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第二百三十七話~出雲国奪還戦と福原貞俊の帰還~

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第二百三十七話~出雲国奪還戦と福原貞俊の帰還~



 義頼が福原貞俊ふくはらさだとしに事情を話し、彼を毛利家への使者とした頃、山陰では戦が起こっていた。

 その理由は、先に許可を出していた尼子衆による吉川勢後方への撹乱かくらんが行われたからである。 これはどうしても時間差が発生してしまう為に、致し方ない事ではあった。

 そしてくだんの尼子衆だか、この戦いを後方の撹乱程度で収める気など初めからない。 彼らはこの戦を足掛かりに、出雲国を落とすぐらいの意気込みでのぞんていたのである。 それを証明するかの様に、彼らは怒涛の勢いで攻め込んだのであった。

 尼子衆が当初の目的としたのは、中海なかうみである。 出雲国の東の端に、中海と言う名の湖(潟湖)が存在しており、しかも水道で海に通じている。 つまり船で侵攻するには、都合が良かったのだ。

 先ず彼らは、境の湊を急襲する。 この役目は、隠岐清家おききよいえ率いる隠岐水軍が務めた。 彼らは東より侵入し、湊を押さえるべく騒乱を起こす。 そうして耳目を集めたその隙を突いて、尼子衆を乗せた奈佐日本之介なさやまとのすけ率いる但馬水軍が水道へと侵入を果たしていく。 そのまま彼らは、水道沿いに存在する城の中で境の湊に近い鈴垂城へ攻め掛かった。

 この城は、嘗て尼子家で重臣の一人であった亀井氏の居城である。 そんな理由もあってか、現亀井家当主の亀井茲矩かめいこれのりが奮闘する。 その働きは凄まじく、僅か半日で城を落として見せた。 すると尼子衆は、僅かな兵を残して次の城へと攻め掛かる。 次の標的は権現山城であったが、此方こちらも勢いそのままに日が暮れる前に何とか落として見せたのであった。

 こうして尼子衆と但馬水軍が短時間に二つの城を落とした頃、境の湊を攻略した隠岐水軍が合流を果たす。 流石に日が暮れていた事もあり、彼らは権現山城にて夜を明かした。

 明けて翌日、彼らは隣の横田山城へと進撃した。 横田山城は、嘗ての尼子家再興の戦において秋上綱平あきうえつなひらと息子の秋上宗信あきうえむねのぶが拠点とした城である。 この城は、嘗て尼子家再興軍押さえ城であり、敵対した毛利勢も落とせなかった。 それは、尼子家再興軍が劣勢となってからも同じである。 何せこの城は、最終的には城を押さえていた秋上綱平と秋上宗信親子が城より脱出した事で漸く毛利家の城となったぐらいなのだ。

 そんな横田山城だが、何故か常駐する兵が少ない。 これは、昨日攻めた鈴垂城や権現山城でも同じであった。 しかし、何ゆえに兵が少なかったのか。 それは皮肉にも、毛利家のお蔭であった。

 と言うのも、毛利家は義頼が山陰へ派遣した別動隊に対峙する為として、この雲伯地域の兵を治安維持に必要な数だけ残して軍勢に加えたのである。 その為、この雲伯地帯の兵数が軒並み激減すると言う事態を引き起こしてしまう。 だからこそ、尼子衆が一日で二つの城を落とすなどという事ができたのだ。

 そんな横田山城攻めだが、先に触れた様に城を守る兵は少ない。 ゆえに留守の城を預かる将は昨日のうちに鈴垂城や権現山城が落城した事も含めて、中海沿岸に点在する城や吉田郡山城、それから月山富田城へ報せを走らせている。 しかし、昨日の今日で援軍など来るはずもない。 ましてや、敵に嘗ての城主やその家臣が存在するのだ。

 残念ながら、秋上綱平は寿命を迎えて亡くなっている。 しかし息子は、まだまだ健在であった。 秋上宗信を先鋒とする尼子衆は、兵数差に物を言わせた我攻めで攻め寄せる。 しかし横田山城も多少は改装などがされており、必ずしも嘗て秋上家の城であった頃と同じ構造という訳ではなかった。

 その為、守りの堅さも合わさっていささかてこずったが、それでも城攻めを始めて二日後の昼には城兵は降伏し城は尼子衆の手に落ちたのだった。

 城を落とした尼子衆だが、その日は横田山城で夜を明かす。 そして、翌日になると早朝から進軍を開始した。 彼らが此処ここまで急ぐ理由だが、それは毛利勢の反撃体制が整ってしまうと占領地の拡大が難しくなるからである。 その前に可能な限り城を落とし、明確な足場と防衛線を確保する為であった。

