おだのぶなが織田信忠おだのぶただから受けてしまうなどと言った事にもなりかねない。 それを回避する為にも、此処は敢えて義頼の言葉に乗るのは悪くなかった。

 何せ、言い出しているのは義頼である。 そうであるならば、提案に従っておけば責任は全て彼へと向かう事となる。 つまり、彼ら四国勢の面々が叱責を受ける事はまずないのだ。


「分かりました、兵部大輔殿。 左衛門督殿からの提案、受けましょう」

「そうか。 それは、かたじけない」


 少し考えた後で明智光秀は、義頼からの提案を受ける判断を伝える。 すると長岡藤孝は、一言礼を言ってから立ち上がると部屋から退出して行く。 そんな彼へ少しゆっくりとされてはと明智光秀は声を掛けたが、しかし長岡藤孝は丁寧に断っていた。

 何せ、まだ毛利家からの返事はない。 更に言えば、織田家や朝廷の判断も分からない。 この様な不透明な動静どうせいでゆっくりとできるほど、彼も楽天家ではないのだ。

 それから間もなく、来島城を出た長岡藤孝は、義頼や彼の兄である六角承禎ろっかくしょうていを正使とする勅使が留まっている常興寺へと取って返す。 やがて到着した彼は、四国勢への首尾が上手く行った旨を報告した。 

 この事案を持って、毛利家を攻めていた織田家の軍勢は全ての動きを一旦止めた事になる。 あとは織田家や朝廷、そして毛利家からの返答次第となったのであった。

ついに毛利家首脳陣が、事の次第を認識しました。



ご一読いただき、ありがとうございました。


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