 そうすれば、毛利家から援軍や伯耆国に展開している吉川勢が兵を差し向けても堪える事が出来る。 後は、京極高吉きょうごくたかよし率いる軍勢が戦をし掛ければいい。 上手くすれば、吉川元春きっかわもとはるを挟み撃ちにする事も可能だった。

 それを可能とする為にも、やはり勢力範囲を広げておく必要がある。 だからこそ、半ば無理をしてでも尼子衆は進撃速度に重点を置いていたのだ。

 話を戻して横田山城を出陣した尼子衆だが、彼らは軍勢を三つに分けている。 一つは、横田山城へと残る尼子勝久あまごかつひさ立原久綱たちはらひさつならであった。 この軍勢は、総大将を守る一団としては兵が少ない。 それだけの事をしてでも、尼子衆は他に兵を振り分けていたのだ。

 それが、如何いかに危険なのかは分かっている。 しかし前述した様に、少しでも勢力範囲を広げておきたいと言う理由もある。 そこで尼子勝久は、危険を承知で自らを守る兵を減らす決断をしたのだ。  そして残る二つの兵団だが、一つは山中幸盛やまなかゆきもり率いる尼子衆を乗せた但馬水軍である。 彼らは中海を南下して、対岸の十神山城を攻略する部隊となる。 首尾よく十神山城を攻略後は、更に周辺の城へ進撃する予定であった。

 特にこの十神山城だが、どうしても落としておきたい城である。 この城は中海へ突き出し半島の様な場所へ作られており守りが堅いと言う事もあるが、何より尼子十砦に数えられるからだ。 尼子十砦とは尼子家の居城であった月山富田城を守る十の砦の総称であり、この城はその一つに数えられていたのである。

 つまり十神山城は、月山富田城を攻める足掛かりにもなりうるのである。 中海を押さえる為にも、そして後に行われるかもしれない月山富田城攻略の為にも、手に入れておきたい城であった。

 最後に残ったのは、尼子勝久の兄に当たる尼子氏久あまごうじひさ率いる尼子衆を乗せた隠岐水軍である。 彼らは、中海に浮かぶ大根島に築城されている全隆寺城攻略へと向かっている。 この城は、城郭の直下が中海であり、現在水軍を主体としている尼子衆が拠点とするには丁度良かったからだ。

 その全隆寺城を攻略後は、中海の西のほとりにある新庄城山城やその近隣の城を落とす予定となっている。 若しこれが早急に成れば、毛利家の意向を受けた援軍が到着する前に中海は尼子衆の物となる筈なのだ。

 そして、彼らの思惑通りに事は進んだかと言うとそうはならなかったのである。 尼子氏久の攻めた全隆寺城や、全隆寺城落城後に攻めたてた新庄城山城は落としていたので此方こちらに関しては上手く物事が運んだと言っていいだろう。 一方で、山中幸盛らが攻めた十神山城はそう簡単に落ちはしなかった。 しかもここで手をこまねいていると、毛利家の援軍が来てしまう可能性が高い。 その前に、何としても十神山城を落としておきたかった。

 そんな十神山城を攻めあぐねていると言う報告を聞いた尼子勝久は、立原久綱と語りあった後で新庄城山城を落とした尼子氏久を十神山城攻略へ向かわせている。 こうして援軍も得た事で、尼子衆による攻め手はかなり厳しい物になったが、それでも十神山城は落ちなかった。


「どう思う、久綱」

「援軍を待っているのでしょう。 それも、恐らくはそう遠くないのではないかと」

「……月山富田城の毛利元秋もうりもとあきか」


 尼子勝久が言った通り、し毛利元秋が現れてしまえば、十神山城攻略はかなり難しくなる。 そうならない為にも、何より中海を押さえる為にも落城なり開城なりは必須であった。

 とは言え、現状ではいささか厳しい。 時を掛ければ可能なのだが、それを座して待ってくれる筈もない。 そうなると、更なる増援が必要であった。


「援軍か。 とは言え、持って来るとすれば俺の元にいる兵よりさらに抽出する事になるな」

「それは、お止めいただきたい。 それでなくても、兵数はかなり攻め手に振り分けています。 これ以上減らせば、殿の身を守れるかどうか分からなくなります」

「しかしだな、他にどこか「兄上、お話し中申し訳ありません」ら……何だ通久」

「はい。 左衛門督(六角義頼ろっかくよしより)様からの使者が参っております。 しかも至急との事、如何いかが致しましょうか」


 如何も何も、義頼からの使者からならば会わない訳にもいかない。 しかも至急とあっては、なお更だった。 一旦、立原久綱との話し合いを切り上げると、取り次いだ弟の尼子通久あまごみちひさの案内で使者の元へと向かう。 果たしてそこには、横山頼郷よこやまよりさとがいた。

 彼は、寺村重友てらむらしげともと並んで義頼が元服した時からいる古参の者である。 彼より古い家臣と言えば、傅役もりやくの蒲生定秀ぐらいであった。 それだけに、彼と寺村重友と蒲生定秀に対する義頼からの信頼は厚い。 その意味で言えば、横山頼郷は普通使者になど、先ずならない人物である。 その彼が使者を務めているのだから余程重要な事なのだろうと、尼子勝久と立原久綱は察していた。

 その横山頼郷だが、尼子勝久が腰を下ろすと一度礼をしてから書状を差し出す。 義頼直筆の書状を受け取った尼子勝久は、うやうやしく中を確認する。 それから間もなく、彼は記された内容に愕然がくぜんとした。

 だが、それも致し方ない。 そこには侵攻作戦の中止が、記されていたからだ。 思わずもう一度確認したが、そうしたところで書状の内容が変わる筈もない。 すると尼子勝久は、激高した。 その拍子に思わず書状を握りしめてしまったが、まったく気にしていない。 いや、気にする余裕もなかったと言うのが正直なところであった。


「喜内(横山頼郷)殿! 作戦の中止とは如何なる仕儀かっ!!」

『なっ!』


 同席している尼子通久と立原久綱より、驚きの声が上がる。 しかし、横山頼郷の表情に変化はない。 その様子に、尼子勝久はさらに激高する。 その直後、彼はあろう事か横山頼郷に詰め寄っていた。 流石に胸ぐらを掴むまでは行かなかったが、何時いつそうなってもおかしくはないぐらいの雰囲気である。 そこで漸く驚きより回復した立原久綱は、取り敢えず主君の尼子勝久を宥める事にした。


「と、殿。 落ち着き下さい」

「これが落ち着けるか、久綱!」

「それは、分かります。 分かりますが、今はご寛恕下さい。 それから喜内殿、ご説明を願えるのでしょうな」

「無論だ。 それ故に、拙者が派遣されたのだ」


 そう前置きした横山頼郷は、尼子勝久と尼子通久の兄弟。 それから、立原久綱に直ぐ近くまで来るようにと言う仕草をする。 その事にいぶかしさを感じつつ、三人は横山頼郷へ近づいた。 すると、まるで耳打ちでもするかの様な小さな声で作戦の中止の理由を告げる。 その内容に三人は驚き、そして絶句したのであった。

 無論、此処ここで告げられた理由とは、義頼に対する暗殺未遂騒動である。 何よりこの一件は、朝廷すら巻き込んだ大問題になる可能性が多分に高いと言う事態である。 その様な話をいきなり聞かされて、驚くなと言う方が無理な話であった。


「……と言った次第でな。 そなたら尼子衆には悪いが、どうあっても止まってもらわなければならなかった」

「だからこそ、喜内殿が派遣されたと」

「因みに中務少輔(京極高吉)殿らのところには、太郎左衛門(寺村重友てらむらしげとも)が向かった。 やはり内容が内容だけに、説明は必要だからな」


 そこは納得できる。 寧ろ、そちらの方が大変ではないかと思われた。

 それはそれとして、今は自分たちの問題である。 事情は納得したとは言え、今は十神山城攻略中である。 命を果たす為には、直ぐにその軍勢による城攻めを辞めさせ、兵を一旦戻す必要があった。

 しかしそうなると、彼らに説明を行わない訳にはいかない。 しかし、話はそう簡単ではなかった。 軍勢が但馬水軍と隠岐水軍に分かれている以上、派遣する物は二人必要となる。 しかしながら、尼子勝久は動けない。 となると、後はこの場にいる二人しかなかい。 即ち、尼子通久と立原久綱であった。


「頼むぞ。 久綱に通久」

「それしかありませんな。 甚左衛門(尼子通久)様、参りましょう」

「う、うむ」


 まだ若い事もあってか、尼子通久は少々不安気ではある。 しかし尼子勝久の弟であり、無碍にされる事はまずない。 その意味でも、使者には打ってつけだった。

 こうして立原久綱は山中幸盛の元へ、そして尼子通久は兄の尼子氏久の元へ向かう。 そこで彼らは義頼からの命と、その命が出た事情を話す。 流石に直ぐには信じられなかったが、それぞれの軍勢の元に横山頼郷が現れ説明した事で、少なくとも嘘がない事は判明する。 そうなると指示には従わざるを得ず、彼ら憤懣遣ふんまんやかたなしと言った表情を隠そうともせず、兵を退いたのであった。

 驚いたのは、十神城内で押し込まれていた城兵である。 前日まで干戈を交えていた敵勢が、いきなり転身したのである。 そのまま沖合にある大根島方面に向かって行く様を、彼らは茫然と見送る。 だが、やがて喜びの感情が込み上げてきたのか、彼らは喜色を爆発させたのであった。  





 さて、話を十神山城攻略に尼子氏久が参画して少し経った頃まで戻そう。

 毛利家の居城である吉田郡山城は、喧騒に包まれていた。 その理由は、中海に進出した尼子衆に対する援軍として軍勢を送り込む為に他ならない。 とは言え、そんな急に軍勢を送る事が可能なのかと言えば、実は可能であった。

 此処ここで派遣される軍勢だが、そもそもは別の理由で編成を急がれていた部隊だったからである。 何せこの軍勢は、明智光秀あけちみつひで羽柴秀吉はしばひでよし率いる四国勢を漸減ざんげんする予定で集めていた軍勢だったのだ。

 しかし尼子衆の進出もあった事で、行先の変更を余儀なくされる。 毛利輝元もうりてるもと小早川隆景こばやかわたかかげは、苦渋の決断で四国に派遣する筈だった軍勢を山陰への援軍に振り分ける事にしたのだ。

 苦虫を噛み締めているかの様な表情をしている毛利輝元と小早川隆景だったが、そんな彼らにある報告が成される。 何であろうと訝し気に受けた両名であったが、その内容に驚きを露にする。 何と報告は、福原貞俊が現れたとの知らせだったからだ。

 同時に二人は、眉を顰めてしまう。 確かに安国寺恵瓊を通して福原貞俊を開放させるべく交渉も併せて行ってきていたが、今まで六角家側が首が縦に振った事などない。 それどころか話にならないと、一顧だにされてはいなかったのだ。 そんな状況であったにも拘らず、此処にきていきなり福原貞俊が現れたと言うのだから彼らが不審気になるのも無理のない話であった。

 かと言って、会わないと言う選択肢はない。 二人は、取るものも取り敢えず福原貞俊の元へと向かう。 だが、案内される場所に近づくに従い、毛利輝元と小早川隆景は首を傾げ始めた。

 それは、そうだろう。

 案内されるのが、本丸の館などではなかったのだからだ。 そこは旧本城とも呼ばれる、嘗ての本丸であった。 安芸毛利氏の祖とされる毛利時親もうりときちかがこの吉田荘の地頭職を父親から譲られ赴任した際に、彼は城をこの郡山に築いている。 その頃の本丸が、この旧本城と呼ばれる一帯にあったのだ。

 因みに吉田郡山城は山城としては大規模だが、此処まで城を広げたのは今は亡き毛利元就もうりもとなりである。 かれが毛利家の当主となりこの吉田郡山城に入ると、それまで砦と言ってもいいぐらいだった吉田郡山城の改修改築に乗り出したのである。 それにより吉田郡山城は、屈指の山城にまで規模を広げたのであった。

 少し話が反れたが、その嘗ての本丸であった旧本城に入った毛利輝元と小早川隆景は、そこで実に数ヵ月振りとなる再会を果たしたのである。 また、其処そこには、何故なぜ安国寺恵瓊あんこくじえけいも同席していた。


「おお。 よくぞ無事に戻った」

「はっ。 こうして生き恥をさらしております」

「何を言う。 そなたはこの毛利の大事な重鎮、勝手に死なれては困る」

「……ふがいなくも敵に捕らわれた我が身に、かくも格別のお言葉。 この福原左近允貞俊、感激の至りにございます」

「ところで左近充(福原貞俊)殿。 そなたは如何いかにして、義頼の元より逃げ出したのだ?」


 主からの言葉に本人が言った通り感激し平伏している福原貞俊へ、平板と言っていいぐらいの声色で小早川隆景が尋ねる。 そんな叔父の様子に、毛利輝元はいささか驚く。 だが驚きを表しているのは彼だけであり、同席している安国寺恵瓊もそして問われた福原貞俊も驚くどころか顔色一つ変えていなかった。


「残念ですが、左衛門佐(小早川隆景)殿。 拙者は逃げたのではなく、解放されたのです」

「解放だと? まさか、降伏を促す使者としてか」


 前述した様に、義頼が福原貞俊を捕らえた理由はそこにある。 嘗ては毛利家の筆頭家老であり、現在も毛利家の重鎮である福原貞俊を降伏の使者とする事で、より織田家にとり優位に状況を作って毛利家を降伏させたいと考えたからだった。

 そして小早川隆景も、その事には気付いている。 だからこそ以前から干戈を交えつつも安国寺恵瓊を通して接触していた義頼に対し、福原貞俊を開放する様にと合わせて交渉していたのだ。 しかし、小早川隆景の思惑に反して福原貞俊は首を振る。 そればかりか、沈痛と言っていいぐらいの表情を浮かべていたのである。 これには同席している福原貞俊以外の三人も、眉を顰めるしかなかった。


「殿、左衛門佐殿、恵瓊殿。 拙者が解放された理由は降伏を促す使者としてではありません。 事態はもっと深刻であり、その深刻な状況より毛利家を救うべく拙者は使者となりました」

「す、少し待たれよ。 左近充殿の言い方では、義頼が毛利家を救う為に貴公を派遣したと拙僧には聞き取れるのだが」

「そうですな。 恵瓊殿、左衛門督(六角義頼ろっかくよしより)殿には彼の思惑があります。 しかし、結果からすれば毛利家を救う事に加担したと成り得ます」

「……全く持って、要領を得ないぞ貞俊。 結局のところ、義頼は何でそなたを派遣した?」


 毛利輝元の言葉は、小早川隆景と安国寺恵瓊の気持ちを代弁したと同じである。 事実、二人もその言葉に頷いているのだ。 そしてそれは、福原貞俊も同じである。 もし事前に事情を聞かされていないのであれば、頭がおかしくなったと思われても仕方がないと思っていたぐらいなのだ。


「では、お話しします。 左衛門督殿が拙者を使者として派遣した理由、それは毛利が、今まさに危急存亡の状況へ追い込まれているからに他なりません」

『…………はあっ!!?』


 たっぷりと間を開けた後、異口同音に毛利輝元と小早川隆景と安国寺恵瓊が驚きの声を上げた。

 だが、それも当然である。 毛利家の重鎮とは言え、敵に捕らわれていた福原貞俊が戻ってきたかと思えばそんな荒唐無稽こうとうむけいともとれる言葉を発したのだ。 これで驚くなと言われて驚けないほど、彼らも異常な感性は持ち合わせていなかった。

 それから暫く、まるでお通夜のごとくの静けさが辺りを支配する。 やがてのろのろと、小早川隆景が口を開いたのであった。


「左近充殿、気は確かか?」

「失礼な物言いだが、左衛門佐殿がそう言われるのも仕方がない事は拙者も十分承知している。 だが、まずは話を聞いて貰いたい。 その上で、拙者の気が触れているのかどうか判断していただこう」


 その物言いだけで小早川隆景と安国寺恵瓊は、福原貞俊は真面まともだと判断した。 しかし真面まともであるとするならば、それはそれで問題であった。 若し、気が触れているのであればそれこそ処分でもなんでもしてしまえばいい。 毛利家の重鎮である福原貞俊を処分したとなれば家中に影響が出るのは避けられないが、何ゆえに処分したのかを併せて公表すればその影響も幾許かは抑えられるだろう。

 だが、今のやり取りから少なくとも福原貞俊が正気なのは間違いない。 その正気な筈の彼が、今まさに毛利家の危急存亡などと言っているのだ。

 聞きたい様な、しかし聞きたくもない様な心持で小早川隆景と安国寺恵瓊は福原貞俊を見詰めている。 そこで福原貞俊は、彼らに頷いてから視線を毛利輝元へと向ける。 しかし毛利家の現当主は、まだ衝撃から立ち直っていなかったのである。 その様子に気付いた小早川隆景が咳払いを何度かすると、漸く毛利輝元の意識が回帰する。 そこで漸く、福原貞俊は己が義頼から派遣された理由を話し始めたのであった。 

事態が色々と動いています。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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